Coma Anger Woe Wound Untied. 作:やわらかな土
「セェンパイ♡」
詩が思い切り鼻にかけた甘い声で呼ぶと、仁菜は舌打ちで返事した。
「その『魔法部屋』のお花ちゃんたちと、どうやって会うのか、アイディアはあるんですか?」
「当然だ。由紀姫に直接メッセージを送るんだよ。あたしたちが手伝ってやるって」
「ふふ。私たちが由紀姫に代わってお花ちゃんにアドバイスをしてあげるんですね。了承してくれるといいんですけど」
「……ほかにも、悩みを投稿している少女の中から適当に見繕えばいいだろう」
「たとえば誰でしょう?」
「……」
「それに、見つけたとして、なんて言って呼び出すんです? 由紀姫の部屋で由紀姫以外と会いたがる子なんているんでしょうか」
仁菜は再び舌打ちをし、詩の胸ぐらを掴んで言った。
「グチャグチャうるせえぞ。そこまで言うなら、お前には何か考えがあるんだろうな?」
「ええもちろん――センパイはこういうことに向いてなさそうですね。後は私が引き継ぎますよ」
「ああん?」
「もちろん、お花ちゃんからフラグメントを抜くのはセンパイの役目。それでどうでしょう?」
「……悪いな」と、胸ぐらを掴む仁菜の手がゆるむ。
――はあ? 悪いなんて思ってないでしょ。
詩は仁菜の殊勝な態度に怒りを覚えて、思わず口走った。
「使えないセンパイを持つと余計な苦労が増えちゃってタイヘン♡」
瞬間、詩の胸ぐらを掴む仁菜の腕に再び力がこもった。
仁菜の瞳は突発的な怒りでどろんと濁り、暴力の匂いが鼻を衝くほどに立ちのぼる。
詩はあまりの恐怖に膝が震えた。
――これよ、これ!
詩は口の端を吊り上げて笑った。
怒りや恐怖に嘘はない。
本当の感情に触れてこそ自分が生きていることを実感できる。
けれどその笑いは、自分より強い者に媚びへつらう卑屈な笑い顔と区別が付かなかった。
仁菜は怒りに燃える目でしばらく詩をにらんだ後、突き飛ばす形で胸ぐらから手を離した。
『魔法部屋』を見ていると、定期的に投稿している、いわゆる常連アカウントがいることがわかった。
常連のほとんどは由紀姫の取り巻きで、部屋の治安維持のような書き込みをおこなっている。
悩みを書き込むアカウントの中には一度きりのものも多く、定期的に悩みを投稿していても、会話が成立していないものも多くあった。
詩のターゲットは自然にしぼられる。
悩みを定期的に投稿しつつ、会話の成立するアカウントだ。
悩みの大小はあるが、ここまで絞れたなら、あとは実行あるのみ――全員に餌をまくだけだ。
送るメッセージの内容だが、この部屋には最高のお手本があった。
由紀姫の投稿だ。
軽い悩みの者にはネットでバズってそうな綺麗事をぶつけ、重めの者には人生経験豊富なカリスマ芸能人の意見をぶつける。
これが由紀姫の手口だ。
詩はその方法にならって、ターゲットにメッセージを送り、獲物が餌に食らいつくのを待った。
やがてメッセージに返信が届いた。
学校に行きたくたいとの悩みを持つ少女は名前をkanaといった。
過去ログを辿ると、kanaは孤独を抱えていて、会話も斜に構えた態度を崩さないためらこの部屋では浮き気味だった。
kanaは友達という名の捌け口を求めている――詩は直感した。
ここから詩とkanaは頻繁にメッセージを交換するようになり、実際に会う約束を取り付けるまで時間はかからなかった。
待ち合わせは平日昼間、公園のベンチを指定し、kanaはそれを了承した。
当日、詩はそれがkanaだとひと目でわかった。
こんな時間に一人でベンチに座っている女子高生というだけで決定的だったが、身に纏っている雰囲気が孤独な人間のそれだったからだ。
詩はkanaの隣に腰を下ろした。
「『わたし、孤独が好きなの』なんて言う子がいるじゃない。孤独が好きだなんて、本当の孤独を知らないだけ。人間は孤独を恐れて群れをなし、孤独を恐れて一人になる。あなたはどっち?」
「孤独はいや……」
「孤独が好きなんじゃなくて?」
「そうとでも思わなきゃ、やってられなかった……」
kanaの目に涙が浮かび、膝の上に落ちた。詩は落ちた涙を押しつぶすようにして、kanaの膝に手を置いた。
「私たちは本当の孤独を知っている」
