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桜が散ってから、丸1年が経って、また新しい桃色の桜が姿を現す。
様々な場所で、それぞれ描かれる締め括りと始まりを、彼らは彩り、見守っていた。
そんな繰り返しを、新しく開花した桜を目にする度に感じている。将来がどのようなものになるのか分からず、やけに不安に思っていた時期も、気がつけば昨日の事のように通り過ぎている。そういった一年を、私は何度も繰り返している。
そうしているうちに、時代もまた、昔と比べて変化していた。
元号が変わり、流行の曲も、世の中の常識も、全てがその時その時で変わっていた。友達とのやり取りも、今は沢山のツールを駆使してるし、現に私も使い分けをしている。でも、10代の子の方が器用で、なんか、時代って進んでるんだなぁって、ふとした時に思ってしまう。
でもまあ、そういうのって仕方ないのだろう。昔、お父さんがよく「最近の学校事情は分からない」ってボヤいてたけど、大人になってその言葉の意味がよーく分かった。私も歳下の子と話したりするが、学生時代の雰囲気とか、全然違う。だから、今の学校の現状なんて分かるはずがない。
でも、そんなの当たり前だ。学生時代のあれこれなんて、当事者にしか分からない。私の時代の学校の雰囲気なんて、あの頃を生きた私達にしか分からないのだから。
時代の流れをしんみりと感じつつ、あれから私の周りの人達にも、様々なドラマがあった。
最初は、部活の顧問だった井戸中先生。
あの日、私とチアキが仲直りをした日に、井戸中先生の娘さんが自殺を図ったらしい。だから先生は、大急ぎで学校を飛び出して病院へ向かった。
原因は、クラスメイトの女子からのイジメで、幸い命に別状はなかったけど、身体的にも、精神的にも、入院するレベルの傷を負った。しかも、相手の子は娘さんが入院してからもイジメを続けていたらしく、励ましに見せかけて、『あんたが死んでも誰も悲しまないよ』といった主旨の手紙を渡したり、親しい友人を装ってお見舞いに来たりと、かなり陰湿だったらしい。
井戸中先生は、娘さんのイジメに気づけなかったことを後悔していた。自分が頼りないから話してくれなかったんだろう、もっとあの子の話を聞いてあげないといけなかった、守ってあげなきゃならなかったと、昔よりも少し皺が増えた顔で泣きそうになりながら語っていた。再会のお酒も、酷くしょっぱそうに飲んでいた。
そんな、ユニフォーム姿の私やメグちゃんが写った最後の集合写真を大切な思い出として残している井戸中先生は、今は立派なおじいちゃんとして頑張っている。スマホの待ち受けは、間違いなく娘さんにそっくりな可愛い男の子だろう。
あれだけ辛い目にあって、自殺までしようとした娘さんは、ちゃんと生きている。生きて、自身を受け入れてくれる人に出会ったのだ。
次は、部活仲間だったメグちゃんこと
中学を卒業して以来、一度も会わなかった彼女は、大人になってもそのまま変わらず、周りの空気を気にしすぎてアタフタしていた。その性格が災いして、高校生の時にクラスで孤立してしまったらしい。
「私、自分の性格、昔から嫌いだったの。いつも優柔不断で、周りの空気とか、必死に読もうとして、余計なことばっかりするから。でも、こういうのって、もうどうにもできないでしょ? だから、高校生活はちゃんとしよって、自分なりに頑張ったんだ。けど、ダメだった。それで高校の時にみんなから嫌われて、無視されて、孤立しちゃった。陰口も言われたし、仲間外れにもされたし、汚いものに触れるみたいな扱いされて……明日になれば、もしかしたら終わってるかもって思ってても、やっぱりダメで、もう毎日、死んでしまいたいって思ってた。
それでね、一度だけ、お風呂場で手首を切ったの。安全じゃない剃刀で、そしたら、血がダラーって出てきて、凄く痛かった。でも、なんだか気持ちよくて、そのまま浴槽に手首を突っ込んだんだ。それで、目が覚めたら病院で、隣でママが、お兄ちゃんに慰められながら泣いてたの。パパは目が覚めた私のこと、大丈夫かって、声をかけてくれたの。いつもなら怒ってばっかなパパが、すごく心配そうに言ってくれたの。そのときね、もう、凄く後悔しちゃった。もう二度とこんなことしないって。
