■01 もしかして果たし状?
それはある秋の日のこと。緋沙子が教室での授業を終え、実習室へと向かって一人で歩いている時だった。
「おっす、緋沙子」
廊下で肩を叩かれて立ち止まり、振り向くと、創真が快活な笑顔で、そう声を掛けてきたのだ。
「……………………」
緋沙子は、ぐっと目を険しくして、油断なく辺りを見回す。創真の袖を掴み、人目に付かないところまで引っ張っていき、彼の耳元に顔を近づけた。
「周りに人がいるときは、以前のように呼び合うという約束だろう――!?」
2人が付き合っていることは、周囲には秘密だ。
スタジエールがひと通り終わり、学内は、いわゆる『ふるい落とし』を生き残った生徒ばかりとなり、ほどよい緊張感と、一種の高揚感で溢れていた。とてもではないが、恋愛の甘い雰囲気を表に出せるような環境ではなかったのである。
それにそもそも……、単純に気恥ずかしいという理由もあった。
そのため、「しばらくは公表しないでおこう」と取り決め、互いを下の名で呼ぶのも2人きりの時だけ、ということにしていたのだが――
「ん、そうだっけか?」
「そうだ! もうかれこれ、これで7度目だぞ! いい加減、学習しろ……!」
彼はこんな調子である。
「んなこと言ったってよー」
創真は口を尖らせる。
「2人きりになるタイミングって、あんまないじゃん?」
「……う、それは――」
まだ学園祭までは少し時間があるとはいえ、緋沙子はえりなのお付きとして忙しい日々を送っているし――創真にしても、今まで以上に積極的に食戟に励んでおり、互いの時間が合う機会などほとんどなかったのである。
「そ……、それとこれとは話が別だ。交際するにも、きちんとけじめを付けなければ。 だいたい君は――」
「あー、はいはい」
創真はうるさそうに手を振って、
「ところでさ、次に秘書の仕事が休みになるのって、いつだっけ?」
まったく、人の話を聞かない男だった。
もはや何を反論したところで無意味だと悟った緋沙子は、頭の中でスケジュールを確認しながら――
「丸1日、休みになるというのは中々ないのだが……」
ふと今朝のことを思い出し、
「……ああ、次の土曜日、えりな様のお昼の予定がキャンセルになって……まあ、日中だけならば自由な時間があるかもしれない」
「お! その日ならオレも大丈夫そうだな」
創真は楽しそうに笑って、
「デートしようぜ、デート」
と言う。
「う、な、何を急に――!」
「いや、急にっつーか……、だから今誘ってんだけど。別に変じゃないだろ、恋人とデートすんのって」
「そ、それはそうだが――」
急な申し出に、緋沙子の頬は赤に染まる。
「嫌か?」
「嫌なわけ、ないだろう――」
むしろ嬉しいくらいだ――とは口にできなかった。さすがにまだ照れる。
「……だが、夕方のえりな様のご予定を考えると、自由になるのはせいぜい2、3時間といったところだ――遠出は、できそうにない」
緋沙子は、しゅんと肩を落とす。
えりなの事を最優先にする――ということも2人の間では事前に確認しており、これについては創真も協力的だった。
秘書業も頑張るし、料理の腕も磨く。創真との時間も大切にしたい。とはいえ中途半端は一番駄目だ……近頃の彼女は、そんなふうに悩んでいた。
「ふーん、じゃあさ、学園の中でデートすりゃいいんじゃねえの。人目に付かないところでさ」
「人目に? な、何をするつもりなんだ……!?」
緋沙子は不穏な空気を感じて身構えたが、
「いや別に? ノープラン。……ん? もしかして緋沙子、変なこと考えたのか?」
「そ、そんなわけないだろう……!」
図星だった。
ぶんぶんと首を振って緋沙子は、
「……まったく、君は」
と、責任を彼に転嫁しつつ、ため息をついた。
だが確かに、学内であれば時間的に余裕ができる。とはいっても、誰かに見られてしまうというリスクはもちろん避けられない。それならば、最悪の場合にも言い訳の立つような――
「そうだ、手作り弁当を持ち寄る、というのはどうだ?」
これならば「新しいアイデアを試していた」という弁解もできるし、実際に料理の腕を磨くこともできる。
少し苦しい言い訳かもしれないが、2人きりで弁当をつつき合う――なかなか楽しそうだ。緋沙子がそう思いを巡らせていると、不意に、創真の瞳に炎がともる――。
「もしかしてそれ――食戟か? いいぜ、お前が相手でも、手加減はしねえぞ――!!」
「いや待て! 何で君はすぐそういう方向に……好戦的すぎるだろう!?」
拳を握り、目を爛々と輝かせる創真は、今にも、額に手ぬぐいを巻いて戦闘モードに入りそうな勢いだ。彼の背中で、何かが燃え上がっている――初デートという甘い響きは、その炎の勢いにすっかり焼き尽くされてしまった。
