どうにも話が複雑になってくると筆の進みが遅くなり……掌編を挟むと言っていましたが本編です。掌編はこの後になるかと思います。
ようやく、レイサとカズサの話に戻ってこれそうです。
切り替わる
その度この身体に流れ込む未来。
首に繋がる鎖。雨に濡れる滑り台。冷えた夜空。舌を出し媚びる優しかったあの子。乱暴に体をまさぐる大人の手。心臓。動かなくなった調停委員の腕。曇天を仰ぐ血濡れた杭。泣き叫ぶ狐。銃口を向ける黒猫。廃墟になった街角。片目の兎。表情の欠落した兎。狂った笑みで軍帽を投げる狂姫。憎悪の瞳。突き出される手。荒廃した都市。星空。炎。最後の願い。
──瞬く。
◯
「レイサ!!レイサぁ!!」
黒い視界の向こうで誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。なんだか、とても寒い。
「穴、血がぁっ……こんな、体……塞がらない……!!なんで、なんであんたが……っ!!
これじゃあ、私──っ、なんのために────っ!」
引きつった悲痛な声。
誰だっけ──なんて。冗談ですよ。
忘れるわけがない。それだけは忘れるはずがない。
ぼんやりとした自己。途切れかけた意識の中で声の方へと手を伸ばす。
いつも苦しそうな彼女のために。泣きそうな彼女のために。
いつかしたように安心させようと。
頭を──
大丈夫。大丈夫ですよ、杏山カズサ。
あぁでも、何が……、誰が大丈夫なんだろうか。なんで安心させたいんだろうか。
それすら上手く思い出せない。
◯
嘆く声が聞こえた。苦しむ呻き声が聞こえた。喘ぐ嬌声が聞こえた。嘲る哄笑が聞こえた。
憎悪の赤、悦楽の青、失意の緑、狂乱の白、退廃の黄。嫉妬の紫。
星が、数多の星が瞬いている。色彩は激しさを増し、残響は重なり厚くなる。
グルグルと世界は回る。星は不規則に巡り体を通り過ぎ、また彼方で輝く。上下左右のわからぬ星の海。落ちてるか飛んでるかもわからない私は星屑。
立つことも倒れることもできはしない。ただもがいて溺れるだけ。
星から伸びる黒い手が私を染める。居場所も、自分も、名も染めつくす黒。やがて黒い手は私の体からも幾重にも湧き上がる。
星の灯は私に手を伸ばし、私も星たちへ手を伸ばした。
そうして星空は完成する。
ハレに名前を呼ばれたあの時から、何度も繰り返した感覚だ。
世界が裏返る。自分のすべてがかき混ぜられて、溶け合って、作り変えられるような追憶。
その度に宇沢レイサの体は星屑に染まり馴染んでいく。お前は星屑なのだと突きつけられる。星屑は宇沢レイサなのだと。
私は星屑になっていく。
いつからだろうか。
私はいつからこんなものになっていたのだろう。こんな景色を見ているのだろう。
星屑の記憶を思う。
はじめは違ったはずだ。ひどい目にあった。人格を否定された。価値観も倫理観も捨てさせられた。けれど──ただ、それだけの少し哀れな少女であったはずだ。
宇沢レイサはただの不幸な生徒だった。それだけだった。
振り返ればもう自分のはじまりなんて星の海に呑まれて消えて。その向こう、不幸でなかった少女がどんなであったかなんて欠片も残ってやしないけれど。
こんな歪で醜く恐ろしいものではなかったはずだ。世界をどうこうするなんて、そんな大それたものではなかったはずだ。大きな学園のその片隅を駆け回る、少し思い込みが激しくて空回りの多い、そのくらいが特徴のごく普通の生徒でしかなかったはずだ。
そのはずなのに──いつからか、私は願いを叶え滅びを呼ぶ星屑となっていた。
◯
『今、宇沢レイサはミレニアムで用意した特別房に収容中だよ。各種センサーでの監視を続け異変がないか常にモニターして動きがあれば直ぐに対応できる状態だ』
プカプカと浮かぶ丸いドローンからそう説明を受けたのはミレニアムサイエンススクールの医務室での事だった。
カズサは、イズナにへし折られた左腕の治療を受けていた。隣のベッドでは傷だらけのハルカとムツキが眠っている。アルとカヨコとイオリ、それからモエは先生と共にミレニアムの生徒会と話し合いの最中だろう。SRTの残りメンバーは他の検査室で精密検査中。彼女たちが交戦し、捕らえたというアリウスの生徒は拘束されていると聞いた。
ふと窓の外を見れば建ち並ぶ高層ビルの灯りが整然と並んで見える。トリニティとは異なるミレニアムの夜景だった。
ブラックマーケットでの宇沢レイサと霞沢ミユの捜索は狂い狐・久田イズナとの戦闘、ミユの襲撃を経て目的のレイサを確保という結果に終わった。
ただし、レイサの身体は千切れかけのパンのように大きな穴が開いていたけれど。
光の数を数えながらミレニアムを訪れる直前の事をカズサは思い出した。
「レイサ!!レイサぁ!!!」
瓦礫で均されたブラックマーケットで血まみれのレイサを抱いてカズサは泣き叫んでいた。腹部の半分近くが抉れたレイサの身体はかろうじて繋がってると言っていい状態だ。臓物まで吹き飛び、その奥の骨が微かに見えている。どう見たって助からない傷だ。
周囲を囲むツルギやアルたちも言葉をなくしている。
レイサに投げ飛ばされた際に気を失っていた先生はまだ目を覚まさない。忍術研究会はそんな先生に付き添っている。その中で一人だけ声を発するものがいた。
「無事に星屑を確保できましたね」
ガシャンとコッキングの音。
血まみれのレイサを無感動に見下ろすハルカの姿にその場の全員がぎょっとする。
「それで、どうしますか?このままにはしておけないでしょう。できるなら手足と頭、胴体をバラバラに切り取って遠いところに埋めてしまうのがいいと思いますが……確保というのなら拘束が必要でしょうか。けれどやはり危険なので手足は取り上げてしまうのがいいと思います。あ、それから目を抉りましょう。視覚がなければ動きが鈍ります。逃げられる確率も減るはずです。任せてください。私がやります。いえ、やらせてください。ずっと抉り出してやりたいと思っていたんです。それくらいはいいですよね」
「──ハルカ!!」
アルですら、名前を呼ぶことしかできなかった。
レイサの血で汚れた顔でカズサが顔を上げる。その表情は呆然としている。
「何を呆けた顔をしているんですか?」
「あんたこそ、何を言って……レイサが、レイサが…………!」
「星屑がそんな程度で死ぬと思いますか?」
"そんな"と抉れた腹をあごでしゃくってみせる。その間も彼女は油断なく銃を構えていた。
「レイサは星屑じゃ──!」
「星屑です。戦った私にはわかります。先生を助けたのがどういう目的かは知りませんが、そいつは星屑です。あなたもわかるでしょう、キャスパリーグ?星屑がこの程度であっさり死んでくれるなら私たちはあんなに苦しまなかった。その程度で油断するなんてあなたらしくもない」
「…………っ」
渦を巻く黒い憎悪。許されるなら今ここで瀕死のレイサの身体に銃弾を撃ち込んだだろうとカズサは理解する。執念深く、執拗にこのブラックマーケットを締め上げていった茨。花無しと呼ばれた少女の憎しみをカズサは知っていた。
彼女はアルがレイサの無事を望んでいるという一点で辛うじて今この場を耐えているのだ。
カズサはレイサを庇うように胸の中に抱え込んだ。
"……つまり、レイサは助かる見込みがあるんだね?"
