ようやく目指していた場景を書くことができました。
今回は比較的R-18らしい話になっていそうです。
唐桃-からもも-はこれで終了。
次回は5話に突入予定です。
また遅くなりましたが、誤字指摘をくださった方ありがとうございました。
感想やお気に入りなども、ここで書き始めた時には思ってもいなかった程たくさんいただき嬉しい限りです。
夜半。ミレニアムタワーの廊下を幾人かのメイドが連れ立って歩いていた。
彼女たちはメイド部、またの名をミレニアムのエージェントC&C。ここ数日は休み無しでエージェントとしての任務が続いており、今も新たな任務を受けて現地へ向かうためビルの屋上のヘリポートへ向かっていた。
「ったく、次はミレニアムの反対の端だってよ。相変わらずセミナーは人使い荒いぜ」
「そんなこと言って、リーダーも割と張り切ってる」
「張り切っちゃいねーよ。ただいつもとヤバさの質が違う感じっつーか──ん?」
集団の中でもひときわ小柄で目付きの悪い、何故かスカジャンを羽織ったメイドが、反対側から歩いてきたミレニアム生の顔を見て足を止めた。
「わわ、チビメイド先輩にエンカウントしてしまいました!今からクエストですか?」
「あぁ!?相変わらずナメた口利きやがって……ガキはもう寝る時間だぞ」
「ゲーム開発には徹夜がつきものなのです。アリスたちは現在デスマーチという超高難易度クエストに挑戦中です!」
「デスマーチって……程ほどにしておけよ」
「リーダー、そろそろ」
「ん、あぁ。──と、ちょっと待て。おいチビ、お前らの部活の連中で様子がおかしい奴はいなかったか?」
「おかしい?二徹目でシナリオが全然進まないモモイが唐突に『FATALITY……』と呟いて回転し出したりはしてましたが……みんないつも通です」
「そうか、ならいい。変なこと聞いたな…………部活、頑張れよ」
「はい!ネル先輩も!」
「あん?」
「クエスト、がんばってください!」
「おう」
駆け足で立ち去っていく生意気な後輩を見送ったC&Cの部長・美甘ネルは、ふと廊下の一点に視線を向けた。特に理由はない。なんとなくの直感だった。
「リーダー、早く」
先程から急かしてくる後輩のカリンの声を聞き流しながら、その一点をじっと見つめる。
「おらぁ!!」
見つめていた先、何の変哲もない壁に突如ネルの靴底がのめり込んだ。足裏を叩きつける、所謂ヤクザキックと呼ばれるものだ。足をどければ、ネルの靴の形に陥没し、ひびの広がった壁ができあがる。脈絡無く破壊した校舎の壁をネルはマジマジと観察した。
「……なんもねーか。悪ぃ悪ぃ、さっさと行くか」
どうやら気のせいらしい。あるいはこの場にアスナがいたなら何か気づくこともあったのかもしれないが。ここにいないものは仕方ない。
カリンへ返事を返し、ネルは自分たちを運ぶヘリが待っている屋上へ駆けだした。
後で任務の修繕費リストにこっそりあの壁の件も紛れ込ませておこう。そんな事を考えながら。
〇
獣のような叫び声を聞く。暴風の如く暴れる姿を見る。懐かしさすら覚える。狂い狐と呼ばれた彼女こそキヴォトスの終焉まで猛威をふるった最後の災厄の一つ。そして、レイサの願いを摘みとっていったもの。
キャスパリーグを殺したもの。
それ故に──最後のひと押しをレイサ自身でしたとはいえ──彼女に向ける感情は複雑だ。慈しみ、愛情、同情、愉悦、嫉妬、羨望。そう願われて、そうする必要があった。レイサが、星屑が選んだことだ。それでも。本当は彼女がいた場所に自分がいたかった。望んで求めて目指したはずなのに。最後に彼女と殺し合いを演じたのはあの狐だった。それが願いを叶える為に必要なことだった。いつからか目的と手段が裏返っていた。そうせずにはいられなくなっていた。
壊れ果て、変わり果てた化け物を見つめる。
鏡のようだ。十数年の自我も押し流し、成り果てた役割を演じるあの狐は自分によく似ている。
──似ているはずだった。
「主殿!!会いだがった……ずっと、ずっと会いたかっだ、です!ずっと、ずっと…………ずっとぉ…………会いたかったぁ…………主殿ぉ…………」
止まることなど無いと思っていた。あぁなったのならもう死ぬまで狂い続けるだけなのだと。そのはずなのに──そうでなければならなかったのに。
──お前、なんでそんな泣きそうな顔してるんだ?
