藍川寛司は、議長の青海の言葉に反応すると、腕組みを解いて、背もたれから身体を起こした。大げさに咳ばらいをしてから、周囲を睥睨する。藍川は、この時、55才。出席者の中では、最年長であり、もうすぐ20年の任期満了を迎えるベテランプランナーである。当代藍川は三代目で、所謂革新派として知られる。彼の意見が全て通ったということはなかったが、21世紀を迎える直前にプランナーとなった彼の組織への貢献は、計り知れなかった。藍川は、周囲の視線が自分に集まるのを待って、おもむろに口を開いた。
「オーナーが最も多かったのはいつか。ご存じか」
しばらくの沈黙の後、答えたのは、議長の右隣に座る桜庭響子だった。桜庭の名跡は、3つ目の女性名跡で、名跡としても当時においては一番新しく、当代にして初代桜庭は、姫出身のプランナーだった。
「1993年、179名です」
「そう、その通り。その後、増減あるが、この数字は超えていない。そして、現在はオーナー数は、141名。断言しよう。今後、オーナー数は減り続ける。つまり、何が言いたいのかと言えば、組織は、今まさに危機的状況にあるということだ」
藍川は、言葉の余韻に浸るかのように背もたれに身を預け、黙り込んだ。会議室内に白けたような雰囲気が流れるが、それを破ったのは、藍川の隣の隣に座る紺野克則だった。
「藍川さん、それじゃ、伝わらんて。要するに、だ。組織はこのままじゃいかん、危機感を持て、それは私も同意見だ。じゃあ、どうすればいいのか」
「だから、俺もそれを言おうと…」
「いいから、私が言うから。あんたの話はもったいぶってていかん。要するに、新しい人材。これを発掘しなゃきゃならん。私は、富雄君は、組織の新しいプランナーとして、大いに期待している。反対する理由はない」
紺野はこの時、52才。革新派の二枚看板として、時に、藍川と対立しながらも、この時は、爽やかに賛成弁論を行った。元々、紺野自身が、12年前に二代黄鐘の引きで、CSからプランナーに抜擢され、当時断絶していた11番名跡の紺野を襲名したという経歴であったことからすれば、自分と同じような経歴となる富雄の抜擢に反対する理由はなかった。
青海は、この時、初めて、嫌な予感がした。普段、藍川と対立する紺野が賛成に回るとすると、賛否は拮抗する。しかも、紺野は当代黄鐘とも通じており、黄鐘をはじめとする穏健派も賛成に回る可能性が高い。青海は、流れを断ち切ろうと、緑谷に目くばせをする。緑谷が頷き、話し出そうとすると、その前に桃井尚弥が口を開いた。
「ないですないです。まず、オトコ出身というのがない。それに彼、えっと…トミオ君?はいくつですか?26!ないない。若すぎでしょ」
青海は、思わず、舌打ちをする。オトコ出身者は多くはないが、決して珍しくはない。オトコ出身の銀河は呆れたように苦笑している。そもそも、桃井自身は28才で実の父である桃井尚貴のゴリ押しで、プランナーの地位を引き継いだが、既に、評判は良くなかった。
改めて「よろしいですか」と手を上げて、発言を求めたのは緑谷隆士だった。青海は安心した表情で、発言を認めた。
「私は、オトコ出身ということは、富雄君のプランナーとしての資質には直接関係はないと思ってる。ただ、年齢は…黄鐘君は、おいくつでプランナーになられましたか?」
「27才の時です」
「そこなんですよ。黄鐘君ですら、27なんですよ。富雄君の26才はいくらなんでも若すぎる」
その言葉に黙って拍手をしたのは、栗栖貴樹だった。皆、栗栖が何か話すのではないかとしばらく待ったが、栗栖は言葉を発せぬまま、拍手を止めた。
「プランナーの資質は年齢ではない、血筋でもない、能力のみ。それに尽きる」
紺野が再び口を開き、デスクをドスンと叩いた。その音に、桜庭が驚いて声を漏らす。また、桃井は気まずそうに下を向き、栗栖は、両掌を上に向けて、やれやれというように首を振る。プランナーの地位を親子間で引き継ぐのは、黄鐘を除けば、決して多くはなかった。しかし、近年、それは増えており、現プランナーのうち、黄鐘のほか、桃井、栗栖、小豆沢、銅元が父親からその名跡を引き継いでいる。そのうち、36才で十分な経験を積んでから継いだ銅元はともかく、20代で継いだ桃井や、長男に栗栖を継がせただけでなく、次男に小豆沢の名跡を継がせた二代栗栖のやり方に反感を持つ者は少なくない。紺野の発言は、それを皆に思い起こさせるものだった。
