俺と薫子が入ったのは、橋を渡った天神側の川沿いの雑居ビルの中の静かなバーだった。薫子の行きつけだそうで、年配女性のバーテンは黙って会釈した。客は他におらず、俺と薫子はカウンターに並んで座り、適当に酒を頼む。さっきまでの喧騒が嘘みたいで落ち着く。こうして薫子と二人で並んで飲むのも初めてだし、横顔を見れば、やはり美人だし大人の女性の艶っぽさがある。さっきのメンバーでは薫子がずば抜けて年上で、その次は10才も下のさやかだから、話を合わせるのはしんどいのかもしれなかった。俺はグラスを掲げて乾杯すると、ひとりごちた。
「明日から誕生会始まるっていうのに、前日にこんな飲んでていいのかな」
「問題ないと思います。誕生会は、お客様に寛いでいただくためのものですから。緊張なさらずとも大丈夫です」
「薫子は誕生会行ったことあるんだっけ?」
「はい。ご主人様の姫になる前は、大主人様の姫でしたので、その時に」
そうか、薫子は元々権藤社長の姫だったんだよな。
「船でやる誕生会って今までもあったの?」
「ありました」
「どんな感じだったの?」
「詳しいことをお話してしまうと興を削いでしまいますので…今回とは乗る船も違いますし、あまり参考にはならないかと。申し訳ございません」
「そっか。じゃあ、教えられる範囲で教えてよ」
俺は、招待状に書かれたスケジュールを写した画像をスマホで確認する。
一日目
11時 乗船開始
13時 出航
15時 ウェルカムパーティー
21時 イヴパーティー
二日目
13時 ランチパーティー
19時 バースデーパーティー
三日目
18時 フェアウェルパーティー
四日目
12時 ランチパーティー
14時 到着
「一日目ってパーティーが二回もあるんだね」
「ウェルカムパーティーは顔合わせみたいなものですね。大主人様へのご挨拶とプレゼントもこの時お渡しします。あと、おそらく今回の誕生会で行われるゲーム大会の説明もあるかと思われます」
「へーそうなんだ。ゲームってどんなのかは聞いてないの?」
俺は酒のお代わりをバーテンに頼んでから聞いてみた。
「はい。これはシークレットなので、誕生会のスタッフしか知らされていません。ただ、姫や遊女とオーナー様やメンバーが遊んでいただくことに絡めたゲームであるとは思います」
「…どうゆうこと?」
「例えば、去年は私は参加していませんが、聞いた話によると、殺人事件の証拠や証言を姫や遊女から集めて解決するというものだったみたいです。ただ、あまりに難しすぎて解決に至らなかったとか」
「あぁ、権藤専務から聞いた、その話」
「ゲームはあくまで余興ですから、真剣になるお客様もあまりいらっしゃらないのが実情なのです。ですから、少し意地悪な見方をすると、今回のゲームは単純な内容になるような気がします」
薫子の口調は酔いを感じさせないが、頬や胸元はやや赤みを帯びていて、色白なだけに良く目立つ。スワップした時の記憶を思い出せば、薫子の身体は容易に思い浮かぶ。はぁーサイコーだったなぁ。しかし、薫子はと言えば、そんなことはまるでなかったかのように俺への態度は変わらない。これが姫というものなのか。
――そんなことを思っていると、薫子のバッグの中のスマホが振動音を響かせる。薫子は、俺に確認を得てから、スマホに出た。
「もしもし。えぇ、今は城宮様と二人で。……聞いてみるわね。――城宮様、大主人様の姫の榊木月那からなのですが、もし城宮様がよろしければ、一緒にお酒を飲みたいということなのですがいかがいたしましょうか?」
俺は薫子の意外な言葉に思わず飲んでいた酒で咽そうになった。えっ、何で?どうして?俺の頭の中にははてなで溢れたが、咳き込みながら答えた。
「もっ、もちろん。俺は大丈夫ですよ…ゴホッ、コホッン」
薫子は店の場所と名前を電話口で告げて、電話を切った。その瞬間、俺は薫子に問いただす。
「榊木さんがどうして薫子に電話を?そっか、権藤社長の姫だったから知り合い…よりもっと深いつながりがあるってことか。でも、何でこんな時間に電話を?」
「月那さんとは、彼女が15の時から知ってますのでもう10年以上の付き合いとなります。城宮様は、誕生会の前日にご主人様と食事をされるというお話を月那さんにされていたんですよね?」
「あぁ、…そう言えばしてたかな」
「ですので、月那さんから、参加出来そうなら参加したいと言われていたのです。ただ、仕事の関係で来られないと聞いていたのですが、先ほど、東京からの最終便で博多に着いたので、連絡したとのことです」
と言うことは、仕事がなければ、今日の食事会に最初から来てたかもしれなかったのか。クソッ、榊木さんにたくさんの仕事押し付けやがって。GO-HDはブラック企業か。でも、権藤社長がいるわけでもないのに、その姫が来てもいいのかな。
「失礼ながら、城宮様は月那さんには、もうお情けをかけられたのですか?」
……お情け?あぁセックスのことか。ずいぶん直接的なこと聞いてくるな。俺は「いや」と否定した。
「多分、俺がまだ権藤社長のお役に立てていないから、そういった話もないのかと。榊木さんが仕事出来過ぎて、俺の出番がまだ来ないんだよなー」
