Coma Anger Woe Wound Untied. 作:やわらかな土
詩は“お姉さん”のことをまったく信用していなかった。
そもそも誰かのことを信用するような性格でもなかったが、“お姉さん”はまったく別だ。
“お姉さん”は女の子が車道に飛び出すことを知っていた。
勘や経験ではなく、あらかじめ知っていたのだ。
そうとしか考えられなかった。
だとすれば、“お姉さん”はたまたま居合わせたのではなく、車道に飛び出す瞬間を狙って尾行していたのだ。
なぜなら、そのほうが効率よく花を狩ることができるからだ。
絶望の淵にいる人の心など、簡単に操れてしまう。
人は、自ら死を選ぶ瞬間がもっとも絶望している。
死ぬことすらできなかった人の絶望は計り知れない。
“お姉さん”は人を救おうとなんかしていない。
精度のいい魚群探知機を使って、獲物を効率よく狩っているにすぎない。
詩は“お姉さん”から嘘の匂いを感じ取っていた。
信用はできないけれど、何やら楽しくなる予感はあった。
“お姉さん”が何を企んでいるのか、化けの皮が剥がれるまで仲間でいてあげる――そんな気持ちで詩は“お姉さん”と仁菜を見た。
二人は抜いたばかりの花を支え合って、女の子の失われた思いと痛みを弔うように目を閉じて、祈りを捧げていた。
◇
“お姉さん”たちがアジトとしている教会は、礼拝堂とその奥に物置として利用されている控室が並び、控室に併設されたキッチンはシンクと小さなコンロと冷蔵庫のある簡素な作りになっている。
通路の奥にある階段を下った先の地下室にはベッドが置かれていて、体の弱い紫乃がほぼ一日中そこで眠っていた。
少女の花を摘む時が来るまで特にやることはなく、詩は退屈していた。
どうせ花を集めることが目的なのだから、手っ取り早く校内の少女の花を抜けばいいと進言してみたところ、その必要はないというあっさりとした答えが返ってきてしまった。
もう抜いてあるのか、はじめから花などないのか、どちらの意味だとしても、学校は既に支配下にあるのだ。
それから――と詩は“お姉さん”に、少女たちの思いの花をフラグメントと呼ぶことを教えられた。
フラグメントを持つ少女たちは、つまり『お花ちゃん』だということだ。
詩は仁菜でもからかって暇を潰そうと思ったが、何やら熱心にスマホを見つめている姿に興味がそそられた。
画面には『由紀姫の魔法部屋』とあった。
アプリ『HO-KAGO』内でユーザーが作ったグループの名前だ。
『HO-KAGO』は女子高生専用SNSアプリで、ロゴはローマ字のオーがハートになっている。
いかにも女子高生向けといった体裁だった。
そこで会員は個人で好きにツイートしたり、グループを作ってチャットをすることができる。
『由紀姫の魔法部屋』とは、アプリ内で人気のあるグループらしく、詩が覗き込んでいる間にもチャット欄はすごい勢いで流れていく。
ふーん、と詩は自分のスマホでも『HO-KAGO』を立ち上げて、『魔法部屋』を調べてみることにした。
『魔法部屋』では、少女たちは自分の本名を伏せ、ニックネームで交流している。
投稿は小テストへの不満のような軽いものから、自殺をほのめかしたものまで、種々様々なものがあった。
ログを遡って見ていると、中にひとつだけ、特別な枠で飾られた投稿を発見した。
その投稿がされた直後から、場は熱気を帯び、少女たちの抱える悩みが一斉に投稿された。
その投稿がまるで祈りでもあるかのようで、少女たちは待ち焦がれた神に縋り付くような様を見せた。
この特別な少女こそ『魔法部屋』の主である由紀姫だ。
けれど、これは女子高生専用アプリなのだ。
いくら神のような扱いだとはいえ、由紀姫だって同じ女子高生。
少女たちの悩みに添えられた由紀姫の返信も、どこか不明瞭で、人生へのアドバイスというよりは占いじみていた。
由紀姫の返信だけを拾い上げて見てみると、その内容はどれも、いつかどこかで読んだことのあるような文言で占められていた。
ネットのバズ記事。雑誌。新聞。コメンテーター。テレビの占い師。偉人の名言。
探せばおそらく元ネタがわんさか出てくるだろう。
このカリスマは綻びだらけだ。
