「いつでもイッていいですよ♪」と甘やかす姉と「絶対イっちゃダメだから」と意地悪する双子姉妹に挟まれる先生の話 作:千吹つぐ
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
葵のブレスレットが千切られようとした、そのときだった。
「だめぇぇぇぇぇ~~~~~~!!!!」
突然、高木の脇腹に衝撃が走った。
まるで自転車でもぶつかったような一撃に、高木も葵も跳ね飛ばされる。
「ばかぁ! ばかばかばか! ふたりの、ばかぁ!」
ばしーん! と、三人まとめて、壁まで跳ねられた。
「さ、さくらくん?」
「お姉ちゃん!?」
「ばかぁぁぁぁぁ!!!!! ばか! ばかばか! せんせいのばか! あおいちゃんのばか――――!」
「さ、さくらくん、おちつ――」
「ばか――――――――――!!!!!」
さくらが、涙と鼻水でびしょびしょにして泣き叫ぶ。
「さくらくん、落ち着いて……」
「ちょ、おねえちゃん……」
高木が、そして葵も、泣き縋るさくらに語りかける。
「ひっく! えぐ! ばかぁ……ばかばか……ばかぁ……」
だが彼女は脇目も振らず泣きわめき、誰の呼びかけにも応えない。
「ばか……ばかぁ……ばかぁ…………」
結局、二人はそのままの姿勢で動けずに、さくらが落ち着くのを待つしかなかった。
「ひっく……どうして……どうして……」
やがて、ようやく言葉らしきものがもれ始める。
「どうして……どうしてみんな、一人で話すの……?」
「え?」
「どうして言ってくれないの? どうして一人で……一人だけで考えて、私もいるのに……。みんないるのに……それなのに葵ちゃんは……ひっく……葵ちゃんの先生しか見てなくて、先生も、先生の私達だけ見て……」
ぐらり、となぜか高木は、その言葉に足元が揺れるような衝撃を受けた。
さくらが、なにかとても重要なことを話している。だが拙い言葉で語られるそれがなにを意味するのか、高木はまだ理解できない。
「ちゃんと! 見て!」
さくらが、涙でぐしゃぐしゃの顔を見せる。
「ちゃんと相手のこと見て! 話し、して! 私のことも、ちゃんと入れてよぅ……」
ぎゅうう、高木も葵も一緒くたに抱きしめられて、他のどこにも行けそうにない。
「せんせえは……学校辞めちゃ、だめです……」
「……それは無理だ」
「無理じゃないです……」
「だがそれ以外にどうすればいいんだ。こんな、こんな最悪の状況……」
「最悪?」
キッ! とさくらの眉が釣り上がる。誰よりもやさしい、怒るのが苦手と言った少女が激怒している。
「これのどこが、最悪なんですか! こんなの、全然最悪じゃないですよ!」
「いや、だが……」
「だって葵ちゃん! 怪我してないじゃないですか!」
え? と、高木と葵の顔に疑問符が浮かぶ。
「葵ちゃんは、先生のことが嫌いになったの? 信じられないと思うの?」
「え? ううん、そんなこと……」
「先生は? 葵ちゃんのこと嫌いになったの? 見捨てたの?」
「……いまさらそんなことを言ってどうなると――」
「言って!」
噛みつくような怒り。涙にくれる子の激怒。
「いまさらなんて! 絶対そんなことない! 先生! 言って!」
「き、嫌いじゃない」
気圧される。左の胸で、葵の体がピクンと震える。
「もちろん、愛している。見捨てたつもりもない」
「聞いた! 葵ちゃん! 先生葵ちゃんのこと好きだって!」
「う、うん」
ぎゅうう、言葉にしなかった思いが形になっていく。
「ね? 葵ちゃんは先生が好きなんでしょ? それから先生も葵ちゃんが好きで。もちろん私も、二人が大好きだよ。……これのどこが最悪なの?」
『…………』
高木も葵も、そう言われてしまうと言葉もない。
「ね? ……葵ちゃんは足に怪我なんてしてないし、ママたちも喧嘩してない……」
「おねえ、ちゃん……?」
「葵ちゃんは変わったもん。ずっと元気で、きれいになった。……私だって、もうなにもしないで見てたりしない。それに、高木先生だっているもの……」
「こんなの、去年と比べたら、全然最悪じゃないよ……」
高木はようやく、さくらがなにと比べているのか理解した。
