※この作品はR-18です。

星屑レイサSS   作:伊井米星屑

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遅くなりましたが続きとなります。
飄石-ずんばい-はようやくここで完結です。
一応予定では後2話で完結予定ですが予定は未定です。途中また掌編を挟むかも。

エッチ……エッチって何でしたっけ。(n敗)


【Re星屑レイサSS03】飄石-ずんばい-3

 言葉を亡くし、意思を亡くし。たとえ私が私でなくなったとしても。

 あなたの中に私はいますか。

 私の中にあなたはいますか。

 

◯

 

 それは、終末の光景。

 世界が解け瓦解する中で二匹の獣が互いに牙を突き立てあっていた。黒と金。どちらも天を突くような威容。あれの出現で恐らくこのキヴォトスは完全に学園都市という在り方を

放棄したのだとわかった。

 

 自分たちはもう生徒ではなくなったのだ。

 

 なら、なんだというのだろうか。

 

 あの何もかもを巻き込んで殺しあう二匹の獣はなんだというのだろうか。

 自分たちはなんだというのだろうか。

 

 この結末によって彼女の正義は潰えた。

 きっと星屑は楽しそうに──

 

 

「終わってしまうのですね」

 

 

 横へ向けた視線の先。気づけば随分と付き合いの長くなった諸悪の根源は寂しそうに獣の死闘を眺めていた。

 

「そこにいるのは、私ではなかったのですね」

 

 泣いている。そう錯覚してしまう程に。けれどそれも一瞬のこと。

 

「さて、あなたとも気づけば長い付き合いですが……最期に何か私に願い事はありますか?」

 

 こちらをへ歩み寄り、ニコニコと、星屑はそんな最悪の甘言を口にした。

言葉を返す。

 

「そうですか、もう二度と……。えぇ、それがあなたの口癖でしたね。野暮なことを聞いてしまったようです」

 

 彼女は立ちあがり、世界の終わりを背景にこちらを見下ろして酷薄に笑った。

 夜の空に星はない。もう彼女だけしか残っていないようだった。

 

「さようなら、私の主とならなかった人。……もう二度と会うこともないでしょう」

 

──さようなら。

 

 息を引き取る間際の私を残して星屑は去っていった。

 

──もう二度と会うこともないでしょう。

 

 

そう嘘を吐いて。

 

◯

 

 薄暗い部屋の扉が開く。

 扉──。部屋の扉というにはそれはあまりにも重々しい──分厚い鋼を何重にも重ねた円形の扉。幾つもの閂が組み込まれたそれは、銀行の金庫等でしか見られないような厳めしいものだった。

 これは電子鍵に殊更に強いとある生徒を閉じ込めるために用意されたものでもあるのだが──今、部屋に入れられているのはまた別の生徒である。

 彼女の場合は抱えてる事情が事情故に、あまり余人の近づくことのできないこの反省部屋に入れられていた。

 開いた扉の向こうからヴェリタス副部長のチヒロが姿を現す。

 

「じゃあ、さっきの打ち合わせ通りに。まずは私が話してみるから」

 

 扉の向こう、部屋の中からはわからない誰かに話しかけた後、チヒロは室内へと足を踏み入れる。

 

「どう、少しは頭は冷えた?」

「……」

 

 声をかけられたのは膝を抱えて蹲っている彼女の後輩、マキだった。

わずかにチヒロに向けられた顔はチヒロの知るあの小塗マキと本当に同一人物なのかと疑いたくなるような荒んだものであった。

 

「別に……最初から冷静だったし」

「そんなわけないでしょう」

 

 相変わらずのマキの様子に頭を搔き溜息を吐く。

 "星屑"という単語を聞いた後のマキの豹変振りはチヒロを愕然とさせた。ただでさえハレが受けた仕打ちに大きく動揺していたというのに。マキまでが様子をおかしくして「今度こそ星屑を殺す」等と叫びながら部屋を飛びだそうとするのを、その場にいたトリニティのセリナと二人がかりで必死に止めねばならなかった。

 自分の手に負いきれないと判断したチヒロはすぐにセミナーに応援を求めた。派遣されてきたセミナー保安部の助けを借りてハレとマキをミレニアムに連れ帰ったのが数時間前。

 その後セミナーのユウカ、ノアと今後の打ち合わせをし、ここに足を運んでいた。

 

「それで……オートラッカーまで取り上げて、いつまであたしを閉じ込めておくつもり?」

「あんたが暴れないならすぐにでも」

「……」

「納得がいかないって顔してるね」

「だって先輩は知らないから!あいつが……星屑が何をしてきたかっ!!」

「未来の出来事だものね。その頃のミレニアムに私もヒマリもいなかったんでしょ?」

「…………うん、部長はハレ先輩になった」

 

 叫んだかと思えば気分が塞いでいるかのようにぼそぼそと呟く。

 感情の起伏が激しい。元々マキは明け透けで表情のコロコロ変わる後輩だったが、今の彼女の状態はそういったものとは違う。神経質で、不安定。それはあまりマキには似合わない言葉だ。

 チヒロはできるだけ刺激しないよう慎重に言葉を選ぶ。

 

「その辺りの説明は聞いたよ。ヒマリの方でもあんたみたいに未来の記憶があるって生徒を何人か確認していたらしくってね。戻ってすぐにこんな分厚い調書を渡された」

 

 手に持って振って見せたのは分厚い文庫一冊分はありそうな紙の束だった。データ化されてないのは、この情報を電子データとして持ち出して万が一にも抜かれることをヒマリが恐れたからだという。自信家の彼女らしくない措置だ。

 

「…………」

 

 痛々しく血走った目がそれを追う。どうやら興味はあるらしい。

 

「精査まで間に合わずに雑多な情報のままでごめんなさい、だってさ」

「見てもいい?」

 

 話しながら距離を詰める。なんだか手負いの野生動物を相手にしているようだ。

 

「──いいけど、またすぐ興奮して暴れないこと。それから──」

 

 チヒロも屈んでマキに視線を合わせる。膝を抱く彼女の手を取る。

 グラフィティでスプレー缶や絵の具をよく使うマキの手は塗料で汚れていることも多かった。けれど、今その手は自身の体に強く爪を立てたために己の血で汚れていた。彼女だって望んで暴れていたわけではない。

 

 この部屋に入れられてからしばらくして痛々しいほどに自身の体を掻きむしるマキの姿をカメラ越しにチヒロは見ていた。

 その姿を見て、彼女なりに自分を抑えようと必死なのだとわかった。

 赤黒くなった爪先をぎゅっと握る。

 

「これ以上自分の体を傷つけないこと……」

 

 ヒマリに渡された調書は読んでいて気分の悪くなるような話ばかりだった。誰が命を落としたとか。誰が辱めを受けたとか。誰がおかしくなったとか。誰がヴェリタスからいなくなって、誰がミレニアムからいなくなって。キヴォトスが、チヒロの後輩が、知り合った他校の生徒たちが、どうやって終わっていったのか。ハレとマキの件がなければヒマリの正気を疑っていただろう。

 そっと手渡した調書をマキは床に置いて片手で捲り眺め始める。

 マキの持つ記憶と書かれた内容に大きな齟齬がないか。その確認も彼女の元を訪れた目的のひとつだった。

 彼女が調書を読み終えるのを黙って待っているべきだろう。けれど、ひどく目つきの悪い顔で調書を斜め読みしていくマキの姿を見ていて、つい話しかけてしまう。

 

「マキ、私たちは頼りない?」

 

 それはチヒロの弱音だったのかもしれない。それでも問わずにいられなかった。

 

「そんなこと……」

 

 チヒロの問いかけに、かなりの速度で紙を捲っていたマキの手が一段スピードを落とす。こちらを決して見ようとしないまま、瞳が戸惑うように揺れていた。

 