直前にゲヘナの風紀委員に言われた言葉が頭を巡る。そんなはずはないと否定する。そんなものはもう染め上げられて、とっくに無くしたのだと言い聞かせる。おかしい。こんなことはおかしい。自分はこんな些細なことで、あんなありふれた奇跡で心揺れる存在だっただろうか。星屑は、最後まで喜んで自らの役割を全うしたはずだ。
その果てに自らの願いすら壊して。
そうして星屑は世界の終りに完成したのだ。完成してしまった。そこで行き止まりだ。
あの狐だっていつかの未来にそうして終わった。なのに──
グラグラと天秤の上の
大きな揺れに逆らいきれずレイサは駆けだしていた。かつて殺した人を、今度は死なせないために。
歪んで狂って何かがおかしい。
何よりも歪んで狂っているはずの星屑が。
壊れている。
〇
ハレによってハッキングされあっさりと開いた扉をカズサはくぐる。
監房なんて言われていたからもっと物々しい雰囲気を想像していたが、室内は一見するとごく普通の病室のようだった。強いて言うなら窓が無いくらいだが、それも集中治療室などを連想させ、誰かを閉じ込めるような場所とは思えない。
本来であればこの時点で室内を監視しているセンサー各種が許されざる侵入者を検知しアラートを上げるはずだが、それはハレの流すダミーデータに上書きされ、機能していない。あらゆるセキュリティの最も確実な攻略方法とはそのセキュリティの管理者側に立つことだ、とハレは言っていたか。
「レイサ……」
磔台のようなものにでも拘束されているかと思ったが、レイサは全周を覆うカプセル状の寝台に寝かされていた。上半分を覆うガラス越しに見える瞼を閉じたレイサの顔はとても静かだ。
まるで死体のような──。
嫌な想像に頭を振る。
閉じ込められているといえばそうなのかもしれないが、どちらかといえば重症者への措置のように思えた。
『ヘッドギアはあなたが被って。反対側の接続端子を寝台に繋いで』
耳元で指示を出すハレに従いマキから受け取った機器を操作する。
まるでこれからゲームでも始めるかのようだ。実のところカズサはあまりそういった遊びには疎いのだけれど。そういえば、レイサはどうなのだろうか。こういうゲームで遊んだりはするのだろうか。あの世界が巻き戻った日からずっと一緒に過ごしているはずなのに、自分はまだそんな事すら知らないのだ。
と、こんな状況なのにそんな事ばかりを考えてしまう。
『後はスイッチを入れたら、あなたの精神は彼女の中に送り込まれる。……星屑の精神なんて何があるかわからない。気をつけて』
「むしろ望むところです」
『今回の行動の責任は私のもの。みんなに黙ってカズサを彼女の下へ連れてきたのも、これからあなたを星屑の精神へ送り込むのも』
「別にそこまで背負ってもらう必要は……」
『いいの。だから、あなたはただあなたにしかできないことを──、記憶の回収をした後なら好きにしていいから。あまり長居はおすすめしないけれどね』
その言葉は、カズサの内心を見抜いて言ったことなのだろうか。
この部屋の前で会話したマキの事を思い出す。彼女は星屑を憎んでいた。ハレは一体どんな気持ちで自分を送り出すのだろう。彼女だって、未来で星屑にその人生を壊された被害者のはずなのに。
「あなたは……」
『きっと、誰にだって寄り添ってくれる人が必要でしょう』
準備はつつがなく完了し、後はスイッチを入れるだけだ。姿勢に迷ったカズサはレイサの眠るカプセルに背を預けるようにして座り込んだ。背中のむこう、カプセル内部でブゥンと何かが駆動し続ける音が伝わってくる。
ハレはそれ以上何かを言おうとしなかった。純粋にレイサに同情した言葉なのか、あるいは他に含みのあるものなのか、通信機越しのカズサには読み解くことはできなかった。思いつくことはいくつかあったけれど、都合のいいように解釈することにする。
きっとそれでいい。
「じゃあ、行ってきます」
スイッチを入れる。
バイザー越しに遮られていた真っ暗な視界が吸い込まれるように収束していく。プツン、と刺すような明滅と共にカズサの精神が自分の体の外へと送り出される。
そうして、カズサはレイサの心へと足を踏み入れた。
〇
気づけばカズサは真っ白な世界に立っていた。
地平線もわからない。始まりと終わりもわからない。何も無い世界。
「ここが、レイサの心?」
こんな、何も無い真っ白な場所が?