そう聞き返された声にハルカは顔を青くして跳ね上がる。
「せ!せせせせ!?せ、先生!?いつお目覚めに!?」
先程までの鬼気迫る雰囲気はどこへやら、身体を小さくしてアルの背後に隠れてしまう。
生徒たちの人垣を割って現れた先生。その腰にはまるで子猿かなにかのようにピッタリとイズナが抱きついていた。歩きにくそうだが、一応は先生の身体を支えているらしい。
"それなら、急いで病院に──"
真剣な表情で言いかけた先生の言葉をカズサが遮る。
「ミレニアムに!」
"?"
「ミレニアムに連れてかなきゃ……病院につれてくとしても、ミレニアムの病院にして」
"カズサ、けど、レイサは今すぐにでも……!"
こんな話をする時間も惜しいと思っているのだろう。先生の表情に焦りが見える。当然だろう。先生は"星屑"を知らない。
ふと、カズサの頬に触れるものがあった。抱きかかえられているレイサの掌だった。
「だ……ぶ、だい……じょう、きょ…………カズ、ぁ」
頬を撫でられる。
あぁ、もう何もかも投げ捨てたい。レイサを抱えてここから逃げ出して。他の事なんてどうなったっていいから、誰にも見つからない場所に二人で逃げてしまいたい。そんな衝動に襲われる。そんな事を思う自分に、あぁもう本当にダメだなと呆れる。
そんなことずっと未来で気づいていた事だろうに。
もう一度レイサの身体をよく観察する。息は浅い、けれど確かにある。服はボロボロなのに、全身の傷は驚くほど少ない。ほんの少し、抉り取られた身体の穴が小さくなっている様に見えた。血肉が、わずかに蠢いている。傷が巻き戻しのように修復されている。
「……」
泣きたくなる。嬉しいからか悲しいからか。どちらでもよかった。こんなところでカズサは泣かない。泣いていてはいけない。
するべき事をしなければいけない。レイサだけではないのだ。レイサと、日常を取り戻したいのだ。そのために──
「レイサは、大丈夫。心配しないで。このくらいの傷なら多分この子は自分で治す」
言いたくないことを口にする。認めたくないことを認める。ずっと叫んでいたからだろう。少し引きつったように喉がズキリと痛む。
それまで先生の腰にしがみついて黙りこくっていたイズナが、やや気まずそうに先生を見上げてカズサの言葉に同意する。
「その……主殿、凶暴な方のイズナもあの子が星屑なら平気だと思うって言ってます」
"……わかった"
様々な逡巡を飲み込んだ様子で先生は頷いた。
"でも、こっちから向かっても時間がかかる。ミレニアムに連絡して迎えに来てもらえないか聞いてみるね"
「うん、ありがとう。先生」
人の輪を外れ、ミレニアムへ連絡する先生の背中を見てずっと詰まっていた息を吐き出す。
何故だろう、先程までの悲痛な感情が少しだけ拭われたような気がする。状況は決してよくなっていないはずなのに。頬に残る感情が張り詰めていたカズサの感情を緩めていた。
「ひとまずの目的は果たせる……のかな。あ、でもミレニアムにはレイサが自主的に行かなきゃダメなんだっけ……」
頼んだ後で、ツルギとの会話を思い出し少し焦る。
「問題ない。シャーレが間を取り持つなら、その辺りは上手くまとめる……だろう」
直ぐにツルギがその憂いを否定してくれる。本当に、思っていた人柄との違いに戸惑う。
「そう、なんですね……はぁ、始めから先生に頼んでればもうちょっと話がスムーズになってたんだろうなぁ」
「だが、お前は……いや、違うな。お前たちは先生を頼ろうとしなかった。お前に抱えられてる宇沢レイサも、そこのゲヘナ生も、浦和ハナコも……何故だ?」
何故と問う。けれど、この見かけによらず頭のキレる正義実現委員会の委員長はその答えに既に辿り着いているようにカズサには思えた。きっとこれはその答え合わせの様なものなのだろう。
「それは…………、先生に任せればなんとかなるって思えないからじゃないですかね。むしろ、そうやって頼った結果、先生がいなくなることが怖いのかも……」
なんとなく、はっきりと答える気になれずにカズサはそんな風に言葉を濁した。
「そうか」
ただ、ツルギにはそれで充分だったらしい。
「……お前たちを見送ったら、トリニティに戻る」
「えっと、その……色々とありがとうございます」
「正義実現委員会としての正義を行なっただけだ、が……」
「?」
そこで急にツルギの言葉が途切れる。どうしたのだろうと横を見れば、ツルギの顔が真っ赤になって固まっていた。
"ツルギも大変だっただろうに、ありがとうね"
ミレニアムの連絡を終えたのか先生がこちらに戻ってきていた。
「いっ、いえ!わ、私は、私なりにできることをしただけですから」
「!?」
先程までのダウナーな話し方と打って変わったしおらしく甲高い声に開いた口が塞がらなくなる。
"ツルギにはいつも助けてもらってばかりだね。今度また何かお礼をしないと"
「そんな、あくまで職務に沿った行動で……先生にお礼を言われるようなことなんて」
"今はこんな状況だからあまり具体的にどうするかは話せないけど……"
「へぇ!?え、あ!?……なら……えっと、よければ……また、食じ、と、いえ、デ、デデ……デー……」
顔がどんどん赤くなっていくが大丈夫なのだろうか。カズサが心配になり出した瞬間、ツルギは決壊した。
「きゃあぁぁああぁあぁああああぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
夜空に咆哮を響かせあらぬ方向へ吹き飛んでいく。
思っていた人柄との違いに戸惑う。
"ツルギが元気そうでよかった。食事って言ってたし前みたいにレストランに連れていってあげるのがいいのかなぁ"
「あ……主殿!主殿!イズナも主殿とお食事に行きたいです!」
"それじゃあ、この件が無事に解決したら百鬼夜行のお店でご飯食べようか"
「はい!イズナ夜に美味しいお魚の出るお店を知ってるんです!ご案内しますね!にんにん」
ツルギが自主的に星になるその横で、カズサの腕をへし折りやがった狐が腰に抱きついたままちゃっかり自分もディナーの約束を取り付けていた。というか先程からピッタリとくっついて一向に離れる気配がない。なんとうか彼女の周囲に飛び散る♡マークの幻覚を見そうになる。大きな尻尾が楽しそうに揺れていて、その向こうで彼女と同じ部活とおぼしき二人が呆れたような、どこかホッとしたような苦笑を浮かべていた。
いや、別にいいのだけれど。どうしようもない状態だったのはわかってるし、多分今は先生の事で頭がいっぱいだろうし、別にどうこう言うつもりはないのだけれど。なんだろうこの釈然としないもの。
ちょっと人を外れかけた顔で叫んでいた数分前との温度差だろうか。
決して安心なんでできる状態じゃないのに、なんだか気が抜けてしまう。
「こういうの、なんなんだろうね、レイサ。あの頃の私たちにはなかった……きっとあの未来では私たちが失ったもの」
血の気の失せた顔で浅い息を吐くレイサの頬をそっと撫でる。
こんなに近くで触れられるのに、何故かレイサが遠い気がして、慎重に丁寧に身体を抱き寄せた。