「確かにここに書かれてる未来に、私たちはいなかった。ハレがされたことも、あんたが見てきたことも、ミレニアムを襲った悲劇も、私たちは実際には知らない。経験してない。それでも、今はまだ私もヒマリも、他の三年生もいる」

 

 ゆっくりと、自分にも言い聞かせるようにチヒロは言葉を区切りながら話し続けた。

 一度だけ遅くなったマキの手つきは、それ以上速度を緩めることはなく規則的な音を立てて紙を捲り続ける。それでも、鬱屈とし強張っていた表情が僅かに揺らいでいる様に思えた。

 

「辛いと思う……けど、お願いだから私たちも頼って──」

「──っ!辛いのは!あたしじゃない!!」

 

 チヒロの言葉に瞬間的に激昂したようにマキが顔を上げ叫ぶ。握られていた片手をふりほどく。勢いよく振り回された手がチヒロの頬を打った。眼鏡が弾かれて床に転がった。

 

「あ、先輩っ、ちが……あたしっ!」

 

 直ぐに我に返ったのか、後ずさろうとしたマキの手をチヒロはもう一度しっかりと掴んだ。

 眼鏡が外れぼやけた視界の中で、泣きそうなマキの顔が見える。

 

「いいから。あんたが自分の体を掻きむしってるの見るよりは殴られる方がよっぽどマシ」

 

 今のマキの情緒ならこれくらいの反応は想定内だ。寧ろ思っていたよりは──本人が言う通り──ずっと冷静だった。

 

「……ごめんなさい」

「いいって言ったでしょ」

 

 しゅんとした声がいつも通りのもので、チヒロは表情を柔らかくした。

 すっかり人が変わってしまったと思っていたマキの変わらない一面に安堵していた。自分も随分と細い神経をしているなと笑いたくなる。

 どんな記憶があろうと、どれだけ恐ろしい表情をしようとマキはマキ。精鋭ハッカー集団ヴェリタスの一員。誰より明るい部のムードメーカーで手のかかる、けれどチヒロの自慢の後輩なのだ。

 血で指先の汚れたマキの手を自分の額に当てる。

 大丈夫と、そう伝えるように。

 

「ハレの事もあんたの事もこのままにするつもりはない。だから──だからこそ私たちには今あんたの力が必要。頼ってと言っておいて情けないけど、力を貸して欲しい」

「私が……?」

 

 戸惑うマキの声に頷き返してから、部屋の外へ声をかける。

 

「入ってきて」

 

 声に応じて、ミレニアム製の曲線で構成された車いすが部屋に入ってくる。

 その姿にマキが大きく目を見開いた。

 

◯

 

「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛!!!」

 

 猛き咆哮が夜を震わせる。

 一遍の正気も残さぬ凶相で狂い狐と呼ばれた久田イズナが襲いかかる。

 迎え撃つのは先ほどまで激戦を繰り広げていたカズサとツルギ。

 

「あ゛ぁ゛──────」

 

 声を置き去りに、残像すら見えそうな速度でイズナが直進する。

 

「はっや!!」

 

 声を上げながらも既に全神経が戦闘に切り替わっていたカズサはイズナに銃口を向け弾丸を放つ。夜を裂く銃火。

 だが、その先に既にイズナはいない。

 

「────っ!?」

 

 殺気。

 ほんの僅かな感覚を頼りにカズサは咄嗟に仰け反った。ゴゥッと風の巻き上がる音。カズサの顎を砕かんと下から突き上げられた、地面に手を突いてのイズナの逆さ蹴り。ほんの数ミリの距離を通り過ぎた踵に冷や汗が流れる。

 

「このっ!!」

 

 移動の瞬間が見えなかった。だが、逆立ちのような体勢は隙だらけだ。カズサは無理矢理に体をひねり、イズナの頭を蹴り返──。

 直後にカズサを襲ったのは大きな白煙。一瞬視界が遮られたかと思えば彼女が蹴り飛ばしていたのは狐のぬいぐるみ。

 

「はぁ!!?」

 

 驚いてる暇もない。背後。殺気。首を狙う一撃。咄嗟に担ぐように首裏に捻り込んだマビノギオンが火花をあげる。黒い刃物。忍者の暗器クナイが銃身を擦る。

 それは煙幕と共にカズサの背後に回っていたイズナの一撃だ。一瞬も気が抜けない。

 

──どいつもこいつも銃の間合いを潰したがる!

 

 噛みしめた奥歯が削れそうだ。

 カズサは首に銃身を当て仰け反った勢いのまま重力に任せて背中から地面に倒れこむ。同時に、腰をひねり当て勘で引き金を引く。ここまでで一秒の半分。

 超近距離の連撃はカズサの銃身の内側。自らの手足でなければ対応することができない。

だが、今この体勢であれば。

 逆さに銃を担ぐ姿勢。左の肩先に少し銃口が伸びる。ギリギリ、背後のイズナを狙える距離(レンジ)。耳の直ぐ横で銃声が鳴り響く。鼓膜が破けるのではという轟音。熱を持つ銃身に首裏が灼かれる。吐き出された薬莢がカズサの後頭部を絶え間なく打つ。それで、ようやく当たったという手応え。

 イズナが距離を取ろうと離れる気配を感じると同時に落下中の体を更に大きくひねりながら地面を強く蹴り飛ばす。普通ならそのまま背中を打って倒れるはずが、カズサは数十センチの落下距離で体を反転させ片膝立ちの体勢で着地した。猫の身のこなし。

 着地と同時に銃口を向けた先では、カズサと距離ができたことで散弾を放てるようになったツルギが、立て続けに銃弾の雨をイズナに浴びせていた。

 

「きゃはははははははははははははは!!」

「ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛!!」

 

 互いに言葉といえない奇声を上げながら銃を撃ち合う。イズナは背にサブマシンガンを背負っており、必要な瞬間だけ背から抜き撃ちで銃を構えていた。本来ならあまりに無駄が多い、隙となる行動のはずが、バグじみた身体能力によって戦術として成立していた。

 

「──チッ」

 

 あの速度についていけていない。

 ツルギと戦っていたときにも感じたが、やはり今のカズサの体は未熟すぎる。実際にイメージする動きに身体能力が追いつかないのだ。先程はギリギリで凌いだが、後数秒あの距離でやりあっていたら危なかった。今だって息を整えるためにツルギとイズナの戦闘を足を止めて見ているハメになっている。

 イズナだって同じような条件のはずなのに──あれが今時点での身体能力なのか、あるいはカズサとは別の、何らかのズルが加わっているのか。ツルギとの撃ち合いも平気でこなしている。

 ツルギのショットガン(ガンパウダー)が幾度目かの銃撃を浴びせた瞬間、再び白煙がイズナを包む。外から見ていてそのからくりを理解する。──いや、理解も何もなかった。煙幕の瞬間、イズナの体がぶれる。広がる煙幕を追い越しツルギの頭上へと飛び上がっていた。種も仕掛けもない一瞬の超加速。それがカズサの背後を取った変わり身のからくり。

イズナは頭上からツルギの脳天を狙う。だが、それはほんの少し前にカズサも取った戦法だ。

 

「きぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」

 

イズナの変わり身とほぼ同時──いや、少し早く。宙空のイズナに向けてツルギがロケットの様に飛び上がった。おそらく動きを読んでいたのだ。勢いのまま弾を放ったガンパウダーでイズナに殴りかかる。ほぼ完璧なカウンター。それを──

 

「─────────っ!!!!」

 

 殴り飛ばされる瞬間、イズナの手足がぶれる。

 

「!!?」

 

