生まれて初めて見たエロ動画は陵辱系だった。
生まれて初めて見たエロ漫画も陵辱系だった。
偶然目にした物がそれだったというわけではない。数ある物の中から当時の自分が……小学生だった頃の俺が、自らそれを選びクリックしたのだ。
前者は、いじめられている女子高生が男子生徒の集団から輪姦されるという内容だった。
後者は、性的虐待を受けている少女の友人が自ら身代わりになることを申し出て、大人の男たちから輪姦されるという内容だった。
……自分がサディストであることを自覚したのは、それらを見た時からもっとずっと何年も先のことだった。
俺はサキュバスと付き合っていたことがある。
〜いた……と過去形なのは、すでに別れているからだ。
東京の夏の気温が毎日35度を超えることがいつの間にか当たり前になっていたみたいに、サキュバスの存在も、現代社会の中ではいつの間にか当たり前になっていた。と言っても、彼女らを見た目で人間と区別することはできない。下腹部にある淫紋を除いてサキュバスの見た目は完全に人間と同じであり、角も羽根も尻尾も付いていないからだ。彼女らはシャツを一枚羽織るだけでも人間とまったく変わらない姿になり、いつも社会のどこかしらで普通に生活している。
最近街で外国人をよく見るなぁ……という感覚と同じようには実感できないけれど、それでも現代においてそこらのコンビニの女店員がサキュバスである可能性は常に拭いきれない。……だから俺の場合も、たまたま知り合って仲良くなり、たまたま付き合うことになった異性が、たまたまサキュバスだったというだけの理由で、サキュバスで童貞を卒業したのだった。
セックスにしろ交際経験にしろ、当時は全てが初めてだった。その忘れ難いサキュバスの名前はコルカという。見た目としたは高校生どころか下手すれば少し大人びた中学生にも見えるくらい幼かった彼女は、本人いわく実際は三十歳を過ぎていたらしい。ゆえに実感は皆無だけれど、俺にできた生まれて初めての彼女は一回り年上だったということになる。……と言ってもサキュバスの平均寿命は五百歳らしいから、コルカはサキュバスとしてはかなりの若年だったのだけれど。
そんなコルカとの交際はたったの半年しか続かなかった。彼女と出会ったきっかけはインターネットで、ゲームの遊び相手を探していたら向こうから来てくれたのが始まりだった。初めの頃はチャットだけのやり取りをしていて、後に通話時の声で相手が女性であることを知り驚き、ゲーム友達として関わり続けているうちになんやかんやあってオフで会うことになり、その後もそれなりの頻度で会って遊ぶようになり……。そして俺が「もしかしてワンチャンあるんじゃね……?」と告白してみた頃には、知り合ってから実に一年半の月日が経過していた。なのにそこから別れるまでは半年である。
別れたきっかけは、大まかに言って俺の遅刻癖によるものだった。コルカと会う時には大体五割くらいの頻度で遅刻していたように思う。三十分以上遅れたことはなかったはずだけれど、無論遅刻とは程度の問題で放免される話では全くない。「おそい」と心底不満そうに苦言を呈する彼女の声と顔は今でも鮮明に思い出せる。
……だけど彼女は、俺が早く行きすぎても怒るのだ。初めて遅刻をして、苦言を呈された次の回に、俺は待ち合わせの時間よりも三十分早く到着して、チャットでコルカに知らせた。絶対遅刻しないようにもう現地に来たぜ!と。すると彼女は予定よりも十分早くやって来て、軽蔑の意図がこもったため息混じりに言った。
「こっちにも準備とかあるんだから、あんまり急かさないでよ」
それ以来、俺は予定より早めに現地入りすることをやめた。そしてその分、遅刻も増えた。……ちょうどいい時間に確実に到着するということがどうしても出来ないのだ。その原因はおそらく、俺が時間という概念を正確に理解できていないせいなのだと思う。
動画サイトなんかで1:00:00という表記を見ると、一時間のことだ……と思うと同時に、百分のことだ……と咄嗟に思ってしまう。もちろん一時間が六十分であることは重々承知の上でだ。そういう認識の歪みのような物があって、それがきっと遅刻を招くのだろう。なぜだかどう気をつけてみても、俺は時間の中を思い通りには泳げないから。
自分が今から外出の支度をすると何分後にはそれが済むのか……といったようなことが、感覚的にまったく分からない。だから無闇に早く準備をすることは出来ても、ちょうど良い時間に準備をすることはできない。そして準備だけを終えて出発の時間を調整するといったことも、これまたなぜか上手くできなかったりする。それについての原因は本当によく分からなくて、時計を見ながら時間潰しの作業をしているはずなのに、一分置きにそれを確認しているはずなのに、確率的な現象によって、いつの間にか取り返しのつかない時間に足を踏み入れてしまっていた……という事態が起こり得る。
だから「とにかく早く到着すること」を封じられるとやたらに遅刻してしまう。学校や職場のように頻繁かつ決まった時間に行く場所ならそのうち感覚も掴めてくるのだけれど、デートの頻度は週五には程遠く、集合の時間も場所も日によりけりだった。こちらとしては逆に不思議に思ってしまう。どうして大抵の人類は……いや人類とサキュバスは、みんな時間を先読みしたかのような狙い済ました行動が当然のようにできるのだろう?