わずかでも側にいると気づいてもらえるように。
レイサもここにいるのだと確信できるように。
ミレニアムのヘリのライトがカズサたちを照らしたのはそれから少ししての事だった。
◯
流れ出る血の代わりに鮮明になる記憶が私を星屑と自覚させる。
思い出したくなどない。けれど、どれだけ懇願しようと泣き叫ぼうとも無意味なのだと知った私はただその記憶を受け入れることしかできなかった。
いや、今回も泣いて懇願して許しは乞うた。でも、結果は何も変わらない。だから語る意味もない。
ただ私は思い出す。
それはブラックマーケットのとある資産家の下で飼われていた時のことだった。
彼は私を見せびらかす為のペットと同時に便利なヒットマンとして使っていた。
「ほら、星屑!もっと腰振って見せろ!お客様にお前がどれだけ色狂いか見せてやれ!」
円形の小さな舞台の上、淫らに飾りつけられた体で踊ってみせる。しなを作り、腰をくねらせ、尻に指を這わせて。秘部を自ら開いてその中身を見せつける。自分で言うのも何だがまるで似合わないと思う。だが、彼らはそれが楽しいのだという。その気になれば女になんて困らないだろうに、どうしてか彼らはこういう見世物が大好きなのだ。
けれど求められることは幸せだ。貪られるという事はそうするだけの意味を認められたという事なのだから。例えそれが使い捨ての道具や手近な代替品なのだとしても。
奉仕する悦びに変わりはない。
「次はこっちだ!その貧相な体でお客様も満足させてやれ」
舞台を下りる。言われたとおりに跪き、ゲストの股の間に顔を埋める。興奮でそそり立つそれに小さな舌を這わせて丁寧に愛撫する。
彼らはよく私を嘲る。薄い胸、みすぼらしい体型、ガキ臭い。嘲って、笑いながら犯す。罵倒もまた与えていただいているものだ。だから感謝して受け取り彼らに尽くす。それは私の生き方として当然のものとなっていた。そうある事が心地よく感じる心になっていた。私は所有されるもので、好きに使われるものだった。欲望に壊されるのなら、それは幸せだった。
「おい、あちらのお客様がお持ち帰りをご希望だ。──星屑、"うまくやれ"」
この時のご主人様は私を散々に下品に媚びさせて愉快な見世物にした後で、油断した相手に私をあてがってベッドの上で殺させた。
暴力性に任せた一夜が明けて、眠る男の頭に私は銃弾を撃ち込む。一発二発では殺せない。死ぬまで何度もだ。私の首や腕は痣塗れだが、これは昨晩に私で遊んだ時のもの、ご主人様からいただいた愛された証だ。この人は首を絞めながらするのが特に好きだった。そうやって存分に楽しんでもらった後で、私は仮初めのご主人様の命を奪う。
命令されれば何でもやる私は、意識することもなくあっさりと、殺人も平気でこなすようになっていた。いや、ここに来る以前から人を殺す事に散々協力していた。今更だ。
後戻りできる余地などとっくの昔に自分でなくしていた。
「いい報告が聞けた、いい子だ星屑」
バチン、と音が鳴る。私の身体に穴を空ける音。仕事を一つ達成するごとに増えていくピアス。所有物の証。痛みと快楽に私は感謝を態度で伝える。散々に貪られた身体で、ご主人様に奉仕する。ご主人様は私の顔を汚すのが好きだった。
しみる傷跡も幸せに変え、私は奴隷の笑みを浮かべる。
今日もご主人様に喜んでもらうことができた。幸せだ。
「褒美にしばらくは休みをやろう」
従順な私を気に入ってくれていたのか、仕事がない時は鎖に繋がれることもなく自由にさせてもらっていた。彼は私の歴代の"ご主人様"の中でも相当私に甘い人だった。
服を着替え、髪を結い──普段はおろしている、その方が客受けがいいのだ──これだけは変わらぬ
この頃の私は杏山カズサとの繋がりを壊すためにそれを取り巻く世界を壊すのだと、そういう明確な目的を見出したばかりであった。目的に向かってとにかく試行錯誤する段階だった。だから、自由な時間が与えられるのはありがたかった。
いくつかの練習や実験を経て、まずはあの温かなスイーツ部で行なったように、ひとつの学園を壊すことから始めるのがいいという考えに至った。
そのための下準備にこの社会の底はもってこいだった。人を堕落させるものには事欠かないのだから。
ただ、準備は遅々とした進みで、私は少し焦っていたと思う。早く、早く人を、都市を、世界を壊して、今度こそ杏山カズサを──そう思っているのに。現実には今も空は青く、人々は当たり前に日々を暮らしていた。銃声も爆音も日常の中。
こんな世界ではきっと私の願いは叶わない。
使われることは幸せだ。快楽も苦痛も与えられることに感謝する。それでも私はこの世界が息苦しかった。早く壊しつくして、そして、もう一度杏山カズサと向き合いたかった。
世界を壊せない自分が嫌いで、だから欲望で自分を壊そうとするご主人様たちが尚更に愛おしかった。
と、後から振り返ればそんな心境だったように思える。
学園を壊すことに中々着手できない最大の障害ははっきりしていた。
どう考えても途中で"あの人"が立ち塞がることになる。そしてそうなってしまえば、きっと自分に勝ち目はない。それはぼんやりと、けれど間違いのない確信だった。
だから、どうにか遭遇しない筋道を考えて、いつも行き詰まる。
いや、一つか二つの小さな学園を壊すところまでは気づかれずに進めるかもしれない。けれど、やはりそれ以上先を考えた時に必ずどこかで敵対することになってしまうだろう。そしてそこで私の目的は阻まれる。
先にどうにかする必要があった。
"あの人"もまた、自分にとって代えがたい大切な存在だ。できることなら丁寧に壊したい。
けれど、それはとても難しいことだった。かつてのようにシャーレを自由に出入りできていたなら話は違うかもしれないけれど、今の私は既に危険人物扱いだろう。近づく事も難しい。キヴォトスから追い出す。順当に今の立場を辞めてもらう。そういった手段も考えてみる。だが、どれも上手くいく気がしない。
だから、やっぱり純粋な暴力しか残されていないと思った。
それくらいしかなかった。
そういう準備を始めた。
私は少し焦っていた。
その日も準備のためにブラックマーケットを歩き回りご主人様のもとへ帰ると、怪しい風体の見慣れない大人がいた。ご主人様はお客様を迎えることが多かったので、そういった相手の一人かと思った。ご主人様がペコペコと頭を下げているのが印象的だった。
躾けられた作法で挨拶をする。人によってはその時点でギラギラとした欲望の視線を私に向けてくる。その視線に私は体を火照らせる。だが、彼は少し違った。
その大人は何か値踏みするような視線で私を睨めつけ、覆い被さるようにして跪く私にこう囁いた。
「お前か、シャーレの襲撃を計画しているのは」
この後も多くの人間に追われ、探られ、追い詰められることはあったけれど。ここまで不意打ちに驚いたのはこの時くらいだろう。頭が真っ白になって、慌てて、困って。けれど今更無意味と悟って聞き返すことにした。
「私に何かお望みですか?」
