いじめの描写があります。ご注意ください。
この物語はフィクションです。実在の人物、団体等とは一切関係ありません。
また、不快になる表現がいくつかございますが、本作に偏見・差別等を助長する意図はありません。
◇◇◇◇◇◇◇◇
桜が散ってから、随分と月日が流れた。
地面や道路に花弁という名のピンクの残骸が散らばって、シューズの靴裏とかに張り付いてすっごく邪魔くさいと思っていたのが、ついこの間のように思えてしまう。
土曜日午前の部活を終えた私は、疎らに泳ぐ雲が残る青色の空の下で、いつも通学路として使っている道を歩いていた。今日も朝から激しく球を持ちながら動き回ったものだから、黒の部活着には汗がたくさん染み付いている。インナーキャミなんて肌に粘っこく張り付いて、かなり気持ち悪い。
「あら、
「あ、こんにちわ」
少し先にある戸建ての玄関から出てきたオバサンが、門扉越しにニコニコとしながら話しかけてきた。
この人は、ずっと前からここで暮らしている人で、ここいらの子どもたちのことを良く知っている。私も『あいつ』も、この人には時々、内緒でお菓子を貰っていた。確か、息子さんがいた気がしたけど、いつの間にか独り立ちしている。だから、今は旦那さんと2人暮らしらしい。
「部活の帰り?」
「はい、そうです」
「休日なのに運動部も大変ねぇ、大会、近いもんね。どう? 勝てそう?」
「いやー、ちょっと分かんないです。うちの学校が当たる相手って大体強いんで」
「そうなの。うん、じゃあちゃんと休まないとね。早く帰ってゆっくりしてね」
「ありがとうございます。でも、これからまた行くところがあるんです」
私の発言にオバサンは首を傾げた。でも、すぐになんのことかを察して、悲しい表情になった。
ここいらで『あいつ』のことだとすぐに分かってくれるのは、この人くらいだろう。特にこの人は、身内以外では1番『あいつ』を心配してくれてる他人かもしれない。
「そっか……うん、またね」
「はい、また」
オバサンに頭を下げて、私は先に進む。昔はお菓子ちょうだいとか言っていたのに、もうそんな子ども地味たことなんて恥ずかしくてできない。
まだ子どもだけど、私はもう、子どもじゃないんだ。
一定の足取りで歩いていると、左手に少し広めの公園が見えてきた。小学生達がブランコやターザンロープ、シーソー、それから丸いメリーゴーランドみたいなやつで遊んでいる。まだ低学年なのだろう、他にも鬼ごっことかサッカーとかで、休日を謳歌するように楽しそうにはしゃいでいる。
あれも小5になれば、ゲームとかエッチな動画とか猥談に移っていくと思うと、なんだか笑えてしまう。別に、私たちもそんな感じに変わったから、気持ちは分かるし、バカにしたいわけじゃない。ただ、よく考えると、なんだかおかしいなって、そういうフワッとした感じがして、ふふっと笑えてしまうのだ。
また道を進む。歩く度に、肩から提げたスポーツバッグが一定のリズムで太腿に当たる。半ズボンの裾が風に靡く。それらを肌で感じながら、これといって語ることもないいつもの風景の中を突っ切るように私は歩く。
そして、いつものように、分かれ道になっている丁字路に突き当たった。ここを右に曲がって進めば、私とお父さんの住む我が家が待っている。小学生の時は、いつも『あいつ』と並んで歩いて、ここで別れていた。
けど、今日はまだ帰らない。
右から車が来ないかを確認してから、左の広い道に曲がった。この先にある、今も目視で確認できる場所に建っている集合住宅に用があるからだ。正確には、その中にある3号棟の304号室に住んでいる『あいつ』なんだけど。
今頃、顧問の井戸中先生とキャプテンが学校に居残って、夏の大会のメンバーのことで話し合ってるんだろうなぁ。私、また無理だろうなぁ。実際に戦力にならないから仕方ないかぁ。
なんて考えているうちに横断歩道を渡って、目的の集合住宅の敷地入口に到着した。ここは結構前に建てられた小規模な集合住宅群で、並ぶ建物の至る所に経年劣化の痕が見られる。
「……あいつ、今日も、いるよね」
自分に話しかけるように独り言を呟いて、部活着の胸元をパタパタと仰ぐ。襟の隙間から風が入り込んで、汗で蒸れる体を冷やしてくた。
「よし」と自分に発破をかけ、スポーツバッグを肩に掛け直し、短い階段を昇って、真っ直ぐ敷かれた道を進む。
入口から見て、左側に1号棟、3号棟、5号棟、右側に2号棟、4号棟、6号棟という順で建物が並んでいて、それぞれの入口前に駐輪場が設置されている。もしかしたら、一軒家で暮らしている子にはこういう光景は見慣れないものかもしれない。
けど、私にとってはもう何度も見てきた光景だ。
すぐ横にある1号棟と3号棟に挟まれた小さな公園なんて、私にとっては思い出が残る『特別な場所』だ。
──『あいつ』は、どうしているだろうか。
このまえ遊びに行った時は、あまり元気がなかった気がする。1日中部屋の中で過ごしているから、体が訛ってるのは当然と言えば当然なんだけど。
気分転換に、夜でもいいから、久々に2人で散歩に出かけてみたい。昔みたいに公園でブランコを漕ぐだけでもいいし、コンビニで何か奢って食べてもいい。それで、夜中に堤防から星空を眺めて、お巡りさんに補導されて、君たち、恋人かって、勘違い…………されるかな。
色々と考えていたら、あっという間に目的の棟に到着した。建物の端っこ辺りに取り付けられた、黒い何かで作られた『3』という文字がくすんでいるように見えた。
