※今回は一部、児童に対する性的虐待の描写があります。ご注意ください。
※物語に登場する人物、町、施設はフィクションです。
◇◇◇◇◇◇◇◇
マサはこの世界に生まれた。現実とよく似たこの世界に。
ぶくぶくと泡立って、いつまでも続くかのように泡立って泡立って、最後にパチンと弾ける。この国に生きる人達は、この時代のことをかっこ悪い言葉で表現していると彼は言う。
が、彼にとってはそんなものは知ったこっちゃなかった。ただ生きるための金を稼ぐ、自分達が食うための金を手に入れる。それが今の彼の生き方だ。
「マサ、棚の上から二番目にあるパーツを取ってくれ」
「ヘーイ」
だからこうして、修理屋を営むおっちゃんの店でアルバイトをして、今日もセコセコと稼いでいた。稼ぐと言っても、公的な手続きとかそういうのを結んでるわけではないので、貰える金はそんなに多くはない。ただ、中学すら行ったことのない彼がこうして働かせてもらってるだけでも有難いことだった。
「ほらよおっちゃん。あと、これあっちに運べばいいか?」
「ああ、頼むよ」
おっちゃんの店の中は、工場のように鉄くずや機械の部品がそこらに散らばっている。それを仕分けしたり、ゴミをゴミ箱に突っ込んだりするのも彼の仕事だ。たまに店番をすることもあるが、そういう時はおっちゃんの親戚の子どもと言って誤魔化している。
あと、時々おっちゃんが許可してくれる時は、機械を弄ることもある。今は単なる子どもの遊び程度の分解が限度だが、おっちゃんからは『筋はいい』と無愛想に褒められている。
「おっちゃん、終わったよ。あと時間、もう5時だぞ」
「おお、そうか。そんな時間か」
おっちゃんは一旦機械から顔を離し、腰を伸ばしながら椅子から立ち上がる。ヨタヨタとしながら隣の棚の引き出しを開けると、汚れのついた茶色い封筒を取り出した。
「ほれ。今日の分」
「サンキュー…………ん?」
中身を確認して、彼は叫んだ。
「前よりすくねえぞ!」
「仕方ねえだろ。不景気なんだ、ウチも商売上がったりだよ」
「せめてもう100円くれよ。ちょび髭のショー説家のおっちゃんじゃなくていいからさー」
「嫌なら返せ。その分こっちも負担が減る」
「ちぇ、分かったよ」
舌を打ちながら、封筒をズボンのポケットに突っ込んだ。とは言うものの、こうしてマサみたいな子を働かせてくれて、その上金をくれるだけでも、おっちゃんは優しい大人だった。
「明日も来ていいか?」
「明日は定休日だ。仕事でもねえのに来るんじゃねえ」
「へいよー。じゃあ缶集めでもしてるわ」
「ガキが、そういうのは他人に譲ってやれ。お前なら普通に日給で雇って貰えるだろ」
「んな簡単に貰えるわけじゃねえよ」
もしやれるんなら、俺だって喜んでやってるところだ。そうすりゃあ、ヒサの負担だって減るのに。とマサは口を尖らせた。
「おい、待て」
帰ろうと入口を潜ったところで、おっちゃんに呼び止められた。マサが振り返ると、おっちゃんが袋を持って奥からやってきた。
「何それ、ジュースか?」
「お得意さんから要らねえからって分けてもらったもんだ。お前、好きだったろ。チビたちの分もあるから持ってけ」
「え、マジ? ありがとうおっちゃん」
袋を受け取って中身を確認すると、最近話題な缶ジュースが4本入っていた。この前、マサがヒサに内緒で買ったことがあるあの透明なジュースだった。
「サンキューおっちゃん! 愛してるぜ!」
「気色悪いこと言うな、温くなる前にさっさと帰れ」
奥に引っ込むおっちゃんに、マサは手を振りながら帰り道を歩く。
マサ達の住むS町は、一言で言えば田舎で、だけど言うほど田舎でもない。けれど一軒家や背の低い建物が入り組むように並んでいたり並んでなかったりで、ネオン街があって、都会に比べれば治安が悪い。
毎日お巡りさんのピーポー音があちこちで鳴っている。住めば都、住まなきゃ地獄。悪い奴らも良い奴らも入り組むように暮らしている。
けど、そんな治安が宜しくない町だからこそ、色んな人間が群がることが出来て、なんのかんの言って罵りあいながら暮らしている。
そしてなにより、この町から見える夕焼けは最高だとマサは考えている。
学のねえ俺でも、つい見惚れちまうほどに真っ赤っかだ。ほんと、こんな自分が小さくなっちまうくらいに、と呟くほどだ。
「どろぼー!」
黄昏ていると、大きな声が聞こえた。少し離れた場所で、小汚い大人が走っていた。それをスーツ姿の男が息を切らしながら追いかけている。
またひったくりか、とマサは呟く。この町でああいった犯罪は日常茶飯事だった。なんなら彼自身も昔はあんな感じにお金を集めていたが、今ではそんなことはやれなくなった。
「だれかー! 捕まえてー!」
スーツ姿の男がまた叫ぶ。盗人は見た目に似合わぬ速さで走り、どんどん距離を空けていく。そして幸か不幸か、偶然にもマサの方へと近づいて来た。
「ひょい」
通り過ぎようとした盗人に対して、片足を突き出して足にひっかけ、思いっきり転ばせる。盗人は体の前部分をアスファルトに擦り付け、顔面をぶつけた。
「いってぇぇ! おいガキ!」
盗人は顔を抑えながらマサを睨んだ。彼はひったくられた鞄を拾うと、片手で煽るように軽く振って見せた。
「前見なきゃダメだぞ、おっさん」
「このガキ……」
「まてー!」
「ちっ、くそっ!」
盗人はキレる暇もなく、急いで立ち上がってその場を走り去った。マサは小さくなっていく背中を黙って見ていた。
「はぁ、はぁ、いやー助かったよ、キミ」
「気をつけなよおっさん。この町、ああいうの多いから」
「そうなのかい? 僕、この町に越してきて余り日がたってないから分からないんだ」
「へえ、新入りかー。珍しい」
道理で見ないと思った、と付け加えた。
息切れを起こす男性に、マサは鞄を渡しながら教えた。この町はひったくりが多いから気をつけた方が良いこと。特に引っ越してきたばかりのやつは狙われやすいから気をつけること。この町に住んでるやつなら知っておいた方が良いことを伝えた。
しかしこのおっさん、相当お人好しかもしれないとマサは胸中で思った。自分みたいな奴の話をここまで真剣に聞く大人なんてそうそういないのに。
試しに彼は、片手を差し出してみた。
「それじゃあ、はい」
「え?」
「お金、ひったくりから取り返したんだから。少しはちょうだいよ」
別に頼んだ訳でもないのに金を取るのかこのガキ、と普通の者なら罵声のひとつでも浴びせているところだろう。
けど、男性は「それはそうか」と納得したように頷き、 鞄から財布を取りだしてお札を抜き出した。えらいセンセーの絵が書かれた1万円札だった。
「は? いやいや、これ、大金じゃん。要らねえよ流石にこんな金」
「何を言うんだい。せっかくひったくりから取り返してくれたんだから、このくらいはさせてくれよ」
男性は引き気味な彼の手を掴んで、1万円札を手のひらに握らせる。そして「またどこかで」と言って、その場を去っていった。
「よくわかんねーおっさん」
だが貰ったものはしかたないので、マサは1万円札をズボンのポケットにしまって、歩くのを再開した。
歩いて少し先に交差点があり、彼は点滅する青信号など気にせずに横断歩道を渡る。
そして、渡りきって少し先の角を右に曲がり、人一人が通れるほどの小道に入る。ここからなら、商店街まではかなり近道ができる。
建ててからかなりの年月が経っているせいか、建ち並ぶ空き家の壁が通り過ぎるたびに微かに震えた。
「今日は誰が逃げ込んでんのかなー」
時々だが、この空き家には夜逃げして来た人間が隠れていることがあり、住み着くことも偶にある。だが、結局は数日もしたら皆、立ち去っていく。都会から来た彼らにとって、この町は住みにくいのかもしれない。
ちょうど道を出たところで、マサは貰った万札を確認した。偽札でもない、おもちゃでもない、モノホンの札だった。高めな弁当を4人分買ってもお釣りが返ってくるあの1万円札だ。
「まあ、ラッキーってことで」
ちゃんと貰ったのなら、ヒサのやつも文句は言わない筈だ、とマサはニヤけた。
◇◇◇
「確かこれは……あ、こっちだ」
夕焼けに照らされた商店街の中で、ヒサは雑貨屋のおばさんの手伝いをしていた。一日で貰える給料はかなり少ないが、彼女のような身寄りもなく、まともな仕事につけない人間にとっては、おばさんのように親しくしてくれる大人は貴重な存在だ。
それに、おばさんや弁当屋のおばあちゃんには、女性の体のあれこれで何かと世話になっている。むしろヒサ自身も無償で手伝わせてもらいたいと思うほどだ。だが、タダ働きはおばさん達から禁止されていた。
「ヒサちゃーん、もうあがっていいからねー」
「はーい」
おばさんが店の奥から出てきて、ヒサの方へ歩いてきた。手には肌色の封筒が握られている。
「はいこれ。今日のお駄賃ね」
「ありがとうございます。すみません、いつも」
「いいのよ。うち、最近人手が欲しいなぁって思う時があったの。でもこの世の中でしょぉ? 人を雇おうにもそんな余裕は無いし、そもそも人が来ないから。だからね、ヒサちゃんみたいな子が来てくれて助かってくれてるのよ」
そうやって言われると、ヒサはなんだか恥ずかしくなった。
「それじゃあ、私はこれで」
「ああ、待って待って」
おばさんは1度店の奥に引っ込み、すぐに戻ってきた。手には袋をぶら下げていた。
「実はこの前親戚から林檎が送られてきてねぇ、多すぎるからヒサちゃんにもあげる」
「え? いや、そんないいですよ」
「いいのよ。ヒサちゃんにはいつも世話になってるんだから。それに、ちゃんと食べないと、せっかくの美人さんが台無しよ? ヒサちゃん、ちゃんとした格好とかすれば、凄くモテちゃうかも」
「はあ……あ、ありがとうございます」
ヒサはおばさんから差し出された袋を受け取る。4つのりんごのずっしりとした重みが袋越しに伝わった。
「マサちゃん達にも食べさせてあげてねぇ」
「はい」
ヒサは店を後にし、商店街を歩く。商店街は人の通りと共に自転車の通りも多く、時々車も通っていた。
ヒサがここにやってきたのは数年前、マサと出会い、拾われた時のことだった。
初めは社会というものがどんなものかを知らなかったうえに、この町の掟やら勝手が分からず、何かと苦戦することが多かった。だが、住み慣れてしまった今は住めば都状態で、ヒサもすっかりこの町の色に染まった。それに、ヒサ達のように子どもではないが、似たような境遇の大人が集団で住み着いており、彼らから生活の知恵をいくつか伝授されていた。
「(さて、今日の夕食は……)」
安売りしている何かを買うか、賞味期限切れのものを分けてもらうか、パンの耳か、それとも野草を食べるか。
そう考えようとした矢先、ヒサは肩を叩かれた。その正体はすぐにわかったし、彼も一言も言わずに彼女の横に並んだ。
「お、なんか貰ったのか?」
「林檎だ。おばさんから貰ったんだ。帰ったらマイのやつが喜ぶだろうな」
「あー、そうかもなー。まあどっちみち腐ったら勿体ねえから、今日中に食わねえとな。今日は久々にご馳走だ」
「お前はどうだ? それは……」
「おう、おっちゃんから貰ったんだ。ほれ」
マサは袋から缶を1つ取り出し、ヒサに見せた。彼女はこの飲料水を見た事がなかったため、これはなんだと首を傾げた。
「この前発売された透明なジュースだぜ。すげえだろ? しかも結構美味いんだぜ?」
「そんなものが売られていたのか……」
ヒサは感心するように缶を眺める。そして、すぐさまマサの言葉の違和感に気が付き彼を睨んだ。
「マサ……お前、飲んだことあるのか」
「…………仕事中におっちゃんから貰ったんだよ。1本だけな。それで、結構美味かったからな」
「ならいいんだが」
実は内緒で購入してました、なんてことは口が裂けても言えなかった。そんなことがバレでもしたら、今頃ヒサから強力な拳骨を食らっているからだ。
マサは成長期が来ていないのか、中途半端に終わったのか、ヒサよりも背が小さかった。故に、他人から見れば姉と弟に見られてもおかしくはなかった。だから、もしここで彼女が彼を叱れば、まさに『姉にお叱りを受ける弟』という構図が完成してしまうのだ。
「それよりも、ほれ。大金が手に入ったんだぜ」
マサは誤魔化すように缶をしまうと、ポケットからえらいいせんせーの絵が書かれた1万円札を取り出す。無造作にポケットに突っ込んだせいでしわくちゃになってしまったが、使えないほどではなかった。
あまりの大金を目の前に出されたヒサは目を見開いて驚き、拳をマサの後頭部にくらわせた。
「いって!? 何すんだよ!」
「何をしたかはこっちのセリフだ! なんだその大金は? まさか盗んだのか? おっちゃんか? 窃盗か?」
「てめえ、巫山戯んな! 勝手に盗っ人にすんじゃねえ!」
「だったらなんなんだ」
マサは頭を擦りながら、おっちゃんのバイトの帰りにひったくりが起きたこと、そのひったくりから荷物を取り返したら、半ば押し付けるように持ち主がお金をくれたことを話した。
それを聞いたヒサは、マサの首元に腕を回して、死なない程度に首を絞めた。
