勝手に自尊心ズタボロになっていく
結構好き
珈琲って、やっぱりいいですよね。
芳ばしい豆の香りと体の奥底まで染み込むような苦味が、浮かび上がっているような感覚を、地面に引き落としてくれる。
苦い現実を受け入れる前段階としては最適な飲料だと思います。
...本当に私、どうしたんでしょうか。
黒い水面に映る私は、いつもと変わらず眠たそうな顔をしているのに、明らかに違って見えていました。
「...聞いてる?」
「うへっ!?な、なんですか!?」
珈琲に負けず劣らず綺麗な黒い尻尾で不機嫌そうに背もたれを叩きながら覗き込むタマヨちゃん。
「あ、聞いてなかったな?もう...」
「ちょ、ちょっと考え事をしていて...すいません...」
「...いいよ。別に、このぐらいで怒るほど短気じゃないし。それに私、今この状況だけでも、嬉しいから。」
わざと私をおちょくってるんじゃないかと思うぐらい、その好意は真っ直ぐで...それが余計に、私が考えているものとは違うということを教えこんでくる。
「ウイさん、なにか悩んでる?」
「...どうして、そう思ったんですか...?」
「んー...なんとなく?なんとなーく、元気がないように見えたから。大人特有の苦悩ってやつ?ふふ、かっこいい〜。」
「...」
「え...あ...け、結構深刻なやつ?ごめんその、茶化しちゃって...は、話聞くよ?私で良かったらだけど...き、気が利かなくてごめんね?」
この場合は、誰が悪いんでしょうか。
ここまで立派に人としても生き物としても成長した彼女が悪いのでしょうか。
それとも、こういう人間への耐性が低い私が悪いのでしょうか。
...考えるまでもありませんでしたね。
「いや...ただ少し...そう、仕事で、嫌なことがあって...ひっ。」
適当な嘘をついて誤魔化そうとした結果...
「...誰?」
彼女の顔から、途端に笑顔が消えました。
「嫌なことされたの?言われたの?どんなこと?」
「えっ、あ、いやっ...」
「教えてくれたら
私の方を見る時だけ安心させるように口の端を機械的に吊り上げて、銃の点検を始めました。
突然恐ろしい側面を見せられて、心臓が握られるような感覚。
「い、嫌なことっていうのは、ちょっとミスしてしまっただけです...!誰かと特段関わるような事じゃありませんし...!」
「...な〜んだ、そうだったんだ。でもちょっと意外かも...ウイさんも、失敗とかするんだね!」
「わ、私をなんだと思ってるんですか...?そういうあなたこそ、傍から見れば失敗を知らない、成功し続けた人間そのものですよ...」
「まっさかぁ!私が成功してるなら、ウイさんは大成功?」
まさか誤魔化しの嘘をさらに誤魔化す羽目になるとは思いませんでしたが、なんとかなったようです。
「私は結構、ろくでもなかったし...あ!ここに来る前の事ね!」
夜の路地裏のような影を落としていた表情は白昼夢だったのかと思うほどに騒がしく、忙しない表情の変化を見せる彼女を見て一安心。
「でも良かった。ウイさん、ちょっと頑固なところあるし、そのつもりが無くても敵を作ってるんじゃないかってちょっと心配してたの。」
「...この最近で、そんな風にまで心配かけてしまったんですね...」
嬉しいような、なんとも言えないような...
「ずっとだよ?」
「はい?」
「え?」
「な、なにが、ですか?」
「だから、お姉ちゃんと色々回ってる間、ひっそり心配してたんだ。そりゃ、私がそんなの心配してもお節介にしかならないのはわかってたけどさっ。」
「...ずるい」
「ん?なんて?」
「なんでもないです。」
「でも、良かった。好きな人がいじめられてるなんて嫌だったから。もしそうだったら、私きっと、やめさせるために何でもしたと思う。」
「...ん?」
「......あっ、え、あ...す、好きって言うのは、友達のだから!」
私が過剰に反応してしまったのもあり、少しの間の後、自分が言ったことが恥ずかしくなったようで慌てて付け加えてきました。
確かに、私も一瞬ドキッとしましたが、そこまで急いで補足する必要もないじゃないですか。
思春期ですか?別に、そういう意味じゃないのは私が一番わかっていますよ。
「...誰にでも、そうやって好意を振りまくのはどうかと思いますよ。私だからいい物の、いつか良からぬ誤解を招きますよ...」
「私だって尻尾振る相手はちゃんと見定めてるよ。お姉ちゃんとか、ウイさんとか、あとは...あと...それぐらい!二人しかいないね、あはは...」
わざとやっているのでしょうか。
唯一の肉親と私を同列に扱って...そういう所ですよ。
そういう所を言っているんです。
ですが、今日でもうそうやって一々過剰に反応するのは終わりです。
「...タマヨちゃん、この前のことなんですが。」
「ん?なぁに?」
ただ、どうでもいいことを確認するだけなのに、素早く反応して、僅かに流れた沈黙の中で私の言葉を期待するように首を傾げる。
「こ...この前の...」
『番がどうとかって、確か冗談でしたよね?』って。
いつもの慣れない愛想笑いをしながら、からかうように聞いてやればいいだけです。
「うん。」
「.........お、お金...」
...まあ、その『だけ』がこれ以上ないほどに難しかったんですが。
「そんなの気にしなくていいのに〜。私の奢りって言ったでしょも〜。」
そんな私の乱れまくった情緒のことなんて露知らず、けらけら笑い、耳が何度も跳ねる。
「い、いや...私が気にするので、今日は私が出します。」
「ふ〜ん。そんなに高くないから?」
「そういうわけじゃっ...」
「冗談。くすくす...そういう、ずるい人じゃないのは知ってるから。じゃあ次があったらその時は私の番ね。一回ずつ交代していこうよ。」
「それは違いませんかね...私はただ、この前の分を返すだけです。そんなことしたら、無限に返し合うことになりますよね...?」
「そうしたら、次の次、ウイさんは返したいから私のお誘い断らないよね?それが狙いって言ったらどうする?」
タマヨちゃん、数年見ない間にとんでもない小悪魔になってませんか?