その日、私は悪いことを考える人間というのはたくさんいて、私以外にもキヴォトスを滅茶苦茶にしたい人も案外いるものなのだという事を学んだ。
結論から言ってしまえば、彼は計画を手伝いたいらしい。
私をご主人様から"レンタル"した彼は、自分の事務所だというオフィスに私を連れて行くと、今の計画の穴をひとつひとつ指摘しどうすべきかという意見を述べた。抱き込むべき勢力、狙うべき時間。私の知らない"あの人"の秘密。そういったものを教えてくれた。
不思議な大人だった。何故そんなにも多くの知識を持ち、何故私に協力してくれるのか。
そう問いかけると彼は表情のわからない顔で言った。
自分では同じ事をしても届かない。けれど私には可能性がある。これはいわば実験で、成功失敗にかかわらずどのような結果が得られるのかが見たいのだ。
そんなことをつらつらと。意味のわからない単語や曖昧な言い回しも多くて、正直なところ話の半分も理解できなかったと思う。
それでも私はその申し出を受けることにした。彼が指摘した穴は的確で、私一人でどうにかしようと思えば更に時間をかける必要があったからだ。ただ、私にはこの体以外に差し出せるものがなかった。この体の所有者は今はご主人様だ。
どうすればいいか聞いた私にその大人はこう言った。
「なら、襲撃時にシャーレにいた生徒の身体をもらいたい。生きていても死んでいてもいい」
それは別に私が支払うようなものでは無いと思うけれど。私はそれでいいというのなら、と頷いた。契約成立だとその大人は笑った。とびきりの悪意に思えた。けれど私にとってそれはどうでもいいことだった。
彼の協力により、それまで遅々とした私の準備は一気に加速した。資金、伝手、知識、それ以外にも色々と。大人というのは凄いのだなと思った。そして、何か大きな事をするならこういう力が必要不可欠なのだと学んだ。
あっという間に襲撃の日が来た。
その日は晴天だった。
シャーレから少し離れたいくつかの地点で事件を起こし、ヴァルキューレやSRTの目をそちらに向けた。それから直ぐにこの日のために雇った傭兵たちがシャーレの襲撃を実行した。"あの人"が前に出られないようにできるだけ広範囲に破壊をまき散らす高火力の装備を持たせて、やれるだけ派手に建物を壊していってもらった。階と階を分断するように行動してもらう。なるべく多くの生徒を"あの人"の指揮から分断する。
当番や偶々シャーレを訪れていた生徒たちが必死で抵抗して、そして倒れていく。当日にシャーレにいるであろう生徒は先にあたりをつけていた。彼女らを問題なく制圧できる暴力が用意されていた。物量と火力はシンプルで絶対的だ。けれど、同時にそれをどこかでひっくり返し兼ねないのが"あの人"だった。
「先生」
だから、最後は私が終わらせるべきなのだとあの大人は言っていた。
私も最初からそのつもりだった。この役を他の誰かに任せる気は初めからなかった。
生徒たちと共に屋上へ撤退する途中、ピンクの髪の、救護騎士団の先輩が他の生徒を助けに飛び出して爆風に飲まれた直後だった。もう周囲には誰もいない。そうなるように少しずつ周りを引きはがしていった。
私にはあまり見覚えのない、血や埃に汚れ必死で難しい顔。きっとそうやって何度も生徒を助けてきた。そんな先生にかつて私も助けてもらった。他の大きな事件に比べればささやかだろうけれど。私にとってはとても大きくて、とても大切な思い出。
こんな私の話を笑わずに聞いてくれて、空回るばかりの私に呆れるのではなくどうすればいいのか教えてくれた。杏山カズサに忘れたいと言われて、自分でも何が悲しいのかわからなかった私に寄り添ってくれた。一緒にトリニティを歩き回って、パトロールをする私を心配して駆けつけてくれて。人と上手く噛み合わなくて、良かれと思った事の多くが余計なお世話で、本当にしたいことを自分にも人にも伝えるのが下手な私の事をわかってくれた。
寂しいとき、辛いとき、嬉しいとき、その気持ちを教えてくれた。
胸が温かくなる。
その想いと共に、先生に抱きついた。
突発的かつその場で対処しきれない暴力で場を混乱させ、先生を孤立させる。一人になった先生を、逃走ルートを予想し潜んでいた私が襲う。
やったことはとてもシンプルだ。
先生は驚いただろう。最後に先生と顔をあわせてからもう一年は経っていたのではないだろうか。その間、先生は私の事を思い出してくれただろうか。心配など、してくれたのだろうか。してくれたのだろう。ひどい話だけれど、そんな確信が心を温める。
先生は驚きと戸惑いの混ざった声で私の名前を呼んだ。
"レイサ……?"
その声が限界だった。
"──────っ!?"
お腹の上。骨と骨の隙間。
相手の服の下に手を滑り込ませるのは慣れた動作だった。先生の少しざらついた肌にトクンと心臓が高鳴る。そのまま身体を重ねたい欲望がなかったといえば嘘になるけれど。
指先に触れた素肌に思い切り手を突き込んだ。
あの大人は私たちにそれが可能だと言った。
「何故できないと思う?お前たちの腕力で、強度で、先生の身体を引き裂けない訳がない。思い込んでいるだけだ。そんなことはしない、できないと。だが、本当にそうだろうか?」
ブツンと表皮が千切れる感覚と共に、先生の温かな身体の中に私の手が潜り込む。柔らかな生の手触り。
濡れる指先。血の伝う腕。途端に、それらがゴキリボキリと不思議な力で捻子折られる。まるで先生に触れることを罰とでもいうように、見えない何かが私の身体を壊そうとする。だが、遅すぎる。ほとんど感覚を失った私の手が脈動する肉と臓器、固い骨を掻き分けて、先生の一番大切な場所に触れる。先生の"ここ"に触れたのは私が初めてだろう。そう思うと仄暗い満足感がふつふつと沸き上がってくる。
腕だけでなく、身体中が潰されそうな強い力を感じ、けれど私は私の中の何かでそれに抵抗していた。
『やめて!!』
そんな悲鳴が聞こえた気がした。
あぁでも、ごめんなさい。そんなの無理です。だって私は今こんなにも幸せを感じている。この幸せを手放すなんて考えられない。先生の鼓動が私の指先から流れ込み私の鼓動となる。熱く、張りのある手触りが私に恍惚を与えてくれる。今私と先生は一つに溶け合っている。私の腕を包み込む先生の血肉が私を蕩けさせ、もっともっととその先を要求する。先生が血に混じって何かを言っている。残念だけれど、私には聞こえない。けれどもっと深い先生の芯に私は触れているのだ。きっとそれで充分。そう、これで。
──先生の心臓を力任せに引き抜いた。
大きく吹きだした先生の血が私の身体を真っ赤に染めた。まるで先生に抱きしめられている様。温かくて、ドキドキして、でも安心する。あの月と星と空の様にこの光景はとても美しい。だから私も先生の心臓を抱きしめ返す。終わってしまう寂しさと、壊れてしまう幸いに包まれて。
グシャリ、と。
チカチカと、私の頭の天辺で光が瞬いていた。訳もわからず涙が流れた。私の手の中で先生が終わったのだという歓喜。身体がビクンビクンと痙攣している。空が、青い空がぐるぐると回っている。世界が遠い。ただ、私は私だけがここにいた。空の端に星が見えた。とても大切な光がフッと消えた。
