もしジェイルの王となったアリスに洗脳された彼が、それでも諦めなかったら?
感想で続きを望む声が多かったので、特別後日談です。
エロは序盤に少しだけなので、エロを求めてた人はごめんなさい。
「はっ、はっ、はっ!!」
東京の某所に存在する高級住宅地の中でも、一等地に建てられた高層マンション最上階の廊下を、一人の少女が走っていた。ここに来るまでにもマネージャーに用意させた車を全力で走らせ、エントランスに着いてからはお礼の言葉も省いてエレベーターへと乗り込むほど慌てて駆ける彼女の名は、柊アリス。絶賛テレビにも雑誌にも引っ張りだこな時の人である、大人気インフルエンサー。
間違いなく今年最も成功した芸能人の一人として数えられるだろう彼女が、一体なぜこんなにも必死の様相で走っているのか?
「はぁ、はぁ! 大丈夫、大丈夫、彼はいる!彼は大丈夫! 誰にも奪われてなんかない、から!!」
『人の心を弄ぶ女、柊アリス』
『歪んだ想いで人を縛り付け、自由意志を捻じ曲げる』
『そんなヤツを、私たちは許さない』
全ては、先刻渋谷のスクランブル交差点のスクリーンをジャックして高らかにアリスの胸元に突き付けられた怪盗団からの予告状が原因だった。
『あんたが奪った人々の願い、そして閉じ込めているあなたの宝物を』
『今宵、我々が頂戴する!』
「五月蝿いーーッッ!!」
アリスは叫ぶ。
彼女の頭に、先ほど見た怪盗団のリーダーと思しき男の声がリフレインして、それを振り払うように頭を振る。モニター越しに見えた男の目に、お前の罪はわかっていると言われた気がして怒りが込み上げた。
今までどんな悪事も暴き立て、自白と言う形で白日の元に晒して来た心の怪盗団。
彼らが、自分を次の標的に選んだ。
彼らが、私の宝物を奪うと予告した。
彼らが、今夜私の元にやって来る。
「何が怪盗団よ……ッ! 私の……私がどれだけ辛かったか知りもしないで……ッ!!」
私が奪った人々の願い?
いいよ、そんな物くれてあげる。有象無象の誰かさんの心なんてどうでも良い。
アリスにとって、もし怪盗団が盗みに行くと宣言したのが、彼女がEMMAを使って手に入れた大衆の願いのカケラだけであったなら、彼女はきっとここまで取り乱す事なんてなかった。
眉を顰めて、少し癪に触るかもしれないが、ここら辺が引き際だったのだろうと彼女のシャドウも自分のジェイルに侵入して来た怪盗団を見逃しただろう。
いや、事実見逃していたのだ。
人々の願いを取り返そうとやって来た怪盗団を、柊アリスのシャドウはそんなに欲しいなら返してあげると、女王らしい余裕を見せつけていた。
だって、彼女がジェイルを創ってでも欲しかった本当に大切な宝物は、怪盗団が欲する物の中には入っていなかったのだから。
なのに。
なのに――――ッ!
「させない……ッ! 彼を、私のたった一人の王子様を、二度と誰かに奪わせなんてしない……!!」
『閉じ込めている、あなたの宝物』
ああ、それはダメだ。ダメ。許さない。渡さない。奪わせない。――――殺してやる。
柊アリスは、たとえ世界全てを敵に回しても、彼を失う事を許容できない。
「――――!!」
バンッ!と、勢いよく最新鋭の設備で施錠されていた自宅の扉を開け放って、アリスは何よりも愛しい想い人の名前を叫びながら彼を監禁している部屋へと急ぐ。
大丈夫だと、何度も心に言い聞かせて。ちゃんと鍵は機能していたんだから、怪盗団が彼を奪いに来れた訳がないと心を落ち着かせようとしながら。
「大丈夫大丈夫大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫……!お願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願い!!」
でも、それでも。
相手はあの、心の怪盗団。
今をもってどんなトリックを使ったかわからない方法で、柊アリスよりも社会的地位や権力を持っていた数々の著名人を成敗した民衆の英雄。
最新鋭の施錠設備なんて、彼らにとってはあって無いような物だったのでは?
そもそも、怪盗団は人間じゃなくて、壁をすり抜けて入る事だって可能なんじゃないか?
――――もうすでに、彼は怪盗団に奪われているのでは?
「――――ひっ」
考えるだけで心臓が止まりそうになった。絶望に足が崩れて、暗闇に投げ出されたような気分が、アリスを襲う。いつのまにか瞳からは恐怖の雫が流れていて、嗚咽のような引き攣った音が溢れ落ちる。
柊アリスは、愛する彼無しでは生きていけない。
その言葉に、嘘も誇張もない。彼女は、彼を失っては一秒だって自分を保てないほどに、心底から依存しているのだ。
「あああああああ!!!」
ようやく、アリスにとっての神域。彼を閉じ込める二人の寝室の扉へとたどり着く。
EMMAで改心させ、それでも不安だからと鎖に繋いで閉じ込めた大切で大好きな彼。毎日仕事を終えて帰って来ては、次の仕事の予定まで片時も離れずベッドの上で愛し合っている彼。
もし、その彼がこの扉の先にいなかったら。きっと、アリスは――――
「――――――――――――あっ」
――――彼は、いた。最後に部屋を出た時と変わらず、寝室の壁に直接打ち込まれた鎖と繋がる首輪に縛られ、念の為にと両手両足にGPS付きのバンドを身につけて、突然帰ってきたアリスに驚きながらも優しい笑顔を浮かべていた。
それだけで、アリスの壊れかけていた心は一瞬で元の形へと修正される。
彼が自分の側にいる。ただそれだけで、アリスの世界は幸福に満たされるのだから。
「あはぁ……♡」
いや、むしろ失ったかもしれないと恐怖していたからこそ。その反動で不思議の国の女王であり、兎であり、アリスでもある彼女はその内で常に渦巻く情欲と独占欲を昂らせた。
後ろ手で寝室の扉をガチャリと閉める。直後に特注で取り付けた何個もの電子施錠がガチャ、ガチャガチャと外界とこの部屋を厳重に隔絶させる。金に糸目を付けず作らせたこの鍵は、たとえ世界的ハッカー集団でもそう容易くは突破できまい。
「先に謝っておくね。君は何にも悪くないんだけど、私……今ちょっと本気で不安だったんだ」
明かりのない真っ暗な部屋の中で、彼を見つめるアリスの瞳が爛爛と輝く。彼女はまるで幽鬼のようにふらふらと彼のいるベッドへと近づきながら、その身に纏っていたメルヘンなドレスを脱ぎ捨てる。
そしてベッドの上へと身を乗り出した時には、彼女が身に付けているのはセクシーさと淫靡さを兼ね合わせたレース下着。多くの女性が憧れた、柊アリスのスーパーモデル並みの艶かしい肢体。それを惜しみなく晒して、アリスは両腕を愛しい男の首元に巻き付けて抱きしめる。
そして、そっと。彼の耳元に唇を近づけて。発情した兎のように、独善的な女王のように、恋をする少女のように、アリスは囁く。
「だから、めちゃくちゃ激しいセックスするけど、許してね♡」
「あっ♡ ああっあ……♡ 君のが、深くまで、私の中を満たしてる……っ♡ んあっ、あっ♡ とっても、気持ちいいの♡ ねぇ、君も、私で気持ちよくなってる?」
パンッ♡ パンッ♡ パンッ♡ と不思議の国の鳥籠で、二人の男女が汗と淫液で濡れた体を重ねている。向かい合うように抱きしめ合った二人は、相手の背中に手を回して強くその存在を求めながら腰をお互いの性器へとぶつけて行く。
女の、柊アリスの貪欲な腰使いが愛する男の肉棒を何度も根本まで飲み込んで、その先端を自身の子宮口で愛撫する。それはまるで、自分の愛で男の分身を抱擁するような献身的で情熱的な腰使い。
「ねっ、射精して♡ 私の子宮に、君の赤ちゃんの素、たっぷりと吐き出して……!」
