今回の掌編が星屑への誕生日プレゼントになれば。
趣味「主殿の護衛」な女の子の一つでも掛け違えがなければこうはならなかっただろう遠い世界での話です。
次回は唐桃の続きになる予定です。
※今回から少し読みやすくなるよう改行や段落分けいれてみました。問題なさそうなら過去のものも順次調整していこうかなと。
その日は晴天だった。
忍術研究部の部室からも青空の向こうで天を突くサンクトゥムタワーがよく見えた。
「イズナちゃ~ん。どどどどうしよう」
「おや、お困りですかツクヨ部長?」
シャーレの当番に向かう直前、パソコンの前で忍術研究部の部長・大野ツクヨが悲鳴を上げていた。大きな体を縮こまらせてワタワタと慌てている姿はかわいらしい。
前部長であるミチルが卒業するにあたって、どちらが忍術研究部の部長をやるかでしばらく揉めた時期もあった。当時はお互いがお互いを部長に推薦し結論は一向に出ず途方に暮れたりもしたが、今となってはいい思い出である。
百鬼夜行連合学院二年生、久田イズナ。
新入部員も加わり賑やかになった忍術研究部のエースは、モモトークでシャーレへの到着が遅れそうなことを先生に伝え、ツクヨの横から画面をのぞき込んだ。
「うぅ……ごめんね、イズナちゃん。今日はシャーレに行く日なのに」
「気にしないでください。主殿もまずは部長の力になってあげるようにとおっしゃっているので」
モモトークの画面を見せながら安心していいと笑いかける。
「ありがとう。あのね、ここの動画なんだけれど……」
ツクヨがカーソルをあわせて指し示したのはミチルの卒業を機に引き継いだ忍術研究部の公式チャンネル、そこに投稿予定の新たな動画の編集画面だった。新入生の忍術を見せる場面へのフェードの設定でおかしな表示になってしまってるらしい。
バグったようにちぐはぐな画面がしばらく続き、それから新入生たちの姿が画面に移る。
「ふむふむ、なるほど」
正直な話、この手の動画編集は去年からミチルを手伝い続け、自分でも日々真面目に勉強しているツクヨの方がずっと詳しい。ただ、彼女はどうにも一度どつぼに嵌ると混乱し、些細な見落としにずっと気づけないままになってしまう事が度々ある。
そういう時、横から誰かが一言指摘することで解決する場合もよくあるのだ。
これまで自分たちを引っ張ってくれていた上級生がいなくなり、部員は増えたが皆下級生。部長であるが故に頼りにされるようにと身構えているからなのかもしれない。部長だから、と意気込んだ結果視野が狭くなってしまうというか。部長をお願いすることになったのだから、そういう時はイズナもできる限りフォローするようにしていた。
それもあってか、ツクヨは今年になってからこうして同学年のイズナにだけ泣きついてくることが多くなっていた。あるいは、甘えているといえるのかもしれない。イズナとしてはなんとなくツクヨとの距離が縮まった気がして悪くない気分だった。
「えーっと、これはこうで……ここの表示の座標指定がおかしいのでは?それから──」
ひとまず気になった所をいくつか指摘してみる。ツクヨを手伝い編集作業をすることもあるので大まかな操作や編集は把握している。ただ、忍術と違い細かな設定や用語が中々覚えられず苦戦しているイズナだった。動画編集作業をモチーフにした時代劇でも上映されればすぐに覚えられそうな気はしているのだけれど。
「え……あ、あぁ!!そういうことかぁ!!」
イズナが話し出してしばらく。ぴょんと耳が一度跳ね、ツクヨの表情が明るくなる。マウスとキーボードを高速で操作していく。
指摘したイズナもよくわからない画面や入力設定が幾度か繰り返され、あっという間に煙玉の演出で画面が切り替わる忍者らしい動画がきれいに表示された。
「おぉ!かっこいいです、ツクヨ殿!!この演出は新しいヤツですね!」
「う、うん……私なりに、もっと動画を面白く見せられないかなって……えへへ」
「やっぱり、ツクヨ殿はすごいです。忍術も動画編集も完璧にこなすまさに高材疾足!」
つい呼び方が去年のものに戻ってしまう。部長になったのだから部活中はそう呼ばないと、と二人で話しているのだが少しテンションが上がるといつもこうだった。
「助かったよ、イズナちゃん。引き留めちゃってごめんね?」
「いえ、単に気になった点を幾つか上げてみただけなので……ツクヨ部長がすごいのです!」
どこがおかしいかに気づき、修正方法を思い付き、実行したのは全てツクヨだ。
ただ、その中でイズナがほんの少しでも彼女の力になれたのならなによりだった。
「さて、それではイズナは……」
「あ、部長とイズナ先輩もういる!」
「こんにちは~」
今度こそシャーレに。そう言おうとするのと同時、部室の扉が開き新入部員たちが部室に入ってきた。
「みなさん、こんちには」
「イズナ先輩~、いいところに。実は、この前教えてもらった忍法でちょっと上手くいかなくて困っているところが~……」
「あ、私も!私も!」
「私は、別に……」
わいわいとイズナの周りに集まってくる一年生たち。イズナの扱う忍術は多彩で見栄えがいいものも多いせいか、こうして後輩から教えを求められるのも最近はよく見る光景だった。
「えっと、イズナはこの後シャーレの当番で主殿のもとへ行く予定でして……」
「「え~……」」
残念そうな後輩たちの顔を見るとなんだか罪悪感が湧いてくる。
先生には遅れる旨は伝えてある。ツクヨの相談も直ぐに終わった。それなら──
「仕方ありません。少しの間だけ見てあげますから、あとは自分たちで練習ですよ」
厳しくいきますよとすごんでみるが、後輩たちからは「はーい」と嬉しそうな声が上がる。
入部初日に慕ってくれる姿が嬉しくて「お任せください、イズナがみなさんを立派な忍者に育ててみせましょう!」なんて大見得を切ってしまったのがよくなかっただろうか。
思えばあの日は、初めて忍術研究部を訪れた自分を受け入れてくれたミチルたちのことを思い出し、いつもより少し先輩ぶってしまった気がする。共に忍道を究めようと手を差し伸べてくれたミチル。中忍としてまだ下忍だったイズナを導いてくれたミチル。自分も少しでもあんな風に後輩たちに接せられればと思ったのだ。
「わ、私は別にイズナ先輩に聞くことなんて……ないし」
「とか言いながら、真っ先に飛び出していっちゃって」
「イズナ師匠も早く早くー!」
部屋の中では危ないからとはしゃぐ後輩たちに連れられて部室を出る。
イズナは頭の中で「申し訳ありません主殿、もう少しだけ遅くなりそうです」と先生へ謝罪し、彼女たちの相談にも乗ってあげることにしたのだった。
〇
『さっきはありがとうございました!!』
後輩からのモモトークを眺めているうちに電車が目的の駅への到着を告げる。ここまでくればシャーレは目と鼻の先だ。
「遅れてしまった分、今日は日が落ち明けるまで主殿をお守りしなければ!」
都合のいい言い訳だが、最近は物騒な事件も多く聞く。趣味と実益を兼ねた護衛を決めて先生へメッセージを送る。
『主殿!イズナまもなく到着です!』
メッセージの返事はない。気づけば直ぐに返事を返してくれる先生であるが、仕事の忙しさからそもそもこちらの連絡に気づかないこともままある。