「そんな話が信じられるか!」
「て、てめえ! こんなアホみたいな嘘つくわけねえだろ! 盗んだなら盗んだって言うに決まってるだろ!」
「やっぱり盗んだのか!」
「なんでそうなるんだよ!? 頭いかれてんじゃねえのか!? あとそうやってすぐ手ー出すのやめろ! メスゴリラ!」
組んず解れつの痴話喧嘩を始めたマサとヒサ。彼らがこうして小さなことで争いごとになるのも今に始まったことではない。その度に、周りから冷ややかな目を向けられる。その中には、彼らのような存在に対する侮蔑や軽蔑の意も込められている。
それでも、直接蔑まれるよりは、遥かにマシだった。
喧嘩を終えた2人は、夕食を入手しに商店街の一角にある弁当屋を訪ねた。ここは2人が良く訪れる弁当屋で、店主から売れ残った弁当を譲ってもらっていた。と云っても、貰えるのは多くて2つ、貰えない日も多い。それでもくれるだけ有難かった。
「今日は……げっ」
「んん? なんだお前らかよ」
店先から顔を出した店員を見て、マサは思わず顔を顰めた。いつもなら表情の穏やかなおばあさんが出てくれるのだが、今日に限って相性の悪い兄ちゃんがシフトに入っていた。マサとは仲が悪く、顔を合わせる度に口争いをしている兄ちゃんだ。おまけに、マサ達のことを堂々と『嫌い』『不良少年ども』と罵る始末だ。
「また物乞いでもするのか」
「言い方気をつけろよ、メガネ」
「黙れよチビ」
会って早々、憎まれ口を叩き合う2人。子どものように睨み合い、歯を剥き出しにしていーっと言い合う。それを横に、ヒサは弁当の売れ残りがないか聞いた。
「すみません。今日は残ってますか?」
「……生憎、売り切れだ。今日はどっかの工事で大量に買ってくお客がいたんだ。悪いな」
「そうですか……」
ヒサは残念そうに表情を落ち込ませる。店員は眉を八の字にして、仕方ないと言葉を繋いだ。
「…………お前らが来ると思って、4人分ストックしといたから、買ってけよ。温めてやるから」
店員の言葉を聞いて、ヒサは目を丸め、すぐに微笑んだ。
「おいおい、てめえヒサには甘いじゃねえか。ロリコンか? 年下好きか?」
「勘違いすんな。俺はお前達みたいなフラフラする物乞いは好きじゃねえ。金も払わずタダ飯食らうやつは大っ嫌いだ。だから俺がシフトの時は売れ残りはタダで渡さねえ。賞味期限切れたやつでも絶対買わせるね」
店員とマサは再び睨み合う。けど、譲らないとは言っていないところが、店員の優しさでもあった。
店員から温め終えた弁当を受け取ったヒサは会釈をし、マサがえらいせんせーのお札を出して金を払う。その際、「うわ、汚ぇ。くしゃくしゃじゃねえか」「使えんだから文句ねえだろ」とまたもや一悶着あったのだが、いつもの事なので省く。
ちょうど、町を2つに隔てる川に出たところまで歩いた。マサたちのいるこちら側と、家のある向こう側を繋げる橋の近くに錆びれた公園があり、そこにはホームレスの小集団が生活していた。彼らとマサ達は顔見知りで、特にマサは、町内の自然公園でダンボールハウスを組み立てて住んでいた時からの知り合いだった。
今日は何やら騒がしい、男達がベンチに何やら群がっていた。マサ達は気になって声をかけようとするが、その前に彼らが囲む相手の姿が見えた。
「タケ、マイ、何やってんだー」
マサが呑気に声をかける。それに気づいたタケとマイが顔を上げて2人に手を振った。
タケとマイは、マサ達と一緒に暮らしているチビ達で、6歳と3歳、男の子と女の子である。
「おい、留守番はどうしたー」
「いえにいてもつまんなかったから、そとであそんでた」
「あそんでたー」
マサと同様に2人は呑気に返事をする。
「すみません、うちの子がまたご迷惑を」
「いやいや、いいってことよ」
「俺らも今日は暇してたからな」
頭を下げるヒサに、長の男は毛深い口元をにかっとさせた。
「ほら、マイ、みせるんだろ?」
「まーま、これー」
マイは片手に小さな塗り絵の箱を、もう片方にスケッチブックを持ってヒサに見せた。
「なんだ、これは。買ったのか?」
「おじさんたちのてつだいをしたんだ。へやのそうじとか、そしたらおだちんがわりにくれたんだよ」
言葉がまだ下手なマイの代わりにタケが答えた。
「けー、ケチくせ」
「マサ、お前は相変わらず口が悪いな」
失礼な言葉を吐くマサに、長たちは怒るわけでもなく苦笑して呆れた。小さい頃からこんな感じなので、最早怒りなんてものも忘れてしまった。ヒサがマサの頭を掴んで下げさせた。
「ほら、帰るぞ」
「うん」
「またねー」
「ありがとうございました」
マサの声掛けにタケとマイはベンチから立ち上がり、ヒサの横に並んで歩いた。
「ヒサ、先行っててくれ。ちょっと長と話がある」
「? ああ、分かった」
ヒサは怪訝そうにしながら2人を連れて先に公園を出る。
「どうした、話なんて珍しいじゃねえか」
長の男が物珍しいと言いたい声で訊くと、マサはポケットからお札を出した。1万円札とは違った偉いせんせーの絵が描かれた五千円札だ。
「これ、タケとマイが世話になった。なんか美味いもんでも食ってくれ」
「……別にそんなつもりで見たわけじゃねえ。お前が持っとけ」
「いいんだよ。普段から世話になってる礼もあるからな」
マサは押し付けるように五千円札を長の男の手に握らせた。
「……まさか、盗んでないよな?」
「だぁ、ちげえって。長までヒサと同じこと言ってらあ」
「そりゃそうだろ。昔のお前を知ってる奴からしたらそうとしか思えねえ」
他のメンバーも頷き、マサは苦笑した。詳細を説明すると、長達はその男性のことを変わり者だと言った。マサと同意見だった。
「……にしても、すっかりスリをやんなくなったな」
「昔はチンピラから掏ってやったとか自慢してたくせに」
「ヒサが来てからか?」
「……さあな」
長いことやってねえから忘れちまったよと、マサは空に視線を向けながら答えた。夕焼けが更に沈みかけているせいか、オレンジから紫のような色に変わっていた。
「じゃ」
マサは手を1度上げ、長達に背を向けて走り、ヒサ達に追いついた。
「……長に五千円渡した。2人の面倒見てくれた礼」
「そうか」
マサの報告に、ヒサは言葉を返す。
「ところでタケ。お前はなんか貰ったのか? マイが貰えたんだから、お前もなんか貰っただろ」
「うん、ぼくはね、これ」
そう言って、タケは脇に抱えていた雑誌をマサとヒサに見せた。漫画が沢山載っているコミック雑誌だった。
「お、最新刊じゃねえか。よく長が分けてくれたなぁ」
「このまえ、よっぱらったおじさんが『おめぐみだじじーども』っていってくれたらしいよ」
「て、酔っ払いのお古かよ」
とは言うものの、マサはマサでこの雑誌は本屋で読んでいた。その中でも特にお気に入りなのは、警察から虞犯少年と呼ばれた2人の子どもが街で暴れる漫画だった。インパクトのある絵柄から繰り出されるその暴れっぷりがかっこよくて、マサは店主に何度も追い出されながら、毎週かかさず立ち読みしていた。難しい漢字は読めなかった。
「あとね、これも貰ったよ」
「2つも貰ったのか?」
タケは脇に挟んでいたもう1つの雑誌を見せた。
それを見た瞬間、マサは吹き出し、ヒサは顔を赤くしてワナワナとし始めた。
雑誌の表紙には、若い女がエッチな格好をしてどうどうとポーズを決めていた。エッチな格好とは、乳首と陰部を隠して、素肌を極限まで露出させたものである。
「おさたちがくれたんだよ。いつかわかるときがくるって。でも、よんでもよくわかんないんだ。どうしてみんな、はだかになってるの? なんでおとこのひととだきあってるの? ヒサねーちゃん?」
タケからの純粋無垢な質問にヒサは目を泳がせ、あからさまに顔を赤くしながら頬をかく。あーやら、えーやら、なんと答えれば良いのか分からず、ただ口を濁す。さらにはマイまで「まーまなんでー?」という始末だった。
そんな彼女を見て、マサは堪えきれずに大笑いした。
「こりゃあ傑作だ! 長達もやんじゃねえか」
「ねえ、マサにーちゃん、これ、なんのほんなの?」
「くひひ……あ、あのなタケ。それは、エッチな本ってやつでな、男の子なら喜んでもらうもんだぞ」
「エッチなほん? これが?」
「そうそう、裸のねーちゃん達が乗ってる本はだいたいそういうんだぞ。まあ、タケはまだガキだから興奮しねえか」
「だって、おんなのひとのはだかなんてせんとういったらみてるし、ヒサねーちゃんのはだかもまいにちみてるし」
「そうだな。お前、毎日見てるもんな、ヒサの黒いちくぎぃぃぃっ!?」
言い終える前に、マサの首がヒサの腕によってぐっと締められる。怒るヒサと悶えながら笑うマサ、その光景にタケは首を傾げ、マイは「まーまとぱーぱのけんかー」と言ってキャッキャし始めた。
紫色の空が、そんな4人を暗く照らした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『ここは? どこだ?』
目を開けたヒサは、自分が家ではないどこかにいることに気がついた。白いレンガのようなものでできた床が足元に広がっており、見たこともない子ども達が何かを求めるように彷徨っていた。
『マサ達はどこだ?』
私は家で寝ていたはずだ、そう思ってヒサは辺りを見回す。左右後ろには大きな白い建物が建てられていて、1つの階ごとに取り付けられた窓からは、子どものものよりも大きな人影が幾つも見えた。
『マサ、タケ、マイ』
ヒサは3人の名前を呼ぶ。が、どこからも返事はなく、ただ自分の声が短く木霊するだけだった。
ふと、ヒサは視線を前に戻す。少し離れた場所に外に繋がるであろう大きな青い門があった。その横には4人ほどが乗れそうな一般車が停められていて、何やら大人達が話し合っていた。
ヒサから見て車の側に立つ大人2人は若々しく、整った服装をしていた。彼らに対面するように立っている大人は、襟の着いた白い服装をしている。どうやらここで働く大人のようである。そして、その隣には年端も行かない男の子が立っていて、ヒサからも彼の表情が不安に包まれていることが分かった。
『なんだ、私は?』
自分の両手に視線を落とした。子どものように小さな手だった。手だけでない、体の至る箇所が子どもになっていた。
自分は縮んだのか。
いや、そうじゃない。
そもそも自分はここで暮らしている子どもの1人じゃないかと、ヒサはようやく自分のことを思い出した。
ヒサはこの世界に生まれた。灰色に濁った空の下で、彼女は産声を上げた。
そして、ここは彼女が暮らしている場所であり、同じような境遇の子どもたちが何人も共同で生活している。ヒサは生まれた時からこの場所で暮らし育ってきた。云わば家のような場所なのだ。
『そうか。今日はあの子が貰われる日だった』
そして、ヒサはあの子を見送るためにここまで来たことを思い出す。
いつもヒサに隠れていじめっ子から逃げていた、大人から誕生日にプレゼントされたルービックキューブを大切に持ち歩いていたあの子が、今日この場所を去る。見学に来たあの夫婦の目に留まり、引き取られることになったのだ。
『あ、待て!』
ヒサは車に乗り込む夫婦と彼に叫んだ。彼はヒサにいつも隠れていた。そんな彼を、ヒサはいつも守っていた。だから、ヒサにとっては弟のような存在だった。せめて一言、おめでとうと言いたかった。
『おーい!』
ヒサは叫び、彼の名前を呼んだ。彼がこちらを向くと、大きな声で『おめでとう!』と言った。男の子は驚き、すぐに泣きそうな表情になってヒサに手を振った。
そして彼は車に乗りこみ、開かれた門を潜って外へと出ていった。ヒサは見えなくなるまで何時までも手を振り続けた。
彼だけじゃない、厳しい規律と環境の中で共に暮らしてきた子どもたちを、ヒサはいつも支えていた。誰かが大人たちに叱られていれば、すかさずフォローに入って罰を軽くしてもらったり、食事を抜かされた子がいれば、こっそり自分の分を分けてあげたりしていた。倉庫の中に閉じ込められた子が入れば、中に入って一緒にいてあげることもあった。
そうして、まるで妹や弟のように可愛がっていた彼らを守り、無事に旅立っていくのを、彼女はいつも笑顔で見送っていた。
『…………また、行っちゃったな』
車が見えなくなり、門が閉まったところで、ヒサはようやく抑えていた涙を零した。旅立つ嬉しさと、離れる悲しさが、ヒサの目から沢山の粒を溢れさせた。
よく泣いていたあの子も、1人で本を読んでいたあの子も、暗闇を怖がっていたあの子も、お腹を空かせていたあの子も、みんな、外の世界へと行ってしまった。
いつか自分もみんなみたいに旅立つのだろうか、そして、素敵な家族に出会えるのだろうか。もしそうなったら、ここの子ども達とはお別れになる。
でも、外の世界には、テーマパークというものがあるらしい。本で読んだが、デパートという場所の屋上には遊園地がある。ここはそういう場所には連れて行ってくれない。けど、外に出たらきっと連れて行ってもらえる。パンダの乗り物や観覧車という大きな乗り物だって乗ることが出来る。