男の腰上で発情期の兎のように跳ねるアリスの瞳が、彼との愛の証を求めて真っ赤に輝く。
ぶるりと震えた膣内の雄棒が、その肉欲的な愛情表現に興奮の昂りを迎えて射精する。びゅるるる、と解き放たれた白濁液。
その繋がり合う結合部からは興奮の愛液が滴り落ちて、男側の太ももを淫靡に濡らす。
「ああ、良かった♡ 気持ちよくなってくれてるんだね♡ じゃあ、もっと……もっともっともっと――――二人で愛し合おう♡」
それは、互いの存在を相手の奥深くまで刻み付けようとするように貪欲で。
それは、君がここにいるんだと必死に確かめているように切実で。
それは、君は自分のものだと主張するように支配的だった。
「あっ♡ ああ……っ♡ 嬉しい……君の愛情が、私の中に全部入ってくる……」
快感の波に思考を蝕まれながら、アリスは男に快楽を与える腰使いをやめない。
下から突き上げられる肉棒をぷっくり膨らむ自身のGスポットに押し当てて。時に肉棒から膣口まで引き抜くほどの勢いで腰を上げてから振り下ろす。
彼女の蜜壺からは、絶え間ないほど愛液と白濁液の混合液が撒き散らされていて。そんな腰砕けになりそうな快楽の暴力を、アリスは自分が絶対に崩れ落ちないようにと男の身体に抱きついて耐え凌ぐ。
「あうっ♡ んあっ、んっ! 好きなのっ♡ 君に甘えるのも好きだし……っ♡君を使って自分を慰めるのも好きだけど……!でもやっぱり一番好きなのは、君と愛し合う事なの……!」
頭が愛情と悦楽で馬鹿になっていると自覚しながら、それでもアリスの好きな人へと紡ぐ、蕩けるほどの想いの吐露は止まらない。
彼の性器が自分の子宮を押し上げて、見つめ合いながら深くキスをするたびに、彼に伝えたい愛の言葉で頭の中がいっぱいになる。
それを大好きな人の耳元で伝えれば、その言葉の数だけ愛おしさが募っていき、アリスはぎゅうっと腕の中の男を力一杯に抱きしめた。
「ねぇ、言って? 私のこと、好きだって。愛してるって。君も、言葉で表現して?」
だからそれは、彼女の不安の裏返し。怪盗団の予告を受けたアリスが、自分の想いは一方通行なんかじゃないと確かめたい一心の言葉。
「 私たち、本当に愛し合ってるって。嘘なんかじゃない。二人はこの上なく愛し合っているんだって、証明しよう?」
アリスは囁く。耳元で、安心させるように、彼の心を溶かす愛の言葉を捧げる。それはもはや洗脳であり、呪いであるかもしれないと理解していながら……でも、やめられないのだ。
だってアリスは、深い深い穴底に堕ちているから。彼と言う兎を追いかけて、二度と戻ることのできない愛と言う名の迷宮に迷い込んでしまったから。
「愛してる、あなただけを」
だから、アリスは彼を愛していると、愛していると、愛しているんだと。そう口にして伝える事しかもうできないのだ。だって彼以外の他人なんて、もう見えてさえいないから。
「ね? 君も言って?」
そしてそれは、もう彼も同じなのだ。ジェイルの中に閉じ込めた彼の分身は、もう一人の柊アリスが心身に至るまで蕩し、愛欲の渦に溺れさせた。
今の彼は、アリスなしでは生きていけない。同じくアリスも、彼への愛がないと生きてはいけない。それぐらいに深く結びついた二人の絆が、彼を柊アリスのジェイルへと縛り付けている。
「私のこと好きって言って? 私の側にずっといるって約束して?あんな怪盗団なんかに、改心なんかされないって確約して?」
本当に、駄々をこねる子供そのものだ。愛しい人に愛してほしいと縋る女の子。
そこには、トップインフルエンサー柊アリスも、渋谷ジェイルを支配する苛烈なる女王アリスの面影もありはしない。
そこにあるのは、ただの恋する女の子。愛が深すぎて狂ってしまった一人の少女の姿。
自分が持つ全ての愛情も狂気も、彼にだけ捧げたいと願い、彼との関係を偽物だとレッテルを貼ろうとする世界など、全て壊れてしまえと思う程に執着している、ただの柊アリスなのだ。
だから――――
「ねぇ…………お願い」
涙が、彼女の瞳から零れ落ちる。偶像ではなく、女王でもない、ただの少女は不安に押し潰されそうな心を、愛する人に依存する事でしか癒せないから。
「愛してるって、言ってぇ……」
だから彼女は、縋るように紡ぐ。美しい愛の言葉を紡ぐような真似はもうできないけれど、それでも精一杯の愛情を込めて。
そして、それに対する返事は決まっている。想いを奪われ、アリスの傀儡となった彼が彼女の命令を断るはずがないのだから。
「うん。私も。私も、愛してる。よかった……やっぱり君は、私の王子様。どこにも行かない、私の……私だけの……」
愛の言葉を囁く彼に、アリスは泣き笑いを浮かべながら彼の体をより強く抱きしめる。
怪盗団に奪われそうになった不安はもうない。だって、彼はこうしてアリスの側にいてくれる。
だから、もう大丈夫。怪盗団なんて怖くない。アリスはこれからも、永遠に愛する彼と共に居続けられるのだ。
「ねっ、もっと愛し合おう? 私の中に君の愛を注いで♡ 私も、君への愛で一杯にするから♡」
そうして彼女は再び腰を上下させ始める。今度はより深く彼の性器を咥え込もうとする腰使いで。その刺激に彼は思わず声を漏らして身悶えるが、アリスはそんな相手の反応を見て微笑むと、彼をベッドへと押し倒すように腰のグラインドを深めていく。
「あはっ、可愛い声♡ もうイきそう? いいよ、我慢しないで。全部出して♡」
そう言ってアリスは彼に覆い被さりながら耳元で囁くと、そのまま唇同士を重ねて舌を絡め合うディープキスを行う。互いの唾液を交換し合うような、ねっとりと絡み合うようなキス。
その情熱的な口使いに、アリスの膣中で彼の雄棒が限界を告げるようにビクビクとその身を震わせた。
「あっ♡ もう出ちゃうんだね♡ いいよっ、私もイくから♡一緒にイこう♡」
そう言って彼女はラストスパートをかけ始める。彼女の膣内の締め付けが強くなり、彼の肉棒に絡みついた肉ヒダがまるで別の生き物のように蠢き出す。
その刺激に彼は限界を迎え、膣内の一番奥まで突き上げられた先端から濁流の如くアリスの子宮へと大量の精液を流し込む。
「あぁっ♡出てるっ♡熱いのがいっぱい溢れてるよぉ♡♡」
お腹の中に注がれた白濁液は瞬く間に彼女の子宮を満たし、収まり切らなかった分が結合部の隙間から溢れ出させた。
その感覚にアリスは歓喜の声を上げながら、それでもなお彼の身体にしがみつき続けて、艶声を張り上げる。
「はぁ……はぁ……っ♡ねぇ、もっとしよう?まだ足りないよ……」
荒い呼吸を繰り返しながらも、彼女はまだ満足していないとばかりに再び腰を動かし始める。その目は虚ろで、しかし確かな欲望に染まっていた。
「んっ♡あっ、はぁん!これ好きっ♡もっと突いてぇ♡」
アリスの腰使いが激しくなるにつれてベッドがギシギシと軋みを上げる。世界と隔絶されたような真っ暗闇の空間で、二人は何もかも忘れてお互いを貪り合い、それは二人が意識を失うまで片時も休む事なく続いたのだった。
あれから、一体何度絶頂と射精を繰り返し合ったのだろう。窓も無ければ時計もない、完全に外界から隔絶された部屋に響くのは、今は微かな呼吸音だけ。
互いの精液と汗でびっしょりになったベッドでは、お腹が膨らむほど大量の精液を子宮で受け止めたアリスが幸せそうに眠りについていた。本当に、心から幸福そうで、安寧に浸かる彼女の姿を、青年は微睡みに包まれた瞳で見つめている。
柊アリス。大切な友達。たとえ自分の願いを諦めてでも、夢を叶えて欲しいと心から願った愛しい少女。
そんな彼女が自分のために悪魔へと堕落してしまった事を、もう今の青年は悲しめない。自分の心を彼女の鳥籠に収められてしまった彼は、ただアリスを盲信して愛するだけの操り人形に変えられてしまったから。