それならそれで急にシャーレに現れてびっくりさせられるかも。
ホームを下り改札を出ながらイズナはそんな風に考えて鼻歌を歌う。
「イズナ、こんこん、こんこ~ん」
後ろから目隠しなどして驚かせるのは流石にいたずらが過ぎるだろうか。けれど、きっと先生の目をこっそり両手で覆うのはドキドキするだろう。イズナの敬愛する先生が驚き慌てながらイズナの声を聞いて楽しそうに表情を変える様子を考えると、つい口元がゆるんでしまう。
駅を出て、快晴の空を見上げる。
「……え?」
視線の先。
シャーレのビルが半壊し大きな煙を上げていた。
◯
「──────っ、主殿!!」
先ほどまでの愉快な想像も楽しい気分も一瞬で吹き飛んで。イズナはシャーレまでの道を一気に駆け抜ける。主を助けなければ。その一心で足を動かす。
道中、慌てたように駆けまわるヴァルキューレや火の手が上がるシャーレに驚いた住民たちが人ごみとなって道が塞がれていたがイズナには関係ない。
「主殿っ!!」
壁を駆けあがり信号の上、看板の上を飛び移って進む。
「主殿っ!!!」
この程度で息など切らせるはずもないのに、肺が痛い。心臓がドクドクと鼓動を早める。嫌な予感ばかりが脳裏をよぎる。
ブラックマーケットで生徒が亡くなったというニュースを思い出す。トリニティでの行方不明事件やD.C.で起きた凶悪犯罪。首筋を汗が伝う。
そんな事ない。今までだって先生は様々な危機を乗り越えてきた。今回だって無事でいるはずだ。
そう言い聞かせながら。最速最短でシャーレに到着する。下から入る手間ももどかしい。
勢いに任せて三階の窓に飛び込む。ビルの外、イズナに向けて声を上げるワルキューレ生の姿が見えた気もしたが今はそれに応えることはできない。
飛び込んだ部屋はひどいありさまだった。爆発によるものか部屋全体が焼け焦げ、壁には血の跡がこびりついている。
「……っ、これは」
ドクン、と心臓がひと際大きく跳ねる。
頭を振って部屋を飛び出す。この時間、いつもなら先生は上の階のオフィスで仕事をしているはずだ。何よりもまずはそこに。そう思ってビル内を走り始めたイズナの目にいくつもの惨状が飛び込んでくる。強力な爆薬をいくつも使ったのかそこかしこに大きな破壊の痕跡。無数の銃弾の跡。恐らく侵入者を迎撃したと思われる生徒たちが組んだだろうバリケード。その周辺に残された血の跡。中には明らかに助からないだろうと思われる量の血痕もあった。だが、走れども誰の姿も見ることがない。まるで人だけがきれいにこのビルから消えてしまったかのような。
不気味で。
気持ち悪い。
喉の奥に嫌なものがせり上がってくる感覚。
何か、なんで、誰か。止まない疑問ごと飲み込んで今は先生を探すことを優先する。
「──主殿っ!」
何度繰り返しただろう。声と共にビルの中階にある先生の作業場所に駆けこんだ。
いない。部屋はひどく荒れていたが血の跡はない。散乱した書類、投げ出された引き出し。倒された本棚。
安堵と不安、怒りが同量。大好きな先生とよく過ごしたオフィスがぐちゃぐちゃになっている光景は思った以上にイズナの心を揺さぶった。
「ここにいない、とすれば──」
下の階には上へと向かうように激しい戦闘痕が残されていた。そこから逃れるなら上階。屋上にはヘリポートがあったはず。そちらへ向かった可能性が高い。
結論を出して行動に移す。
破壊の跡も血痕も上まで続いていた。見たくもないそれを観察し、先生の移動進路を予測する。かなり大人数の侵入者。抵抗している生徒は恐らく少数。先生を上に逃がしている。
途中、爆弾か何かで床が大きく抜けていた。上へ上がる階段はその先。恐らくは侵入者を阻むための妨害だろう。ここまでにも崩れた階段や似たような大穴を見た。壁や天井の凹凸に足をかけ一息に飛び越える。大穴の先は妨害の成果か銃弾の跡も血もあまり見られなくなった。屋上までもうすぐ。あと一足。
真っ青な空がイズナを迎えた。
最初に目に入ったのはいつも先生が持ち歩いていたタブレットだった。
真っ二つに折れ、画面は真っ暗だ。
瓦礫がいくらか散乱していた。屋上の一部が崩れている。
──血が。
火薬の匂いがひどい。銃撃戦か、ミサイルのようなものを撃ち込まれたのかもしれない。
下の階で火事が起きている。大きな白い煙が風になびいてイズナの横を流れていく。
────血が。
屋上の中心。
そこに、大人の人が。
──────血が広がっていて。
倒れている。手足は力なく投げ出されている。青い空の下で。壊れた人形のよう。いつも真っ白なシャツがあかい。あかい。ぽっかりと、あかい。
「いや……いやあ、あぁぁ……あああああああぁぁぁあ!!!」
先生が、
死んで。
「主殿!!主殿ぉ!!!」
飛びつくように体を抱きかかえる。水袋のような重み。動かない。声が聞こえない。
胸に大きな穴が空いていた。これなら間違えようが無いだろうとでもいうように。
心臓が抉り取られていた。
「なんでっ!?嫌!嫌です!!目を、目を開けてください!!主殿!お願い!!お願いです!!」
抱き上げたイズナの腕が体が先生の血で赤く濡れる。
理解ができない。理解を拒む。声を。声を聞かせてほしい。大丈夫だよ、イズナと。名前を呼んで欲しいそうすれば何もかも解決するはずなのに。
力なく揺れる手は頭を撫でてくれない。
血で汚れた口元は何も言ってくれない。
「あ、ぁぁあ、ぁぁあ、あ、ぁぁぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁあぁぁああぁあぁあぁぁああぁぁあぁああぁあ!!」
何も考えられない。助ける、助けないと。そう訴える感情があるはずなのに、ぽっかりと空いた胸の穴が何かしようとするイズナの心の全てを吸い込んでいく。赤黒い穴がイズナを縛り付ける。
ここには先生とイズナしかいない。だけれど、先生は動かない。触れるたび、抱きかかえるたびそこに命がもう無いことを確信させる。空っぽの胸。
イズナたちをただ見下ろす青空が、ひどく邪悪なものに思えた。
◯
息絶えた先生を抱えてイズナは泣き続けた。
それ以外に何もできなかった。何一つ。イズナがここへ来た時には全て終わっていて、先生は動かなくなっていたのだから。何ができるというのだろうか。
イズナも、もう動けないと思った。
このまま先生を抱いて泣いてそのまま一緒に終わってしまえばいい。何もできない。意味もない。主の危機に駆け付けることすら。何が忍びだ。何が仕えるだ。結局何の役にもたたなかったではないか。それなら、せめて最期は側で──。
なのに。
ヘリが近づいてきて。ヴァルキューレか、それ以外か。幾人かの生徒たちがイズナを捕らえて、先生と引き離した。
必死で抵抗しようとして、けれど「先生をいつまでこんな場所にいさせる気だ!」という誰かの叫びにその力も失った。その通りだと思ってしまったから。そんなことすら考えられなかった自分が情けなかったから。
埃っぽい、澱んだ空気。安っぽい机。
連れて行かれた狭い部屋で事情聴取だと言われた。何を話せというのだろう。何もできなかった、何もしなかったこんな自分に。
取り調べというのだから一方的に質問されるかと思ったのだけれど、案外向こうからも色々な情報を与えられた。話の中でシャーレの襲撃は計画的なものだと聞かされた。使用された火器も、人員も、タイミングも。