道を左に曲がって、駐輪場を横切りながら、3号棟の真ん中の入口に入る。ここは縦長の廊下(こういうの、階段室型って言うらしい)で4階建て。当然エレベーターはないから、自力で上まで階段を登らないといけない。これが意外とキツイ。ちっさい時は夢中で昇ってたから、疲れとか気にしてなかった。
入口にある304と書かれた郵便受けを確認すると、まあまあな量の郵便物が入っていた。私は南京錠のダイヤルを回してロックを解除し、中のものを取り出した。別に泥棒じゃなくて、来た時についでに取っておきますと言って、おばさんに教えてもらったのだ。他人の郵便物を取って悪用するほど、私は賢くない。
「うわー……タイミング悪すぎ、空気読んでよ」
郵便受けに入っていたのは、どっかの学習塾が出してきた勧誘のチラシだった。私の家にも届いている、ここいらじゃ珍しくもないチラシだ。
『この時期がいちばん大切!』
『周りと差をつけるなら今がチャンス!』
どれもこれも、今の『あいつ』にとってはプレッシャーになるような言葉ばかりがデカデカと載っている。しかも、値段もかなり高額だ。「うちにそんなお金ないわよ」って、おばさんがため息を吐くのも納得だ。私も、お前は成績中途半端って言われてるみたいで、なんか腹立つ。ほんとに中ぐらいだし、詩音ちゃんみたいに器用に勉強できるわけじゃない。お父さんからも将来のために塾に通えって遠回しに言われてるけど、その毎にじゃあ誰が洗濯とか掃除とかするんだよって言い返してる(そもそもお父さんに下着とか触られたくない)。
あんたら、少しはこっちの気持ちも考えてよ。あんたらの勧誘が来る度に、こっちは小さな諍いが起きるんだよ。
そう思っても、相手はこっちのことなんか知るわけもない。きっと夏場になると、『夏期講習なら〇〇!』みたいなのを平気で送り付けてくるだろう。おまけで、笑顔で『今がチャンス!』なんて吹き出しを言いながら腕を上げてる制服姿の女の子と男の子のイラストをサービスして。そういうのもあって、誰があんたらみたいなKYのところに行くもんかと、届く度に思っている。
ため息を吐きつつ、私は薄暗い階段を上がり、ものがごちゃごちゃと置かれた1階と2階の踊り場を通り過ぎる。ここはまだ人がいるけど、昔と比べたら、この集合住宅に住んでいる人はかなり減っている。6号棟の方なんか、ベランダの物干し竿が殆どないから、外から見たらまるで廃墟みたいな有様だ。
途中、4階に住むおじさんとすれ違った。おじさんは私を一瞬見たあと、すぐに階段を降りていった。いつも通りの独特な臭いに加えて、少しお酒臭かった。多分、ちょっと離れた場所にあるパチンコ屋にでも行くのだろう。あの人、昔から変わってない。
「…………いる、よね」
3階に到着して早々、塗装が剥がれて所々が引っ掻かれたかのように茶色に錆びているドアの前で、また独り言が漏れる。最近、この部屋の前に来ると、いつもこんな気持ちになる。
ふと見上げると、表札が目に入った。304の番号の下には、油性ペンで『
何度も見てきた『あいつ』の苗字。
一時期、『海原遥希』なんて名前を妄想してたことを思い出して、すぐに頭を振ってかき消した。今思い出したら、『あいつ』に会うのが気まずくて仕方なくなる。
息を吸って、インターホンを押した。部屋の中からは何も聞こえない。もう一度押して、今度はドアも叩いて、声を出してみた。
「すみませーん、山田でーす。
ドアの向こうから音が聞こえた気がした。覗き穴から私のことを見ているのだろう。
しばらくして鍵が開く音がした。かん、という高い音の後に、重たい扉がぎぃっと音を立てて開かれた。出てきたのは、部屋着姿の『あいつ』だった。やっぱり思ってた通り、前よりも元気はなさそうだ。
「……ハルちゃん」
「おっす、チアキ」
片手を上げて軽く笑うと、チアキは「おっす」と覇気のないオウム返しをした。声変わりの途中なのか、声はざらついている。
私がこの街に越してきてからずっと付き合いのある異性の幼なじみ。5年生の頃は私よりも背が小さかったのに、あっという間に抜いてしまった彼は、こうして学校にも行かずに家にこもっている。
「部活帰り?」
「そ、今日も様子見に来たよ」
「わざわざありがとう。でも、ご飯は? お腹、空いてるでしょ? 何か食べる?」
「あー、大丈夫大丈夫。さっきコンビニで買い食いしてきたから」
「それだけで足りる?」
「ガッツリだから大丈夫。おにぎり3個は余裕だって」
ニッと歯を見せて笑うと、彼は安心したのか、それとも呆れたのか、よく分からない表情を浮かべた。
チアキが部屋の中に引っ込む。その後に続くように、私は海原家の玄関にお邪魔した。
チアキの住む3号棟、というよりは、ここにある建物の部屋は、ざっくり言うと3Kの間取りだ。
304号室は、玄関から見て、トイレと台所を繋ぐ狭い廊下を挟んですぐ目の前に居間兼食卓として使ってる部屋があって、その奥の小さな部屋をおばさんが自室として使っている。そして左側の、あの小さな公園を眺めることができる窓のある部屋を、チアキが使っている。
洗面台はお風呂と一体化していて、歯ブラシとか洗顔とかは、全部そこにまとめられている。昔は、彼と一緒にお風呂に入りながら歯を磨いていたっけ。もうかなり前から泊まるなんてことしなくなったから、私用に置いててくれた歯ブラシ、もう無いよね。
「煎餅、食べてく?」
「ううん、いらない」
彼の声に首を横に振った。