その瞳には、アリスを映しながらも自意識が存在しない。
その声には、アリスへと愛を囁きながらも感情がない。
その心には、アリスを求めながらも本当の想いがない。
壊れたアリスの望みによって動く、ただの玩具。それが、今の彼。
不思議の国のアリスに王子様が登場しないように、この現実にも壊れたアリスを救いに来る王子様はやって来ない。
誰も、迷えるアリスを救える存在は――――
ピピピピ
暗闇に、明かりが灯る。
それは、柊アリスが所有するスマホから漏れていた。
この部屋に入る前に、誰にも邪魔されないように電源を切られていたはずのスマホから、聞こえるはずのない着信音が鳴り響いている。
ピピピピ
プツッ
『ハローハロー、私の声が聞こえているか?』
不思議の国のアリスに、王子様は存在しない。
彼女の旅路を助けるのは、気まぐれな猫。赤い
『このスマホをハックした。もし聞こえているのなら、画面に表示されたアプリを起動しろ』
誰も触っていないスマホのタブレットに、赤いツインテールのおさげが特徴的な少女の顔が映し出される。
ある種の心霊現象とも取れそうなそんな非現実的な光景に、しかし光のない瞳で宙を見つめる青年は反応しない。
アリスの命令なく、彼女以外の他者に感情を向ける事は許可されていないから。
『柊アリスを救いたいんだろう?』
だが、機械の光沢を帯びた無垢な少女が告げたその言葉に、心奪われているはずの彼が、確かに反応を示したのだ。
胸の奥で、わずかなざわめきが広がって。
アリス以外に向けることを許されないはずの青年の心臓が、その言葉だけに大きく脈動を繰り返して。
無意識に唇が震える。
声にはならない。ただ、忘れていたはずの記憶の欠片が、濁った水面に浮かび上がるように蘇ろうとしていた。
『なら、諦めるな。その手を伸ばせ』
澄んだ響きが、鎖に縛られた心を強く揺さぶる。
青年の眼差しが初めて、アリスではなくスマホの光へと向いた。
濁っていた瞳に、微かな輝きが差し込む。まだ曇りは残っている。それでも確かに、そこには自分自身の意志の欠片が芽生えつつあった。
傍らからは、アリスの寝息が規則正しく響いている。柔らかな熱と重みが、青年の身体を繋ぎ止める。
しかし画面に浮かぶ真紅のアイコンは、不思議の国から彼を現実へと誘い出すように揺れていて。
青年の手が、静かに動いた。
絡みつくアリスの腕をそっとほどき、わずかに震える指先をスマホへと伸ばす。
それは重力に逆らうような、途方もなく重い動作だった。だが確かに、彼は動いた。
――タップ。
『よし、ショータイムだぞ、ジョーカー』
気づいた時、青年は渋谷のスクランブル交差点に立っていた。いや、渋谷スクランブル交差点のような、別のどこかに、だ。
テレビでもよく見る渋谷の高層ビルは、飴細工のように甘ったるい光沢を帯び、ネオンサインの文字は意味を失った記号となって宙を泳いでいる。
アスファルトは色とりどりのキャンディが溶けたように光り、靴底にねっとりと絡みついた。
頭上を見上げれば、現実世界ではあり得ないような真紅のハート型の月が不気味に輝き、空そのものが絵の具を塗り潰したように歪んでいる。
――ここは渋谷じゃない。
いや、渋谷の形をした「何か」だ。
青年は呼吸を乱しながら辺りを見回す。
どこからか漂ってくる甘い香りは、心地よさと同時に吐き気を催す。視覚も嗅覚も狂気じみた異世界に塗りつぶされていく。
少なくとも、自分のような何の能力も持たない人間が迷い込んでいい場所ではないと、そう直感的に思わせるだけの危険性が、このシブヤにはあった。
そしてそれは、目に見える物だけではない事を、青年は次の瞬間に理解させられる。
ドオォン――ッッ!!
遠くのビル群の向こうから、地響きのような爆発音が響いた。
遅れて、獣じみた咆哮があなたの鼓膜を貫く。何かが破壊され、ぶつかり合っている。
青年の足が縫い付けられたようにその場に留められる。
鼓動が早まって、状況を理解する前に、身体が危険を訴えていた。
爆発音は途切れることなく、時折閃光が夜空を裂いて見えた。そのたびに、ハート型の月の光が不気味に揺らいで、スクランブル交差点の中央にぽつりと1人立つ青年と、その“周りの影”を妖しく照らす。
ゾワリと、青年の背筋に寒気が走ったのと、自分以外誰もいなかったはずの交差点の暗闇から染み出すように現れた無数の影が実像を結ぶのは同時だった。
それは人間の無意識に漂う影。
集合無意識が溢した、共通する悪魔像の情報集積体。
ジェイルの王に仕える、無意識の奴隷たち。
シャドウ。黒い靄から形を得たそれらは、ひとつ、またひとつと増え、交差点を埋め尽くしていく。無表情の仮面を貼り付けた人影たちが、揃って青年の方へ首を傾けた。
ざわり、と冷たい風が吹き抜けたような気配。
次の瞬間、影たちの口から一斉に声が漏れた。
「き、キング……!?」
「どうしてここに……女王のそばにいらしたはず……!」
「これは大変だ……お連れしなければ……!」
だが現れたシャドウたちは慌てふためき、しかし敬意と畏怖を入り交じらせて青年を取り囲んで来た。
細い腕が伸び、彼の手首や肩に触れようとする。その動きは乱暴でありながらも、まるで宝物を運ぶように慎重で――だからこそ逃げ場がない。
反射的に後ずさった青年の足が、背後から忍び寄っていたシャドウに掴まれる。振り解こうとした手は、呆気なく別のシャドウに捕らえられた。
絶体絶命。そんな言葉が青年の心に過り、そしてその通りに事が進もうとした、その時――――
【アルセーヌ】
蒼炎の炎が、シャドウたちを薙ぎ払う。
闇夜の交差点を、夜の黒よりなお暗い、漆黒の翼が切り裂いて。
はためく赤黒い外套は、まるで何者にも屈さない叛逆の精神を形にしたように。
そして青年の視界に、その主が映る。
黒いコートに、冷ややかな仮面、端正な顔立ち。
その瞬間、青年は一年前の渋谷スクリーンジャック事件を思い出した。当時、日本首相に最も近いと言われていた男の罪を糾弾し、宣戦布告をしてみせた現代の伝説。
そのリーダーとして映像の中で中央に立っていた影と、目の前に現れた影がそっくりそのまま重なった。
【大丈夫か?】
心の怪盗団のリーダー、怪盗紳士の仮面を纏う者、運命への叛逆者。
――――ジョーカー。
言葉はない。ただ鋭い視線が「掴まれ」と告げていた。
青年が戸惑う間もなく、強い手が彼の腕を引き寄せる。
「逃がすな!!」
シャドウたちの叫び声。だが彼らが向かってくるよりも早く、青年を片腕で抱き抱えたジョーカーがグラップリングフックを夜の闇空に聳えるビルの一角へと放つ。
次の瞬間、身体は宙へと引き上げられ、交差点の地面とシャドウの群れが一気に遠ざかっていく。
人生で初めての、宙を飛ぶ感覚。それに青年は息を呑みながら、舌を噛まないようにするのが精一杯で。
しかしそれに対してジョーカーは、疾風のように夜を切り裂き、ビルの壁を蹴り、軌道を変えながら次々とワイヤーを繰り出す神業を、いとも容易くこなし続ける。
その動作に一切の無駄はなく、まるで戦場すら舞台に変えてしまう洗練された身のこなしがそこにはあった。
「キングが……奪われた!!」
「女王に報せろ……!」
眼下では、キングである青年を連れ去られたと、シャドウたちが口々に叫んでいる。
だが、その喧噪さえ追い風に変えるかのように、ジョーカーは迷いなく夜空を駆け抜けていく。
時に高層ビルの壁面を垂直に駆け抜け、時には高架下を巧みなグリップ捌きで通り抜ける。その姿は、まさしく日本中を震撼させた怪盗団のリーダーに相応しい。
そしてそんなジョーカーに抱えられたまま、上空から歪んだ渋谷を見下ろしていた青年は、その眼下に広かった光景に目を丸くした。
