Coma Anger Woe Wound Untied. 作:やわらかな土
部屋に戻っても、由紀姫はまだ眠っていた。
部屋は元々あったベビーパウダーのような甘い匂いと酸っぱいアンモニアのような匂いのほかに、由紀姫の汗と体液の匂いが充満していた。
蒸発した汗のせいで湿度が高く、不快な空間に変貌していた。
詩は水をベッドテーブルに置き、手でトントンと叩いて由紀姫を起こした。
「……あ。ごめん、寝ちゃってた」
由紀姫は行為の跡の色濃く残る姿のまま目を開けた。
詩は口を閉じたまま由紀姫に微笑みかけた。
詩の頬がいびつな形に膨らんでいて、不審に思った由紀姫は詩に尋ねた。
「ウタちゃん、なにか口に入ってるの?」
そう聞かれて詩は待ってましたとでも言うような意味深さで目を開き、少しずつ口を開けていく。
すると口の中から黄色い羽が現れ、カナリアが顔を覗かせた。
「ちょっと! ウタちゃん何やってるの!?」
由紀姫が血相を変えて立ち上がる。
その音に驚いたカナリアが詩の口から飛び出そうとするが、詩は軽く歯で噛んでそれを妨害した。
詩の口からカナリアの顔が生えている異様な光景を見て、由紀姫は悲鳴を上げながら詩に掴みかかった。
「ダメ! ウタちゃん! それだけはダメ! 出して! 早く口から出して!!」
由紀姫は詩に掴みかかって、ベッドの上に押し倒した。
抵抗らしい抵抗をしない詩をそのまま下に組み敷いて、口の中からカナリアを救い出そうとする。
詩は歯でカナリアを噛んでいるので、由紀姫は自分の指を詩の口に突っ込んで閉じないようにした。
「ウタちゃんお願いだからやめて! 私のピーちゃんを返して!」
ピーちゃんなんて安直な名前――と詩は思いながら、混乱して取り乱す由紀姫を観察した。
いつまでもカナリアを口から離さない詩に業を煮やした由紀姫は、肘で詩の喉を押さえつけ、歯の隙間に指をもう一本ねじ込んだ。
詩の歯に皮膚が擦れて血が滲んだ。
由紀姫は詩の上でピストンのように動いて踏みつけ、詩の口をこじ開けようとした。
息が止まり、詩の眼の前が真っ白くなっていく。
ずるりと口の中に指を差し込まれた感覚があり、口が無理やりにこじ開けられ、中にいた何かを失った感覚だけが詩に残った。
由紀姫は唾液でべとべとに濡れたカナリアを手で包み込んでいた。
そのまま玄関の方へ歩いていく。
詩はまるで無理やり犯された後のような充足感に満たされた。
由紀姫は鳥籠の中に戻したカナリアに何かを話しかけていた。詩はその背後に忍び寄った。
「由紀姫」
詩が背後から呼びかけると、由紀姫は振り返るや否や、詩の頬を平手で叩いた。
「ウタちゃん、やっていいことと悪いことがあるよ!」
由紀姫に叩かれた頬が急速に熱を持ち、耳の奥がじんじんと痛んだ。
「カナリアを口に含んだ程度でこの痛みなら、カナリアを殺したらさぞかし由紀姫は悲しむのでしょうね」
詩の射るような視線を受けて、由紀姫は再び詩の頬を打った。
「そんなことしたら絶対に許さないからね!」
詩は獣のように素早く動いて由紀姫の手を掴み、体を回転させて遠心力で由紀姫を壁に叩きつけた。
「――ッ!」
衝撃で由紀姫が声にならない声を上げた。
詩は由紀姫の首を肘で押さえつけ、由紀姫の脚の間を膝で割って下着の上から突き上げた。
けれど由紀姫は屈することなく、詩の腕に歯を立てた。
詩の腕に手加減ない痛みが走る。
それを受けて詩は由紀姫の乳首を摘んで捻り上げた。
「あああああっ!」
由紀姫は腰をガクガクと痙攣させながら悲鳴を上げた。
詩相手に自分の身体がままならなくなっていた。
詩の腕には由紀姫の歯形がくっきりと残り、血が滲んだ。
詩は歯形に舌を添わせながら、腿を由紀姫のカーブに押し付けて芯をねぶるように擦った。
「ウタちゃん、なんでこんなことするの……?」
「人はなんでもできちゃうのよ。由紀姫、いまあなたは痛いの? それとも気持ちいい?」
「わかんないよ、そんなの。わかんない……」
そう言いながら由紀姫の腰は詩の脚の動きに合わせてグラインドし始める。
「すぐにわかる。痛いのって本当に気持ちがいいものなのよ」
詩は抵抗をやめた由紀姫の首から肘をはずし、その手を由紀姫の腰に添えて動きを制御した。
由紀姫は項垂れるように頭を詩の肩に預け、両手で詩にしがみついて腰の感覚に没頭した。
「あのね、ウタちゃん。わたし、あなたのことがわかったよ――これが『本当』のウタちゃんなんだね。ウタちゃんはきっと大きな問題を抱えてる。ウタちゃんにも助けが必要なんだ」
「はい? 由紀姫、あなたは何を言って――」
「由紀子。わたしの名前は高岡由紀子。もう由紀姫じゃないよ」
「やめてよ。あなたは由紀姫。ほかの誰でもない」
そう言ってから、詩は黙らせるように由紀姫の乳首をつねった。
甘い痺れが乳首から脊髄を駆け抜けて腰を痙攣させる。
押さえつけられた由紀姫の芯が詩の腿にねぶられる。
つま先立ちでその刺激から逃れようとする由紀姫に、詩は足を絡ませて、由紀姫の首筋に口付けて強く吸った。
ちゅぱっ、という音とともに唇が離れたとき、由紀姫の首筋にはミミズ腫れのような痕が残った。
「あなたは由紀姫。いいわね?」
「ウタちゃん、聞いて」
由紀姫は痛みや刺激に堪え、涙を浮かべて続けた。
「私はひとりぼっちで寂しかった。だからウタちゃんのことが好きだった。でもセックスがしたかったんじゃない。友達が欲しかった。でも、もう無理。ウタちゃんとは友達のままではいられない」
「それはそれは。私の思いがようやく伝わったのね」
「違う」由紀姫は短く言ってすばやく詩の首に手を回し、首筋に口付けて力強く吸った。
「ちょっと、なにしてるのよ!」
詩の首筋に切り取られるような鋭い痛みがはしる。
「やめて。離して!」
詩は自分と由紀姫の間に手を入れて突き放そうとしたが、由紀姫の力が思いがけず強く、引き剥がすことができなかった。
由紀姫が歯を立てているのがわかり、詩は軽く混乱した。
(このままではマーキングされてしまう――由紀姫の持ち物になりたくない!)