それに、もし外に出たら、大人の部屋に一つだけ置かれた小さなテレビに映っていた学校にも通える。ここは勉強も全部教えてくれるから、学校に通うことなんてない。もし学校に行ったら、知らない子達と友達になりたい。友達になれたら、色んな場所へ出かけてみたい。
ヒサは子供たちと別れるかもしれない寂しさと共に、この先に待つワクワクを妄想し、心を膨らませた。
『…………?』
ヒサは踵を返し、建物へ戻ろうとした。すると、先程夫婦にあの子を引き渡した大人が声をかけてきた。名前を呼ばれたヒサは振り向き、大人の笑顔を視界に映した。この大人は子どもたちに優しくしてくれる『いい大人』で、ヒサはいつも頑張っている姿を褒められていた。だから、ヒサもこの大人のことが大好きだった。
大人は少し話があるとヒサに話すと、彼女の手を掴んで建物の中へ移動した。そして『資料部屋』と書かれた張り紙が貼られた部屋の前で止まると、彼女と共に部屋の中へ入った。やけにぼやついていて、視界が歪むような気持ち悪い空気が漂っていた。
『あれ、こんなこと…………前にも』
そう呟いた次の瞬間、ヒサの視界に映る全ての物が黒く塗りつぶされるように消えた。深く、暗く、溶けるように全てが黒一色になった。
『え、なんで……』
突然のことにヒサは混乱し、大人を呼ぼうと振り返った。
『!?』
その瞬間、立っていた大人がヒサを押し倒す。突然の行動にヒサは驚くが、何故か声が出せなかった。抵抗しようにも、急に体が重くなって思う様に動かなかった。
『や、やめて……お願い……』
ようやく出た言葉も、掠れた声で上手く叫べなかった。いや、そもそもこの場に大人以外の人がいないので、そんなものは無意味だった。
大人はヒサの服を強引に脱がしていく。着ていた服はビリリと裂かれ、子ども用のタンクトップもパンツも、引きちぎるように脱がされて、彼女は裸にさせられた。
『あ、や、やだ……』
成長していない胸や毛の生えてない下腹部が露わになる。大人はそんな未熟なヒサの体を隅から隅まで味わうように唇で啄き始めた。豆粒よりも小さな乳頭を舌先で弄び、脇下を舐め回す。舌肉にまとわりついた唾液が彼女の体を汚していく。
『神様……お願いです……いい子にします…………だから、助けて…………』
ヌメヌメとした気色の悪い感触に襲われながら、ヒサは声にならない叫びを上げた。だが、誰も助けてくれない、助けることはない。
気がつけば、大人はヒサの陰部にまで舌を伸ばしていた。産毛すら生えていないつるりとした2つの丘に舌先をねじ込み、まだ熟していない蜜穴を啄く。うねうねと中で暴れる細いものは、ヒサに気持ち悪い刺激しか与えなかった。舌先の暴走は止まらず、尿口や尻穴にまで伸ばされた。
『なんで……どうして……』
性的な知識が薄い彼女でも、大人がやっていることが人として道を外していることは理解できた。だからこそ、わけが分からなかった。
なんで、いつも優しくしてくれる大人がこんなことをするのだろうか。どうして体を舐めまわすのだろうか。
『…………いや』
したくないもない妄想をして頭の中を混乱させている間に、大人がズボンを脱ぎ、下半身から醜い物を露出させた。子どものものとは比べ物にならない育ったそれは、大きく身を震わせて彼女の体を掠めた。
大人は、彼女の顔にそれを近づけていく。
『いや…………こんなもの…………咥えたくない…………いい子にするから…………お願いだから…………』
ヒサは恐怖で震えた。恐怖心で溢れる涙が目尻を伝う。だが、神様は彼女の悲痛な叫びを聞くことはなかった。
『んぐうぅ!?』
そして大人の下半身が彼女の顔を覆い尽くし、大きなものが口の中へと捩じ込まれた。大人のものはヒサにとっては大きすぎるようで、無理やり口いっぱいに開かなければ入り切らなかった。
『ふぐっ、ふごっ、んぐっ……ぐふっ』
醜い、臭いものが口の中を何度も往復する。ヒサのような子どもが咥えるにはあまりにも大きくて、顎が外れてしまいそうになる。奥に入り込む度に喉を塞がれて、上手く息ができない。
だが、大人はヒサの苦しさなどそっちのけで、何度も何度も、彼女の口から醜い物を出し入れさせる。普段の優しい態度からは想像できないほどに、今の大人は暴力的で、優しさの欠片も捨て去っていた。
『んぐっ、んんっ、ふごっ、ごふっ』
嫌だ、痛い、臭い、もうやめて、ヒサは涙を溢れさせながら胸の中で何度も叫んだ。
しかし、心に呟いたことなど届くはずもなく、大人はさらに往復運動を速めた。熟していない頬肉の中で、血管が浮き出るソレは硬く膨張する。唇とソレの隙間から、透明な涎が漏れる。
『ふぐ、んごっ……んぐぅぅぅぅぅっ!?』
大人は根元までそれを突っ込ませ、ヒサの喉奥で弾けさせた。温かく、ねっとりとしたものが咽頭を強制的にこじ開け、食道を流れ、胃の方へと落ちていく。醜い物が脈動する度にその量は増えていき、入り切らなかった分が口の端から漏れ出した。
『うっ……げほ、げほっ、げぼっ!』
引き抜かれたところで、ヒサは大きく咳き込む。生臭い味が口いっぱいに広がり、喉から逆流してきた分を咳と共に吐き出した。
それを見た大人は憤怒し、ヒサの頬を何度も叩く。手の平で、幼い肌を何度も何度も。
『痛い、やめて! ごめんなさい! もう零さないから、許してください!』
ヒサは必死に訴えた。頬を赤く腫らしながら、泣きながら謝った。
だが、大人の怒りは収まらず、とうとう彼女の下腹部にある縦割の唇に先端をあてがい始めた。これが何を意味するのかはヒサにも理解出来てしまい、血の気を引いて青ざめた。
『や、やだ……ごめんなさい…………もう二度と零さないから…………だから……むぐっ!?』
しかし、大人はそんな叫びを聞く耳すら持たない。それどころか、煩いと怒鳴って、彼女の口に自身の下着を押し込んだ。陰部から流れた汗、尿などが染み付いた下着は、鼻がもげそうな異臭をヒサの口いっぱいに広げた。
吐くにも吐けない状態のまま、大人の先端によって2つの丘が開かれ、中の秘密の穴とキスをする。
──誰か……助けて…………マサ…………
彼女は絶望しながら、今はまだ会えるはずもない彼の名前を呼んだ。
そして────
◇◇◇◇◇◇◇◇
町の端っこにある、閑散とした住宅街。やけに埃っぽくて、細い道の壁にはスプレー缶でアートチックな落書きが絵が描かれていた。陰湿でジメッとしているという言葉を現に表したかのような場所だ。
そして、錆びた建物の並びにある、とっくの昔に住民が消えたはずの捨てられた古いアパートの一室。そこの4号室で、マサ達は暮らしている。辺りには草が生い茂り、植物の蔦がアルミ製の階段に絡まっていて、硬い壁には黒い亀裂がいくつも入っている。その有様は正に廃墟と呼ぶに相応しいもので、いつ取り壊されてもおかしくない。しかし、手続きやらで躓いているのか、未だに取り壊される様子はなかった。
寝室として使っている部屋で、マサ達は放置されていた布団やタオルケットを使って眠っていた。電気やガスなんてものが通っていないうえに、何年も放置されているせいか、部屋の中には砂や埃、割れた窓の破片などが散乱していた。そんな状態なので、当然のように害虫達も同じ屋根の下で同居していた。
だが、マサ達にとっては少しでも雨風を凌げるだけでもこの場所の存在は有難かった。割れた窓も、拾ったダンボールを使って塞げば雨粒避けにはなる。
「……」
今日は雨は降っていない。雲がない空が暗色に染まり、夜の虫が鳴いていた。
そんな夜分に、ヒサはタオルケットを胸から下にかけながら天井の室内灯を眺めていた。既に電気は流れていないため、あの室内灯はもう何年も使われていない。黒ずんだようにも見える汚れが、そのことを彼女に教えていた。
「(……また、か)」
ヒサは左手の甲を額に当てると、滲み出た汗を拭い、小さく息を吐いた。
彼女は時折、あの場所の夢を見ることがある。それは脳に残った記憶をもとに勝手に作りあげた妄想のようなもので、やけに生々しく、夢の中に沈む彼女をあの頃に引き戻していた。
実際の時間はせいぜい20分程度しか経ってないのだが、夢の中はまるで何時間も経過しているかのような感覚を与えていた。そしてその夢の最後は、必ず『あの大人』が現れ、彼女を襲った。何度も見てきた夢なので、彼女は怯えることもなく、ただまた見てしまったと息を吐くだけだった。
その他はぼんやりとしているくせに、最後のシーンだけは妙にリアルで痛みが襲ってくる。目を覚ました後は必ず口の中が気持ち悪さに包まれ、陰部にチクリとした痛みが走る。まるで過去にやられた行為を、体が記憶しているかのようだった。
「…………?」
ふと、ヒサは視線を横に逸らす。すぐ側では、この部屋に残っていた布団の上でくっつくように眠るタケとマイの姿がある。その姿を見て、とりあえずは一息つく。
本来ならタケとマイの隣、挟んで向こう側でマサが寝ているはずだ。だが、そこに彼の姿はなく、無造作に捲りあげられたタオルケットのみが残っていた。
ヒサは体を起こし、周囲に視線を向ける。寝室には彼の姿はなかった。体を起こし、穴の空いた襖扉をそっと引いた。
すぐ隣の部屋には、画面の割れたブラウン管テレビやテーブルだったものが放置されている。マサ達は主に食事場として使っていた。水道なんてものはとっくの昔に流れていないため、今でも使えるものは皿程度だった。
そして、外皮が所々剥がれた古いソファに座るマサの背中を目に映した。前に拾って直した懐中電灯を使っているようで、彼の正面がぼんやりとした光で照らされていた。
「……マサ、何をやっているんだ」
「んんー、あー、起きたのかー」
ヒサが声をかけると、マサは振り向くことなく呑気な声で返した。
「どうした、寝れないのか。お前らしくもない」
「俺らしくないは余計だろ。まあ、寝れねえわけではねえけどよ。ちょっとした夜更かしだ」
そう言うと、彼は手元の何かを捲った。不思議に思ったヒサはソファに近づき、手元のものを見た。彼が読んでいたのは、今日、タケが長達の手伝いの報酬として譲り受けたエッチな雑誌だった。しかもちょうど過激なページを開いているようで、下着すらつけていない女性が、乳首や陰部を男にまさぐられながらアクメ顔を晒していた。
「お前…………」
「別に怒らなくていいだろ。俺はもうこういうのを読んでいい年だし、タケも暫くは読めねえんだから、勿体ねえだろ。あと、怒るなら朝にしてくれよ。タケ達が起きるだろ」
ヒサは言いたいことを飲み込む。
タケに渡されたエッチな雑誌は、結局『お前にはまだ早い』ということでヒサに没収されてしまった。その事にタケは抗議し、ついでによく分かってないマイも乗っかるように追撃していたが、マサが弁当のおかずを分けたことですっかり大人しくなった。林檎で口の中を甘みでいっぱいにした。ジュースは一口飲んで以降、飲まなかった。今は、久々にお腹いっぱいに食べれたことを幸せに感じながら寝ている。
「用がねえなら寝ろよ。明日があんだろ」
タケはまた頁を捲る。しかしヒサは戻ることはなく、無言でタケの隣に座り、雑誌を覗いた。雑誌の中では、ヒサよりも大きな胸を持った女性が、後ろから伸ばされた手に乳頭を摘まれながら、激しく腰を突かれていた。
「漫画は?」
「もう読んじまったよ。相変わらず面白かったぞ」
「…………お前は、こういうので興奮するのか?」
「……するだろ、そりゃあ」
「こういう女がタイプなのか」
「別に」
「……胸が大きい女が好きなのか?」
「……そういうこと、お前ぐらいの年頃の女は普通は訊くもんじゃねえぞ」
ヒサは視線を自身の胸に向ける。そんな彼女を横にマサは次の頁を捲った。先程の女性が載せられており、今度はベッドの上に寝転がり、男の肉棒を豊乳で挟んでいた。
「…………なあ」
「なんだよ」
「……悪かった。お前が盗んだなんて疑って、首を絞めてしまって」
「……別に怒ってねえよ。疑われるのは慣れてるし。俺も悪かったな。おめえのことゴリラだの乳首黒いだの言ってよ」
「いや、いいんだ。そのことは。私の乳首が黒いことは事実だからな」
何を言ってんだお前と、2人の間に沈黙が生まれ、紙が擦れる音が小さく響く。
豊乳に挟まれていた肉棒の先から精液が放たれ、女性の顔を白濁に汚していた。女性は嬉しそうに笑いながら精液を口元から垂らしていた。唾液を飲む音が2つ鳴った。
「…………だから寝ろって」
「いや、そうしたいが……夢見が悪くてな」
「……また見たのか」
マサが視線だけをヒサに向け、ヒサは頷いて肯定した。
ヒサはマサに拾われてから何度もあの悪夢を見ていた。そういうのもあって、昔は2人でくっついて寝ることが多かった。
「昔は怖ぇからって、俺にくっついてたもんな、お前。少しは男の俺の気持ちにもなれってんだ」
「ああ、すまない……けど」
お前は1度も拒絶しなかったな、そう言おうとしたが、これ以上はマサが不貞腐れると思い、飲み込んで腹の中に溶かした。
マサが頁を捲る。今度は別の女性になり、内容も陵辱ものへと変わっていた。それを見た瞬間、マサはサッと頁をまとめて捲り、近親相姦(嘘)ものまで飛ばした。