……そういうわけである日、もう期待することはやめましたとカジュアルな失望を顔に浮かべたコルカから、遅刻の謝罪に返す言葉としてこんなことを言われた。
「君はさぁ、遅刻しなければいいなぁと思いながらなんとなくその通りに行動してるだけで、絶対に遅刻しないようにしようとは思ってもないでしょ」
……それに対してどう返事をしたのか、俺は覚えていない。
ただ、重力の影響を受けながらしんどそうに体内を巡っていた自分の血液が、ものすごい速度で頭まで登ってきた感覚だけは覚えている。
なのにそこで自分が何を言ったのかについては、本当にまったく思い出せないのだ。誓って怒鳴ったりはしていないけれど、これだけ印象的な記憶の中から己が口にした言葉の内容だけを綺麗さっぱり忘れているということは、きっと思い出すには自身の都合に悪い無茶苦茶なことばかりを言ってしまったのだろう。
それがきっかけですぐに別れ話になったわけではない。けれど結果として、どちらからともなくそれを切り出して俺がコルカと別れるまでには、その出来事から一ヶ月もかからなかった。
その経験をもって、サキュバスは男の理想を体現したような存在なのだろうと夢見ていたけれど、現実は違うのだということを当時の俺は思い知ったのだ。……けれど最近はそれに関しても別の感想を抱いている。要するにあれは、自分が男として以前に、人として間違っていたから上手くいかなかったことなのだろうと。
そしてそういった人としての間違いは、なにも遅刻癖だけにある物ではない。消した方がいいかと尋ねて、悪用しなければべつにいいと返事があったから未だに保管してあるコルカとのハメ撮りを見返すとよく分かる。ガチガチに勃起した物の前にひざまづいて、風呂場のタイルの上に胃の中身をぶちまけた彼女が、状況に不相応なほど整った息でカメラを見上げては言う。
「ほんと、こういうの好きだね」
うっすら浮かべた笑みと合わせて、付き合っていた頃はそれが許容の言葉に聞こえていた。だけど本当はこれも苦言の一つだったんじゃないかと今では思う。
蔑むような笑みが、カメラに向けられている気がする。今頃はどこかでもっと盛大に笑いながら、ヤバい元彼のエピソードトークで誰かと盛り上がっていたりするのかもしれない。
俺は趣味の一つとして小説を書いて投稿している。その内容はほとんどの場合で十八禁だ。
元々からサディストの書くエロ小説らしく、自作品のジャンルは陵辱系一色だったけれど、コルカと別れてから数年がたった今では、彼女と付き合っていた頃やそれ以前に比べて殊更に悪趣味さを増した、闇と業の深い作品が量産され続けている。おそらくは童貞を卒業したことと、性欲をぶつける矛先を失ったことが要因としてあるのだろう。まるでコルカ相手にやり残したことを……未練を綴るみたいに、俺は小説を投稿し続けていた。
すると数ヶ月前から、なんと一人の固定ファンが付いた。そのファンのアカウント名は「紅白レナ合戦」。トンチキな名前に反して腰の低い敬語の文章を書くその人のことを、俺はレナと呼んでいる。
レナの特異な点は、小説投稿サイトの感想欄ではなく、そこと連携しているSNSの方に直接好意的な感想を送ってきてくれたことにある。そもそも読者の存在自体が珍しく、感想はなおさら珍しい物だったから、レナの行動はこちらの目にほとんど唯一無二の物として映った。そしてそれが正直なところかなり嬉しかった。
けれども俺は作品のことを褒められるたびに、自制心をいつにも増して奮い立たせる必要にも駆られる。読者は作者のパーソナリティが好きなのではなく、作品のことが好きなのだ。嬉しさのあまり調子に乗ってそのあたりを忘れると、お互いに必ず不幸な結末を迎えることになる。だから俺はいつも気を張って勘違いを予防していた。感想には喜ぶ、返信もする。けれどこのレナという人物だって、たとえば俺が遅刻魔だということを知ったら、当たり前に軽蔑するのだろう……と自分に言い聞かせる。だから自分の人格的な部分なんて極力見せるものではないのだと。
しかし何度も感想をもらい、褒めちぎられ、そのたびにお礼の返信をしているうちに、レナとやり取りをする頻度はいつの間にか増えていった。すると自然に、感想とお礼以外の会話もする機会が増えてくる。レナは、いつもこちらを慕っているかのように愛想の良い返事をしてくれる、いわゆる完全な聞き上手タイプだった。へりくだりつつもやわらかい言葉遣いが、自制心を貫通してなおさらの心地よさをこちらに与えてくる。
そのうち、レナと話していると、コルカとの記憶が頭をよぎることが増えた。あの時のように、画面の向こうにはサキュバスがいるのではないかと。頼めばヤらせてくれる美女がいるのではないかと、どうしても考えてしまう。そしてそのたびに思い直す。どうして美女がサディストの男性向け作品をわざわざ作者に直接声をかけてまで褒めちぎりに来るのかと。画面の向こうにいるのは、きっと自分より救い難い性癖を持った、物腰にしか取り柄のないジジイに違いない……と。そう思っておかなければ、いつか実際に画面の向こうの真実を知った時のショックになど耐えられそうになかった。
そしてある日、そんなレナともついに一線を超える時が来る。それはいつも通りチャットをしている時のことだった。
「青ウニさんはたくさん小説を書いていて、いつもあの手この手で女の子をエッチにいじめてますけど、そういうアイデアってどこから出てくるんですか……? いつもまだ見たことのない角度から攻めていて、すごいなぁって思うんです」
「どこからと言われても……。気になりますか……?」
「とても気になります……!」
青ウニというのは、俺のペンネームのことだ。正式には「
俺はレナからの質問の答えを打ち込んだ。
「普通にいろいろなR18作品を見て、そこから気に入った展開を輸入したり組み合わせたりしてるだけですよ。インプットとアウトプットってやつです」
「へぇ〜! それだと、きっとものすごくたくさんの作品を見てるんですね。すごいです」