イズナ以外、シャーレにいたはずの生徒たちは全員行方不明だという。当番だったり、個人の用事だったり。シャーレを出入りする生徒も決して少なくはない。その誰もが消息を断っていた。多量の血痕もあったが、先生以外は生死すら定かではないという。当日のシャーレ当番でイズナだけが唯一こうして身柄を確保できているのだと。
お前が内通者ではないかと問われた。あまりに当てが外れていて否定も肯定もする気になれない。ただ、少しだけ興味がわいた。あの先生を裏切るような奴がいるというのなら、思い知らせる必要はあるんじゃないかと。
ただ、そこまで話を聞いても、やはりイズナは一言も口をきけなかった。本当に、何を話せばいいのかなんてわからないのだから。どうしようもない。
イズナの頭の中には先生の胸に空いた穴が今もこびりついていた。取り調べの最中もずっとあの穴が頭から離れなかった。ぐるぐると回り続ける。命が失われた証。がらんどうの胸。何もかも吸い込まれて、先生の命もイズナの大切なものも全てあの穴に飲み込まれて。
ふと視線を下せばそこにあの穴があるように思えた。取り上げられた先生の体はもうどこにあるかもわからないのに、あの穴だけがイズナのそばに残されていた。
ぽっかりと、今もイズナの目の前に、空いて。
取り調べをしていたヴァルキューレの生徒は苛立っているようだった。シャーレが襲われ先生が死んだのだ。無理もないだろう。ぼんやりとした頭でイズナはむしろ申し訳なくすら思っていた。こんな自分を相手にさせてかわいそうだと同情すらしていた。だからといって口を動かす気にはなれなかったけれど。いや、そもそも手足を動かすことすらままならないように思えた。
あの一言を聞くまではそうだった。
「チッ、お前が先生を殺したんじゃないだろうな」
一瞬で頭の中が真っ赤に染まるということをイズナは知った。拳が目の前のヴァルキューレ生の眼前でぴたりと止まっていた。後ほんの数ミリ踏み込んでいれば殴り倒していただろう。手を止めた理由はイズナ自身にもわからなかった。
「ひっ……!」
それまで無気力に死んだ目をしていたイズナが突如凶悪な眼光を迸らせて迫ってきたのだ。拳を寸止めされた生徒は一瞬の間を空けて悲鳴を上げ椅子から転げ落ちた。
自分は何をしているのだろう。
イズナはなんだかまた馬鹿らしくなって、椅子に座りなおした。少し前までの何もする気になれない倦怠感が戻ってきていた。ふと手元を見るとイズナを拘束していた手錠が壊れていた。やはりどうでもいいことだった。
その日の取り調べはそれで終わった。
それから数日間、独房に入れられた状態で幾度か話かけられた。どうやらイズナを下手に檻の外に出すのは危険だと判断したらしい。イズナとしては檻の中だろうとあの狭い取調室の中だろうとさして変わりはなかった。話す気が起きないという点に関しても。動かなくていいのは楽でよかったかもしれない。
鉄格子の前には知った顔も訪れたような気がする。記憶は曖昧だ。
暗い檻の中でもずっとイズナは抱きかかえた先生の体の事を思い出していた。ひどく重く感じる肉体。散々徹夜を繰り返していた時より血の気の失せた白い顔。血を吐いたのか口周りが汚れている。手はきれいだった。ただ、体にだらりとぶら下がっているような有様は片付け忘れた玩具のようにも見えた。そして胸に開いた大きな穴。穴。底がなかった。そんなはずは無い。けれど記憶の中で何度あの穴に手を伸ばしてもその奥底に辿り着かないのだ。どうしても、その奥にあるものを拾い上げなければいけないのに。見つからない。更に手を突き入れる。やがては肩も、上半身まで突き入れても底にたどり着けない。最後はイズナの全身があの穴に飲み込まれて、イズナは真っ暗な闇の中を落ちて行く。その先にはまた空っぽになった先生の体があった。
そうしてまた穴の底を探すのだ。
ずっと、ずっとそんな事を繰り返していた。暗い檻の中で。底を繰り返し繰り返し探し続ける。
あの中にはきっと先生の命が落ちているはずだから。
なのに、見つからない。届かない。何度繰り返しても、先生がいない。どこにもいない。何故だろう。どこかにいるはずなのに。あの胸の穴を塞ぐものが見つからない。
数日経って、檻の前に立ったヴァルキューレ生に疑いは解かれたと言われた。
ぼんやりした頭でその意味を考える。もうしばらくしたら迎えが来ると言われたが、なんだかひどく億劫でその言葉を無視して檻を出る。出ていいというのならさっさと出て行こう。それで、どこへ行くつもりなのか自分でもわからないけれど。
留置所を去り、暗い空の下、人に押し流されるようにD.C.を歩く。外に出てみたはいいけれど、やはり何もする気になれなかった。どうして自分はあの暗い檻の中から飛び出したのだろう。あそこで蹲っていればいいはずだったのに。自分でも自分の行動がよくわからなかった。
歩き始めたから歩き続ける。何をすればいいかわからなかった。街頭ニュースでは先生の死について報道されている。ひどく耳障りだった。葬儀がどうとか言っている。何を言っているのだろう、先生の遺体は今もイズナの側にあるというのに。いや、これは幻覚だったか。
頭が上手く働かない。
事情聴取の中で聞いた内通者の話を思い出す。仇をとればいいのだろうか。主君の仇討ち。忍者ならばすべきだろう。ただ、心が動かない。何故だろうか。忍びであるということはずっと自分を突き動かす原動力だったはずなのに。大切な主君の仇討ちだというのに、強張った心は鈍重だ。けれど自分は仕えると言ったのだから、忍者になれると言われたのだから……仇はとらねば。
ぼんやりとした頭で考える。
あぁでも、仇をとったところで褒めてくれる人はもういない。そこに意味はあるのだろうか。どうしたら褒めてもらえるだろう。どうしたらまた名前を呼んでもらえるだろう。頭を撫でてもらえるだろう。
気づけばそんな事ばかり考える。もう一度と。不可能だと理解しているはずなのに、そんな事ばかりが頭に浮かぶ。苦しい。叶わない願いが頭の中で止まない。止められない。会いたい。泣きたい。泣くべきではない。悲しい。会いたい。辛い。
まとまりのない思考の渦に飲まれていたイズナの耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あの……どいてください!私、行かなければならない所があるんです」
「だーかーらぁ、あたしらの話を聞いてくれればどいてやるって言ってんだろぉ?」
あの日シャーレに行く前に言葉を交わした、イズナのよく知る声。
「ここらじゃ見ねぇ制服……どぉせ観光か何かで来た田舎の学校の生徒だろ?あたしらがこの辺のルール教えてやろうって言ってんだよ。代わりに、ほら、払ってもらうものがあるだろ?」
「あの、本当に……私……」
不良生徒。ガラの悪さは百鬼夜行でもこの辺りでも変わらないらしい。マスクやヘルメット。ここでも百鬼夜行でも顔を隠すのは何か不良文化的な共通点でもあるのだろうか。
そんな不良たちに囲まれても直ぐに目に入る、一際大きな背丈の少女。普段はその大きな体を少しでも小さく見せようと背を屈めがちな彼女が、背を伸ばして自分を囲む不良たちに険しい表情を向けていた。