その光景は地獄だった。
スクランブル交差点から離れた渋谷の大通りは、もはや原型を留めていない。飴細工のような舗道は踏み砕かれ、ネオンの塔は折れ曲がり、瓦礫が散乱している。
その惨状の中心で、ひときわ巨大な影が跳ね回っていた。
それはまさしく巨大な兎と表現する以外のない、怪物であった。
まるで人間の女性のように煌びやかなステージ衣装を模した鎧を纏い、生の女性が履いていたのなら多くの男性を虜にしただろうショートパンツが、黒鉄の装甲と化して大腿を覆う。
その相貌で光る赤い瞳が灼熱のように輝き、口元からは甘ったるい笑みとも、狂気の嗤いともつかぬ声が漏れてはシブヤの街を震わせる。
跳躍するたびにアスファルトが陥没し、拳を振るえばビルの壁面が簡単に砕け散り、日本でも有数の街を瓦礫の山へと変えていた。
そしてそんな怪物の標的となっているのが、猫の顔をした奇怪な車。
道路を文字通り粉砕しながら迫り来る巨大兎から逃げるように、夜の街路を疾走するその車体の屋根には、幾つもの人影がしがみついていた。
その人影が誰であるかを、青年は知らない。だが彼を掴む怪盗団のリーダーは、それが大切な仲間たちであると理解している。
骸骨の仮面を被った金髪の少年が、ショットガンを乱射して車の進路上に現れるシャドウたちを薙ぎ払う。
女豹のような仮面を被った少女が、その隣に先ほどジョーカーが見せたように異形の像を現出させて、爆炎を撒く事で兎の進行を妨害する。
羽付帽子を被った少女は、その可憐さに見合わないような巨大な重火器を構えて一斉掃射と、ビル群を倒壊させて兎の体へと瓦礫を降り注がせていた。
「まだ来やがるのかよッ!」
「ちょっと! このままじゃ追いつかれるってば!」
「大丈夫! ソフィーから、ジョーカーが彼を見つけたって今連絡が……きゃあ!」
少年少女たちの声が交差し、爆音と閃光が夜の街を覆い尽くす。
だが、兎の巨体は一歩も退かないどころか、むしろ捕まえられない獲物に逆上して、高く跳躍。その巨腕を勢いよくシブヤの道路に振り下ろした。
轟音と振動が連鎖し、狂気のうねりと粉塵が街全体を呑み込んでいく。腕を叩きつけた衝撃が、空を飛ぶ青年たちの元にまで波及して、ジョーカーがその身を即座にビル影の安全な場所へと踊らせる。
直後に駆け抜ける衝撃波と粉塵。青年はジョーカーに庇われるようにビル影にその身を縮こせながら、目に焼きついた光景に心強く揺さぶられていた。
兎の怪物が、夜の渋谷を破壊する。
それはまるで、B級映画のような現実感がない光景で。青年は昔見た、巨大なゴリラが夜のニューヨークを駆け回る映画を想起した。
言葉にしたら馬鹿馬鹿しい絵面なのに、実際に映像にするとジョークと切って捨てられない臨場感と迫力。現実となった子供の空想は、どんな幻想よりも恐ろしいのだ。
だがそんな、ハリウッドも真っ青なモンスター映画さながらの現実に直面しながらも、青年の心に宿ったのは恐怖とは程遠い感情だった。
なぜなら、あの怪物は。シブヤの街を蹂躙するあの兎が誰なのかを、彼は一目見ただけで理解してしまったからだ。
柊アリス。彼を「王」と呼び、世界を敵に回しても離そうとしなかった少女。その想いが肥大し、化け物と化して暴れ狂った姿なのだと。
それに、青年の心がかつてないほど痛みを訴える。自分のために、自分のせいで、あの心優しかった柊アリスがあんな姿を晒すまで狂ってしまった。
その事実が青年を苦しめ、血涙さえ流さんばかりに拳を握り締めさせてしまう。
だがそんな青年の肩を、優しく支える手があった。
振り返ると、仮面越しの鋭い視線が彼を射抜いていて、その瞳が無言で問いかけているように思えた。
――覚悟はあるか?
まるで、そう言っているように。言葉にすれば陳腐に過ぎる問いかけが、無言の眼差しにはすべて詰まっていた。
ジョーカーが静かに腕を伸ばす。
その仕草は、選択肢を差し出すように簡潔で力強い。
掴むかどうかは、お前が決めろ――。そういう事なのだろう。
青年の胸の奥で、強く抑え込んでいた感情が弾けた。
自分のせいで狂ってしまったアリスの姿に押し潰されかけていた心に、ひとすじの光が差し込む。
血涙を流すほどに痛んでいた胸に、微かだが確かな熱が宿る。
彼は震える指先を、それでも力強く伸ばした。
そして、その差し出された手を、怪盗団の若きリーダーはしっかりと掴む。
途端にグラップリングフックが宙を裂き、ビルの壁に突き刺さる。ジョーカーは青年を抱え直すと、風を切って粉塵を突っ切り、夜空を翔けた。
瓦礫と炎に呑まれた渋谷を、まるで舞台装置の上を渡る役者のように、淀みない動きで駆け抜けていく。
その背中は絶対的で、迷いなく、ただ「困っている誰かを助ける」という一点に向かっていた。
青年は気づく。ジョーカーの沈黙は無関心ではない。むしろ、言葉などなくても伝わるという揺るぎない自信と責任感の表れなのだと。
そしてそんな彼に率いられた怪盗団が、シブヤ一つ瓦礫に変える一撃程度であっさりと敗北するはずがない。
証拠に、粉塵の中から一台の車が勢いよく現れ出る。車体にはいくつもの裂傷と火傷が見えるが、轟音を響かせて砕け散った道路を駆け抜ける姿に翳りはない。
「――――!!!」
そしてその姿にアリスが、シャドウアリスが甲高い咆哮を轟かせる。彼女の巨体が揺れ、次の瞬間に倒壊した705ビルの巨大な破片を掴んだ。
その次の瞬間に起こった事を、青年は死ぬまで決して忘れないだろう。
渋谷の流行のシンボルとも言うべき巨大ファッションビル『705』が、持ち上げられた。まるで道に落ちていた棒切れのように、多くの若者の憧れのスポットとして君臨していた残骸は、暴虐の塊となって振り回される。
「っ……やばい!」
そして怪盗団の誰かの声が響くのと、シャドウアリスが手に持った30メートル近い瓦礫の塊を振りかぶるのは同時だった。
それはもはや投擲なんて生優しい言葉では言い表せない。圧倒的な質量の暴力でもって粉砕すると言う意志が形になったような破滅の流星。
絶滅その物を体現したような705ビルが、怪盗団の乗る車へ向けて放たれた。
爆雷が響き渡り、空気が裂ける。隕石が真横に通過したらこんな惨状になるんだろうなと思い浮かべる、その数倍の被害が撒き散らされた。風速だけで地面が抉れ、流星の軌道上にあったビル群が文字通り消滅する。
迫る影は絶望そのもの。だが、かつて日本を救った心の怪盗団の中に、誰ひとり怯える者はいない。
「俺が斬る!」
鋭い雄叫が夜を裂き、真っ先に破滅の流星の前に飛び出したのは狐面の少年。月明かりを浴びて煌めく刀身が、鞘から抜き放たれ、一瞬で青白い軌跡を描く。
「――――刹那五月雨斬り!」
鋭い一閃。だが空間に描かれた斬影は無数。隣に現れた歌舞伎役者風の異形と共に放たれたその一撃は、705ビルを見事に複数の瓦礫に割断し、散弾のように火花と破片を散らした。
一人の少年が刀一つで流星を切り裂く。ハリウッド映画の次は少年コミックのような絵面。もはや現実感なんて欠片もなく、しかしだからこそ鮮烈に、その光景は見る者全てに光を灯す。
だが、流星の勢いは止まらない。分割された中でも特に巨大な二つの塊が、そんな灯火を打ち消すように、なおも怪盗団を直撃しようと迫っていた。
「こいつぁ俺の出番だなッ!」
しかしそれに、即座に次の影が空中に躍り出る。骸骨マスクの少年がその隣に海賊男のような影を侍らせて、飛び散る小さな瓦礫を蹴り飛ばしながら、空中を駆け上る。
「ゴぉぉぉッド――――
全身に力を込め、迫る半分の塊へ一直線。恐るべき跳躍を見せた影は、そのまま構えたバッドを自身の数十倍はありそうな瓦礫へ向けて、正面から勢いよく叩きつける!!
