■01 悪魔の笑顔
「さあどうぞ! たんと召し上がれ!」
色とりどり、形もさまざなま料理をテーブルに並べ、薙切アリスは楽しげに言った。
「ほら幸平クン、秘書子ちゃんも! 遠慮はいりません!」
「……いや遠慮っつーか、なんつーか」
創真はポリポリと頬をかきながら、テーブルの料理に視線を落とす。
隣に座る緋沙子も、
「あの……アリス様? 先ほど、なんとおっしゃいましたか?」
「あら? 聞こえませんでしたか? 仕方ありませんわね。もう一度説明して差し上げます」
腕を組み、アリスは誇らしげに言う。
「これこそ、古今東西の
「悪夢……す、すさまじい料理のようですね」
「そうなのよ! 東洋、西洋、そして人外魔境……あらゆる土地、時代の媚薬をかき集めてフルコースに組み込んでみたの。秘書子ちゃんお得意の漢方にもあるでしょう? 他にも――」
(なあ、緋沙子……)
うきうきと続けるアリスを横目に、創真が顔を近づけてきた。
(オレ、たいていの料理はいけるんだけど――これ、本当に大丈夫か?)
(わ、私に聞くな……! だが、せっかくアリス様が私たちのために用意してくださったのだ、無下にはできまい)
言いつつも、まったく気乗りのしない緋沙子だった。そう、そもそも、この状況自体があまりにイレギュラーなのだ。
◇
話は、前日の放課後にさかのぼる。
緋沙子が学園の厨房で、創真と料理の研究をしていたときのこと。片づけを終える頃には校内に人気はなく、ふいに二人の目が合った。熱っぽい視線が絡みあう。ぐいと引き寄せられて彼の胸に飛び込んだ――そのときだった。
緋沙子は厨房の入り口に、人影を見定めた。
「あ、アリスお嬢様――!?」
あせって創真を突き飛ばすも、ときすでに遅し。2人の抱擁を見たアリスは、
「あらあら、まあまあまあ……」
と、ぼんやりした表情のままで固まってしまった。
「ち、違うのですアリス様!」
緋沙子は必死に弁解した。
「これは、その……料理! 新しい料理の研究なのです!」
「あら、そうなの?」
「そ、そうなのです! 人肌をいま一度たしかめてみようとか、そういう――!」
「……なるほど。わかりました」
いける! このまま押し通せる! アリスお嬢様ちょろい! と思ったが、さすがに甘かった。
アリスはにっこりと笑うと、
「……つまり、秘書子ちゃんと幸平クンは恋人同士なのですね」
「ぎゃああ!」
絶叫のあと緋沙子は、『このことはまだ内密に』と頼みこみ、その場はなんとか収まった。
■02 さすアリ(さすがアリスお嬢様)
収まった……のだが。
この日、2人は突如としてアリスに呼び出された。
制服のまま訪れたここは、薙切家の別宅。アリスに与えられた学園内の一画だ。彼女の仮住まいは広く、創真の実家が軽く3つは収まりそうなほどである。
別宅はアリスのためだけに用意されたものだ。
家事のたぐいはメイドが担い、屈強な黒服が警備を務める彼女の城。この豪奢な洋館にアリス1人で――正確には黒木場リョウと2人で――住んでいる。
緋沙子たちが案内されたのは、ゲストをもてなすための一室で、キッチンとダイニング、リビングが一体となっていて、巨大なソファと大型のテレビまでもが設けられた、一風変わった部屋だ。
ぴかぴかに磨き上げられたダイニングテーブルに並ぶ、皿、皿、皿……。
「…………」
およそまっとうな料理とは思えない外見。
どこぞの前衛的なオブジェのように、複雑に絡みあう直線と曲線。不思議な色をしている。緋沙子はいまだかつて、ショッキングピンクをしたキノコや、エメラルドグリーンのイチジクなど、目にしたことがない。
……ないけれど。
ないのだけれど、ここには存在している。
赤と黒のマーブル模様のスープから立ちのぼる湯気は、なんというかこう、心なしか紫をしている……。
「し、しかしアリス様、なぜ私たちにこのような……えっと、斬新な料理を?」
いくら奇抜な外見をしていようとも、あのアリスが作る料理である。ゲテモノのたぐいではなく、あくまで計算されつくされた逸品ばかりなのだろうが……。とはいえ、彼女のことばは余りに不穏だった。
「サキュバスってなんだ?」
首をかしげる創真にアリスは、
「あら、幸平クン、そんなことも知らないだなんて」
ふふんと自慢げに鼻をならす。
「サキュバスは別名、夢魔とも呼ばれる悪魔の一種です。夢の中に現れては、…………色々とアレなことをするイタズラ者よ」