 ガンパウダーは確かにイズナを捉え、地面へと叩きつけた。だが、その銃身に無数に突き刺さったクナイ。その先端に括り付けられた手榴弾。ツルギが咄嗟に銃を手放そうとする。だが、彼女もこの反撃を想定していなかったのだろう。

 

「がぁあ!?」

 

 幾重もの爆炎がショットガンを中心にツルギの体をも飲み込む。

 

「ツルギ委員長!!」

 

 声を上げてしまうがツルギの心配をしている暇はない。あの一撃の為にイズナはツルギの一撃をもろに受けた。それでも、おそらくあれだけで狂った狐は止まらない。

 

「くそっ!!」

 

 あぁ、口が悪くなる。そんな余計なことを考えながらイズナの落下地点へ銃弾を叩き込む。下手に近づけば一瞬で相手の間合い。であれば今は狙いを定めて動かずに攻撃すべきだ。

 

「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛!!」

 

 案の定、直ぐにイズナは攻撃を仕掛けるカズサに向かって飛びかかってくる。銃を撃ち続けながら後退。とはいえ、それもたかが知れているだろう。あの身体能力、開けた戦場。接近戦は避けられない。その前に削れるだけ削り、僅かでも動きが鈍ったところをこちらも限界を超え競り勝つ。本来ならなんとかして一度逃げるべきなのだが、ツルギからここまで逃げの一手すら選ばせてくれない相手ばかりだ。どうにかして一度行動を封じる必要がある。

勝率は限りなく低い。それでも、もう後に引けない。

 

──腹をくくれ。

 

 急接近するイズナを見ながらカズサが覚悟を決める間際、イズナの足下にツルギでもカズサでもない、対物ライフルの強烈な一撃が打ち込まれた。

 

「!?」

 

 咄嗟に飛び退くイズナ。その身に更に別の角度から新たな銃弾が撃ち込まれる。

 

「──っ!?」

 

 撃ち込まれた弾が爆発する。

 

「カズサ!無事!?」

 

 駆け寄ってきたのはツルギと遭遇した際に別れたアルだった。

 

「アル!そっちこそ……なんて言ってる場合じゃない!下がって、あいつはまだ──!!」

 

 言いかけたカズサの横にもう一人。

 

「そんなボロボロで何言ってる。下がるのはお前も一緒だ。あいつは私が相手をする!」

「イオリ──さん!?それじゃあ……!」

 

 背後を見ればブラックマーケットへ来るまでに乗っていた二台の車が見える。

 

「モエとカヨコと相談して、状況からこっちに来た方がいいって判断したんだ」

 

 危険だ、と言いかけたカズサの言葉を遮るようにしてイオリがここにいる理由を説明する。

 反論はできない。実際、最優先目標のレイサは今も直ぐ側で倒れている。そして眼前で起き上がるイズナ相手には戦力が必要だった。

 

「マシロォ!!!そのまま牽制ぇぇ!!」

 

 体の半分を黒く焦がしながら、それでも眼光衰えぬツルギが起き上がり吠える。

 答えるように対物ライフルの二発目の狙撃。イズナはそれを躱してしまうが、動きを多少なりと制限できているだけで充分だろう。

 正義実現委員会とカズサたち。おそらくこの場での最大戦力。

 大きく息を吐き、立ち上がる。

 

「私もまだ戦える。それに、すぐそこにレイサもいる」

 

 そうだ、カズサはそのためにここにいる。レイサを日常へ連れ帰るために。

 レイサを前にして後ろに下がることなどできない。

 闇の奥で今も狐はこちらを見ている。意味も、理由も必要ない。ただ目障りなものを全て叩き潰すという狂気の発露。

 冷気を孕んだ夜風が遮るもののない戦場に吹く。

 それを合図に新たなメンバーを加えての狐狩りが再開する。

 

〇

 

 星屑に突きつけられた現実に、狐は見えない天を仰いだ。

 

 復讐が全てだと思っていた。それは欺瞞だ。

 暴力は麻薬だと思っていた。それも欺瞞だ。

 

 ただ"あの人"がいないという現実から目をそむける為だけに、自分はそれ以外の全てを台無しにした。本当なら取れたはずの手も、守れたはずの温かさも、全てこの手で壊してしまった。今更"あの人"に顔向けすることもできないだろう。

 

 それなのに──。

 

 会いたい。

 

 血にまみれて、傷つけてはならなかったはずの人の命すら奪って。変わり果てた百鬼夜行のこんな地下深くで。変わり果てた己が殺戮を終えた後で。今更。それなのに。

 

 会いたい。

 

 最初から自分を突き動かしていたのはそれだけの感情だったのだ。もう二度と叶わない願い。その結果がこの血の惨劇。あの日──今自分の足元で倒れて動かない彼女の手を振り払った日から──、自分のことをずっと最低だと思って生きてきた。

なんて甘い。

 自分がどうして最低なのか正しく理解していなかった。いや、最低なんて言葉でごまかして自分の最も愚かな部分を見ずにいた。ごまかし続けていたのだ。

 

「悲しいんですか?」

 

 この空間で唯一自分以外に息をしているそれが問いかけてきた。

 目を向ける。体は切り開かれ、ピンクの肉と臓物を晒す悪趣味な見世物。けれど、血の海の中で穏やかに笑うその姿はどこか神々しく見えた。

 

「壊して、壊して、壊し続けて、それでも壊れなかったものがあるんですね」

 

 そうだ。とっくに壊れていたと思っていた自分があの日から何も変わっていなかったなんて。それこそひどい悪夢だ。

 

「壊れないことが、狂えないことが辛いんですね」

 

 内面を言い当てようとするこの声に腹が立って、磔の彼女を無理やり台から引き剥がした。

 

「いっ♡ぎぃぃぃぃぃいっっ♡♡♡!!」

 

 ブチブチと人体から発してはいけない音が鳴る。乱暴に引きちぎられた肉と血がイズナを汚す。盛り付けられていた刺身が床に散らばる。だというのにその声は恍惚としていた。気持ち悪かった。けれど、今の自分もあまりに醜悪だ。それを思うと少しだけ慰められたような気持ちになる。

 

「あぁ……♡はぁはぁ♡ぁ、ぁあ♡はぁ♡……はぁ♡」

 

 ぼとりと床に落ちたそれが、普通なら動けないような損傷でのた打ち回っている。どうせここはどこもかしこも血で汚れている。今更彼女が血と臓物を床に塗りたくったところで何も変わらないだろう。

 

「ありが、とう……ございます♡」

 

 しばらくの時間をかけて星屑はフラフラと立ち上がった。腹から、零れてはいけないものが零れている。それが、かすかに脈打っているのが悍ましい。人ではない。

 それでも、この昏い地下の中で彼女は光っているように見えた。

 イズナはじっとその様子を眺めていた。どうしてそんなことをしていたのか、自分でもよくわからない。潤んだ星屑の目を見る。こちらに問いかけるような瞳。その中に赤黒く汚れた自分の姿があった。

 

「それで──?」

 

 促す声。

 疲れ果てた末の気の迷い。少しだけ、星に願い事をしたくなった。

 期待したわけではないけれど。気づいてしまった自分を、抱いてしまった願いを、誰もいないここでなら口にしていいのかと思って。ひどく久しぶりに人の言葉を口にする。かすれてひび割れた自分の声。最後の意味ある言葉。

 

 それだけ。

 

 

「イズナを、壊してくだい」

 

 

 それだけの願い。

 

〇

 

「お前は先に一回委員長と話せ!伝えておくことがあるって言ってたから」

 

