「いつでもイッていいですよ♪」と甘やかす姉と「絶対イっちゃダメだから」と意地悪する双子姉妹に挟まれる先生の話 作:千吹つぐ
高木がこの仕事を初めて驚いたのは、自分のような男でも、女子高生から意外とモテるということだった。
『先生好きです、つきあってください……』
新任から数えて六年、現在二十八歳の高木はこれまでに五回、告白されていた。
最初、とくに二十代の前半だったころ、高木はとても動揺した。それまでの人生でモテたことがなかった自分に告白など、罰ゲームかなにかだと思ったのだ。
『タカ先生、好き……』
だが違った。彼女たちは幼いなりに真剣に、高木鷹也という男に恋をしていた。
「すまない、✕✕くん」
しかし、高木からの答えはいつも同じだった。
「私は生徒とは付き合えないよ」
教師としては当然の答えを、高木は五度くりかえしてきた。自分が十代ならいざしらず、二十歳を超えて見る彼女たちは本当に幼くて、関係を結ぶことなど考えられなかった。
『そんな……』
と泣き崩れる少女たちの姿を高木はまだ覚えている。守るべき生徒を傷つけて、後悔した日々もあった。
だが結局、あのときの判断は正しかったのだと、いまは思う。
少女たちの恋心が偽物だったとは言わない。だがそれはやはり、十代の一過性のものでしかなかったのだ。
その証拠に、進学した彼女たちとはもう連絡すらとっていなかった。あれほど燃えていた恋心はたやすく風化して、もはやどこにも残っていない。
――いや、そういえばひとつだけ、先日、一枚のハガキが届いた。あれはいったい何番目に告白してきた生徒だっただろうか。ウエディングドレス姿で微笑むその女性を、高木はもう見分けも付かなくなっていた。
けれど、それでよかったのだ。高校時代に数年だけ過ごした教師など忘れて、自分の幸福を掴んだ元生徒。あのハガキを見るたびに、高木は誇らしい気持ちになれた。
「先生、好きです……大好きです」
だから、この六度目の告白も、きっぱりと断るつもりだったのだ。
それは、残暑もようやく和らいできた九月下旬のことだった。
「先生、ちょっと質問いいですか? いまの授業でわからないところがあって……」
まだチャイムが鳴っているなか、一人の女生徒がノートを抱えてやってきた。
衣替えしたばかりの暑そうなブレザー服を、しかし生真面目に着込んでいる少女の名前は藤宮さくら。この学園の生徒会長だ。
「もちろんですよ、さくらくん」
高木は歓迎するように笑って生徒を迎えた。教壇にいそいそと広げられたノートはよくまとめられていて、授業内容を完璧に収めていた。
だからこそ、高木は彼女からの質問が楽しみだった。
「あの、今川義元が、桶狭間で討たれた理由が分からなくて」
「それは当日の悪天候と、行軍の問題と言われていますが……」
「あ、いえ、そこではなく、そもそも進軍する必要があったのかなって……」
「おや、それは非常にいい視点ですね」
高木は歴史の枝葉末節を説明する。それは成績とは関係のない知識で、だからこそ学問の本質だった。
「――などなど、他にもいろいろな説がありますね。このあたりはドラマや漫画にもなっていて、図書館にもある、おすすめを教えますよ」
「うぇー、おもろ」「タカ先、漫画なんかで勉強していいんスか?」
いつのまにか集まっていた、さくら以外の生徒も相槌を打つ。
「もちろんです。なかには最新の学説を扱った興味深いものもありますからね」
『へー』
今年の三組は良いクラスだなと、高木は思う。やはり授業というのは生徒の意欲が高くなくてはどうしようもない。
「わぁ、面白そうですね! 先生、私さっそく読んでみます!」
「あ、俺も俺も!」「私も読むわ!」
……まあ、それが不純な動機だったとしても多少は目を瞑ろう。高木は思わず苦笑する。ここに集まった生徒たちのほとんどは、実のところ歴史が本命ではないのだ。
「ありがとうございます高木先生。先生のお陰で、私すっかり歴史の授業が好きになっちゃいました♪」
藤宮さくら、彼女は成績やリーダーシップよりも、どちらかと言えば人望によって生徒会長に選ばれた生徒で、その優しい笑顔は周囲の人間を魅了していた。
「それはなによりです。では、みなさん、また次の授業で」
頃合いを見て、高木は資料をまとめて教壇を去った。周囲の生徒に、どこかホッとしたような空気が満ちる。
