※この作品はR-18です。

Coma Anger Woe Wound Untied.   作:やわらかな土

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#07 Woe(4) 「黄金律アンチノミー」

 由紀姫に指定された喫茶店は、繁華街を外れた住宅街と墓地のある区画にひっそりとオープンしていた。

 周囲を雑居ビルに囲まれた薄暗い区画で、人通りは少ない。

 個人経営の喫茶店らしく、いかにも手作りといったリースが扉に掛かっていて、手書きのメニューボードがイーゼルに立てられている。

 レースのカフェカーテン越しに店内を見ると、あまり広くない店内にいくつかの席があり、ぽつぽつと客が座っている。

 

 詩は約束の時間よりも早くこの場所に着いていたが、まずは由紀姫の姿を見てやろうと、少し離れたところで喫茶店の入り口を窺っていたところ、それと思しき女子高生が入店したので、あえて待たせるためにもったいぶって時間を潰しているところだった。

 

 頃合いをみて詩が入店すると、静かな店内にはクラシックピアノのBGMがやわらかく響いていた。

 先程入店した少女は、続いて入店した詩の顔を見るなり手を振った。

 

「はじめまして。ウタちゃんですよね?」

「ええ」

 

 詩は由紀姫の対面に座った。

 目の前にいるこの女が由紀姫であることなど確認するまでもないと思った。

 

 由紀姫の染めていない髪は艶がなく、くせっ毛のショートヘアなせいもあって実際よりも幼く見えた。

 縁の細い白金色の眼鏡の奥の目は好奇心が強そうにくるくると丸く、まつ毛は髪と同じくくせっ毛で、見る者に強い印象を与える。

 けれど由紀姫は鼻から顔半分隠れてしまうくらいしっかりとマスクをしていて、手には薄手の手袋をしていた。

 

「なぜ私が約束の相手だとわかったんです?」

「この店に来る女子高生なんていないよ」

 

 詩は由紀姫に勧められたメニューを見てなるほどと合点がいった。

 値段が高いのだ。

 チェーン店の倍以上の価格設定は店内の穏やかな雰囲気のためなのだろう。

 由紀姫の前には紅茶の入ったカップとソーサーが置かれている。

 詩はあえて合わせずに、アイスコーヒーを注文した。

 

「イネス学園?」由紀姫が指差して尋ねた。「その制服」

 

「ええ」

「山の中腹に建ってる学校だよね。いいなあ、眺めも良さそうだし、私もそんな学校に通いたかったなあ」

「由紀姫は学校に通ってないんです?」

「いちおう入学はしてるんだけど、病院と自宅の往復ばかりで、留年は確定かな」

「病気?」

「うん。血液の病気で、免疫が弱いんだ」

「そうですか――いいんです、そんなに自分のことをペラペラ喋っても?」

「うん、ウタちゃんに私のことを知って欲しいから」

「けれど、私がウタだという証拠なんてないじゃないですか」

「そうだね、ふふふ」

「……? なに笑ってるんです?」

「ウタちゃんはさっきからずっと疑問系。きっと聞き上手なんだね。興味もってもらえてるみたいに感じて、嬉しくなっちゃった」

「はあ、そうですか」

「ウタちゃんに訊かれたらなんでも答えてしまいそう。こうやって悩みを癒してあげてたんだね、なるほど」

「私を研究するために、今日ここに呼んだんですか?」

「ふふ、また疑問形だ。違うよ、ウタちゃんがどんな人なのか知りたかっただけ。私とは違って、ウタちゃんはきっと本当に相手の子を救ってあげられる人なんだよ。すごいなあ」

 

 ええ、他人の言葉を盗んで使うあなたと違って、私は魔法が使えますから――詩は心の中でだけそう呟いた。

 

「由紀姫だって魔法部屋で悩みを解決してあげているじゃありませんか」

「そうだといいんだけれど、何も言ってあげられないことも多くて。でもこれからもウタちゃんがいてくれるなら、心強いかな」

 

 そう言って由紀姫は笑ったが、笑顔はマスクに隠れて見えなかった。

 

「もし本当にそう思うのでしたら、マスクを取って顔を見せるのがマナーなのでは?」

「あっ、そうだよね。気付かなかった、ごめんね」

 

 慌ててマスクを外す由紀姫を見て、詩の胸に不愉快な違和感が広がった――あなたはたったいま免疫系の病気だと言ったばかりではなかったのか。

 マスクの下から現れた由紀姫の素顔は笑っていて、それが思った以上に無邪気な笑顔だったことが、詩をさらに不快にさせた。

 

 ――なにへらへら笑ってるのよ、あんたのアイデンティティが揺らいでんのよ。

 その相手にへつらってんじゃないわよ。

 

「もっとウタちゃんのことが知りたいな。これからたくさん教えてね」

 

 由紀姫は微笑を浮かべたまま、詩にまっすぐ目を向けた。

 重ねた両手をテーブルの上に置いて、さも真剣ですといわんばかりの態度だ。

 手にはめている清潔な手袋が癇に障った。

 

 由紀姫は言葉を盗む常習者だ。

 いま自分に向けられている言葉もどうせ誰かからの借り物に違いない。

 こういったタイプの人にはこのような態度で臨みましょう――というようなことがその本に書いてあったのだろう。

 私はどのタイプなのか言ってみなさいよ、と喉まで出かかった言葉を、詩は無理やり飲み下した。

 

 由紀姫はきっと、他人を嘘で騙して、その場しのぎの痛み止めを与えて救った気になっているのだ。

 けれど痛みは消えはしない、本物は全然違うのだ。

 由紀姫の代わりに詩が思いを〈消して〉回っていることすら、『いいこと』だと言いそうだ。

 そうやって自分を理想化して、横たわる現実から目を背けているに過ぎない。

 由紀姫は目の前の詩ではなく、由紀姫の脳の中で理想化された詩に向かって話しているのだ。

 