想像していたものと異なる光景に戸惑うカズサの前に、フッと灯りがつくように小さな人影が現れた。背丈はカズサの半分以下。ピカピカのスニーカー。カラフルな髪を二つに結い、丸い帽子を被っている。今よりも小さなリュックを背に担いでいた。
それは幼い姿をした宇沢レイサだった。
「こんな所まで来て……物好きですね、あなたは」
苦みの混じった、幼い子供に似つかわしくない表情でレイサが笑う。
「レイサ、なの?」
「どちらかといえば宇沢レイサの思い出と言うべきなのかもしれません」
「それはレイサと違うの?」
「宇沢レイサの一部には違いありません。ただ、ほんの一部。それもこうして心の外殻に逃がされた力の無い心の欠片です」
欠片という意味では私もまた星屑なのかも。なんて眉をハの字に困ったように笑う。幼くともそれはカズサの知るレイサの表情だった。
カズサは彼女の言葉の中で気になったものを聞き返す。
「心の外殻っていうことはまだここはレイサの心の中じゃない?」
「心の中と言えば中ですが、一番外側ということになるのでしょうか」
しゃがみ込み、足下の真っ白な地面をぺたぺたと触りながら幼いレイサは言葉を続ける。
「この殻の向こうは星屑の記憶や感情と今の宇沢レイサでぐちゃぐちゃです。私はそこから弾き出されたので、今どうなっているかはわかりませんが」
「殻の向こうに行くにはどうしたら?」
「……行きたいんですか?きっと見ても気持ちのいいものでは無いですよ?」
真っ白な世界でぽつんとしゃがみ込むレイサの姿は寂しげに見えた。
「その為にここにきたんだもの」
「でも、あなたの知る宇沢レイサはとっくに無くなってしまっているかもしれないです。それに星屑の記憶はとっても恐ろしい。近づくだけでも危ないです、特にここでは。あなただって宇沢レイサと仲のいい人なんでしょう?そんなあなたを危険に晒すのは私も望まないと思います」
そこでカズサは目の前の幼いレイサが一度も自分の名前を呼んでいない事に気がついた。
「あんた……もしかして、私のことがわからないの?」
「私にとってとても大切な人だというのはわかります。けれど、それ以上のことは何もわかりません。私は、星屑から最も遠い記憶だから。だからこそ、こうして逃げ出すことができたから」
ごめんなさいと俯く。それは何に対してか。
カズサの名前がわからない事か。自分だけが逃げ出してここにいる事か。
ただ、たとえ記憶のひと欠片だとしても目の前のレイサにそんな風に謝られるのは嫌だった。カズサはレイサに目線をあわせるように膝を突くとその顔を上げさせた。
「別にあんたが謝ることじゃないでしょ。それより、私は星屑の記憶に触れなきゃならないの。だから、どうしたら中に入れるのかを教えて」
「それは──やめませんか?本当に危険で……」
「やらなきゃいけない事だから……心の中に土足で入られるのなんてあんたは嫌だろうけれど、お願い」
「……」
カズサの真剣な表情を小さなレイサはじっと見つめた。それから、幼い額をカズサのそれにコツンとぶつける。
「わかりました。けれど、この先に行くというのなら"私"を連れて行ってください。きっと道しるべくらいにはなるはず。……つまらない記憶ではありますが」
言葉と共にカズサの脳裏を過ぎったのはセピアの風景だった。
〇
私が人助けを志したのは、まだ数を十数えられるようになったばかりの頃でした。その日、私は何かの催し物でもらった風船を片手に公園を走り回っていました。なんのイベントだったのか、どこの公園か、そういうことはもう良く思いだせません。ただ、もらった赤い風船をとても気に入っていた事は覚えています。
握った紐の先、フワフワと揺れる風船。
私が走ればそれにつられて風船も後を追ってきます。それが楽しくって、夢中で駆け回って。けれど足を動かすことと風船を見ることに夢中になっていた私はうっかり風船の紐から手を離してしまったんです。
え、この後の話はもう想像つく?