――――ハンドぉぉっ!!」
青白い電撃が炸裂し、衝撃波が瓦礫を弾き砕き、火花を散らしながら木っ端微塵に砕け散った破片が宙に飛び散って行く。
それは神話のような光景だ。身一つで荒ぶる嵐を駆け抜け、巨岩を粉砕するなんて、絵空事としか思えない。
しかし、その反動と言うように、誰もが驚く奇跡を成し得た少年もまた吹き飛ばされ、身体が空中へ投げ出されている。
「おっととと……! クソッ、落ちる!?」
宙を舞う髑髏マスクの少年の悲鳴。
その隣、未だ迫り来るもう一方の巨大な瓦礫に立ちはだかったのは、空中をバイクで疾走する女性。
「負けてられない……ッ!」
重力に逆らっているとしか思えない動きで空中を疾る彼女の右手のアームには、目を覆うような青白い稲光が充電されている。
そんな彼女を阻むように降り注ぐ、迫る巨岩とは異なる無数の小ぶりな瓦礫の数々。だがそれは小ぶりと言っても、最小でも5メートル大の大きさを持っていて、バイクに乗った女性一人が突っ切れるような物ではない。
「鉄拳……!」
だが、そんな修羅の道よりも過酷なロードを前にして、女性はさらにバイクのギアを上げる。
全速全身。全力粉砕。蒼い焔を纏ったバイクが、巨岩までの最短経路を阻む瓦礫全てを粉砕、爆砕させながら突き進む。
「………制ッッ――」
唸るは拳。軋むはエンジン。サドルを勢いよく踏み強いて、女性はもう一つの流星となる。
隕石相手に人間一つの質量で対抗しようと言うような暴挙。しかしそれは、こと彼女にとっては不可能に在らず。
ただ真っ直ぐに、全力で己の拳を叩き込む。
「――裁ッッ!!!!」
轟音と閃光。コンクリートの塊は粉々に砕け、破片が散弾のように周囲に弾け飛ぶ。
そしてその反動で吹き飛ばされた少年とは異なり、彼女はそれを利用し、破片を足場に蹴り上げ、勢いを乗せて空中で回転。
「はああッ!」
砕けた瓦礫をさらに蹴り飛ばして粉砕し、舞い上がる砂煙を切り裂きながら、彼女は見事車の屋根に逆着地を果たした。
「……ふぅ」
その姿、隕石を一撃の元に粉砕し、涼しい顔で殴った手を振る彼女は、まさに鉄拳制裁の女王。
一方、宙に投げ出された少年は落下の最中で必死に助けを叫んでいた。
「やっべ、このままじゃシャレになんねぇぞ!!」
「スカルッ!」
だがそんな彼を、空を裂く音と共に、革の鞭が巻き付いて引き戻す。その持ち手は、女豹の仮面を被った少女。車の車窓から器用に上半身だけを踊らせた彼女が、見事に仲間の命を救ったのだ。
「へっ、助かったぜパンサー!」
「もう! 無茶しすぎなんだから!」
スカルと呼ばれた少年が車の屋根に着地して、荒い息を吐きながらもニッと笑ってグーサインを自身を助けた恩人へ向ける。
それに呆れたように返しながらも、即座に鞭を回収して次のアクションに備えるパンサーと呼ばれる少女。
深い信頼関係が、そのやりとりだけで感じられた。それも彼ら二人だけのではない。怪盗団全員が、互いを信じ、互いを理解し合っている――その事実は戦場の只中にあって、言葉以上に鮮烈に伝わってきた。
青年は胸を打たれた。あれが、心の怪盗団なのだと。
テレビ越しや噂でしか知らなかった存在が、今まさに目の前で「仲間の力」を体現していた。
だが、その刹那。
「――――――――え?」
呆けたような声が、倒壊したシブヤにやけに大きく響いた。
「なん、で……?」
アリスが、青年を見ていた。
ジョーカーの腕に抱えられた、彼を見ていた。
瓦礫が地面に衝突する爆音と、燃え盛る業火が生み出す爆煙の中で、なのに彼女の瞳はしっかりと愛する人を見つめていた。
巨大な兎の影が止まる。紅玉の瞳が大きく見開かれ、理解できないとばかりに彼女の全身が戦慄き、長い耳が不規則に痙攣していた。
そして彼女は慌てたように、自身の腰に視線を落とした。
シャドウアリスの視線の先。そこにあった……いや、いた者を見て、青年は全てを悟った。
シャドウアリスがあんな怪物のような姿になっても肌身離さず持っていた『宝物』。巨大化してもなお淫靡さを失わない臀部を覆うショートパンツの中に縛られ、逃げられないように捕らえられた悦楽の笑みを浮かべる『人影』。
それが、『自分のシャドウ』なのだと、青年は理解してしまった。
そしてそれは、アリスもまた同じ。
「……どうして……? なんで……そこにいるの……?」
存在する二人の愛する王子様。自分の手元に今も変わらず存在する彼と、怪盗団のリーダーと共にいる彼。
普通のシャドウなら、あんなの怪盗団が作り出した紛い物だと、一笑に付してすぐに意識を切り替えただろう。
でも、彼女にはわかる。彼女だから、わかる。彼を誰よりも、何よりも、この世の全てを犠牲にしても構わないと思うほど強く強く強く強く愛している彼女には、わかるのだ。――――わかって、しまったのだ。
「…………あ。……ああ……あああ……ッ」
掠れた声が、シャドウアリスの喉から漏れ出す。
辿り着いた事実は彼女の心を切り裂き、全身に走るのは理性を焼き尽くす痛み。
「だめ……やめて……」
あの予告状を見た時からずっと恐れていた。絶対に現実の物とはさせないと誓った光景。
「いや、やめて……やめてよ……っ」
どんな悪夢よりも絶望的な、怪盗団に彼が奪われてしまったと言う真実に、愛に溺れた少女の紅い瞳が狂気に塗り潰される。
「やめて、やめて、やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて――――」
そして不思議の国の迷い子の心が崩れ落ちるその瞬間、シブヤ全体を震わす咆哮が迸った。
「――――いやああああああああああッッ!!!!」
絶叫と共に、巨体が脇目も振らずに走り出す。街路を踏み砕き、ビルを薙ぎ払い、瓦礫の山と化した夜のシブヤを蹂躙しながら。
その猛威の矛先は怪盗団のリーダーに向けられながらも、視線の中心はただひとり――ジョーカーの腕に抱えられた青年だけ。
「返して……! カエセェェェッッ!!」
その叫びは、もはや人の声の形を留めておらず、愛と言う狂気の呪詛に他ならない。
【振り落とされるな】
その暴虐に対して、仮面の少年が短く青年へと告げる。同時に、ジョーカーのワイヤーフック捌きが、数段鋭さを増した。抱えられた青年は、先ほどまでの神業染みたジョーカーの空中遊泳さえ、自身に配慮した物であったのだと悟る。
すでに荒廃したシブヤの瓦礫から、巧みにフックをかけられる場所を音も置き去りにする高速移動をしながら見分け、軌道を計算しながら次へと次へと飛び移る。
それはまるで蜘蛛に噛まれたスーパーヒーローのようで。ニューヨークと架空のシブヤと言う違いはあれど、大都市を舞台に怪物から巧みに逃げ回る彼の姿は、まさにヒーローだった。
「アアァアア゛ア゛ァァッッ!!!」
背後ではアリスの絶叫と、街を引き裂く暴走が止まらない。
崩れ落ちるビルの残骸が弾丸のように降り注ぎ、街そのものが破壊兵器となってジョーカーへと向かって行く。
そしてその波濤さえも神業的テクニックで躱す彼を、ついにシャドウアリスの手が捕らえた。
「カエセェェエェェッッ!!!」
迫る巨腕。宙空で瓦礫に阻まれ身動きの取れないジョーカーにそれを避ける術はない。
だが、それを防ぐのが仲間だ。