忍術研究部の部長。ツクヨの姿。
「ッチ、大人しく金出せって言ってるのがわからねぇみてぇだな」
苛立った様に中心人物らしい不良が銃口をツクヨに向けようとする。動きでわかる。あの程度ならツクヨの相手にもならないだろう。そもそも、銃で多少撃たれた程度でキヴォトスの住人が大きな怪我をすることはない。けれど、その時イズナの脳裏に瞬いていたのはあのぽっかりと空いた穴だった。その穴がツクヨに重なって───
「ガァッ!?」
ツクヨへ銃口を向けようとした不良の頭が地面にめり込む。イズナの踵が彼女の脳天に突き刺さっていた。
「イズナちゃん、え、どうして……!?」
「リ、リーダー!?」
「急に出てきて、なんなんだお前!!」
ツクヨを含めて突然の事に戸惑う不良たち。彼女らを睨めつけながらイズナは低い声で問いかける。
「あなたたち、今、何をしようとしてましたか?」
答えは無い。
だが、別にイズナも答えを求めていたわけでは無い。何を言われようとこれからすることに変わりはないのだから。
「は?消え──」
二人目の不良の顔面を思い切り殴りつける。面白いように体が飛んで、その先の壁にめりこむ。
「な、え!?お前、何しやがった!!」
イズナの動きを目で追えなかった不良たちが、わけもわからず怒声を上げる。叫んだ奴の後頭部を掴んで地面に叩きつけた。ヘルメットのせいでどうやらまだ意識があるらしい。もう二、三度叩きつけてから別の不良を目掛けて投げつけた。
体が、あんなに億劫だった体が動く。なんでだろう。
手近な不良の喉を握りつぶす。近づいてきた奴の腹を殴る。丸まった体を蹴る。蹴る。もう何度か蹴る。銃を向けてきたのでこちらも撃ち返す。相手が引き金を引く前に一発、二発。あまり手ごたえを感じられなくて倒れたそいつに近づいて蹴る。こっちの方がいい。
なんだろう。こうして誰かを叩きのめしている間は体が軽い。
もう少し、試してみようか。
腕を掴まれる。
まだ諦めていない不良がいたらしい。向かってくる相手がいるのはいい事だ。だってやる事が明確だ。それはとても心地いい。
「──ズナちゃん!イズナちゃん!!もう止めて!」
振り返りざまに殴りつけようとして、ようやくその手がツクヨのものだという事に気づいた。
「ぁ、ツクヨ、殿……?」
拳を突きつけられたツクヨの目尻に涙が浮かんでいる。何故だろう、彼女はとても辛そうな顔をしている。自分がツクヨを傷つけてしまった気がして、イズナは言葉に詰まる。
彼女を助けるために飛び込んだはずなのに。どうしてツクヨが泣きそうになっているのだろう。いや、そもそも今まで自分は何をやっていたのか。
「ごめ……ごめんな、さい……、もう……やめ…………」
「いだぃ……いだぃ……」
「ぁ…………う……」
ふと周囲を見渡せばツクヨの周りに群がっていた不良生徒たちは全員倒れて呻いていた。苦しそうな声を上げている。大きな痣を作ったり、手足があらぬ方向に曲がっていたり、どうやら立ち上がることもできないらしい。
何を謝っているのだろうか。何をしているんだろう。
再び錆び付き始めた心でそんな風に思う。
「イズナちゃんのお陰で私は傷ひとつないから、ね。これ以上……そんなことする必要ないよ」
イズナの腕を掴むツクヨの手は震えていた。
はっきりと理由はわからないまま申し訳なく思う。同時にどっと体が重くなった。ここに立っていることすら辛い。
「すいません、ツクヨ殿……イズナは、イズナは……」
「無理に何かを言おうとしなくていいから。百鬼夜行に、忍術研究部に帰ろう?」
腕を掴んでいた手が、イズナの手を握る。そのまま手を引かれれば自然とイズナの体はそれに従って歩き始めた。
百鬼夜行に帰る。忍術研究部に帰る。それはとても優しい言葉のようで、なのにイズナの心をゆっくりと下ろし金で削っていくようにも思えた。帰る?どうして?
なんで帰るのだろう?という疑問。
帰りたくないのだろうか?という疑問。
イズナには答えはわからない。問いかけ自体に意味があるのかすらも。
ツクヨは手を引きながら気遣うように他愛もない話をイズナにしてくれる。何か、辛い気持ちを押し隠しながらも励ますように柔らかに笑っている。誰かをいつも思いやる彼女の優しさを感じる。イズナもよく知るツクヨの美徳だ。そんな優しさに助けられたことが何度もあったと思う。
だけれど、今は。どうしてか彼女の声がひどく遠くに聞こえる。
穴が。底のない穴がツクヨの声も飲み込んでどこかへなくしてしまう。
百鬼夜行へ向かう電車の中で、イズナの頭の中では再びあの日の白い先生の顔が蘇っていた。泣きすがることしかできなかった愚かな自分を思い出していた。
窓の外、灰色の空の下の町並みはなんだか余所余所しい。
そういえば、あの日以来青空を見ていない。
◯
百鬼夜行に戻ってからのイズナは、もっぱら自室にこもって過ごすようになった。学校に通うことも、部活に顔を出すこともしない。そういうことを何一つする気になれなかった。そもそも立ち上がって歩くことが億劫だった。
それでも、時折訪ねに来てくれるツクヨの存在が、最低限は生きるための活動をイズナに促していた。食事と排泄、日に一度の入浴。やってくるツクヨをせめて不快にはさせないようにと。それ以外の時間はずっと膝を抱えて穴の底を探していた。底にあるはずの大切なものを探して。
「イズナちゃん!今日はいい天気だし、少しだけ外を歩かない?」
覚悟を決めたような顔でツクヨがそう言ったのはイズナが引きこもってしばらく経った頃だった。細かな日数はイズナにはわからなくなっていた。
申し出に頷く。ツクヨの表情がパッと明るくなった。
あぁ、よかった。最近の彼女はどうしてか悲しい顔ばかりしていたから。
そう考える間もイズナの周囲には先生の死体が散乱していた。どの死体も同じようにぽっかりと胸の間に穴が空いている。最近、穴の底を探す内に段々と増えていったのだ。まるで穴の底にたどり着けないイズナを責め立てるように死体が取り囲む。
「それじゃあ……近くの公園まで歩こっか」
D.U.で再会した日と同じようにツクヨが手を引いてくれる。それに従ってイズナも歩き出す。
「イズナちゃん、少しでも外に出てくれてよかった」
それはおそらくイズナに聞かせる気のない小さな呟きだった。不思議なことを言うなと首を傾げる。だってイズナはただ動く気になれないから部屋にいただけなのだ。外に出る用事があるなら、あるいは今みたいに外に出ることを誘われればそれを拒む理由はない。
久しぶりに外の匂い、風、直接の日差しを感じる。
ツクヨは最近投稿した動画の反応はどうだったかとか、新入部員たちが自分たちで考えた忍術を披露してくれたとか、そんな日常の様々なことをいくつも話してくれた。
そんな話をしている内に目的の公園に到着した。あまり人気のない、動画撮影などでも何度か使用したことのある小さな公園だ。ツクヨやミチルたちとの様々な記憶が蘇る。それから、時折自分たちの様子を見に来て、一緒に動画撮影もしてくれた──。
「イズナちゃん、大丈夫?」
大きな体を屈めて心配そうにツクヨが顔を覗き込んでくる。
「いえ、イズナは元気いっぱいですよ」