へへ、まぁそうでしょうね。別にここから、実は風船の中にに盗まれた宝石が隠されていて──なんてどんでん返しもありませんし。
えぇ、あなたが想像する通り。
手を離した風船は勝手に空へ飛んでいって、運良く木の枝に引っかかりましたが幼い私に届くような高さではありませんでした。その頃の私には木に登るという発想もなくて、もう手の届かない風船を見上げて泣くことしかできませんでした。そんな風船を偶然通りかかった大人の方が取ってくれたんです。どんな人か、本当に大人だったかも覚えてません。木に登るでもなく、軽くジャンプして紐を掴んでいたので当時の私より大きい事だけは確かですけど。
その人は、もう離しちゃダメだよって風船を私に返してくれました。
顔も思い出せないその人が、私にはとても格好いいヒーローに思えたんです。見ず知らずの困っている私のところへやってきて、助けてくれた正義の使者。
それだけです。本当にそれだけ。
その後に何か話をしたわけでもないですし、事件が起きることもありませんでした。返してもらった風船を持って私はまた元気に公園を走り回って、それでおしまいです。あの風船を最後どうしたのかも思い出せません。
それでも、当時の私にとってその人の行動はとても心に残ったんです。
自分も困ってる人を助けるようにしようって、そう思うくらいには。
おうちの手伝いをしてみたり。大変そうなおばあさんの荷物を持ってあげたり。いじめっ子に立ち向かったり。人助けになりそうと思ったことを率先してやるようにしました。ヒーローというものに興味を持って、そういう番組を色々見るようにもなって。彼らを真似していろんな口上やポーズも考えるようになりました。
失敗することも多かったです。
「レイサちゃんさ、しつこいよ。空気読んで」
みんなの中でヒーローをしようとするのはとても難しい事でした。私はこうと思ったらそればっかりになっちゃうみたいで。面倒くさい奴とか変な奴って言われることもよくありました。怒らせたり、嫌な気持ちにさせちゃうこともあったみたいで。
本当に小さな頃はそれでも周りと仲良くできていたはずなんですけど……小学校に上がってしばらくしてからは、遠巻きにされることが増えました。ちょっとしたいじめみたいなこともありました。ものを隠されたり、無視されたり、本当にちょっとだけで……大した事はなかったんですけど。
あんまり、向いてなかったんだと思います。
それでも、そういうみんなとは関係ないところ、町中で誰かの助けになれた時「ありがとう」って言ってもらえることだけは変わりませんでした。外でなら、私は正義の味方を続ける事ができました。私は一人で人助けをして回ることが多くなりました。
……そうやって一人で人助けをしている私なら、感謝されることはあっても誰かを不快にさせるようなこともあまりなかったですし。
宇沢レイサが今もあの風船を取ってくれた大人の方を覚えているのかはわかりません。けれど、その時の感情はずっと私の中に残ってるんです。
それだけです。
それだけの、宇沢レイサのほんの一欠片、です。
〇
「…………」
一人になった白い空間でカズサはぼんやりと立ち尽くしていた。
今見たものは幼い頃のレイサの記憶だった。おそらくは中学にも上がる前、精々が小学生くらいまでの彼女の記憶、その一部。
「いや」
頭を振る。
とても大切な記憶だった。レイサにとってきっとかけがえのない記憶。けれど、それに飲まれてはいけない。人の精神の中で自分を見失うことほど危険な事はないのだから。
ふと、視線を落とせば目の前に丸い穴が空いていた。まるでここに飛び込めというかのようにちょうど人ひとりが入れそうな大きさだ。そして、その穴の淵からは何か黒々とした瘴気の様なものがあふれ出し始めていた。
殻が防いでいたもの。星屑の精神。
恐ろしい、危険だと幼い姿のレイサが繰り返していたのを思い出す。
だが、その危険なものに蝕まれているのが今のレイサの心だというのならここで躊躇うわけにはいかなかった。
一度だけぎゅっと目を瞑り、それから底の見えない穴を見据えてカズサは飛び込んだ。
──あなたは、何をしに行くんですか?