薫子さんは、何か言いかけたが、何も言わず黙っていた。俺は急にそわそわしてきて、トイレに行こうと席を立った。こんな時間に会いに来るって…そうゆうことだよな。じゃなきゃ、わざわざ薫子に電話してまで来ないだろ、普通に考えて。いや、でも誕生会前日にそんなことしていいのか?ヤバッ、勃ってきた。まだ早いっつーの。
俺が席に戻り、氷が溶けて薄くなった酒を飲み干すと、店のドアが開いた。あぁぁぁぁ榊木さんだぁ。しかも、ポニーテールではなく、髪を下ろしている。長い髪がAラインで胸元にかかり、仕事の時より大人っぽい印象、色っぽい。榊木さんは、俺に深々お辞儀して笑顔で挨拶する。
「城宮様、すいません、こんな遅い時間に押しかけてしまって。せっかく、前日から博多にいらしていらっしゃるんでしたら、誕生会の前にご挨拶させていただいて、お酒もご一緒出来たらと思い、薫子さんにお電話してしまいました」
「いやいや、遅い時間までお疲れ様。俺も榊木さんとはいつかお酒飲みたいと思ってたんだけど、忙しそうだから、なかなか…ね。わざわざ来てくれて、ありがとう」
榊木さんは、にっこりと笑うと、俺の隣の席――ではなく、薫子さんの隣に座り、ビールを頼み、俺と薫子さんも追加の酒を頼んだ。
「この店、前連れてきてくれましたよね。懐かしい」
「ふふ、ずいぶん前ね。月那さん、ちゃんと寝てる?目に隈出来てるわよ」
「はぁー目立ちます?1日6時間は寝たいんですけど…休みの日はずっと寝てます」
「休みちゃんと取れてるの?」
「……それもなかなか取れてないんですよねー」
薫子は、榊木さんの目の下に触れながら優しい口調で話し榊木さんも甘えた口調で話してる。あれ?なんか、俺に会いに来たっていうより、薫子さんに会いに来たって感じじゃない?三人分のお酒が届き、乾杯してからも、専ら、榊木さんは薫子と話してて俺は二人の話を聞いているだけだった。――なんか思ってたのと違うやん――と思っていたら、カウンターに置かれていた薫子のスマホが鳴った。薫子は俺に「すいません」と言ってスマホを手に取ると、席を立って、カウンターから離れた。榊木さんと二人きりになり、俺は、声をかけた。
「例の投資案件うまく行ってる?」
「3号案件ですか。はい、ばっちりです。城宮様のおかけです」
「いや、俺は何もしてないよ。榊木さんの分析どおりということなら榊木さんのおかげでしょ」
ビールグラスを傾けて、美味しそうに飲む榊木さんは、手を振って否定する。
「いえいえ、やっぱり私の提案が通るのは、城宮様のお墨付きがあるからです。それに、プレゼンは、私、城宮様から頂いたコメント頼みですから。短くて的確なコメントいただけて、とても助かってます」
そう言うと榊木さんはまたお辞儀する。うわぁ、なんて気持ちのいいこと言ってくれるんだ、この子は。わかりやすいお世辞は俺は大嫌いなのだが、それが美人からのものだったら、全然嬉しい。俺は、頬が緩みそうになるのを堪えて、冷静な口調で言葉を返す。
「そう言えば、昨日、メール貰った4号案件。あれ、どんな感じ?俺が資料ちゃんと見れるのは誕生会終わった後になると思うけど、第一印象あったら教えてもらえるかな」
「4号案件ですよね。えっと、そうだ、ちょっと見て頂きたい資料があって……」
榊木さんは、いつもの仕事の時の口調に戻って言うとバッグからノートパソコンを取り出す。いや、俺はそんながっつり聞きたいわけじゃなかったのに。しかも、今から資料なんて見たくないし。
「はぁー、飛行機の中でバッテリー使い切っちゃってたんだ。でも、資料見て頂かないとうまく説明が…」
「そうか。目を通せれば、誕生会行く前に見ておきたかったけど…仕方ないか」
俺は心にもないことを真顔で言い、グラスを傾ける。どう、酒の席でも仕事に真剣な俺の態度。榊木さんの視線を意識しながら悦に入っていると――
「もしよかったらなんですけど――うち来ていただけますか?」
「えっ?」
「すいません、もうお酒も入ってるしムリですよね。忘れてください」
「行く、行くよ。近いの?」
「ホントですか?タクシーで15分くらい…ですけど」
「見ておきたい、資料、絶対に」
榊木さんち行けるの?マジで。てゆうか、榊木さんも絶対、その気だよね。こんな時間に家誘うって。俺は薫子が戻ってくるのを待たず、すぐにも店を出ようと、残っていた酒を一気に飲み干し、立ち上がると――店のドアが開いた。
「ご主人さまーーー。私も一緒に飲みたいですぅ」
「さやか、声大きいって。すいません。さっきの屋台で周りのお客さんに結構飲まされちゃって……あれ、このカワイイ子は?もしかして、城宮様、ナンパしてたんですか?薫子さん差し置いて」
入ってきたのはさやかとひらり。そして、その後ろから薫子が入ってきた。
「さやかさんとひらりさんが合流したいということでしたので、近くまで迎えに行ってました。ひらりさん、こちらは大主人様の姫の月那さんです」
「あっ、ひらりん、本物だ。はじめまして、榊木月那です。城宮様、じゃあ、私、うちに帰ってから資料メールさせていただきますね。気になるところはピックアップしておきますので、可能でしたら、船に乗る前に目を通してください。それでは、みなさま、また船上で、お会いしましょう」
……榊木さんは店から出て行き、こうして、俺にとっての千載一遇のチャンスは潰えた。俺達は結局午前3時まで店に居て、俺は榊木さんとヤリ損ねて、やけ酒をのむことになったのだった。