Coma Anger Woe Wound Untied. 作:やわらかな土
友情や愛、そんなものは幻想だ。
この世で信じられるのは痛みだけ――駒川詩はそんなふうに思っていたから、彼女をリフレクターに誘った“お姉さん”の口説き文句には驚いた。
「少女たちの痛みを集める使命を手伝って欲しい」
満たされることのない日々を送っていた詩の前に“お姉さん”は突然現れて、自分たちの仲間になるよう求めたのだ。
痛みを集める――とは具体的にどんなことをするのかはわからなかったが、他の人の抱える痛みにひどく興味を持っていた詩のことなので、もちろん二つ返事で引き受けた。
願ってもいないことだったし、それに、なんだか刺激的だし、おもしろそうじゃない?
“お姉さん”は痛みを集めることを「少女たちの思いを引き受ける」なんて言っていたけれど、何かを企んでいることは詩にはピンときていたし、けれど意味なんてあまり興味がなかったので問いただすようなことはしなかった。
それよりも、“お姉さん”に痛みを抜かれた女の子は見違えるように元気になったというし、痛みをなくしたいと思う女の子がこの世には結構いると知ったことが、詩にとって何よりの驚きだった。
他の人の言葉なんてどうせ上っ面に過ぎないと思っていた詩だったが、心の底に抱えた本当の『痛み』となれば話は別だ。
言葉なんて信用できないけれど、痛みでならもしかしたら、という予感があった。
どうせいらない痛みなら、私が全部もらってあげる――。
詩は舌で唇をぺろりとひと舐めして、弾むような足取りで“お姉さん”に着いていくのだった。
街を抜け、“お姉さん”の案内で小高い丘の中腹に建つ学園に辿り着いた。
校門の学校銘板には『聖イネス学園・高等部』とあった。
聖イネス学園初等部と中等部は街中の幹線通り沿いにあるが、この高等部は建てられてから何年も経っていない。
校門をくぐると校舎まで道が舗装されていて、校舎の向こう側に丘が見える。
校舎よりも少し高いところに薔薇園が広がり、さらにその奥には教会の尖塔が下界を見下ろすようにそびえ立っていた。
“お姉さん”は迷うことなく学園の敷地内に踏み込んで行く。
詩もその後に続く。
敷地内にはまるで人の気配がなく、しんと静まり返っていた。
“お姉さん”は校舎の傍を通り過ぎ、丘の上へと続く道を、ツカツカと、ペースを落とすことなく進んで行く。
薔薇園の入り口のアーチをくぐると、薔薇の甘やかな香りに包まれた。
振り返ると、学園の広大な敷地が一目で見渡せた。やはり、人っ子ひとり見当たらなかった。
「なにをしているの。こっちよ」
“お姉さん”の呼びかけに、詩は再度振り返る。
“お姉さん”は教会の扉に手をかけたまま詩が追いついて来るのを待っていた。
扉を開くと、中は礼拝堂になっていて、手前から奥まで会衆席がずらっと左右に並び、壁には小型のオルガンが据え置かれ、ステージには講壇が立っている。
何より詩の目を引いたのは、奥の壁一面に取り付けられたステンドグラスだ。
床から天井まで届く窓は、その上部に半月状のアーチを持つ巨大なステンドグラスで、青い宝石箱のようにきらきらと輝いていた。
そのステンドグラスの前に女の子が二人立っていた。
一人は灰色の長い髪を先端で切り揃えた――おそらく中学生くらいだろう――幼い少女と、その隣に立つ、くすんだ金髪を左右で雑に結わえた少女だ――こちらは身長こそ詩よりも低かったが、同い年くらいに見える。
髪の長い女の子は“お姉さん”と同じワンピース型の制服を着ていて、わずかに色が違っていたが、詩にはどちらもまるで喪服のように思えた。
“お姉さん”が講壇の前に立つと、髪の長い女の子が隣に並び立って言った。
「こんにちは、詩ちゃん」
「あら、はじめましてですよね?」
まだ会ったばかりの女の子に名前を呼ばれたので、思わず詩は尋ね返した。
けれど女の子はにこにこと笑うだけだ。
「紫乃よ」
“お姉さん”が女の子をそう紹介した。
「紫乃たんっていうんですね。素敵なお名前」
詩は口角を上げ、不躾に名前を呼びながら社交辞令を付け加えた。
けれど、紫乃は相変わらずにこにことするばかりだった。