…………でもね、今でも不思議に思うの。毎日死にたい死にたいって思ってたのに、手首を切る時は、そんな気持ちはなくて、『あ、死の』って、軽い気持ちで剃刀の刃で皮膚を破いたの。なんだか、自殺って、苦しい気持ちの時じゃなくて、実は衝動的なんだって、実感したんだ」
井戸中先生が途中で抜けた部活メンバーとの飲み会で、私の隣に座ったメグちゃんは、手首を見せながら酔いに任せて話していた。彼女の手首には、横にスーッと伸びた綺麗な切り傷の痕がついていた。実は死にたいって思えてる時が、1番生きたいって思ってるのかもね、と零していた。
そんな死にたがりだったメグちゃんは、今は社会人になって、必死に生きているらしい。らしいっていうのは、あまり連絡を取り合わないからだ。でも、彼女なら大丈夫だろう。最後に話した時、実家の両親と一緒に子猫を飼い始めたと言って、惚気て夢中になっているようだったから。
次は、私の大親友の
詩音ちゃんとは3年でクラスが分かれてからも、別の高校に通ってからも、彼女が海外に留学してからも、大人になった今でも連絡を取り合っている。ずっと一緒にいるわけではない、ふとした時に連絡を取り合って、予定があったら遊んで、愚痴をこぼす。無理のない程度の距離感、それが、私達の友情だった。
でも、彼女が彼氏持ちだとを知った時は流石に驚いた。しかもその相手というのが、まさかの『ミスG』とあだ名を付けて、詩音ちゃんに蹂躙されて服従を誓わされた例の男子だから、聞かされた時は思わず叫んで、詩音ちゃんに毒を吐かれた。それって奴隷ってことってじゃない? と思わず言ったけど、どうやらそういうわけではないらしい。
「なんか、恋愛感情とか、そういうのはないんだ。私の好きなタイプの顔でもないし。でも、一緒にいると楽っていうか、お互いに変に気を使わずに一緒に暮らせるんだ。まあ、私が自分勝手に生きてるだけで、あいつのことを気にしてないだけかもしれないけど……ホント、昔の私が今の私を見たら、なんであいつなんかとくっついてんだよって、バカなのあんたって、胸ぐら掴んで怒ってるよ。あいつもあいつで、昔とは違うんだから、嫌なら別れてもいいのに」
2人で時間を見つけて沖縄旅行に出かけた時、直感で立ち寄ったお店の美味しいソーキそばを啜りながら、詩音ちゃんはそう語っていた。彼女も大人の女性になって、より一層綺麗になっていた。そして、相変わらず胸は私よりも大きかった。私も大きくはなったけど、やはり詩音ちゃんには勝てない。
私と詩音ちゃんの恋愛観は、やっぱり違う。恋愛観だけじゃなくて、性格とかも全然違う。それが私達が親友でいられる理由なんだと思う。
でも、大きなお世話かもしれないけど、詩音ちゃんも彼氏君も、多分、お互いに好きなんじゃないかなって思う。好きは好きでも、親愛とか家族愛とか、そういうのだと思う。だから彼氏君も、ずっと詩音ちゃんの傍にいるんじゃないかな。
そういった旨の言葉を伝えると、詩音ちゃんは一瞬呆気に取られた顔をして、すぐに吹き出すように笑った。私が怒ると、ごめんごめんと軽く笑った。
二重の中に収まった瞳は、相変わらず綺麗だった。
次は、2年の担任だった先生。この人の話は、チョット長くなる。
先生は結局、チアキへの手紙と色紙の作成をしなかった。どういう心変わりなのかは最初は分からなかった。その代わりに海原家を訪ねて、広い公園のベンチでおばさんと話した。何故か私も会話に加わった。私から介入したわけではなく、おばさんから手を合わせて頼まれたからだ。
夏本番の公園の、ちょうど屋根がついて日陰に覆われているベンチの下で、先生は私達に教えてくれた。
先生が女子校に通っていたとき、クラスでイジメがあった。
1人の子を、クラスでも権力的な意味で力が強い子を主犯に、クラスのほぼ全員で。なかなか陰湿で見えにくい、死ぬまで追い詰めるような、残酷で容赦がない内容だった。
おまけに学校側は、イジメとかそういうのを隠したがる外面を気にするタイプの学校で、見えないのならとことん無視していた。なんなら、イジメが発覚したあとも、いじめられてた子とご両親に堂々と転校を勧めるような、そういうタイプの学校だった。
先生は、その子と特別仲が良かったわけじゃなかった。時々話す程度で、どこかへ遊びに行くとか、そういうのはなかった。同じクラスメイトとはいえ、大切な人というわけではない。
だから、先生は逃げてしまった。
