「ん...?」
駐車場に向かい、営業車に乗り込もうとしたその時...駐車場横の体育館の裏に向かう人影を見た気がした。
修繕工事の関係で校舎の間取り図を見たのだが...あの奥には裏門などは無く、ただの行き止まりのはずだ。
そんな場所に何の用事だろうか?
それに...俺の見間違いでなければ、その内の一人は例の彼女じゃなかったか?
「...」
様々な状況が考えられる。
あれほどの美少女なのだから告白の類も大いにあり得る。
しかし...それにしてはやけに人数が多かった気がする。
...確認しよう。
告白などの暖かいイベントならそれでいい。
しかし、それ以外のネガティブな状況であれば―――
ともかく、俺は体育館の影から裏側の様子を確認した。
「....ろよ....!」
「ほら....げよ....!」
...?
声が聞こえて来た。女の子の声と男の子の興奮した声だ。
しかし、そのどちらも例の彼女の声ではない。
「はやく....ぬ....よっ!」
「...!」
今...服を脱げと言わなかったか?
慌てて確認すると、複数人の男の子と女の子が例の彼女を取り囲んでいた。
遠目なので詳細は分からないが、既にブラウスがはだけているように見える。
「おい!!」
思わず声を張り上げてしまった。
「...!!」
誰よりも早く例の彼女が反応した。
それとほぼ同時に囲んでいた数人の視線がこちらに向き、蜘蛛の子を散らすように奥の方へと逃げて行った。
「待て!!」
本当は追いかけたいところだが、今は彼女が優先だ。
白いブラウスははだけており、深い谷間と淡いオレンジ色のブラジャーが見えてしまっている。
「大丈夫か?何をされたんだ?」
急いで彼女に近づき、上着を着させた。
「だ...だい...じょうぶ...です...っ...」
声が震えている。...捲れあがっているスカートからはブラとお揃いのショーツが見えているのだが、身だしなみを直す余裕も無いのだろう。
「大丈夫なワケないよ。あんな大勢で囲んで...直ぐに先生に報告しよう。俺も一緒に行くから」
そう言って彼女の肩を抱こうとした...その時だった。
「だ、だめ!!」
彼女が大声を上げた。
「でも―――」
「だめ!!...おねがい...お願いします...誰にも言わないで...」
あの状況でも涙を流していなかった彼女だが、何故か今は大粒の涙を流していた。
「...分かった。誰にも言わないから。ほら、大丈夫だから」
ハンカチで涙を拭い、頭を優しく撫でる。
大丈夫、大丈夫だから、そう繰り返しながら頭を撫で続けていると、彼女も段々と落ち着きを取り戻してきた。
「ぐすっ...ありがとう...ございました。ごめんなさい...大きな声出しちゃって...」
「大丈夫だよ。でも、本当に誰にも相談しなくて良いの?」
再度尋ねると、今度は青い顔になって首を横に振り始めた。
「本当に大丈夫です...誰にも言わなくて大丈夫です...言っちゃ...だめなんです」
気になる言い回しだ。
「誰にも言えないの?」
「っ...!」
ぶんぶんと首を横に振っている。
只事ではないことは理解できたが、尋常ではない彼女の様子に何も言えなかった。
「わかった、わかったから。...でも、俺だけでも何とか力になるから。何かあれば連絡して?」
このまま放っては置けない。
そう思い、名刺に私用の携帯電話の番号を書き込み、彼女に手渡した。
「何かあれば電話するんだ。力になるから」
「っ...ありがとう...ございます...」
最後にもう一度頭を撫でて、俺はその場を後にしたのだった。
――――――――――――――――――――――――
「お疲れ様でした」
残業している同僚や上司に挨拶をして、事業所を後にする。
「...」
脳裏に浮かぶのは昼間の出来事。
いつも見かける彼女が気になっているというのは...雄としての下心が無いと言えば嘘になるが、それ以上に彼女の身の安全が心配というのも本心だ。
そんな事を考えながらいつもの帰宅路を走っていると、カーナビとBluetoothで接続している私用携帯に着信が入って来た。
「?」
公衆電話からだ。珍しいな...
