日が傾きだす頃、学校を終えた生徒たちは町へと散っていく。学校指定のブレザーを着たドクターは、予約した本を取りに行くため繁華街へと向かっていく。ドクターとは勿論本名ではない。冷静な立ち振る舞いやその高い知能から、多くの人にドクターと呼ばれている。
イヤホンを耳に突っ込み、スマホでミュージックプレイヤーを起動。慣れた手つきでいつものプレイリストを再生する。
画面に表示されているのは、金髪で狼のような耳を生やした少女が、マイクを握りしめポーズを決めている写真。元々ドクターと同じ高校に通っていたソラの姿だった。
ソラ、今ではあちこちで名前を聞く超売れっ子アイドル。高校に入ると同時にアイドル業を始め、紆余曲折を経て一流のアイドルとなり、学校に在籍はするものの、高二の夏から学校には通わなくなってしまった。
ドクターとソラは周りから見てそこそこ仲の良い関係であり、ドクター自身も、ソラに対して特別な感情を抱きつつあった。しかし、それを遮るようにソラはアイドルの道を真っすぐ歩み始めてしまった。ドクターは、「君の一番のファンだ」とソラの躍進を後押しし、自らの心の迷いを断ち切ろうとした。そんな夏が、もう一年も前のことになる
今日は、ソラの写真集が発売される日だった。そのため、ドクターは家へは向かわず、こうして町中の書店へと向かっていたのだ。
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書店に着くなり、ドクターは真っすぐレジへとむかい、自身のスマホを店員へ見せる。
「予約していた商品を取りに来ました」
「はい、番号確認しました、少々お待ちください」
ソラの写真集は、店頭に並ぶと同時にほぼ完売が当たり前であるほどに人気だった。そのためドクターは、書店で予約開始と同時に書店へ連絡し、必ず手に入るように努力している。
「こちら商品と、先着10名様限定の、サイン入りブロマイドになります」
「ありがとうございます」
秒速で予約を行うのは、この先着――名限定の特典を必ず手に入れるためでもある。今の所、ドクターは一度もこれを取り逃したことは無い。
受け取った写真集とブロマイドが入った紙袋を大切に抱え、ドクターは書店を後にした。
書店を出ると、少し離れた所にある喫茶店へと入る。コーヒーを一杯注文すると、店の一番奥、窓ガラスの方へ椅子が向いている座席へと腰を下ろす。ここは、ドクターにとって思い出深い席だった。
ソラとドクター、他数名の友達とともにこの喫茶店へ立ち寄った際、友達が二人を残して用事が出来たとして先に帰ってしまった。二人でテーブル席を占領するのも悪いからと、この窓際の席へ移動したのだ。
その時ドクターは、ソラと二人残された緊張で、何を話したのか覚えてはいなかったが、ソラの美しい鼻歌だけは、頭から離れることは無かった。
そんな鼻歌を脳内で再生しながら、ドクターは先ほど買ったソラの写真集をパラパラと広げる。ソラは清純系アイドルとして売り出しているため、決して過激なものを出すことは無い。しかし今回初めて、水着の写真が掲載されていた。もうすぐ夏と言うことで、薄着のものが多いなとドクターは感じていたが、まさか、白いフリルビキニだけを纏ったソラの写真が載っているとは思ってもみなかった。
思わずドクターはそのページを食い入るように見つめてしまう。しかし、ここが自宅の自室ではないことを思い出し、そっと写真集を閉じ、紙袋に戻した。この続きは自分の部屋で楽しもうと思い、席を立とうとした直後、そっと隣に誰かが座った。
席は他にも空いているのに、わざわざ自分の隣に座って来たため、ドクターは驚いて、思わず「なんだよ……」と小さく呟いていた。
夏だと言うのに、ポンチョを着込み、顔が見えないほど深くまでフードを被っている。
ドクターが改めて席を立とうとするのを見て、フードを被った人物は鼻歌を歌い始める。