「なぜ飛ばしたんだ? 別に飛ばす必要はないだろう?」
「うっせー、別にいいだろ。俺の好きにさせろよ」
ヒサはマサの不自然な行動に首を傾げた。いつもの彼なら、こういう雑誌は隅から隅まで読破するはずだ。なのに、どうして今、わざわざ頁を飛ばしたのだろうか。いや、前にも確かこんなことがあったような気がする。ヒサはタケを見つめながら、ひとつの答えに辿り着いた。
「……私に気を使っているのか?」
「……」
「……私の夢のことで、気にしているのか?」
「…………」
マサは何も答えない。だが、ヒサにはそれが肯定であると分かった。
生まれて間もなく、生みの親から捨てられ、山奥に隔離されたあの場所に拾われて育てられたこと。
親というものを知らないまま、同い年の子供たちと暮らしていたこと。
規律が厳しく、破れば大人達から罰則を受けたこと。
それでもヒサは挫けず、家族同然なみんなのことを妹弟のように守っていたこと。
みんなが旅立ち、自分もいつかはいい大人に拾われると信じてやまなかったこと。
…………それを裏切るかのように、信じていた『あの大人』に襲われたこと。
目が覚めたあと、口の中に生臭いものが残り、下腹部には裂けたような激しい痛みが走っていたこと。
自分が何をされたのか、知識が浅いながらもそれを理解してしまい、絶望したこと。
その後も、他の子どもたちに手を出さないことを条件に、『あの大人』から『そういうこと』を強要され、毎日のように相手をさせられたこと。
いつも素敵な家族に囲まれる絵を描いていたのに、あの日以来、黒く荒んだ絵しか描けなくなっていたこと。
『あの大人』が自分の引取り人に選ばれてしまい、地獄の日々が確定してしまったこと。
それが原因であの場所から逃げ出したこと。
当時のヒサは、そのことをマサに話していた。夢に魘される度に、大人にやられた凄惨な行為を嘆くように話した。話すことで、彼女は正気を保つことができたのだ。
「…………すまない」
「謝るなよ、お前が謝ることじゃねえよ。何にも悪いことしてねえだろ、なのに謝るんじゃねえよ」
マサは静かに怒るようにヒサに視線を向けた。ヒサは悲しむような瞳で、疲れた微笑みを浮かて言った。
「…………運が、悪かったんだ」
現実なら子どもにあんな酷いことをする場所が
『あるはずがない』
『あってはならない』
『あったとしたら既に世の中が、社会がその存在を許さない』
『絶対に根絶させるべき存在』なのは間違いない。
だが、彼女は運悪くそれが許される世界に生まれ、運悪くそのような場所で育ってしまい、運悪く大人の餌食になった。全ては『運が悪かった』、そう結論付けをすることで、彼女は自分の受けた全てのことを無理やり納得させた。
「…………無理すんなよ、お前」
「してないさ……してない」
そう、していないんだ。そう言っているはずなのに、苦い塊のようなものが喉に詰まる。
「辛いなら辛いって、理不尽だって、最悪な気分だって、素直に言えやいいじゃねえか。誰もお前を責めやしねえよ」
目は合わせずに、マサは静かな声色で言った。ヒサは「ああ……」と詰まるものを吐くように答えた。
「…………責めるような奴がいたら、俺がぶっ飛ばすからな。俺にできるのは、そんぐらいだからよ。だから、俺の前くらい、我慢すんなよ」
荒々しくもない、怒っているようで慰めているような彼の言葉を、ヒサは聞き取る。
ダンボールで作った小さな彼の家で寄り添い合いながら寝ていた頃も、同じような言葉を言ってくれたことを彼女は密かに思い出す。
泣き喚く自分の頭と体を彼の手が慰めるように包む。あの場所で、自分があの子達にしていたように。
その時に彼の胸に耳を当てた、冷たい空気に逆らうように、温かい体温と胸の鼓動が今も残っている。ドクン、ドクンとした音が彼女の恐怖心を和らげていた。
きっとその時から、ヒサの中にはマサに対して不思議な気持ちが湧いていたのかもしれない。
「…………マサ」
「だから、さっきからなんだよ。もういい加減寝ろっつってんんんっ!?」
イラつきが募ったマサは雑誌から視線を外してヒサに顔を向ける。瞬間、マサの言葉はヒサの唇によって遮られた。彼女の唇はマサの唇を吸い込むように食らいつく。
「ん…………んっ」
「んー! んー!」
マサは雑誌と懐中電灯を床に落とし、抗議するように唸りながら身動ぐ。だがヒサはそれを無視するかのようにキスを続け、とうとう彼の結んだ唇をこじ開け、舌先を中への挿入させた。
短時間とはいえ眠っていたのもあって、歯を磨いたはずの彼女の口は苦かった。その苦みが唾液となってマサの口の中へと注がれ、共有されていく。嫌でも彼女の唾液を飲み込まざるを得なかった。
舌先が畝り、味わうようにマサの歯茎をにゅるりと撫でる。抜け出そうとする彼の体をヒサは両手でがっしりと掴み、離そうとしない。
「んんっ…………あっ…………」
強めのキスを1つしたところで、ヒサは唇を離した。聞いたこともない色っぽい息遣いを漏らし、唾液を舌先から垂らした。瞳は涙で潤み、入り込んだ僅かな光を跳ね返して妖艶に光っている。
マサは突然の行動に困惑しつつ、何とか口を開いた。
「な、何やってんだよ、お前。マジでいかれたのか」
「…………マサ、1つお願いがあるんだ」
「な、なんだよ」
ヒサはマサの目を真っ直ぐと見つめ、ねっとりと口元を開ける。
「私を……私の中を、お前で埋めて欲しい」
「は?」
埋めるってなんだよ、マサは訳の分からないヒサの言葉に思わずそう返した。
「言い方が悪かったな。そうだな……私の体をお前で満たして欲しい、の方が分かりやすいか」
またもやよく分からない言葉にマサは眉を顰める。しかし、数秒してからその意味が分かった。
「……んだよそれ、どっちも遠回しに言い過ぎだろ」
「直接言うのは、恥ずかしいんだ」
「いきなりキスかます奴が言うセリフかよ。順番逆だろ。つーか、なんだよそれ。お前、自分が何言ってんのか分かってんのかよ」
「分かっている。分かった上でお前にお願いしているんだ」
「バカ、大バカ野郎。そういうことを軽々しく言うんじゃねえ。なんでお前はいつもそうやって自分の傷つくようなことばっかやんだよ。あといい加減離れろよ」
マサは両手でヒサの体を押して離れさせようとする。だが、ヒサは動じることなく、彼の手を掴んだ。
「違うんだマサ。私は、本当にお前と…………」
ヒサの口から言葉の続きが出てこない。だが、ギュッと握る手と眼差しによって、言いたいことは伝わっていた。
「……お前、マジでやめろよ……そういうので嫌な目にあったんだろ。ずっと震えて、怯えて、泣くぐらい、痛くて酷い目にあったんだろ」
「ああ、あった。今でも、あの光景は残ってる」
「じゃあ、なんでこんなことやれるんだよ」
「あそこで鍛えられたからだろうな。忍耐だけはあるんだ」
ヒサは冗談ぽく笑った。「普通は笑えねえよ」とマサは力を抜き、項垂れて呟く。
マサは生まれた時からヒサのいた場所とはまた違った境遇で育った。親も知らず、外で暮らし、残飯を漁り、生き方を模索するように生きていた。そのせいもあって、普通の子どもが学ぶようなことは学べていない。ヒサと違って礼儀正しくもないし、勉強も全くできないし、この歳になって漢字もあまり読めなかった。修理屋のおっちゃんから貰った小説なんて、改行が少なく、文字が敷き詰められていてもっと読めない。分かったのは、主人公の男2人のカタカナ名前と、タランチュラみたいな感じの単語と、コインロッカーと、ヒロインらしき女の花っぽい名前だけ。内容なんてものは全く理解できなかった。
けど、そんなマサでも、ヒサが受けた屈辱の残酷さは理解できたし、歳を重ねるごとに彼女の嘆きが自分にはどうにも出来ないことだという事実に苦しさも感じていた。
ヒサは両手でマサの手を優しく握り、細めた瞳を彼に向ける。そして一息ついて、ゆっくりと口を開く。
「マサ。私は、お前のおかげでここにいる。あそこでの生活しか知らない私に、生きる場所を与えてくれたのはお前だ。そんなお前にだから、私はこの体を預けてもいい…………いや、預けたい。預けさせて欲しい。私の過去の傷を、お前に塗り替えて欲しいんだ」
ヒサは思いの一部を孕んだ言葉を投げた。直接的な言葉を使わないのは、ヒサ自身が彼に対する感情がどういう物なのか、この時点でも曖昧なことを表していた。
「……怖くねえのか」
「怖いさ。怖いに決まっている。さっきのキスだって、あの時の記憶がちらついた。でも、相手は『あの人』じゃない、お前なんだ。そう考えたら、自然と楽になれたんだ……だから、この後も、多分…………」
タケにはまだ早いだの厳しくしてたくせに、自分はこうしてマサに迫っている。そのことに少しの後ろめたさを感じながらも、ヒサは一歩も引かなかった。
マサは目を逸らし、しばらく暗闇に視線を向けた末、大きなため息を吐いた。
「…………病気になっても知らねえぞ。俺ら、ほけんしょーとかいうの持ってねえんだからな」
「……しっかり公園の水で洗ってるから…………多分、大丈夫だ」
「……やばかったら、言えよ」
マサがちらりとヒサを見る。ヒサは緊張した様子でマサを見つめ、ほんの少しだけ頬を緩めた。
2人の鼓動が、これからすることへの不安と緊張で少し速くなっていた。
「…………で」
「……で?」
「いや、どうすんだよ、このあと。俺、流石にやり方までは知らねえぞ」
「……え」
「え、じゃねえよ。まさかお前も知らないのか?」
マサが訊うと、ヒサは気まずそうに頷く。
確かにエッチな雑誌を読むことは度々あるし、今まさにマサは読んでいた。だが、本番もなると話は別だ。
「キスしか、まだ分からない……」
「……しゃあねえ。見様見真似でやるしかねえ」
そう言うと、マサは床に落とした雑誌と懐中電灯を拾い上げ、初めにやることを決めようとする。しかし、捲れば捲るほど、目の前で首を傾げて待つヒサに対する罪悪感が増した。
「…………悪い、お前が決めてくれ。なんか、俺が選んでお前にやらせるのって、すげー気分が悪くなる」
「……わかった」
ヒサはマサから受け取ると、頁をペラペラと捲った。捲る度に顔は赤くなっていく。
「…………よし」
ヒサは雑誌と懐中電灯を放り、纏っている上服を脱ぎ始めた。両手で裾を掴み、裏返しながら脱ぐと、下着に包まれた豊乳が姿を現した。雑貨屋のおばさんがお古でくれた下着で、ヒサにとっては少しだけキツかった。そのためか、ブラジャーの端から収まりきらなかった乳頭がはみ出ていた。
「ブラつけて寝てたのか、苦しくねえのか?」
「かなりな。けどおばさんが、胸が崩れないように付けて寝た良いって言ってた」
「ほんとかよ、それ」
ヒサは後ろに手を回すと、背中のホックを一つ一つ外していく。慣れていないせいか、かなり手こずっている。
「…………マサ、すまないが外してくれないか」
「ぅぇ、なんで……まあ、いいけどよ」
ヒサが両手を上げると、マサは両腕を彼女の脇下に通し、背中のホックに手を伸ばした。体が密着しているせいか、彼女の胸が彼の胸板に少し当たっていた。
気がつくと、至近距離にヒサの顔があった。いつもこのくらいの距離では何とも思っていないのに、何故か今だけは凄い緊張がマサを襲った。ヒサの吐息が顔に降りかかり、肌を撫でる。マサは焦るように外していく。
「よし、とれた」
全てを外し、マサは一旦離れる。ヒサはありがとうと言うと、するりとブラジャーを脱ぎ、隠れていた2つのものを揺らした。
ヒサの胸は、タケが貰った雑誌の女性と比べると小さい。だが、同じ年頃の女の子の中では、いや、大人の女性から見てもかなり大きい部類だった。重力に負けて垂れ下がるようなことはなく、胸上から胸下にかけて見事なまでに綺麗な山の形をした豊乳である。隆起の先には、黒い乳首と乳輪が付いていた。
「…………お前、結構デカかったんだな。ふつー、俺らみたいな生活してたら、そーいうのって育たねえらしいぞ」
「自分でもそう思う。けど、育ってしまったんだ」
「……下着っていくらなんだ?」
分からない、とヒサは返す。だよなぁと言いながら、マサは視線を胸に向けていた。やはり死んでも彼は男の子であり、目の前に出された生の乳には目がいってしまうようだった。その視線にヒサはもちろん気づいていて、少し頬を赤くした。
「……も、揉むか?」
「は、何言ってんだよ」
「さっきから揉みたそうに見てるだろ」
「べつに揉みたそうになんてしてねえよ……」
と言いつつ、マサは大きいヒサの果実をチラ見していた。視線を戻すと、瞳を向けるヒサと目が合う。
マサは唾を呑み込んで喉を鳴らすと、ゆっくりと両手を上げて彼女の胸に手を伸ばした。
「んっ…………」
五本の指、両手合わせて計10本の指が、ヒサの豊乳の表面に触れる。触れた瞬間に肌の表面が歪み、指が胸の脂肪の中へと吸い込まれる。手の平が黒い乳頭と乳輪を覆い、少しの刺激がヒサに曇った声を漏らさせた。