「モナちゃん、行くよ!」
「任せろ、ノワール!!」
路地から飛び出した猫バスが、大地を抉るような勢いでシャドウアリスの足元へ突っ込む。
その巨体は小さな車両に過ぎないはずなのに、突進の瞬間には戦車にも匹敵する衝撃を生み出し、アリスの足を大きく揺らがせた。
「ワガハイを……ナメんな、よ!」
体当たりの衝撃でなぜかネコ?の姿になった影が、頭から血を流しながらも、それでも勇ましく吠え猛る。
だが当然、暴走するアリスの足はその程度では止まらない。一瞬たたらを踏んだが、即座に体勢を立て直した彼女は自身を邪魔した害虫ならぬ害猫を踏み潰さんと足を振り上げ――――自分の目の前に、巨大な銃(グレネードランチャー)を構えた少女を見た。
それは仲間が突撃をする瞬間に車体から飛び上がったもう一人。
月光を背に、整った美貌を羽付き帽子で隠した美少女怪盗。
「誰かを愛するのはとっても良いことだけど、少し頭を冷やしなさい!」
――ワンショットキル
炸裂音と共に、閃光が闇を裂いた。
短銃身のグレネードランチャーから撃ち出された弾丸は、放物線を描いてシャドウアリスの肩口に直撃する。
的確に筋肉の隙間を縫ってクリティカルヒットした弾丸は、その威力以上の激痛をアリスに齎した。
轟音が渋谷の大通りを揺らし、爆炎に包まれた白い毛並みが、ひび割れたアスファルトに叩きつけられる。
そんな仲間たちの攻防に、ジョーカーは決して振り返らない。
仲間がそこに立ち続け、自分に託してくれることを当然のように信じているから。
グラップリングフックを放ち、ビルの残骸を飛び越え、粉塵を突き抜けて走り続ける。
そして――
爆煙と瓦礫に覆われた渋谷の街を抜け、ジョーカーは最後の跳躍で廃墟の屋根に降り立った。
そして青年をそっと足元へ降ろすと、迷いなく近くの建物、これだけ大規模な破壊と混乱が齎されながら傷一つないそこの入口を示す。
言葉はなかった。だが、その瞳が告げていた――「行け」と。
青年は息を整えながら頷くと、歪んだシブヤジェイルの中にあって驚くほど本来の渋谷の建物と変わらない、とある施設の中へと足を踏み入れた。
踏み入れて、青年は整えたはずの息が止まってしまうほどの衝撃を受けた。
だってそこは、驚くほどに現実そのままのゲームセンターだったから。
崩壊も歪曲も、一切存在しない。煌々と輝くネオンライト。稼働音を響かせるゲーム筐体。ポップなBGMがスピーカーから流れ、コインが落ちる小気味よい音が絶え間なく響く。
それは、その場所は、青年がアリスと学校帰りによく訪れていたゲームセンターだったから。
彼女と一緒に遊んだリズムゲーム。アリスはリズムを取るのが苦手で、転んでしまいそうになった彼女を咄嗟に抱きしめてしまったのが、もしかしたらお互いを意識するきっかけだったかもしれない。
二人で撮ったプリクラ。彼女も自分も、あまりそういうのに慣れてなくて、恥ずかしがって上手く撮るのに何回も挑戦した。ようやく撮れた写真は、今でも二人の思い出で。
そして特に遊んだクレーンゲーム。アリスが可愛いと言った人気の雪だるまのキャラクターのストラップを取るために、二人で何度もコインを入れた。
きっと、普通に買う方が何倍も安かったんだろうけど、二人で手に入れたと言うのが自分たちにとって大切で。あのキーホルダーは、二人の宝物で絆の象徴だった。
どれもが鮮明すぎるほどに甦る。
それはもう記憶ではなく、幻覚のように今そこにいるかのようで。
青年は震えながら周囲を見渡す。
筐体も、音楽も、ネオンの光も、すべてが当時のまま。
ここだけは、歪んだシブヤジェイルにあって現実と寸分違わぬ“再現”だった。
だからそれは、アリスが守り抜いた、ふたりの時間。
彼女にとって何より大切な、決して壊されたくない想い出の欠片。
ジェイルは人の心を歪め、願望を怪物の姿に変える牢獄。
だがこの場所には、その歪みすら入り込む余地がなかった。
だってここは、この場所は――決して汚したくない、守り抜きたい、アリスの唯一無二の“宝物”だったから。
青年の胸が強く締めつけられる。
どうして自分は、これほど自分を想っていてくれた彼女の元から去ってしまったのか。
誰に何を言われても、たとえ世間に出る柊アリスのアイドル性の妨げになってしまうとしても、彼女の側に寄り添ってやろうと選択できなかったのか。
拳を握りしめた。
この空間が雄弁に物語っていた。
柊アリスがどれほど“自分との思い出”を宝物として抱きしめていたかを。
【ようやく自覚したか?】
低く、心臓を締め付けるような重たい声が、耳元で響いた。
それは誰かの声ではない。青年自身の奥底に巣食う、もう一人の「自分」の声。
【彼女を真に苦しめていたのは誰か】
景色がぼやける。
笑い合うアリスの幻が、いつの間にか泣き顔へと変わり、消えていく。
ずっとこれが彼女の幸せなんだと誤魔化して来た罪悪感が、鈍い痛みとなって噴き出してくる。
【彼女をここまで狂わせてしまったのは誰か】
足が震えた。
耳を塞ぎたくても、その声は頭蓋の内側から響く。
かつて自分が選ばなかった言葉、伝えられなかった想いが、刃のように突き刺さる。
【彼女のためなどと無責任な優しさを振り翳し】
痛みに俯く。
あの頃、何度も「これでいい」と思い込んだ。
でも本当は、彼女を放って逃げていただけだった。
【真実の想いから逃げ出した臆病者】
拳が震える。
視界に端に転がっていた雪だるまのキーホルダーが、まるで自分を責める証人のようにこちらを見つめている。
【今こそ、決別の時】
その目に、膝をつきかけた足が踏みとどまる。
胸の奥で、熱がゆっくりと沸き立っていく。
このままでは終われない――そんな感情が、痛みを押しのけて顔を上げさせた。
【再び、彼女と向き合うとしよう】
視界に、もう一度アリスの笑顔が浮かぶ。
あの時守れなかった彼女を、今度こそ救うのだと心が叫ぶ。
【我は汝、汝は我】
その言葉が響いた瞬間、青年の胸に熱い何かが爆ぜた。
耳元で鈴の音のような金属音が鳴り、視界の隅に、仮面の輪郭が像を結び始める。
まるで誰かが差し伸べた手を、今ようやく掴み取ったかのように。
その瞬間に、腹の底を揺さぶる轟音と衝撃波がゲームセンター内を駆け抜ける。
入口のガラスが粉々に砕け散り、鮮やかなネオンは一瞬で吹き飛び、煌々と輝いていたゲーム筐体は倒れ、火花を散らしながら沈黙していく。
アリスだ。彼女が怪盗団の妨害を振り切り、ついにここまで辿り着いたのだ。
宝物のように守られていた思い出の場所さえ、もはや暴走の嵐は容赦しない。
あれほど鮮明に甦っていた学生時代の記憶の舞台は、今や瓦礫の山と化していた。
それでも青年は、一瞬で廃墟と化したゲームセンターを背に、歩き出す。すでに彼女との思い出は、再び胸に焼き付けたから。
暗闇に沈んだ綺麗だった過去の幻を後にして。青年は崩れた扉を踏み越え、辛く苦しい、それでも本当の彼女がいる現実へと歩み出す。
「ジャマァァァァッッ!!!」
外に踏み出した瞬間、世界が裂けるような轟音が鼓膜を打った。
視界いっぱいに広がるのは、暴走した巨大な兎――柊アリスのシャドウ。
そしてその巨体に欠片も臆することなく立ち向かう、黒いロングコートを翻して、赤い手袋の手で短剣を操る怪盗――ジョーカー。