(ふふ、わかりやすいですね。好きな相手が興味を持っているものなら、気になってしまうのも仕方ありません)
彼らの幼い恋心を、高木は微笑ましく感じていた。たとえ不純な動機だとしても、歴史に興味を持たれるのは嬉しいことだ。
「……あ、先生、まだ――」
「あー、お腹すいた」「藤宮さん、一緒にご飯食べよー」
だが高木は知らなかった。彼が唯一純粋だと思っていた藤宮さくら。彼女もまた、最初は不純な動機だったことを。
放課後、高木は歴史資料室で日々の雑務に追われていたときだった。
コンコン、と入り口の扉がノックされる。
「はい、どうぞー」
高木は机に座ったまま、顔だけ向けて返事をした。
「失礼します。高木先生? いらっしゃいますか?」
「おや、さくらくん。こんにちは」
扉を開けて顔をのぞかせたのは、昼に話をした藤宮さくらだった。彼女は高木を見つけると、ぱっと顔を明るくして、短い距離を駆け寄った。
「こんにちは! 高木先生!」
「いらっしゃい、また歴史の話かな?」
高木は言った。さくらは資料室の常連で、よく質問をしに来るのだ。
「あ、いえ、今日はその、別のお話があって……」
「おや、そうでしたか。……生徒会のことでしょうか? それとも受験?」
「いえ、そういうのではなくて……その……」
さくらが、視線をそらして言い淀んでいる。
「ええと、とりあえずどうぞ。お茶くらいは出しますよ」
「あ……ありがとうございます……」
来客用のソファに二人で座って、しかしさくらはなかなか話そうとしなかった。
(これは相当、話しにくいことみたいですね。……ふむ)
高木は気合を入れ直して――あえて、ゆったりと問いかけた。
「そういえばさくらくん。今週の大河ドラマはもう見ましたか?」
「へ? ……あ、はい」
「それはよかった。いや、いよいよ佳境ですね」
「は、はい……」
高木は、あえて別の話題を振った。それは二人が普段この部屋でしている歴史談義だった。
「それでそれで! 信繁がとってもかっこよくて!」
三十分後、そこには拳を握って熱弁しているさくらの姿があった。
「演出もとっても決まってたんです! さすが神谷さんの脚本です! まさか夏の陣をあんな風に解釈するなんて思いませんでした!」
「私もです。いや、今週もなかなか波乱の展開でしたね」
二人はしばし盛り上がった。それは教師と生徒というよりも、同好の士が趣味の話をしているようで、さくらはすっかりいつもどおりに戻っていた。
「ふふふ♪ 来週も楽しみですね、先生♪」
「ええ、あとはどんなラストにすることやら」
「あ、そうですよね。……十二月には最終回ですから。もう、終盤なんですね……」
明るかった瞳が一変して、ちらりと壁に目をやった。カレンダーと、そして時計が、終わりの季節を告げていた。
「――あ、もうこんな時間。……まだちょっとしかお話してないのに……」
「なに、またいつでもできますよ」
「そうでしょうか? 最近はぜんぜん時間がとれなくて」
さくらが暗い顔をする。受験生であり、生徒会長でもある彼女がここに来る時間は、最近とくに減っていた。
「もう、秋なんですね……」
美しい横顔が、夏の終わりを見つめている。裏山のツクツクホウシが、惜しむように鳴いている。
「あと半年もしたら私、ここにはいないんですよね……」
高木は黙った。高校3年生である彼女たちの哀愁に、もう大人になってしまった自分が言えることなどなにもなかった。
「……あの、高木先生」
そして、さくらは始めた。
「じつは私、今日はどうしても聞いてもらいたいことがあって、来たんです」
「はい、うかがいましょう」
高木は居住まいを正した。ついにさくらが悩みを打ち明けてくれると思ったのだ。
「先生、私」
だが瞬間、猛烈な既視感に襲われる。
(まさか……)
『先生……』と呼びかける、うわずった声を思い出す。
こちらを見つめる濡れた瞳。縮こまった身体と、握りしめられた白い拳《こぶし》。
目の前の少女に、誰かの姿が重なっていく。
「高木先生、私、先生のことが、好きなんです」
恋に燃える少女からの、それは六度目の告白だった。
藤宮さくら、誰もが羨むような美貌を持ち、それでいて少しも驕ることのない優しい少女。きっとこの学園の誰に告白したとしても、二つ返事で了承してもらえるだろう花盛りの乙女。
そのさくらが、よりによって自分に告白している。
「すき……すきなんです先生……」