「ただエロ作品をしこたま見てるだけなのですごくはないんじゃないですかね……」
「すごいですよ! あ、でもじゃあ、もしかして、実録系の作品とかも見てたりするんですか?」
「なんでですか?」
「青ウニさんの小説は時々すごく生々しいというか、リアルな感じがすることがあるので、そういう物もインプットしてるのかな〜って。私、そういうのが特に好きなんです」
……少し返信に迷った。嘘をつく必要はないけれど、全てを話す必要もないと判断するまでに、数秒の思考を要した。
「そうですね、そういう系もよく見ますよ。僕も好きなので」
「わ、やっぱりそうなんですね! 熱意というか愛というか、そういう物をいつも感じるので、すごく納得です」
「おだてても新作が出るとは限りませんよ」
「そんなつもりじゃないですよー。でもちょっと安心はしました」
「安心?」
「青ウニさんが、もし本当に現実の女の子をいじめてたら、どうしようかと思ったんです」
「あはは。なるほど」
……そう間の抜けた相槌を打ち込みながら、俺は熱湯と氷水を同時にぶっかけられたみたいに複雑な、自分でもよく分からない感情に陥る。
レナの推測は当たっている。たしかに俺の小説には、以前に比べて手数が増えたところがあるだろう。しかしその要因は、何らかの作品の閲覧によるインプットにはない。エロ漫画やAVで見たようなプレイを、コルカに対して実際に行ったことで得た「現実とフィクションの擦り合わせ」の感覚や知識によって、試したプレイの数だけ表現の手札が増えたことが要因なのだ。
それをまるで言い当てるかのようなレナの発言は、俺の作品に対するいかにも鋭い洞察のようで、作者としてはなんだか嬉しかった。けれどもその一方で、レナは俺が現実の女性に手を出していなくて安心したのだという。それはつまり真実を知れば、レナは俺のことを心底軽蔑するということだ。それはまったく嬉しくないし、むしろ理不尽にも反感すら覚えてしまう。やはり俺のファンを名乗るこのレナという人物は、いくら愛想が良く見えても、俺のパーソナリティを肯定しているわけでは一切ないのだ……。と、勝手な落胆と共に腹を立ててしまう。
でも、それがはっきりしてよかったとも思った。どうしてもレナに対して抱いてしまう幻想から、俺はやっと卒業することが出来るのだと思った。
……次に送られてきた一文を見るまでのほんの少しの間だけ、本当にそう思ったのだ。
「もしそんなことがあったら、嫉妬しちゃいますもん」
「嫉妬……?」
「もし青ウニさんの小説通りのことをされている女の子が、この世のどこかに居たとしたらですよ? 青ウニさんの素敵な作品の数々を生み出す原動力みたいな女性がそこに居るってことになるでしょう? なんでそれが私じゃないんだろうって、嫉妬しちゃうじゃないですか」
「……レナさんって女性なんですか?」
「あ、はい。そうです。というか、サキュバスです」
「なるほど」
「青ウニさんは、性別どっちですか……?」
「男ですね」
「あ、よかった。そうじゃないかと思ってたんです」
「ははは、まぁあんな小説を書く女性はそういないでしょうね」
平静を装った返事を書きながら、俺は、なんてくだらないことだろう……と自嘲する。
レナがサキュバスであると聞いた瞬間から、コルカの記憶がより一層の刺激をもって脳裏を駆け巡っていた。……そしてその刺激によって俺は勃起していた。パソコン画面の前で馬鹿みたいに。
「青ウニさんは、小説に書いているようなこと、現実の女の子にもしたいって思いますか?」
「思いませんよ。現実でしたら犯罪じゃないですか」
「同意の上なら大丈夫ですよ」
「誰が同意なんかしてくれるっていうんです」
「私とか」
「……じゃあ白状しますけど」
湧き出る期待が、胸中から自制心を追い出してしまう。
べつに気が狂うほど欲求不満だったわけではない。けれども人間は、一度味をしめてしまうと、どうにも思考回路がおかしくなってしまうものなのだと思う。
コルカはプレイにNGがない彼女だった。
「実際にしたことがないというのは嘘です。今僕の手元には、元カノとヤった時に撮影したゲロイラマ動画があります」
「え、元カノさんとそういう関係なんですか……?」
「いやそうではなく、付き合っていた頃の動画があるという意味です。……で、そんな物を持っている男があんな小説を書いていると知った上で、誰が同意なんかするのかって話でしょう?」
「元カノさんは同意してくれたから動画を撮らせてくれたんじゃないんですか……?」
「……まぁそうなんですけど」
「私にも同じことくらいできますよ。……青ウニさんがよければどうですか?」
「住んでる場所が遠いんじゃないですか?」
「どこでしたっけ?」
「東京です」
「私も同じです」
「……ヤらせてくれるんですか?」
「ぜひともです。そしてそれを元にして、また私に新作を読ませてください」
……こうして俺は一生分の運だけではなく、来世分の運までをも使い果たしたのだった。
レナは……、いや、ハクレナ・ナボハロキスは、こうしてプレイにNGがないセフレになった。
レナに会ったのは土曜の昼間のことだった。
待ち合わせ場所に指定された駅に向かって、所要時間の概算よりも三十分早く家を出た。初っ端から遅刻をするわけにはいかないと考えたことと、要するに早く着いても急かさなければ良いのだろうと思ってのことだった。
コルカには初めの一回で手の内を晒してしまったから出来なかったことだけれど、俺が遅刻をしないためには三十分というちょっとやそっとではひっくり返らない規模の余裕を持って目的地に到着したのち、そのことを黙って「今来たところ」と言えばいい。そうすればもう二度とコルカと口論になった時のようなことは起こらないはずだ。そう考えて俺は三十分早く家を出た……はずだったのだけれど、なぜか目的地に着いたのは集合時間の二十分前だった。