影は閃光のような動きでシャドウアリスの攻撃をかわし、反撃の刃で巨体を裂く。だが次の瞬間には、怒り狂ったアリスによる、ビルをも叩き割る蹴撃が襲いかかり、地面をえぐって、衝撃波が街全体を揺るがす。
だがそれでも、彼は一歩も退かない。直後に抉られた地面を盾にし、それが壊されるや否や、僅かな衝撃波の隙間に体をねじ込んで被害を最小限に抑えて見せる。
矢継ぎ早に繰り出される攻防は、まるで夜空に描かれる死の舞踏。その主演たる彼は、まるで死の恐怖なんてないと言うように、地獄を一つの舞台に変えていた。
「――――」
そしてそんな彼と、青年の目が合う。同時に、嵐のような攻防の合間を縫って、ジョーカーは宙を舞った。
巨大な兎の振り下ろす前脚を軽やかに躱し、瓦礫を蹴って一気に青年の立つ場所まで駆け降りる。
黒いコートの裾が風を裂き、地面に着地した瞬間、火花が散った。
そんな彼を間近で見た瞬間、微かに青年は息を止めた。
仮面越しに投げかけられた視線と、どこか見覚えのある立ち姿。
もう一人の自分の声と対峙し、逃げないと決めてこの仮面を得た今だからこそ、その重なりに気づけた。
自分の仕事場に少し前に入って来た、すごく頼りになるアルバイト。よく仕事の事で世話を焼き、こちらもまた心の内の悩みを聞いてもらった後輩。
声は出なかった。
けれど確信は揺るがない。
こんな偶然に、思わず笑みが溢れる。
ジョーカーは何も言わず、ただ片手を差し出す。それは、バイトのシフトを交代する時の合図。
まるで、ここからはお前が『主役』だとでも言うように。
それに、青年も応えるように同じように手を上げて。
二人は、『バトンタッチ』をする。
体に湧いてくる不思議な活力。今ならいつもよりも力強く動けそうだと、彼は自身の顔に張り付いた仮面へと手を伸ばす。
柊アリスともう一度笑い合うために、彼女を鎖から解き放とう。
そのために何をすればいいかは、全て後ろの後輩が教えてくれた。
両手を、顔へと伸ばす。そこにあったのは、目元だけを覆う白地の仮面。
左右非対称に歪んで、片側には血の涙を思わせる赤い模様。
まるで、嘲笑う道化のメイク。
まるで、自分自身が“滑稽なピエロ”であることを示す烙印。
アリスを救えず、彼女を狂わせた自分。
優しさを盾に逃げ続けた臆病者。
その姿を覆い隠すかのように、この仮面は彼の顔に喰らいついていた。
それを今――受け入れて、乗り越える!
ベキベキと、顔の皮膚に張り付いていた仮面を無理矢理引きちぎる。完全な無防備となった彼へと、横合いからそれを止めるようにシャドウたちが飛びかかる。
だが、それをさらに横合いから髑髏の少年と赤い女豹の少女が打ち倒してくれた。
空から雨霰とシャドウたちが魔法を浴びせてくる。炎、氷、風と色彩豊かに降りかかるそれらを、一刀と一撃でもって狐面と鉄仮面の少年少女が真正面から吹き飛ばした。
もはやなりふり構わないと、津波のように押し寄せるシャドウの群れ。その波の中を爆速で走り回る某超有名日本映画に出てくる猫バスそっくりの乗り物が、その上に乗る美少女仮面が放つグレネードランチャーと共に次々と引き飛ばして行く。
彼ら彼女らが稼いだ時間に感謝して、彼は遂に自身の仮面を剥ぎ取る!
「やめてぇぇぇぇぇ!!!!」
その先の言葉を紡がせはしないと、巨大な御伽話の兎と化したアリスが持てる力の全てを使って突進した。自身の体に降りかかる弱点の氷の魔法や、数々の妨害の遠距離攻撃を全て無視して、彼女は駆けた。
もう二度と、彼を失いたくない。ただそれだけの、しかし唯一絶対の想いを胸に。
「――――――――ッッ」
それを、『彼』は真正面から受け止めた。暴走シャドウ体と化したアリスの、全力の一撃。それを、彼の目の前に像を結んだ人形が防いでいるのだ。アリスの心からの叫びに、自身もまた全力で受け入れると言うように。
それは、奇抜ながら仕立ての良い服を着た、シルクハットの帽子を被った道化師。手にはステッキを持ち、白化粧を塗った真っ白の顔にニコリと笑みを貼り付けたる様は、狂気さえ感じさせて。
なのにその姿を見た時、アリスの胸に去来したのは恐怖とは180度異なる未知の高揚。まるで自身の半身と出会ったような満たされた感覚。
その意味を、彼女は愛しの彼の口から教えられた。
マッドハッター。それは不思議の国のアリスに登場する狂いし帽子屋。ハートの女王の圧政さえも意にかけず、己の心のままに振る舞い続けた自由人。
そして――――『狂った兎』の側にいつまでも寄り添い続けた、たった一人の人間の男。
「ぁっ……ああっ……!!」
それが、自身のペルソナとして現れるとはどう言うことか。
その意味を、アリスに向けた告白と言ってもいいそのペルソナに、柊アリスのシャドウは頭からつま先まで雷に射抜かれたような感覚を覚えた。
言葉として形容するなんて到底無理なほどの熱い何かが全身を巡って、瞳から流れ落ちて行く。
そしてそれは、シルクハットと緑の燕尾服の怪盗服に身を包んだ彼も同じで。
胸の奥にあった痛みが、燃え盛る炎に変わっていく。
逃げてきた罪も、臆病さも、もう誤魔化さない。
彼女を狂わせたのは、自分の弱さだ。
ならば――今度こそ、その弱さごと抱き締めてみせる。
マッドハッターは狂気の道化。
だがその狂気は、誰かを笑顔にするために振るう自由であり、誇りであり、愛だった。
彼女が絶望の底で求めたのは、ただの救いではない。
狂った兎の隣に、最後まで立ち続ける存在。
たとえ世界に否定されても、彼女だけを見つめて寄り添う者。
――それが、自分の役目なのだ。
アリスの瞳に映る狂気の帽子屋は、ただの幻ではない。
彼女の王子様などではなく。
ただ彼女の隣に立つ、唯一の“相棒”として現れたのだ。
白塗りの道化師が背に寄り添う。
彼女に想いを届けるための、最後の炎をその胸に灯し、青年は前を見据え、静かに息を整える。
そのすぐ後ろに――いつの間にか、黒き怪盗が立っていた。
言葉もなく、ただ沈黙で背中を押すように。
その一瞬の並びは、舞台に立つ二人の役者の姿に重なって。青年は、自然と彼の口に合わせるように言葉を紡ぐ。
「【さあ、Showtimeだ】」
ヒロインをヒーローが救い出す。これは、そんなクライマックスで終わる物語。
ねぇ、私……夢を見てたの。
君と一緒に学校を卒業して、二人でお店を開く夢。
大きくなんてなくていい。
有名じゃなくたっていい。
私と君、二人で作った服を、それを気に入った人に見てもらう。
そんな小さな毎日を、君と一緒に積み重ねていけたらって……。
…………。
…………。
ごめんね。
閉じ込めて、ごめんね。
苦しめて、ごめんね。
最低、だよね……私……っ。
…………。
………………っ。
……ぁっ…………ぅぅっ…………。
……今さら、こんなこと言っても、迷惑だってわかってる。
あなたの人生を、より苦しめるだけだってわかってる。
でも、それでも好きなの。
あなたのこと、大好きなの。
だから
だから
だから
こんな、君が苦しんでた事にも気づけなかったひどい私だけど。
大勢の人を苦しめた、最低な私だけど。
ちゃんと、罪を償ったら。
私が、罰を受けて刑務所から戻ってきたら。
付き合って、くれますか?
