Coma Anger Woe Wound Untied. 作:やわらかな土
それからしばらくして、詩の思いは回復しつつあったが、剣はまだ折れたままだった。
由紀姫の『魔法部屋』は閉鎖された。
事情を問い詰められた詩は、ことの経緯を仁菜に説明した。
黙って由紀姫と直接接触したこと、そして由紀姫のフラグメントを抜き損ねたこと。
それを聞いて、詩の剣が回復したら再びフラグメントを集めようと考えていた仁菜は当然激怒した。
せっかくの狩場を台無しにされた恰好だ。
「てめえってヤツは! 休んでろって言ったのに勝手なまねしやがって。挙句フラグメント抜き損ねただと!?」
仁菜は怒りにまかせて詩の首を絞め上げた。
詩の背中を壁に押し付けて、力任せにずり上げる。
詩の踵は床から離れて、背伸びするように爪先だけで立たされた。
怒り狂う仁菜の目が詩を焼き尽くすように睨みつける。
詩は仁菜から発せられる〈いつもの〉圧倒的な恐怖と痛みに、居心地のよさを覚えた。
「最高……。もっと、山田先輩……」
「くっ。ニーナさんと呼べって――」
どんなに怒っても伝わらず、うわ言のようにもっともっとと繰り返す詩に、仁菜は辟易として、詩の首から手を離した。
「あんっ……」と詩が名残惜しそうに喘ぐ。
「覚えてるか? 儀式のときのことを」
「私と先輩が共鳴したときの?」
「お互い相手の胸に手を当てて忘れたくても忘れられない忌々しい記憶を共有した。こんなふうに」
仁菜が詩の乳房を鷲掴みにしてぐいっと捻った。
「ああん……」
「あのとき、あたしがどう感じたと思う?」
「もちろん、私が先輩の記憶に触れたときみたく痛みと快楽に――」
「『ぬるい』だ」
うっとりと言葉を続ける詩に冷水をかけるようにして仁菜は言葉を割り込ませた。
「孤独を冷笑でごまかし、ただ痛みによって自分の存在に酔いしれる」
言いながら仁菜は詩のスカートの中に手を入れ、足の傷を指で刺すように押し込んだ。
「そんな奴は掃いて捨てるほどいる。詩、お前は平凡なんだよ」
詩より少し目線の低い位置から、仁菜は鼻にシワを寄せた顔で軽蔑するように言った。
「……私を愚弄するのです?」
「そうだな。せめて愚弄し甲斐があればな――いずれにせよ、ありきたりなメンヘラ女と共鳴しても、あたしの実力は発揮できない」
そう言って仁菜は詩から手を離し、踵を返した。
「それって、私とのバディを解消するってことです? たった一人であの三人と戦えるわけが――まさか、お姉さんと!? そんなこと、お姉さんがお受けになるとでもお思いです? 名前も素性も明かさず、ただの一度も私たちに心開かれたことのないお姉さんが?」
詩は挑発するように仁菜に言葉を浴びせるが、仁菜は振り返らない。
狙い通り、一泡吹かせてやったが、だからなんだというのか。
大したことのない痛みを世界のルールだと思っているヤツに一撃叩きつけてやった――そんな胸のすく思いはやって来ない。
鬱陶しいヤツを突き飛ばした程度に胸のすく虚しさだ。
仁菜の心は〝お姉さま〟のものであり、詩とはビジネスバディに過ぎないのだから。
「ふん、どうぞご心配なく。ぶざまにフラれて戻ってきても、私は先輩の暴力を受け入れてさしあげませ――」
仁菜は詩を完璧に無視して、言葉が終わるまで待たずに扉を開けて部屋から退出した。
「待って、ニーナちゃん! ニーナちゃん!」
詩の呼ぶ声が部屋の中に木霊した。
その日の夕暮れ。
新たな儀式のために詩たち四人は礼拝堂に集まった。
夕陽が赤い光を礼拝堂に落として、ステンドグラスは赤く滲んだ光を放った。
講壇の前には仁菜と“お姉さん”が並んで立っていて、詩はそれを会衆席から眺めていた。
「詩ちゃん、本当に良かったんですか?」
詩の隣に座っている紫乃が言った。