相変わらず情緒をぐちゃぐちゃにされながらも、「馬鹿なこと言わないでください」と一蹴して難を逃れました。
難だと思っているのは私だけだと思いますが。
「そっか、残念。」
「第一、私なんかにずっと構ってるわけにもいかないでしょう...あなたのことですし、他の交友関係を大事にしてくださいよ...」
「...うーん...まあ確かに、仲良くなった人もいるっちゃいるけど...別に十分かな...あ!もしかして、それでずっとそわそわしてたの?ウイさんらしいっちゃらしいけど...」
「...そわそわしてました?」
「してたしてた。トイレ行きたいのかなってずっと思ってた。」
自分では気付いていませんでしたが、私は結構、態度に出るタイプのようです。
それとも、彼女が特別察しが良いだけでしょうか。
「ほら、カフェイン取ると近くなるって言うし。」
「...」
絶対違いますね。
至る所で成長したところを痛いほど見せつけてくるくせに、どうして抜けたことを突然言うのは変わらないのでしょう。
「ね、他にはもう気になってる事ない?そわそわしたまま飲む珈琲、美味しくないでしょ?」
「いや...もう、すっきりしました。大丈夫です。」
「......そっか、良かった。」
「...はい。」
微妙な間がありましたが、自分を納得させた様な顔で彼女はカップの中の黒い液体に口をつけた。
「...にぎゃい。」
散々砂糖を入れていたのに足りなかったようで、また砂糖を追加し始めました。
「それなら、最初から砂糖とミルクを入れるなりカフェオレなんかにしておくなり、やりようはありませんか?」
「うぅ...でも、好きなんだもん...」
「苦味がですか?でも分かります。少しずつ淹れていくのは、一文ずつ復元して完成させていくような感じで...それでいて苦味と酸味のバランスが取れた一杯は、なんとも言い難く、ただもう一杯が欲しくなるような...」
「苦いのは嫌いだよ?」
「そっ...あっ。そ、そう、ですか...」
勝手に勘違いして一方的にまくしたてて、余計自分が嫌いになりそうでした。
嘘つきました。
嫌いになってました。
「わぁ、ウイさん溶け始めちゃった。」
「忘れてください...」
「なんで?好きなことに正直な人って、とても素敵なのに。」
「...眩しい...」
「大丈夫?席変える?あ、カーテンある!」
「大丈夫です...」
あなたと話していると、なんだか自分が惨めに思えてきました...
いや、事実惨めなのですが。
「なんかもう...なんにも考えたくないです...」
段々とカフェのシックなテーブルの溶け出す私を、タマヨちゃんは困ったように見つめて、一つため息。
「...飲んじゃう?どこかお店行ってもいいし、それか...お家で?」
「......私の家...行きましょう...」
そこいらの人にやろうものなら、翌朝には確実に純潔を無くしているであろう誘いを、もはやヤケクソになった私は軽々と提案して。
「宅飲みってやつだね!ふふ、大人っぽい!」
尻尾と頭をゆらゆら楽しそうに揺らして承諾されました。
もはや自分のことは他人事のように、なんなら酒の勢いに任せて、任せられてしまったらそれはそれで面白いんじゃないかなんて破滅願望にも近い欲求が湧き上がる。
まあきっと...そんなことは、億が一にでもありませんから。
ウイさんのお家。
ほんの一、二時間前は、インクの匂いがたくさん漂ってたのに、今はアルコール臭がかすかに鼻を突き刺す。
「きいて、ますぅ...?わたしの、はなしぃ...」
「ウイさん、結構酒癖悪いんだね。それともみんなこんな感じ?」
私の肩にぴったりくっ付いて頬を突っつくウイさん。
酒臭さの中に、ウイさんの匂いがしっかり入ってる。
......相性のいい相手の匂いは、良く感じるって言うけど...