マサはそのまま手を動かし、ゆっくりと胸を揉み始める。ボールを握るように指の先が肉を掴んで沈み、沈んだ肉は彼の指に柔い弾力を跳ね返す。その度に、ヒサの体に微量の痺れる感覚が走り、軽い喘ぎをさせた。
「んっ……あっ…………んぁっ」
揉みなれていないせいか、マサの手つきはぎこちなかった。しかし、その加減の下手さがヒサの乳房に不規則な刺激を与え、痺れるように身体を微動させる。
マサは指先を下乳に潜らせ、締め付けられたことで出来た赤い跡に触れる。そして手の平を揺らし、遊ぶように乳袋をふるふると震わせる。両方合わせて軽く1キロ以上はあるヒサの胸の重さが、マサの手の平全体に乗っかった。谷間が汗で蒸れていて、瑞々しく指を滑らせる。
「重いな、これ。こんなの毎日ぶら下げてるのか」
「ああ、んっ……結構肩にくるんだ。昔はこんなに大きくはなかったんだがな」
いつの間にか膨らみ始めて、気がついたらこんなに大きくなっていた。着ていた服が突っかえるようになって、乳首が擦れて痛くなった。
それについてくるように、陰部からも血が流れ始めた。頭に鈍い痛みが、下腹の辺りに下るような痛みが、脇腹付近に締め付けるような痛みがそれぞれ走るようになった。後からおばさん達から教えてもらったが、それが月経であり、子どもを産むための現象だとヒサとマサは初めて知った。
「そういやびびったよなー、腹痛いって蹲ったかと思ったら、股の下が血だらけになってな」
「あの時は、自分でも何が起きたのか分からなかったんだ。ただ痛くて、気持ち悪くて、食べたものを全部吐いたな」
そういえばあの時のマサ、『ヒサが刺された!』なんて言って私を抱えておっちゃんの家に駆け込んでいたな。そう言ってヒサは微笑み、マサは知らなかったんだよと苦笑した。
「…………もうそろそろいいか?」
「あ、おう、ごめん」
マサはヒサの胸から手を引っこめる。気まずい沈黙が来る前に、ヒサが口を開いた。
「マサ、下を脱いで寝転んでくれ。今から胸でお前の……あれを挟む」
マサはズボンを蹴るように脱ぎ、パンツを床に放りなげて、言われた通りに横になる。ソファの手すりを枕替わりにして、ヒサに下半身を向けた。
ヒサは彼の足の間に入り込むように潜ると、股間部に豊乳を乗せる。やや硬めで弾力のあるものがマサの太腿の上で形を変える。乗っかるヒサの乳熱がこそばゆくて、マサは少しだけ腰を震わせた。
「……いつの間に剥いたんだ?」
「けっこー前、皮被ってるとゴミ溜まって痒いんだよ」
ヒサの目の前では、マサの肉棒が陰毛に包まれながら露わになっている。昔はタケのチンチンと同じように先っちょまで皮を被っていたのに、今はずるりと皮が剥けて、分厚い亀頭を露出させている。おまけにエッチな雑誌を読んだせいか、はたまたキスをしたせいか、肉棒は天井に向かって真っ直ぐに勃起しており、肌よりも赤黒い体を膨らませていた。その姿に、ヒサの頭は勝手にあの時のモノを思い浮かべた。
「……嫌なら、やんなくていいぞ」
「いや、大丈夫だ」
そう、目の前にあるのは、あの時あの大人が捩じ込んできたものじゃない。ずっと一緒にいたマサのものなのだ。
「…………はむっ」
ヒサは肉棒を掴んで支えると、少しだけ吐息を吹きかけ、唇で咥えた。初めは亀頭を頬張るように包み込み、徐々に根元の方へと口を滑らせる。ねっとりとした唾液が乾いた肉棒の表面を潤していく。
「あっ、あ…………」
肉棒が呑み込まれていく光景を、マサは痙攣したかのような声を漏らして見ていた。自分の大切な相棒でもある陰部が、いつも隣にいたヒサの中へと呑まれていく。味わったことなどない未知の感覚に、マサの頭は早くも茹で上がりそうになる。
「んっ…………んんっ……!」
しかしそれはヒサも同様で、マサの肉棒の苦い味に頭を白くさせる。いつも尿を排泄しているこれを、どうして雑誌の女性達は平気で咥えることができるのだろう。
「んぐっ、ふぐっ…………んっ、んんっ」
だが、そんな疑問もすぐに唾とともに胃の中へと溶けていった。根元まで咥え、陰毛に鼻先を埋めながら、ヒサは頭を動かし始める。
「あ、お、ヒ、ヒサ…………」
口の中は唾液でべっとりと濡れきっており、肉棒はその中を滑り込むように出入りする。表面が口内の柔らかな頬肉に愛撫される感触に、マサは早くも腰を引かせた。
「ちょ、ま……」
「んぢゅ、ぢゅるっ、んふっ……ふっ、ん!」
「おぁぁっ!?」
マサは上ずった声でヒサを呼ぼうとするが、軽い噛みつきで代わりに吠えてしまう。
そんなマサを嬲るように、ヒサは口動を続けた。彼女は今、肉棒の味に発情している。苦くて普通なら吐きそうになるのに吐き気なんてない。それどころか、もっと味わいたいと舌を畝らせて、滓を絡めている。
「はむ、んぐっ……ふっ、んぇっ……ん!」
頭の動きは大きくなり、水気のある音がより激しさを増す。ヒサの脳が目の前の肉棒を喰らえと訴える、抑えていた彼女の中のものが嗚咽とともに溢れてくる。
「ちょ、待て。マジでま…………あがっ!?」
あまりの快感にマサは困惑し、ヒサの頭に藻掻こうと手を伸ばす。しかし、ヒサが鈴口に舌先を捩じ込んだことでその動きは遮られる。伸ばした手が空を切り、勝手に背中が仰け反る。
ヒサは亀頭裏を数回撫でた後、ちゅぽんという栓を抜くような音を立てながら肉棒を引き抜いた。
「……静かに、タケ達が起きてしまうだろ」
「あ、悪ぃ……」
細い目の奥に潜む瞳がマサを捉える。
「うん、これならいけるな」
ヒサは乳を持ち上げるように掴み、左右に開いて肉棒を挟む。柔らかい膨らみがマサのものを包み込み、肉の海へと沈める。
マサが柔らかな感触に痺れるなか、ヒサは豊乳を上下に動かす。唾液でコーティングしたおかげで、肉棒はつっかえることなく谷間の中を泳ぐ。
「や、やべぇ……なんだよ、これ。ちんこが……溶けちまう」
谷間の籠る熱が肉棒を溶かすような快感を与え、マサを悶えさせる。ヒサは目を閉じて、はみ出した亀頭の先を舌肉で撫でながら、両手で乳輪辺りを掴んで根元から冠に向かって絞り上げる。何往復にも渡る彼女の乳圧に、鈴口から透明なものが溢れ出す。
苦く、粘ついていて、舌に絡まる味。
ヒサの脳裏に焼き付き、消えることのない傷となって残り続けるあの味に酷似していた。これはその前菜のようなもので、主菜のあれはもっと苦かったはずだ。
──けど、今は違う。
今は、自分から望んで彼のものを咥えている。そしてこの苦味も、粘付きも、全てに舌を鳴らしている。無理やりなんかじゃない、自らがマサのものを求めているのだ。
「ん、はむっ、ぢゅる、ん……んちゅ、あっ」
豊乳を巧みに操りつつ、ヒサは肉棒に何度もキスを交わした。滑りが悪くなれば唾液を垂らし、苦い汁が漏れれば掬いあげる。その際に出る卑猥な音が、2人の頭をふやかす。
「あ、やべ、ヒサ……で、出そう」
「ちゅ……そうか」
ヒサは口を離すと、どうして欲しいか、目線で彼に訊いた。
「……服、汚れっから、出来んなら口ん中に……頼む」
それを聴くと、ヒサは再度亀頭を口の中へ含む。丸呑みにするように、いつ出しても良いように頭全体を頬肉で覆い尽くす。
豊乳と口内、両方の熱によって、マサの肉棒は本当に溶かされてしまうかのような幻覚に陥り、体全体に快感が走った。
「や、やべ……で……!」
マサの腰が震え、臀が浮き上がる。
「んぐっ………………!」
同時に精液が尿道を這い上がり、亀頭先から逃れるように外へ飛び出し、ヒサの口の中を飛び跳ねる。
ヒサは顔を顰めるが、すぐに緩めて口を窄め、肉棒をさらに喉奥へと誘った。誘われた肉棒はぬるりと奥へと入り込み、胃袋へ目掛けて精液を垂れ流し続ける。
苦くて、粘ついていて、あの大人のものと同じ味。
なのに、なぜか癖になる生臭いマサの濃いものに、ヒサの脳は白く蕩けた。それはマサも同じで、彼の場合は完全に溶けた。溶けながらも声が漏れないように必死に口を結んでいた。
暫しの後、ヒサは口元を離し、谷間から肉棒を引き抜いて腰を上げた。ねっとりとした糸が谷間と肉棒の間に引かれている。ヒサは口の中に残った精液を舌で練り混ぜ、ゆっくりと嚥下した。
「マサ、大丈夫か?」
「や、やべーかも…………気持ちよすぎて、死ぬかと思った」
気持ちよすぎて、その言葉を聞けただけでも、ヒサは微笑みを零した。
だが、2人の夜はまだ終わらない。
ヒサは座った状態でズボンと下着を床に捨てる。
剃れていないために無造作に生える陰毛が露わになり、マサの視線がそこに固定された。マサも、ヒサの下半身を見るのはかなり久々で、前に見た時は毛は生えたいなかった。
「……俺も、上、脱いだ方がいいな」
マサは寝巻き代わりに着ている服を脱いだ。射精したばかりで力が入らないのか、途中途中で裾から指が離れてしまう。
お互い裸のまま、しばらくマサとヒサは無言のまま見つめ合う。小さかったのに、いつの間にこんなに大きくなったのだろうと、同じ言葉を心の中で呟いた。
2人の中に、これからやることへの不安がないわけではない。だが体は正直で、マサの肉棒は既に勃起していた。ヒサの肉弁も同様に、びしょびしょと濡れることで彼を迎える準備を整えていた。
「……なあ……怖いか?」
「……怖いな…………怖い…………でも、お前なら…………」
ヒサは指を伸ばして膣穴に触れる。古傷が残っているせいか、チクリとした痛みが陰部に走る。指先を中へ潜らせる。
破れた膜らしきものに触れ、『あの大人』の醜いモノを思い浮かべる。醜くて歪で、太くて赤黒いもの、そんなものがまだ初潮すら迎えていなかった彼女の体を弄んだ。
意識がない間、体の中はあれによって掻き回された。意識がなくとも、目の前が暗くとも、耳には咆哮と湿り気のある息が張り付いている。封じていたはずの記憶が蘇り、ヒサは身体を震わせる。
マサは彼女の手首に触れる。ヒサの体が跳ねて後退りしそうになる。だが彼は追うことはせず、ゆっくりと手を差し伸べる。
ヒサは体を戻し、指を引き抜く。引き抜いた手を伸ばし、マサの手に触れる。愛液で濡れる指を乾いた指が絡める。
「…………今度は俺、やるよ」
ヒサがこくりと頷くと、マサは手を繋いだまま体を前に倒して彼女に被さる。狭いソファの上で、彼女は少しだけ脚を開いた。
マサは他の穴と間違えないように、繋いでいない手を膣穴に触れ、少しだけ指で広げる。そして狙いを定めると淫谷に肉棒を押し当て、中へと押し込んでいく。
「んぁ……あぁっ…………」
沈む。赤黒い肉棒がヒサの丘の中へと沈んでいく。彼女の口肉で濡れた竿が肉の道を進んでいく。閉じた襞を亀頭がこじ開け、押し広げていく。固く結ばれたものが一つ一つ解れていく。あの大人に付けられた傷を、マサのモノがゆっくりと擦り上げていく。
「…………ぁ」
マサのモノがヒサの体に収まる。肌よりも柔らかく、頬肉よりも温かい膣内は、肉棒に合わせて肉襞をキツく絞めて吸い付き、畝らせることで快感を促す。
「……痛くねえか」
「……少しだけ」
「……怖くねえか」
「……怖くない」
「……気持ち悪くねえか」
「……気持ち良い」
鼻がくっつきそうな距離で、2人は短いやり取りをする。深い海のような色をした瞳が涙で潤み、マサの顔を映す。
マサは腰を引き、引き締まる膣内の肉を深い鰓で引きずり出すようにしてほぐしていく。愛液で濡れそぼっているおかげで、2人にそれほどの痛みはなかった。
「は…………あ、ん……あんっ……」
マサはゆっくりとほぐすように硬いものを出し入れさせる。肉と肉が擦れ合う水気のある音が静かに響く。
「や、べ…………」
「ふ、んんっ…………」
2人は頬を赤く染めながら、視線を交じり合わせる。
口に出さなくても、目と目を合わせるだけで互いの言葉を理解し合うことが出来た。
数回往復したところで、マサは一定のペースで体を揺すっていく。淫肉が出入りする肉棒を受け入れ、喰らいつく。
「あ、あぁ…………」
「ふ、ん……ぁ、んぅぅ……マサの……熱い……」
硬い竿が押し込まれる度に、ヒサは痙攣したように跳ねる。
「やべぇ、ヒサの中、すげぇ熱い……ちんこ、マジで溶けそう」
「わ、ん、私も………………火傷しそう……」
「なんだよ、これ……こんなの……ぅぁ」
「あ、あっ、んぁぁっ」
じんわりとした汗が体から噴き出し、雫となって伝う。伝ったものは互いの皮膚に染み込み、ぶつかり合うことで飛沫となって宙に舞う。
「ぁ、はぁっ、あっ! あぁっ!」
動きに慣れていくと、ヒサの声も抑えたものから喘ぎ声へと変わっていった。甲高く、怒った時よりも透き通っていて、湿りを孕んだ彼女の喘ぎが室内に広がる。
「お、おい、こら、声抑えねえとタケ達が起きるって……ぁ!」
「お、お前だって、んんんぅ! 全然抑えられてない……ぉぉん!」
お互いに静かにしろと罵り会う。そのくせに、握った手は絶対に離さず、体の動きは増すばかりだった。
濡れる肉が擦れ合い、汗にまみれた肌がぶつかり合う音が重なり、暗闇で響く。
──気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい。
ヒサの奥から湧いてきたのはそんな言葉だった。単純で、単調で、たった数文字の言葉。だが、これは今の彼女の気持ちを表すにはちょうど良いものだった。