繋がった証として、お互いにお揃いのキスマークを付け合うだなんて最低だ。
安全の範囲内で痛みと傷跡を共有する秘密の儀式など茶番にすぎない。
他人の前で裸になることを禁じる枷だとすればもってのほかだし、それを貞操の証として立てるなど、考えただけで吐き気がする。
「嫌よ! 離して!」詩は両手と足を使って全力で由紀姫を引き剥がしにかかった。
「離しなさい!」
由紀姫の腕が詩の首から勢いよく離れ、詩の首筋に肉を削がれたような痛みが走った。
由紀姫は勢いよく床に叩きつけられて咳き込んだ。
詩が首筋に手をやると由紀姫の唾液でべっとりと濡れていて、傷口に触れたときのような痛みがあった。
手を見ると唾液と血の混じった濃赤の粘液が付着していて、唾液の渇く匂いに詩はたまらず自分の下着で手を拭った。
けれど、拭ってから、これでは下着を汚しただけではないかと後悔した。
下から詩を見上げている由紀姫の首筋には詩の付けた傷が赤く腫れていて、詩は思わず自分の首筋を手で隠した。
「もう帰るわ」
詩はそう言って、倒れたままの由紀姫を跨いで部屋に戻った。
部屋は二人の体液の匂いが立ち込めていて、ベッドの上は激しく争い合った乱れをそのまま残していた。
詩は自分の制服を掴み、乱暴に着替えていく。
「ウタちゃん」
由紀姫が詩を背中から抱き締める。けれど詩は由紀姫を手で払いのけた。
「わたし、前向きに生きることに決めたんだ。だからウタちゃんを諦めないよ」
「どうせそれも出まかせでしょう。他の子にしてるみたいに口で言ってるだけ」
「ううん。本気だから。今は口だけかもしれないけど、見てて欲しい」
「どうだか。女の子に大人気の由紀姫サマですものね。さぞかし口が達者なのでしょうから、私なんかに嘘と真実の見分けがつくのかしら?」
「そんな意地悪にはもう負けないから。ウタちゃんにも絶対にわかるよ。だってこれはウタちゃんがわたしに教えてくれたことなんだから」
「私が由紀姫に何を教えたと言うのかしら?」
詩が尋ねた。由紀姫が確信を持って答えた。
「友情、愛。触れられる喜び。体温。匂い。それに包まれる安心感と幸福」
「友情。愛。私の嫌いな言葉よ」
詩が顔を顰めると、由紀姫は嬉しそうに笑った。
「ウタちゃんの嫌いなものは友情と愛。覚えたよ」
由紀姫が言うと、詩は唾棄するようにフンと鼻を鳴らした。
「わたし、髪の色変えようかな。ウタちゃんどう思う?」
「どうでもいいですよ」
「たとえば、思い切って金髪にして、こんなふうに二つに結んでみたりして?」
由紀姫がショートの髪を頭の両脇に留めて見せた。
そのシルエットにどこか仁菜の面影があり、詩は不愉快になった。
「似合わないわね、全然」
そう吐き捨てるように言って詩は玄関に向かった。
「ウタちゃん。また会いたい」
そう言って由紀姫が詩に触れて、唇を近づけた。
けれど詩は唇を守るように下を向いて拒んだ。
「お願いだから」
「由紀姫。これは友情なんかじゃない。愛ですらない。だとすると、私たちの関係って一体なんなのかしら――あなたは性欲の捌け口に私を使えればいいんでしょうけれど?」
詩が問いかける。
「ウタちゃんはまたわざと酷いこと言ってる。全然違うよ。この関係はわたしの生きる意味。ウタちゃんはどう?」
「生きる意味……?」
詩は由紀姫の目を見つめた。
詩は生きる意味をとっくに見つけている。
詩は近づいてくる由紀姫の唇を拒まなかった。
この後、帰る途中で詩は由紀姫から贈られたプロミスリングを公園のゴミ箱に捨てた。