穴に飛び込む瞬間、脳裏にそんなレイサの声がよぎったような気がした。
問いかけへの答えを考える前に、カズサは真っ黒い闇に包まれた。
〇
「トリニティ?」
穴に飛び込んだカズサの視界に広がったのは見覚えのあるトリニティの町並みだった。清潔で歴史を感じさせる白い建物と石畳。道に等間隔で並ぶ緑の街灯。人気が全くないのは不気味だったが、それを除けば先程の白一色の世界よりはよほど見慣れた光景だった。
「どこかにレイサは……」
そう呟いてカズサが一歩を踏み出した瞬間。
石畳は砕け、建物は瓦礫になった。並ぶ街灯はひしゃげ、空は赤く染まる。
「なっ!?」
それはページを捲ったとたん場面の切り替わったマンガのような、唐突過ぎる変化だった。
もう一歩足を進める。
清潔な町並みが広がる。
もう一歩足を進める。
全てが壊れた廃居の街が広がる。
もう一歩足を進める。
再び清潔な町並みが広がる。
一歩足を進めるごとにカズサの周囲は繰り返し切り替わる。平穏な町並みと滅んだ町並み。空の色すらも青と赤に、繰り返し繰り返し世界が切り替わっていく。
頭がおかしくなりそうだ。
「これも、星屑の影響?」
正直、目をつぶって歩きたい。けれどそれではレイサを見つけられない。
現状では視界がチカチカする以上の害はないはずだ。そう言い聞かせてカズサは切り替わる周囲の変化をなるべく意識の外に追いやって周囲を散策した。
しばらく歩き回ってみるが何の変化もない。視界は相変わらず足を進める度に切り替わり、乗り物酔いのような気持ち悪さをカズサに覚えさせていたがそれだけだった。漠然とした不安が沸き上がってくる。このままずっと誰もいないトリニティを歩き続けることになるのではないだろうかと。
──扉を。
その時、脳裏にふとそんな言葉が浮かんだ。躊躇いがちなそれは、あの白い世界で出会った幼いレイサのものに思えた。見回してみれば切り替わり続ける町並みのなかで建物の扉だけが不自然にどれも変わらずにいた。街灯がひしゃげ、壁が崩れていても、扉だけは変わらぬ位置で閉じられていた。
「……。このまま目眩のする景色を見続けるよりはマシか」
そんな風に自分に言い聞かせ、カズサは目についた扉の一つに手をかけた。
〇
痛いこと、気持ちいいことが繰り返し押し寄せる。
頭の中はぐちゃぐちゃで、かけられる言葉の意味も上手く理解できない。ただ、理解できないままだと痛みが繰り返されるからそこから逃れようとして必死に聞こえた言葉に従ってみる。
「ごめんなさい」
わからないけれど謝罪する。
「ありがとうございます」
わからないけど感謝する。
痛い?気持ちいい?それすら曖昧になって。けれど、感謝しているのだからこれは気持ちいいのだとそんな気がしてくる。ここがどこか、自分が何かも曖昧になる。
足と足の間。閉じていたはずの割れ目を誰かの指が押し開き中を擦る。普段触ることも触られることもない私の中。知らない感覚。知りたくない感覚が体を走る。気持ち悪さ。異物感は肌を這うように脇腹を登り首筋を抜けて頬を強張らせる。体の一点に触れられているはずなのに、そこから体中に広がるなにか。
違和感。そのはずなのに、繰り返されていく内に私の体はもっととそれを求め始める。
「おい、なんて言うか忘れたのか?」
私は慌てた。今の言葉に反応が少しでも遅れれば顔をぶたれる。何度も何度も謝って、目の前の人が満足するまで痛い思いをする。だから、もつれる舌で必死に言葉を紡ぐ。
「あ、ありがとうございます」
「そうだ、気持ちよくしてもらったんだから感謝だ」
言われてそうだと納得する。納得しなければもっと痛みや苦しみが襲いかかってくる。靄のかかった頭でもそれが嫌だということくらいは考えられる。いや、理性や複雑な思考が崩れた後だからこそ、剥き出しの本能的な感覚がより強くシンプルに判断を下す。言われた言葉を自分の中に刻み込んでいく。
この内側をまさぐられる異物感も嫌悪感も、気持ちいいものなのだと。
だって自分は感謝しているのだから。
何かがおかしくなっている気がした。けれどなにがおかしいかを判断する事はできなかった。
「舐めろ」
目の前に濡れた指が差し出される。
それは先程まで私の中にあった指だ。なら、あの指を濡らしているものは私の中から溢れたものなのだろうか。それを口にしていいのだろうか。
わずかな躊躇を覚えた瞬間頬をはたかれた。