「んっ、んふっ……ぁ゛、ぅ、あ゛……あぁっ、ふぁっ」
肉棒はほぐれた膣道を何度もピストンし、敏感な箇所を突き上げる。やっていることは大人の真似事でしかない、薄い知識で始めたことなのに、マサはどこを突けばヒサが喜ぶのかを既に理解していた。ヒサはその刺激に身を任せて、淫らに声を上げている。最早抑えることなど彼女の頭から離れていた。
「ん……マサ、向き……変えたい」
ヒサからの要望にマサは一旦腰をあげる。愛液でべっとりと濡れたマサのモノが、ぬるりと音を立てながらヒサの体から引き抜かれた。
ヒサは脱力する体を動かしながら、うつ伏せに姿勢を変え、彼に臀を突き出す。雑誌に載っていたように、後ろから突いて欲しいと訴えていた。
マサは膣穴に亀頭を押し付け、再び中へと挿入する。今度はゆっくりではなく、初めから勢いをつけて中の肉を突き上げ、激しく腰を揺らした。
「んはぁっ! あ゛んっ! あぁ゛っ! んぁ゛!」
媚肉が肉棒に擦り上げられ、引き抜かれると同時に愛液が外へと漏れる。ぐじゅぐじゅとした音と共にヒサの大きな悲鳴が四方に飛ぶ。
「はぁ、はぁ、あっ! ん゛んっ、あぁぁ゛っ!」
「はあ、やべー、声、抑えらんねえよ……こんなの、うぁっ」
これではタケとマイが目を覚ましてしまう、そう思ったマサは必死に声を抑えようとする。だが、肉棒を通って伝わる快感が電流のように全身に走り、理性を麻痺させる。腹の底から這い上がったものが喉を逆流して、口から雄叫びとなって吐き出されてしまう。
「はぁ、んぁぁっ! あっ! あんっ、あっ゛!」
マサはヒサの両手を掴み、背中を仰け反らせるような体勢にさせる。そうしたことで、マサとヒサの体はより密着し、肉棒先が奥深くへ挿し込まれた。
ヒサの奥はより温かく、蕩けるような蜜で肉棒を絡める。二度と離すまいと肉壁が竿に密着する。
彼女の髪が、揺れに合わせて乱れ咲く。
「マサ、マサぁ! あぁん!」
嬌声とともに喉奥から歓喜が駆け上がり、ヒサの中に眠っていたマサへの思いが脳天を貫く。
過去に受けた傷も、抱いていた恐怖も、今だけはどこかへ吹き飛んでいた。
「ヒサぁ、おれ…………おれぇ…………」
マサはヒサの体を抱き寄せると、そのまま彼女の両腕を拘束するように腕を回す。そして両手でヒサの豊乳を鷲掴みにし、沈んだ指で我武者羅に揉みしだく。
「ひゃんっ、あっ、ダメ……んぁ」
揉みしだきながら、ピンと立った黒い乳頭を親指と中指で挟み、捏ねるように潰して回す。マサも胸の揉み方なんて誰かに教えてもらったわけでもない。だが、彼の本能が自然と手つきをそうするように導いていた。
「はぁ、ぃ……あんっ、あっ」
腰が臀肉とぶつかり、ぱちんと愛液と汗を弾けさせる。
マサは体をずらして、ヒサの顔を覗く。彼女の顔は、快楽に浸って蕩けきっていた。
「んっ、んんっ……ちゅっ……れぇ」
2人は唇を重ねる。精液の生臭さも忘れて、マサとヒサは激しく舌肉を絡め合う。その間も、彼の手は乳房を搾り揉む。
「ん、んちゅ、むっ、んちゅ、ぇっ」
舌と舌が唾液の糸を引く中、マサは背筋にゾクゾクとしたものが走るのを感じた。肉棒に浮き出た血管に血液が巡り、先の方まで充血し、より硬く、熱くさせる。
無我夢中に貪り合う2人、この後どうしたいのか、既に両者の中で答えは決まっていた。
それに答えるようにマサは腰振りを速め、抱きしめる力を強めた。
「んちゅ、んんっ、はむっ…………あっ、あぁっ!」
激しく揺れるなか、ヒサは唇を離して甲高く喘ぎ、マサも荒らげた咆哮を上げる。
肉棒が奥に、より鋭く刺さるように突き上げる。奥に隠れる唇を幾度も押し上げ、精液を注ぐ準備を整える。
「はぁ、あっ、あっ…………あ゛ぁぁ゛ぁあんん!!!」
深くまで突き刺さると同時に、マサの肉棒は大きく膨れ上がり、赤色の子宮に向けてびゅるびゅると精液を吐き出した。ヒサにとっては1番敏感な箇所を突き上げられ、彼女もまた、絶頂を迎えて大きく喘いだ。
解放された子種たちはちろちろと畝る肉襞の群れに促されるように次から次へと外へ飛び出し、ヒサの体の中をあっという間に白く染めた。
「はぁ、はぁ…………」
ヒサは恍惚しきった表情で湿った息を吐きながら、お腹の中を満たすぽかぽかとした温かい熱を感じた。
しばらくして、2人は抜け殻のようにソファへと倒れ込む。
「……は、はは……こりゃあ、タケ達には見せらんねえな」
「……ああ、真似なんかされたら、大変なことになるな…………はは」
「なあ、これ、このあとどうすんだ?」
「寝る、しかないだろうな」
「……俺、今日はこのまま寝たい」
「……私も……今日はお前と離れたくない」
ヒサがマサの上に乗っかる形で、2人は絶頂の余韻に浸る。
その際、ヒサはこっそりマサの胸に耳を当てた。
彼の心臓は、昔と同じようにドクンドクンと脈を打っていた。その音が懐かしくて、ヒサはドキドキとしながら、眠りにつくその時までずっと聞いていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
とある日の夜のS町。
夜になると、この町はネオン色の光で照らされ、大人の町へと姿を変える。酒に溺れた大人達が騒ぎ、時には暴力と罵倒と痰を撒き散らす。外国人のねーちゃん達が、太ももまで短くしたスカートを捲って道を歩く男達を誘う。そして、暗い路地裏では、野良猫と鼠と浮浪者が残飯を取り合う。
ある者は娯楽のために、ある者は生きるために蠢く地獄のネオン街。そこから離れた場所にある川を囲むように造られた土手の上を、マサとヒサは歩いていた。のんびり散歩をしているわけではなく、マサがヒサの手を握りながら、足早に歩いていた。
「……マサ」
「…………」
ヒサはマサを呼ぶ。しかし、マサは振り返ろうとしない。振り返らない代わりに、彼はヒサの手をもっと強く握りしめた。そこにはあからさまな怒りが現れていて、痛いと思いながらも、自分が過ちを冒したせいだと、その痛みを受けいれた。
というのも、彼女は今日、誰にも言わずに1人で遠くの街に出て、大人の男達の相手をしようとしていた。相手というのは、デートの他に『そういうこと』をする意味も含んだ相手であり、ヒサは自身を使って金を稼ごうとした。ヒサのような歳頃の女の子を好むものはかなり多く、容姿も相まって、彼女は早々に声をかけられた。
騙されるように丸め込まれ、拐うように小さなホテルに連れ込まれ、剥がすように服を脱がされ、半ば強引に挿入されようとしたところで、長のホームレス仲間から話を聞き付けたマサが乱入した。
難いの良いフロントマンの拘束すら振り切ったマサは、部屋に押し入り、ヒサを喰おうとしていた男達の金的を蹴りあげた。
そして奴らが痛みで倒れている間にヒサに服を着させて、そのまま外に飛び出した。
後ろから数人の男達に追われる中、マサはヒサの手を握ったまま走った。
走って走って、街からできるだけ遠くへ、遠くへと、靴が擦り切れるまで。
そして今、追っ手から逃げ切ったマサ達は、ようやくS町に到着し、土手を歩いていた。川の水面は、町の灯かりを跳ね返していた。
「……マサ?」
突然、マサは速足を止める。ヒサがもう一度呼ぶと、今度はちゃんと振り返った。しかし、その表情は怒りと悲しみが入り組んでいて、今にも怒声を浴びせそうで、泣き出しそうでもあった。
「…………何やってんだよ、お前」
ようやく絞り出した低い声でマサは言った。
「なんで、あんなことしたんだよ」
「……」
「タケのためか?」
ヒサは黙ってこくりと頷いた。
「お前、自分がなにやってんの、何やろうとしたのか、分かってんのか?」
「……分かってる」
「分かってねえよ!」
マサの怒声が辺りに響く。彼の声が木霊し、それに反応したかのように、川の魚が1匹跳ねた。
「お前、あのままあのおっさん達に抱かれるつもりだったのか!? んな事してタケの為に金稼ごうとしたのか!?」
怒るマサからの問いかけに、ヒサはもう一度頷く。
ヒサが自分の体を犠牲にしようとしたのは、タケの治療費を稼ぐためだった。タケは数日前から熱が酷く、一向に下がらないでいた。本来なら病院で診察を受けた方が良いのだが、保険証なんてものを持っていないマサ達が行けば、かなりの額を請求されることになる。それ以前に、彼らが診察を受けれるのかすら怪しい。そもそも、彼らはこうなった場合の対処法を知らない。病院なんて、行ったこともない。
しかし、悩んでいる時間はなかった。大人達にこれ以上頼るわけにも行かない。けど、一刻も早く金を集めなければならない。そう考えたヒサは、今回のような手段に出てしまったのだ。
「……今日中にお金がいるって言ったら、今夜付き合ったら10万くれるって言うから……それだけあれば、ヤブ医者でも、タケのことを診てもらえるかもしれないと思って」
彼女の言葉を遮り、マサが顔を顰め、唾を吐きながら叫ぶ。
「バカっ! バカヤロウ! ああいう奴らが、そんな約束守るわけねえだろ! ああいうヤツらはな、1回やったらその後もずっとやり続けんだよ! やって、撮って、脅して、壊れるまで都合の良いように使い続けんだ! 俺たちみたいに身寄りのねえガキなんて、すげー都合が良いんだよ! いくらでも脅しようがあるし、なんならそのまま連れてかれてもおかしくねえんだ! 連れていかれて、壊れるまでやられて、知らねえ奴らの相手までさせられて、最後には捨てられるか売り飛ばされんだ!」
マサの怒りは収まらない。まるで体験したか、見てきたかのようなセリフを、ヒサに浴びせる。いや、怒りのように見えて、悲しみを叫んでいるようにも見える。現に、彼の表情は歪んでいるが、目は今にも泣きそうだった。
「お前は、下手したらお前は…………」
怒声がしりすぼみ、マサは一旦口を閉ざし、すぐに開いた、
「お前が帰って来なかったら、タケもマイもすげー泣くんだよ…………アイツら、また捨てられたって、置いてったって、喚くに決まってんだろ」
マサは手の力を弛め、ヒサから手を離す。ヒサは掴まれた手をもう片方の手で握りながら口を開いた。
「じゃあ……どうすれば良かったんだ。私は、どうしたら良かったんだ。このままタケを見殺しにできるわけがないだろ。でも、じっとしてもどうにもできないし、すぐにでもどうにかしないとダメだって、そう思ったから──」
悲しみと憤りを孕むヒサの言葉に、マサは口を閉じる。ヒサは我に返り、目を逸らした。
「ごめん、マサ…………けど、私には、これしか思い浮かばなかったんだ」
「…………」
マサは黙りをする。彼女が身を削ってまでタケを助けようとしたのに、自分は何をしていたのか。それどころか、怒りに任せて彼女を罵倒して、自分は何を考えているのか。自分への不甲斐なさと怒りに黙って頭を掻き毟った。
「……私の大事なものは、もうとっくの昔に奪われているから…………今更失うものなんて、ないと思ったんだ……悪い子なんだ……私は」
ヒサの声が震える。深い海の色の瞳が俯き、地面に雫を垂らす。
「……怖かった…………すごく、死にたいと思うくらい、怖かった…………怖いはずなんだ……すぐに逃げたかった………………でも、タケのためには、ああするしか……………………………………あれ…………どうして…………怖いはずなのに…………なあ、マサ……私は、なんでこんなことを…………?」
ヒサはその場で蹲り、嗄れた泣き声を漏らす。
壊れた機械のように涙が止まらない。
怖いはずなのに、怖いと思っていることでどうにかしようとした自分がいる。
矛盾、どうしてそんな矛盾な行動を取ろうとしたのか。それはタケの為だ。
けど、タケのためだというなら他にやれることはなかったのか。
何故、自分は傷つくような手段に手を伸ばしてしまったのか。
ヒサの頭はスプーンで掻き混ぜられたかのようにぐちゃぐちゃになっていた。
いや、きっと、もうとっくの昔に、彼女の頭の中は掻き回されていたのかもしれない。掻き回されて、原型もなくなって、ついには掬われて食べられたのかもしれない。
「…………私は、私、は……うぶっ……」
ヒサは呼吸を荒らげると、喉の奥から這い上がったものを吐き出す。
自分を呼び止めた男たちの声、それは『あの大人』によく似ていて、優しい声色の裏に異性の人間を喰らうカニバリズム的な狂気の面を隠していた。肩に触れたゴツゴツとした手が、獣のような臭さが、湿った臭い息が、貪ろうとする鋭い眼光が、今になって全てが自分の体を襲う。
「私は…………わたしは……………………」
「もういい……もういいって…………なんも言わなくていいから」
マサは膝をつき、ヒサの体を抱きしめる。
ヒサは救いを求めるようにマサに手を伸ばし、彼の体に抱きつくと、彼の胸の中で大きな声を上げて泣き始めた。
マサは彼女が泣く間、ずっと黙っていた。胸の中で彼女の嗚咽を全て受け止めながら、慰めるように、謝罪をするように頭を撫でていた。ヒサにとって、唯一体を許せるのはマサだけだった。
しばらくして、泣き終えたヒサをマサは背中に担いで歩きだした。彼女の体は拾った時よりも重くなっていて、特に胸の辺りの柔らかいものが彼の背中に潰れて貼り付いていた。