なぜ十分の遅れが生じたのか、理由はやはり自力では分からなかった。どこかで時空が歪んだのではないかとさえ思う。歪んでいるのは自分の時間へ対する認知機能の方なのだけれど、ともかく早めに家を出て大正解だったと胸を撫で下ろす。もしも十分前行動を心がける程度の動きをしていたら今頃は時間ギリギリになり、人混みの中で初対面の相手の姿を大慌てで探していたのかと思うと少なからずゾッとする。
……しかし最も不可解だったのは、訳も分からないまま十分早く時間が進んだことではなく、まだ集合時間の二十分も前なのに、すでにそれらしき場所にそれらしき人影が見えることの方だった。
事前にチャットに送られてきた自撮り写真に映っていた人物によく似た人が、改札の内側のベンチに座っている。金髪ショートで両耳にピアスをばちばちに開けた小柄なギャルが、どこを見るでもなく虚ろな目でぼーっとそこに座っている。
俺は彼女の姿を見て咄嗟に、幸の薄そうな人だ……と思った。ギャルに対してそう思ったことは、エロ漫画を読んでいる最中を除けば初めてだった。
何日か前にレナから自撮りが送られてきた時は面食らったものだ。文章の印象とはまるで違うカーストの高そうな容姿がそこにあったから……という意味でも驚いたけれど、もしその容姿が本当にレナのものだというなら、オタクに優しいギャルの実在が確認されたことになる。そういう意味での驚きもまた大きかった。
けれども写真の中の彼女はもう少し自信と活力に満ち溢れているように見えた気もする。ちゃっかり保存してあったその写真を今一度見返してみる。するとやはりそこには、どこでもない宙に視線を据えてぼーっとベンチに座る……なんて覇気のないことは一度もしたことがないしこれからもしないといった雰囲気の陽キャもしくはパリピが写っているのだった。
しかしまぁ見返せば見返すほど、顔立ち自体はそっくりだしピアスの数やデザインもパッと見て同じなので、やはりどう考えても本人だろうと判断して声をかけてみる。
「……レナさん?」
「あ……。青ウニくん?」
オンオフが切り替わるわけでもなく、どこか疲れたような目と声で彼女は俺を見上げた。
くん付けが引っかかる。不愉快という意味ではなく、またしても文章の雰囲気とは大きく違う点が見つかったという意味で。
「あの、まだ二十分前ですけど、どうしてここに……?」
レナは立ち上がりながら答えた。
「早めに来ておかないと、釣りだと思われるかもしれないから。……万が一にも遅れないようにと思って」
「なるほど」
「青ウニくんこそどうしてこんなに早く……?」
「俺も同じです。初っ端から遅刻するわけにはいかないと思って」
「あっ。へぇ……」
「なんですか……?」
「いや、リアルで会うと一人称「俺」なんだと思って」
「え? あぁ……」
言われてみればたしかに、細かい印象がネットと違うのはある程度お互い様のようだった。
レナはポケットからICカードを取り出して、目線はこちらに向けたまま、改札の方を指す。
「じゃあ、ちょっと早いけど行く……?」
「え、あぁ、はい」
改札を抜けて二人で歩き出す。地図アプリも開かずに先導して行くのはレナだった。サキュバスなのだからこういった経験も豊富なのだろうし、近所のあれこれに詳しくても不思議はない。
一緒に歩いていて気づいたけれど、レナはやや猫背気味だった。俺も人のことは言えないし、それが気になるとも思わないけれど。
信号待ちに引っかかったタイミングで、それまで無言だった彼女が口を開く。
「青ウニくんって、ペンネームに由来とかあるの?」
「え? あー、まぁくだらない理由ですけど」
「どんな?」
「……くだらないわりに話せば長くなりますよ?」
「聞きたい」
信号は青になった。歩きながら語る。
「じゃあ話しますけど。好きな食べ物はなに? って聞かれたら結構困りません?」
「え?」
「俺は昔からずっと困ってたんです。なにかと聞かれる機会が多いでしょう? 特に子どもの頃は」
「うん」
「でも、好きな食べ物って結構多岐に渡るじゃないですか。その中から選ぶっていうのが難しくて、十代の頃にはついにこれだっていう回答を見つけられなかったんです」
「……二十代になって見つけた答えが、ウニとナマコだったってこと?」
「そう。と言っても、味が特別に一番好きというわけではないんです。……値段とかの関係でね、一年に一回、大晦日の日にだけ食べるっていうのが我が家の決まりになってるんです、ウニとナマコは。するとほら、数ある好物の中でも特別って感じがするでしょう? 行事感が出てくるといいますか」
「あぁなるほど。うん。だからその二つを名前にしたんだ」
「そういうことです」
「じゃあ、青丹マナっていう方は?」
「あぁそれは、遊んでるカードゲームに色の概念と、マナっていうエネルギーの単位があるので、青色のマナが二つっていう意味の言葉でアオニマナです。雲丹ナマコとくっ付けると語呂がよかったので付けました」
「語呂だけ……?」
「語呂だけですね」
「へぇ〜……」
「レナさんの方は、なんで紅白レナ合戦なんです?」
「私は、本名がハクレナだから。ハクレナ・ナボハロキス」
「あぁ、なるほど……? ハクレナ…………すみませんなんて?」
「ナボハロキス。べつに覚えなくていいよ」
「覚えたいですけど難しい名前ですね……。でもまぁ、じゃあお互いペンネームは年末繋がりなんですね」
「そうみたいだね。まぁ私は年末番組ならガキ使の方が好きだし、それももう正式に終了しちゃったんだけど……。……あ、着いたよ。この先」
「え、あぁ」
レナ……もといハクレナの指さした通り、目の前の路地を一つ曲がった先に、ひっそりとラブホテルが建っていた。
初めて会ってすぐホテルに行くだなんて、いくらサキュバス相手でも、コルカ相手にはしなかったことだ。……当時は出来るとも思っていなかったのに、人は変わるものである。
自動ドアを抜けると、なぜかコンビニみたいな入店音が爆音で鳴って少し驚いた。が、動じないフリをしつつ適当に部屋を選んで鍵を得る。受付は無人方式だった。
部屋の中はアメリカのように土足のままベッドまで向かっていい仕様になっていた。部屋の電気をつけながら、キスやハグの一つもせずにお互い荷物を置く。