「...♡」
それが本当の話なら、凄く嬉しいな。
「きいてますかっへ、きいてるんへふ!そのみみは、かざりれふかぁ?」
無遠慮に耳をむにむに揉んでくるし。
「聞いてる聞いてる。なんだっけ?」
「やっぱりかざりですねぇ!なんかいも、いっへるじゃないれすかぁ...そうやっへ、じぶんのみりょくもりかいせず...だれにでもやさしくしへたら、いつかいたいめにあいまふからねぇ...」
「大丈夫だよ。こんなことするの、ウイさんぐらいだから。」
「わたしみたいな...ねくらおんなをからかうのはたのしいれすかぁ...?つがいとかなんとか、こころにもないことをいうのは、たのしいんですかぁ...?」
「...」
「わらひの、じゅんじょうをもてあそんでぇ...さいてーですよぉ...」
「...はあ。」
今すぐ押し倒してやりてぇ〜...
にぶちんウイさんめ。
どんなにアプローチしても、裏切られて傷つかないように期待しないようにするのは可愛いけど、ここまで頑固だと私もイライラしてくる。
恥ずかしがってちゃんと伝えない私が一番悪いのは分かってるんだけど、でもこれだけやったら普通、薄らでも察しない?
こんな、不用心に人を家に上げて...もしかして私、そういう目で見られてない?
「ちょっろぉ...また、むしですかぁ...?」
結構鼻に来るアルコール臭を漂わせて、べろんべろんのウイさん。
...今なら、酔いが覚めた時は何も覚えてないんじゃないかな。
録音なりなんなりとして言質を取ったり、それこそ、抱いてしまったり...いやいや!それはさすがに、だめ。
今度、ちゃんと伝えよう。
「...ウイさん、まだ飲むつもり?...ウイさん?」
「...ぐぅぅうぅ...ぐうぅぅ...」
「うそ、寝ちゃった?」
いつの間にか静かに、私の肩にもたれかかっていたウイさんは、結構な寝息を立てながら目を閉じていた。
「...もう、世話が焼けるんだから。」
全く嫌そうじゃない「仕方ない」という単語を呟きながら、ウイさんを持ち上げて、抱き上げる。
「あんな所で寝ると、風邪引いちゃうよ?ちゃんとベッドで寝ようね。」
酔い潰れウイさんをベッドに乗せていく間、悪い考えが全く湧かなかった訳じゃないけど、なんとか、耐え切った。
朝。
一瞬だけでも、『これは間違えたな』と思えるような頭痛によって起こされた。
飲み始めてからの記憶が曖昧で、どうやってあの集まりを終わらせたのか、どうなって寝床に戻ってきたのか分からない。
そんな状態の私に、「あ、おはよー♡」と、挨拶が。
いよいよ幻聴まで...と思い声の方を見ると、黒くふわふわの彼女がこっちを見つめていました。
「......おはようございます...?」
「気分は?」
「...最悪です。私、何か変なこと、言ってませんよね...?何かこう、私としての一線を越えた気がするのですが...」
「特に何も言ってなかったよ?狂ったように私の耳と尻尾を触ってたぐらい。」
「え゙っ...そ、それは...すいません...」
「別にいいよ〜。ちょっと待っててね。」
足が痺れているのか、微妙にふらつきながら台所に入って、二つのお椀と箸、それから木製のスプーンを持ってきました。
「お粥とお味噌汁。二日酔いに良いって聞いて、お粥には梅干し、お味噌汁にはしじみを入れてみました!」
どこでそんなものをと思ったのですが、そういえばここに来た時、エコバッグのようなものを下げて来てましたね。
「さ、食べて食べて!お腹減ったでしょ!あ、で、でもあんまり急いで食べなくていいからね?」
慌てたように付け加えるタマヨちゃんの圧に負けて、食欲はありませんでしたが、座り、細かい赤い果肉が混ざった粥を口に運ぶ。
「...美味しい、です。」
「ほんと?よかったぁ。」
糸でつられているかのように真っ直ぐ伸びていた尻尾の先が、へにゃりと柔らかく曲がりました。
...どうしてこうまでしてくれるんでしょうか。
「どうして、ここまでしてくれるんですか...?」
つい心の中で思ったことを反芻するように口に出した私を見て、彼女は何か深く思慮して、苦悩しているようでした。
「...好きだからだよ。」
つい過剰に勘違いしてしまうところでしたが、きっと違う意味なのでしょう。
「...あ...あ〜...世話をするのが好きって意味、ですね?」
「ううん。好きなのはウイさんだよ。」
「.........」
『今、なんて言ったんでしょうか。』
