「いつでもイッていいですよ♪」と甘やかす姉と「絶対イっちゃダメだから」と意地悪する双子姉妹に挟まれる先生の話 作:千吹つぐ
『仰げば尊し 我が師の恩 教えの庭にも はや幾年』
いまだ冬の寒さを残す3月の吉日、白山学園は巣立ちの時を迎えていた。
体育館にならぶ紺色の若鳥たち。いまだ子供のようにも、もういっぱしの大人のようにも見える若者たちが、未来へ向けて羽ばたこうとしている。
目の奥が熱い。高木にとっては、これが二度目の三年生担当になる。一年生の頃から請け負ってきた彼らの卒業は、まさに後輩や弟妹を見送る思いだった。
歌が続いていく。群青の群れ。あのどこかに、姉妹も居る。
高木は、あえて彼女たちを探すようなことはしなかった。ただこの場では一人の教師として巣立ちを寿ぎ、別れの調べに身を任せていた。
歌が終わっていく。
季節が変わり、六度目の、そして七度目の告白に、決着が付こうとしている。
卒業の日に結論を出そう。そう約束したものの、三人がすぐに会うことはできなかった。高木やさくらはもとより、葵にさえも、いつのまにか別れを惜しむ友人が出来ていて、簡単に一人になることなどできなかったのだ。
結局、三人が集まれたのは、夕方になってからになった。
場所は、高木の家の近くの公園になった。
『つきました。ブランコのところにいます』
『もうすぐつきます!』
『ごめん、ちょっと遅れそう』
チャットアプリで会話をしながら、高木はひとり、立ち尽くす。
夕暮れ時、公園には誰もいない。真っ黒なコートの前を合わせて、はーっと真っ白い息を吐く。
「せんせい!」
さくらがやってくる。いつもの制服に、同じ紺色のダッフルコートを合わせている。卒業式だからか、黒のストッキングを穿いていて、胸元にはシンクのコサージュを付けている。しっかりとした格好とはすこしちぐはぐな、三年間使い込んだ学生鞄から、卒業証書の筒が飛び出している。
さくらがきょろきょろとあたりを見回す。
「葵ちゃんは、まだですか?」
「もうすぐだそうです」
チャットアプリには最寄り駅についた旨が書かれていた。
「…………」
外灯に火が入りだした。電線に積もった残雪が落ちて、沈黙をことさらに強調した。
「…………」
二人、なにも話さない。
葵が離れたことで、さくらとの関係もまた、すこしちぐはぐになっていた。彼女はあくまで三人での交際を望んでおり、二人での逢瀬はむしろ、断絶を深めるものだと思っているようだった。
気づけば、もう二ヶ月も、二人とは身体を重ねていなかった。
それは、一時期の狂乱を考えれば信じられないことで、高木は下腹に熱を感じていた。下品で、欲深で、しかし確かな命の火。
「……さくらくんは、時間は大丈夫ですか? お母さんには、なんと?」
「あ、ママには、葵ちゃんと過ごすって言ってます」
ふたり、まるで見知らぬ者同士のように、たどたどしく会話をする。
「……たぶんママは、パパの家で過ごすんだって、勘違いしたでしょうね」
さくらがちょっとした不正を告白するように言った。それをさせた自分に、高木は申し訳ない気持ちになる。
「……先生、あの、わたし……」
さくらが、迷いに迷って、言う。
「わたし、最期までがんばるつもりです。三人で一緒にいられるようにって……だから、だから……」
それは在りし日の宣言の繰り返しだった。あの秋の日、彼女はそう力強く断言して、破滅に突き進む二人を救った。
しかし、春を迎えるいまになって、宣言はかすれて、古びてしまった。
「だから、先生……どうか……どうか……」
くしゃり、とさくらの表情が崩れていく。あのとき、あれほど頼りに見えた笑顔が、大粒の涙で濡れていく。
「もしも、三人がだめになったら、先生、そのときは……」