「脱いだ方がいい?」
と、さっそくハクレナが言った。
「あ、はい。じゃあお願いします」
こちらがそう答えるが早いか、すでに彼女の服はめくれてヘソが見えていた。
童貞だった頃はこういった段階ですでに「本当に脱いでいいのか……!?」と不安になったりしたなぁと懐かしみながら、ノスタルジックを易々と押しのける性欲の濁流を胸に秘めつつも冷静に、こちらも生まれたままの姿になる。
談笑しようと、冷静でいようと、結局のところ本性はそれなのだ……と証明するように、醜い硬さが裸のハクレナの眼前に晒された。
するとそれを一瞥した彼女が、スッと眼前で両膝をつく。驚くべき話の早さでフェラチオが開始されるのかと一瞬思ったけれど、彼女が実際に見せた行動はそれですらなかった。
土足で踏み入る部屋の床に、金色の前髪がこすりつけられる。白くて華奢な体が、まるで怯えるように折りたたまれた。
ハクレナは土下座しながら言う。
「性処理くらいにしか使い道がない無能女のハクレナに、どうか青ウニ様のおちんぽをしゃぶらせてください」
「……な、えっ? …………え? ど、どうぞ……?」
どの立場からなのか分からない許可を出すと、彼女はまだシャワーも浴びてないソレにしゃぶりついた。
かつてコルカもそうしたように、ソレは一気に喉の奥まで飲み込まれる。唇が一息で根元に付くくらい躊躇いなく、深く……。
「お゛お゛ぇ゛っ!!」
ハクレナの背中が丸く跳ねた。
ずるりと口内から抜け出た陰茎には、たったの一ストロークで粘っこい唾液がまとわりついている。喉を守るために分泌される、体が危機感を覚えた時にだけ出る粘度の液だ。
……いや、でもそれは人間の体の話で、サキュバスには通じないことだったか? なんて、上の空の思考が巡っていく。性行為に慣れてからというもの、俺には少し行為中の集中力を欠くところがある。
ハクレナはそれから何度も同じことを繰り返した。体を跳ねさせながら、汚い嘔吐き声を上げながら、自ら何度も喉奥に肉棒を押し込む。いくら彼女がそれを自らの意思で繰り返していても、体の拒否反応は次第により尋常ではない物になっていく。
……わざとやっているのだと分かった。コルカから聞き、そして実践されたから知っている。サキュバスという生物は、その気になれば根元までのイラマチオを強要されながらでも昼寝ができるくらい、ハードなプレイに生まれつき耐性を持っているものなのだ。ただしその耐性は魔力を消費することで発揮する物だから、逆に言えばその魔力をケチることで、人間と同じように無防備な反応を見せることもできる。俺のような性癖の男を相手にする時は、そうした方が喜ばれるのだそうだ。
実際、苦しんでくれた方が興奮する。だからハメ撮りをした時のコルカはゲロまで吐いてくれた。ハクレナも同じことをしてくれているのだろう。
そこまで考えて、せっかくのプレイを無下にする理由もないと思い、俺はハクレナの頭を両手で掴んで腰元に引き寄せた。
「ごっ……!? お゛っ……ぶっ!」
途端、彼女は吐いた。
薄い茶色の吐瀉物は、鼻の穴からも吹きだした。
「うわっ」
思わず手を離す。すると彼女は首から上だけではなく全身で飛び退くようにしてちんぽを吐き出して、咳き込みながらなおも残りの吐瀉物をぼとぼとと口から床にこぼしていった。
今彼女がどんな表情をしているのかは、影になって見えはしない。肩で息をする華奢な金髪の女が、無言で目の前に頭を垂れている。
……高揚を悟られてはいけないと思った。なぜって、そう、なぜ高揚しているのかといえば、ゲロイラマで鼻から吐瀉物を吹き出す女を初めて生で見たからだ。コルカですらそんな光景は見せてくれなかった。だからそれは俺にとって完全に、過激なAVの中にだけある幻の体験をこの手に掴んだ感動の瞬間だったのだ。
でもだからこそ、その高揚を悟られてはいけないと思った。こんな状況に高揚していることを知られたら、いくら相手がサキュバスでも軽蔑されるかもしれない……。
自分が異性の怯えた顔を見れば興奮してしまうような異常者であることはとっくに認めている。認めるしかない。けれどそんな異常者だって、軽蔑の眼差しを向けられれば心が痛むのだ。だからそれは避けたかった。
出来るだけ心配している雰囲気を出して言う。
「だ、大丈夫……?」
そう口にしたあとで、まずは「ごめん」から入った方が適切だったかもしれないと思った。
けれどそんなことは意にも介されない。もはやこちらを無視していると言っていいほど独りでに、ハクレナはうなだれる頭をさらに深い位置にまで下げた。
そこには床にぶちまけられたゲロの小さな水溜まりが広がっている。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
そう呟く声と共に、ぴちゃぴちゃ……と舐めとるような音が聞こえてきた。
さすがの俺も思わずしゃがみこむ。彼女の肩を揺さぶり顔を上げさせる。
「なっ、そ、そこまでしなくてもいい!」
「え……?」
こちらを覗き込む目は、心底意外そうにしていた。
「こういうのが好きなんじゃないの……?」
「……いや、それは、好きですけど」
「けど……?」
「けど、こう、いきなりそこまでしていいのかというと……みたいな」
「いいよ。そのつもりで来たんでしょ?」
「いや、大まかに言えばそうなんですけども……」
彼女の言い分には大いに利がある。俺の投稿している小説にはそういうシーンもあったのだ。イラマで吐いた女を罵り、頭を踏みつけ、吐いた物を舐めとらせるという描写があった。読者であるハクレナはそれを知っていて、「そういうこと」をする前提で今日ここへ来てくれている。俺もそのつもりではいた。
けれども、そうは言っても我々はオフラインでは初対面である。会って早々にラブホへ行くのはいい、ハードSMをノータイムで始めるのもいい。だけどそれにしたって、相手への敬意に欠ける行為をいきなり実践するというのはどうだろう……? 俺は彼女の頭を踏みつけにするべきだったのか? 本当に……?