ぽろり、とさくらが涙をこぼした。あまりの緊張に体が震え、ブレザーの襟元を頼りなさそうに掴んでいる。
「ひっく……ごめんなさい……せんせいを困らせるだけって……わかってるのに……」
さくらは、くしゃりと顔を歪めて、両の掌で口元を覆った。
その悲しげな姿を見て、高木は理解した。彼女は、この告白が受け入れられるなどと、少しも考えていないのだ。
「ごめんなさい……せんせい……どうしても、どうしても伝えたくて……」
さくらは、いままで見てきた中でもっとも気の合った生徒だ。だからこそ、高木の答えなど、最初から分かっていたのだろう。
「すきなんです……せんせい……」
それでも止められないのが、恋だった。終わらせなければ後にも先に進めない、そんな苦しい恋ならば、綺麗に振ってやるのが大人の役目だ。
高木の答えはとっくの昔から決まっていたし、実際そのようにしてきた、これまでに五人、恋に燃える少女の願いを、無惨に断ってきたのが自分だ。
今回もそうするつもりだった。だが、
(よりによって、さくらくんか……)
これまでの告白と今回のそれは、ある部分が決定的に違っていた。以前の五人は、あくまで惚れられただけで、高木からの特別な感情はなかった。
(ああそうか、私はこの子が好きだったんだな……)
教師として、無意識にそらしていた思考に、高木はついに気づいてしまった。
自分はさくらに惹かれていたのだ。
その美しさよりも、まとう空気が好きだった。隣にいてなんの違和感も覚えない、半身のような存在だと感じていた。
(もしも違う形で出会っていたら……)
そう思わずにはいられない。それはきっとさくらも同じで、だからこその涙だった。
「さくらくん……」
高木はやっと声をかけた。ビクッ! とさくらが、殴られたように身を震わせた。
「私は、生徒とは……」
そして、高木は決定的な言葉を吐こうとして、
「ま! 待ってください!」
寸前、さくらが止めた。
「あの……返事は今でなくていいんです……」
「え?」
「分かってます。先生が、私を振る気だって……」
ズキン、と胸が痛む。
「でも、それって私が生徒だからですか? 子供だからですか?」
「さくらくん……」
「そんなので振られるのは……いやです!」
ぱっと涙が跳ねる、輝く瞳が高木を見る。
「だから先生、時間をください。せめて卒業するまで、振らないでください。私、待ちます。先生がいいって思える日まで、待ちますから。……だから年齢《それ》を理由にだけは、しないでください、……おねがいします」
「さくらくん……」
「も、もちろん! その間に先生に好きな人が出来たら構いません! そのときはいつでも振ってください。それなら納得、しますから……」
「……それはあまりに、辛くありませんか?」
「いいんです、そういう恋だって、知ってますから」
さくらが無理矢理に笑ってみせた。
「おねがい……せんせい、おねがい……おねがいします……」
あとはもう、ひたすら頼むだけだった。さくらはポロポロと涙を流して、ただ、ただ、頭を下げて頼み込んだ。
その哀れな姿が、高木には可哀想でならなかった。どうしてよりによって彼女が、本来であれば誰が相手でも受け入れてもらえるはずの素晴らしい少女が、こんな惨めったらしい告白をしなければならないのかと、そう、怒りすら覚えた。
「……わかりました」
長い沈黙の末に、高木は言った。
「良い返事を保証するものではありません。……それでも、いいですか?」
「は、はい!」
まるで告白が受け入れられたかのようにさくらが笑う。
「ありがとうございます先生!」
「お礼を言われるようなことではありませんよ。……本当にね」
「それでもです! 私! 私! ~~せんせい!」
「おっと」
感極まったさくらが飛びついてきた。それはまるで子供がするような、信頼のこもったハグだった。
高木は一瞬ためらった。だが流石にそんな純粋な愛を否定することはできなかった。
(それに、生徒とのハグは、あることだしな……)
卒業式や受験のときなど、感極まった生徒にそうされることは男女関係なくあったことではないか。そう、高木は言い訳をして、目の前の小さな背中を抱きしめた。
「さくらくん……」
そこに不純な意図など一切なかったと、このときはまだ断言できた。
「せんせい……」
さくらもまた、あどけない声で甘えていた。