■04 イリュージョン
「……ということで、まずは私の弁当からだな」
緑の芝生の上に、黄色いレジャーシート。緋沙子と創真はそこに座り込み、互いの弁当箱を突き合わせた。緋沙子は自身の弁当箱のふたを開け、2人の間に据える。
彼女が作ったのは薬膳弁当だ。
創真に勧めると、ひょいひょいといくつかを口に運び、唸ったり、感心したりしている。その様子を眺めながら緋沙子は、
「君も、忙しい日々が続いているだろうからな。どうせ、食戟の前夜は徹夜……なんていうこともあるんだろう?」
「ん、ああ、まあな」
創真がこくんと頷く。
「疲労回復にはこの餃子がいいぞ。餃子のタネには麦門冬ばくもんどうという、ユリ科の植物を細かく切ったものを加えているんだ。喉の悪いときなんかにも役立つぞ」
「へえ……」
創真は餃子を箸でつまみ上げ、口へと運ぶ。途端――
「うっ! おお……!?」
彼は驚きに目を見開き、おもむろに立ち上がった。薬膳の効果はてきめんで、どうやら彼の体を、熱い奔流が駆け巡っているようだった。
轟ゴウ――っと、どこからか赤い風が吹いてきて、創真の体にまとわりつく……!
これは…………龍ドラゴン!?
薬膳の起源である大陸の熱い風が、今、龍の姿を借りてここ遠月学園に顕現けんげんしたのだ! 彼の衣服は、上昇気流と化した赤い龍によって引き裂かれ、体は、はるか青天へと巻き上げられていく……! そう、彼は荒ぶる赤い龍と一体となったのだ――!! 創真の絶叫……いや、咆哮が響き渡る!!
「うおおおぉおお――っ!」
…………。
……とまあ、すべて幻覚なのだが。
+ + +
「どうだ、創真」
緋沙子はいまだ放心状態の創真に向けて問う。
それは、ちまたの恋人同士で交わされるような、「どうかな、頑張って作ったんだけど……おいしくなかったらごめんね」みたいな初々しい視線ではなく、やはり、どうしても挑むようなものになってしまうが――これは仕方のないことだろう。
「やるじゃん、緋沙子。……そうか、これは下処理に――」
「その通りだ。実は冷えてもパリッとした衣を作るために――」
「じゃあ――は、――か」
「ああ、――が、――で……」
等々、彼らはいたって真面目に料理の議論に耽った。
■05 本番
緋沙子の弁当をひと通り賞味し、彼女が持参した緑茶をすすり、そして次は創真の弁当の順番になった。彼の弁当は二段式になっており、まずは上段の中身を2人して食べた。
……その際。
緋沙子の着衣は消し飛んで、秋の空に彼女の悲鳴が響き渡ったりしたが――今回は全年齢対象なので割愛する。ああ、残念極まりない。(注:決して、料理知識の乏しい作者が、奇抜で美味しそうな一品を思いつかなかったからではないのですごめんなさい)
全裸に剥むかれる――という恐ろしい幻覚が収まった頃、緋沙子の目の前で創真は、おもむろに弁当箱に手を伸ばし、
「んじゃ、メインディシュだな――」
と言って不敵に笑う。
「――ほう、先ほどの料理が前座だったとはな」
ううむ、と緋沙子は唸る。
「ああ、メインは……、これだ――!!」
「な、なにぃ――!?」
2段目に用意されていたものは――とても真っ当な料理だとは思えない外見をした何か、、だった。教科書くらいのサイズの弁当箱の中は、ドロドロとした、黒い液体で満たされていた。――いや、液体にしては粘性が高い。そして漂う、甘ったるい臭い――
「こ、これは――!? まさか、水飴みずあめ!? いやしかし……黒いのは何故だ! それに、所々顔を出しているこの触手は……まさか!?」
緋沙子の顔が恐怖におののく。
一方の創真は、肩を小刻みに揺らし、不気味に微笑んだ。
「ふっふっふ……、これぞ幸平特製、『イカスミゲソ水飴』だ!!」
「この黒さはイカスミかっ!? って、水飴にゲソを浸すな! 馬鹿か、馬鹿なのか君は!!」
「いやあ、照れるぜ。へっへっへ」
「褒めてない!」
そんな緋沙子の怒りなどさらりと受け流し、創真は黒く濁った水飴の海から、ゲソを一本、箸ですくい上げる――そのイカの足には、どろりと黒い液体が絡みつき、つつーーっと糸を引き……、もはや、この世のモノとは思えない異形をなしていた。
しかも創真はあろうことか、その異物を緋沙子の鼻先に差し出し、
「ほら、緋沙子、『あーん』」
などと宣のたまう。
「『あーん』!? こ、これを私に食べろと言うのかっ!? いや待て、そんな甘ったるいイベントはもっと違う形で……、こら! 近づけるな! んっ……? んぐっ!?」
緋沙子の唇は強引にこじ開けられ、黒い触手が口内に放り込まれる――!
