でなければシェフ失格だ。素材の味を最大限引き立てるために香辛料を使うからこそ、料理は輝くのだから。
クラムリス郊外、リスカム小隊野営地にて。
アーモンドに呼び出されたリスカムは、無線機を手にドクターと通信を行っていた。
「と、いうのがクラムリス内部の現状だ。見たところ、危険はないらしい……少なくとも、住民には」
「それは……喜ぶべきことなのでしょうか?」
我ながらバカなことを言っている、とリスカムは思った。
無辜の市民に危険が無い。それは間違いなく良いことだ。正体不明の機械兵による虐殺が起きていた、なんてオチよりは遥かに。
ドクターの声は硬い。
「そちらに問題がないのであれば、調査を手伝ってほしい。流石に少し広くてな……」
「了解。……あの、ドクター。銀行は見かけましたか?」
「銀行? 閉まっていたが……何か気になることでもあるのか?」
「……いえ、なんでもありません。忘れてください」
思わず口をついて出てしまった問いに、自分でも戸惑ってしまう。
クルビアの座礁した移動都市。そんな言葉を聞くと、嫌でも思い出してしまうことがあるのだ。
今は任務中、私情を挟むべきではない。当たり前のことを念押ししながら、リスカムは通話を切った。
真後ろのフランカが声をかけてくる。
「どうする? 巡回組が戻ってくるまで待つ?」
「そうだね。けど、巡回班はそのまま警戒を続けてもらうつもり。まずは私たちだけで入ろう。……フランカ?」
振り返ると、長年の相棒がにやにやと笑いながらこちらを見ていた。
「優等生サマ~、さっきドクターに銀行のこと聞いてたけど~……もしかして、トラウマになってるの?」
「トラウマか。……そうかもしれない」
リスカムは首を振り、沈みかけた気分を維持する。
任務の途中だ。過ぎたことに固執して、部隊の足並みを乱すわけにはいかない。
「フランカ、支度して。いつでも出られるように」
「それはいいけど、クルビア軍の人たちは?」
「ドクターが私たちを呼んだってことは、危険はないって判断したんだと思うけど。一部は残して警戒に当たらせよう。念のため、クラムリスから距離を取らせる。無いとは思うけど……クラムリスから出てきた人に出くわしても困るからね」
こちらはこれで問題ないはず。後はドクターたちがどうなっているかだが。
妙な胸騒ぎを感じつつ、リスカムは愛用の盾と銃を確かめた。
⁂ ⁂ ⁂
「銀行……?」
通信を終えたドクターはリスカムの言葉を反芻した。
背後ではグラグラと鍋の煮立つ音がしている。ニェンが火鍋を作っているのだ。
「なあおいドクター、まだこんなとこに居座んなきゃいけねーのか? もう帰ろうぜー?」
「退屈そうだな。買い物はもう飽きたのか?」
「私の趣味じゃねーんだよ」
灰汁を取り、味見をして、唐辛子を増量しながらニェンが言う。
「なんつーか、質の差がな……。上と下に開きがありすぎる。上はいいもんふんだんに使ってっけど、下はそうでもねー」
「住民の身なりや建築物は、それほど悪くないようにように見えるが」
「パッと見はな。新しいもんも多いから、今は別にどうってこたねえだろうけど。……長持ちはしないぜ。大して見ろよ、あっちのビル」
宿のブラインドを指で開いたニェンが見つめるのは、移動都市の中心部の方角だ。
塔のようなビルが集中していて、曇天越しの陽光を鈍く反射している。
その周囲の街は、取り立てて注目すべきところはない。四、五階建ての集合住宅が並ぶ、ごく普通の場所であった。
情報収集にかこつけて買い物に出たニェンが言うには、クラムリスは中央区画と外周区画で随分雰囲気が違うらしい。あくまで建築物や売っているものの話であって、仕事をする人々に違いはないそうだが。
「なんつーか、ハリボテなんだよな。頑張って真ん中ぐらいの生活ランク維持してますって、自分を騙してるみてーでよ」
「その割には……」
話を聞いた住民たちの表情が気になった。
ニェンの見解には概ね同意はできる一方、ドクターは別の疑問も抱いている。自分を騙して生活している割には、肩の重荷が降りてようやく一息つけると言った顔をしている者が多い。
クラムリスを閉鎖していた機械兵がいなくなったから。それだけだろうか?
ドクターはしばらく考え込んだ。住民への聞き込み調査はひと通り終わった。リスカムと合流してから、今度は上役に話を聞きに行きたいところだ。役所、移動都市の動力担当、そしてリスカムが口走った銀行について。
それまで何をするかと言えば。
「ニェン、いい加減唐辛子入れるのをやめろ。誰が食べるんだ?」
「誰ってそりゃあ……私と、オマエと、マドロックたちと……外にいた連中も来るんだろ? 全員でだよ」
「ならもう少し辛味を抑えてくれ。内臓が爛れる」
「ああ!? この程度でダメってか!?」
「普通の人はその半分ぐらいのスコヴィル値で限界だ。スープを見ろ。君の尻尾の方がまだマイルドな色をしているぞ」
中央部で買って来たらしい、上質な食材と香辛料をいやというほど入れた鍋から昇る湯気を見て、ドクターはマスクとフードをしていて良かったと心の底から思った。