「……他のこともしてみる?」
「え?」
「イラマがいいなら続けるけど」
「あー……」
どこかほんの少しだけ、ハクレナの機嫌が損なわれたような気がした。サディストを名乗るわりに日和ったとでも思われたのかもしれない。
そういう空気を変えたかったこともあり、オーラルでのプレイは切り上げて、俺はセックスがしたいと申し出た。すると彼女はベッドに仰向けに寝転がり、何の躊躇いもなく股を開く。
若々しく派手な見た目と、どこか厭世的な雰囲気が相まって、なんだか金で彼女を買っているような気分がした。
「こんなビッチのオナホまんこでよければ、どうぞご自由にお使いください」
「…………」
自分の小説に出てきそうな……あるいはこれまでに俺が五万と読んできたエロ漫画のどこかに書いてありそうな台詞が、表情に乏しいハクレナの口からこれみよがしに読み上げられる。
返事に困った。返事が必要なのかどうかも分からなかった。いざその手の台詞が現実になると、コミュニケーションの外側で、ただ股間のモノが真っ直ぐに喜んでしまうだけだった。
覆いかぶさるようにして、彼女にそれを挿入する。
「んっ……」
棒読みではない、けれどどこか予定調和じみた声だった。
俺はしばらくの間、そんな彼女の上で腰を振り続ける。久しぶりのセックスのやり方を思い出しながら快感をかき集めるように。
「んっ……、んっ……んっ……」
本当に援交じみて、どこか不本意そうに漏れるハクレナの声は、それはそれで背徳感による興奮を煽るものだった。
サキュバスとのセックスには避妊が必要ない。前戯も必要ない。もちろん他に遠慮もいらない。彼女らは妊娠の有無を文字通り意思だけで選べるし、意思だけで濡らせるし、セックスに多くを求めていない。気持ちよくなりたければ勝手になるし、そうでないのなら、ただこちらの性欲を魔力として搾り取るために全身を使って快楽を送り込んでくる。
サキュバスの性質に沿ったセックスは、特に俺のような男にとっては大いに魅力的だ。生入れ中出しは当たり前で、前戯もなしに即挿入して、満足するまで好き勝手に腰を振る。……向こうがどう思っていても、こちらからすればそんな振る舞いには、女性の尊厳を削ってスパイスにしているような感覚がある。興奮しないわけがなかった。個人の感性ではなく種族全体の価値観としてその性質が在るという点も安心できて良い。
けれどそんな理想的な快楽の中で一つ、口にすればおそらく最大級の失礼に当たる感想が頭をよぎる。
……セックスの感触という物は、漫画で聞くほどの個人差はない物なのかもしれない。ハクレナのそこは、コルカとほぼ全く変わらないように思えた。それこそ目を閉じれば、過去に何度も見下ろした顔が思い浮かぶかのように……。
「ねぇ」
「うん?」
支えにしていた腕をさするように細い指が這う。目を開くと、素朴にこちらを伺うような表情のハクレナがいた。
「痛いことしないの……?」
「……というと」
「腹パンとか、ビンタとか。首絞めでもいいけど」
「していいんですか……?」
「え、だって、されると思ってたし」
「……されたいとか?」
「うん」
まっすぐこちらを見据えての即答だった。
サキュバスの見た目として唯一人間と違う部分……下腹部に浮かぶ淫紋に、握った拳をあてがって軽く押しつける。痛いことをしてもいいというなら、今からここを殴りつけるぞ……と暗に伝える。
ハクレナはその意図を理解したのか、ギュッと唇を引き結んだ。覚悟を決めたというわりには気の抜けた様子で、期待するというには無愛想すぎる表情で、一切の抵抗なく事の続きを待っている。
俺はそんな彼女の腹を、握りこぶしを一瞬だけ落とすようにして……殴るというよりもまずは叩いた。
ぺちっ、と乾いた音が鳴る。
「…………え?」
戸惑ったような顔をしたハクレナが殴られた部分に目を向けた。
まさか今ので本気なの……? とその表情が訴えている。そこまで白けた態度が見られるなら、まだもっと強く殴っても平気そうだった。
今度はさっきよりも勢いよく拳を落とす。気まずそうな顔をしたハクレナが「ん……」と小声でうめく。次はそれよりももっと勢いよく拳を落とす。相手の反応は一切変わらない。
……そんな風にして俺は次第に力を強めて行き、ある時点からはついに拳を腹に落っことすだけではなく、体の内までえぐりこむような圧をこめて殴打を繰り返すようになった。
ぺちぺちと鳴っていた音が、次第にどぷっ……どぷっ……と、脂肪と内臓が揺らされる音に変わっていく。薄い脂肪の下にほんの少しだけ固く感じる筋肉があって、それがまったく心許ないことは感触から明らかだった。
「んっ……、ふっ……ん……」
しかしハクレナの反応は薄い。普通なら腹を押さえてうずくまりそうなくらい何度も拳がめりこんでいるのに、実際の彼女からは寝苦しい時のうめき声程度のリアクションしか返ってこない。
……ハクレナとは単にそういう人なのかもしれないと思った。
サキュバスのいいところは、ダメージが通らないところにある。どんなに凄惨な暴力をもろに食らったように見えても、当人は魔力で身を守り平気な顔をする。苦しんでいるように見えたならそれはあくまでも演技であるか、もしくはわざと苦しくなるように食らった結果でしかない。だからかつての俺はコルカに思う存分自分のサディズムをぶつけることができた。か弱い人間相手ではそんなことはできない。
けれどもそんなサキュバスにだって弱点はある。それは不意を突かれることだ。魔力を使おうと思う暇もなく深刻なダメージを食らえばサキュバスだって堪える。もちろんそこから瞬時に回復することはできるのだろうけど、それでも回復が済むまでのほんの一瞬の間は、人間と同じように傷つき苦しむことになる。
だから俺は腹パンを許可されたからといって、いきなり全力で殴りつけるということはしなかった。その一発目が相手の想定した威力を上回っていて、本気で苦しませてしまったらプレイどころではなくなってしまうかもしれないから。だから少しずつ力をこめていった。不意という物が生まれないように。
そして最終的には全体重を乗せて子宮を押しつぶすかのように拳をめりこませながら、潰れて狭くなった腟内の感触を楽しんだ。見た目にも過激な加虐によって興奮を得ながら、延々と彼女の体を貪った。
……そのうち少し疲れて、暴力もピストンも一時休憩にすると、汗ひとつかいていないハクレナがこちらを見上げてどこか心配そうな顔で言う。
「気持ちいい……?」
「あ、はい」
たぶん俺の行いを責めているわけではないのだろう、ということは雰囲気で分かった。「こんなことして楽しいの?」というニュアンスの言葉ではなかったはず。