 さぁ再戦だと意気込んだところでカズサの出鼻はくじかれた。

 ずっと存在を忘れていた耳元の通信機を叩き、カズサを置いてイオリは戦いの場へ飛び込んでいった。

 ツルギと二人でイズナの相手をしている。ほとんどサンドバッグのような状態だが、それでも攻撃に耐え、僅かな隙で反撃に転じている。伊達にゲヘナの風紀委員を務めているわけではないということか。二人の合間を縫うようにアルが援護射撃をする。アルの銃弾を嫌ってイズナが距離を取ろうとすれば、遠方からツルギに付き従っていた正義実現委員の一人、静山マシロが強力な対物ライフルで牽制する。

 

 ツルギが与えた一撃が効いているのだろうか。イズナの動きも先ほどより精彩を欠いている様に見える。新たに加わった戦力により戦いは拮抗していた。

そんな分析をしながら。

 

「それで、委員長って言われたけど……ヒナ風紀委員長のことであってる?」

『そうそう、ちょっと前にこっちに状況を確認する連絡が来てね、その時にあんたと話せるようになったら通信繋げって言われてるの』

 

 モエの言葉の直後、通信機がガガピとノイズを走らせる。しばらくして聞こえてきたのはシャーレで聞いたものと同じ、ゲヘナ風紀委員委員長のものだった。

 

『もしもし、聞こえてるわね?』

「聞こえてる、ます。正直今のんびり話している状況じゃないんですけど……」

『それはこっちも同じだから。手短にいきましょう。正義実現委員会のツルギ委員長から星屑をミレニアムに出頭させるように言われたわね?』

「はい、言っておきますけど元々ゲヘナに連れてくつもりは……」

『私も彼女の提案を支持するわ。宇沢レイサはミレニアムに連れていきなさい。引き続きイオリもあなたたちにつける』

「は、え!?」

『私だって彼女をゲヘナで確保することが最善とは思っていなかった。あなたたちが他の手段を模索するならそれでもいいと思ってたわ。それが難しければこちらで保護するって流れにもできただろうし』

「……」

『ただ、そうも言ってられなくなった。端的に言うと今ゲヘナでクーデターが起きてるの。ちょっと洒落にならない規模でね』

 

 クーデタ。突然飛び出した想定外の単語にカズサの脳が混乱する。ヒナは気にせず言葉を続けていった。

 

『私も駆り出されてるから正直あなたたちを安全に保護できない。今のゲヘナはどこにあの子のシンパがいるかもわからないから油断できない。……ミレニアムも同じ様になってる可能性はあるけれど、少なくともこっちには来ない方がいい状況なの。……未来の記憶、私も少し甘く見ていた』

 

 途中途中、カズサにはわからない話も混ざっていたが、とにかく今のゲヘナが剣呑な状況であることは理解する。

 

『私以外からのゲヘナの通信は信用しないで。一応イオリには必要な事は一通り伝えてあるから、彼女の発言がゲヘナ側の意見と受け止めてもらって構わないわ』

「……なんでそれを私に?」

 

 別にアルやイオリに言っておけばよかったのではと。

 

『他のメンバーには先に伝えてある。それから、あなたには言っておかなきゃいけないことがある。もうすぐそっちに助っ人が到着する。だから──』

 

 

「ムツキ、ハルカ!」

 

 全身血まみれの状態で自身の乗るバンに近づいてきた便利屋の二人を見つけ、カヨコは声を上げて駆け寄った。ぐったりとしたムツキの小さな体をハルカが担いでいる。

 車組がカズサたちのもとへ向かう途中、通信が途切れていたハルカたち二人から連絡があった。星屑を取り逃したから自分たちもカズサたちの元へ向かうと言われ、カヨコはカズサの所へ向かう前に二人を途中で回収しようと提案した。

 だが、二人から自分たちの事はいいからと強く拒否されカズサたちとの合流を急ぐ事となった。

 結果的にそれが正解ではあったが、二人の無残な姿を見ると、彼女たちを後回しにしてしまった自分に胃がぎゅっと縮こまる様な感覚を覚える。

 

「アッハハ~、ごめんね……私が足を引っ張っちゃったみたいで」

 

 声だけは明るく、ハルカの背からムツキが声を掛けてくる。

 

「いえ、そんなことありません!私が……私がもっと……」

「二人ともそんなこといいから。それより大丈夫?こっちに横になって……」

 

 何とかスペースを開けたバンの後部座席にムツキを横たえる。

 

「自分でもびっくりするくらい体……ろくに動かなくって、本当にごめん」

 

 息も絶え絶えにムツキが謝る。

 

「そんなことありません。アレに遭遇して命があるだけ十分なんです」

 

 ハルカがそれを励ます様子は普段と立場が逆転したようで、どこか落ち着かない。

 

「百鬼夜行の久田イズナ、だよね。そんなに?」

「狂い狐、あるいは二代目災厄の狐……荒廃しきったキヴォトスで生徒もそれ以外も関係なしに殺して回っていた狂人です。目を合わせれば死ぬと言われてました」

 

 狂人、なんて言葉がハルカからでてきたことも驚きだが、会えば死ぬという言葉も物騒でならない

 

「殺して回ったって……生徒を?そんな、簡単に?」

 

 確かにあの暴れっぷりを見れば納得できる部分はあるけれど。それにしても、ヘイローを持つ生徒を殺すというのはかなりの労力が必要なのだ。もちろん、不可能ではないが。

 

「銃をほとんど使わないんです。素手で人体の急所を、こう……」

 

 ハルカは広げた五指を自分の胸の中心に突き立ててみせる。それから僅かに震えた手をごまかす様にぎゅっと胸元を握りしめた。

 

「規格外……というより、もう私たちと何か別のもののようでした」

「そんなもの相手に……!?」

 

 襲われたハルカやムツキ、今も戦うアルや、それからイオリも。そんな危険な存在を相手にしているなら今の作戦も変更すべきではないか。カヨコは自分の見通しの甘さに冷や汗をかく。だが、遠くに戦うアルたちの姿を見てハルカは呟いた。

 

「やっぱり……弱い」

「え?」

「襲われたときも思いましたが明らかにあの頃より弱いです。一年生の体だから?それとも別に理由が……?」

 

 あれで弱いというのか。けれど、確かに生徒の体を容易く抉るような凶悪さはここまで見られなかった。ハルカの言うように未来とは違う肉体がその能力を十分に発揮できていないのだろうか。

 

「私も……」

 

 視線を向けていた方向へ歩き出したハルカをカヨコは咄嗟に止めた。

 

「私もって……どうするつもり!?まさかその体で戦うっていうの!?」

「アル様もあの場で戦っているんです。私も……!」

「そんなフラフラな体じゃ無理だよ!アルだってそう言う!!」

「でも……!!」

「だったらさ、もう少しだけ休んでからにしたら?」

 

 平行線になりそうだったカヨコとハルカの会話にムツキが第三の提案をする。

 顔を向ける二人にムツキは普段よりも白い顔で、それでも普段の様に笑ってみせた。

 

「もうすぐ──来るんでしょ?だから、それまではみんなにまかせて休憩」

 

〇

 

 銃声、爆音、打撃音、怒声、咆哮。

 地面に横たわったままレイサは戦闘音楽に耳を傾けていた。

 ぐちゃぐちゃにされていた全身も、そろそろ何とか動かせる状態まで回復しつつある。けれど、今起き上がるのは得策ではないだろう。暴れているイズナのおかげで今レイサは全員の意識から外れているはずだ。なら、もう少し回復に努めながら、タイミングを図るべきだ。

 

 さて、どのタイミングで行動を起こすべきか。

 なんて。

 月のない広い夜空を見上げながら考える自分にふと滑稽さを覚える。

 

 傷の治りと共に、じわじわと自分の体が侵蝕されていくことを感じ取る。果たして今自分のヘイローはどこまで黒く染まっているのやら。まだ半分ということはないと思うけれど。

 

 星屑のすべきことは決まっている。

 侵蝕と共にそれを理解していく。

 地獄を思い出す。終末を追憶する。望んだ悲劇を。望まれた惨劇を。描いて叶えた破滅を──思う。愚かな少女を嗤う。

 