チアキはキッチンを無視して、コタツ机やテレビが置かれている居間を通り抜けて、自室の引き戸をそっと開けて中に入った。
勉強机も、その下に敷かれた敷物も、畳まれて隅に追いやられた布団も、物が詰め込まれた本棚も、壁にかけられた制服も。畳6畳の部屋の中は、全部が前と変わってない。悪く言えば、何も変化がなく、チアキが外へ出なかった、何もしなかったという証明になる。
そして、部屋の中には男の子特有の匂いが立ち篭っている。大体の男子の部屋の匂いはお父さんの部屋と同じ匂いだと、部活仲間で兄持ちのメグちゃんが話していた。
ほんと、その通りだと思う。おまけにうちは喫煙者だからもっときつい。制服に臭いをつけようものなら大喧嘩だ。
でも、彼の匂いなら幾らでも吸い込める。鼻から深く吸い込んでも、嫌な気持ちにならない。これ、バレたらキモイって言われるかもしれない。
「適当に座っていいから」
チアキが勉強机の椅子に座った。私は傍らにバッグを置いてから、どすんと尻もちを着くように胡座をかいて座った。
「今日も部活きつかったぁ。ホント、なんでわざわざ休日使ってまで運動して汗かかなきゃならないんだろ。休日くらい寝てたいよ」
「休むのはダメなの?」
「運動部って、そこら辺が厳しいんだ。どんな理由があろうとペナルティで走らされるんだから。永遠と同じ風景を眺めながら走るくらいなら、球いじってた方がまだマシ」
「そういうものなんだ」
「そういうもんだよ。ま、先生の時代に比べたら全然マシらしいけど」
部活の愚痴を吐きながら、私はさっき取り出した郵便物を差し出した。チアキは「ありがとう」と言ってそれを受け取り、すぐさまバツの悪そうな表情を浮かべた。
「なんか、また入ってたよ」
「また、なんだ。うちにそんな金ないって、建物見れば分かるのに」
苦笑しながら自虐的なセリフを吐いて、チアキは一応勧誘チラシの表裏を目ですっと確認してから、必要なもの以外はゴミ箱の中へ捨てた。残ったのは、おばさん宛ての何かしらだけだ。
「夏になれば夏期講習の勧誘、来るだろうね」
「来るでしょうねぇ」
やっぱり彼ならそう言うと思っていた。
ふと、あることを思い出して、スポーツバッグからクリアファイルを取り出した。渡そうと思っていたのを危うく忘れるところだった。
「今週分の配布物、重要なものは特にないけど、一応目を通しとけって。あと先生から個人的にあんた宛にって託された奴が1枚」
「あ、うん。ありがとう……」
また浮かんだ苦笑い。
これもやっぱり予想通りの反応。
まあ、そうなるだろう。私だって、こんな手紙渡してどうするんだって心の中では思ってた。けど先生、担任だからって妙に責任感じて張り切ってるから、すごく断りづらかった。若いってのも余計な拍車をかけているのだろう。
「……先生が言ってたんだけど」と、私は言った。
「早くチアキに会いたいって。なんか、1年の時のこともあるから、辛いのも分かるけど、なんとかクラスに戻って欲しいんだってさ。今度、チアキ宛に手紙とか色紙とか書くとか言い始めてるよ。クラスのみんな巻き込んで」
「……先生、分かってないなぁ」
分かってないなぁ、というのはチアキの本音だろう。
私も、先生は分かってないと思う。
もう戻るとか戻らないとか、そういう次元の話じゃない。
あそこにチアキが行ったら、秒で吐くか逃げると思う。いや、そもそも教室に辿り着けるかも分からない。あまりにも道のりが長すぎる。そもそも彼は外に出るのも一苦労なんだから、学校に辿り着けるかどうかも怪しい。
「しゃあないって。先生若いし、去年は違う学年の担当で、全く関わってなかったわけだもん、他人事なんだよ」
「うん、けど……」
けど、と言ってチアキは口を噤んだ。
言いたいことは分かるよ。
小学生でもキツイのに、中学生でこういうことをやられたら逆に萎縮しちゃうよね。
自分がどれだけ周りに負担をかけているとか、晒し者にされてるみたいとか、そういう色んなことを考えて、恥ずかして、悔しくて、死にたくなってしまう。ああいう目にあったチアキなら尚更そう思うだろう。
けど、所詮は他人事だから、何も知らない先生は、それがチアキに対してやってあげれる一番の方法だと思ってる。そうすれば彼が戻ってきてくれると思ってる。みんなが呆れているのも知らずに張り切っている。
そういうの、有り難いけど迷惑だ。
「悪い人ではないし、私も嫌いじゃないんだけどさ……ちょっとは生徒の気持ちも考えて欲しいよ。自分の考えを信じすぎだよ、あの人」
あんまり暗くならないよう、私は軽く笑いながら話した。
けど、彼の表情は苦笑したまま止まっていた。その先生が今、誰のために動いているのかを考えると、私と一緒に笑えるわけがない。私だって笑える話とは思えない。
笑い声の後に来る急な静けさが、部屋の中を包む。
チアキも私も、どこかに視線を向けて黙っている。昔は子どもみたいに色んな話を沢山話せていたのに、異性とか意識し始めてからこれだ。
こうじゃなかったら、今頃もっと軽い話ができたかもしれない。話せる話題はいくらでもあるはずなのに、なかなか口に出せない。こんな間があるなら、安いからって買ってるおばさんの好きなあの煎餅、貰っておけば良かったかも。
耐えられない。このまま無言が続くのは、結構きつい。
でも、かといってこのまま帰るのは嫌だ。この前も、その前も、様子を見に来たわりに、何もせずに私の一方的な世間話だけで時間を潰してしまった。今日はせめて、彼が笑ってくれるようなことをしてあげたい。