それは一年と半年前、葵が足の手術をし、それまでの道をドロップアウトしたときのこと、あのとき藤宮の家は離婚して、双子の仲も切り裂かれた。
「……私、あのときなにもできなかった。ううん、しなかった。自分になにか出来るなんて思わなくて、葵ちゃんを助けられなかった……でも、もうそんなのは嫌」
小さな腕が二人をつなぐ。
「……あのときも、なんでみんな、自分の話しかしないんだろうって思ってた。ママもパパも、先生たちも、まるで一人で喋ってるみたいで、……さっきもそう。葵ちゃんも、先生も、目の前の相手じゃなくて、自分のなかに叫んでるみたいで……」
ああ、そうか。高木は思う。
さくらの言うことが理解できた。高木も葵も、自分の本心を隠して、代わりのもので満たそうとした。
「ねえ先生、本当の事を言って」
さくらが、まっすぐに自分を見る。
高木は知る。望んでいた裁きの時が、違う形で来たのだと。
「教師とか関係なく、本当の望みを教えて。……高木鷹也さん、あなたは私達と、本当はどうなりたいの?」
高木は思うままの言葉を口にいた。
「愛したい……」
口にして、始めて自分の望みを知った。
「誰に後ろ指さされることなく、君を愛したかった。……こんな場所で隠れるようにじゃなくて、大空の下で抱きしめたかった」
ぎゅっと、彼女の抱擁に応えていく。
「皆に祝福されるような、そんな出会いがしたかった。そんな風に、愛したかった」
「うん……うん……」
さくらがぽろぽろと涙を流して、高木のハグを受け入れていた。
「きっと、できますよ」
「……そうかな?」
「ええ、いつかきっと、かならず」
さくらが甘い夢を口にする。だが高木にはもう以前ほど、それを否定することができなかった。
「葵ちゃんは?」
「え?」
「葵ちゃんは、本当は先生とどうなりたかったの? 脅迫して無理やり言うこと聞かせるのが、本当にやりたかったことなの?」
「ちがう!」
葵が叫ぶ。叫んで、はっとして、自分の口を手で塞ごうとする。
「言って、葵ちゃん。おねがい……言ってよぉ……」
さくらが、こつんと額を合わせた。まるで本当に仲の良い姉妹のように顔を寄せた。
その暖かさに、結局は葵も、耐えられなかった。
「愛して……ほしい……」
渇望をたたえた虚ろな目。
「となりにいて……好きだよって言って欲しい。私からだけじゃなくて、私のことも求めてほしい……お姉ちゃんにするみたいに、やさしくして欲しい……」
言葉と涙がぽろぽろ落ちる。
「ほ、本当は……もっと優しくしたかった。ちゃんと愛して……愛されて……でも、無理だった……だって、だって、お姉ちゃんが相手なんて……」
「葵ちゃん……」
「そんなの絶対かなわないもん! みんな、みんな結局お姉ちゃんが好きなんだもん! パパも、ママもそうだった……みんなお姉ちゃんに取られちゃった! だから先生だって……絶対お姉ちゃんを好きになるに決まってる……でも……そんなのやだ、先生だけは……先生だけは……」
高木はようやく、葵の孤独の深さを知った。
自分は結局、甘く見ていたのだ。一年前に彼女を助けたこと、そんなものは大したことではないと思っていた。
事実、あの程度の声がけなど誰にでもしてきたことだ。傷ついた生徒がいれば助ける。そんなことは当たり前のことだった。
だが、彼女にとって、それは決して当然ではなかったのだ。高木がなにげなく注いだ水は、葵にとっては命の水だった。高木が誰にでも向けた慈愛の心が、彼女にとってはすべてだった。
「おねがい、先生……捨てないで……おねがい……おねがい……」
「葵くん……」
怯えた小鳥を抱きしめる。
「だいじょうぶだよ。葵ちゃん。だいじょうぶだから」
さくらもまた、よりいっそう腕に力を入れた。
それが高木の心を軽くする。
事態はなにも解決していない、だというのにその声を聞いていると、本当にそんな気がしてくるのだ。
「せんせい、葵ちゃん」
そして、彼女は言った。
「私から二人に、提案があります!」
「つまり、もっとシンプルに考えればいいんです!」
さくらが自信満々に話しながら、二人をソファに引っ張っていった。