「うぐぐぐっ――!?」
緋沙子は目をぐるぐる回して悶え苦しむ。
……これは甘い! 無駄に甘ったるい! でもイカスミ臭い! そして吸盤が頬に吸い付く! まるで、地の底から悪魔の手が伸び、彼女の全身を這い回って、地獄へと引きずり込もうとするかのごとく……!
そして、彼女が幻覚に見た悪魔の顔は――いやらしく笑う恋人のものだった。
■06 高低差
「くっ……、はぁ、はあ……」
緋沙子はがっくりとうなだれ、肩で息をする。まだ口の中には、地獄のような甘さと吸盤の感触とが残っていて、目眩がしそうだった。
「何という恐ろしいものを――!」
恐怖を湛えた目で創真の顔を見やる。
彼も今しがた、自身の(ある意味)必殺料理スペシャリテを試食したばかりであり、苦痛に身悶えしていた――だがしかし、口元はニヤついている。
(私の彼氏は、変態なのだろうか――)
緋沙子の頬が更に引きつる。しかしついには、
「……ふっ、ふっふっふ……」
と、低い声で笑い出した。
「お? どーした、緋沙子。壊れたか?」
「……ああ、まあな。壊れたというか、壊されたと言うべきだが……しかし」
ゆらありとした動きで、緋沙子は自身のバッグに手を伸ばす。
そして、プラスチックの容器と、緑茶が入っていたのとは別の水筒、更には、梱包こんぽうしてあったティーセットを2つ取り出す。
「……創真。私が君の『好み』について不勉強だとでも思ったか? 君がゲテモノ料理の常習犯だということは調べがついている」
言いながら、淀みなく茶器を並べていく緋沙子。創真は、はてな? と首を捻ってそれを眺める。
「そして、それを無理やり食べさせられるというところまで――私は予想していたのだ!」
プラスチック容器の中には、煮詰め、薄く切られた『なつめ』や『生姜しょうが』が入っていた。それらをティーカップに移し、お湯を注ぐ。すると、ほのかに甘く、すっきりした香りが漂い始めた。
「これは消化を促進する『なつめ生姜茶』だ。君のゲテモノ料理の後口あとくちは、これで覆してみせる!」
「――おお!」
何故か悪魔ソーマも喜びの声を上げる。
「ちょうど口の中が気持ち悪かったんだよ。助かるぜ」
「……なら何故作る……。そしてどうして食べるのだ……」
恋人の変態性に酷く呆れながらも彼女は、2人分の茶の準備を進める。そして温かい液体を口へと流し込み、ほうっ、と一息つく。やっと、生きた心地がした。
「ほら、お茶うけも準備しておいたぞ。簡単なクッキーだがな」
「やるじゃん! さんきゅー」
「能天気というか、何というか……」
無邪気な様子の創真を見て、緋沙子は苦い笑いを浮かべながらも、温かな吐息を吐き出すのだった。
すると不意に創真が、
「いやあ、やっぱ緋沙子ってアレだな――」
「ん?」
「いい嫁さんになりそうだよな」
と言ってカラカラと笑う。
「よ、嫁!?」
途端、緋沙子の脳内を、様々なビジョンが駆け巡る。ウエディングドレスだとか、教会の鐘だとか、エプロン姿で台所に立つ自分だとか、可愛い2人の子供だとか――
「――い、いやまだそれは早いというか、もっと手順を踏んでだな……。いや、それも今更なのか!? しかし、まだ私には秘書としての仕事が……、一緒に定食屋を、というのは……でも、ああ!」
ゲソ地獄から妄想の天国へ。彼女の脳内は、とても忙しかった。