紫乃はあまり調子が良くなく、詩にもたれるようにして体を預けている。
「私が本心からニーナちゃんとつながってると思ってたんです?」
詩が紫乃の肩に手を回す。
詩の胸に置かれた紫乃の顔との距離が近づく。
詩は囁くように言った。
「友情も愛も、つながりも幻想です。信じられるのはただ……」
詩はそれ以上続けられなかった。紫乃の肩に置いた手に思わず力が入る。
仁菜と“お姉さん”は、詩がはじめて共鳴した時のように、二人はお互いの胸に片手を置いて輪のように繋がった。
「偽りに生きる少女たちよ」と“お姉さん”が述べ、
「偽りに生きる少女たちよ」と仁菜が続く。
「その悲しき花を」と“お姉さん”。
「その悲しき花を」と仁菜。
「咲かせた絶望を」
「咲かせた絶望を」
「私たちが全部」
「私たちが全部」
「引き受ける」
「引き受ける」
水滴が水面を打つようにして二人を中心に波紋が広がった。
二人がいま深く繋がっていることが詩にはわかった。
詩と仁菜のバディは、このときをもって本当に終わったのだ。
つながりは断たれた。
詩は新たに繋がっていく二人を、仁菜が詩につける最後の傷であるように、ひとつも見逃さず記憶に刻むようしっかりと見つめた。
◇
こうして詩は孤独になった。
人の繋がりはあっけなくうつろっていく。
詩と仁菜の繋がりは、由紀姫の処女膜を突き破ったときのように、パチンと、小さな痛みだけ残して弾けて消えた。
友情や愛などという目に見えない不確かなものを否定し、けれど確かなものだと信じていた痛みですら繋がることができなかった、誰とも繋がれない一人ぼっちのかわいそうな子。それがマゾっ子ウタちゃん――『駒川詩』なのだ。
ある日の午後。二人の少女が橋の上で手を繋いで、河原に集まる人々を見下ろしながら会話していた。
「たまにさ、『私、孤独が好きなの』とか言う子いるじゃない? 私ああいうのが一番嫌いなんだよね。見て、この人たち。この中に孤独が好きそうな人なんている? 孤独が好きって言えるのは、本当の孤独を知らないって白状してるようなもんだよね」
「孤独は嫌い。無視されるのも嫌い」
「そう。人間は孤独を恐れて群れをなし、孤独を恐れて一人になる。私たちは本当の孤独を知っている」
そのとき、二人は詩が何組かのペアを引き連れて橋を渡ってくる姿を目にした。
ペアはみな手を繋いでいて、その前を詩がたった一人、大手を振って歩いていた。
「行きましょう」
詩の後ろに並ぶのは、特別な痛みを持たない、平凡な少女たちだ。
少女たちはみな、かつて似たような痛みを抱えていた。
痴漢より酷いけどレイプよりはマシ、というような痛みだ。
似たような痛みだが、けれど同じ痛みはひとつとして存在しない。
その痛みを感じているのは他ならぬ自分自身だ。
誰かに代わってもらうことなどできないはずだった。
人生に起こることは、どんなにありふれて見えたとしても一回性だ。
けれども少女たちは思いの花を抜き、痛みを忘れ去り、そんなものは人生に存在しなかったことにした。
そうすることで、少女たちははじめて他者と繋がることができていた。
同じ痛みはひとつとしてなく、理解し合えるはずもない他者が、どうやって手を繋げるというのだろうか。
わかるのはただ、そこにいる誰かもまた痛みを抱えているということだけだ。
詩の背後で、仲間のうちの誰かの会話が聞こえた。二人は手を繋ぎ合い、囁き合う声を響かせた。
――痛いよね。
――うん痛い。
――痛いの痛いのとんでけ。
――ふふふ。
――まだ痛い?
――まだ痛い。
――そっか。
――うん。
――なんで痛いんだっけ。
――わかんない。
――忘れちゃった?
――忘れちゃった。
――そっか。
――うん。
――行こ。
――行こ。