『はい』
……それから。
いいえ、それからの『EMMA』を巡る一連の事件、そして黒幕との対峙について語るのは……蛇足となりましょう。
なぜなら――日本中を混乱(スクランブル)させたその騒動の主役は、心の怪盗団と電子の少女。
彼らが歩んだ軌跡と、その果てに導き出した答えは……不思議の国を飛び出したお二人の未来に、大きく干渉することはありません。
もちろん、多少は物語の流れが揺らいだことはあったでしょう。
しかし……審判の時を変えるほどの大きな変化をもたらすことはない。
……さて、お客人。
この先に続く『物語』は、もはや私の領分を離れたもの。
混沌の果てに紡がれた、ひとつのささやかな未来。
罪を負い、罰を受け、なお寄り添い続けた者たちの、新たなる物語でございます。
故に、私が最後にお見せできるのは、物語に例えるならば――そう、“エピローグ”と呼ぶべき場面なのです。
では……参りましょう。
お客人に、最後の一頁をお見せいたします――
都会の喧騒から離れた、小さな地方の町。
人通りは少なく、都会のような喧噪とは縁もない。けれど歩く人々は皆、ゆったりとした笑みを浮かべ、挨拶の声を交わして通り過ぎていく。
そんな駅前通りの一角に、木の看板が掲げられた可愛らしい店がある。
店の前には小さな石畳の道が続き、道端には色とりどりの花が咲き誇り。
春風に揺れる花弁の上を、小鳥たちが楽しげに囀りながら飛び交い、時折屋根の上に留まっては澄んだ声を響かせる。
店先のラックには、この店の店主が作った服が整然と並ぶ。赤青緑とカラフルなワンピースや、不思議の国のウサギが刺繍されたスカート、小さなリボンが全体にあしらったブラウス。
それはどれもメルヘンな装いで、でも不思議と見る人の目を惹きつける。
扉を押し開けると、木のベルが澄んだ音を鳴らした。
春の匂いと外気が区切られ、澄んだ自然の香りと木の床が軋む心地の良い音が響く。
正面の窓際では、少女がミシンに向かっていた。淡い色のワンピース姿で、髪を耳にかけ、指先を細やかに動かしながら布を縫い合わせている。
光が降り注ぎ、彼女の笑顔に溢れた横顔をやさしく縁取っていく。
その奥では、一人の青年が客と談笑している。笑顔で服を手渡し、軽く会釈をする仕草は、都会の喧騒とは無縁の、穏やかで誠実な空気を纏っていた。
ふと、青年が入って来たばかりの“彼”に気づいて駆け寄って来る。驚きを浮かべていたのは一拍だけで、穏やかな笑みが溢れていた。
少し遅れて、ミシンの音が止む。
窓際の少女が顔を上げ、主人と談合する客の様子に気づいてゆっくり立ち上がる。淡いワンピースの生地が持ち上がり、結ばれたリボンの下で、丸くなったお腹のふくらみが光を受けて輪郭を描いた。
それに、今度は逆に驚かされたような表情を浮かべた彼に、青年は恥ずかしさと嬉しさが入り混じった笑みを浮かべながら頬をかく。
そしてそんな青年の隣へと、二人の愛の結晶が宿ったお腹に優しく手を添えながら彼女は歩み寄り、そっと腕を絡ませた。
その肩が並んだ瞬間、窓から射し込む午後の光が祝福するかのように二人を照らし。
幸せに包まれた二人の夫婦は自然に微笑み合うと、正面に立つ客へと揃って言葉を紡いでみせた。
「「ようこそ――『帽子屋とうさぎのアトリエ』へ」」
Happy End -The Hatter & Rabbit Atelier-
旧姓 柊アリス
夢から醒めた不思議の国の少女。今はただのアリス。大好きな人のお嫁さんとなって、田舎で二人、自分たちのお洋服を売っている。それは二度と消えない、幸福な日々。明日と明後日も、続いて行く二人の未来。そこにもう一人の宝物が増えて、彼女は花いっぱいに笑うだろう。なお性欲はうさぎ並みなので、毎晩夫を貪りまくっている模様。
「私と君、そしてこの子。うん、幸せだよ。これが、私と君の物語のハッピーエンド、なんだね。ふふ、この御伽噺を、早くこの子にも聞かせてあげたいね。ね、パ〜パ?」
彼、もしくはマッドハッター
王子様にはなれないけど、狂った帽子屋として共に寄り添い続けることができる青年。お店ではアリスが服や店の飾り付けを担当し、彼が経理と店員を担当している。怪盗団とは、アリスの事件の後も何度か協力したりしている。異世界召喚に巻き込まれたかは、神のみぞ知る。生まれてきた娘に母親に負けず劣らずのねっとりとした視線を向けられるようになるとは知らず、愛情いっぱいに育てている。
「ねぇ、最近あの子、あなたのことを変な目で見てない? ううん、反抗期とかじゃなくて、なんと言うか……昔の私を見ているような(ボソっ)。とにかく、明日からは二人でお風呂入るの禁止ね! 入る時は私も一緒!」
怪盗団
ハッピーエンドの仕立て人。不思議の国に殴り込みをかけてバッドエンドを見事盗んだ心の怪盗団。この大戦闘の後に日本全国回って改心巡りをする鬼スケジュールを難なくこなす。アリスをジェイルの王に変えた黒幕を倒すために加わったマッドハッターも入れて、道中は実に賑やかになったそう。なお事件後は、アリスから夫を勝手にどこかに連れて行く要注意人物(特に女性陣)として警戒されてる。もうすぐ異世界召喚される。
「本当に、あの怪盗団の女子たちとは何ともないんだよね? 特に高巻さんとか、すっごく可愛いから誘惑されても靡いちゃダメだからね!? 君には私って言うお嫁さんがいるんだから! 待って、そういえば君が後輩って呼んでる彼とよく出かけてるけど……まさか!? ダメダメ! ぜっっったいダメだからね!!」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
エロ短編にあるまじきほとんどエロがない後日談でしたが、アリスヒロインの純愛物語とした場合エロを入れる場面がほとんどなかったんだ……すまない……。
中盤の怪盗団とシャドウアリス戦は私のロマンです。渋谷、巨大ボス、怪盗団、モナカー、この要素が揃ってた時点でモンスター映画+アベンジャーズみたいな戦闘シーンをどうしても書きたかったんです。
もしFFのエロをやるならどのナンバリングが見たい?*FF7は意図的に外しています
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FF外伝*零式やCC、タクティクスなど