「ごめんなさい」
はたかれる。殴られる。お腹にも痛みが走る。蹴られている。
痛い。痛い。
曖昧な思考の中でそれだけは確かで。
「ごめんなさい!」
「ごめんなさい!ありがとうございます!」
謝罪と感謝を繰り返す。満足してもらえるよう、許してもらえるよう何度も繰り返す。
「ごめんなさい!ありがとうございます!!」
なんで私は感謝の言葉を口にしているのだろう。
それはきっと。
この痛みすら、私にとっては気持ちいいものだから。
本当に?痛いのは嫌なはずだ。避けるために必死になっていたはずだ。けれど、口から零れる言葉は謝罪と感謝で。なら、やっぱりこれも気持ちいいのだと思う。
そういうことになる。
何度も謝罪と感謝を繰り返すとやがて痛みは去って行った。未だジンジンとした熱が体に残っている。足の付け根辺りが先程より湿り気を帯びている気がする。
そしてまた目の前に指が差し出される。
言葉はない。けれど、何をすべきかを私は理解していた。
わずかに乾き始めていた指先を丁寧に舐めていく。舌先を何度も何度も往復させ、その指を汚してしまった"私"を舐め取っていく。それは少し苦くて、しょっぱかった。
「きれいに舐められたご褒美をやろうか」
丁寧に指を舐めていた私の口から指を引き、目の前の人は何か細いものを私の目の前に掲げて見せた。針、だろうか。暗い部屋の中でも鈍く金属の輝きを放っている。それで何をするのか私にはわからない。けれどご褒美という言葉に体は期待し、胸の先端はその興奮に固くなっていた。
「ハッ、これなら簡単につけれそうだな」
まるで良くできたと頭を撫でるように固くなったそこを抓られる。
「ん♡あぁっ♡♡」
それだけで私は自分でも抑えられない甘い声を上げてしまう。
そうして何度もこねくり回されたそこに冷たい針先が触れる。
「い゛っ♡」
無造作に貫かれる。血が私の胸を、お腹を伝う。
けれど、これはご褒美だから。この痛みも私に与えられた快楽なのだ。
痛みに酔っている内に針は引き抜かれ、代わりに別のものが差し込まれる。私の胸にぶら下がるきらりと光る輪っか。私に与えられた褒美。私が何かを示す証。
「まぁまぁ様にはなってるか」
「ひぎぃっ♡♡♡」
未だ血を流す穴に通されたそれを指で弾かれる。輪っかの揺れる振動が私の胸に直に伝わり、痛みとも快楽ともつかない衝動が私を貫いた。
「さて、お前は何だ?言ってみろ」
目の前の人が問いかける。私がなんであるか。わからない。わからないけれど何度も言い聞かせられた言葉があった。聞かされている間は上手く咀嚼することもできず、ただその音だけが何度も私の脳にすり込まれていた。
自然と口は動いた。
「はい、レイサはご主人様たちの奴隷です。どうかお好きにお楽しみください」
口にして、その時に理解する。
目の前の人がご主人様なのだと。自分が人以下の奴隷であるのだと。胸の痛みが、快楽がそれが正しいと私に教えてくれる。自分が何者か。何をする為の存在か。
胸に光るピアスを見て実感する。
自分が人間としてとっくに終わっていることに。虐げられること、ものとして扱われることを気持ちいいだなんて感じて。あり得ない場所にピアスをつけられた。こんなものスイーツ部のみんなにも杏山カズサにも先生にも見せられるわけ無い。彼女たちのいる場所にもう自分の居場所なんて無い。
今も血が流れているのに、望んでなんていなかったはずなのに。ドキドキと胸は高鳴り早く弄って欲しいと股を濡らしているのだ。
そんな自分を理解して、媚びるように笑って見せた。
それが目の前の主人を喜ばせるのだと理解して。喜ばせなければと思う。
宇沢レイサだった肉奴隷が笑っていた。
〇
「────はぁっ、はぁっはぁっ、はぁっ」
崩れ落ちるように膝をついた。息が上手くできない。いや、ここはそもそも精神世界。レイサの心の中。無理にでも呼吸をする必要はないはずだ。それでも、カズサは空気を求めて必死に息継ぎを繰り返す事を止められなかった。
幼いレイサの記憶を垣間見た時にもわずかに感じた事ではあったが、これは単純に記憶をのぞき見る程度のものではなくて。まるで追体験するかの様にその時のレイサの感覚、感情までもが流れ込んでくる。