+ + +
さて、そんな緋沙子を置き去りに、創真は「そういえば」と自らのバッグから、真っ黒い水筒を引っ張り出した。
「たんぽぽコーヒーってあるじゃん?」
「まずは親御さんに――って、うえ?」
そこでようやく、妄想の世界に浸っていた緋沙子は、現実へと帰ってきた。
「あれって、たんぽぽの根っこから茶を出すんだよな」
突然何を言い出したのかは分かりかねたが、緋沙子は答える。
「あ、ああ。健康や、美容にも効くはずだが――」
「やっぱ知ってるか。さすがだな。……んでな、菊も花は黄色いし、似たようなもんだと思うんだよ」
「ん? えっと、どういうことだ?」
「それからさ、一色先輩が寮の花壇で、よく分からない黄色い花をたくさん作っててさ――」
段々と、不穏な空気が漂ってきた。
訝いぶかしむ緋沙子の前に、創真がずいっとコップを差し出す。中には、漆黒の液体。花は黄色でも、根っこから抽出されたエキスやら何やらを混ぜあわせると、こうまで黒く濁るらしい。
「ほれ、『黄色い何か、、のコーヒー』」
と言って、笑いながら迫ってくる。
「いやあ、お互い、食後の一杯を思いつくなんて、似たもの同士なのかもなー、オレたちって」
「い、一緒にするな、んがっ……!」
無慈悲なことに――またも彼女の口は、愛する男の手によってこじ開けられる。絶叫は、秋の空にこだました。
07 いつものオーダー
「く、くぅっ――」
散々な初デートだった。まあ、悲しいかな、半分以上は予想通りだったのだが――。しかし、残りの『予想外』の部分がハード過ぎた。
「創真、どうやら私はまだ、君のことを侮っていたみたいだ……」
暗い顔をして、緋沙子は言う。
「まさか、二重の罠が張り巡らされていたとは」
「ほら、料理は相手のことを考えて予想するのが基本だろ? いやー、結構がんばったんだぜー」
「……その労力を、別の部分に使ってはくれないか」
何だか、やたらと疲れる初デートだった。緋沙子にとっては人生初のデートでもあったので、様々な疲労が折り重なっているようにも思えた。
だというのに。
一方の創真は、満足げに笑っている。
「……君は、なんでそんなに楽しそうなんだ」
「そりゃそうだろ。今日は緋沙子の色んな顔が見れたしなー」
レジャーシートの上で、創真は腰を滑らせる。緋沙子の、すぐ隣に陣取った。左側だ――
「ち、近いぞ――」
身を逸らそうとするが、創真の右手に肩を抱きすくめられた。
「……そろそろお前、仕事の時間だよな?」
「あ、ああ……」
時計の針は、2時を指そうとしている。
「帰る前に、恋人っぽいこともしとくか?」
「だから、ムードというものを考えて――、こ、こんな強引な」
「嫌か?」
息がかかる程の距離で、創真は緋沙子に問い掛ける。
彼女は、首まで真っ赤になりながら、答える。
「い、嫌――、ではない」
ぐっと、肩に力を込めながら、
「そ、その――あんな物を食べさせられたんだ……だから、その」
心臓の高鳴る音が、やたらとうるさい。緋沙子は身をこわばらせ、少しだけ顎を上げて、
「く、口直しを要求する……!」
「了解――」
よく晴れた土曜日。他に誰もいない、広い芝生の上。2人は何度も唇を重ねた。
予想はしていなかったが――心のどこかで期待していたデザートを、緋沙子はじっくりと味わった。