一方、少女の悩みはどれも諦めや失望から生まれ、表面的な協調性の裏には切実さが滲んでいる。
本物は全然違う。
それをこの子は知らない――由紀姫は本物を知らないのだ。
由紀姫は自分が何を相手にしているのかわかっていない。
わかっていれば軽々しくアドバイスなどできるはずがない。
他人の痛みと向き合っているように見せて、実際は自分を見て欲しがっている――。
詩は付け入る隙を見つけて舌舐めずりした。
後で何かに使えるかもしれないと、由紀姫の発言をひとつひとつ撮影して保存する。
自分が気持ちよくなるために、他人の言葉を盗んで利用する――なんて正直で邪悪なのかしら。
コピーしたものをそれっぽく整えてペーストしたに過ぎない言葉をひとつ撮影するたび、詩の中に由紀姫への興味が募っていった。
自分と似たものを感じ、もしかしたら仲良くなれるかもしれないと、熾火が微風に吹かれて一瞬熱を持つような仄かな予感があった。
それにしても――と、詩は投稿され続ける少女たちの悩みを指でスワイプしてめくっていく。
どれもこれも切実な投稿で、偽らざる自分だけの痛みであるはずなのに、なぜ名前を偽るのか。
自分を偽らなくては本当のことが言えないのか――詩は嘲るような気持ちがした。
こいつらの化けの皮を剥がしてやりたい。
そこで詩は、はたと気付いた――そういえば“お姉さん”の名前って――?
詩がちらりと仁菜を見やると、机に向かってアプリに必死に取り組んでいる後ろ姿が目に入った。
仁菜が“お姉さん”に入れ上げているのは一目瞭然だった。
それは言葉遣いや態度から現れていて、仁菜が“お姉さん”を見つめる目などは恋する乙女そのものだ。
『魔法部屋』のことだって、“お姉さん”絡みのものに違いない。
「山田センパイ。さっきから何を夢中になってるんです?」
詩が仁菜に後ろから話しかけると、仁菜はスマホを詩に見えるように机の上に置いた。
「『HO-KAGO』のことはお前も知っているだろ。そこで一番人気があるのが、この『由紀姫の魔法部屋』だ」
「それは知っています。いわゆるお悩み相談室ですよね。山田センパイにも悩みがあるなんて――もしかして、悲しい過去のことかしら?」
「茶化すな。ここに集まったこいつらは、みんな痛みを抱えている。つまり、こいつらはみんなフラグメント候補なんだ」
「なるほど。センパイの狙いはこのお花ちゃんたちを、みーんなかっ攫ってしまおうというものなんですね?」
「話が早いじゃねえか」
「うまくフラグメントを集めることができれば、“お姉さん”に褒めてもらえますものね?」
「ああ? 何を言ってるんだ、あたしは使命のためにやっている! 勘違いするな」
「だってぇ、センパイはぁ、“お姉さん”のことがだぁい好きじゃない。だからこれも、女の子のことなんかどうでもいい、自分のことを愛して欲しくて“お姉さん”に尽くしているのよね?」
「詩、テメェ!」
仁菜は顔を赤くして、詩の胸ぐらを掴んだ。
「センパイはこんなにも“お姉さん”のことを想っているのに、“お姉さん”は名前すら教えてくれない――かわいそうなセンパイ……」
「黙れ!」
仁菜は叫び声を上げて、力任せに詩を突き飛ばした。
詩は壁に背中を打ち付けて、そのまま地面にへたり込む。仁菜はそんな詩を跨ぐように立って見下した。
思った通りだ――詩は仁菜を見上げながら、顔が綻ぶのを隠し切れなかった。
仁菜の化けの皮はすぐに剥がれる。
本性はこんなに暴力的なのに、それを隠して媚びているのだ――愛されたいがために。
なんて醜い姿なのだろう。
――醜い人、好きよ……。
詩はごくりと喉を鳴らした。
――なんて嘘のない人なんだろう、なんて素直でかわいい人なんだろう。
チッ、と仁菜は舌打ちをひとつして、踵を返した。
その後ろ姿を詩は残念な思いで見つめた。
もっと怒鳴って欲しかったし、できれば平手打ちのひとつもして欲しかった。
仁菜の記憶で感じた恐怖をまた感じたかったのだ。
恐怖のあまり身がすくみ、ガクガクと膝が震え、恐ろしくて泣いてしまうような、そんな恐怖。
「ざぁんねん♡」
詩は立ち上がり、スカートについた砂埃を払った。