「もしもし?」
通話開始ボタンを押して通話に出た。
『あ、もしもし?あの...伊藤ですけど』
女の子の声だ。どこかで聞いたことが有る気がするのだが...生憎、"伊藤"という名前の知り合いに記憶が無い。
「伊藤...さん?」
『あ...ごめんなさい。あの...さっき助けてくれたお兄さんですよね...?』
「さっき...あ!」
例の彼女だ。...まさか、また何かされているのではないだろうか?
『さっきはありがとうございました。その...助けていただいて』
「いえいえ。そんなこと気にしなくて良いよ」
わざわざその事を言う為に連絡したのだろうか?...律儀な子だ。
『それで...その...今から会えませんか...?』
意外な言葉だった。
「それは構わないけど...どうしたの?また何かされた?」
それが心配だ。
『あ、いえ...そういうワケじゃないんですけど...その、ジャンバーをお返ししたくて』
「ジャンバー...あっ」
社名入りのジャンバーだ。彼女に着せたまま帰って来たことを今更思い出した。
『その...本当は洗ってお返しようと思ったんですけど...直ぐに返した方が良いかなって思って...』
別に無くても困らないものだが、社名入りなので下手に無くすとかなり怒られる。
「別に気にしなくて良いのに。でも、ありがとう」
『そ、そんな...お礼を言われることじゃないです...』
それにしても...電話越しでも綺麗な声だ。
それに、なんと良い子なのだろうか。美少女かつスタイル抜群で性格も良いなんて...どうしてこんなに良い子がいじめられているのだろうか?
「何処に行けば良い?」
「あ...えっと...学校の裏の大きな公園でも大丈夫ですか?」
学校の裏の公園...ああ、あそこか。
「広い駐車場が有るところだよね?」
『は、はい。そこで...待ってます』
「わかった。すぐに行くよ」
そう返事を返し、電話を切った。
ふと、妙な事に気が付いた。...あの辺りには民家が無い。
学校の裏というのは間違いでは無いのだが...あの学校が既に山の上に位置しているのだ。更にその裏となると、山をかなり登ったところにある広い公園だ。
普通は車なり自転車やバスで行くのだが...日が暮れた後に子供の足で行くところではない。
...なんとも胸騒ぎがする。悪い事が起きていなければ良いけれど。
..............................
車を走らせること十数分。俺は山奥の公園に到着していた。
「えっと...」
外灯がポツポツと並ぶ薄暗い駐車場。
他に停まっている車は無く、公衆トイレの弱弱しい照明が遠くに見えるだけだ。
...しまった。連絡先が分からない。
いや、公衆電話から掛けていたので携帯電話を持っていないのだろう。
どうやって彼女を探したものか...と思っていると、何やら人が近づいてくる気配がした。
「こ、こんばんは...」
鈴の音が鳴るような美しい声。
薄暗い外灯の下でもはっきりと分かる白い肌。
白いブラウスを大きく押し上げる豊満な乳房に、引き締まったウエスト。それでいてミニスカートを押し上げているお尻は丸く形が良い。
そんなスタイル抜群の美少女は、少し不安げな様子で近づいてきた。
「こんばんは、伊藤さん」
「こ、こんばんは...お兄さん」
俺のジャンバーを胸に抱えながら、少しだけ表情をやわらげた。
「わざわざありがとうね。俺もすっかり忘れていたよ」
「い、いえ...わたしの方こそ、助けていただいて...ありがとうございます。その...嬉しかったです」
ふわりと微笑む彼女。
...思わずその笑顔に見惚れてしまった。
「...」
「お兄さん...?」
不思議そうに小首をかしげている彼女。
「...ねえ、伊藤さん。下の名前も...聞いて良いかな?」
自然と、そう尋ねていた。
「えっと...