「~♪」
その鼻歌がドクターの耳へと届くと、ぴたりと動きを止める。
「~~♪」
ドクターが止まったのを見て、フードを被った人物は上機嫌に歌い続ける。より鮮明にその鼻歌がドクターの耳に届くと、思わず腰を抜かし、席へと座り込んでしまった。
「……ソラ?」
名を呼ぶ。一年前から、手の届かぬ遠い人となっていたはずだった友達の。
呼ばれた名に、フードの人物は思わず小さく笑った。そして、ポンチョの下から伸びた白く華奢な腕が、フードを少し捲った。
「せいか~い。久しぶり、ドクター」
口元に指を立て、「静かに」と合図しながら、ウィンクをドクターへと飛ばすフードの人物。それはまごうことなき、現トップアイドルであるソラだった。
ドクターは久しぶりにこうして会うことが出来た喜びよりも、どうしてこんなところにソラがいるのかという驚きが勝り、口をパクパクさせる。
そんな様子のドクターを見て、ソラは微笑む。
「どうしてこんなところに居るのか? って言いたいのかな?」
ドクターは大きく頷く。
「実はね、今月末この近くのドームで、ゲリラライブをやる予定なの。あ、まだ公式発表してない情報だから、言っちゃダメだよ? それでね、そのリハーサルとして、運営の人達と来ていたの」
ドクターは慌ててスマホを取り出し、ソラ関連の情報のメモを見直すが、ゲリラライブのことなど書いていない。念のため、ソラの所属する事務所のホームページを確認してみるが、本当にまだ公開されていない。
「ね、まだ出てないでしょ? 明後日に告知をして、その数分後にネット上でチケットの販売を始めるんだけど……」
ソラはごそごそと自身の服のポケットから、一枚の紙きれを取り出す。
「はいこれ、ドクターに上げる」
「これは……ライブチケット! しかも、SS席!」
ライブの日付は、間違いなく今月末を指しており、グレードはSS。最もステージに近い席であり、ソラ級のアイドルでこの席のチケットを普通に買おうとしたら、間違いなく数十万クラスの値打ちがつく。
「これ、貰っていいのか……?」
「うん、ドクターのために用意しておいたの。折角私の高校が近くにある場所でライブをするなら、仲のいい人にはぜひ来てもらいたいなと思って……でも、このチケットを渡したのは、ペン急の皆を除けばドクターだけだよ」
ペン急とは、ペンギン急便という運送会社のことであり、ソラがバイトしていた会社のことだ。今でも時折顔を出し仕事を手伝っていることを、同じくペン急のメンバーである、テキサス、エクシアから、ドクターは聞いていた。
この二人とドクターは、学校は違うもののソラ繋がりで縁があり、町で会えば適当に話す程度の仲であった。二人はソラがドクターに会いたがっていることを知っていた為、なんとかペン急にソラが訪れた時、ドクターを呼ぼうとしていた。しかし、一般の学生がアイドルに内々で会いに行くのは世間的に良くないと、ドクターが断り続けていた。
個人的にチケットを受け取るのもどうかと思うドクターだったが、憧れの存在が自ら渡してくれるという状況が、ドクターの判断力を鈍らせた。
チケットのことで頭が一杯になっていたドクターだったが、冷静になり始めると、この異常事態に気づき始める。
「そう言えば、どうしてソラは一人でここに? マネージャーとかといっしょじゃないのか?」
ギクッと言わんばかりに、ソラは動揺した様子を見せた。
「……まさか、抜け出してきたのか?」
訝しげにドクターはソラの顔を覗き込むと、ソラは慌ててフードを深く被り、表情を隠す。
「だ、だって、マネージャーがいたら、ドクターとこうしてゆっくり話す時間、取らせてくれないんだもん……それに、最近プライベートの時間がほとんど取れてなくて……」
ドクターは大きくため息をつく。
「つまり、抜け出してきたと?」