「私は先生が好きで、葵ちゃんも先生が好き。それで先生も私達が好き、ですよね?」
「え、ええ」「う、うん」
強引に、隣同士で座らされる。ブランケットがぽいぽいと投げられて、生姜湯の入ったマグが目の前に置かれる。
「なら、簡単です!」
さくらもまた、準備万端ととのえて、正面のソファに腰をおろした。
「つまり! 三人で付き合えばいいんです!」
ああ……と、高木は天を仰いだ。途中からもしかしてと思っていたが、いざ耳にすると衝撃的だった。
「うそでしょ……」
それは葵も同じだったらしく。隣にいる彼女も天を仰いでいた。
「よりによってお姉ちゃんが、そんな事言いだすなんて……」
「え? そんなに変なこと言ってるかなぁ」
「言ってる。っていうかお姉ちゃんは嫌じゃないの? 先生が他の女と付き合うだなんて……」
「うーん、それはたしかに、他の人なら嫌かもだけど」
「ほら!」
「でも葵ちゃんならいいよ」
葵が鼻白む。さくらが笑う。
「私の大好きな二人だもの。二人が付き合うなら、嬉しいよ」
「……へぇ、そうなんだ」
葵の瞳に、また暗い炎が宿る。
「じゃあ、譲ってよ」
「葵ちゃん……」
「お姉ちゃんは、身を引いて! 先生のことは、私に頂戴!」
「それは無理だよ」
「ほら! 結局諦められないんじゃない!」
「だって先生はべつに、私のものじゃないもの。先生は先生のものだもの。私があげることなんて出来ないよ」
葵が面食らう。さくらが目を伏せる。
「なんて……でも本当はね、それもちょっと考えたの」
「え?」
「葵ちゃんが先生のことが好きって知ったとき、最初は私がどっか行こうって思ったの。それで、二人が幸せになればいいやって」
「…………!」
どうしてか、葵が怒ったように眉をひそめた。
「でもね、三人で話して、それも違うなって思ったの。……それも私の勝手だなって」
「なによそれ……」
「ごめんね、うまく言えないや。でも、きっと、私たちは三人でいた方がいいと思うの。私、それだけは自信をもって言えるよ」
理屈もなにもない断言に、しかし葵も高木も反論できない。
まっすぐな瞳が、今度は高木を貫いた。
「先生は、どう思いますか?」
「……私も正直、抵抗感が大きいです」
当然の道理を語りながら、しかし高木は彼女の目をまともに見れなかった。
「生徒というだけでも不実なのに、そのうえ複数とだなんて……」
「でも先生、世界には重婚を認める国もたくさんありますよ」
「ここは日本だよ、さくらくん」
「あら、日本でも昔は側室をもつ文化はありました。先生の好きな島津斉彬だってそうじゃないですか」
「いまは現代だよさくらくん。それに斉彬は結局その側室と仲が悪く、最後は暗殺までされたとか……」
「むう、高木先生は、屁理屈をいいますね」
「こっちの台詞だよ、さくらくん」
「ちょっと、いちゃつかないで」
断じてそんなつもりはなかったが、えへへ、とさくらが照れるのでなにも言えない。
「………………ちょっと、なんなのよこの空気」
葵が頭痛をこらえるように眉をひそめた。
「私たち、もっとシリアスな話をしてたはずじゃないの?」
「そう? そんなこともないと思うよ。だってこれって結局、私達はみんな、お互いのことが大好きっていうお話でしょ?」
「それは、えっと……ええ~?」
葵は頭を抱える。高木も同じ気分だった。
まるで魔法にかかったように、ずっと抱えていた悲壮感が薄くなっている。
「ね? どうかな、三人で付き合うの」
「う、ううむ……」
「どうって言われても……」
「じゃあ、みんなで不幸になる? 先生は捕まって刑務所行き、葵ちゃんは世をはかなんで身投げ、私も結局あとを追う。それでいいの?」
「いや、そこまでは――」
「――流石にならないんじゃない?」
「葵ちゃんは、ないって言い切れる? ……私はちょっと、自信ないかなぁ」
さくらは「あはは……」と儚げに笑った。それは、彼女が今日はじめて見せた暗い瞳で、高木と葵を心の底からぞっとさせた。
『…………』
また、沈黙が落ちる。前にも後ろにも進めずに、湯気を立てるお茶を見ている。
今度の沈黙を破ったのも、やはりさくらだった。
「……じゃあ一旦、保留にしませんか?」
「保留?」