「……あーあ。なんか、久々にゲームしたくなっちゃった」
指を組んで腕を前にグイッと伸ばしながら大袈裟に言ってみた。
当然、チアキは「急にどうしたの?」と不思議そうな声で反応した。
「ね、久々にやろうよ。あの古いゲーム。ほら、ロボットが武器の上にサーフィンみたいに乗るヤツ」
「え、あれ? でもハルちゃんってあのゲーム、苦手じゃなかったっけ……」
「いいの。長い間やってなかったから、もしかしたら1からリセットして吸収できるかもしれないし。それに私、格闘ゲームなんて持ってないから、そーいうのでストレス発散できないもん。ね、やろーよ」
前のめり気味に詰め寄ると、チアキはうーんと唸った。そして諦めたように息を吐いて「いいよ」と言い、押し入れからゲーム機を出して居間まで運んだ。
離婚した父親が残したというゲーム機とソフトを、彼は幼い頃からやり込んでいた。新しいゲーム機なんて高くて買えないから、手元にあるゲームばかりやっていた。みんなが携帯ゲーム機や新しいソフトの話で盛り上がっても、彼は話題についていけなかった。そのせいで馬鹿にされたことも度々あった。
でも、腕は確かで、少なくとも私は、対戦ゲームで1度も彼に勝てたことがない。そもそも私が弱いだけなんだけど。
それから私は、テレビの前で彼と並びながら、例の格闘ゲームを対戦(協力)モードでプレイした。画面を半分こにして、左をチアキ、右を私が操作している。
案の定、私の操作は酷いもので、ライフルも斬撃も何もかもが空振りする。ダッシュとジャンプのボタンを間違えて変な方向に走ったり、敵をロックオンしてもすぐに見失ったりした。挙句には、その場で後ろ歩きして背後から敵に撃ち落とされてしまう始末だ。そもそもこのゲーム、操作が細かいよ。
それに比べて、チアキは手馴れた様子でコントローラーを操作していた。AI相手とはいえ、敵の攻撃も軽く避けて淡々とライフルを当てていたし、指を素早く動かしては武器に乗っかるサーフィンを何度も成功させていた。最近全くやっていなかったと言う割には、その腕は衰えていなかった。
本当は、ストレス発散とかじゃなくて、ただ単に彼と久々にゲームをしたかっただけだ。久々に遊んで、私が下手っぴな操作を見せて、昔みたいに彼が笑ってくれたら。「ハルちゃん、相変わらず苦手なんだね」って言ってくれたら。
でも、チアキは笑ってくれなかった。
昔と違って、私がミスをしても何も言わずに、ただ目の前の敵を潰していた。まるで自分を追い詰めた『彼奴ら』に呪詛をぶつけてるみたいで、その弾が自分にも向けられているみたいで少しきつかった。
「このゲームさ」と、テレビに目を向けたままチアキが言った。
「父さんだった人が、僕のために譲ってくれたらしいんだ。男の子ならゲームが好きだから、いつかこの子がやれる歳になった時のために、誕生日プレゼントの代わりに持っていけって、離婚する前に言ったらしいんだ」
「……へー、そう」
「……その人、ゲーム、相当上手かったらしいよ。だから、僕がこんなに上手なのは、父さんに似たのかもねって、母さんに言われたよ」
「……うん」
画面を観たまま、私は彼の話に適当な相槌を打った。
おばさん……チアキのお母さんは、彼が生まれて暫くしてチアキのお父さんと離婚したらしい。流石に理由までは知らないけど、そういうことがあって、おばさんとチアキはこの場所に引っ越してきたそうだ。物心が着く前だったから、チアキも自分のお父さんのことは全然覚えてないらしい。
正直、チアキのお父さんは酷い男だと思う。お古のゲームを渡すくらいなら、2人のことを捨てるなって、死んだお母さんなら怒って化けてでるかもしれないと思った。
「あんまり嬉しくなかったなぁ。記憶にすらない人と似てるなんて言われても、どう反応していいのか分かんなかった」
「……そう」
こちらを見ずに淡々とゲームを操作する彼の言葉に、私は圧を感じて押しつぶされそうになる。
本当は彼の笑顔が見たかっただけなのに、またやってしまった。さっきといい今といい、今日の私はやらかしてばかりだ。一体どうして、やることなすこと全てが裏目に出てしまうんだろう。
テレビのスピーカーから、爽快なBGMと一緒に、チアキの操縦しているロボットの射撃音が響く。キュイーンと走って、バシュンバシュンと連射して、敵に命中するとキュオーンという爆発音のようなものが轟く。バシュンバシュンという射撃音は、まるで私の心臓を狙っているかのようにも思えた。
…………こんなにも近くにいる彼のことが、何だか凄く遠い場所にいるように思えてしまう。
胡座をかく膝と膝がくっついて触れているのに、心はすごく離れている気がする。
もしも、私が、あの時、躊躇わずに動けていたら、こうならなかったのか。
こうして重いものを感じずに、チアキの笑顔を見ながらゲームをプレイ出来ていたのだろうか。
でも、どれだけ考えても、今の私は、彼と昔のような付き合い方はできない。苦しむ彼と距離を置いていた私に、その資格はないのだから。
重たい時間が流れて、外からどこか懐かしい音楽が聞こえてきた。テレビのすぐ真上の壁掛け時計を確認すると、針は夕方の5時を指していた。
「え。うそ。もうこんな時間?」
さっきまでお昼の1時半くらいだと思ってたのに、いつの間にか3時間以上も経ってしまったらしい。ゲームでこんなにも時間を潰したのは久々だ。
「ハルちゃん、昔と変わってなかったね」
「はぁ〜、久々にやればいけるかなって思ったけど、やっぱ戦闘系のゲームは無理だわ」