 深く、黒い、夜空に沈みながら。

 レイサは息を殺し、星屑となる。

 

〇

 

「こっちだ!!」

「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛!!」

 

 ヒナとの通信を終え、カズサは再びイズナと対峙していた。

 ツルギ、マシロ、イオリ、アル、それにカズサ。

 それぞれがさして面識もないメンバーでは細かな連携は取れない。だから、戦い方としては半ば一対一を交代交代という形になっていた。何よりイズナの動きはあまりに素早く、囲もうとしたところで上手くいくこともなかった。銃弾を浴びせようとフィジカルにまかせて強引に突っ込んでくるのだから手が付けられない。

 

 ツルギとイオリとカズサで順繰りに正面戦闘を務め、アルやマシロが隙を見て離れた距離から銃撃を浴びせる。

 驚くべきはそんな戦闘を続けて三周目にもなろうというのに勢いの衰えないイズナだ──あれだけ黒焦げにされて問題なく戦闘続行できているツルギも大概だが。

 

──時間を稼ぐ。

 

 ヒナに言われた助っ人の到着でどこまで戦局が変わるのか、実のところカズサにはあまりわかっていなかった。助けられたことは何度もあるけれど、指揮下で行動したことは数える程しかないのだ。けれど、便利屋たちや風紀委員はそれで状況が大きく好転すると確信しているようだった。

 

「おらぁ!」

 

 突き出してきた手刀を皮一枚で避け、その腕を肘で引っ掛け固定し、イズナのみぞおちに拳を叩きこむ。向こうが近接戦闘を仕掛けてくるのだ。最初からそれに乗ってやった方が対処しやすい。懸念点は更に口が悪くなることくらいか。

 

「あ゛あ゛ぁ゛!!」

 

 だが、イズナは僅かな身じろぎで打点をずらしてダメージをやり過ごすと、絡めた腕を力ずくで振りほどきにかかる。逆らえばこちらが折られる。イズナの勢いに乗って体を宙に浮かす。体の向きと飛び上がり方で力の流れを僅かに逸らす。イズナの斜め後ろへ投げ飛ばされながらあまり持ち歩かない手榴弾を手前に落とす。当たらないだろうが牽制だ。

 

「次、お願い!」

 

 前衛交代の依頼。既に動き出していたイオリが飛び退ったイズナに素早く銃弾を浴びせる。自身も素早く左右に移動しながらイズナの動きを上手く阻害しながら銃撃を続ける。

 

〇

 

 イオリはイラついていた。

 目の前の人外と思える動きをする百鬼夜行の生徒もそうだし、それと互角に張り合うカズサもそうだ。

 イオリは風紀委員としてそれなりの場数を踏んできた自信を持っていた。上にはもちろんヒナ委員長のような埒外の強者もいるし、ゲヘナの厄介な規則違反者共の中には姑息な絡め手でこちらを罠にはめるものも多い。それでも向かいあっての一対一なら大抵の相手には後れを取らない自信があった。

 だというのに。

 アイツもコイツも。特に戦うことを専門としているわけでもない一年生が、明らかに自分よりも強い。実際に戦って、一人では敵わないと思い知らされる。未来の記憶がどうかなどそんなことは知らない。この戦場で明らかに自分が後れをとっている事がイオリを焦らせていた。

 その上。この場に到着する前のヒナとの会話が思い出される。

 

 

『イオリ、悪いけれどこれから私は中々連絡がつかない状態になると思う。方針はさっき伝えた通り。その際にミレニアム側との交渉もあなたに任せたい』

「は、はぁ!?待ってよ委員長!ミレニアム側とってそれってゲヘナの公式の代表としてって事だよな!?そういうのって万魔殿の役割だろ!それに私はそういうの得意じゃないって、委員長も知ってるよな」

『今はそういうことを言ってる場合ではないの。万魔殿はマコトのバカがイブキにクーデターを起されて機能停止──ならまだマシで下手な声明を他校に出されたら最悪。少なくとも話の通じる筋に正常なゲヘナは私たちと知っておいてもらう必要がある。けれど、私もアコもこれからイブキの抑えで多分ゲヘナから身動きが取れない。チナツもよ』

「だ、だからって……」

『──はぁ、交渉事に困ったらそこの鬼方カヨコに聞きなさい』

「へ?」

『はぁ!?何のつもり、空崎ヒナ!』

 

 予想外の名前に言葉につまったイオリの代わりに食ってかかったのは、別の車を運転しながら通信機越しに会話を聞いていたカヨコ本人だった。

 

『あなたそういうのも得意でしょ?』

『何の理由があって私があなたたちに協力なんか……!』

『悪いけど、ここで失敗したらゲヘナどころかキヴォトス全体が揺らぐことになる。あなただって無関係ではいられないわよ』

『だからって──』

『そうね、なら陸八魔アルの凍結された口座を……全てとはいかないけれど、一部解放するわ』

『……凍結を全部解除して』

『……そこは後で詰めましょう』

『こっちが事務所無くなったからって足元見て……!』

『他意はないわよ。できる範囲の条件を提示してるだけ。本当に余裕がないの。今回の件は先生だって関わってる、お願い』

『~~っ、わかった』

 

 イオリを置き去りにして話が進んでいく。

 

『というわけだから、イオリできるわね?』

「ま、待ってよ、勝手に話を進めないでよ!」

『……私やアコがいなくても、あなたは動かなきゃいけない。風紀委員なのだから。そうでしょ?』

「………………わかったよ」

『私ができる根回しはしてあるから。お願いね』

 

 そうしてヒナとの通信は終わった。

 

 

「大変だって、そんなのわかってるけどっ!なんでっ、急にっ!!」

 

 突然ふりかかってきたいくつもの重荷、事実。それらはイオリを混乱させ、焦らせていた。

 それが、彼女の判断を僅かに誤らせた。

 

「あ゛ぁ゛っ!!」

 

 銃弾を浴びながらも突っ込んでくるイズナ。これまでの戦闘を振り返れば回避すべき突進をイオリは真正面から受け止めようとしてしまう。

 

「がぁっ!?」

 

 銃を持つ手が血を吹く。手首にクナイが突き刺さっている。突っ込んでくるときイズナは既に構えていたのに。見落とした。痛みに体が一瞬硬直する。眼前の獣の殺気が膨れ上がるのを感じた。そうだ、この獣も自分と同じ。遅々として進まぬ戦闘に苛立ちを抱え続けていた。今ここで自分が落ちればかろうじて吊りあっていた天秤が再び傾く。速い。鉤爪のように開かれた五指。時間が引き伸ばされる。来るのはわかる。なのに、体が動かない。頼まれたことも何も果たせていないのに。自分のミス。こんなことで──。

 

「っあぁっっっ!!」

 

 飛び込んできた黒いパーカーがイオリの代わりにその五指を受けた。

 ゴキ、ボキ。骨の砕ける嫌な音と共にパーカー、カズサが吹き飛ばされる。一瞬見えた。腕がありえない方向にひしゃげていた。盾にして受けたのだ。死んではいない。けれど、あれでは片腕はもう使い物にならないだろう。

 

「馬鹿やろう!!」

 

 何でお前が私をかばうんだよ!