いつもの様に答える。元気いっぱいというのは流石に少し言い過ぎただろうか。けれど元気であることは確かだ。別に具合が悪いわけでもない。
体はずっと重いけれど。病気になったり怪我をしたりしているわけではない。
だから、いつもするように答えたつもりなのだけれど。ツクヨの表情はあまり優れない様に思えた。
「ツクヨ殿?」
「……ううん、何でもないそれよりもね、ほら!」
そう言ってツクヨが指し示した公園の一角には何人かの人だかりが見えた。イズナのことを見ている。どこか緊張しているような、心配しているような。見知った顔、のはずだ。だけれど頭が上手く記憶を取り出すことができず、誰であったかを思い出すのに少し手間取る。
そんなイズナの視界の端で上空から飛んでくる何かが見えた。末端から火を噴き、高速で迫ってくる。ロケット弾に見える。町中で飛ばすには物騒なものだがキヴォトスであれば見ないこともない。
そういえば今日は遠くがやけに騒がしい。銃撃や爆発音も微かに聞こえていた。キヴォトスでは日常茶飯事とはいえ、ツクヨたちは気づいてないのだろうか。ぼんやりと考える。迎撃すべきか、けれどあれの着弾点は自分やツクヨから少し逸れている。なら、わざわざ重い体を動かして止めに入る必要もないだろうか。
ツクヨが、飛んでくるロケット弾に気づいて声を上げた。公園の一角、イズナに指し示して見せたそこにいる少女たちに叫ぶ。何を──少女の内、いつものんびりとしているけれど筋は一番いい子が、クールでけれど本当はさみしがり屋な子の襟首を咄嗟に引いた。いつも元気でイズナと一緒に「にんにん!」と声を上げてくれていた子が慌てて逃げようとして足をもつれさせている。何を──冷静に対処できていれば間に合ったかもしれない、けれど体を寄せ合っていた状態で、焦っていつも通りの動きができない彼女たちでは逃げ切れない。ツクヨも、ここからでは無理だ。イズナは?──気づいた時なら間に合った。ほんの少し前であれば空中で落とすこともできた。今なら、ツクヨだけなら、まだ、間に合う──けれど──────。
気づいて、飛び出そうとした時にはもう着弾していた。
想像以上に大きな爆炎が上がる。おそらく違法な弾頭を使用しているのだろう。連邦生徒会で禁則を出しているはずだが最近のキヴォトスではそれらを無視してより危険な銃火器を使う不良生徒が増えていた。
咄嗟に伸ばした手が何かを掴むことは無かった。ツクヨは後輩の一人を庇って地面に倒れていた。他の後輩たちも、気を失ったりうめき声を上げている。流石に死者がでるようなことはない。それでも火傷や打撲の痕が残ってしまう可能性はある。
「え──────?」
イズナは立ち尽くしていた。
この惨状に、ではない。この惨状を見過ごした自分に。慕ってくれた後輩たちの顔を思い出せずにいた自分に。彼女たちに迫るロケット弾をぼんやりと眺めていた自分に。ツクヨが飛び出したときそれを見送った自分に。
いや、そもそも。ここに来るまでも、あの日からずっと。
ツクヨが必死に話しかけてくれていた時、自分は何をしていただろう。ぼんやりと、ただ彼女の話を聞いて。それで。相槌すら返さずに、ろくに顔を向けることすらせずに、一生懸命自分に言葉を届けようとするツクヨをほとんど無視して。
後輩たちを見殺しにして。
自分は何をしているのだろう。
今は、彼女たちを助けないと。そう思って踏み出そうとした一歩がすくんだ。目の前にあの穴が空いていた。大きい。イズナを飲み込むほどに大きな赤黒い穴が。イズナも、その向こうのツクヨたちすら飲み込みそうな穴。
前に、足を踏み出せなかった。
後退る。
穴が少しだけイズナと一緒に動いた気がした。
もう一歩、下がる。
穴はイズナについてきた。
「は、はは……」
乾いた笑いが出る。イズナは穴の向こう、倒れるツクヨたちに近づくことができなかった。近づくことが恐ろしかった。穴が彼女たちに触れた時どうなるのかがわからない。飲み込まれるかも、あるいは何も起きないかも。どちらも恐ろしかった。
ツクヨが起き上がろうとしている。それを見て、思わず、その場から走り出した。いや、逃げ出していた。
傷ついた仲間たちを置いて、走る。何故、どうして。そんな疑問が脳裏を過ぎるが足は止まらなかった。重い体を無理矢理に動かす。ギシギシと体が軋みを上げている錯覚。自分が自分ではないようだ。愚かな行いをしている自分が許せないはずなのに、心が上手く動かない。体を突き動かすのは恐怖と、それから──。
逃げるイズナが向かう先ははっきりしていた。ロケット弾の飛んできた方角。銃撃音が今も聞こえる地点。逃げているはずなのに、イズナの体は暴力の予感に昂ぶりはじめていた。何故かなど問う必要もない。
今のイズナに唯一できること。
思い出すのは取調室でヴァルキューレに殴りかかった瞬間。赤一色に染まりきる感覚。D.U.で絡まれていたツクヨを助け出そうと不良たちに殴り掛かった瞬間。ただ目の前の敵を叩きつぶす為だけに全てを傾ける思考。
体が軽くなっていく。後輩たちの危険を前にはまともに動かなかった癖に、こんなことでしか動かないなんて。浅ましい己を嫌悪する。逃げる自分を見下げ果てる。それでも体は軽かった。
「あぁ────!!」
〇
魑魅一座の一派だろうか。幾人も殴り蹴り撃って斬ったが、何を目的としてどこに所属していたのかは結局わからなかった。その誰もが声を上げることもできずに倒れ伏していた。
そして彼女たちと戦っていた百花繚乱の部員たちも。
イズナが彼女らの争いに乱入してしばらく経っていた。ここに立っているのはもうイズナしかいない。
「はぁ……はぁ、はぁ、はぁ」
流石に息が上がった。全身傷だらけだし、無茶な使い方をした体は悲鳴を上げている。それでも残ったのは魑魅一座でも百花繚乱でもなくイズナだった。襲われた方はわけがわからなかっただろう。突如戦場に現れたイズナは敵味方関係なく襲いかかり始めたのだから。狂人とでも思われたかもしれない。
いや、狂人に違いない。
暴力に狂い、酔いしれていた。壊すこと、傷つけること、叩きのめすこと。それだけに夢中になっていた。
争いの気配が去り、体が再び重くなるのを感じる。ふと、目の前に先生が立っているような気がして弾かれた様に顔を上げる。でも、そこには誰もいない。辺りを見渡す。倒れた生徒たちしかいない。自分を心配する声も、叱る声もない。どこにも、いない。膝を抱えたくなった。
静かになった戦場でイズナは立ち尽くす。結局、自分は何がしたかったのか。暴れている間は考えなくてよかったことが体を這い上がってくる。見捨てた後輩たち。ツクヨへの仕打ち。抱き上げた、先生の感触。それから胸に空いた──
「イズナちゃん!!」
「ツクヨ、殿……」
脳内で行き場のない思考が加速し始めていたイズナの前に、ツクヨが飛び込んできた。
マフラーの端を焦がして、顔には火傷の痕。痛々しい姿はイズナが見捨て、置いていった証に思えた。
「これを、イズナちゃんが……?」
「ぁ、これ、は……これは……っ、そのっ」
ツクヨは驚いたように周囲を見回していた。
彼女に何かを言おうとして、言葉が見つからずにイズナは頭を抱えた。必死で言葉を探す。ここで自分が暴れた理由。傷ついた彼女たちを置いてここまでやってきた理由。
──理由?