伊藤綾芽...なんと可憐な響きなのだろうか。
「綾芽ちゃんだね。ありがとう、綾芽ちゃん」
綾芽ちゃんの手を握りながら答えた。
「い、いえ...っ...そんな、お礼を言われるほどのことじゃ...」
外灯の下でも頬が赤い事がわかる。
「...」
...俺は何を伊達男のような事をしているのだろうか。
冷静になったところで、先ほどの疑問が再び浮かんできた。
「綾芽ちゃん、ここにはどうやって来たの?」
市の周回バスも終わっている時間だ。それに、他に車は無いので一人でここに来ていることが分かる。
「えっと...それは...」
彼女の服装やカバンを見るに、学校からそのまま此処に足を運んでいることが分かる。
「家の人は心配してないの?」
「...してないです」
はっきりとした答えだった。
「でも...」
「してないです。本当に」
彼女が暗い表情に変化していることに気が付いた。
「...理由を聞いても良いかな?」
「それは...」
そっと顔を逸らす綾芽。
身体ごと離れようとしたのだろうが、俺に手を握られているのでそれも叶わない。
「...」
ふと、綾芽の手が非常に冷たい事に気が付いた。
よくよく考えると彼女の服装は少しおかしい。
季節は春であるが、流石に日が落ちてくるとまだまだ寒い。それに、この公園は標高が高いので更に気温が低い。
だというのに、彼女は薄いブラウスにミニスカートという格好だ。スカートから伸びる長い脚はニーハイソックスに覆われているが、それだけでは暖は取れずに身体が冷えて風邪をひいてしまう事だろう。
「とりあえずこっちにおいで。暖房を効かせているから」
「は、はい...」
綾芽の手を引いて後部座席に乗り込んだ。
...とりあえず、質問を変えるか。
「...綾芽ちゃん。ここから歩いて家に帰るの?」
「...」
ふるふると首を横に振っている。
「親御さんが迎えに来るの?」
「...」
否定。
「自転車?」
「...」
...否定。
「それなら...まさか公園に泊まるの?」
まさかとは思うのだが、俺はそれ以外の選択肢を思いつかなかった。
「っ...」
肯定。
...まさかの答えだった。
「え?...家に帰れない事情でもあるの...?」
「...はい」
小さな声だった。
「理由を...話せる?」
手を握りながら尋ねた。
「...」
「...」
しばらくの間、車内の空気は停滞していた。
時折、発電の為にエンジンが始動する音が...やけによく響く。
「...お兄さんは、元々この町の人じゃないですよね?」
突然の問いかけ。
確かにその通りだ。大学を卒業した後、今の会社に入社して研修を受けた後に配属された事業所だ。地元からは車で5時間以上の距離だ。
「そうだよ。就職してから住み始めた」
「それなら...知らないですよね。この町のことについて」
この町のこと。
それは法律や条例の事ではないだろう。
「詳しく教えてくれる?」
「...わたしから聞いたって言わないで下さいね?」
念を押された。...綾芽の身に危険が及ぶのだろうか?どちらにせよ口外するつもりは無い。
「ああ。約束する」
「ありがとうございます。その...まずは学校でわたしがされていたことについて...です」
先程のいじめの件だろう。
「あの時、体育館裏に居た人たちは...すっごく簡単に言えば、この町のお金持ちの家の子です」
「お金持ち...そう言えば聞いたことが有るな。この町にはもの凄いお金持ちの家が何軒か有ると」
そこそこ裕福な家は何軒も有るのだが、それとは一線を画す...それこそ、大地主や市政に大きな影響力が有る名家と呼ばれる家が数件存在していると、会社の交際資料の中で目にした。それに、その家には本社の重役が直々に挨拶に伺う場合もある...とか。
「はい。その通りです。...その子たちには誰も逆らえないんです」
そうは言うモノの、相手は子供なので教師が指導をすべきではないだろうか?