「……バカバカ言って悪かったな」
マサは籠もり気味に謝った。ヒサは目をぼんやりとさせながら、黙って頷いた。
「…………長がな、タケのためにすりおろした林檎を持ってきてくれたんだよ。雑貨屋のおばさんが分けてくれた奴を、修理屋のおっちゃんからタダで貰った手動のすりおろし器ですったんだってよ。そしたら、少しは楽になったみたいだぞ」
「そうか、長が……長にも、おばさんにも、おっちゃんにも感謝しきれないな」
「んな全員にしなくていいって。長だけにしろよ」
けど、誰か欠けていたらそんなことはできなかった。マサ達は、なんのかんの言って町の大人たちから支えられていた。冷めた視線を向けられることが多い中、自分達のことを気にしてくれる大人も、ちゃんといた。
「お前と初めてあった時も、こんな感じに運んでたよなー。て、覚えてねえか」
「……すまん」
「まあ、あん時のお前、ガリガリでそれどころじゃなかったからな」
あの日、チンピラの懐から掏った金で購入した缶詰を片手に上機嫌に歩いていたマサは、偶然にも道端で倒れていたヒサを拾った。当時の彼女は酷く痩せこけていて、瞳は何ものも跳ね返さないかのように真っ黒だった。
「あん時のお前さぁ、盗みはダメだの、悪い子は大人が迎えに来ねえだの、命の恩人の俺に対して散々言ってたよなー」
「……あの時の私は、あそこで教えてもらったことが全てだったんだ。だから、他の生き方なんて、知らなかったんだ」
「あー、あれか? 胃の中のカエル〇麻を吸わずってやつだろ?」
「…………井の中の蛙大海を知らず、だろ」
ヒサの修正に「うっせえやい」と返し、「俺は勉強とかやったことねえから苦手なんだよ」と続けた。
「けど、その通りかもしれないな……私は、何も知らなすぎた。マサに拾われなければ、今頃死んでいた」
「仕方ねえよ、知らねーもんは知らねーもん」
深刻そうに語ろうとするヒサに対して、マサは軽く返した。その軽さは優しく、彼女にのしかかるものを取り払った。
「…………あ」
途中、ヒサの腹の虫が鳴いた。
「飯は?」
「ああ、そういえば、まだ食べていなかったな……」
「あー、生憎、金は切らしてるしなぁ。まあ、小銭なら少しはあるから、駄菓子でも買ってくか」
「……もう、営業時間外じゃないか」
「……マジかー」
マサは天を仰いだ。そして、昔は食えない日が多かったのだから1食抜いても平気だろう、と言った。その言葉に、ヒサは弱々しいながらも笑った。
「……マサ」
「んー? なんだよ?」
「……お前が私を助けに来てくれた時、正直、嬉しかった。まるで、ピンチを助けに来てくれたヒーローみたいだった」
「……俺ヒーローものなんて見たことねえから、わかんねえや」
そう言うが、マサの顔はあからさまに照れていた。
遠い場所で輝く町あかりが2人を照らし、地面に長い影を作らせた。
しばらく歩き、土手を降りて住宅街に出た2人は、ようやく長達のいる公園まで辿り着いた。
彼らに気づいた長の仲間の1人が手袋を填めた手を振りながら、長を呼ぶ。すると、青いビニールシートの扉から、長と一緒に、家で寝ているはずのタケとマイが出てきた。
「あ、おいタケ。お前何やってんだよ。家で寝てなきゃダメだろ」
「だいじょうぶだよ。リンゴたべたらすこしらくになったから。それよりどこいってたの? ぼくたち、ふたりがかえってこないからしんぱいしてでてきたんだよ? おさのところにきたけどいないっていってたし、だからここでまってたんだよ?」
タケは心配そうな表情でヒサとマサを見る。
「だとよ、ヒサ」
マサはしゃがみ、ヒサを背中から下ろした。ヒサはよろめきながら、タケの体を抱きしめた。
「ヒサねーちゃん?」
「すまない、タケ。心配をかけたな」
「なんか、ゲロのにおいするよ? はいたの?」
「気の所為だよ」
「……ねーちゃん、ないてるの?」
「いや、泣いてない。泣いてないよ」
そう言いつつ、ヒサは一筋の涙を流した。
「まだ熱いな」
「なおってないからね」
「……じゃあ、明日は熱冷ましに効くものでも用意するか」
やっぱり、この子達を置いていくことなんてできない。
「……だ……だ」
「ん? どうしたマイ」
突如、タケの隣にいたマイが口を籠り始めた。
「……ま、まーま、ぱーぱ」
そして2人を指さしながら、そんな言葉を発した。
マサとヒサはきょとんとした表情でお互いを見合った。どうやら自分達のことを指しているらしい。
「お前ら、とうとう親になっちまったな」
長が揶揄うように笑った。マサは鳩が豆鉄砲をくらったかのような顔になり、すぐに上ずった声をあげた。
「マジで? 俺、親?」
「マイがそう言ったんだからそうだろうよ」
「いやいや、俺やったことねえし。親とか分かんねえぞ」
「私も……」
「ぱーぱ、まーま」
「だー、ちげえって。俺らパパじゃねえぞ」
「ぱーぱ!」
「かー、聞き分けできねーやろーだ。つーかそんな下品な言葉どこで覚えた」
そう言いつつ、マサは抱きついてくるマイを抱き上げ、俺はパパじゃねーと言い聞かせた。
ふと、ヒサはむかし描いていた絵を思い出す。外の世界に憧れて、素敵な家族に憧れて、彼女はそんな溢れる妄想を絵に描いていた。
今の光景はかなり違うが、少しばかり雰囲気が似ていた。
「まーま?」
マイから呼ばれたヒサは振り返る。マサに抱かれながら、マイの目はハッキリとヒサを捉えていた。
「まーま、まーま」
マイが短い手を伸ばす。気に入ったかのように「まーま」と言葉を繰り返す。
ヒサは立ち上がると、右手を伸ばして、マイの手に触れた。
ぷにぷにとしていて、とても柔らかく、温かかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「まーま? ねむいの?」
「……はえ?」
昼間、長達が占領している公園内。ここは長達が居座っているおかげか、悪い言い方をすれば居座っているせいか、子連れの親が訪れることは殆ど訪れることはない。そもそも、この公園自体が錆びれているため、この数年間は訪れようなんて親も子もいなかった。だから余計に長達にとっては住みやすかった。マサ達にとっても、タケ達を遊ばせやすい場所になっていた。
そんな公園内で、マサとヒサはベンチに座って、二人で遊ぶタケとマイの姿を眺めていた。
そして今、考えごとをしていたヒサは、突然マイに呼ばれてしまい、思わず気の抜けた声を漏らす。目の前では、マイが長からもらったスケッチブックを抱えながら、不思議そうに首を傾げていた。
「おい、どうしたんだよヒサ。さっきからマイが呼んでたんだぞ」
「え、ああ、そうなのか。すまない、考え事をしていたんだ」
しっかりしろよと、彼女の隣に座るマサは言った。
「どうしたんだ、マイ」
「まーま、これ、あげるー」
マイはスケッチブックに挟んでいた1枚の紙を差し出した。そこには、まん丸に細長い棒が下から刺さり、さらに棒から丸っこいものが4本生えていた。色は青色だった。その隣には、黒い色で同じような絵が、少し小さめに描かれていた。
「なんだ? これ?」
「まーまとぱーぱのえ」
青色はまーま、黒色はぱーぱと説明する。その説明を聴いたヒサは固まり、マサは「俺ちっせーじゃねえか!」と大声で笑った。マイは「ぱーぱ、チビ」と言って追い打ちをかけた。
「…………」
「まーま?」
「……ありがとう、マイ」
ヒサは目を閉じ、何かを内心で呟くと、マイの小さな頭を撫でた。少しだけベタっととした子供の髪がヒサの手でわしゃわしゃと乱れ、マイは嬉しそうに目を細めた。
「マイ、なにやってるの? あそぶよ?」
タケに呼ばれ、マイはすぐに振り返って彼の元へ走った。まだ走り方はぎこちなく、今にも転けてしまいそうだった。
マサは膝に肘を任せて体の前で両手を組み、走るマイの姿を目に映した。そしてそのまま、表情を見ることなく、ヒサに話しかけた。
「どうした、あんだけ呼んでも反応しねえなんて。なんかあったか?」
「……昔のことを、思い出していたんだ。お前が私を助けるためにホテルに乗り込んで、怒ってくれたことをな」
「あー、そんなことあったっけなー。俺、都合が悪いことは忘れちまうからなー」
「本当に?」
「マジだって…………あ、あれか」
「あれ?」
「お前が腹鳴らしたってのは覚えてる」
「それだけか?」
「それだけ、あとはなんも覚えてない。あっ、あとお前のおっぱいが背中に張り付いてた」
「…………」
「なんか言えよ」
丁度薄い長袖が似合う季節なのに、マサの体を季節外れな寒い風が通り抜けた。
嘘だ。マサは忘れてなんかいなかった。あの時のことは、ハッキリと記憶に残っている。タケのために体を使おうとして、それを連れ出して、彼女の気持ちを聞く前に叱りつけた。そして、叱ったことを激しく後悔していた。帰ってきてマイが初めて自分達のことをままだのぱぱだの呼んでくれたものだから、余計に忘れることはできなかった。
けど、ヒサにそのことを話すのは、何だか男として恥ずかしいと感じていた。何を恥ずかしがるのかと言われそうだが、歳相応の面倒くさい部分が、今更になってやって来ていた。
そんな彼の内心を察したヒサは、何も言うことなく静かに笑い、それ以上は訊かなかった。
彼女のヒーローは、言葉遣いの悪い不器用さんだった。
マサは話を逸らすように「タケ達、でかくなったなー」とわざとらしい口調で言った。
「ちゃんとしたところで育ってりゃ、来年で学校だっけか」
「そうなるな」
「はえーもんだなー、ガキの成長ってのは」
マサは子持ちの親のように、成長した2人を眺めた。
タケは、夜逃げをする中で家族に捨てられるように置いてけぼりにされた。いつも殴っては暗い場所に閉じ込めて、彼に閉所への恐怖心を植え付けたサイテーな奴らだ。だが、タケにとっては唯一無二の家族だった。その家族に置いてけぼりにされ、1人で路地裏を彷徨っていた。生き方なんて知るはずもなく、定食屋から出た残飯を野良猫と一緒に漁っていた。
マイは、真冬で寒さが酷い日に、公園の公衆トイレの中に捨てられていた。まだ母親のお腹から出てきたばかりの姿で、冷たい床に背中を凍えさせた。コインロッカーに捨てられた赤ん坊のように、彼女もトイレに捨てられた。けど、自分はここにいると、生きていると、個室を震わせるように泣き叫んだ。
そんな2人を、マサとヒサは拾った。
パン屋から貰ってきたパンの耳と食える雑草をひったくろうとしたタケを、マサは首根っこを掴んで黙らせた。そして家まで連れて帰り、食えるもんを分けて食わせた。拙い幼い言葉に隠れた悲しみを聞いて、マサは自分達の家に住ませた。
その日の食事をやっとの思いで手に入れたヒサは、トイレで泣き叫ぶ赤ん坊を偶然見つけてしまった。自分達のこともあるのでお巡りさんなんて呼べるはずもなく、かといって放っておけるはずもなく、悩んだ末に家に連れて帰ってしまった。デパートのトイレにいた子連れの母親を真似て、試しにおっぱいを近づけると、赤ん坊は出るはずもない母乳を求めて吸い始めた。2人はその子を『マイ』と名付けた。
タケもマイも、出会った頃よりも成長した。
タケは一軒家の窓を覗き込み、時々テレビから流れるヒーロー番組を只見している。この前は、電光なんとかリキッドメンみたいな感じの名前のソフビをマサに強請って、デコピン2連発をくらっている。
マイは話せる言葉が幾つか増えて、物事に対して何かと興味を示すようになった。この前は別の公園に勝手に遊びに行って、知らない子供達と遊んでいた。最近では、ヒサの言葉に時折癇癪を起こすことがある。
「けどよー、それって、やっぱフツーの家で生まれたやつらは当たり前のようにやってんだよなー。アレ欲しーっつって買ってもらったり、他の子供と遊んだりよ」
「フツーなんて、私達には分からないだろ」
マサとヒサは、生まれた時から特殊な環境で育ってきた。世間一般で云う普通と呼ばれる暮らしを、彼らは内容を知りながらも、どんな生活なのかまでは想像できなかった。
「……けど、このままの生活を続けるのは」
「さすがにキツいかー」
今いる廃墟も、荒れた時代が去ったあとは、いつ取り壊されてもおかしくない。そうなれば、タケとマイに野宿生活を強いらせることになる。金だって、そんなに沢山稼げるわけではない。そもそも、この町だって何時までもこのままなわけがない。そのうち、長達のようなホームレスは追い出されて、廃墟は次々に取り壊されて、彼らの居場所は無くなる。
そもそも、タケとマイと一緒に、このまま4人での生活が永遠に続くのか。いや、続かない。必ずどこかで躓く。きっと、今のままでは最悪の未来が待っている。それは、『フツー』を知らないマサとヒサも感覚的には理解していた。先のことを考える余裕なんてない生活を送ってきたはずなのに、燥ぐ2人を見ていたら、どうしても考えてしまう。
「けど、今は2人とも、学校に行く年齢じゃない」
なら、このまま一緒に暮らすよりも、然るべき場所に2人を引き渡した方が良いかもしれない。手遅れになる前に。あの場所よりも、もっといい場所に──