「はい、ずいぶん時間も立っちゃいましたからね」
気づけば、もう夕方だった。
「一旦、全部おいておくんです。辞めるとか辞めないとか、難しい話は全部明日に放り出して、休憩しましょう」
言葉通りに、さくらは手元のカップに口をつけて「はー」っとあつい湯気を吐いた。
「ね? 先生も葵ちゃんも、ほら」
「あ、ああ」「ん……」
マグカップを取る。金色の生姜湯に口をつける。
熱くて甘い液体が、乾いた胃の腑に落ちていく。
「保留……か」
甘みが脳の疲労を癒やして、高木はようやく未来について考えはじめた。
「はい、どうですか先生、保留の味は?」
「なるほど、これがそうですか」
苦笑する。まるでちょっとした詐欺にあった気分だった。こうして口にしているお茶だって、厳密には決断の先延ばしだ。
「……私には少し甘すぎるかもしれないな」
高木は最後の抵抗をした。
「じゃあ、次からはもうすこし生姜を効かせましょう」
さくらはさらりと受け流した。
なにか、勝敗が決した、という気分だった。
「わかった……受けよう」
高木は辞表を取り出して、皺だらけのそれを二つに裂いた。
びりびりと、切り札だった存在が引き裂かれていく。
「ひとまず、これを出すのはなしにしよう」
「やった! 葵ちゃんは?」
「…………私は、正直いやよ」
葵が顔をそらして言う。
その瞳にはまだ、暗い炎が宿っている。
「葵ちゃん……」
「そんな眼でみないで、むしろどうして二人ともそんなこと出来るのか理解できないわ。三人で付き合うなんて冗談じゃない。お姉ちゃんと同じなんて許せない。保留なんて言って、そんなのただのごまかしだもの。私は絶対に、絶対に絶対に、先生の一番になりたいの」
「…………」
「でも……」
炎が消える。
「でも、それで、先生が壊れちゃうのはいや。先生が死んじゃうのはいや。でも、だけど、私……私……」
葵が肩を落とす。高木と同じ袋小路に落ちていく。
今度ばかりは、さくらも言葉はなかった。
時間が過ぎていく。葵がなにかを決断する。
ぐいっと、萩焼の茶碗が煽られて、言う。
「……卒業までよ」
「え?」
「卒業までなら、付き合ってあげてもいい。保留なんて、そんなのにいつまでもは出来ないもの。……私は、卒業までに結論を出すわ。……だから先生」
葵が、真剣な眼差しで顔を上げる。
「そのときは、私とお姉ちゃん、どっちか選んで。それでいいなら保留してあげる」
卒業、それは期せずして、さくらが告白でも口にした期日だ。
「……分かりました」
「ん……先生、スマホ」
葵が取り上げられたスマホを求めた。
高木は渡した。指紋認証が解除。写真フォルダが一括で選択される。
「はい、削除。……家のバックアップも、あとで消しとく」
「葵ちゃん!」
「……あくまで保留だからね」
「それでもだよ! やった! やったぁ!」
さくらが感極まって立ち上がり、ぴょーん、とテーブルを跳ねて飛び込んできた。
「先生! 葵ちゃん!」
「おっと!」「ちょ! お姉ちゃん?」
「よかった! よかったよぅ!」
「お姉ちゃん! あんまり喜ばないで! 保留だって言ってるでしょ!」
「それでもいいよ! うれしい……うれしいよぉ……」
葵と二人で、ぎゅぅっと全身全霊で抱きしめられる。
「よかった……本当によかった……」
「さくらくん……」
「私、もう終わっちゃうって思った。全部、また台無しになっちゃうんだって……でも……ひっく……」
さくらが、また涙を流す。
「でも……でも……よかったぁ……」
「お姉ちゃん……」
「葵ちゃん。私、今度こそ葵ちゃんから離れないから……絶対ひとりになんてさせないから……」
抱きしめる腕が震えている。
それで、高木はようやく気がついた。
この場で誰よりも優しく、全員を支えたさくら。まるで母のように頼もしかった彼女もまた、後悔と傷を負っていたのだと。
「さくらくん……」
震える体を抱きしめる。いまだ言葉を返せない不実を詫びるように、せめて抱擁だけでもと応えた。
「お姉……ちゃん」
葵もまた、おずおずと、姉の体に手を回した。
ずっと離れていた双子が、不幸にして引き裂かれていた半身たちは、こうして再び巡り合った。