 きーん、と詩の内耳のさらに奥で耳鳴りがしはじめ、音をかき消した。

 先程から由紀姫が笑顔で詩に話しかけていたが、耳鳴りで聞こえない。

 笑顔でぱくぱくと口を動かす由紀姫に、詩は笑顔で相槌を打った。

 なのに、由紀姫の口の動きで、いくつかの単語は拾うことができてしまう。

 

 すごい――やさしい――わたしなんて――どうせ。

 

「私ね、ウタちゃんみたいなすごい人と知り合いになれて嬉しいんだ。本当だよ。だからこれから色々教えて欲しい。人との接し方とか、あとはウタちゃんのこととか――」

 

 いきなり詩は手を伸ばし、由紀姫の胸ぐらを掴んで引き寄せた。

 鼻と鼻が触れ合うくらい近くまで詩も顔を寄せる。

 由紀姫の言葉は聞こえていなかったが、どうせ碌なことを言っていないに違いない。

 社交辞令とおためごかしで媚びを売る、化けの皮を剥がしてやりたくなったのだ。

 

「な、なに、ウタちゃん急に? い、痛い……」

 

 ――まだ喋るのか。

 

 詩は頭に血が上って、由紀姫の胸ぐらを掴んだまま空いているもう片方の手で由紀姫の頭を抑えつけ、ぽっかりと開いている口に吸い付いた。

 身体をビクッと震わせて思わず離れようとする由紀姫を引き止めて、口内に舌をねじ込んだ。

 混乱と恐怖から身をこわばらせた由紀姫の口内に、自分の唾液を塗りたくるよう隅々まで舌でねぶる。

 由紀姫の熱い鼻息を顔に浴びる。

 由紀姫は思考停止した目を浮かべている。

 喉の奥に隠れた舌を吸い出して念入りにねぶると、由紀姫はおそるおそる反応を返した。

 詩は女に口づけをしている事実を思い出し、嫌悪感で首から腕まで肌が粟立つのを感じた。

 由紀姫の舌はつるりとしていて、なのに綿のようにふわふわで、だから詩は舌を引っ込めて前歯を由紀姫の歯に当てた。

 不愉快な音が脳に響き、それを合図に二人は口づけを終えた。

 

「さっさと本題に入りましょう、由紀姫」

 

 詩は席に腰を下ろし、口を濯ぐようにアイスコーヒーを含んだ。

 

 見ると、由紀姫は顔を上気させ、息を荒くしたまま、赤みを帯びた唇に指で触れていた。

 瞳はまだ黒く濁っていて、冷静さを取り戻せていない様子だった。

 

「由紀姫?」

「……あ、うん。えっと……本題って……?」

 

 詩は口の中を十分に濯ぎ終えたコーヒーを嚥下した。

 飲み込んだ中に由紀姫の唾液も混ざっていると思うと吐き気がする。

 アイスコーヒーの雑味のないキリッとした味わいも、まるで泥水のように感じた。

 コーヒーは口の中に苦味と深い芳醇な香りだけを残し、洗浄の役目を終えたかに思えたが、濡れた唇を指で拭うと、由紀姫の唾液の乾く匂いが詩の鼻をついた。

 

「私があなたの顔になってあげるって言ってるの。女の子に直接会うのは私に任せて、あなたは部屋に引っ込んでなさい」

「それってどういう……?」

「鈍いのかしら、それともとぼけているの? 組もうって言ってるのよ」

「私とウタちゃんが……組む?」

「ええ。察するに、あなたは外に出られないのでしょう。私は魔法部屋の運営にも、他人に崇められることにも興味ありませんし。あなたはカリスマ性を、私は女の子の痛みを、お互いに得のある関係だと思いますが。でも、別に嫌ならそれで構いませんが」

 

 詩は言い切ってアイスコーヒーを口に含んだ。

 由紀姫は胸の前で両手を重ねていて、不安そうな顔を浮かべている。

 

「カリスマ……。私が?」

「ええ。まあ、既にそうなっていますが信頼性が増すでしょうね」

「そうなんだ……。聞きたいんだけど、一緒に組んだらこうしてたまに会ったり、連絡のやり取りがあったりする?」

「情報交換が必要でしょうし、そうなりますね」

「そっか」

 

 断りなさいよ、と詩は思った。

 断らせるために嫌味な態度を取ったし、その上で乗っ取ってやろうと考えた。

 無理やり奪ってやらなければ腹の虫が治まらない。

 

 けれど、由紀姫の反応は詩にとって意外なものだった。

 

「はい。わかりました。これからよろしくお願いします、ウタちゃん。一緒に頑張っていこうね!」

 

 そう言って由紀姫は膝に手を置き、詩に向かってぺこりと頭を下げた。

 

「へえ……。嫌なら素直に嫌だと言ってもいいんですよ?」

「ううん。私の方こそ至らないことばかりで迷惑かけちゃうと思うから。ダメなところがあったら直すから言ってね」

「はあ、そうですか……」

 

 無理やりキスされて嫌だったろうし、自分の建てた部屋に土足で踏み込まれるし、挙げ句の果てに高圧的な態度で協力を強いているのだ。

 当然、決裂するはずだった。

 同じ不快を共有しているはずなのだから、由紀姫は本当のことを言っていないのだ。

 

 この後、詩は先に店を出て、喫茶店を後にした由紀姫を尾行し、自宅を特定してから帰路に着いた。

 

 ◇

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