さくらが涙をこぼしながら、必死でなにかを頼んでいる。もう自分ではどうにも出来ない断絶を前にして、奇跡が起きることを願っている。
ああ、そうか。と高木は気づく。さくらもまた、とっくの昔に気づいていたのだ。卒業の日などという約束をまたずして、すでに結果が出ていることを。
「せんせいは、あおいちゃんをえらんでください」
さくらが、あの明るく朗らかな娘の目に、薄暗い炎が宿っている。妹が見せた狂乱の火が、同じ瞳で燃えている。
なんて似ている姉妹なのだろうと思う。ちぐはぐで、それでいてそっくりな双子に宿った愛の炎。
「おねがいします……せんせい……おねがいします……」
頬を流れた涙が、コートの生地に吸われて消えた。
「さくらくん……」
高木はそっと肩を抱いた。
「お邪魔だったかな」
そして、葵がやってきた。
「あ、葵ちゃん! これは!」
ぱっと、まるで不貞でも見咎められたかのように、さくらは離れた。
「ああ、いいよ。分かってるから」
葵は、たちの悪い冗談を謝るように首を振った。
「遅れてごめんね、お父さん、急な出張になっちゃってさ、ちょっとばたばたしてたの。あ、そうだ、お姉ちゃんにも、卒業おめでとう。だってさ」
「……もう、パパってば、卒業式だっていうのに、相変わらずなんだから……」
「そう? 私はこの距離感も、最近は気に入ってるけどね」
葵がさっぱりとした笑顔を見せた。
その堂々とした姿が、高木には眩しかった。
葵は、さくらと同じブランドのPコートを着ていた。いつも以上にぱりっとしたショートボブと、アイロンの効いた短いスカート、そして黒のストッキングを履いている。胸元には真紅のコサージュ。荷物は持たずに、卒業証書の筒を肩に当てている。
ああ、そうだ、これを言わなければ。
高木は葵の言葉から、なにはなくとも言わねばならない言葉を思い出して、言った。
「二人とも、卒業おめでとうございます」
姉妹が、顔を見合わせた。
「先達として、あなたたちの成長をお祝いします。さくらくん、葵くん。よく、がんばりましたね」
「せんせい……」「あは、ちょっとおおげさじゃない?」
「いいえ、今日のこの日が、決して当たり前に訪れたものではないことは、あなたたちもよく知っているでしょう」
「それは……」
さくらが腕をぎゅっと抱いた。葵が足を引きずった。
本来であれば、葵は学校をやめていたかもしれない、あるいはさくらの裸がばらまかれ、高木は服役していたかもしれない。
それが、こうして卒業を迎えられた、それ事態が、奇跡なのだ。
「……ん、そうだね。先生」
想いを受け取るように、葵が深くうなずいた。
「たしかに、こんなに穏やかな気持でこの日を迎えられるなんて、思わなかった。そういう意味では、感謝してる」
「葵ちゃん……」
「さ、それじゃあ、さっさと始めようか、……いや終わらせよう、が正しいかな」
葵が、面倒な手続きでも済ませるように言った。
「みんな、約束覚えてる? 今日、結論を出すって」
高木はこっくりとうなずいた。さくらもだ。
「お姉ちゃんは、どう、気持ちは変わってない?」
「うん……」
さくらはぎゅっと、祈るように手首を握った。
「私は、やっぱりみんないっしょがいい。先生と葵ちゃんと私の三人で暮らしたい。ずっと一緒にいたい……」
そこまで言ってから、さくらはハッとした様子で笑みを戻した。
「も、もちろん! すぐに決めることはないよ? とりあえず、一旦付き合ってみるってどうかな? それでまたゆっくり、様子を見ればいいんだから!」
軽く、なんでもないことのように言う。その場しのぎの保留を繰り返して、そうして永遠にまで行こうとした。
「ね、先生、葵ちゃん。いいでしょ? 三人で、いっぱい楽しいことしましょう。私達、もう生徒じゃなくなるんですから、これからは外にだっていけますよ。夏祭りや、海にいったり、旅行して、古都めぐりなんかもいいですよね?」