しかしそれが、正直なところプレッシャーになってしまった。俺はその後もしばらく好き放題にハクレナを犯した。首を絞めて、喉奥を指で掻き回し、頬に平手を食らわせて、さっき痛めつけた腹部を再びいじめて、乳首を強くつねったり肩に噛み付いたりしながら、ひたすらに腰を振って快感を貪った。
幸せだった。ハクレナはずっと薄い反応しか見せなかったけれど、おかげで次第に「このくらいなら全然平気なんだ」という確信が湧いてきて、安心して嗜虐心を解放することができた。するとずっと気持ちが良くて、何時間でも今の行為を続けていたいと心から思った。
……だけど射精することはできなかった。好き放題やっておきながら、そのためにはまだ足りない物があったのだ。そして時間が過ぎていくほどに、遅漏にはプレッシャーが伴うようになる。
こんなに幸せなのに、気持ちいいのに、ハクレナは先ほどの「気持ちいい?」に対する回答を嘘だと判断するのではないか。ハズレの男を引いた、早く帰りたいと思っているのではないか。いい加減に射精して、この永遠に続いてほしい天国にもピリオドを打たなければ、それが人間としての正しさというものではないか……という念がみるみるうちに強まっていく。
こういう時どうすれば自分が射精できるのか俺は知っている。けれどその方法を相手に明かす覚悟は、プレッシャーが強まってもなお、なかなか決まりきらない物だった。
そして、先に痺れを切らしたのはハクレナの方だった。
「あの、他にしたいことあったりする……?」
細い首を男の両手に収められたまま力を緩められた拍子に、息切れ一つしていない彼女がそう言った。
俺の脳裏には無数の選択肢がよぎる。質問に対する純粋かつ正直な回答の数々と、それとは別な、彼女の言葉の意図を汲んだ上での最適解の候補たちが、風に巻かれたうずまきのように飛び交ってシャッフルされていく。
……そして俺は、やはりまずは射精することを第一に考えて答えた。
「実は、その……。言いにくいことなんですけど……」
「うん。なに? なんでも言って」
「…………相手に嫌がってもらわないとイけなくて」
「嫌がる……?」
「痛そうとか苦しそうとか、我慢してる感じとか、そういうのを見るとイけるんですけど……」
「……私演技下手だけどいい?」
「できれば、お願いしたいです」
「わかった。……じゃあもっとひどいことして」
「はい」
言われるがままとりあえず首を絞めながら抽挿を再開する。相変わらず控えめな息遣いだけが反応として寄越されるのは、首絞めが「もっとひどいこと」ではないからなのだろう。
サディストはべつに、加虐の最中に理性を失うわけではない。むしろ人の首を絞めながらでも思慮にふけることが出来てしまう。
俺は考えた、ハクレナが言うようなもっとひどいこととは具体的に何か? ……少なくともこうして腰を振りながら敬意を著しく損なわない範囲で出来ることは、もうすでに全てやり終えてしまった気がする。
ということは、いよいよ物理的ではない方の暴力にも手を出すしかない。その中でできるだけマシな物を選ぶように心がけつつ、俺はまたハクレナの下腹部を殴りつける。
うっ……と、前よりも苦しそうな声が聞こえた。
「殴られるの好き?」
「え……?」
急に聞かれた彼女はきょとんとした顔をする。俺はかまわず同じ箇所に拳を振り下ろす。
「うっ」
「殴られるの好き?」
「……す、好きです」
「もっと痛い方がいい?」
「は、はい。もっと痛くしてください。……うぐっ」
見た目に危ういほど深く拳がめり込む。何度も何度も同じくらい強く、体内を揺らしてかき混ぜるかのように殴打する。
そしてひとしきりいじめて満足したら、今度は骨盤が軋むような勢いで腰を打ちつける。自分が満足するまで何度でも、相手の手首をベッドに押さえつけて、オナホを使うみたいに好き勝手に突き回す。
そしてそれにも飽きてきたら、俺はまた下腹部のアザを見ながら拳を振り上げるのだ。……そのまま数回殴ったあとにぐりぐりと体重をかけて子宮を潰していると、消え入りそうな声が聞こえてきた。
目を閉じたまま険しく眉をひそめたハクレナが、腕が震えるくらい強くシーツを握りしめながら、虚空に向かって繰り返していた。
「はやく……。早くおわって……はやく……」
それを聞いてから俺が射精するまでに、体感で十秒もかからなかった。
ハクレナの最奥に精液をぶちまけて、快感の余韻を味わいきってようやく、自分が息を切らしていることに気づく。一方で彼女の方は落ち着いた様子で、余裕げにうっすらと笑みを浮かべてさえいた。
今度は、感情の起伏が少ない風だった彼女にしては意外なほど優しい声で聞かれる。
「気持ちよかった……?」
俺はうなずく。噛みしめるように、感謝の念をこめて。
本当は痛いのに気持ちいいと言わされるとか、本当はやめてほしいのにもっとしてほしいと言わされるとか、そういったシチュエーションがどうしようもなく好きだ。我ながらクズだと思う。その趣味が満たされなければ射精できないなんて異常者もいいところだ。……それが分かっているからこそ、受け入れてもらえた時の喜びは心底沁みる。
単純なことに、俺はちょっとハクレナのことを好きになってきていた。それが恋愛と呼べる心情なのかというと、まぁ違うのだろうけど。
少し落ち着きをとりもどした自分の分身を彼女の中から抜き出す。するとハクレナはすぐに起き上がって、どろどろの粘液にまみれたそれに這いよっては口をつけた。
「綺麗にするね」
そう言って、固さこそ失われてもまだ大きいままのそれを一気に根元まで呑み込む。欠片も嘔吐かないところを見るにやはり最初のあれは演技だったのだろうと分かって、おかげで安心できた。
俺は嫌がったり苦しんだりしている女の子を見ることが好きだけど、かといって相手を傷つけたいわけではない。苦痛のリアクションが全て演技だったらいいのにといつだって思っている。だから興奮と同じくらい安心も求めていて、演技下手を自称するハクレナが暴力を前に淡白なリアクションばかりすることは、そういう意味で本当に喜ばしいことだった。平気なフリをしながら精神をすり減らして尽くされるよりも、傷ついたフリをしてくれる玄人の方がいい。
お掃除フェラは気持ちよかったけれど、身も心も満たされたからか、そう素早く勃起が回復することはなかった。弱々しく萎んだそこから口をはなして、身を起こしたハクレナが機嫌良さそうに言う。
「休憩にしようか」
俺はまたうなずく。なんならこのまま眠れてしまいそうなほどに満ち足りた気分だった。
けれどその浮かれた幸福感は長くは続かない。