 思わず叫んだイオリの声にうっすら笑っている様に見えた。くやしさで歯を噛み砕きそうになる。

 

「死ねぇぇぇぇぇぇぇええええええ!!」

 

 崩れかけた状況を察してイズナにツルギが飛びかかる。近距離でイズナと殴り合いを挑む。少し前までならイズナが飛び退って終わっただろうが、流石にここまでの戦闘で動きが鈍っているのか、逃げることができずに打撃の浴びせあいになっている。

 

「私は何を────っ!」

 

 自身の無様に激高しかけるイオリ。

 

「今の自分に不服ですか?」

 

 そんな彼女に不意に声がかかる。

 彼女のすぐ後ろ。少し離れた所に転がっていたはずのイオリたちの目的。星屑と呼ばれる少女。宇沢レイサが座り込んでいた。

 

「弱いなんて思っていなかったのに、急に自分がちっぽけに感じられた、とか?」

 

 いつの間に。確かに今は夜であたりにはろくな灯りもない。こっそりと這って移動でもしていれば気づかれずにここまで来られるかもしれないが。どうして。

 

「なんでこんなに弱いんだろう……とか」

 

 いや、それよりも。

 星屑の目が妖しい光をたたえているかの様に見える。その光がイオリの心を吸い寄せるような。不思議な浮遊感を覚える。ささくれ立った心が解けるような。光。

 

「願い事が──あるんじゃないでしょうか?」

 

 星屑の光が。

 

〇

 

「痛ぅ……っ」

 

 アドレナリンで実際のところ痛覚はほぼ麻痺している。それでも、反射的に痛みを口にしてしまう。

 へし折られた腕にちらりと目をやり、ほぼ動かせない事を確認してから無事な手で銃を握る。イズナ相手ならこちらを盾にした方がよかったがそこまで余裕がなかった。左胸にも違和感を感じる。もしかしたら、折れていなくとも肋骨も少しおかしくなってるかもしれない。

 今はツルギがイズナを縫い留めている。だが、既にカズサは戦力としては半減、天秤は直ぐに向こうに傾きかねない。

 せめて未来と同じように体が動けば──なんて、ないものねだりですらない。自分はあの未来を否定して今ここにいるのだ。未来の体があればなんて口が裂けたって言ってはならないだろう。

 だとしても。

 

「久田イズナ……ズルだろ」

 

 明らかに肉体のリミッターか何かが壊れている。あるいは未来の彼女よりは弱いのかもしれないが、それにしたってあの動きは反則じみている。

 既に嫌な汗が体中を濡らしている。恐らくカズサも長くは戦えないだろう。

 

 果たして援軍が現れてどうにかなるのだろうか。

 

 そんな事を考えていると、暗がりからイズナにとびかかる二つの影が現れる。

 そして、あのヒナから聞いていた助っ人の声。

 

〇

 

 その獣さんがイズナの中に現れたのはある日突然でした。不思議な流星の夢を見て目を覚ました時にはイズナの中にそれはいました。

 

 壊せ、殺せ。目に映るものを全て壊し尽くせ。

 

 そんな風に獣さんは叫びます。

 初めは、何か自分が変な妄想をしているんじゃないだろうか。あるいは、最近見たちょっと怖い系の忍者映画が影響しているんじゃないか。そんな風に思っていました。思おうとしていました。

 

 けれど、獣さんの声は大きくなるばかりで。

 ふとした瞬間に持っていたコップを握りつぶしていて──お気に入りのやつだったのに。

 部屋の壁に大きな穴を空けてしまっていたりして──後で大目玉を喰らううやつです。

 イズナは確かに自分の中に凶暴な獣さんがいて、自分にひどいことをするように強制しようとしているのだと認めざるおえませんでした。

 

 どうしてそんなに、なんでも壊したいのですか?

 

 尋ねても獣さんは答えてくれません。ただ、壊せと、壊せと繰り返すばかり。次第に頭の中をその声が埋め尽くすようになっていきます。

 けれど、段々それは泣き声なんじゃないかとイズナは気づきました。

 迷子の子供がお父さんやお母さんを探しているような、そんな泣き声。

 そう思うと、イズナは獣さんをどうにか泣き止ませてあげたいと思うようになりました。

 

 美味しいものを食べてみたり、綺麗な景色を見に行ったり。

 けれど頭を埋め尽くす声は鳴りやみません。

 どんどん、どんどんひどくなっていきます。

 

 段々今こうして歩いているのがイズナ自身なのか獣さんなのかもはっきりしなくなっていきました。

 獣さんの泣き声が獣さんのものなのか、自分のものなのかも曖昧になって。

 悲しい、辛い。痛い、憎い。苦しい、許せない。壊したい、吐き出したい。壊したい。壊したい。壊したい。壊したい壊したい壊したい。

 部長やツクヨ殿とは少し前から会わないようにしていました。

 いえ、実のところそれ以外の方ともなるべく会わないように日中は部屋に籠って、夜に出歩くようにしていました。見回り中の修行部の方と会った時はなんとかやり過ごすのに必死でした。今のイズナはとても危なくて、だから人と会うのも避けるべきでした。

 それでも、これ以上はもうどうしようもなくて。

 できれば誰も巻き込みたくない、自力でどうにかしたいと思っていましたが……主殿に助けを求めるべきだと決断しました。

 そう思った瞬間、イズナの中の獣さんの声が今までよりはるかに大きく膨れ上がって。

イズナという外側で抑えきれなくなって。

 

 気づいた時には部屋の壁を壊して──もう穴を開けたどころではありません──イズナは外へ飛び出していました。まだ通りには人がいます。けれど、体を突き動かす衝動は抑えきれません。どうにか、せめて人がいないところへ。イズナはそう考えるのが精一杯でした。

 イズナは獣さんが探しているのが誰なのかようやくわかりました。

 けれど、その時にはもうイズナの体はイズナの自由にならなくなってしまっていました。

 

〇

 

「イズナ!!勝手にいなくなって!なんで私たちに相談しなかったのさぁ!」

 

 小さな体が左からイズナに抱きつく。

 

「イズナちゃん!私たちは同じ忍術研究部の仲間じゃないですか……私は、頼りないかもしれないですけど……けど、頼ってください!」

 

 大きな体が右からイズナに抱きつく。

 

「あっ──────」

 

 危ないと声を上げかけてたカズサは、イズナが二人を振り払うことなく動きを止めている事に気づいた。何か葛藤するように体が震えている。

 

「あ゛っぐ、部、長……?ツク……ヨ、ど、の?」

 

 言葉を、それまで一度だって発することのなかった人の言葉をイズナが口にする。

 

「ダメ、です。ダメなん……です。イズナ、イズ、ナは…………イズナ、の、なが、にはぁ、あ゛、ぁ゛あ゛…………あ゛ぁ!」

 

 血を吐くような声を出しながら、イズナが二人を引き剥がそうと身じろぎする。それは、カズサたちと戦っていた時とは雲泥の差の、小さな、怯えた子供がするような弱弱しい動き。

 

「ダメじゃない!!ダメでも……部長の私が何とかしてあげるから!辛いなら辛いって、困ってるなら困ってるって言ってよ!!」

「ぁ」

「大丈夫です!私たちは絶対にイズナちゃんと一緒にいます!大丈夫だから!!」

「ぁあ……」

 

 必死に──きっと今の状況だって碌にわからないだろうに──必死にイズナに呼びかける二人にイズナは泣き出しそうな声を上げる。やめてください。どうかやめてくださいと、そんな懇願するイズナの声が聞こえるように思える。ごめんなさいと、誰かに謝るように。

 そうして身動きの取れなくなっていたイズナにもう一人。

 ヒナの言っていた助っ人が駆け寄ってきた。

 

 

"イズナ……!"

 

 

「ぁ…………」

 

 その声に、ついにイズナの両目から涙が零れた。

 

〇

 

 あぁ、誰か。主殿はどこに?主殿?教えて下さい、イズナはどこに行けば……どうしたら!

 

 ずっと、泣いていた。

 自分自身すら気づかないまま。泣き続けていた。

 失ってしまった自分の半身。自分の夢。自分の主君。

 

 

"一つ言わせてもらうけれど、忍者っていうのは……ロマンなんだよ!?"