「あーー、ぁーーー、ぁーーぁあーーーーぁ、あーーーーーあーーーーーーーーーー」
時間にしてみれば一瞬だっただろう。私は永遠に近い恍惚に身を浸していた。
足下を見下ろせば胸にぽっかり穴の開いた先生が倒れていた。息はない。当たり前だった。見開かれた目が可哀想で、目蓋を落とす。
誰が見ても先生は死んでいるのだとわかるように先生を飾りつける。後は誰かに見つけてもらってください。そう囁いて、血の気の失せた先生の頬にこっそりと口づけをした。チョロチョロと何かが股の間から零れた。耐えきれず失禁していた。先生の前で、恥ずかしい。
時間を確認する。もう少し余裕があった。
私はシャーレ内を歩き、まだ回収されていない生徒たちの姿を一人一人確認していく。知らない顔も見知った顔もあった。まだあどけない一年生らしき姿もあった。もし私がまだ学校に通っていたなら彼女たちは後輩になったのだろうか。なんだか信じられない気持ちだ。 そんな生徒たちに事前に用意してもらっていた毒を打ち込んでいく。
神経を麻痺させ呼吸を止めるものだ。本来は先生を追い詰めるための武器の一つであった。
直ぐに処置されれば助かるかも知れないが、彼女らが回収される頃にはきっと息を引き取っているのではないだろうか。はっきりしたことはわからないけれど。
あまり深い意味はなかった。ただ、先生を守る為に戦った彼女たちは先生と一緒に死ぬのがいいように思えた。最後の一人に毒を打ち終える頃回収班が到着した。約束通り生徒の身体はこちらでもらい受けると。私は確認した生徒たちの位置を伝えてシャーレから外に出る。
周辺でも事件を起こすなど妨害工作は念入りにしていたので、まだあまり人は集まっていない。やはり大きな力を持つ大人のバックアップというのはすごい。きっと一人ではこの襲撃は成功しなかっただろう。
銃撃も爆音もキヴォトスでは日常だ。火の手は他の場所でも上がっている。幾条もの煙がD.U.の空にたなびいていた。それでもシャーレが襲撃されたのだ。直ぐに人が集まってくるだろう。
先生を失ったと知ったときキヴォトスの生徒たちはどんな顔をするのだろう。あの、スイーツ部のメンバーはどんな顔で泣くのだろう。杏山カズサはどんな表情を私に向けてくれるのだろうか。
気づけばそんな事ばかり考えていた。
私の中で何かがまた変わった気がした。
それと引き替えに、私は願いに向けて一歩前進した。
〇
ミレニアムらしい、コードなどが巻きついた不思議な形状のギプスに覆われた自分の腕を見る。痛みはないし、比較的自由に動かせる。何やらランプが点灯していて、ビームでも撃てそうなデザインだ。
処置の終えられた腕から視線を上げ、先程から自分に色々と話しかけてくる丸っこいドローンに問いかける。こちらはコードや基盤の様なものが見え隠れしていて継ぎ接ぎのような印象を受ける。
「それで、あなたは?」
『私の名前は小鈎ハレ。今あなたの目の前にいるのはアテナ2.5号』
「小鈎……ハレ……!」
その名前には聞き覚えがあった。つい最近、今日のことだ。レイサが起こした事件の被害者。かつて未来でも星屑に陵辱された憐れな犠牲者。
レイサが彼女に乱暴を働いたことが今の事件の発端で、トリニティかゲヘナかミレニアムかどこにレイサを連れて行くかなんて話になったのだ。レイサの被害者。レイサが償うべき相手。
行動を共にしていたカズサに恨み言でも言いに来たのだろうか。
『ドローン越しでごめんね。けど、今の私は自分でも自分の精神が信用できないんだ。下手に人と顔をあわせておかしくなるのが怖くてね。特に、宇沢レイサには』
そんな風に言ってクツクツ笑う彼女になんと言葉を返せばいいのかわからない。笑っていいのだろうか。それとも謝った方がいいのだろうか。少なくとも、こうして会話ができるくらいには元気であるというのは確からしい。
かなり悲惨な状態だったと伝え聞いていたが──。
『キャスパリーグの名前は私も知っている。あなたとも色々と話してみたいとは思っていたけれど、今はちょっと時間が惜しい。さっさと本題に入ろう。今、セミナーやゲヘナの風紀委員と先生たちは政治絡みの面倒な会話をしてる。宇沢レイサの処遇なんかも絡むだろうからあなたも気にはなるだろうけれど、そういった話は一旦彼女たちに任せて、あなたにはあなたのできることをして欲しい』
「あの、急にそんなことを言われても何の話か全然わからないんですけど」
ミレニアムの生徒というのは誰もこんななのだろうか。話の前提がわからない。「できることをして欲しい」なんて。それはもちろんそのつもりだが、急にドローン越しにそんな事を言われても戸惑うことしかできない。
『ごめんなさい。ちょっと色々と平行して処理してるせいであなたにどこまで話しているのかがごっちゃになっていたみたい』
ドローン、アテナ2.5号がフラフラと揺れる。何かの感情表現だろうか。こちらもよくわからない。なんとなく上手く噛み合わない感覚。機械越しだからだろうか。
『えぇっと、まずは……そう、今キヴォトス各地で起きている未来の記憶を思い出す現象は把握してる?』
「それは、流石に。レイサだってそれでひどい事に──そこで寝てるハルカとか、ミユとかも」
『それにあなたや私もね』
「……」
カズサ自身についていうと状況が違っている様に思えた。少なくとも未来と現在がこんがらがることはない。そもそもカズサは星屑に願う事でこの時間に戻ってきた。その弊害が今起きている事件である可能性は否定できないが──未来の記憶に齟齬があることからやはり少し違うように思える。
この事件の中でカズサの未来の記憶だけは似て非なるものだった。ただ、それを今どうこう言っても話が混乱するだけに思えた。なにより──
「あなたも?けれど、あなたの未来は──」
ハレに未来の記憶があるというのは初耳だ。そしてそれが事実なら同情してしまう。カズサの記憶とズレていなければハレの末路はあまりに悲惨だ。あのイズナも大概ではあったが、それ以上に今ハレがこうして話をできていることが奇跡のように思えた。
『うん、まあ、現状なんとか折り合いをつけてるから気にしなくていいよ』
「……わかりました」
本人からしてみれば下手に同情されたって不快なだけだろう。
カズサは一旦ハレの未来の事は置いておくことにした。
『それで、私は自分のこの状態が異常だと認識している。キヴォトス各地で問題を起こしている生徒たちも私と同じ状態だというなら、これはある種の"病気"だろうと考えた』
「病気……なるほど」
言い得て妙だと思った。
カズサが感じていた他の未来の記憶の所持者と自分との違い。現在の記憶と未来の記憶が渾然となり時折自分がどちらにいるのかわからなくなること。未来の強い感情に引きずられて、現在の自分を見失うこと。
考えてみればカズサには無縁で当然だった。カズサは一貫して未来を生きたカズサなのだ。もう一つの時間で様々な苦悩を覚え、多くを失い戦い続けた果て、自ら選択してこの時代に戻ってきた。カズサは、言ってしまえば根本からこの時代のカズサではない。そういう意味ではカズサ自身がこの世界の異物かも知れない。