「……うう、ペン急の皆に手伝ってもらって、リハーサルが終わると同時に抜けだしてきた。だから、このポンチョの下もステージ衣装のままなの」
「ダメじゃないか、ソラほどのアイドルが一人で町を出歩くなんて……変な人に襲われでもしたらどうするんだ? プライベートが欲しい気持ちは尊重するが、もう少し自覚をだな……」
その発言に、ソラは明確にピクリと体を震わせた。
「……ドクターは、もし私が一人で歩いていたら、襲っちゃうの?」
その発言の意図が読めず、ドクターは少し困惑しながらも、ここはソラにお灸をすえるつもりで答えた。
「ああ、ソラほど綺麗な子が無防備に歩いていたら、僕も思わず襲ってしまうかもな」
その発言に、ドクターから見ることは出来ないが、ソラの頬は間違いなく赤く染まっていた。
「ドクターなら、それもあり、かな……」
「え?」
微かに聞こえたソラの呟き、良く聞こうとドクターはソラのすぐ前へ自身の顔を近づけた。
「ひゃっ!」
急に間近に表れたドクターの顔に驚いたソラは、思わず思い切り頭を振ってしまい、深く被っていたフードが脱げ、あどけない童顔とかわいらしい耳、眩しく輝く金髪が露わになる。
直後、喫茶店の前を歩いていた人物が、驚きの表情を浮かべる。この人物はソラが一人で街へ出たことを聞きつけた記者であり、特ダネを求めて彷徨っていた。
記者はソラに気づくと、すかさずカメラを構えた。しかしソラの反応が一瞬早く、自身の顔を再びフードで隠した。
「どうしよう、記者の人にバレちゃった! このままドクターといたところを証拠に残されちゃったら、明日の週刊誌で一面飾っちゃうよ!」
ソラは慌てて席を立つ。
「早くマネージャー達の下へ戻った方が良いんじゃないか? もしくは、ペン急の皆を頼るとか……少なくとも、早く僕から離れた方が良いだろう」
「うん……」
ソラの表情は暗い。記者に追いかけられるのはアイドルの運命のため、こういうことには慣れているとばかり思っていたドクターは、少し引っ掛かった。
「どうした?」
「あの記者さん、前私にセクハラしてきた人なの……体触ろうとしてきたり、凄い踏み込んだ質問してきたりで……正直、一人であの人に捕まるのは、ちょっと怖い」
そのソラの発言は、ドクターを動かすには、心のどこかで少女のことを慕っていた一人の高校生を突き動かすには、十分な理由だった。
「……仕方ない、ソラ」
覚悟を決め、記者と向き合う決意を固めていたソラ。ドクターはその手を取った。
「へ?」
「走るぞ!」
ドクターに手を握られたという嬉しさのような照れのような感情で頭が支配されていたソラは、わけも分からぬまま、ドクターに手を引かれ、走り出していた。
「あ、待って!」
喫茶店の入口で、先ほどの記者とすれ違う。記者は慌ててポンチョの裾を掴む。緩んでいた紐がほどけ、ポンチョからするりとソラの姿が露わになる。
「ど、どうしようポンチョが!」
なんとかシャッターを切られる前に記者の視線から外れることは出来たが、姿を隠していたポンチョを失ってしまった。これでは、すぐにソラだということが分かってしまう。
「これを被れ!」
慌ててドクターは自身が来ていたブレザーの上着を脱ぎ、ソラの頭から被せる。
「このまま路地裏を使って人目に付かない所まで逃げる。そしたら、そこからはちゃんと一人でマネージャーの元まで帰るんだぞ!」
「う、うん……」
ドクターの言葉に、ソラは素直に返事が出来ない。この時、ソラの心の中には複雑な感情が入り混じっていた
第一に、自身が苦手だと言った記者から自分を庇うために、こうして一緒に逃げてくれていることを、とても喜んでいる。そして、手を握ってくれている。ドクターの匂いがするブレザーを被っている、その二つが、乙女としてのソラの心をくすぐっていた。
だが同時に、この時間が終わってしまえば、逃げきれてしまえば、この幸せな時間が終わってしまう。そんな切なさを心に秘めていた。