その子がクラスメイト数人からイジメられているのを、臭いとか汚いとか、たくさんの罵倒を俯いて耐えている姿を、先生はそっぽを向いて見て見ぬふりをしていた。時々「あんたもそう思うよねぇ?」と話を振られたら、「まあね」と返してた。相手が「ほらー、ねえ? みんなそう思ってるんだって」とケラケラ笑ってくるのを見て、ほっと胸を撫で下ろしていた。もしここで返答をミスしたら、今度は自分が標的にされる。机も、上靴も、体操服も、全部ダメにされる。家まで特定されて、酷いことをされる。だから、先生は傍観者に徹した。悪いことだって分かっていても、助けることができなかった。
「ずっと、後悔してるんです。あの時、勇気を出して止めていたら、あの子があれ以上、傷つくこともなかったんじゃないかって」
結局、その子は精神が参って、学校に来なくなって、何処かへ転校してしまった。そして彼女が居なくなった後、また別の子が標的になった。しかもその子は、主犯格と仲良しで、一緒にイジメを実行してた子だった。あんなに仲が良かったのが嘘みたいに、ギャハハと意地悪に笑われて、俯いていた。その時も先生は、やはり動けなかった。むしろ、因果応報と考えていた。そんな自分を、先生は今でも許していない。
私は、先生が悪いとは思わない。もし先生が止めたとしても、今度は先生が標的にされてただろうし、学校も、教師も、クラスメイトも、全ての環境と運が悪すぎた。先生は、自分を守るために、傍観者に徹するしかなかったんだ。
でも、先生の気持ちはすごく分かる。ずっと後悔しているのも、自分を許せないのも。
「だから、チアキ君のために、少しでも何かできたらって思ったんです。けど、それも、結局は自己満足でしかなかったんです。あの時何もしなかったことへの贖罪を、彼を利用してしようとしただけだったんです。しかも、クラスの子達を巻き込んで……誠に、申し訳ございませんでした」
先生は、おばさんに深く頭を下げた。おばさんに怒られるのを覚悟で、全てを話してくれたんだ。
でも、おばさんは「先生、顔をあげてください」「これからも、みんなのこと、うちの子とハルちゃんのことをお願いします」って、笑顔で言っていた。
その日以来、先生には卒業するまでお世話になった。チアキも、あの人には何かと助けられていた。卒業式の日に「おめでとう」と言って泣いてくれたときは、私も彼と一緒に泣きそうになった。
私が大人になった今も、先生は教師を続けているらしい。今日もどこかで、生徒達のために奔走しているのかもしれない。そう思って、私は今も時々、心の中で頑張れと応援している。
それと、先生と話してから数日後に、おばさんから反省文のことを聞かされた。
おばさんは、あの先生が持ってきた反省文を笑顔で受け取っていた。受け取って、一つ一つちゃんと読んで、そしてほぼ全部、ゴミの日に出した。
もちろん、チアキには反省文のことは内緒にして。
それが、おばさんなりの、学校や私達への怒りの表現だった。寧ろ、あんな反省文を、あの先生の手から受け取ってくれただけでもすごいことなんだ。あの先生のことだから、渡した瞬間にこれで全部終わったみたいな顔をしてたんだろうなって、想像できる。彼奴らを呼んでチアキ君の前で頭を下げさせますって言われて、おばさん、腸が煮えくり返りそうになりながら断ったんだなっていうのも。反省文を読んで、怒りに手が震えるのを必死に我慢してたのも。
でも、唯一1つだけ手元に残していた。それは、私が書いた『ごめんなさい』と一言だけ書いた原稿用紙だった。
それを見せられて、私はなんでだろうと首を傾げたと同時に、私のことを許してないんだと思った。それならそれで当然なんだけど、おばさんはすぐにそれを否定した。
「他の子は、こんなの書かされるんだったら止めておけばよかったっていうのが嫌でも伝わってきたの。でも、ハルちゃんのごめんなさいは、本当にごめんなさいっていう気持ちで書いたんだろうなって、伝わったから」
それ、贔屓してない? そう伝えると、おばさんは頬を釣り上げながら、優しく微笑んだ。
「だってハルちゃん、本当に反省してる時、筆圧が強くなるんだもん。これ、あなたが小さい時にハルちゃんのお父さんが教えてくれたのよ?」
……そうだったんだ。そんなの、知らなかった。
そういえば、お母さんと昔、死ぬ前に一度だけ、大喧嘩をしたっけ。我儘言って、お母さんを怒らせて、酷いことを言って、それで反省して手紙を書いて渡したら、すぐに許してくれたっけ。