「……気持ちよかったんです」
「イズナちゃん?」
何を言おうとしていたのだろう。今更、彼女にどんないいわけをしようとしていたのだろう。散々に彼女の優しさを踏みにじってきて、今もまた、その優しさに縋ろうとでも言うのだろうか。
「誰かを殴りつけるのが、傷つけるのが……快感だったんです。ツクヨ殿も見たでしょう?あの日、D.U.でイズナがどんな風に暴れていたかを」
「何を、言ってるの?」
「あの、主殿の姿を見た日からずっとこうなんですよ。ちょっとおかしくなったのかも……いえ、おかしかったのを主殿が正してくれていたのかもしれませんね。イズナは元々こういう風に誰彼構わず暴力を振るうのが好きなんです」
口にしてみるとなんとなくそれが本当に思えた。自分はずっと以前からどこかおかしかったのだ。そう、偶然にも上手くそれを正してくれる主人に出会えただけで、こういうものだったのだと。
キヴォトスを去った災厄の狐もそういう
「だから、部のみんなが傷つくのもツクヨ殿が巻込まれるのもどうでもよくって──調度いい暴れる場所がありそうだったからここに来たんです」
誰も彼もが倒れて動かない戦場で笑顔を作る。
「違うよ!イズナちゃんはそんなじゃない!!」
「違いませんよ。だって今こうなっています」
これでは悪者だ。忍者に倒される悪役だ。
もしかしたら、こんな邪悪な悪役なら、きっと主殿が止めに来てくれるかも。
そんなわけがないと、生徒たちに混ざって転がる先生の死体が訴える。見えるはずのないその体の穴がイズナを覗き込む。それが恐ろしくて言葉を重ねる。
「主殿がいなくなったので、私もこれ以上忍者を続ける必要がなくなりました。ツクヨ部長には申し訳ありませんが、今日限りで忍術研究部も退部させていただきます」
「イズナちゃん……それはダメだよ。イズナちゃんが、苦しいだけだよ」
「苦しい?そんなわけないじゃないですか。今、とても清々しい気分です」
「ねぇ、一緒にみんなの所へ戻ろう。危ないからって置いてきたけれど、みんな大怪我はしてなかったから……大丈夫、だよ」
「…………」
「今日はね、みんなでイズナちゃんを元気づけようって。教えてもらった忍術を披露しようって──」
「イズナは元気いっぱいですよ。言ったはずです。あなた方に元気づけてもらう必要なんて、ない」
言葉を被せるようにして言い返す。ツクヨの言葉がなんだかとても癇に触って、語調が荒くなる。心を下ろし金で削られる様な気分。気に入らない。何かわからないけれど、どうしようもなく気に入らない。
ひどい吐き気が胸の辺りでグルグルと渦巻いている。
「大体、あの日ツクヨ殿が私を引き留めなければ…………っ!」
「───っ」
その吐き気に促されるように口走った言葉に自分自身が愕然とする。ツクヨが引き留めなければ、シャーレの当番に遅れず、それで?それでどうなったというのだろう。それをツクヨに言ってどうするというのだろう。
目の前のツクヨがこれまでで一番傷ついた顔をしていた。信じられないものを見るような、絶望に染まったような瞳。そんな彼女を見ることが辛かった。そんな顔をさせたのが自分である事が許せなかった。
体の中に渦巻く気持ち悪さがグズリとその一段深くなる。内蔵が全て溶けて混ざり合っているような感覚。
その感覚を噛み殺すように別れを告げる。
「いままで、ありがとうございました」
「イズナちゃん──!」
イズナが本気だと察したのか、ツクヨが引き留めようと手を伸ばす。
その腕をとり関節を極めようとすれば、それに対抗するようにツクヨの大きな体が俊敏に身を翻す。ツクヨは体術にはそこまで熱心に取り組んでいなかったと思っていたので意外に感じる。ぶつけられそうになった肘を受け流し背中に一撃を加えようとする。ほぼ同時に蹴り上がる足がイズナを襲った。
紙一重でそれを躱して、全体重と踏み込みの勢いをかけるようにしてツクヨの体を地面に押し付ける。
「うぐぅ!?」
うつぶせの体勢で地面に叩きつけられたツクヨが悲鳴を上げる。
今のは、中々楽しかったのではないだろうか。そうだ。そうに違いない。
「流石ですね、ツクヨ部長。でも、これでおしまいです」
「イズナちゃん……ダメ、止まって。イズナちゃんは、キヴォトス一の忍者になるんでしょ?こんなことしちゃ、ダメ……だよ!だって、忍者は......!」
「……」
ツクヨを押さえつける手に力がこもる。
「ツクヨ殿、イズナはもう忍者ではありません。だって、あの子たちとの約束を破ってしまいました」
『お任せください、イズナがみなさんを立派な忍者に育ててみせましょう!』なんて、今更どんな顔をして言えというのか。彼女たちを守る事すらせず、ただ自分の暴力に酔うイズナが忍者の何を教えるというのか。
「主殿との約束だって、守れなかった──」
『これから先、イズナは主殿に忠誠を誓います!』なんて、あの人の危機に間に合わず、死に際にすら立ち会えず、こんなことをしている自分のどこに忠誠があるというのか。
「部長の教えを破ってしまいました」
「忍者の、鉄則……」
きっとツクヨの脳裏にもミチルの言葉が蘇っただろう。『忍者とは、一度交わした約束は必ず守るもの』彼女が事あるごとに繰り返していた忍者の鉄則。
「イズナは忍者失格です」
「そんなこと、そんな事ない!これから、もう一度約束を果たせばいい!諦めちゃ……」
「イズナの事はどうかもう忘れてください。何度も助けてもらったのに、ごめんなさい。できるなら、忍者に憧れてくれたあの子たちを守ってあげてください、ツクヨ部長」
とても苦しいのに、不思議とその言葉はするりと口にすることができた。
ツクヨを押さえつけた体勢でそれだけ言って、追いかけてこれないよう煙幕を張ってイズナはその場を立ち去った。
「待って!!イズナちゃん!イズナちゃん!!私、そんな事を言わせる為に部長になったんじゃ──!」
ツクヨの悲痛な叫びがイズナの背を追う。けれど、それもイズナの傍らにある穴が全て飲み込んでしまう。だから、やはりこうしてよかったのだろう。イズナの側にいればいつかはこの衝動が彼女たちに向く日が来たかもしれないのだから。
吐き気は今も胸の中を渦巻いている。体は重い。心は錆び付いた様。
灰色の空の下をイズナは駆けていった。
どこへ向かっているかなど自分でもわからない。ただ、暴れられる場所を。傷つけるのに躊躇う必要のない相手を。彼女が追ってこられない場所を。
そういえば、あの日以来青空を見ていない。
そんないつかと同じ事を思いながら。
〇
それから、イズナはキヴォトスの各地を巡りながら暴れ続けた。できるだけ百鬼夜行には近づかないようにしながら。暑い場所、寒い場所、高いところ、海の上。初めは先生の仇討ちの為に情報を集めようとしていた時期もあった。だが、星屑という名前だけは知ることができたがそれ以上の手がかりは禄に見つからず、やがてはただ暴れるだけの日々に仇討ちという目的は埋没していった。
暴れている内にイズナを雇いたいという者が現れるようになった。争いにつられてふらりと現れ、誰彼構わず襲いかかりその場にいる全員を叩きのめす。狂い狐と呼ばれるようになったイズナはその高い戦闘力を買われたのだ。
暴れられる場所が用意できるなら。そういう条件でイズナは仕事を受けるようになった。自分で探すよりも簡単に見つけられたから。約束を違えた相手は見せしめにした。そうしている内にどんどんと危険な仕事が舞い込むようになった。より凄惨で血なまぐさい。生死をかけるような場面も増えた。自然と人を殺すようになった。それでよかった。
イズナが彼女に雇われたのはそうして血にまみれた狂い狐の名が広く知られるようになった頃だった。