「年齢の問題は、ひとまず置いておきましょう。ただ、中には、最年少プランナーは、黄鐘の名跡から、と思っている方もいらっしゃるかもしれません。確かに、これまでは、そうだったかもしれませんが、それはたまたまで不文律でもなんでもありません。それに、当代小豆沢さんが二代目を襲名したのは、27才と4ヶ月…私より早い。だから、そのようなルールがあったとしても既に破られているのです」
続いて、黄鐘が冷静に話すと、青海は、再び舌打ちする。このことを当代黄鐘自身の口で言われると、これ以上、年齢のことで反対するのは難しい。そもそも、あの時、初代栗栖が次男にむりやり小豆沢の名跡を継がせたりしなければ…。青海は、助けを求めるように、左隣に座る、これまで一言も発していない赤星に視線を向けた。
「赤星さん。ご意見を頂けますか」
赤星の名を持つプランナーは、歴史的に滅多にプランナー会議には出席しない。それは、赤星派は、主流派のやり方には賛同していないという姿勢を示すものではあるのだが、昔ほどは、強硬姿勢を取ることはなく、今では一種のポーズに過ぎないと言われていた。現に、赤星派である紅花の出席率は高く、行動も他の派閥とも足並みを揃えていた。当代赤星である赤星蓮矢は40才。普段、プランナー会議に出席しないこともあり、その言葉には重みがある。皆、静粛し、赤星の言葉を待った。
「俺は…賛成、反対、どちらでもいいと思っていたが……なぜ、黒鉄の名跡を復活させる必要がある?名跡を復活させるなら、他にも断絶した名跡はある。なぜ、黒鉄なんだ。俺は、そいつが、黒鉄の名跡を継ぐのなら反対だ」
赤星の言葉に、紅花がよく言ったというように、小さく拍手し、続いて桃井、栗栖もそれに続く。さらに、拍手が終わったタイミングで、緑谷が口を開いた。
「かつて、初代黄鐘はご自身の長男に二代黄鐘…今の黄鐘さんのお父さんですね、を継がせ、次男に新しく栗栖の名跡を作って、襲名させました。この時、初代黄鐘は、飴島の名跡を復活させることも考えたそうですが、初代栗栖はこれを忌み名として、固辞したそうです。黒鉄も飴島と同じく忌み名…やはり、そのような名跡を復活させるのはいかがなものでしょうか」
再び、桃井、栗栖が拍手する。特に、栗栖は大きく頷いている。これに対し紺野が反論しようと口を開きかけたところで、黄鐘が手を挙げた。
「藍川さんにお伺いしたいのですが、藍川さんは、今年でプランナーの任期満了となります。なぜ、富雄君に四代藍川を襲名させないのですか?襲名であれば、プランナー会議の決議はいらないし、報告で足ります。なぜ、こんな物議を醸すような提案をしたんですか?」
その言葉に、皆の視線が藍川に集まる。紺野の表情からは、紺野自身もその藍川の真意はわからないといった様子だった。そこに、今まで黙っていた藤ヶ谷和真が口を開いた。
「こうしたらどうですか?富雄君のプランナー就任と、黒鉄の襲名、この二つを分けて決議する。藍川さん、青海さん、いかがですか?」
青海は、この日、三度目の舌打ちをした。この提案をされた場合、赤星と紅花はプランナー就任には賛成に転じる可能性がある。ちらりと赤星に視線を向ければ、目を瞑って頷いている。――やばい。
「いや、もう決議として上程されている以上は、会議中の変更は……」
「ならん」
数人の口から「えっ」と声が漏れた。発言したのは、藍川自身だった。藤ヶ谷が言葉を重ねる。
「いいんですか」
「富雄は黒鉄の名跡を襲名しないと意味がない。この二つは不可分、絶対だ」
この時、藤ヶ谷の読みでは、この決議の賛否は赤星派2人の票によって決まると読んでいた。黒鉄の襲名とプランナー就任を分ければ、赤星派は前者は反対するとしても、後者は賛成する可能性が高い。黒鉄の名跡を復活させなくてもプランナーの就任が認められれば、それだけで藍川の成果は得られると思っていたのだが……。なぜ、黒鉄の襲名にこだわるのか。藤ヶ谷は解せずにいた。
「それでは、議論も尽くされましたので、そろそろ決を採りたいと思いますが……」
「その前に休憩、休憩だ。トイレ行かせてくれ」
青海の言葉を遮って、藍川は席を立った。青海は、10分休憩を取り、その後、決を採ると宣言し、休会に入った。緑谷、栗栖、桃井が立ち上がり、青海の周りで談笑する中、藍川は、会議室の入り口から、黄鐘と藤ヶ谷を手招きで呼び、一緒にトイレに向かった――。
