玄関のドアを開き、すぐ目の前のエレベーターに乗り1階に降りる。エレベーターの中では夏美は俺のスーツの袖を掴んでいたが、エレベーターが開くと、その手を離す。室内では親密なイチャイチャを好む夏美ではあるが、一旦外に出ると、節度を守るというか、恥ずかしがりなところがあるのだ。駐車場は1階にあり、8台の駐車スペースがある。俺の分の駐車スペースは2台。1台は俺の買い替えたばかりのランドクルーザー。昔から国産車が好きなのだが、6人で乗れるようにと選んだものだ。もう1台は鮮やかな赤のアウディA1。これは晶子の愛車だ。
「おはようございます。ご主人様」
サングラスを外して頭の上に乗せて、丁寧にお辞儀をする晶子。晶子は洗練されたパンツルックの装いで、モデル雑誌から飛び出してきたような姿だ。アウディの前で俺とあまり背の変わらない晶子と軽くキスをする。晶子の唇の感触は何度キスしても飽きない。晶子との朝の挨拶のキスは、いつも晶子の方から顔を離す。きっと今の俺はさっきの夏美と同じような顔をしているに違いない。しかし、そんな俺のことなど気にする様子もなく、晶子は俺のために後部座席のドアを開き、俺は渋々乗り込んだ。
「おはようございます、アキコさん」
「おはよう、夏美ちゃん。」
夏美が車に乗り込もうとすると、晶子が軽く咳払いをする。夏美が晶子を見ると、晶子は自分の首筋を指差す。夏美は何かに気付いて恥ずかしそうに顔を伏せた。
「えっ?あっ……」
俺も夏美の首元を見ると、赤いキスマークが残っていた。夏美は上から2つ外していたボタンを留めて、俺に「まだ見えますか?」と聞いて来る。
「それなら見えない。俺のせいだな――すまん」
「いえ……嬉しいです」
「夏美ちゃん、昨日はずいぶん可愛がってもらったみたいね」
「……はい」
女2人の話を聞きながら、俺は照れ臭くて聞こえない振りをして窓の外を眺めた。
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夏美を駅まで送った後、車は俺の事務所に向かう。この間は晶子と車中に2人きり。サングラスをかけた晶子とはバックミラー越しにも視線が合うことはない。ハーレム生活は楽しいのだが、朝からずっと誰かと一緒というのは無意識のうちにも気疲れする。晶子は運転中は運転手に徹しており、俺もこの間に仕事モードに頭を切り替え始める。――いつもはそのはずなのだが、この日は晶子の方から話しかけてきた。
「ご主人様、少しよろしいでしょうか」
「――あぁ、どうした?」
「今朝、優衣ちゃんを送るときに、マンションの前で権藤様とお会いしました」
「へぇーカズさんと」
「はい。ご主人様によろしくとのことでした」
カズとは、引越しの前に挨拶した後も、俺のファンドの顧客になってくれた縁もあり、報告がてら月に1度は会っている。カズはいつもはもっと早く出かけているそうなのだが、今日は少し遅れたそうだ。晶子は駅まで送らせて欲しいという話もしたそうなのだが、カズは駅までチャリで通っているそうで晶子の申し出には応じなかったようだ。
「優衣はカズさんに会ったの初めてだよな?失礼はなかったか?」
「はい。ちゃんとご挨拶して、権藤様からもお声をかけて頂きました」
晶子と優衣はカズに会うと、その場で地面に膝をついて深くお辞儀をして挨拶をしたそうだ。一般社会で言ったら何もそこまでと思うだろうが、姫が自分以外の主と接する時はそのような姿勢で挨拶するのが通常で、相手から挨拶されなければ、そのままの体勢で相手が視界からいなくなるまで待つことになる。
「晶子は何か声をかけてもらったのか?」
「いえ、挨拶以外は特には」
俺がこんなことをわざわざ聞いたのは、以前、カズの部屋を訪れた時のことがあったからだった――。
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5月のある週。俺はカズの部屋を訪ねた。この日のカズは、床に置いた立派な将棋盤を前に本を見ながら、むつかしい顔をしていた。聞けば、カズは4月から高校生となり、囲碁・将棋部に入部し、今は将棋にはまっているそうなのだ。俺は盤面を眺めて呟いた。
「振り飛車ですか?」
「おっ、ミヤっち将棋やれんの?」
「えぇまあ……」
実は、俺は幼少時に祖父に教えられて将棋を始め、小・中学校時代にはかなり熱中していた。最終的にアマ二段までは取ったのだが、高校に入ると駒を握ることもなくなっていた。その話をすると、カズはひと勝負したいと言い出して、俺とカズは将棋の盤を挟んで、互いに正座をして向かい合うこととなった。カズの傍には薫子が控え、俺の方はさやかはもうカズに挨拶をしているので、晶子を挨拶のために連れて来ていた。そして、将棋を指し始め、駒を動かす合間にカズの高校での学生生活の話を聞いたりした。カズは高校入学後の最初の学級会で学級委員に立候補したがあえなく落選したそうだ。
「でも、カズさん、中等部までは生徒会の書記をしてたんですよね。その実績は考慮されなかったんですか?」
