Coma Anger Woe Wound Untied. 作:やわらかな土
『魔法部屋』で由紀姫が約束を取り付け、詩が会って思いを抜き、それを由紀姫が『魔法部屋』でレビューする――これが人気を博し、『魔法部屋』は大きな盛り上がりを見せていた。
由紀姫がチャット欄に登場するだけで同時接続数が一万を越えるのが当たり前になった。
由紀姫がチャット欄で少女たちの悩みを、説得力のある正論でバッサリと切る様も人気になっていた。
由紀姫と会った後の少女たちは過去を完全に忘れたかのように立ち直っていて、まるで本当に魔法が掛けられたみたいだと評された。
オンとオフのふたつのお悩み相談を同時にこなす由紀姫は魔女なのではないかという噂がまことしやかに囁かれた。
一方、オフラインでも、kanaをきっかけにして人が人を呼び、詩を頂点とした小さなコミュニティが形成されていた。
けれども他人とつるむのを嫌う詩だったので、コミュニティは痛みを抱えた少女と詩を引き合わせる際になんとなく集まるだけの、詩を挟んでゆるく繋がる集団だった。
思いを抜く際、詩と仁菜は揃って少女の前に現れた。
仁菜はオンとオフとで膨らんでいく詩のコミュニティに何も言わなかった。
だから怒られたり嫉妬されたりといった心の交流を求めていた詩は、ちょっと残念に感じた。
けれど、その残念な気持ちも、少女の抱えた痛みに触れるとどこかへ消えて行ってしまうのだった。
そんな折、『近々また会えませんか』と由紀姫からのメッセージが詩に届いた。
約束の日を迎え、詩は由紀姫の住むマンションの前に立っていた。
この日は由紀姫の両親が不在のため、外ではなく室内、できれば自室で会いたいという由紀姫の求めに応じる形ではあったが、詩の方でもおもしろいもの――おもしろい痛み――が見れそうだとの打算が働いたからだ。
由紀姫の自宅は尾行することで特定していたが、夜這いや脅迫などではなく、まさかこんな形で役に立つとはと意外な思いがした。
玄関を開けた詩を由紀姫は、生成りのブラウスと膝丈のパンツという、いかにも自宅といったくつろいだ服装で迎えた。
三和土に設られた靴箱の上にアルコールが見えたが、詩はそれを無視して上がった。
それを見て由紀姫は少しだけ顔を曇らせ、詩は自分がいま不浄な存在であることにゾクッとする悦びを覚えた。
玄関とリビングの間には鳥籠が置かれていて、中には黄色くて小さなカナリアが一羽、ちょこんと鎮座していた。
「生きものと暮らしたいけれど、無理だから」と由紀姫は寂しそうに言った。
由紀姫の部屋は、窓から日が差しているのに不思議と薄暗かった。
ベビーパウダーのような甘い匂いが立ち込めていて、その中に人間の放つ酸っぱい匂いが鼻をつく。
綺麗に整えてあるが、ベッドはおそらく寝たきりで、その上に作業用のベッドテーブルが並んでいる。
本棚には漫画や小説、教科書、そして免疫関係の医学書が並ぶ。
壁には皺ひとつない新品同様の制服が掛かっていた。
「ウタちゃんおまたせ」
そう言って由紀姫が盆にお茶とお菓子を乗せて戻ってきた。
勉強机から椅子を引っ張ってきて詩に勧め、由紀姫はベッドに腰掛ける。
ベッドテーブルにお茶とお菓子を並べて「こっちはウタちゃん」と言って詩の前にアイスコーヒーを置き、自分の前には温かい紅茶を置いた。
「由紀姫はコーヒーが苦手なんですね。ご家族にコーヒー党の方が?」
「ううん、いないよ。飲んでみて」
詩は勧めに応じてアイスコーヒーをひと口含んだ。
すっきりとしていて雑味がなく、後味にコーヒーの芳醇な余韻が残る。
間違いなくインスタントや出来合いのものではなかった。
「おいしい。これはご自分で?」
「うん、おいしいって言ってもらえてよかったぁ!」
「まあ、喫茶店には及びませんが。ボトルコーヒーよりはおいしいですね」
詩が由紀姫に目をやると、由紀姫はうっとりとした顔を浮かべている。
そんな目で見つめられたせいで、まるでアイスコーヒーではなく由紀姫の体液を含んでいるように思えてしまい、詩はすぐにグラスを置いた。
「ところで、何か用があって呼んだのでは?」
「あ、うん。大した用ではないけど――」
話を切り出した詩に、由紀姫は気恥ずかしそうに、和紙で作られた小袋を差し出した。