丸型蛍光灯の白い光に照らされた部屋の中で、私は両手を上にあげて思いっきり背伸びした。部活着に染み付いていた汗も、いつの間にか乾いていた。
腕を下ろして、後ろに手を着きながら、私はぐっと頭を反らして天井を見上げた。蛍光灯の真ん中から垂れ下がる紐の先には小さな菱形のストラップが付いていて、振り子のように微妙に揺れている。昔はあれを殴ってサンドバッグごっこなんてつまらない遊びをしていたっけ。
「おばさん、今日も夜まで?」見上げながら私は言った。チアキはテレビに映るゲームのメイン画面を操作することなく見つめながら「うん」と答えた。
「多分、今日も遅くなるんじゃないかな。最近の母さん、仕事が忙しくて家に帰るのが遅いんだ」
「ご飯とかどうしてるの?」
「……冷蔵庫にあるもので適当に。夜ご飯は母さんが安く買ってきてくれた弁当があるから」
「……洗濯は?」
「……やれる日にやってるかな。溜めるのは良くないからね」
「……風呂は?」
「……調子がいい時に。流石に臭うのはダメだから。臭う?」
「ううん、全然」
「そっか……良かった」
「……おばさんと話せてるの」
「……一応」
「……私ってさ、汗臭い?」
「……嗅ぎなれてるから分からない」
「……外、出れてる?」
「……ほとんど出れてないね」
会話を振っては返して、振っては返して、たまに沈黙。
視線を戻して、再びテレビ画面と向き合う。
同じタイミングで、チアキはゲーム機の電源ボタンを押した。プツンと何かが切れたような音だった。白かった画面が一瞬で真っ黒になり、2人で並ぶ私達の姿が映った。
「辞めるの?」
「久々で僕も疲れたから……うん……いいんだ」
彼の言葉は、全てを諦めたかのように重たく、魂が抜けたかのように生気が薄かった。
「……ハルちゃん」
「なに」
私は姿勢をそのままに、頭を捻って彼の方に向いた。彼は画面に固定していた顔を少しだけこちらに向けて、横目で私の姿を見ている。その瞳には、いつも彼が持っていた光のようなものがなかった。
「いつもありがとう」
切ない気持ちにさせるような、悲しい声色だった。
「なに急に改まって。別にそんな感謝なんてしなくていいって。私とあんたの仲じゃん」
「はは、うん。でも、僕のために色々とやってくれるの、ハルちゃんしかいないし、僕のことを気にしてくれてるの、やっぱり君しかいないんだ」
「やめてよもー、そういうの恥ずいから。私がしたくてしてることなんだし」
「うん、だから、うん。有り難いんだ」
何時にもなく鷹揚に頷くチアキの表情は、笑っているけど何も無い。私は背筋が凍りそうになった。
「……ハルちゃん」
だから私は、もう一度名前を呼ぶ彼に「なに?」と作り笑って返した。どんな言葉がきてもいいように、精一杯の笑顔を浮かべた。
「もうここに来なくていいよ」
その言葉の意味を理解するまで、私は暫く姿勢をそのままにして彼を見ていた。作っていた笑顔が徐々に下がっていくのが自分でも分かる。顔の筋肉が力を失って、真顔になっていく。
「……なに、言ってんの?」
初めに出た言葉がそれだった。
「ハルちゃんには、本当に感謝してるんだ。自分の都合で学校に行ってない僕に、こうやって時間を見つけてわざわざ逢いに来てくれるの、凄く、ありがたいよ……だから、これ以上、ハルちゃんには無理をしないで欲しいんだ。君には自分のことを優先して欲しい。僕のことはもう気にしないでいいから」
疲れた笑みを浮かべる彼の言ってることが理解できない。理解したくない。分かりたくない。
「いや、だから私が好きでしてる事だから、チアキは気にしなくていいって」
「……本当にそうなの?」
「そうだよ」という言葉が出なかった。
本当は言うつもりだったのに、口の中まで上がった途端、そのまま外に出ることなく喉の奥へと引っ込んでしまった。
どうして言葉がでないんだろう。なんだかすごくまどろっこしいものが邪魔をしている気がする。なんなの、これ。
「部活も、確か大会が近いんだよね?」
「あー、いやいや、そこは平気。どうせまた他の子にユニフォーム取られるし、1年なんて私よりも上手い子いるし、今回も出させて貰えないよ」
「……それ、『出れない』、じゃないの?」
「……何言って」
「母さんが言ってたんだ。ハルちゃんが、1月の試合で色々あったって」
おばさん、なんで話しちゃうかなぁと思いながら、私は口を紡いでしまった。それを見て、彼は「やっぱり」と呟いた。
「僕のせいだよね……苦しい思いさせて、ごめん」
「……あんたには関係ないことじゃん。部活のことにまで口だししないでよ」
私は顔を逸らしながら嫌味ったらしくぼやいた。
本当はもっと違うことを言いたかったのに、不貞腐れた口調で返してしまった。
けど、部活に関してはチアキは悪くない。悪いのは、どう考えても私。出れないのは、私自身の問題だ。
「ハルちゃんはさ、もう僕のことは放っておいていいから。自分の時間を大切にしてよ。その方が、君のためになるよ」
「……もう、会いに来るなってこと?」
「……そういうことに……なるのかな」
「待って、その……」
「もう無理しないでよ」
突き放す口調に、頭の中が真っ白になりかける。チアキが頭の中で必死に考えて、私に言いたいことを伝えているのは分かっている。
そのはずなのに、そのはずなんだけど。
「違う。私は、あんたの…………」
お願いだから話を聞いて欲しい、でもいざ話そうとすると喉から声が出ない。
話すって何を?