"かっこいいものはかっこいいんだよ!!"

 

 

 あの言葉がどれだけ自分にとって救いだったか、あなたは知っていたでしょうか。

 

 

「最初からずっとイズナの夢を応援してくれていた、先生の隣でなら……イズナは、これから先もずっと、夢を見続けることができます」

「主殿!イズナ、ここに宣言します!先生は、主殿は、私の夢を応援してくださる方!これから先、イズナは主殿に忠誠を誓います!」

 

 

 あの誓いをどれだけ真剣に口にしたか、あなたは知っていたでしょうか。

 

 主殿。

 イズナにとって、イズナの夢は、もう主殿なしには叶えられないものになっていたのですよ。あなたの側にあり、あなたの忍びとして、あなたの為に力を尽くす。私の夢はそういうものになっていたのですよ。

 それなのに、イズナは自らの夢を裏切りました。あなたを守れずあなたの死に際に側にいることすらできなかった。私はあの日夢(あなた)を失った。

 私の全てを失った。

 

 主殿。

 あなたのいないこの世界でイズナはどこへ行けばよいのですか。

 何を求めればいいのですか。

 あなたの仇を討てば──答えはでるのでしょうか。あぁでも、あなたがいない。

 あなたがどこにもいない。

 

 主殿。主殿。主殿。

 

 イズナを褒めてください。イズナをしかってください。イズナの夢を──教えてください。

 主殿。どこへ行けばあなたに会えるのですか。

 主殿。イズナはどうしたらよいのですか。

 

 答えてください。

 

 声を──聞かせてください。

 

 夢を裏切ったイズナにはそれも許されないのでしょうか。

 

 主殿。

 

 許してください。

 

 主殿。

 

 あなたに会いたい。

 

 会いたい。

 

 主殿。

 

 

 会いたい。

 

〇

 

"イズナ……!"

 

 ずっとずっと、聞きたかった。

 ただ、その声が聞きたかった。

 それだけを探して、それだけが叶わなくて。気がつけば後戻りできないところにいた。

 きっともう許して貰えない。もう笑いかけて貰う事もない。

 それでも、あなたに会いたかった。

 

 部長とツクヨ殿に抱きかかえられたまま声の方へと振り向く。

 あの日の、あの頃のまま。

 

 ──主殿がそこにいた。

 

"百鬼夜行へ行ったらミチルたちからイズナがいなくなったって聞いて"

 

 こんな自分のことを心配そうに見つめている。

 

"ウミカたちから未来の記憶の事を聞いて、もしかしたらイズナもって"

 

 こちらに、歩いてくる。

 恐怖がわき上がる。自分はあまりにもひどいことを繰り返した。

 今こうして自分を掴んで離さないツクヨ殿にも許されないことをした。

 他にも、大勢を。たくさん。

 

"……"

 

 そんな自分が、今更先生のことを主殿なんて──。

 

"辛かったんだね"

 

 頭を、撫でられた。

 

"ごめんね、イズナ"

 

 なぜあなたが謝るのですか?

 

"理由はわからないけれど、きっと私のせいでイズナは苦しんだんだね"

 

 違います。違うんです。イズナが、イズナが悪いんです。イズナがいけなかったのです。あの日、ツクヨ殿の頼みをもっと早く受けておけば。あなたの側へもっと早く駆けつけていられれば。それができない自分を、それでもあなたが許してくれると理解できていれば。

 それで、よかったはずなのに。

 

 

 涙が、止まらない。

 ずっとずっと忘れていた、温かなものが目から零れて止まらない。

 

"大丈夫だから、私はここにいるから"

 

 その言葉が、壊れたはずのイズナを溶かして温めてくれる。

 その声が、忘れた夢を思い出させてくれる。

 

 

「主殿!!会いだがった……ずっと、ずっと会いたかっだ、です!ずっと、ずっと…………ずっとぉ…………会いたかったぁ…………主殿ぉ…………」

 

 

 獣が泣く。迷子の天狐(あまつきつね)がわんわんと泣いて縋り付く。

 ようやく取り戻せたのだと。

 長い荒野の果て。

 罪と呪いの終り、死の向こうで。

 イズナの泣き声が響く。

 夜空に放られた石は流星となって、ようやく落ちる場所を見つけられた。

 長い長い狐の旅路の終わり。

 

〇

 

 それは、これまでの戦いを思えばあまりにあっけなく。

 けれど当然の結末だった。

 わんわんと幼子のように泣くイズナの姿をカズサは見る。先生に縋り付く彼女の姿を誰が笑うことができるだろう。

 ツルギやイオリには、もしかするとわからないかもしれない。

 けれど、カズサにはイズナの感情がよく理解できた。きっとハルカにも、あのミユにも理解できるだろう。

 

──レイサはどうだろうか。

 

 それを考えると胸がズキリと痛みを訴える。

 彼女にもどうか理解して欲しい。どうかできて欲しいと。

 

 今考えるべき事ではないと頭を振るう。最大の障害であったイズナは鎮められた。

 ならば本来の目的であるレイサに向き合い、今の彼女の真意を問わねばならない。そして、ツルギやヒナの言うようにミレニアムへ向かうべき、なのだろう。

 レイサが倒れていた場所へ向かう。

 

「……レイサ?」

 

 そこに、レイサはいなかった。

 ふと、嫌な予感が背筋を走る。未来で先生が誰に殺されたのか。星屑の問題に先生を関わらせたくないと、未来を知る誰もが考える理由。

 カズサは折れた腕の事も忘れ駆けだした。

 

〇

 

 少しだけ時間は巻き戻り。

 

 ミレニアム。反省室と呼ばれる部屋の中でマキは驚愕に目を見開いていた。

 

「ハレ先輩!!」

 

 そこにいたのはヴェリタス部長が使っているものとよく似た車椅子に座る小鈎ハレだった。

 

「マキ……ごめんね、心配、かけちゃったみたいで」

「そんな!そんなこと……!それより、ハレ先輩は、大丈夫なの!?動いて、まだ寝てた方が……!?」

「慌て過ぎ、だよ。私は、平気。寝てる場合じゃ、ないし、ね」

「それは」

「一応私もいるので。いえ、気にしてもらわなくてもいいのですが……」

 

 車いすを押していたコタマがポツリと呟くがマキの耳には入っていないようだった。

 

「マキも、未来の記憶……あるんだよね?」

 

 問われたマキが顔を青くする。

 

「や、やっぱり……ハレ先輩も……!」

「そんな顔、しないで。大丈夫。ほら、ちゃんと、話せてるでしょう?」

「うん…………」

「だけど、私の事、ずっとマキが、お世話してくれたことも、覚えてるから。ずっと……最後まで。ごめんね。それから、ありがとう」

「あたしは……結局ハレ先輩を治すことも、敵をとることもできなくって……助けられて、生き残って……それだけ、だったから」

「あの頃の私には、論理的な、思考も、まともな、感情も……残ってなかったけれど、覚えてるから。マキがずっと、側にいてくれたこと。私が、私でなくなっても、側にいてくれたこと」

 

 二人の話を聞きながらチヒロは想像する。ハレの話す論理的思考もまっとうな感情も失った記憶。そんなものを与えられて人は果たしてまともに自己を維持できるのだろうかと。

少なくとも目の前の後輩はそれを成し遂げているのだけれど。

 

「けれど、この記憶は……この世界に、あっていいものじゃない。こことは別の未来の、出来事だから。こんなものを、抱えていたら、みんな自分が何者かも、わからなくなってしまう」

「……」

 

 ハレは震える手でゆっくりと自分の頭上を指し示して見せた。

 

「私は、これをヘイローを汚染する病、と定義、した」

「ヘイローの?」

「うん、そして……病は、治さなきゃ、いけない」

「そんなこと」

「できる」

 