「今のキヴォトスはつまらない、君は思わんかね?」
小柄な体に白衣を着た少女だった。少しかつての部長を思い出させた。人に理解されにくい部を率いているという意味でも。
「私はもうウンザリなのだ。ああ、本当にウンザリした。だからド派手にこの学園都市を変えてやることにしたのさ」
曰くキヴォトス全土を温泉にするのだと。その為にゲヘナのアビス深部まで潜り、巨大なマグマだまりを刺激し火山の大噴火を起こすのだという。
「もちろんただ火山を噴火させる訳じゃあない。というかそんな事をしても溶岩と火山灰がキヴォトスを覆うだけだ。それじゃ意味がない。だから、これまでの調査結果を元にキヴォトス中に伸びる水脈に向けて噴火を起こす。そう、これが重要だ」
彼女は聞いてもいないのによくイズナのもとへやってきて計画を話して聞かせた。その頃にはイズナの口数は極端に減って、必要な返事以外は禄にしゃべらない様になっていたのに。何を気に入ったのかイズナのもとに足しげく通っては自身の思想や計画を繰り返し語るのだ。
「失敗すれば単純な噴火になるだろう。キヴォトス全土……もう少し小さな規模になってもゲヘナは向こう十数年、あるいは百年単位で不毛の地となるだろう。だが、その程度のリスクで私は止らないとも。君ならわかるだろう」
「……風紀委員は?」
「ん、あぁ、君は強者を求めているのだったな。だが、おそらく現風紀委員長と対峙することはないだろう。彼女は強くなった。それはもう、真っ向勝負であればあの空崎ヒナにもひけをとらない程につよくなっただろう。だが、彼女は空崎ヒナではない……こちらの誘導に容易く乗るだろうからな。計画の際にはゲヘナの反対側さ」
「……」
「おっと、待ちたまえ。銀鏡イオリが来なくとも我々を止めに来る者がいるはずだ。最近何度もこちらの計画を邪魔し、私を魔王と呼ぶ勇者殿がね」
「……天童アリス」
「そうとも、何の因果か彼女らが私の行く手を阻む最大の障害となった。だが、温泉開発はそうでなければ!数多の困難!数多の挫折を乗り越え辿り着いてこそ掘り当てた温泉に価値はある!!」
狂った物言いの癖に、この雇い主はひどく頭が冴えていた。おそらくは計画は成功一歩手前まで確実に行くだろう。そして世界を揺るがすような彼女の行いを止めるためにそれに値する誰かも現れる。
「ふふふ、君はどうやら私と同類のようだからね。話していて気が楽なのさ」
こんな狂人に同類扱いされるなんて。自分もいよいよだろうか。
そんな事を考えながら、イズナはその日を迎えることとなった。
〇
まるで冗談のように左右が溶岩に囲まれたゲヘナの奥深く。
これだけの熱源があれば、なるほどキヴォトスの全てを沈める様な温泉も夢ではないのかもしれない。
「アリスちゃん、先に行って!ここは私たちが!」
「けれど、モモイ、ミドリ、彼女はあまりに危険です。アリスが……!」
「だからこそ、でしょ!こんな所でアリスが足止めされちゃダメ」
数回の会話を終え双子らしい緑と桃色の二人が黒髪の少女を送り出す。
「随分とあっさり行かせてくれるんだね」
「……雇い主の要望。それに、あなたたち程度なら直ぐに片づきます。それから天童アリスに追いつけばいい」
「随分と余裕みたいだね。そういう油断が足をすくうことになるんだから!」
「お姉ちゃん……さっきから思ったけど私たち死亡フラグ立てすぎじゃ……」
「いいの!最近はフラグ多すぎるのは逆張りするっていう振りなんだから!」
表情をコロコロと変えながら掛け合いのように会話する双子。"勇者”と呼ばれるアリスの強さは聞き及んでいるがこの二人については名前も聞いたことがない。身のこなしも素人のそれ。どうしてこんな場所まで来てしまったのか。なんて。これから殺す相手に同情しても仕方ない。
「っていうかずっと思ってたけど完全にラスボスのステージだよね、ここ」
「話はもういいでしょう」
「お姉ちゃん、来るよ!」
「では、さようなら」
決着など一瞬だ。彼女たちではイズナの動きに反応する事はできないだろう。
──それが驕りであると気づかぬまま。
結果的に、イズナはアリスを追いかける事ができなかった。足下をすくわれると言った桃色の少女の宣言通りに。あの二人は初めからイズナと戦う事を想定していたのだ。そして、その為に念入りに準備をしてきていた。ミレニアムの最先端の武装。双子故のわずかな齟齬もない連携。イズナが何を狙ってくるかを理解した上での罠。
結果としてイズナは彼女らふたりの命と引き替えに溶岩の中に叩き落とされた。
「がぁっ、あぁあ゛っ!!!」
焼ける、燃ける、灼ける。体が燃えていく。喉が、肺が、臓腑が焼ける。五感の全てもこの灼熱の中で燃やし尽くされている。それでも四肢を動かし続け、イズナは溶岩の海を渡りきった。辛うじて突き出た岩の上に体を投げ出す。
「ぁ゛、ぁ゛~~……ぁ…………」
全身がボロボロでまともに動かせない。
あるいは、ここで死ぬのかもしれない。それでいいように思えた。いい加減、死んでしまえばいい。あの日からずっとそうだった。はずなのに。
目も耳も灼かれているはずなのにイズナの目の前には今もあの穴があった。
死ぬことは恐ろしくない。けれど穴が全てを飲み込む事が怖かった。あの穴の底にあるはずのものを見つけられないことが。その前に死んでしまうことが。自分でもわけのわからない思考だ。
けれど、普段暴力以外で禄に動かない体が、今も生存しようと足掻いていた。
アリスと雇い主の争いがどうなるかはわからない。けれど、もし噴火が起きるならここにいては危険だろう。燃え尽きる寸前の体に鞭打ってイズナはなるべく熱くない地点を選んで勘を頼りに外へ向かい始めた。
〇
噴火はゲヘナ大地の殆どを焼き尽くした。けれど、それだけだった。
雇い主の夢想したキヴォトス全土を沈めるような温泉が湧き出ることも、キヴォトス全土を覆い晴れることない黒煙も、イズナを灼いた溶岩に全てが飲み込まれることもなかった。
その結果を包帯まみれの体でイズナは眺めていた。
魔王と勇者。結局勝ったのはどちらだったのか。
問いかけたところで答えはない。ただ、イズナを雇っていた彼女はこの結果を見れば「つまらん!」と不機嫌そうに顔を背けたように思える。体中の火傷痕は徐々に治癒し始めていたが、後遺症か喉が引きつり、以前よりも声が出しにくくなっていた。無理をすればしゃべれない事もないが、声を出すのがこれまで以上に億劫になった。
イズナは結局生き残ってしまった。そして生き残ったからにはまた一段と荒廃したこのキヴォトスで暴力を振りまくことになるのだろう。生き汚い自分の体を恨めしく思い、さりとて死ぬ気にもなれないイズナにはそれしか選択肢はなかった。
今も頭の中の大半はあの日の光景で埋め尽くされている。抱き上げた体。真っ赤な血。そこに空いた穴。ただ、頭上に広がっていた青空だけは上手く思い出せなかった。
〇
それからも戦って、殺して、殺されかけて。戦って、殺して、戦って、戦って。
ただそんな事ばかりを繰り返した。世の中がどうなっているかなんて知ったことではなかった。ただ、暴力に溺れる日々を過ごした。そうしなければとイズナを突き動かす何かがあった。その衝動だけでイズナは生きていた。
百鬼夜行へ向かう依頼を受けたのはそれからしばらくしての事だった。
その頃にはイズナの頭にはもうどうやって暴力を振るうか、どうすれば人を殺せるか、そんな事で埋め尽くされていた。それしか考えないようにしていた。それしか考えていないのだと思い込むようになっていた。
だから、すんなりとその依頼を受けた。自分がそれまで百鬼夜行に寄り付かないようにしていた理由すらその頃のイズナは忘れていたのだ。