俺はカズに「さん付けはよしてくれ」と何度も言われていたのだが、顧客ということもあり、自分より半分以上年下の相手であるにも関わらず、呼び捨てに出来ずにいて、カズもそれについては何も言わなくなり、諦めたようだ。
「……。選挙は水物だからな」
それでも、カズの方はタメ口を崩さない。傍に控える薫子が言葉を継いだ。
「ご主人様のクラスには生徒会長の桜沢様もいらっしゃったんですよね」
「……」
「ご主人様は昨年の生徒会会長選挙でも桜沢様に負けてしまいましたので二連敗なさったわけです」
「それは残念でしたね」
「あの女はいつも俺のジャマをしやがるんだ」
カズは舌打ちしてそう言ったが、すぐにさばさばした口調で言葉を足した。
「でも、学園祭実行委員になれたから、逆に良かったかもって感じ。一年から学園祭の運営に関われるのは俺にとってもプラスになると思うし。」
「ご主人様は高校生活での目標を生徒会長から学園祭実行委員長に切り替えられたのですよね」
「そうなんですか?」
「あぁ、俺はどうやら気まぐれな大衆の支持を必要とする選挙には向かないっぽいわ。実行委員やりながらしっかりした実績さえ残せば、学園祭実行委員長は実行委員だけの話し合いで選ばれるから、俺はそうゆうシステムの方が向いてるっつぅ気がするし」
カズは盤面から目を離さぬまま言った。将棋の勝負の趨勢はすでに着いているのだが、カズはそれに気付いていないのか、それとも諦めずに勝利の道を探っているのか。その間に俺はカズに気になっていたことを聞いてみた。
「カズさんは何でそんなに役職に付きたがるんですか?俺なんて、学生時代はまずそういう役職とかに立候補したことなんてなかったですよ」
カズは盤面から顔を上げて、不思議そうな顔で聞いた。
「そりゃあ、みんなの役に立ちたいからに決まってるっしょ、ガチで。ミヤっちはそうゆうのなかったの?」
「……」
俺は黙るしかなかった。学生時代にそんなこと考えたこともないし、今も結局のところ俺は自分のために金を稼いでいるだけだ。誰かの役に立ちたいなんて考えたこともない。カズのこんなところは年下ながら素直に尊敬するところだ。しかし、カズは俺の気持ちを知る由もなく、さらりとかっこいいことを言った後も、盤面を見ながら顎に手を添えて首を捻っている。すると、薫子がそっと囁いた。
「……ご主人様、僭越ながら、もう勝負は付いているかと」
「やっぱそうか。俺もそんな気してたんだよな。ここは潔く投了するか。んじゃ投了っつうことで。もう一回やるっしょ。」
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それから俺は駒を落として何局か指したが、アマ二段の俺とまだ駒の動きを覚え始めたばかりのカズとでは勝負にならなかった。それでもカズは毎回最後まで諦めず戦うので、俺はだんだん疲れてきた。その間、俺はとっくに脚を崩しているが、薫子と晶子はカーペットが敷かれているとはいえ座布団もないところで正座を続けている。一度カズに「晶子の脚を崩してもいいですか」と聞いたが、カズが答える前に晶子が「どうぞ、お構いなく」と涼しい顔で俺に言ったので、カズも何も言うことはなかった。これが他の主と対面する際の作法とすれば、さやかと晶子以外の姫を連れて来るのはなかなか難しそうだと思った。
俺が圧勝した後、カズは後ろを振り返り薫子に問いかけた。
「薫子、指してみるか?」
「いえ、私は……」
俺はいい加減カズと勝負するのは飽きたので、色めき立つ。
「薫子さん、将棋指せるんですか?もし良かったらお相手願えませんか?」
「ミヤっちもこう言ってるし、相手してもらえって」
「城宮様がよろしければ……」
「ぜひぜひ」
断わりながらも満更でもない表情の薫子を見るとがぜん興味が沸いてきた。正直言えば、同じ下手が相手でも高1のガキよりは美人と勝負したいというものだ。こうして、将棋盤の向かいには薫子が座ることとなり、カズは横から盤を眺める位置に座った。深く俺に一礼した後の薫子は背筋が伸びて姿勢が良く、駒の並べ方を見ても素人とは思えない。
「薫子さん、もしかして、結構指せるんじゃないんですか?」
「薫子と呼んで頂いて構いません」
「薫子は結構強いんだわ、俺も手加減してもらわないと、勝った事ないし」
カズが勝った事ないというのは何の当てにならないが、これはもしかすると強敵かもしれない。俺は当然のように飛車と角を落とそうとしたが、薫子は「それには及びません」と不敵に笑い、疑念は確信に変わった。俺もにやり笑い、正座で座り直した。俺が先手で歩を指し、薫子はノータイムで歩を動かす。駒が盤に響く音が心地よい。何気なく使っているこの盤と駒も相当値が張るに違いないと今更ながら思った。
序盤は互いに時間を掛けずに指し合ったが、最初に長考に入ったのは俺の方だった。数手前に何気なく指した手はどうやら悪手だったようだ。その挽回の手を考えていると、背後に控えた晶子が「ご主人様」と声を掛けてきた。