 マキの不安を拭い去るようにハレは強く宣言した。

 少し前、セミナーとの打ち合わせの場での彼女の様子をチヒロは思い出す。

 

 

「ヘイローへの、干渉は、既にリオ会長が……ある程度技術の、確立にこぎつけてる」

「会長が!?」

「それは……本当ですか、ハレ?」

 

 ハレは同席していたヒマリの言葉に頷いてみせる。

 

「この先一年、私が、ヴェリタスの、部長になってから、知った知識……単体では無理でも、その技術の、いくつ、かを、組み合わせれば……エリドゥのアーカイブG513770334658、Q800092172640、Q824001500988、あとY999037291012を、エンジニ、ア部に回して、それから──」

 

 つらつらとハレの口から流れ出る情報に目を丸くしながら言われた情報を引き出して行く。

 

「あと、できれば、山海経、の錬丹術研究会に、連絡をとって、情報を少し……未来で共同研究、した、時に……使えそうなデータが……」

「これは……なるほど。リオもとんでもない研究を残してますが、それにこんな使い道を見出すなんて……」

 

 複数の分野を飛び越え、掛け合わせていく。

 幾つもの情報が組み合わさり、新しい形を成していく。

 未来で危険視され真っ先に標的とされたミレニアムの頭脳が今チヒロたちの目の前で本領を発揮していた。

 

 

「明日、の朝まで、に治療装置の、基礎部分は完成、させるのが目標」

「えぇ!?流石に無理でしょ」

 

 ハレの宣言にマキが驚きの声を上げる。その言葉にはチヒロもまったく同意見だった。

 

「元々……記憶、戻る前から見ていた悪夢を、どうにか、しようって装置を開発してた。これをベースにすれば、多分、かなり早く完成……させられる」

「は、はぇ~……けど、こんなの、あたしが力になれるの?」

 

 マキの問いかけにハレは今も震える手を差し出してみせる。

 

「記憶のせいで、今も手足が……上手く動かせない、んだ。キーボードも……まともに打てない。だから──」

「……っ!わかった。あたしがハレ先輩の手になる」

「ありがとう、マキ。未来でも、今でも……頼りに、してる」

「任せて!」

 

 険の取れたマキの表情にチヒロは内心でホッと息を吐く。ハレの様子に取り乱していたマキを見ていたから、再び面会させた際にどんな反応を示すか少し不安であった。けれどこの様子なら大丈夫だろう。

 

 そんなマキの表情が再び険しくなる一言をハレが口にした。

 

「今の私たちにはこんな記憶、ないほうが、いい。私たちも、それに星屑──宇沢レイサ、あの子……も」

 

〇

 

「願い事が──あるんじゃないでしょうか?」

 

 拳を握りしめ、自身の弱さに歯がみしていたイオリへと手を伸ばす。

 ツルギは今もイズナと至近距離で攻防を繰り広げている。カズサは吹き飛ばされ痛みにうめいているところだろう。

 レイサはここが勝負所だと捉えた。

 今、最も自分の声が届く相手に手を伸ばす。未来で何度も何度も繰り返したように。

 

「願い……私、の?」

「はい、私は星屑。ただご主人様に好きにしていただく肉奴隷ですが、ほんの少し、ご主人様の壊したいという願い事を叶えるお手伝いもできます」

 

 胸元に手を当て語りかける。

 さぁ、あなたの望むものを壊しましょう、と。

 敵を、あるいは弱い自分を、はたまた煩わしい責任を。

 願うことを叶えましょうと。

 

「私の主になってください。そして願いを──」

「……」

 

 手応えはあった。イオリを起点に今の状況を一気に傾ける。

 それで──それから──

 

「お前、なんでそんな泣きそうな顔してるんだ?」

「え?」

 

 ピシリ、と何かがひび割れる音が聞こえた気がした。

 

〇

 

 どこかで発射スイッチが入る音がした。

 

「先生──!!」

 

 カズサが声を上げる前に。

 どこに隠されていたのか、飛来したいくつもの小型ミサイルが忍術研究部と先生のもとへ落ちる。

 イズナが咄嗟に先生を突き飛ばすが、それでも爆風には巻き込まれる。

 

「部長!ツクヨ殿!主殿を!!」

 

 切羽詰まったイズナの声。それに応えるように二人が盾となって爆風から先生を庇う。

 

「先生!!」

 

 ツルギが、イオリが駆け出す。

 けれど更に打ち込まれるミサイルがその行く手を阻む。

 

 

──生徒を巻き込む。且つ広範囲に被害が及ぶ攻撃を繰り返す。

 

 

 爆風に煽られ、分断される。カズサの視界も遮られ、先生の正確な位置がわからなくなる。

 

"みんな────!"

微かに聞こえる声を頼りに爆風の中を突っ切る。

スーツを焦がしながら、それでも無事な先生の陰に彼女はいた。

 

──攻撃は生徒自身によって行なうのが効果的。

 

 誰にも気づかれないまま。彼女はそこに現れる。

 

「星屑はやった、星屑はやった、星屑はやった、星屑はやった、星屑はやった、星屑はやった、星屑はやった、星屑はやった、だから──」

 

 赤い、狂気の兎の瞳。怪物殺しの名で呼ばれる少女。

 その体から自走ドローンが放たれる。先生へ向かうそれは途中で行き先を見失ったかのように蛇行し、先生を避けて爆発する。爆発が繰り返す。

 

 

──質か数を重ねること。限界は存在する。隙も生まれる。重要なのは休ませず、畳み掛けること。

 

 

 ミユの持つサブマシンガンが銃弾をばらまく。何発かが先生を掠る。途中で銃身が曲がり、暴発する。既にミユは銃器を持ち替えていた。銃撃を繰り返す。

 

 

──手数、種類を複数用意することで更に負荷を与えられる。

 

 

「私だって、私だって──今度こそ!!」

 

 ミユが背負っていた巨大な何かを向ける。冗談のような機構。SRTの装備とは思えない。ブラックマーケットに転がっていたものか。

 本来垂直に向けられるべき杭打ち機。

 パイルバンカー。

 

「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛!!」

 

 爆風を越えイズナが飛び出す。先生へと手を伸ばす。もう二度と。そんな叫びを上げながら。

 

「私はぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」

 

 ミユも血走った目で叫ぶ。感情の爆発する声。

 杭が打たれる。

 宙を舞う先生をイズナが抱きとめる。

 

「な──────っ」

 

 

杭に突き刺さっていたのはレイサだった。

 

 

「なんっ、でぇ、あなたがぁっっっ!!」

 

 絶叫と呼べるミユの声に血を吐きながらレイサが答える。

 

「先生を殺したって……あなたの目指すものは叶いませんよ?私が、言うんです……本当です」

 

 こふっ、かふっと何度も血を吐きながら。

 

「また、嘘を吐くつもりですか?」

「まさか。それより……これ以上ここにいては逃げられなくなりますよ?」

「……っ」

 

 ミユは視線だけで人を殺せそうな表情をした後、立ち上る煙に紛れて姿を消した。

 

「はは、本当に…………私、なにやってるんだ、か」

「レイサ!!!」

 

 ようやく、今更に駆けつけたカズサの声を聞いてそちらを見る。

 今にも泣き出しそうな顔。

 

 星屑だなんて、誰が言ったのだろう。

 

「杏、山……カズサ……私…………」

 

 何かを言おうとして、その口からゴポリと血の塊が溢れ出る。

 半ばから体が千切る。

 止まらない血が広がっていく。

 自らの生み出した血の池の上、レイサは倒れた。

 

〇

 

 私の中にあなたがいて。

 あなたの中に私がいて。

 それでも私が私でなくなったのなら。

 

 私は本当にここにいますか?

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