「先生は...誰もその子たちを叱らないの?」
「...今は、誰も。昔は何とかしようとした先生も居たそうなんですけど...みんな、いつの間にか先生を辞めちゃうんです」
...そこまで権力が及ぶのか。
「だから、あの子たちが飽きるまで...わたしは我慢しないといけないんです」
俯きがちに声を絞り出す綾芽だった。
「そうか...」
それは間違っている―――そんなことは分かっている。しかし、働き出して数年...この世にはどうにもならない"差"というものがある事を理解した。
...しかし解せない。それがどうして彼女がホームレス生活を強いられる理由になるんだ?
「わたしの両親は...事故に遭いました」
「...!」
綾芽は話を続けた。
「事故に遭って...2人とも大怪我をして入院しています。いつ退院できるのか...わかりません」
「...」
その事故は...本当に事故だろうか?
「今はずっと遠くの...両親の地元の病院に入院しています。病院のお金に関しては相手の保険会社が全部払ってくれるそうなんですけど、わたしの生活に関しては...誰も答えてくれませんでした。一応、両親の身に危険はないみたいですけど...わたしには一切連絡出来ないようになってしまいました」
事故は故意かもしれないが、保険会社にまでは権力が及ばなかったのだろう。この町の権力者の影響力が及ばない遠方に入院させたのは...保険会社の配慮だろうか?
そのような事を考えていると、綾芽はポケットからスマートフォンを取り出した。ケースも何もない、黒いシンプルなスマートフォンだ。
「毎週月曜日に...このアプリに少しだけお金が送られて来るんです。使い道はメールが送られてきます。食費と...2日に1度のお風呂代。それと、着替えを入れるコインロッカーのお金。電話は出来ません。他のアプリは...何も入れることが出来ません」
...およそ人間の生活とは思えない。
しかし、そのような非道さえも許されてしまうのだろう。それほどまでに...権威の暴力は強力だということだ。
「だから...わたしはここで寝泊りするしかないんです。ここなら...誰にも監視されないので」
「...」
...本当にそうだろうか。
この規模の公園であれば監視カメラの一つや二つは設置してある。
そして、それは公園管理者や市の職員だけが閲覧できるはずだが...それは権力者も例外ではないだろう。
という事は、俺の身の安全を考えると...彼女をここに置いて全てを忘れるべきだろうが―――
「...よかったら、ウチに来る?」
―――それでも、俺は彼女を見捨てることが出来なかった。
「え...?」
困惑した表情を浮かべる綾芽。
「こんな寂しい所に女の子を一人で残してはおけないよ」
ぎゅっと手を握りながら答える。
「で、でも...そんなことをすれば...!」
「構わないさ。それに、いざとなれば隣の県にでも逃げれば良いさ。話を聞く限り...県境を跨げば彼らの力は及ばなくなる」
しかし、自治体や県警には影響力がありそうだ。油断は出来ない。
「でも...その...お兄さんに迷惑が掛かるんじゃ...」
甘えたい気持ちと、迷惑を掛けたくないという気持ちの瀬戸際のようだ。
「大丈夫。...君が考える我儘や迷惑は、大人にとっては君の愛嬌のひとつに過ぎないよ。遠慮なんかしなくて良い。俺が...君を守る」
綾芽の両手を取り、真っすぐに目を見つめながらそう告げた。
「ぁ...」
小さく声を漏らし、綾芽は目を見開いて俺を見つめた。
そして―――
「っ...」
ぽろぽろと涙がこぼれ落ち始めた。
「よしよし...よく頑張ったね」
嗚咽を上げる綾芽を抱きしめる。
「あり...っ...ありがとう...ございます...っ...」
しゃくりをあげる綾芽を抱きしめながら、安心させるように頭を撫で続けたのだった...