胸の先に血が流れているような痛みと、そして甘い快感を覚える。レイサが殴られた各所が熱を帯びている。何より。あの明らかに捻れた思考回路が。記憶を観測するカズサはそれが明らかに誘導され、歪められたおかしなものだとわかるのに。記憶を追体験している間は具体的に何がどうおかしいのかがわからず、おかしいという意識だけ残されたままレイサの思考をなぞっていた。それがどうしようもなく気持ち悪い。そんな思考しかできていなかったと後追いで理解が追いついてくることで余計に怖気が走る。
あれは、おそらく最初に攫われ監禁されたときのレイサの記憶だった。
長い監禁と陵辱で意識が混濁していたのか。いや、おそらくはそれだけではない。靄のかかった思考、なのにすんなりと相手の言葉を受け入れる精神状態はおそらく薬も使われた結果だ。
理性でもって先程の状態を分析することでカズサはなんとか胸中に渦巻く気持ち悪さを、そしてそれに混じった隷属の精神を押さえ込もうとした。
レイサがひどい目にあった事は知っていた。彼女がカズサの前から去った日から、カズサはレイサの身に起きたことを調べていたから。
陵辱を受けるということがどれだけ悲惨かも知っていた。星屑の手引きによるもの、闇社会で大人たちが行なっていたこと。未来でカズサはそういった被害者たちを嫌と言うほど見てきた。
けれど、その記憶を追体験させられることはそうした外からの知識を越えカズサを揺さぶっていた。
今のレイサはこんな記憶を抱えているのか。
星屑となったレイサはこんな目にあっていたのか。
──私が何にも気づかずのうのうと過ごしていた間に、レイサは。
過去に戻り、未来を変えられるならそれで全て解決すると思っていた。けれど、今見せられた記憶はそんなものは関係無いのだとカズサの罪を突きつけているように感じられた。
──あなたは、何をしに行くんですか?
自罰的な思考に俯きかけたカズサの脳裏にその問いかけが蘇る。ここへ飛び込む直前、幼いレイサに投げかけられたのだろう問い。
「私は……」
アテナ2.5号越しのハレとの会話を思い出す。未来の記憶、それを病と定義して治療を行なうのだと彼女は言った。そのために星屑の記憶が必要なのだと。カズサがここへ来ることになった理由はハレの依頼だ。
けれど、それはただの理由だ。未来の記憶をどうにかできるなら願ってもいない。協力は喜んでする。けれど、カズサがレイサの心に踏み込むことを望んだのは。誰にも知らせることなく先生たちにも黙ってここまで来たのは。
レイサを助けたい。
たとえ未来で自分が間違っていたのだとしても。その罪が無くなったわけではないとしても。一度は失っているのだとしても。今ここにレイサがいるのだから。
今度こそ、手を掴みたい。そして二度と離したくない。
顔を上げる。
荒れた息が落ち着く。
陵辱の記憶は今も重しとなってカズサの心を縛ろうとする。だが、それは膝をつく理由にはならない。
カズサはレイサを助けたい。だからここまで来た。この先に行く。
もっと深く。レイサの心の奥にまで。
落ち着いたカズサは、ふとマキに言われたことを思い出す。
「これでダイブした後、目的の記憶を見つけてあんた自身が触れれば回収完了だって」
こうして星屑となる宇沢の記憶を追体験したのは星屑の"記憶"に触れたということになるのだろうか。もう少しわかりやすいもの──例えば星屑としてのレイサが心の中で暴れていてそいつと戦うとか──を考えていたが、こうしてみると何をどうしたら星屑の記憶に触れたと言えるのかわからなくなってくる。
「流石に今ので目的完了、とはならないよね」
あれは未来のレイサの中でも最初期の記憶だろう。それに極論すれば星屑となる以前の記憶にも違いない。そう考えればハレからの依頼を果たせたと判断するのは時期尚早に思えた。
受けた依頼もカズサの目的も未だ途上だ。
見渡せば扉はまだ無数にある。おそらくどれかが"先"へ繋がるものなのではないかと漠然と思う。あるいは最後の扉か。
「……」
改めて自分の体を確認する。体の熱は引いているようだった。痛みと快感の余韻も落ち着いている。気合いを入れるように自分の頬を叩いて気合いを入れる。
「片っ端から開いていく!」
自分の内で小さなレイサが「そんなに無理しなくても」と心配し引き留める声を上げているようにも思えたけれど、今は無視することにした。自ら高らかに宣言した通りにカズサは手近な扉に手を伸ばした。
〇
「カズサが星屑の記憶に接触したみたいだね」