一方で、現在の自分に唐突に別の記憶を押し付けられたレイサたち。彼女たちには本来人を殺したり、暴行を受けたり、大切な人が死ぬような経験は存在しなかった。ある日その記憶を突然押し付けられたような状態だ。混乱もするしおかしくだってなるだろう。
存在しないはずの記憶に侵食されているようなものだ。
「……」
『病には原因がある。それはウイルスだったり、寄生生物だったり、身体の免疫機能の過剰反応だったり、身体的な損傷や遺伝子の異常だったり様々だけれど、何か原因があってそれが問題──症状を引き起こす。今、この"病気"を引き起こしているのは私たちのヘイローを汚染している未来の記憶。それをつかさどる"何か"。そこまでは私は自分の身体で特定した』
「特定……っていうことは、治せるの!?」
大きく目を見開く。ミレニアムに身を寄せたのはあくまでもレイサの身の安全を考えての事だった。だが、ここで今のレイサの状態を、即ち星屑になろうとしているレイサを元通りにする手段があるというのならそれは望外の幸運だ。
あまりにも都合がいいとも思えたけれど、だからといって頭から疑ってかかるものでもないように思えた。というより他に手段がないのだ。話だけでも聞いてみる価値はあるだろう。
『治せる、ようにするつもりで今専用の治療器具の開発を行なっている。けれど、足りないものがある』
「それが……」
『そう、それがあなたにできること。あなたにしかできないこと』
ドローンから聞こえる声のトーンは変わらない。けれど、そこに込められた重みがずしりとのし掛かるような錯覚を覚えた。
「私にだけ?」
『ヘイローを汚染する未来の記憶──病気の元を明確に定義する為にできるだけ長く複雑な未来の記憶の情報が欲しい』
「……」
なんとなく、何を言われるか理解した。
『私が知るかぎり、それにミレニアムの調査資料を調べても、最も長い未来の記憶を持っているのは星屑──宇沢レイサ』
ドローンの表情は変わらない。聞こえる声も同じ。
けれど、その向こうにいるハレの緊張をカズサは感じ取った。
『彼女の精神にダイブして、星屑の記憶を入手して欲しい。それが私があなたにお願いしたい事』
◯
ふと視線を落とす。
満点の星空はどこへやら、いつからか赤黒渦巻く血肉の中に立っていた。
ブヨブヨと醜い肉塊が四方を覆う。ぬらぬらと濡れ、コポリコポリとあわぶくなにか。
憎悪の血、悦楽の肉、失意の香り、狂乱の熱、退廃の粘液。嫉妬の鼓動。本質は変わらない。ただ、美しい星空から醜悪な肉の海に装いを変えただけ。起きていることは同じだ。
足をとられる。身体が揺れる。
だが、倒れることはない。私の体は縛り付けられているから。
血肉の塊は蔦の様に私に絡みつき、体を嬲り快楽を与える。あるいは締め付け痛みを与える。どろりとして、けれど確かに形がある。
足の指の間をくすぐる。膝裏を吸い、内腿を撫でる。腰を濡らし、へその中を舐め取り、肋骨の隙間を丁寧になぞる。胸に張り付き、背筋を伝い、脇を食む。二の腕に絡みつき、肘を捻り、手首より先は呑み込まれている。首筋を幾度も這い上がり、下顎を引き下げ、耳裏を舐り、頬の裏を抓り、歯茎を擦る。
体中に絡みつき、私の中と外を出入りする。まるでこの体は自分たちのものだとでもいうように。
その度に私の意思とは関係なしに私は悦び"それら"を慈しむ。
私に触れる"それら"を愛し、私に入る"それら"に感謝し、私を出ていく"それら"を惜しんだ。
そこにあるのはただ、この血肉の渦の一部。人の形を模したなにか。
「ん……っ♡はぁ、んっ♡……くっ♡…………あぁっ♡♡♡」
ジュグリとひときわ力強く肉の触手が私の膣内を搔き回す。この血肉の中で私に与えられた役割は楽しませること、喘ぐこと、奉仕すること、虐められること。願い、祈り。
それから、孕むこと。
快楽に身体を揺らすのに従って大きく突き出たお腹が跳ねる。その中で何かが身じろぎをしている。その動きが子宮を刺激し、私の官能を高めていく。私を絡め取る血肉と同じように、胎の中のこの子もまた私を犯す為に存在している。
子宮の中で勝手気ままに動き回る。表面をひっかき、内から蹴りつけ、時には卵管を抉り縛り私を喘がせる。もっと、もっと声を上げろとでも言うように。
「やっ♡あぁっ♡あっ♡♡あぁ♡ん♡♡♡やぁあ♡♡♡」
子宮の中からの調教で身体が跳ねれば、今度は負けじと私を貫き続けている二本の肉の触手が動きを早める。前と後ろの穴に刺さったままの二本の剛直は表面を波打たせ自在に形を変化させながら絶え間なく刺激を与え続けていた。かえしのように飛び出た突起が乱暴に私の内側を抉る。ドリルのように螺旋の凹凸が強引に私の形を捻り変える。本来なら痛みの方が強いだろうそんな刺激にすら潮を吹いて応えてしまう。時折、ブシュリブシュリと腹の中にドロドロとしたものがぶちまけられる。粘度の高いそれらはじんわりと内壁に染みこみ、私を侵し感覚は狂い続ける。だが、その程度で触手の動きは終わらない。
自らが吐き出したそれを潤滑油として更に動きを早めていく。
その度私の身体かがらはジュポリグポリと粘液を泡立てるような卑猥な音が鳴り響いて嬌声に混ざる。
蠢く血肉たちから視線を感じる。嬉しそうに、楽しそうに。幸せそうに。もっともっとと欲する視線を感じ取る。身体中の血肉は私をより激しく責め立て、お腹の中の子は子袋越しに私の内臓たちを愛撫する。二本の触手は表面をごつごつとした凶悪なものに変え、更に伸びてきた細い触手は尿口に、上から垂れてきた触手は私の喉奥まで侵入する。
「んごっ♡おぼっ♡お゛っ♡♡お゛ぉ゛っ♡♡♡んぉ゛っ♡♡♡」
もう声も上げられない。膀胱の中にひどく熱い液体を注ぎ込まれ、胃の中に生臭い欲望の汁が溢れる。
溺れる私を満足そうに視線たちが這う。
そうして私はこの肉の渦と無限に溶け合っていく。
私が星屑である限り。私が宇沢レイサである限り。この世界が存在する限り。
永遠に。犯される。壊される。願われる。
常しえに。
〇
星屑はとっくに宇沢レイサなどではない。
だってそうだろう。パトロールなんてしないしトリニティの籍も抹消された。正義の使者なんて名乗れるはずもないし、誰かを助けることもない。趣味など忘れ、友達を裏切り、破滅に悦び、人を誑かす。体中を淫らに飾り立てられ、卑屈に笑う。
こんなものが、宇沢レイサと同一人物であるものか。
なのに星屑は今も宇沢レイサと名乗っていた。宇沢レイサの延長線上に存在し、今宇沢レイサは星屑になっている。
こんなにも違うもののはずなのに。
今も星屑は宇沢レイサで、宇沢レイサは星屑になろうとしていた。
全くの別物に成り果てて、それでも"宇沢レイサ"である理由。
レイサの絶望の源泉。
星屑の本質。
星屑が自分の事を宇沢レイサだと思う理由。/宇沢レイサが自分の事を星屑だと思う理由。
わかっている。わかっているから自分は星屑であろうとしたのに。
──お前、なんでそんな泣きそうな顔してるんだ?