「ふうん?」
いまいち納得していないらしい創真だが、その横で緋沙子はげっそりとして肩を落とす。
サキュバス――夢魔とも淫魔とも言われるいかがわしい悪魔であることを彼女は知っている。だからこそ、先ほどから料理に手をつける勇気がわかないし、アリスがなぜそのようなものを自分たちに振る舞うのか、その理由を知りたかったのだが――。
「どうせあなたたちのことです」
すいっと指を立てて、アリスが言う。
「恋人付き合いをしているとはいえ、きっとまだキスもしていなのではなくって? ――ふふっ、今どき、高校生にもなってそれではいけません。キスくらいは健全なお付き合いの範疇なのよ♪」
「…………」
「…………」
沈黙する2人を見て図星を突いたと勘違いしたアリスは、したり顔で説明を続けた。
「ですから、そんな奥手な2人を後押ししてあげようということなのよ! そう! この媚薬フルコースを食べれば、キスくらいパパッと済ませられるに違いありません!」
「…………な、なるほど」
気まずくて緋沙子は視線をそらす。
アリスは知らない。まさか2人が、キスよりも、もっともっとアレなことをしているだなんて、
(い、言えない。言えるわけがない……!)
ついこの間だって、創真の実家で朝まで2人で過ごしたのだ。裸で。いろいろと、あんなことやこんなことを。愛のことばを囁きながら。
(うう……!)
そう、あらためて思い出してみても、かあっと赤面してしまうようなこと。そんなことを、アリスに洗いざらい話せるはずもない。純真さにかけてもえりなと似たり寄ったりな彼女は、きっと目を回して倒れてしまうに違いない。緋沙子だって恥ずかしい。
だから、
「さ、さすがアリスお嬢様……お気遣いありがとうございます!」
と言うしかなかった。引きつった顔で。
「あら、礼には及びませんわ。……それでは、2人の邪魔をしてもいけませんから私は退散しましょう。ごゆっくり~」
と、満面の笑みでアリスは部屋をあとにした。残されたのは緋沙子と創真、そしてテーブルの『サキュバスの悪夢』。
「……んで? 食べるのか?」
「うう、せっかくアリス様が用意してくださったのだ。手をつけないわけにもいくまい」
「まあ、オレは興味あるからいいんだけどさ」
「興味……あるのか?」
「いやいや、そういう意味じゃなくて。単に料理としてどんなもんかなーって」
「うむ……」
たしかに媚薬とは、要は精力増強の食材であったり、またはそのように錯覚させる珍味のたぐいであったりする。けっして魔術的な、いかがわしいものばかりではない。すっぽんの生き血などもその代表格のひとつだ。
アリスが研究を重ねた料理というのなら、後学のために食べておいても損はないだろう。そんな考えが緋沙子の料理人としての食指を動かした。
「では、いただこうか」
――と。
まあ、そういう考えも、甘っちょろかったわけなのだが。
■03 誘惑
「……なんともないな」
「おう、そうだな」
食後。
アリスは一向に現れず、なんとドアには外から鍵まで掛かっていた(……!)ので、仕方なく2人は、ずどんと巨大なソファに腰かけ、なんとなくテレビを眺めていた。
『サキュバスの悪夢』は見た目はともかく、味はよく調えられており、初めての食感なども手伝って非常に満足度の高い品ばかりだった。(ちなみに、2人とも『おはだけ』したが、ここでは割愛する)
先ほどから緋沙子は創真の隣に座りつつも、一定の距離を取り、手にすら触れていない。
2人きりになると甘えたい気持ちがないでもなかったが――ここはアリスの屋敷だ。薙切一族に仕える緋沙子としては、やはり節度を守らなければならない。恋人とイチャつくなど、そんなはしたない真似は断じてできない。
……そんなふうに意識したからだろうか。
なんだか、右の半身がぼうっと熱っぽい。創真のほうを意識して、肌が焼けるような感覚がする。ちらっと横目で創真を見る。彼はだらりとソファに背中をあずけて、ぼけーっとした顔でテレビを観ているだけだ。
……けれど、彼の唇や指先を見ているだけで緋沙子は変な気持ちになって、太ももをモジモジと擦りあわせた。
(な、なにを私は――)
頬が赤くなるのを隠すように彼女はうつむいた。
まずい。考えないようにしようとすればするほど、体の芯がうずく。腰のあたりがむずむずする。
(だめだ、こんなところで……!)