「ん?何」
俺は後ろを振り返らず言葉を返した。正直、今は集中を乱したくない。
「権藤様が退屈そうにされておりますので、私がお相手して差し上げてもよろしいでしょうか?」
晶子の言葉にふと顔を上げてカズが座っていた場所を見ると、いつの間にかもうそこにはおらず、視線を巡らせれば、ソファに寝そべり愛という別の姫の太腿を枕にスマホでゲームをしていた。
「あぁ、晶子は出来るのか?」
「はい。」
微笑みながら答える晶子。まだ晶子との付き合いは短いが、既に俺の中では晶子は何でも出来るという印象があり、将棋くらいなら当然こなすのだろうと思えた。カズにしても俺のようなおっさんと指すよりは、晶子と打つ方が楽しいはずだ、今の俺のように。
「カズさん。もし良かったら、晶子のお相手してもらっていいですか?」
カズは身体を起こしてこっちを振り向く。
「いいの?」
「もちろん、どの程度の腕前かは分からないですけど、カズさんにご指導頂ければと」
「俺もまだまだ未熟なんだけど。でもせっかくのミヤっちからの申し出だし、そうしよっかな。晶子、ヨロシク」
ずっと正座を続けていた晶子は危なげなく立ち上がり、カズの後に付いて部屋から出て行った。俺は一つ気になることを薫子に聞いてみた。
「将棋盤はもう一つくらいありますよね」
「ご心配なく」
その言葉を聞いて、俺は再び盤面に集中し、ついに妙手を見出した。俺がその手を指すと、薫子がその手の意味をすぐに悟ったのか、此方を見て薄く笑みが浮かぶ。どうやら久々に熱い勝負が出来そうだ…――。
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熱戦は二時間近く続いた。こんなに頭を絞って考えたのは久しぶりかもしれない。俺はかなりの疲労感を覚えていたがそれは心地よいものだった。
「いやー、薫子は強いな。まだ余力があったでしょ」
「そんなことございません。城宮様は将棋を指すのはお久しぶりのようですし、勘が戻っていれば、私などとは勝負にならなかったか。」
「そんなことないって」と言いながら、俺は満更でもなかった。両手を背後の床について室内を見回すと、カズも晶子もまだ戻って来ていない。薫子が「そろそろ呼んでまいります」と言って、立ち上がり、部屋から出て行く。俺の胸の中に初めて不安感が初めて芽生えた。まず、カズが戻って来た。あれ、さっきまで制服だったのに部屋着に着替えてる……その上、タオルを首からぶらさげて髪も濡れている。そして、続いて戻って来た晶子も服こそきちんと着ているが、メイクを直したような気がするし。晶子は俺の足下に跪き俺に報告する。
「ご主人様、権藤様に『お相手』して頂きました」
「ミヤっち、サンキューね。そっちはどうだった」
ソファに「ふー」と息をついて疲れた様子のカズは俺に軽く手を上げる。
「薫子の勝ちでした……まぁ熱戦でしたけど」
「マジで?やっぱ薫子は強いんだなぁ。こっちも勝ち負けっていうのはないけど晶子と『熱戦』が楽しめたよ、これマジね」
++++++++++++++++++
今となってみれば、いろいろな勘違いが重なったことだし、カズにも晶子にも悪気がなかったことは分かっている。俺が姉河原にしてもらったことを思えば、自分のハーレムの姫を誰かに抱かせるということが普通にあるということも分かっていたはずだった。とりあえず、その日は平静を装って、自分の部屋に戻ったが、深夜部屋に籠り黒鉄に電話して、散々愚痴ったのだった。
後日、カズも俺が勘違いしていたことに気付いたようで(おそらく薫子に言われたのだと思うが)、俺を部屋に呼びきちんと確認しなかったことを詫びてくれた。そして、前回のお返しということで、薫子と美鈴が2人がかりでのおもてなしをしてくれて、それは非常に満足できるものであった。今ではカズに対し何のわだかまりもなく、このことは水に流すことにしたのだった。
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「ご主人様、到着しました。いってらっしゃいませ」
車が俺の事務所があるビルの前に着くと、運転席を出た晶子が車のドアを開ける。俺は車から降りて、晶子から鞄を受け取る。
「今夜は何時にお迎えにあがればよろしいでしょうか」
「9時頃には帰れると思うが、時間が見えたらさやかに連絡する」
「かしこまりました」
晶子の声はいちいち耳に心地よく、その声色だけで男を欲情させる。夜伽は優衣にするにしても……その前に一度晶子を呼んで抜いてもらうか、という考えが頭をよぎる。そんな俺の考えを読んだのか、晶子は半歩俺に近づき顔を俺の耳もとに寄せて「何かありましたらお呼び下さい」と囁くと俺の耳元に吐息が掛かる。俺は「あぁ」と答えて、事務所に向かう。一度振り向くと、晶子は俺に深くお辞儀をした体勢のまま。俺は晶子への思いを振りほどき、事務所の入ったビルに歩を進めて行くと、目の前の自動ドアが開いた。