「さくらくん……」
「それで……それで……なんとなく、一緒にいましょう? 半年、一年って、時間をかさねて、いつまでも、一緒にいましょうよ……」
さくらはやはり、泣いていた。
思い浮かべる未来を思って、すでに出ている結論に打ちひしがられて、それでも最期の希望にすがりついていた。
「先生は、どうですか? 三人一緒じゃ、いやですか?」
ついに、さくらが聞いた。
高木は天を仰いだ。これまでの二十八年間の人生が走馬灯のように過ぎ去っていく。『真面目ないい人』そんな評価にすがりついて、必死で生きてきた人生を思った。
自分がまっとうでいられたのは、さくらのような挫折も、葵のような事故もなかったからだ。ただ運がよくて、光さす道を歩くことができた。
ただ、それがなんだというのだ。
この、涙にくれる少女のためなら、もう惜しくはなかった。
「うけましょう」
高木は言った。
「さくらくんの夢に、私も乗ります。三人で……」
ぐっと、まだノドが詰まる。常識が邪魔をする。
「三人で、付き合いましょう。私はあなた達二人を生涯、愛します」
「せんせいっ!」
ぱぁっと、さくらの顔が明るくなった。まるで落日が蘇ったかのような、桜の花が満開に咲き誇るような笑顔だった。
「せんせい! ~~っ! せんせい!」
喜びが火花のように弾けている。抱きつきたい、でもまだそうするわけにはいけない、そんな思いが身体の中で爆発して、さくらはぴょんぴょんと跳ねていた。
「葵ちゃん! 聞いた! 先生が……先生が……」
「ん、これは私も驚いたかな」
目をパチクリとさせて、葵は言った。
「先生は、まともなところから、絶対に出て来ない人だと思ってた。三人で付き合うなんて、そんなこと、許さないと思ってた」
「……いえ、そのとおりですよ。ほら」
高木は、ぶるぶると震えている指を見せた。あまりの小心ぶりに苦笑が漏れる。
「……生徒と付き合うなんて、許されないことだと思っていました。まして二人の姉妹とだなんて、そんな不道徳、あなたたちの親になんと詫びればいいのか、結婚は、子供は? そんなことを考えると、いまでも胃が痛みます」
腹を抑えて、眉をしかめる。そんな、いままでは絶対に見せなかった弱い姿をさらけ出す。
教師だった自分が終わっていく。
だがそれでいいと思った。
「それでも、あなたたちと共にいます。私からはもう二度と離れないと、誓います」
高木は人生を放り捨てる覚悟をする。誰に後ろゆびさされようとも、軽蔑されても、それでも彼女たちと生きようと思った。
この、三人で。
「……すごいね、先生」
葵が微笑んだ。さくらと、高木の視線が集中していく。
「人って、変われるんだね。びっくりしちゃった。……いや、そういうんじゃないのかな、根っこはなにも、変わってないもの」
そして、解答は最期のひとりへと受け継がれた。
「……いいよ」
わずかな沈黙を挟んでから、葵が言った。
「三人で付き合うの、私も乗ったよ。許してあげる」
「葵ちゃん……」
しかし、さくらの顔に笑顔はなかった。葵が、まだ指を立てていたからだ。
「ただし、一つだけ条件があるの」
掲げられた左手の手首で、革のブレスレットが揺れていた。
「じょ、条件? いいよ! 私何でもやる!」
「お姉ちゃんにはなにもないよ、先生、ひとつだけ、質問に答えてほしいの」
やはりか、高木は思う。胸に急速に冷たいものが広がっていく。
「先生は、私とお姉ちゃん、どっちの方が好きなの?」
葵の瞳に、あの炎が燃えている。狂乱の残火が、最期の機会にしがみついている。
「どっちも、なんて答えはなしだよ。……ほんの少しでもいいの。私とお姉ちゃん、ほんの少しでもおおく、愛しているのはどっち?」
「…………」