紫乃が詩の手を取った。紫乃の手には指輪が握られていて、血のように鮮やかな赤い宝石が、光を三角形に反射している。
「まるでなにかの契約みたいね」
「その通りよ」
嬉しそうに漏らした詩の言葉を“お姉さん”が肯定した。
「次はなにが起こるのかしら?」
詩は指輪のはまった左手の人差し指を天に掲げてためつすがめつした。
「これからあなたに、この子と共鳴してもらうわ」
“お姉さん”が言い、くすんだ金髪を二つに結った少女が一歩前に出た。
「山田仁菜だ。ニーナさんと呼べ」
「へえ……」
詩はあらためて仁菜を観察した。
仁菜は古びたヨレヨレのTシャツにデニムのショートパンツという出立ちだったが、ショートパンツは明らかに自作したものだった。
腰や腿周りのサイズが合っていないし、裾の長さをごまかすために加工したように見える。
そう考えると、Tシャツのサイズも明らかに大きく、詩は仁菜の服の入手経路についてちくちくと問い詰めたい気持ちになった。
服だけでなく、仁菜からは蓄積した垢の甘い匂いがしていたし、髪も脂でしっとりと濡れていて、まるで捨て猫のようだった。
迂闊に触れたら引っ掻かれてしまいそう。
「本当にこの子と……えっと、何でしたっけ?」
「共鳴だ」と仁菜。
「その……不勉強で申し訳ないのですが、共鳴についてもう少し教えていただいても?」
詩が問いかけると、仁菜は伺いを立てるように“お姉さん”に顔を向けた。
すると“お姉さん”が頷いて、口を開いた。
「これからあなたは仁菜の思いを通じてコモンと繋がるのよ。そして思いは増幅され、あなたはコモンの力を使うことができるようになる」
“お姉さん”は自信たっぷりに宣言するが、詩にはどうにもピンと来なかった。
「すみませんが、よくわかりません」
「詩ちゃんはこれから魔女っ子ウタちゃんになるの」と紫乃。
「魔女……ですか」
「やればわかる」と仁菜。
“お姉さん”は、語るべきことは語り終えたとでもいうように、詩の指輪をしている方の手を取った。
「お姉さま」と仁菜も歩み寄る。
詩の手を仁菜の胸に、仁菜の手を詩の胸に添えてから、「私に続いて」と“お姉さん”は言った。
「偽りに生きる少女たちよ」と“お姉さん”が述べ、
『偽りに生きる少女たちよ』と詩と仁菜が続く。
「その悲しき花を」と“お姉さん”。
『その悲しき花を』と詩と仁菜。
「咲かせた絶望を」
『咲かせた絶望を』
「私たちが全部」
『私たちが全部』
「引き受ける」
『引き受ける』
言い終わると、仁菜の手の中から風が吹き込んできて、詩の体内をぐるりと一周し、手の先から仁菜の体に吹き抜けて行く感覚があった。
心臓の音が仁菜と完璧にリンクしているように感じた。
誰かの怒鳴り声が聞こえたような気がして周りを見たが、今いる四人の他に誰もこの場にはいなかった。
視界がぼやけて半透明になっていき、いま見ている景色の下からもう一枚のフィルムが浮き上がって見えてきた。
「なにこれ!? いったい何が起きてるんです!?」
「落ち着いて。これが共鳴よ」
気が狂ってしまったのかと怯える詩だったが、肩に“お姉さん”の手の重みと温もりを感じ、落ち着きを取り戻した。
「あなたはこれから仁菜の記憶を感じて、本当の思いと繋がるのよ」
「本当の思いと……繋がる……」
詩は仁菜の目を見た。
誰のことも信用していないような目で、まるで自分を見ているようだった。
世界は嘘ばかりで欺瞞に溢れ、けれども本当のことは誰の心にも響かない。仁菜もそう思っているのだろうか。
何回見ても小汚い捨て猫のような出立ちは、いまの詩の気持ちにぴったりなようにも思えた。
いまや二人の手の中で吸い込まれるように風は循環していて、お互いの手はお互いの胸にぴったりと吸い付いていた。
やがて目の前が闇に閉ざされ、音が掻き消えた。
キーンとうるさいくらいの無音の中、少しずつ目が見えるようになっていく。
そこはカーテンの閉められた狭い和室だった。
手が小さく震えていて、背後から水の流れる音が聞こえていた。
ジュッと火の消える音が響き、煙草の匂いが漂った。
「ニーナ、テメェはよぉ」
背後から怒声とともに、のしのしと足音が迫って来る。
詩には何がなんだかわからなかった。
ただ、ひどく怯えていることだけが確かだった。