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[和紗の話おわり]
「……えっ、終わりですか?」
「いったんね」
いつの間にかウイスキーのボトルは空になっていた。みんなのグラス(奥寺さんは湯呑み)も干されて時間が経っている。和葉さんはキッチンに新しいボトルを取りに行き、奥寺さんは、「ちょっとトイレ」と言って、立ち上がった。僕はうーんと伸びをして首を回す。いつの間にか眠気は吹っ飛んでいたが、ノンアルコールのものが飲みたい、あとなんかおつまみもと思い、キッチンに向かった。キッチンでは、和葉さんも冷蔵庫の中を物色し、つまみ食いをしていた。すっぴんなのに、キレイな顔だ。思わずその横顔を見詰めていた。
「徳斗君もなんか食べる?」
「えっ…あぁ、はい。やっぱ和葉さんって美人ですよね。元姫じゃないのが不思議なくらいで」
「なにそれ、口説いてんの?」
和葉さんの目か愉し気に見えるが口調はちょっと怖かった。僕は慌てて両手を振って否定した。
「いえ、全然そんなじゃないです。すいません、結構酔ってるみたいで」
「ふーん、別にいいけど。でも、私、そうゆうの興味ないんだよね」
「へー……」
「アロマンティック・アセクシュアル。無性愛者ね」
「すいません、プライベートなこと……」
「いいって、別に隠してるわけじゃないし。男が好き、女が好き、どっちも興味ない。全部並列でしょ」
さっぱりした口調に救われるが、返答に困るのは自分がまだ未熟だからだろうか。
「面白いよね、そんな私が、こんな性欲まみれの業界にいるんだからさ」
「……」
「よしてよ、そんな顔。どうする?続き聞く?」
和葉さんは、新しいウイスキーのボトルを持って僕の顔を覗き込む。ここまで来てノンアルコールという選択肢はないか。でも、ロックはきつい……。
「ここまで聞いて、お開きはないですよ。あっ、ソーダも持っていきます」
リビングに戻ると、すでに奥寺さんは戻っていた。僕がソーダのボトルを持っているのに気づくと、僕の方を両手で拝む。
「俺の湯呑みにもソーダ入れて。これ以上、ロックで飲むのマジでやばいから」
「だらしないなー、男どもは。ってゆうか、これすっごくハラスメント発言だね。撤回。好きなもん飲め」
奥寺さんは、ウイスキーとソーダ半分ずつのハイボール。僕は、かなり薄めのハイボール。そして、和葉さんは引き続き、ロック。みんなのお酒の準備が整うと、奥寺さんが酔いを感じさせない口調で話し始める。この人もやっぱりお酒強いな。
「それじゃ、状況を整理しとこうか。この決議の結論は、明らかになっている。賛成9、反対8、棄権3。これは歴史的事実ってやつね。そうすると、青海さんが固めた反対8票はそのまま反対してるよね。そして、革新派の藍川さん、紺野さん、桜庭さんに加えて、残りの出席者である黄鐘さん、銀河さん、藤ヶ谷さん、銅元さんも賛成した、と。これで賛成が7票」
奥寺さんは分かりやすく、どっかから持ってきた裏紙に票数を書く。あと残ってるのは誰だっけ――。
「残るは賛否の分からない欠席者ね。白石さん、金剛さん、朱里さん、土門さん、鶯谷さん。このうちの2人が賛成派の誰かに賛成票を託して、賛成が9票になったってわけ」
「派閥的にはどうなんでしたっけ?」
僕が聞くと、奥寺さんは、朱里さんに〇を付けた。
「朱里さんは穏健派。銅元さんとは関係深いし、銅元さんに委任状託してた可能性は高い。でも、残る4人はみんな無派閥」
「これが賛成がもっと多いなら話はわかりやすいのよね。白石さんが賛成票を黄鐘さんに託したなら、あとのメンバーもそれに追随するはずだし。この1人が誰かっていうのが、最後の謎ね」
白石さんが賛否を明らかにすれば、賛成票はもっと増えるはず。1人しかいないってことは、金剛さん、土門さん、鶯谷さんのうちの誰か1人ということか。
「最後の謎…ってゆうか、これまでの過程も全部仮定に仮定を重ねての妄想なんだけどね」
「それ言っちゃおしまいでしょ」
奥寺さんと和葉さんは笑い合う。何か楽しそう。今まで全然考えたことなかったけど、意外と組織の歴史って面白いのかも。少しだけ興味が出てきたかもしれない。
「それじゃ、話すとしようか」
奥寺さんがそう言い、承認を求めるように和葉さんを見ると、和葉さんは手を奥寺さんに向けて、どうぞと意思表示する。僕は薄いハイボールを舐めて、話が始まるのを待った。