詩はその袋を躊躇なく引き裂いて、中身を露わにした。
「なんです、これ?」
中には刺繍糸で編まれたプロミスリングが入っていた。
藍色、藤色、萩色の糸で編まれていて、撫子をモチーフにしたチャームが中央で揺れていた。
詩はテーブルに置いたプロミスリングの意味を理解できずに、透明な目で見つめた。
「かわいい撫子のチャームがあったから、ウタちゃんに似合うと思って。刺繍糸もウタちゃんをイメージしたんだよ。それでね……」
由紀姫が袖を捲ると、腕に付けたプロミスリングが揺れた。
「じゃーん! 実はお揃いなのだー!」
由紀姫は嬉しそうに笑って自分のプロミスリングを見せた。
同じ色の刺繍糸で編まれていて、花は詩の撫子とは違うものが付けられていた。
「私ね、あれからずっと、ウタちゃんのことばかり考えてた」
そう言った由紀姫の声には打ち明け話の響きが含まれていて、詩は「はあ」と気のない相槌を打った。
「ウタちゃんが他の人と仲良くしてると考えると嫉妬で胸が張り裂けそうだった。ウタちゃんそういうことなかった?」
「ええ、別に」
「そっか、嫉妬もしてもらえなかったのか」
「はい」
「私はウタちゃんに嫉妬してたよ。はっきりいって、ウタちゃんが私よりも上手にやってるって思うと悔しくて仕方がなかった。私の方が先なのに、この部屋は私のものなのにって。でもね、嬉しさもあったの。ウタちゃんなら当たり前だよって。だってウタちゃんはステキな人だし。そう思ったら居ても立っても居られなくて、こんなもの作っちゃってた。でも重いよね、迷惑だよね。ごめん、忘れて」
由紀姫は詩の前に置かれたままのプロミスリングに目を落とし、けれど取り戻すことはしなかった。
言うべきことはすべて言い切ったとばかりに由紀姫は沈黙し、詩の出方を待っている。
詩はなにもかもが気に入らなかった。
人は身につける物を揃えたくらいでは繋がれないし、上っ面だけのおべんちゃらなどではなおさらだ。
詩は由紀姫の内に潜む暗さに可能性を感じたのであって、よくある量産型の繋がりになど期待していない。
なぜそれを隠すのか、それとも気付いていないのか。
自分を偽る痛みを知っているはずではないか。
同じように考え、同じように感じられるのではないのか。
「それですべてですか?」
「え……っと、すべてって?」
「由紀姫の思いはそれですべてなのかと聞いているんです」
由紀姫は戸惑いながら「うん」と答えた。
「あなた、私になにをされても平気なんですか?」
「……わかんないけど、たぶん」
由紀姫は詩を上目で見ながら頷いた。
「許せるんですか?」
「私はウタちゃんを信じてる」
そう言って由紀姫は唇を引き結んだ。
――ああ、この子は何もわかっていない……。
詩は軽い目眩を覚えた。
この世には取り返しのつかないものがある。
キーンという耳鳴りがはじまり、すべての音をかき消していく。
詩は自分と由紀姫を隔てているベッドテーブルを傍にどかした。
テーブルが揺れた際にコーヒーと紅茶がこぼれて混じり合った。
「ウタちゃん――?」
詩は由紀姫の頭を両手で押さえつけて、刺すようにして由紀姫に口付けた。
すぐに舌を由紀姫の口腔内に差し込んで、奥に隠れた舌を探し当て、引きずり出して舌と唇で愛撫した。
音のない世界で、由紀姫の舌のザラついた粘膜を擦る音が骨を通して響いた。
由紀姫は身をこわばらせて詩にされるがままだったが、やがて、おそるおそる詩の口の中に舌先で触れた。
「――ッ!」
詩は嫌悪感から、反射的に由紀姫の唇を噛んで愛撫を拒否した。
世界に一気に音が蘇る。
「痛っ」と由紀姫は小さく悲鳴を上げた。
「ウタちゃん、痛いよ」
そう言った由紀姫の唇が小さく裂けて、血が滲んでいた。
「私がやってるんだから、余計なことしないでよ」
詩は由紀姫を押し倒して、上にまたがった。
「どうする? もうやめる?」
「怖いけど、ウタちゃんとなら我慢する」
「我慢……」
我慢とは自分を殺すことだ。詩はこの言葉が大嫌いだった。
――そうして死ぬまで我慢していればいい。
詩は舌を垂らし、ネジ穴を合わせるようにして、ゆっくりと由紀姫の口の中に入っていった。
舌先が触れ合うと、由紀姫は硬く握りしめた手を震わせた。