「だから、ハルちゃんのだけは、取っておきたいなって思ったの」
おばさんはそう言うと、私の反省文を大切そうに抱えた。
そんな反省文も、私が大人になってしばらくして、ゴミ箱の中へ捨てられた。けどそれは、決して悪い意味ではなく、これからを生きていく私達に気を遣った、おばさんなりの配慮と決意だった。
ちょっと長くなったから、他の人は簡潔に話す。
1年の時に担任だったあの先生は、私達が中学を卒業したと同時に別の学校へ異動した。以来、どうなったかは知らないし、会えてすらいない。飲み会で再会した子の話では、どっかの学校で受け持ったクラスで問題が発生して、その対応で精神を病んで退職したらしい。
あの先生も、色々と運が悪かった。先生って、本当に大変な仕事だ。生徒だけじゃなくて、価値観が違いすぎる保護者も相手にしないといけないのだから。今は昔以上に先生の立場が弱いから、ストレスも酷いものだろう。
たとえ好き嫌いがあっても、我慢して接しないといけない。大人になって、あの人の気持ちを少し理解できた気がする。
……でも、チアキにしたことは、やっぱり間違ってると思う。
近所に住んでいたオバサンは、ある日、離れた場所で暮らしている息子さん夫婦と同居することになって、住んでいた家と土地を売って引っ越した。お父さんの話では、息子さんは昔、酷いイジメにあっていたらしく、一時期不登校になって引きこもっていたらしい。
だからあの人、チアキのことを凄く気にかけてくれたんだ。だから、チアキが外を歩いたのを見て、あんなに喜んでくれたんだ。
いつか、2人でお礼に行けたらいいな。
海原家の上の階に住んでいるおじさんは、相変わらずだった。相変わらず匂いは独特だし、パチンコに行ってるし、すれ違っても何も言わない。
……あ、でも、1度だけ話したことがある。
チアキと2人で2階と3階の踊り場で話してたとき、「お前ら、仲直りしたのか」って、後ろから声をかけられた。皺の多い顔で、眉間じゃなくて頬に皺を作りながら、気さくに笑っていた。それでチアキが「なんでわかったんですか?」って訊いたら「何のかんのいって昔から見てたからな、嫌でも分かるもんだ」って返された。そしておじさんは、何事もなく私達の横を通り過ぎた。
それが、おじさんとの最初で最後の会話。築年数と耐震等の関係で集合住宅の取り壊しが決まって、おばさんが別の建物に引っ越したあとは、本当にどこにいるのか、生きているのかすら分からない。
けど、またいつも通り、独特の匂いを放ちながら、今日もどこかでパチンコを打ってるんだろうなっていうのは想像できる。
最後に、うちのお父さん…………は、別に話さなくてもいいか。
相変わらず無愛想で、タバコ臭くて、喧嘩ばっかで、家事も下手くそで、お腹が出てきて……お母さんのことが心の底から大好きな、私の自慢のお父さんだ。
未来はどうなるか分からないというけど、そういうのは、いつも想像の斜め上にも下にもいくものだと、大人になってから嫌というほど実感している。
でも、苦しくても、辛くても、人は生きていく。死にたくなることがあっても、どれだけ追い詰められても、人は、何のかんので生きるんだなって、思う。
それでも、過去の出来事を消すことはできない。
私も、昔の自分をなかったことにはできない。でも、過去の自分を受け入れないと、今の自分を否定することになる。
だから、私はあの頃の自分を、大切な人を見捨てた、何度も殺すくらい大嫌いな自分を、少しずつ受け入れている。彼と一緒に進んでいくと決めたあの日からずっと、社会に呑まれながら、あの時見ていた景色を大人の視点で見ながら、過去の自分と向き合って生きている。これからもそれは変わらない。
…………さて、アニメとかなら、どこかに住んでるモブキャラの1人でしかない私のお話はこれでおしまい。
この先、みんながどうなるか、私とチアキがどんな人生を歩むのか、そんなのは、みんなの好きなように想像してくれればいい。私達にも、自分達の未来がどうなるかなんて分からないのだから。
…………でも、幼い頃に想像していたものが、現実になることもあるというのは確かだと、自宅の表札を見る度に思っている。
だから、私は今も想像している。彼と、私と、みんなで幸せに暮らしている光景を。
あの日と同じように、こうして彼の手の温もりを感じながら。