「もしも、少しでも私が上なら、いいよ。それなら私『我慢できる』。先生がお姉ちゃんとキスしても、セックスしても、子供作っても、結婚だって我慢できる」
愛の猛火が、少女の形で燃えている。
葵が、数々の保留と妥協を、成長の名のもとに受け入れてきた一人の女が、しかし絶対に譲れない一点で立ち尽くしている。
「私は、やっぱり一番じゃないとダメ。お姉ちゃんの下なんて耐えられない。お情けで相手されるなんて許せない。だから先生、私のこと一番好きって、そう言って。……言ってよ、先生……」
誰かの一番になりたい。
癒えることのない傷の一番奥で、ひとりの少女が泣いている。愛の炎が瞳から落ちて、ぱちぱちと足元で弾けていた。
「……私が好きなのは」
長い沈黙の末に、高木は口を開いた。
「……せんせい、まって――」
さくらが、引き止めるように袖を引いた。
「私が、もっとも愛しているのは……」
そのときまで、高木は嘘をつくつもりだった。道徳も正義も、すべて裏切ると決めた自分だ、三人でいるためならなんだってすると誓ったのだ、いまさら嘘のひとつくらい、なんでもないことだと思っていた。
けれど、葵の目を見てしまった。
(先生は、嘘をつかないから、好き)
それは二人の思い出の記憶、彼女が彼を好きになった。初恋の瞬間。
「せんせい……だめ! だめぇ!」
さくらが叫ぶ、高木はただ、全員が知っている答えを言葉に変えていく。
「さくらくんです」
時間が流れ出す。あの日から四ヶ月つづいた淀みが砕け散り、六度目と七度目の告白が終わっていく。
「私が一番愛しているのは、さくらくんです」
「ん、だと思った」
葵が爽やかな笑顔で言った。
「ありがと先生、嘘をつかないでくれて。私の好きなあなたでいてくれて、ありがと」
「……すみません、葵くん」
「あやまらないでよ。私、これでも嬉しいんだから」
葵は目をつぶって息を吐いた。その目が再び開いた時、炎はもう消えていた。
「おめでとう、お姉ちゃん。先生と、なかよくね」
「ちが……こんなの……違うの……先生! もう一度! ちゃんと答えて!」
「こら、そんなこと言っちゃだめでしょ」
こつんっと、葵は姉と額を合わせて、涙にくれる彼女をあやした。
「お姉ちゃんは、選ばれたんだから。一番好きな人に、一番好きって言ってもらえたんだから。これからは、その人だけ見て生きていけばいいの。二番目以下なんか、気にしちゃだめ」
「やだ……やだやだ! そんなのやだ!」
「もう、わがまま言わないの」
葵が身体を離して、とんっと姉の肩を付いた。さくらがよろよろと後退り、高木の胸で支えられた。
「ん、お似合いじゃない」
支え合う二人の姿を、葵は嬉しそうに眺めていた。
「それじゃあ二人とも、元気でね」
振り返る。歩き出す。
卒業証書を握った左手が肩越しに振られる。
葵が去ろうとしている。姉から、高木から、思い出から。
「せんせい!」
さくらがまだ諦めきれないでいる。自分ではもうどうしようもなくて、高木の袖を引いている。
それは、けっして暗い別れではなかった。葵の足取りは堂々としていて、胸をぴんとはっていた。傷ついて、疲れ果てて、だがそれでも明日へ進んでいく、そんな意思を感じさせた。
それは、ある意味では高木がずっと待ち望んでいた別れ――巣立ちの時だった。
きっと、葵は傷を癒やすだろう。いまよりも、さらに美しく成長して、高木のことなど忘れるだろう。そうしてどこかで、幸せをつかむのだ。
高木にそれを止める意味などなかった。まさに、理想的な結末だった。さくら一人なら、まだ言い訳もできるだろう。幸福になる道はずっと容易い。
それなのに、
「……先生?」
葵が、ピタリと立ち止まり、不思議そうに左手を見た。
革のブレスレットが付けられた手首、そこを高木が握っていた。