ハクレナがベッドを降りて裸足のままどこかへ歩いていく。スリッパくらい履けばいいのにと思いながらなんとなくそれを目で追っていると、彼女は部屋の角に設置されているウォーターサーバーから冷水を汲み始めた。
「青ウニくんも飲む?」
「あ、はい」
紙コップを両手にハクレナが戻ってくる。はい、と手渡されたそれを受け取った時、本来は逆だったんじゃないかと思わずにはいられなかった。こういう気遣いはこちらがするべきだったのではと。
男だから女だからという話ではなく、たとえ同意の上であっても加害者と被害者であるからこそ、そうあるべきだったのではないかと思う。すでに手遅れの話だけれども。
その水はよく冷えていた。一口飲んで喉を潤すと、次第に頭も冷えてくる。
ハクレナは隣に座ってちびちびと手持ち無沙汰そうにコップに口をつけていた。……一方で俺は、ここから彼女と何を話せばいいのかが分からなくなっていた。
小説の作者と読者として知り合い仲良くチャットを繰り返してきたのだから全くの初対面ではないはずなのだけれど、それでも俺たちは何か必要な過程の数々をすっ飛ばしてしまったのだと思う。コルカとの時はこんな風に困ったりしなかった。彼女を痛めつけ罵倒したあとでも、何なりと気ままに会話を楽しむことができたのだ。
何か適切な話題はないだろうか。いや、そもそもこの場における適切な話題とは何なのだろうか。感想戦なのか、雑談なのか……。時計のない部屋で考える。向かいにあるテレビとオンデマンドの案内が、コミュニケーションの緩やかな死へ向かう逃げ道のように見えてくるまで。
……やがて時間切れを示すかのように、握ったコップの中身はいつの間にか空になっていた。結論は何も出ていない。
ギシ、とベッドの軋む音が鳴る。ハクレナが立ち上がり、空になったコップを回収して行った。
「青ウニくんってさ」
「はい」
「賢者タイムに罪悪感が出てきちゃうタイプ?」
「えっ」
ゴミ箱に紙コップを投げ捨てて、感情の読めない顔をした彼女は隣に戻ってくる。そして俺の顔を覗き込む。
「ちがう?」
「え、いや……。まぁそれは、申し訳ないとは思いますけど」
「乱暴したから?」
うなずきを返す。
「趣味の悪いこともしました」
「気にしなくていいのに」
「そういうわけにもいきませんよ」
罪悪感は相手の受けた被害から湧くものではない。自分の趣味が悪いという事実から湧くものだ。だから気にしないという選択肢はない。気にすることと自粛することが、まったく別の話になるのだとしても。
しかしまぁ、そういった思考を「〜なタイプ」と表現したことから察するに、ハクレナはサキュバスとしてこれまでに何人ものサディストを見てきたのだろう。きっとサディストたちは皆そうなのだ。罪悪感を覚えるのは必ず、すっきりしたあとのことなのだ。
けれどもなぜか、申し訳なさそうな顔をしているのはむしろハクレナの方だった。不可解なその表情に俺は妙に惹きつけられる。
「……青ウニくん、正直に答えてほしいんだけど」
「はい」
「ぶっちゃけ、私のこと好みじゃなかった?」
「えっ?」
予想外の問いに、俺の心には一抹の寂しさがよぎる。頭が冷える前に感じたあの満ち足りた幸福感が、それをくれた相手には一切伝わっていなかったのだということを分かってしまったから。
「そんなわけないです。なんていうかその、うーん……」
「無理しなくていいよ」
「いやそうじゃなくて。失礼じゃない言い回しを考えてて……」
「思った通りに言って?」
「…………ざっくり言うとすごく興奮しました」
「へぇ」
ハクレナの反応は意外そうにしているようにも見えたし、興味がなさそうにしているようにも見えた。
セックスした相手を上手く褒めることは難しい。気を抜けばただの独りよがりで気持ち悪いセクハラになってしまうから。たとえば俺が今、金髪ピアスのギャルというカーストの高そうな属性を持つ人が幸薄そうに厭世的な雰囲気を纏っていたり、俺のようなロクな取り柄もない人間に好き勝手に扱われている様を見るとなんだか興奮する……といった本心を伏せたのは英断だったと言えるだろう。
自分がどういう風に見られているのかおそらく半分も気づきはしないまま、彼女は真面目な顔をして言う。
「もし青ウニくんのお気に召せたなら、これからも私のこと使ってほしいんだけど、どう……?」
「つ、使うって」
「性欲が溜まった時に、今日みたいに私で発散してほしいってこと」
「いやそれは、そんなの、願ったり叶ったりですけど。……ハクレナさんにメリットあります?」
むしろ今晩からSNSをブロックされることの方があり得る話のように思える。だからこそぬか喜びはしたくなくてそう聞いた。
答える彼女は至って真剣な様子だった。
「私いじめられるの好きだから。それに青ウニくんの性欲おいしかったし」
「……本当に?」
「うん。私でよかったら好きに使って……?」
「じ、じゃあよろしくお願いします」
「こちらこそ」
取り決めて、なんとなくお互いに会釈をした。
セックスすることを「使う」と表現するのは、経験豊富な彼女が知っているからだろう。サディストはそんな言い回しだけでも馬鹿みたいに喜ぶのだということを。……その喜びはさっそく物理的にも表れていた。
ハクレナがそれを見下ろして、どこか好意を含んだ真顔のままで聞いてくる。
「もう一回する?」
「あ、はい。お願いします……」
「……変わってるね、青ウニくんって」
「えっ……?」
言葉の意図を理解しきるよりも先に、パンパンに張った先端を口内粘膜に包まれる快感がやって来て、思考が上書きされた。
嘔吐きながら何度かストロークを繰り返した彼女が、自分の喉から出た粘液をローション代わりに肉棒をしごきながら聞いてくる。
「何かしたいこととかある……?」
その問いに対して、俺の脳内には天秤が現れる。正直なところ「したいこと」ならまだ山ほどあった。
はたしてそれを正直に伝えるべきか。度が過ぎれば引かれるかもしれないし、逆にマンネリでも飽きられるかもしれない。間違った答えを選べば、彼女との今後の関係性が白紙に戻ってしまう可能性もある。それが想像できるからこそ天秤は揺れ動いた。数々の性癖とプレイを乗せてぐらついた。
そして俺は、相手の性格も掴みきれていない現状では、やはりただただ正直に答えるしかないのだという結論に達する。
「…………アナルとかって出来たりしますか?」
「うん。できるよ」
魔力のみを糧に生きるサキュバスにとって排泄は必ずしも必須の生理現象ではなく、サキュバスのアナルはむしろ男性器を挿入するためにこそ付いている。……という話を、実はコルカから聞いて知っていた。
その後俺がハクレナに「痛がること」を望んだのは、もはや言うまでもない。