「はあ……、まったく」
こめかみを押さえ、緋沙子はがっくりと肩を落とした。
「君は、少年漫画の主人公か何かなのか――」
■02 シンキングガール緋沙子ちゃん
(どうしようか……)
緋沙子は迷っていた。
今日は土曜日。約束のデートの日。弁当は既に出来上がっている。自分でも納得の出来だ。彩りもばっちりだし、彼の『好み』も織り込み済みで、準備は万端だった。
午前中の仕事を終え、えりなに断りを入れて、彼女の屋敷のキッチンで弁当を仕上げた。仕込みは前日の内に終わっていたので、さほど時間は掛からなかった。あとは、12時までに約束の場所へたどり着けばいい。
――それはいい。
それはいいのだが、問題は服装だった。
えりなの仕事に付いて回る際には、休日であっても制服姿でいることが多い。だから今も、制服にエプロンという姿だ。
つまり――
私服に着替えるべきか、着替えざるべきか――。
それが問題だった。
(いくら初デートだからといって、あの男が服装にこだわるハズがない――)
創真はきっと、いつもの『ゆきひら』Tシャツだろう。どんなに考えてみても、彼が鏡の前で今日の服装に迷っている姿は想像できない。料理の中身に頭を悩ませることはあっても、髪型を気にして悩んだりはしないだろう。
(まあ、それが創真らしいといえば、創真らしい、か。さて――)
まだ時間はある。緋沙子の私服も、この屋敷にある程度置かせてもらっている。着替えられないことはないが――しばらく迷った末、緋沙子は結論を出した。
■03 紅葉より前に……
約束の場所は、林の中にあった。広大な学園の敷地の北東にあたる。
木々の間を抜けると、体育館ほどの開けた空間があり、よく整えられた芝生が敷き詰められていた。広場を囲む形で桜の木が植えられているが、この時期では当然、緑の葉を付けるだけだ。
春先の花見以外は、ごくたまに、ここでスポーツに興じる者や、イベントを開催する生徒が居るらしいが――今日は幸い、誰も居ない。ここは奥まったところにあるし、寮からも遠いので、わざわざ休日に訪れる物好きなど彼女たちくらいだろう。
広場の隅に立ち、緋沙子は左手首の時計に目をやる。ちょうど、約束の12時だ。
すると――
「おっすー」
気の抜けた声と顔で、創真が現れた。手には、弁当が入っているらしい大きなバッグをぶら下げていた。服装は……
「やっぱりな」
緋沙子は軽くため息をつく。
「あん? 何だよ」
いつもの、黒い長袖のTシャツだ。
もしかしたら今日くらいは――と緋沙子は思ったが、期待するだけ無駄だったようだ。小さく首を振って、
「――いや、何でもない」
そう、何でもないのだ。
しかし、彼は近寄ってくると、
「つーか緋沙子、いつもと違うよな。荷物も多いし」
「――――!」
ビクッと肩を震わせる。
「髪型もなんか違うよなー」
「…………っ」
気づかれた――いや、気づいてもらえたのは嬉しいのだが、緋沙子の中では恥ずかしさのほうが勝っていた。
何しろあの後、全力で着替えたのだから。
屋敷に保管しておいた服を漁りに漁って、つま先から頭の上まで、しっかりと。
取っ替え引っ替えの後、最終的に落ち着いたのが今の格好だった。
ワンピースにワインレッドのロングカーディガンを羽織り、足元はショートブーツという出で立ちだ。小さな花柄があしらわれたワンピースは、残念ながら夏物だったが、それはこの際、気にしないことにした。
トータルとしては、清楚だが可愛らしい――そんな雰囲気を作れたのではないかと、自分では思っている。
髪型も大急ぎで整えた。普段は飾りっ気のない彼女だったが、今日はサイドで編み込んでみたりしている。おかげで顔の左側は、いつもより露出が多い。耳まで出てしまっている。ちょうど創真が立っているのがそちら側なので――
「み、見るなっ――」
このままでは頬の赤さがバレてしまう気がして、緋沙子は背を向けた。「頑張った感」を見破られた恥ずかしさと、気づいてくれた嬉しさが化学変化を起こして――その複雑な感情は、彼女の行動を不自然なものにする。
「……いやいや、どうしろっつーんだよ」
創真の不満げな声を背中で聞きながら、緋沙子はバッグを開ける。
芝生の上にレジャーシートを敷き、その上に弁当の包みなどをいそいそと広げていく。彼女の胸は、自分でも信じられないくらいに弾んでいた。しばらく彼の顔は直視できそうにない。
だから、視線を落としたまま催促する。
「――何をしている、ほら、早く昼食の準備をするぞ」
「へいへい」
2人の過ごす広場の上では、雲ひとつない秋晴れの空が広がっていた。
さて、いざ実食――である。