そう言いかけたヒサの言葉を遮るように、マサは「よし、決めた」と意気込むかのように膝を打ち、首を捻って彼女を見た。
「いっちょ目指してみっか」
「目指す?」と首を傾げるヒサに、マサはにっとしながら「フツーの生活ってやつ」と答えた。
「あ、お前、今何言ってんだこいつって思っただろ」
「それは……」
思ってない、とは言い切れなかった。
「分かってるって。今までこんな生活してきてんだ。俺だって自分で無謀なこと言ってるっつうのは自覚してる。けどよー、やっぱこのまんまじゃやべー気がすんだよ。タケとマイなんて、俺らが手ー離してみろ。一生恨まれるぜ? んなこと、死んでもごめんだ」
それに、と言葉を繋ぐ。
「俺、修理屋のおっちゃんから筋はいいって言われてんだ。勉強はできねえけど、ここ鍛えればいける気がするんだよ。物直したりしてよ。世の中、勉強できなくても生きてけるやつはいるんだからな」
楽観的、あまりにも無謀で滅茶苦茶な言い分。法律とか、住民票とか、そういうめんどくさいものだって絡んで来るのに、たかだか懐中電灯を修理できる程度の腕で、この先やって行ける自信がどこから来ているのか。
「俺たちは1度、底に落ちてんだ。底に落ちて生きてきたんだから、あとはどうにでもなんだろ」
いや、彼にとって、自信がどうのこうのという問題ではない。地の底はもう見た。あとはどうにでもなる。やれることはやってやる。死ぬ気で生きてやる。
そう訴える彼の瞳に、ヒサは逞しさを感じつつ、同時に一抹の不安を覚えた。
「…………お前の傍に……私はいるのか?」
私『達』と言えばよかったと、すぐに後悔する。案の定、マサはきょとんとした表情で「何言ってんだよ」と言った。だが、そこに怒りの感情は込められていない。
「当たり前だろ。家族を捨てるわけねえじゃん。そんなバカしねーよ」
「……家族…………」
家族という単語に、ヒサの胸の中心が疼いた。
掻き毟るような苦しいものではない。
ずっと欲しかったものが、実はもう傍にあったという事実。
幼い頃に想像していたものとは違って、けど、心の底から嬉しさが込み上げてきたこと。
それらが、ちょっぴりの恥ずかしさのせいで素直になれず、疼きとなって現れただけだった。
「俺、なんか変なこと言ったか?」
「いや、言ってない…………そうか、家族か。うん」
ヒサは何度も頷いた。何度も頷いて、マサからの言葉を噛み締めた。
さっきまで不安だったのに、いつの間にか、マサが言うようにやってみようという気持ちになり、彼女の中に気力が生まれていた。
「まーま! ぱーぱ!」
「ねーちゃん! にーちゃん!」
2人の間に流れる不思議な雰囲気をかち割るかのように、興奮した様子のタケとマイが駆け寄ってきた。
「な、なんだよお前ら。なんか色々荒くねえか」
「まーま、ぱーぱ、ずるい!」
「は? なんのことだ?」
「とぼけないでよ、ぼくたちにないしょでひみつのあそびしてたんでしょ?」
「遊びってなんだよ」
「よるのあそび。おさがいってたよ。にーちゃんとねーちゃんがよるにやってたのは、ぷろれす?ごっこっていう遊びだって」
「……さっきから何言ってんだ?」
なあ、とヒサの方を振り向く。しかし、彼女は顔を赤くしながら俯いていた。その一瞬の間に、マサは『よるのあそび』と『ぷろれすごっこ』が何のことを指しているのかを理解し、長を睨んだ。
「恨むなよ。一応、それでもオブラートに包んで話したんだ」
「おいジジイ! 人様のガキに何教えてんだ!」
「そもそも子どもの前でヤル阿呆がいるかー」
「寝てたと思ってたんだよ、仕方ねえだろ!つーかエロ本渡した奴に言われたくねーよ!」
マサは長を睨みながら怒る。長はため息を吐きながら、無気力に片手に作ったOKサインの丸い穴に、もう片方の人差し指を出し入れしていた。
「ぱーぱ、おしえて!」
「にーちゃん! おしえて!」
「だーこのマセガキども! おめーらには10年早いんだよっ! 黙ってチンチン弄っとけ!」
「ないもん!」
「知るか!」
2人に迫られ、わーきゃーと騒ぐマサ。そんな彼らを、ヒサはベンチに座りながら眺めた。
ふと、空を見る。
あの場所の大人達の話では、ヒサが生まれた時の空は灰色に濁っていたそうだ。それは、その先に待っていた彼女の運命を示唆していたのかもしれない。
けど、今の空は、清々しい程に晴れていた。濁りもない、空色が広がっていた。それは、この先に待つ彼女達の運命を予言しているかのようだった。
「ヒサー、助けろー」
子ども2人にのしかかられたマサは、頼りない声でヒサに助けを求めた。ヒサはふっと笑うと、腰を上げて、3人の元へ歩いた。
後押しをするように、彼女の背中に風が吹いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
とある日の朝のS町。
町の広い四車線道路を、1台の軽トラックが走っていた。白いボディには、ところどころに黒い汚れと錆がついていた。車内では、90年代の日本を体験した人なら耳が腐るほど聴いたと答えるであろう有名曲が大音量で流れていた。
「で、お前の父ちゃんの話ってマジなのか?」
運転席に座る男が、ハンドルを握りながら助手席に座る後輩に訊いた。後輩は、スマホに視線を固定したまま答えた。
「マジらしいですよ、先輩。親父、そいつにひったくりから鞄取り返してもらって、そのお礼で金渡したことあるみたいです」
「へー、お前の親父さん、お人好しだなー」
先輩は笑いながらハンドルを左に回して左折し、狭い道に入る。
2人が話しているのは、このS町にかつて住み着いていたという孤児についてのことだった。
後輩の父親は、彼が生まれる数年程前にここに引っ越してきた。当時のS町はひったくりなどの軽犯罪が当たり前のように行われていた。彼の父も引っ越して早々にひったくりに狙われ、案の定鞄を取られた。そんな時に、偶然居合わせた男の子がひったくりから鞄を取り返してくれた。父親はそのお礼として1万円を支払ったそうだ。
その時の彼が、S町に住み着いていたという孤児だった。男の子は1人ではなく、女の子と小さな子ども2人で暮らしていたようで、町ではちょっとした有名人だったらしい。
しかし、その日以来、父親は彼に会うことはなかった。噂では時々耳にしていたが、生活圏が違うのか、はたまたタイミングが悪いのか、父親は彼に再会することはなかった。
「てかよ。普通そういうのって社会問題になるだろ? だって、子どもだけで生活するって、この国じゃ無理だろ。児童養護施設とか、そっちに連れてかれんじゃねえの?」
「さあ。でも、ここって昔は結構荒れてたみたいですよ。ネオン街とかいうので風俗とかも沢山あったし。夜逃げとかで逃げてくる人もいたみたいです。ホームレスなんて、公園一個を占拠してたとか。なあなあだったんでしょ」
「へー、こんな綺麗な町なのになー」
先輩はチラチラと、窓からの景色を見る。
後輩の話では、昔のS町の治安は最悪で、都道府県内でも最下位だったとのこと。しかし、今のS町は、昔から暮らしている住民も認めるほどに綺麗に整備されている。
犯罪率は低く、パトカーは巡回でやってくる程度。S町のネオン街と呼ばれた一帯も、今ではその面影を一切残さず、会社経営のビルや飲食店が建ち並んでいる。
町に残されていた廃墟や古屋は次々と取り壊され、駐車場や一軒家に生まれ変わっていた。
裏の世界を徹底的に潰したこの町は、過去の姿を残していなかった。
「お前、こんないい町なのに出てったのかよ」
「だって、息苦しいじゃないですか。こんな綺麗綺麗ばっかで、汚れなんて一切許さないみたいな空気。正直息苦しいですよ。ちょっとばかし、悪いことをしても許してくれるみたいな雰囲気が一番楽ですよ。あー、どうせなら、その男の子に会ってみたかったなー」
「無理だろー、だってお前が生まれた時にはもう大人だぞ?」
「そうです。それに、俺が物心ついた時から、もうこの町はこんなでしたからね」
軽トラックが道を直進する。通り過ぎた工場のような建物には、修理屋を営んでいた老人が住んでいたらしい。しかし、今は誰も住んではおらず、単なる廃墟に変わり果てている。今度、取り壊される予定だ。
軽トラックは交差点を更に真っ直ぐ進む。
「そういえば、ここって商店街あったよな? あそこも廃れたわけ?」
「いや、あそこは健在ですよ。雑貨屋とか弁当屋とか、そういう店はシャッター閉めちゃってますけど」
「弁当屋とか、勿体ねーなー」
ぺちゃくちゃと話しているうちに、軽トラックは町の向こう側とあっち側を繋ぐ橋の前まで来た。すぐ横には、過去にホームレスが占領していたという錆びれた公園があった。錆びれたというのは昔の話で、今は綺麗に整備され、子どもを連れた母親が多く来ていた。
「てか、お前さっきから何読んでんの?」
「これ」
後輩は先輩にスマホの画面を見せる。先輩は脇見運転をしないようにチラチラと確認し、「お、それ知ってる。ガキの時、映画見たよ」と嬉しそうに笑った。
「てかそれ30年前の漫画じゃねえか。お前そういうの好きなのな」
「こんな町に暮らしてると、こういうのが読みたくなるんです。こう、自分のいる世界とは真逆の世界の体験ができるというか」
「あー分かる分かるー。俺も映画で見た時憧れたなー。車の中で生活したいとか、殺し屋みたいな奴らみたいに空飛びたいとか」
そうこう話しているうちに、軽トラックは目的地に到着した。廃墟の取り壊しが進むS町だが、手続きやらの関係で、未だに取り壊されてない建物は数多い。彼らが今日掃除を担当する古いアパートも、30年以上経ってようやく取り壊しが決まったのだ。
「よし、やるか」
「はーい」
後輩はスマホを仕舞い、先輩と共に軽トラックを降りて、荷台に積んでいた道具一式を抱えてアパート内へと入る。部屋の中は薄暗く、散らかっているという言葉で表すには足りないほどの惨状で、濃い埃と蒸し暑い熱気が2人を襲う。しかし、掃除屋を仕事としている2人にとっては、この程度の惨状は慣れっこだった。死体とかが出てくるよりはマシなのだ。
1号室、2号室、3号室と掃除していった2人は、次に4号室の扉を開けた。
「なんだ、この部屋」
「なんか変ですか?」
「いや、なんつーか……ここだけ綺麗だなって思って」
先輩の言葉に後輩は首を傾げるが、部屋を見渡してなるほど、と頷いた。
確かにこの4号室は、他の部屋と違って、床がやけに綺麗だった。窓も、割れた箇所にダンボールが貼り付けりている。古さからして、ざっと数十年前に貼り付けられたものだろう。だが、このアパートは既に30年以上も前から無人とかしていた。
「これ、誰か住んでたのか?」
「住んでたとしても、多分結構前ですよ。ほら」
そう言って、後輩は床に転がっていたボロボロの菓子の袋を手に取った。賞味期限には、30年も前の西暦と日付が印刷されていた。
「もしかして、例の孤児が住んでたとか?」
「まさか」
先輩のジョークに後輩は苦笑いをする。
「よし、やるぞ」
「うっす」
2人は手分けして掃除を始めた。床に散らばったゴミや残された食器類、そして古びた布団とタオルケット。どれも誰かが使った痕跡が残っていた。
「ん? なんだ、これ」
「おう、どした」
ふと、後輩はソファの下から白い紙らしきものが入り込んでいることに気がつく。指を伸ばして掴み、その紙を拾い上げた。かなりの年月が経っているためか、紙はかなり劣化していた。
「なんだ、これ…………」
後輩は紙を見て眉を顰める。
紙には、丸い頭のようなものの下から棒のようなものが突き刺さり、4本の丸い突起物を生やすクリーチャーが描かれていた。恐らく人を描いたもので、それが4体も描かれていた。しかも、ご丁寧に大きさがバラバラだった。
右から順に、1番大きく描かれた絵は青、次に大きく描かれた絵は黒、その次は緑、1番小さいのがピンク色。
下の方には順番に『ママ』『パパ』『おにーちゃん』『わたし』と、如何にも幼児が書いたような字が書かれていた。
そして、紙の上、人の絵の頭の上には、大きな文字で『だしゅつせいこう!!』と書いてあった。
「だしゅつせいこうって、ちっさい『つ』がねえじゃん」
いつの間にか覗いていた先輩が、絵を見て苦笑した。時々だが、こういった絵は発見されることがある。それまでそこにあったはずの幸せとか、そういうものが全て止まってしまったような空間の中で、こういう遺書的なものが見つかる。そういう時は、大体が不幸な結末を迎えている。
けど、後輩も先輩も、この絵は今まで見てきたものとは何処か違うと感じていた。まるで、ここでの生活から抜け出した証のような、負というよりは正の意味で描かれた気がした。
「…………なんでしょうね、これ」
「分からんな……ほら、仕事やるぞ」
「へーい」
後輩は気の抜けた返事をすると、道具の一つであるゴミ箱の中に絵を突っ込んだ。絵は、次から次へと放り込まれるゴミ達によってひしゃげ、潰され、やがて箱の底に沈んだ。
書いてた時、頭の中がかなりぐちゃぐちゃになった。