■00 背中合わせ
(ど、どうしてこうなった……!)
とあるホテルの一室。照明は落とされ、静かな闇が訪れていた。
部屋の中央にあるベッドで、
眠れない。とてもじゃないが眠れそうになかった――。
横向きにした頭を枕に預け、背中を丸め、ぎゅっと手を握りしめていた。体中が熱い。
ごそごそっ――
背中で人の動く気配がして緋沙子は、
「ひゃうっ……!」
と声を漏らしてしまった。
「おお、悪わりい悪わりい」
すぐ近くで、軽薄そうな声がする。
「起こしちまったか、新戸?」
「そ、そそそ、そんなことはないっ!」
緋沙子は顔が赤くなるのを感じながら、背中合わせで寝る男――
創真は怪訝そうに、
「? そうか?」
とだけ答えて、また静かになった。
ひとつのベッドに枕が二つ。
時折響く衣擦きぬずれの音が、やたらと大きく耳に届く。
緋沙子はもっと離れて寝たかったが、掛け布団はひとつしかないので、この距離が精一杯だった。
つまり、創真がその気になれば、すぐに緋沙子に手を伸ばせるくらいの……そんな距離。
(どうしてこうなった! どうしてこうなったぁ……!)
緋沙子は、混乱する頭で数時間前のことを思い出していた。
■01 スタジエール最終日
それは、『洋食の三田村』での研修に合格し、創真と別れた後のことだった。
彼から託されたマンガ本の紙袋――えりなへの届け物だ――を宝物のように抱きしめ、緋沙子は家路に着こうとしていた。
しかし、はっと思い出したように足を止め、バッグを漁る。そこには、1枚のプリントがあった。審査員から合格を言い渡された際に受け取ったものだ。
そのプリントには、追加の『課題』が書かれてあった。
『とあるホテルの朝食を食べ、その改善点をレポートにまとめて提出しろ』
というものだが、実はこれは、第1のスタジエールをクリアした者へのご褒美という面もあった。高級ホテルのスイートルームに宿泊し、翌朝、その部屋に運ばれて来る豪華な朝食を食べることになるのだ。
研修の疲れを、最上級のおもてなしで癒やすようにという、学園側からのわずかばかりの配慮だった。
+ + +
緋沙子がプリントにあった地図を頼りに、指定されたホテルの前にたどり着くと、
「あれ、新戸じゃん」
入口の前で、ばったりと創真に出くわした。実に15分ぶりの再会だった。
「幸平創真? 貴様もこのホテルなのか?」
「ん、おう。ここで1泊しろって書いてあってさ。新戸もか?」
「そうだ。しかしまあ、ふむ……悪くなさそうなホテルだな」
そう言って、ホテルの入口に目をやる。
豪華だがうるさすぎない照明や、その脇に礼儀正しく佇たたずむ黒服の男性。明らかにその辺のものとはランクの違う、40階建てのホテルだった。
「……これで『悪くない』って、贅沢すぎじゃね?」
創真は苦笑いを浮かべる。
「よし、ではまた明日の朝だな、幸平創真。まさか、この程度の試練で失格するなよ」
「ははっ、んなわけねえだろ。つーか、やっとゆっくりできるな」
「そうだな」
緋沙子は笑顔で返した。
そうして、和やかな雰囲気のまま、2人はホテルへと入っていった。
……本当の『試練』が、2人を待ち受けているとは知らずに。