突然思いを明かされて、聞き間違いかもしれないと沈黙し、タマヨちゃんの顔を見つめる。
「......」
『聞き間違いですね。そうに違いません。』という思考を真っ向からねじ伏せるように、彼女は顔を赤くして、じっと私を見つめていました。
「...はへっ」
気のせいでも聞き間違いでもなかった現実に、私の手からスプーンが逃げるように滑り落ちていきました。
「何やっても全然気付いてくれないからさ。私が、気紛れでここまで尽くす人間だと思ってたの?」
「...ぁ...えっ?え......えっ?」
「謙虚なのはいいことだけど、そこまで卑下されると私もイライラしてくるからさ。だからウイさんには、ここまでやらないといけないのかなって思って。」
「ぇ、あ...あふぇっ!?」
もつれ込むように私を押し倒して、満足気な顔で見下ろしてきました。
手首を結構な力で押さえ付けて覗き込む。
「ねえウイさん、私の
「え...い、いや...ちょっと、待ってください...!」
「待たない。私みたいなのをほいほい家に上げたくせに何言ってるの?本当は、介抱なんかせずに襲っても良かったんだからね?」
気のせいかもしれません。
気のせいだと思いたいんだと思います。
この、下腹部に当てられる鈍い熱の正体を、知らないフリをしようとしていました。
「あんまり迂闊な事をしてると、悪〜い狐に、食べられちゃうよ。こんなふうにね。」
わざとらしく、他の歯よりも尖った犬歯を見せ付けて、私の首筋に添えてきたんです。
「...あなたにでしたら、いいですよ。」
これに私は、都合がいいとばかりに乗りました。
相手が好意を見せたからこっちも好意を出すなんて、現金にも程がありましたが、彼女は満足したかのようにゆっくり体を起こしました。
「嬉しい...♡ふふ、じゃあ、番になってくれるね?このまま、さ...」
「それはちょっと、待ってください。」
暗に体を重ねることを提案する彼女を押して、気持ち程度に離れてもらう。
不快感を露わにするように耳引き絞り、尻尾で床を何度もビシビシ叩いていました。
「えぇ...?ここまでやったのに?まだ認めてくれないんだ。」
「いや、認めます。認めますけど、その...せめて、心と体の準備をさせてくださいよ...!」
獰猛なオスとしての気性をあらわにして私に迫っていた彼女は、その言葉でふと思い出したように「...あ、そっか」と一人で納得し、完全に離れた。
「...今、二日酔いだったもんね。ごめんね?でも、凄く嬉しい!私てっきり、ウイさんは私の事苦手なんじゃないかって、心配してたんだよ?」
さっきまでの表情はどこかに落としてきてしまったのか、いつもの明るい、後ろめたいことが一切ないような屈託の無い笑顔。
「...そんなこと、あるはずないですよ...」
「うん♡今知った〜♡くすくす...あ、ご飯冷たくなっちゃったかな。それとも、むしろいい感じになってるかな?食べて、今日一日はゆっくりしてるんだよ?」
「......はい。」
まさかそんなことが、なんてことが実際に起きて、喜悦が大部分を占める困惑をなんとか少しずつ咀嚼して、飲み込んで。
「もう、一人で大丈夫ですから...ありがとうございました。」
この出来事を、ゆっくり受け止める必要がありました。
「...ん、じゃあ私、待ってるからね♡冷蔵庫に、スポドリ入れてあるからちゃんと水分取るんだよ?」
いつの間にか、声色にも好意をもろに出すようになっていた彼女に了承の意を込めた返事をしました。
「素直で良い子だね〜♡ふふっ...じゃあ...またね♡」
落ち着き払っている態度とは裏腹に、扇風機が如く尻尾を振り回しながら帰っていきました。
「.........」
わずかな沈黙が、放心していた私を現実に引き戻しました。
ぼんやりとした頭で夢現だった私がふと冷静になったのは、食器を片付け、ナメクジのようにのそのそとベッドに潜り込んだ時でした。
「......えっ...!?」
とんでもないことになってしまったことにようやく気付いた私は、オーバーヒート直前までに顔が熱くなるような気がして、しばらく悶々と悶えることになりました。
展開が早いこともありますが、都合が良すぎるせいもありてっきり明晰夢か何かだろうと思っていたのに、ふと頬を引っ張ってみるとしっかり痛かったんです。
問題を後回しにしただけのような感覚が残りましたが、もう...なるようになれと、私らしくない自暴自棄な考えに任せることにしました。