あんたのためって上から目線で言うの?
私は、チアキにどうなって欲しいわけ?
私は何のために彼に会ってるの?
言うべきことがあるはずでしょ?
全部、曖昧で頭の中を漂う。くっきりとしたものが歪んで、あやふやになって、自分でもわけわかんなくなる。そもそも形なんてものはなかったのかもしれない。馬鹿、ホントバカ、私ってバカ、自分で自分を罵倒するばかり。
けど、これだけは分かる。
私は、彼に嫌われたくない。
彼に嫌われるのが、すごく怖い。
いや、本当はもう嫌われているのかもしれない。みんなであんなことをしておいて、今更幼なじみぶってる私のことを殺したいと思っているかもしれない。
でも、嫌われたくない。彼に嫌われたら、私……。
でも、声が出ない。言い訳すら思い浮かばない。
「……もう、いいんだ」
縋るような眼差しを向ける私から逃げるように、チアキは顔を俯かせて震えるような声を出した。
「…………ハルちゃんといると……辛いんだ……君が気にしなくても、僕はダメなんだ…………君といると、学校に行けず、みんなに会うことも怖がって……母さんに迷惑をかける自分が……惨めに思えてくるんだ……だから、もう…………」
チアキは項垂れたまま鼻水を啜る。気がつくと、彼の俯いた顔から透明な何かがポタポタと零れ落ちて、組んだ足の上に落ちている。
彼は泣いていた。
こんなにも涙を流す彼を見たのは、あの日以来かもしれない。涙を流しながら、仰向けになって倒れている彼の姿を、あの時の私は……ただ、何もせずに見ていた。
「私は、ただ…………」
口がごもる。言いたいことはあるはずなのに、それがどうしても出てこない。けど、もしこのまま無理やり口を開いたら、私は醜い言い訳や逆ギレを吐き出すだけだろう。
──私だって辛いんだよ。元気のないあんたを見てるとこっちまで辛くなるんだよ。それでも、大好きなチアキがまた元気になって、笑顔を戻して欲しいって思ってるんだ。
それなのに酷いじゃん。自分が惨めって、じゃあ私はどうなんのさ、私が勝手にやってることだけどさ、最低な考え方だけどさ、あんたを見放した私への罰って受け入れてきた色んなのが全部無駄に思えちゃうじゃん。でも、中二の私に出来ることって、これしか思い浮かばないんだよ。子どもなのに子どもじゃない私には、これぐらいしかなかったんだよ。
……ああ、もう。まただ。また自分のことばっかで、チアキの気持ちなんてこれっぽっちも考えてない最低な独り言が頭の中に浮かんでくる。なんなの、ホント。どこまで自分勝手でクズなんだ、私は。
「…………死にたい…………消えたい…………もう、疲れた…………」
俯きながら呟いた彼の言葉を聞いた瞬間、私は彼の服を掴んでいた。肩の部分をぎゅっと掴み、無理やり体をこちらに向かせて頭を上げさせた。両目の周りは赤く腫れていて、瞼から溢れる涙が頬を伝って顎下へと落ちている。
「それ、本気で言ってんの」
彼の肩を揺らしながら声を上げた。もう自分でも止めようがなかった。
「今の言葉さ……おばさんが聞いたら、どんな気持ちになるか分かってんの。あの人、ずっと自分を責めてるんだよ? 気づいてあげられなかった、私のせいで辛い目に合わせた、ちゃんと話を聞いてあげればよかったって、私の隣で洩らしてたんだよ? おばさんがあんなに苦しくて悲しい顔するの、初めて見たんだから…………それでも、あんたのために今も頑張ってんだよ…………それなのに、あんたが死にたいとか消えたいとか言ったら、おばさん、マジで泣くじゃん。下手したら死んじゃうじゃん……死ぬとか、消えたいとか、言わないでよ……分かってよ、そういうの、マジで」
気がつくと、泣き顔のチアキの姿がぼやけていた。チアキだけじゃない。映るもの全てが歪んでいる。
目から溢れる熱いものが、彼と同じように頬を伝っている。言葉を話す度に、抑えていたものが溢れてくる。
なんで私は泣いているんだろう。泣きたいのは彼の方なのに、私が泣く資格なんてあるはずがないのに。
だって仕方ないじゃん。私だって、泣きたい時はあるよ。でも、今は泣いちゃダメなんだよ。分かってるよそんなこと、分かってはいるんだよ。でも、泣いちゃうんだよ。泣かないと、全部ぐちゃぐちゃになるから、どうにもできないんだよ。
「…………ごめん」
涙が止まらない私に向かって、泣き顔のチアキはただ一言、そう言った。
彼に謝らせてしまった。
もう、私はどうしたらいいのか分からなかった。どうやって彼と話せばいいのか、もう分からない。
私は彼から手を離して、スポーツバッグをひったくる様に担いだ。そして項垂れる彼を置き去りにして、304号室の重い玄関扉を開けて飛び出した。
逃げるように踏面を駆け下りた。カンカンという渇いた大きな靴音と、バッグの引手が激しく揺れる音が階段に響く。それに隠れるように、私は泣きじゃくる声を上げた。途中、踊り場に置かれた荷物に足を引っ掛けてすっ転んだけど、すぐに起き上がって走った。