世界を滅ぼし尽くすまで駆け抜けられたはずの宇沢レイサの何かが悲鳴を上げていた。
〇
「あ、カズサ殿!」
廊下を歩いていると馴染みのない呼ばれ方をされた。
反射的に身構えてしまった身体の緊張を解きながら駆け寄ってきた声の主に応える。
「久田イズナ……さん、だよね」
「イズナとお呼びください!」
少しレイサを思い出させる勢いだ。私とあんまり相性よくなさそうだなぁなどと、レイサとの事を棚に上げてそんな風に思う。
"や、カズサ。医務室にいないからびっくりしたよ"
イズナの直ぐ横を歩いていた先生が挨拶代わりに手を上げる。腰に抱きつくのはようやく止めたらしい。それでもピッタリと張り付くように側に立ってはいるのだけれど。
イズナが暴れ出す可能性を考えたらこれくらいは安いもの、という判断なのかもしれない。
「腕はこれで大丈夫らしいし、あそこでじっとしてるのも落ち着かなくてね」
言いながら、妙に格好いい腕のギプスを振ってみせる。
「申し訳ありませんでした!」
「へ?」
その途端、突然イズナが直角に頭を下げた。あまりに急な事で露わになった狐耳の裏側をマジマジと眺めることしかできない。
「イズナのせいで、カズサ殿にそんなケガをおわせてしまって……それに、自分ではどうしようもなかったあんな状態のイズナを止めてくださいました。本当に、ごめんなさい」
「え、あ、あぁ……」
正直な所、それについてはまったく気にしていなかったので言葉にもならない中途半端な答えしか口にできなかった。
"今、イズナと二人で迷惑をかけた人たちに謝りに回ってるんだ"
中々状況を咀嚼できないカズサに横から先生が補足をいれる。
「そういうことか。頭を上げて、気にしなくていいから。この程度の傷、怒るほどのものじゃないってあんたならわかるでしょ?別に殺されたわけでもない」
「ですが、一歩間違えれば……」
「間違えなかったんだからいいの。間違えるのなんて……あの未来だけで充分なんだから。それより、あんたこそもう大丈夫なの?」
「……」
「何?」
「い、いえ、カズサ殿は未来の記憶があっても、とてもしっかりされているなぁと。思い返せば悪名ばかりの私たちと違ってキャスパリーグはヒーローの代名詞みたいなものでしたからそれも当然かもしれませんが」
「あんまりその名前は好きじゃないからそっちで呼ばないで……私は、たまたま、あんたたちよりも上手く飲み込めただけだよ」
「フフ、そうなんですね……あなたとこんなに落ち着いて話せるなんて。イズナも大丈夫です、主殿が側にいてくださる限りイズナは主殿の忍びとして二度と醜態はさらしません!」
曇りのないイズナの笑顔が、本当にその通りなのだろうと確信させる。
そんな風に笑えることが、素直に良かったと思う。
「けど、こうして先生が一緒に歩き回ってるって事はセミナーとの話し合いは終わったの?」
気になっていた事を尋ねると先生は頭をかくようにして苦笑いを浮かべる。
"終わった、というよりは少し休憩といった感じかな?"
そうして、手短に話の内容をカズサに話して聞かせてくれた。
〇
「なるほど……レイサさんをミレニアムに連れてくるまでの流れは理解しました」
セミナーの執務室でテーブルを挟んで座るアルやイオリたち相手にセミナー会計の早瀬ユウカが頷いて見せた。
「先生も、ご苦労様です」
"私は殆ど何もできなかったよ。みんながそれぞれに頑張ってくれた結果だよ"
先生は謙遜でもなんでもなく、全くの本心をユウカに語る。生徒たちの身を襲っている状況は看過できるものではない。百鬼夜行で泣き崩れるウミカから聞いた話はあまりにも悲惨の一言に過ぎるものだった。生徒たちが受けていい仕打ちではないし、押し付けられていい記憶でもない。
「この記憶の問題は私たちも少し前から認識し、問題解決の為に動き始めていたところでした。このタイミングでこの事態の中心と目されるレイサさんを保護できたのは僥倖です」
「保護って言っても実質は拘束だろう?ミレニアムの連中に連れていかれてから、こっちは宇沢レイサがどこにいるかもわからないんだぞ」
そう聞き返すゲヘナ風紀委員のイオリをチラリと見てユウカは溜息を吐く。
「認識の相違です。自分でも意図せず暴れてしまうのであれば彼女らが望ましくない暴力や自傷に走らないように措置を行なうことも保護の一環です」
「むぅ……」
"ユウカ──"
何かを言いかけた先生を遮ってイオリの隣に座っていたカヨコが口を開く。
「だとしても、このままこっちに情報を伏せるつもりはないよね?ゲヘナだってミレニアムを信頼して"保護"した宇沢レイサをそちらに預けた。それをこれ幸いにと懐に仕舞い込むほど厚顔無恥ではないと思いたいのだけれど」
抑えた声音で淡々と口にされる挑発に、わずかにユウカの顔がムッとしかめられる。
「ゲヘナがって、彼女を連れてきたのはあなたたちだけじゃないでしょう?SRTやトリニティの生徒だって一緒だったはずです。それをまるで自分たちだけの成果のように話す事こそ厚顔無恥になるのでは──」
タンタンとテーブルを指で叩きながら強弁するユウカに口元を両手で覆うようにしながらカヨコが反論する。
「SRTに最初に協力を要請して支援したのはゲヘナだし、この事態を早期からキヴォトス全体の問題と捉えて動いていたのもゲヘナ。もちろん協力者たちの努力がゲヘナの為のものなんて言うつもりはないけれど、今はゲヘナとミレニアムの間の話でしょう。なら──」
"カヨコもユウカも、ストップ!!"
やや語調が荒くなり出した二人の会話に先生が割って入る。
隅の方でモエが不満そうな顔をしていたのはここからミレニアム対ゲヘナなんて一歩間違えれば大惨事大破局になりそうな言い合いを止められたからだろう。
"カヨコはあまり意地悪な言い方をしないで、今は時間がないんでしょう?"