依頼の内容はとある娼館の地下深くに保管されている"願いを叶える道具"を回収することだった。まるで冗談のような依頼内容だったがイズナにはその真偽も意図もどうでもよかった。ただ、暴れられればそれでよかった。
「い、いらっしゃいませ……淫靡なる夢の館『百夜堂』へようこ、そ……」
裏から忍び込むなんて考えはなかった。そもそも、それではイズナの望みが叶えられない。イズナはただ無心で暴力を振るいたかったのだから。
だから正面から娼館を訪ねた。どこかで聞いたことのなる店名。出迎えたのは光を失った瞳で満足に秘部も隠せない淫らな服装で知っていたはずの誰かだった。
あぁ、でも胸は膨れ、ジャラジャラと鎖で飾り、身体中に墨を入れ、絶望に染まった瞳で媚びるそんな姿は知らない誰かだ。
邪魔なので殺した。
店の中に踏み込む。首輪をつけられて四つん這いで歩く誰か。男の上で気持ちよさそうに腰を振る誰か。膨れた腹を踏みつけにされて嬌声をあげる誰か。
邪魔なので全て殺した。
──どこかで、見覚えがあったような。
抵抗があったような気がする。
名前を呼ばれたような気がする。
突き急かす暴力のままに全て殺した。
地下は上の建物などよりよほど広い空間が広がっていた。全てが最高級の調度で揃えられた百鬼夜行でもそう見ることのできない絢爛豪華は光景。よほどの上客を迎える為の場所なのだろう。畳も、椅子も、女を鳴かせる様々な道具も全て血に染めてしまったが。
「こんばんは、あなたがここに来るとは思いませんでした」
血まみれの空間で声をかけられた。
うるさいのでさっさと殺そうと思ったが、そういえばこれが目的のブツだった。
「ふふ、いい場所でしょう?」
活け造りにされた女が笑っていた。
これまで様々な悪人を見てきた。暴れるために場所を選ばなかったイズナは流されるままにキヴォトスの闇の中を歩いてきた。多くの邪悪を見た。醜い欲望や浅ましい行いを見てきた。目の前のそれはその中でも特段に悍ましいものだった。
ただ、その星屑はずっとイズナが目を背けていたものを突きつけた。
「かなりイカれてきてたのは知ってましたけど……もう本当に壊れてたんですね。ねぇ、ちゃんと気づいてました?最近の百夜堂は母体にされたお祭り運営委員会はもちろん、中小の部活に目をつけてまとめて攫って商品にしてたんですよ?……さっきあなたが殺したそこの──忍術研究部とか」
「…………ぁ」
いや、それはイズナが自分の手でやったことだ。目の前のあれはただそんな事にすら気づけなくなっていたイズナに当たり前の事を教えただけだ。
最後に別れたあの日から変わり果てた体にされてしまっていた忍術研究部の後輩たち。醜い欲望によって散々に貪られ、いじくられ、きっとあの頃のように笑うこともなかっただろうかつての部活の仲間たち。
そして──
「……………………ツクヨ、殿」
豊満な肉体が扇情的に飾りつけられていた。淫靡に、けれど下品になりきらずに。胸を強調するように、乳房の周りに兎を模した入れ墨が彫られていた。ここの客層向けの装いだったのだろう。一年の頃からずっと共にいたはずの彼女がそんな体にされていることが痛ましい。体の中を常に蠢いている気持ち悪さが抑えきれず溢れ出しそうになる。
その胸の中心にぽっかりと風穴が空いている。
穴。
あの日の先生と同じように。赤黒い。底のない、穴。
今度はイズナ自身の手で。
それはイズナのいつもの殺し方だった。そうだ、いつからかイズナの傍らにある穴はイズナ自身が生み出すようになっていた。そんな事すら気づかずにいた。
「…………なん、で」
自分が逃げた場所。
大切だった人たち。大切だから逃げた。きっとイズナがいては彼女たちを傷つけることになってしまうからと。イズナさえいなければ大丈夫だから。なんて。
今はもう──動かない。
「…………………………………………」
だって、自分が殺したから。
全員イズナが殺してしまったから。
「──────────────────ッ!!!」
〇
つまるところ、イズナはイズナ自身に怒っていたのだ。間に合わなかった自分。助けられなかった自分。後を追うことすらできなかった自分。その怒りで体を満たしていた。怒り続けることでその奥にある願いに気づかないようにしていた。
会いたい。
ただ、それだけ。叶わないと知っているたったそれだけの願い。
それを叶えようとするでも、諦めようとするでもなく。捨てることはできなくて、けれど抱き続けることがあまりに辛いから。忘れようとして。ただ、忘れようとして。
そのためだけに狂って、狂って、狂い続けて。
そのためだけにツクヨは死んだ。後輩たちも、それ以外の、今までイズナが命を奪ってきた数多くの人たちが死んだ。
ただ、自分の中にある浅ましい願いから目を背けるためだけに。
その事を自覚してしまったのが限界だった。耐えきれなかった。
だから願ってしまった。
「イズナを、壊してくだい」
ひどく久しぶりに人の言葉を口にする。灼けついてかすれてひび割れた自分の声。最後の意味ある言葉。
願うべきでない凶星に向けて願いを口にした。
「わかりました。あなたの願いを叶えてあげます」
返答は至極あっさりしたものだった。
星屑の手がイズナの頭上へ伸び、そこにあるヘイローに触れる。
「あなたは本当に狂ってしまいたかった。ただ吹き荒れる嵐になりたかった。けれど、そう振る舞う事はできても、嵐そのものになれなかった」
「っ……!…………っ!!」
イズナの命に触れ、その形を歪めながら星屑は詠うように言う。
「だから、嵐そのものにしてあげます。このキヴォトスを壊し尽くす災厄そのものに」
ブツン。とイズナと世界を繋ぐ全てが断ち切られるような感覚を覚えた。
真っ暗な穴の底にイズナは落ちていく。
「ゆっくり眠って。次に目覚めるときには、あなたは滅びそのものに」
最後にそんな声が聞こえた。
〇
目覚めると周囲はとても静かだった。
辺りを見渡す。ここにはイズナが壊すべきものはもうなかった。
とても世界がシンプルに見える。イズナが壊すべきもの壊し終えたもの。この世界にはそれしかなかった。
だからその単純明快な世界に沿ってイズナは外へと飛び出した。
全てを壊し尽くす。その機能のままに。
強い人。弱い人。怒る人。泣く人。逃げる人。挑む人。
みんなみんな殺していった。胸にぽっかり穴を空けるだけで彼らはみんな動かなくなった。とてもわかりやすい。
殺している内に自分の体が億劫になって、形を変えることにした。もっと、もっと全てを壊せる様に。巨大で、暴力的な姿。夢中になって色々なものを壊す。壊して壊して、たくさんこわす。それだけのものにいずなはなった。
めのまえに じぶんとよくにた くろねこが いる
おそいかかってきた やりかえす きっと これが さいご
かみついた きりさいた ねじきった ぜんぶ やりかえされた
こわして こさわれて きづけばからだは うごかなく なっていた
だれかが ちかづいてくる けど もう ねるじかん
「お疲れ様でした……あなたが願ったとはいえ、最後は私の役目の半分をあなたに押し付けてしまいましたね。結果として、私の願いまで……。おやすみなさい」
やさしくて じゃあくなこえ
そういえば あのひから あおぞらを みていないな
そうして眠ったはずの彼女は最後の願いによって再び無理矢理起こされ
自らの機能の通りに再び暴れようとして
壊したはずの自分とせめぎ合いながらその声を聞いたのでしょう
"イズナ……!"
ようやく、彼女は青空を思い出して
ようやく、彼女は涙を流せたのでした
そんなお話