足が痛い、膝を擦りむいて血が出てる。けど、痛みなんて気にしていられなかった。
ただ逃げたかった。
彼の叫びから逃げたかった。
私はまた、彼を置いて逃げてしまった。
もう逃げないって決めたのに、平然と破ってしまった。
「はぁ、はぁ、…………はぁ……はぁ」
敷地の入口にある短い階段を下ったところで、私は立ち止まった。両膝に手を付きながら肩で息をする。全力で走ったせいか、汗も酷い。呼吸の度に肺が痛む。
でも、それ以上に胸の中が痛い。心がズキズキと痛い。
目からはまだ涙が溢れていて、黒いアスファルトの歩道にポタポタとシミを作る。沈みかけた夕陽が、私の影をアスファルトよりも濃い黒で形作っている。
呼吸が整っていない状態で、私はその場に座り込んだ。
もう自分でも抑えようがない、今まで溜めてきたものが泣き声になってこぼれてしまう。
親子の楽しそうな会話も、目の前の車道を走る車の音も、全部が雑音にしか聞こえない。
聞き取れるのは、鼻を啜る音と、しゃくり上げる自分の声だけだった。
「(どうしてこうなったんだろう。私が間違ってたから? 彼を見捨てた私のせい?)」
絶対に、私のせい。彼があんなことを言ってしまったのは、あの時、彼を見殺しにした私のせい。
あの時の罪滅ぼしのつもりで、時間を見つけて彼の家を訪ねている。
けど、それは結局、自分のため。自分が満足したいからやっていること。押し付けがましい償い。
本当に私のしていることは、罪滅ぼしになるの?
けど、誰も答えてはくれない。
私を包み込むように照らしている太陽でさえ、膝から流れる血のように赤く染ったまま、西に向かって沈んでいくだけだった。
◇◇◇
気がつくと、自分の住んでいるマンションのエレベーターに乗っていた。確か、あれからずっと泣いて、ふらふらと歩いて帰って、気がついたらボタンを押していた。階段を降りた際に負った傷がジンジンと疼いている。けど、その痛みがどうでもいいと思えるくらい、道中は放心していた。
目の前のエレベーターのガラスに自分の姿が薄らと反射している。目の周りが真っ赤に腫れていて、眼球の白い部分が充血している。頬には沢山の泣き跡がついていた。これ、すれ違った人とか、びっくりしたのかな、そう思うくらい酷い顔をしていた。
エレベーターを降りて外廊下から空を眺める。どれくらいの時間、あそこで泣いていたんだろう。空の色は既に黒くなっていた。さっきまで太陽がまだ残っていた気がしたのに、いつの間にか夜になってしまったらしい。
ようやく我が家に辿り着いた私は、玄関の鍵を開けて中に入り、誰もいない廊下の明かりを付けた。部屋の奥は暗い、ということは、お父さんはいない。土曜日なのに、今日も夜遅くまで仕事らしい。昔から仕事で帰りが遅くなることはしょっちゅうだったから、ひとりぼっちの夜にはなれてしまった。昔は料理に不慣れなお父さんが作り置きしてくれたしょっぱい手料理を1人、リビングでテレビを観ながら食べる、なんてことはしょっちゅうだった。
でも、低学年の時は偶に海原家に泊まらせてもらってたから、ずっと寂しかったわけじゃなかった。おばさんが作ってくれたご飯の美味しさは今でも覚えてるし、同じ布団の中で眠る彼の寝息と体の熱は、きちんと記憶に残ってる。結婚したらこんな感じなのかなって、向き合う彼の寝顔を見ながら夢見たこともあった。
「……ただいま」
独り言のように呟いて、雑に靴を脱いでそのまま自分の部屋に入った。入って早々にスポーツバッグを床に投げ置いて、部活着姿のままベッドにダイブした。
洗濯なんて、また明日すればいい。ご飯なんて、一食抜いても死にやしない。
それよりも、酷く疲れていた。部活の後でもこんなに酷い疲れは感じたことがない。
ベッドに沈む全身の節々が痛かった。身も心も、限界ギリギリだった。特に心は、思いっきりぐちゃぐちゃになっていた。
「………………マジ、信じらんない」
このままいなくなってしまいたい、そう思っている私の気持ちなんて知らんぷりするかのように、枕横に置きっぱなしにしていたスマホから高い音が鳴った。
電源を付けて画面を確認する。トークアプリの通知で、部活仲間のメグちゃんからメッセージが届いていた。あと、1時間前にお父さんから『今日も遅くなる」 』ってメッセージも届いてた。これはいつものことだ、また適当にコンビニで弁当でも買ってくるだろう。ロックを解除して、アイコンをタッチしてアプリを起動させて、メグちゃんからのメッセージを確認した。
メグ『ハルちゃん、今って大丈夫?』
ハル『うん、大丈夫だけど、何かあった?』
メグ『あのね、今度の大会なんだけど』
ハル『うん』
メグ『私、今日の部活終わりにキャプテンに用があって話すことがあったんだけどね。その時、先生とキャプテンが先に話してたの。それで、何となく2人の話、聞いてたんだけど…………今度の大会もハルちゃん、出れないかもしれない』