「本当の孤独……」
kanaが繰り返すと、背中から黒い炎があらわれてkanaの全身を覆った。
kanaは焦点の合わない目を空に向け、さめざめと涙を流している。
ベンチの背後から仁菜が姿を現した。
「お願いします。山田センパイ♡」
詩は立ち上がって仁菜に席を譲った。
「偽りに生きる少女たちよ」と仁菜が呟く。
「その悲しき花を」仁菜に続けて詩が呟いた。
「咲かせた絶望を」
「私たちが全部」
「引き受ける」
仁菜がkanaの胸に手を当てると、手は胸の奥に沈んでいく。
手を胸から引き上げたときには、その手に蓮に似た花が握られていた。
そしてひどい耳鳴りと共に世界は静止した。
◇
『由紀姫さん、魔法をかけてくださってありがとうございました。おかげで悩みが消え、毎日が楽しいです』
そんな書き込みが『由紀姫の魔法部屋』に投稿されたのは週末の昼下がりのことだった。
kanaは『魔法部屋』の常連の中でも少し浮いていて、由紀姫からの〈助言〉を貰ったことがない子として、不名誉な意味で知られていた子だった。
kanaの書き込みは拾われることなく流されていくし、掘り起こされることもない――そんなふうにみんな思っていたから、kanaの書き込みには驚いた様子だった。
だからkanaの書き込みは、はじめから嘘と決めつけられ、証拠を出せと突き上げられた。
チャット欄が荒れる様子を眺めながら詩は笑みを浮かべ、忙しくなってきたと舌舐めずりした。
このときのためにアカウントを複数登録しておいたのだ。
その名も「マゾっ子ウタちゃん」「うーたん」「atu」など、用途に合わせて各種取り揃えてある。
自分を偽ると考えただけで反吐が出る思いがする詩だから、たとえアカウント名であっても名前を偽るような真似はせずに、自分の名前をベースにしてあった。
そして――。
「由紀姫は実在した!」
「嘘ばっかついてんじゃねえぞブスが」
「過激派信者いい加減ウザいんですけど」
「私の悩みも消してください!」
「お前が魔法で消えて?」
「アンチを構う奴もアンチ」
「由紀姫かわいかった?」
「自称魔法使いの隠キャがかわいいわけねえだろ現実見ろブス」
「由紀姫に無視されて嫉妬かよクズ」
これらの書き込みを、アカウントを切り替えて投稿した。
それぞれのアカウントに性格を設定して、間違えないよう慎重におこなう。
こうして詩はまずややこしいノイズを増やした。
由紀姫に悩みを消してもらいたい気持ちは皆同じだが、ヒエラルキーの低いkanaが選ばれたとあっては黙ってはいられない。
kanaの書き込みを信じる者と懐疑的な者とに分断され、意見はあっという間に割れていく。
kanaを擁護する勢力と、kanaに証拠の提示を求めつつ由紀姫の発表があるまで静観しようとする勢力。
それに加えて、詩のノイズによって他の部屋から闖入した野次馬が、擁護側には中立の立場で考えよと足を引っ張り、静観側にはkanaを疑う根拠を提示せよと泥沼に引き込んだ。
やがて両陣営の中で気の短い者が怒り、口汚く罵り始める。
こうなると炎上は簡単には止まらない。
燃えた燃えたと詩はにやにや笑いながら、怒っている者たちをしつこく煽り立てた。
この炎上を由紀姫は見ているはずだった。
そして、会った覚えのないkanaについて困っている筈だ――由紀姫からすればkanaは嘘をついているが、事実はどうあれ悩みが消えたと言っているのだ。
嘘など些末なことであるはずだが、自分以外の人間にのさばられるのも不愉快だろう。
なにせこの部屋は『由紀姫の魔法部屋』。
由紀姫が自分をひけらかして満たされる場なのだ。
そろそろ頃合いだろうと、詩は由紀姫にメッセージを打った。
『はじめまして。kanaさんの悩みを消してあげた者です。由紀姫は女の子の悩みを消してしまえる魔法があるのをご存知でしょうか? もし興味がありましたらご連絡ください。お待ちしています』
詩には返信が来るという勝算があった。
詩は由紀姫の中に自分と同じ物を見つけていたので、由紀姫の気持ちが手に取るようにわかる気がしていた。
由紀姫は状況を説明するにも事実を確認しなければならないだろうし、事実がわかってしまえばどうにでもなる。