「一応、落としどころは見据えた上で話を進めてたつもりなんだけど……まぁ、先生の言う通りか」
"ユウカも、相手が不安になってるのはわかってるんだろうから変に隠し立てしないで話してあげて"
「私だって別に意地悪をしようとしたわけではなく、あくまでミレニアムとして……いえ、先生のおっしゃるとおり少し結論まで回り道をしようとしていた事は否定しませんが」
先生相手では言葉を荒げる気になれないのか、二人ともしおらしくその言葉に従う。
元々、協力するつもりがないわけでも情報を伏せるつもりがあるわけでもなかった。
とはいえ、学園の代表である手前下手な約束もできない。まずはお互いの要求と認識の摺り合わせをとカヨコが切り出したのにユウカが乗っかった形ではあったのだが──それに併せて先々の布石を打っておこうという欲がなかったとは言えないが──シャーレが間に入るというなら今回は仲介を丸投げしてしまってもいいだろうと二人は判断した。
「先生の方で取り持ってもらえるならひどいすれ違いは起きないでしょうし」
「私も無理矢理仕事として振られた様なものだし、先生が間に立ってくれるならそれでいいよ」
二人がそう言って引き下がるとそれまで我慢していたアルが声を上げた。
「それより!肝心のレイサの傷の具合はどうなのよ!?」
彼女が心配しているのはあくまでもレイサの安否だった。
学園の利害や、今キヴォトス中で起きている事件も二の次で。アルが元々目指していたのはあの廃居で泣き崩れていたレイサを助ける事なのだから。そういう意味で、彼女はカズサにとって正しく同志でもあった。カズサが話し合いに加わらず大人しく医務室へ向かった理由の大部分で、カズサが思った通りにその役割をアルは果たしていた。
"私もレイサが心配だ"
「えっと……そうですね。現在進行中ですが、彼女をモニターしているデータがこちらで確認できるのでまずは見てもらえれば」
ユウカは端末を操作し、全員に見えるように執務室のスクリーンに目的の画面を表示する。それは宇沢レイサの現在進行形のバイタル情報を取りまとめたものだった。秒単位で少しずつ数値が変動していく。
「少し見づらいかも知れないですが……心拍数や脳波、各器官の働きは正常です。驚くべきは身体の大きな傷ですね。こちらはミレニアム搬送時でも話しに聞いていたより遥かに小さくなっていましたが、その後こちらではわずかな処置しか行なっていないにもかかわらず、三十分足らずで塞がってしまいました。まるで時間が巻き戻るようだと──そういう報告を受けています」
「それじゃあ、死んでしまうことはないのね」
ユウカの説明にアルがホッと息を吐く。
「ただ──」
そんなアルの顔を見てユウカは表情を曇らせ、端末を操作する。
次に表示されたのはレイサのヘイローの状態だった。
「これって……!?」
それは誰が見てもわかる明らかな異常だった。
「これはミレニアムで研究中のヘイローの精密検査機を用いた結果です」
星形のヘイロー。その七割近くが輝きを失い、どす黒く変色していた。それはレイサがどれだけ星屑に侵されているかを端的に伝えてくれる。彼女の苦しみの指標と言い換えることができるかもしれない。
「未来の記憶を得た生徒の中でもここまで明らかにヘイローに異常が見られているのは彼女だけです。ただ、我々はこれが今回の未来の記憶の原因ではないかと推測しています」
「──────っ」
それはキヴォトスの住民にしてみれば下手なスプラッターよりもグロテスクに見える光景かもしれなかった。
"これは、どうにかできそうなのかな"
言葉をなくす生徒に代わって先生がそう問いかける。
「私たちは今回の件をキヴォトスでパンデミックを起こしている病気と考えて対処を進めています。そしてその治療方法を開発している最中です。ハレ、お願いできるかしら?」
ユウカの言葉に、それまでどこに隠れていたのか急造品と思しきコードの剥き出しのドローンが浮かび上がり、ハレの声で話し始めた。
現在、リオ会長の残した技術を掛け合わせ治療のための装置を作製していること。
山海経の錬丹術研究会に連絡を取って協力してもらっていること。
明日の朝までには基本的な部分は完成させるつもりであること。
特に隠しだてするような内容もない。
ミレニアムで進めている情報を丁寧に説明していく。
ただ一点。ハレだけが抱える情報は口を噤んで。
〇
先生から話し合いの大まかなあらましを聞いたカズサは、次の謝罪相手のもとへ向かうというイズナたちと別れ再び廊下を歩き出した。
「……本当に誰にも言ってないんだ」
『そりゃ、言ったら止められることは目に見えてるからね。星屑を直接知らないユウカたちならとも思ったけれど。あのヘイローの状態を見られたらね……止められそう』
「だからって、みんなに黙って私に依頼するなんて」
『そう言いながらあなたも乗り気じゃない』
人に見えないよう右耳に取り付けたマイクスピーカーでハレと言葉を交わす。
先生やイズナにも気づかれずカズサは胸をなで下ろしていた。
「レイサの中で星屑がどういう状態なのかが知りたい。星屑が……何をしたいのかを知らなきゃいけない。レイサの精神に直接潜れるって言うなら願ったり叶ったりだよ」
『精神へダイブすることの危険性はあなたもわかってるよね?』
「一回、経験がある」
『それは心強い』
初めて言葉を交わした際、噛み合わないと感じたはずなのに。軽口は妙に弾む。
そんな調子で会話を続けている内に、ハレの誘導を受けて誰にも気づかれないルートでレイサが収容されている監房に到着した。そこには赤いお団子髪の少女が待ち構えていた。
「あんたは……」
「久しぶりっていうのも変なのかな?」
小塗マキ、かつて未来で一度共に戦った記憶がある。そう、ハレが壊された事件だ。
マキは怒り狂い先頭に立って敵のアジトに殴り込み──あの事件ではマキもカズサも最後はC&Cの先輩たちの犠牲で命を繋いだ。C&Cの犠牲は彼女が原因だったとは思わないけれど、そのことに深くショックを受け呆然としていた様子を覚えている。
その後はミレニアムで人の言葉すら話せなくなったハレの面倒を見ながら過ごしていたはずだ。
「いいんじゃない?変な感じだけど」
強い友情を育んだとは言い難い。長い旅路の中の、立ち寄った場所での一時の知人だ。それでも気のいい奴だった事ははっきりと覚えている。
「これを、ハレ先輩が」
差し出されたのはヘッドギアの様な形状のダイブ装置だった。
「ありがと」
「これでダイブした後、目的の記憶を見つけてあんた自身が触れれば回収完了だって」
「了解」
鍵は開けてあると聞いている。目の前の扉の中へ踏み入ろうとしたカズサの背中にマキの声が飛ぶ。
「あのさ、あたしは星屑の事を絶対に許せない。ハレ先輩はちょっと違うみたいだけど……宇沢レイサも正直助けたいなんて思えない」
「そっか」
わかっていることだ。星屑はそれだけの事をしてきた。ハルカも、マキも。許さないだろうし、許されてはいけないのだろう。
「けど!……誰かが泣くような結末はもう嫌だ。宇沢レイサが死んで、悲しむ誰かがいるなら……腹は立つけど生きていて欲しい」
わずかな沈黙の後「それだけ」と言い残してマキは去って行った。
「……そっか」
彼女は、自分を気遣ってくれたのか。それが申し訳なくて、けれどありがたかった。今より未来、色々と不穏なミレニアムでそれでも冗談を言って笑い合ったマキの顔をふと思い出した。
今度こそカズサはレイサが閉じ込められている一室へと入った。
〇
白い。
真っ白な世界。
地平線もわからない。始まりと終りもわからない。誰もいない。
白い世界に立ち尽くしていたカズサの前に不意に小さな人影が現れた。
背丈はカズサの半分以下。ピカピカのスニーカー。カラフルな髪を二つに結い、丸い帽子を被っている。今よりも小さなリュックを背に担いでいた。
それは幼い宇沢レイサだった。
「こんな所まで来て……物好きですね、あなたは」
幼い子供に似つかわしくない表情で幼いレイサが苦笑する。
「レイサ、なの?」
「さて、どうでしょう?私は宇沢レイサ、なんですかね。───どちらかといえば宇沢レイサの思い出と言うべきなのかもしれません」
寂しそうに幼いレイサは笑う。