ハル『そっか』
メグ『ごめんね。別にハルちゃんを落ち込ませようとか、そういうつもりはなかったんだ。ただ、ホントに偶然聞いたから。一応、伝えた方がいいかなって思って』
ハル『ううん、いいよ。伝えてくれてありがとう(^^)』
メグ『d(ゝω・´○)』
メッセージを黙って見ながら、私はため息を吐いた。
メグちゃんは相変わらず、変なところで気を使おうとする。彼女のこういうとこ、人によっては嫌な奴って思うのかな。そういえば、クラスでもグループの対立がどーとかで結構アワアワしてるって前に話してたっけ。でも、私はあーあってなるだけで、彼女のことが特に嫌いとかではない。
「ベンチのベンチ、か」
もう半年間、ベンチのベンチ。みんながやってるのを、控えの子のいるベンチの後ろのベンチで、いつもの部活着で一緒に見て応援するだけ。
あの件は世間に公にされていないとはいえ、校内で、少なくとも同学年で知らない生徒はいない。そうなると当然、塾の友達とかにおしゃべりしてしまい、他校に情報が流れている。あることないことくっ付いて、クラスメイト含めて、私はちょっとした有名人だろう。
実際、今年の1月の他校との、初めてユニフォームを貰った試合の際、相手のチームは私のことをちらちら見て何かを話してた。最初は気のせいかなって思ったけど、いい球を打てそうな時とか、私が近くにいる時に、周りに聞こえない声で、陰湿なことを言われた。あることないこと、ねっとりと、悪意のある声で。それでミスすると、わざと分かるように嘲笑してくることもあった。休憩時間も、ヒソヒソ話にしては聞こえる声で、噂話のようにあの件のことを話して笑っていた。
以来、私はあまり試合に出れていない。最近は全く出てない。別に先生の意地悪とかそういうわけじゃない。私の体が試合を拒否してしまうのだ。
練習の時は、大丈夫。
部活のみんなでチームに別れて試合をするのは、平気。
けど、他校と試合をすると、あの時のことを勝手に思い返してしまう。初めて会う相手チームの視線が全部、私に向いている気がしてしまう。隣にいる相手選手が、私のことを『卑怯者』『なんであんたみたいなのが試合できてんの』と罵倒しているような気がしてしまう。そう思った途端、私の心臓は気持ちの悪い激しい脈を打つ。次第に息が苦しくなって、気持ち悪い汗が沢山流れて、酸っぱいものが胃から這い上がってきて吐きそうになって、立っていられなくなる。酷い時は、開始早々にその場で倒れて、気がついたら日陰で寝かされてた、なんてこともあった。
だから私は、いつもベンチのベンチでみんなを応援している。控えとしても役に立てないから、応援するしかない。
悔しいとは思う。でも、仕方ないとも思う。
これは私の自業自得。なにもしなかった私への罰。望んだ通り、責めてくれる人間が他にもいた。お前は最低だって、みんなの代わりに責めてくれる人が。
「でもさ、私だって……」消えそうな声でボソリと呟く。呟いて、直ぐに消えた。
メグちゃんとのやり取りを終えた私は、スマホを枕の横に置き、仰向けで天井を見つめた。
目が痛い、胸が痛い、頭が痛い、心が痛い、全身のあらゆる箇所が痛くてしかたなかった。さっきまでのことは、実は遠い夢だったんじゃないか。そう思って現実から逃げようとする私を、その痛み達が引きずり戻す。
「…………チアキ」
天井に向かって、彼の姿を思い浮かべる。
笑っていた彼、困った顔の彼、ずっと我慢してた彼、そして、泣いている彼。
私は、彼の気持ちを察してあげられなかった。
ずっと彼への贖罪のつもりでやっていたことが、逆に彼を苦しめていた。先生のこと、迷惑なんて言っておきながら、私自身も迷惑をかけていた。
そしてあろうことか、悲声を漏らした彼に対して、慰めるどころか八つ当たりするような返しをしてしまった。そしてそのまま、捨てるようにして逃げてしまった。
もう、会えないかもしれない。
あんなこと言ったんだから、扉も開けてくれない。私の顔、二度と見たくないって思われたかもしれない。
考えれば考えるほど、後悔が押し寄せる。
部活もダメ、幼なじみへの償いもダメ、このままだと、全部ダメ。不器用通り越して愚か。
死ね、死ね、
自分への怒りとか、悲しみとか、そういうのはもうぐちゃぐちゃになっている。気持ち悪いと思っても吐き出せない塊が、喉を下ってお腹の方へと降りていく。
「………………ごめんね」
聞こえるはずもない彼への謝罪を、涙声で呟いた。本当は本人に直接言わないといけない台詞を、誰もいない自室で、目尻から涙を流しながらポツリと吐き出した。
あの時、もうやめなよって彼奴らに言えてたら。
張り詰める空気に怖気付かずに止めることができたのなら。
そう思ってももう遅い。
彼への『イジメ』から目を逸らし続けていた私は、やっぱり、どこまでいっても最低な人間でしかなかった。