不埒な想像をすることすら罪悪だ。ここは職場。そう、薙切家の秘書を務める自分にとっては神聖な職場なのだ。でも、なのに、だというのに――。
……一方で。
(うーん、ホントになんともねぇな)
創真のほうは呑気なものだった。
料理は堪能させてもらったが、媚薬的な効果は特にない。最初の一口から数えると、そろそろ1時間近くが経つ。なにかしらの効果が体に及ぶには、十分な時間だと言えるだろう。
テレビから流れるドラマにも飽きてきた。アリスに連絡を取って屋敷を出ようと創真が、
「なあ、緋沙子――」
隣の彼女に声をかけたとき、異変に気づいた。緋沙子が切なげに潤ませた瞳でこちらを見ていた。
「緋沙子?」
「…………創真」
熱っぽい表情に、小さく吐息の漏れる唇、じっとりと汗ばんだ首筋。
外は夕暮れ。窓からの赤い光が彼女の背後から差し込み、その表情をより怪しいものにした。
「おい、まさかおまえ――」
言うが早いか、緋沙子が身を寄せてきた。
ふわりと漂う少女の甘い香り。肩が触れあう心地よい重さ。緋沙子の肩はなにかに必死に耐えるようにして小さく震えている。
「いやいやいや、まさかマジで効いたのか?」
「……わからない。わからないんだ」
うわごとのように彼女は繰りかえす。
「わからない……けど、私は……」
緋沙子はくいっと首を伸ばして、創真の耳元で囁いた。
「――したい。創真としたい」
■04 本日の緋沙子さん
「ふっ、ん、っは…………んっ」
互いの唇をむさぼる水音と、熱に浮かされた吐息とが混じる。
あいにく創真も、緋沙子に迫られてまで理性を保っていられるほどの冷静さは持ち合わせていない。誘われるがまま彼女の細い肩を抱き、唇を合わせた。
「はあっ、んくっ――」
しかし今日の緋沙子は積極的だ。
みずから舌を差し出し、熱い吐息とともに創真の口内に滑り込ませた。
「あうっ、んんっ――」
にゅるっ、にゅるっと、彼女の細くていやらしい舌が創真の中で動く。創真もそれに応える。唇と唇の接合部からはどちらのものともつかない唾液が、つうっとしたたり、緋沙子のスカートを濡らした。
緋沙子は唇を押しつけるようにしながら、創真の頬を撫でてきた。
「――――っ!」
たおやかな指が創真の頬に当てられ、ついで耳たぶへ伸び、首筋を伝う。くすぐったさを伴った快感が創真を襲う。
(くっ、こんなの、我慢できるかよ――!)
創真のほうでも、彼女のくびれた脇腹や、腰のあたりをさすると、
「んッ――――!」
びくりと彼女の背筋が跳ねた。
見つめ合う体勢のまま、
「創真……もっと、もっと触って、私のこと、もっと――」
「っ……! どうなっても知らねぇぞ?」
「いい。それでいい。創真の手で、無茶苦茶にしてほしい」
耐えきれず彼は彼女をソファに押し倒し、ブラウスの上から荒々しく胸を揉みしだいた。両手のひらに心地よい弾力。指の動きに合わせて悶える細い体。
「ふっ、あんっ――!」
「なんだよ緋沙子、こんなんで感じてるのか?」
「そ、そんな――ことっ! んんっ」
普段はきりりとした彼女が、いまではだらしない顔をして創真に組み敷かれている。乱れる髪も気にせず、体を差し出し、快楽に身を委ねて。たまらずに、彼女に覆いかぶさりその首筋へと顔をうずめると、
「やんっ――だめ、創真ぁ……」
彼女の甘ったるい声が、耳元で響く。創真の全身を、熱い血液が駆け巡るのを感じた。