本当にkanaに悩みがあり、それが解消されたのなら、魔法部屋のコンテンツにしてしまえばいい。
仮にイタズラであったとしても同じだ。
オフのお悩み相談ということで、その場で悩みを解決したことにしてしまえばいい。
このとき、由紀姫にとっては自分の姿をネットに晒されることが気がかりだろう。
それに、kanaをきっかけにオフで会って悩みを解消する流れになることも煩わしいはずだ。
なにせ由紀姫には他人から盗んだ言葉しか武器がない。
だから女子高生限定のチャット部屋などという架空の空間で、人生相談まがいのことをしているのだ。
けれど詩は由紀姫と違って、〈本当に〉少女の悩みを消してしまえるのだ。
詩は蜘蛛が巣を張って獲物を待つように、由紀姫の次の一手を手ぐすね引いて待っていた。
やがて詩の思惑通り、由紀姫からのメッセージはあまり間を開けずに送られてきた。
由紀姫のアイコンである紫色の魔女のとんがり帽子がぴかぴかと点滅し、未読のメッセージがあることを知らせている。
詩はもったいぶって時間をおいてから開封した。
『マゾっ子ウタちゃんさん、はじめまして。女の子の悩みを消してしまえる魔法があるなんてすごいですね! もちろん興味あります! そんな魔法があるなら、色々できることがあるなあ……。魔法のこと、もっと知りたいです。返信お待ちしています』
由紀姫からのメッセージは概ね詩の予想していた文面だった。
『でしたら、由紀姫が誰か一人を指定してください。その人の悩みを消してみせましょう』
『じゃあ〈○△○□(@※※※※※※)〉さんの話を聞いてあげて欲しいです。その子も大変そうで……』
『わかりました。ちなみにどのようなお悩みなんです?』
『それは本人に聞いて欲しいかな』
『了解です。由紀姫さんから頼まれたと言っても構いませんか?』
『はい。その子も、きっと誰かに話を聞いて欲しいはずだから』
「なるほどね」と詩は一人つぶやいた。
由紀姫はこの子の悩みを知っているから、嘘をついてもバレるぞということだ。
魔法が本当にあるというなら、悩みを解決してみせろと由紀姫は言っている。
つまり試されているということだ。
「お手並み拝見というわけね」
詩と仁菜の目的は、フラグメントを効率よく収集することなのだ。
由紀姫を抱き込むことが最終目標だが、抱き込めなくても、フラグメントさえ手に入ればいい。
けれど、詩は由紀姫のことが気に入っていた。
こんなに醜い少女の中には、いったいどんな痛みが詰まっているのか――蓋を開けて中を覗いてみたい。
そんな気持ちが心の底にうっすらと湧いていた。
詩はモニタに映る由紀姫のアイコンを指でカリカリと引っ掻いた。
詩はさっそく、由紀姫に指定された例の少女にコンタクトを取った。
自分がkanaの悩みを解消してあげたこと、由紀姫とも繋がりがあること、そして信用できなければ由紀姫に確認を取ってもらって構わないと告げると、少女は悩みを打ち明けた。
少女の両親は離婚していて、少女は両親のどちらも同じだけ愛していたが、母に引き取られた。
その母も新しい男性と再婚することになった。
少女と継父の関係は良好だった。
だからこそ少女は実父を忘れて継父だけを愛さなければと考えるようになった。
けれど、実父との思い出を忘れることが出来ず、母と継父を裏切っているという思いに苛まれていた。
詩と仁菜は少女と会い、実父と別れた痛みを抜いた。少女のリープレンジは暖かく、引き裂かれるような痛みがあった。
少女のフラグメントを日に透かすとオレンジ色に輝いた。
はじめて知る痛みに好奇心をかき立てられた詩とは対照的に、仁菜は沈鬱な表情をしていた。
ニーナちゃんは愛する者と別れた痛みを知っているのね――と、詩は仁菜のことがますます気に入った。
翌日、その少女が『魔法部屋』に体験談を投稿した。
今ではすっかり晴れやかな気分であり、由紀姫に感謝している旨の投稿だ。
「由紀姫は少女の悩みを直接会って解消している」
『魔法部屋』ではこれが事実となった。
元々人気のあった由紀姫が揺るがぬカリスマになった瞬間だった。
『こんにちは、由紀姫さん。次に魔法をかけるのはどなたになさいますか?』
『うーん。それよりも、一度会って話せませんか? マゾっ子ウタちゃんさんに興味があります』
◇