「うん、このまま……最後まで、いって、くれるといいけど……全部、は、求めない。ある程度、得られれば……」
ミレニアムの暗い一室。機械のランプとディスプレイだけが光るそこで、マキとハレが画面を注視しながら何かのプログラミングを行なっていた。
「ハレ先輩……本当にみんなに何も言わなくてよかったのかな?」
手を動かしながらお団子頭の少女、マキはやや罰が悪そうな顔でそう言った。その視線はわずかに自身の指先に向けられる。チヒロに握ってもらった手を、その感蝕を少しだけ思い出すと彼女の胸にちくりと痛みが走った。
「時間が、ない」
答えるハレの言葉は端的だった。
「けど、チヒロ先輩もみんなも……ちゃんと話せばわかってくれるはずなのに。それに、カズサも……」
ディスプレイに流れるのは今もカズサを通してスキャンし続けている宇沢レイサの記憶データだ。カズサへ詳しく説明していないことだったが、カズサに渡したダイブ装置は装着者を端末としてダイブした精神をスキャンできるように改造されたものだった。
マキはカズサに「記憶を見つけて触れる」ように言ったが実のところ彼女がレイサの精神の中を探索し続けることでハレの元に星屑の記憶データが勝手に集まるようになっていた。
「部長も副部長も、コタマ、先輩も、それにカズサも、みんな信用してる。協力も、もちろん、する。けど」
うまく回らない舌でハレは言葉を紡ぐ。機械越しに流暢に再生される声は実際にハレが発したものではなく合成されたものだった。今でもハレは手足を動かすこともままならないし、口も満足に動かない。それでもマキに対してこうして肉声で話しているのは彼女なりの思い入れなのかもしれなかった。
「今、やってることの説得、には時間がかかる。危険性を、ごまかす、のも、先輩たち相手じゃ、難しい」
「……後で怒られるね」
実際にはそれですまないだろうと思いながらマキは言葉を返す。言ってしまえば、これは自分たちを信じてくれた彼女たちに対する裏切りなのだから。自分たちの行いを目にした時チヒロがどのような顔をするか、それを想像すれば後ろ髪を引かれるのも当然だろう。
苦みを帯びたマキの声音に、わずかに目を細めながらハレは言うか迷っていた事を口にした。
「裏切ったのは、"未来"の、私たち……。たとえ後で、部長たちが、この事を知っても……私達は、すぐに、消える」
「……っ」
今進めている治療装置が完成したなら、未来の記憶は全て消し去られることになる。おそらくは未来の記憶を持って起こした行動についても同様だろう。こうして今カズサを利用して星屑の記憶を覗いているハレやマキも。
チヒロたちを裏切ったのは邪悪な"未来"の二人。
残されるのは何も覚えていない"今"の二人だ。
ハレはそう言っていた。
それはとても寂しい言葉だとマキには思えた。
だから──
「そっか、じゃあ精々今のうちに好き勝手やっちゃおっか!」
ことさらに明るい声音でマキはそう答えた。
決してハレを一人にしないように。
青白い光がまばらに灯る部屋でここではない未来を負わされた二人は話す。
いつか自分たちの手で消し去る
◯
「キャスパリーグ!今夜こそ私が勝ちます!!」
中学時代、勇ましく心躍らせながらカズサに向かっていった。
「い゛っぎぃ♡♡♡……あ……が、ゆ、指……を♡切り落とし、まじだぁ♡……はい、今っからぁ……♡ご主人様の、ご夕食……をぉ♡調理、いたしましす♡」
命令のまま血まみれになりながら自分の指を味付けし火を通して笑っていた。
「スズミさんに置いていかれちゃいますね。急ぎましょう!」
戦いの中でカズサに抱きしめられて、熱くなる頬を誤魔化すように走り出した。
「かわいがっていただき、ありがとうございました♡……さようなら」
ぽかりと空いた膣から白濁とした液体を溢しながら、先ほどまで自分を抱いていた大人を殺した。
「あ、あーん……んぐっ!!これすっごく美味しいですアイリさん!」
カズサとのやりとりに、自分も真似したいとアイリが差し出したチョコミントアイスを口にして、無邪気に笑った。
「あなたは何を望みますか?」
己の望みを叶えるため、破滅すると知りながら主人の背中を押して仄暗い愉悦に浸る。
過去が今が未来が。
星屑もそうでないレイサも区別も順序もなく。
カズサの中を通り抜けていく。
その度にカズサは知るはずのない悍ましい感触に吐きそうになり、知らなかったレイサの想いに泣きそうになった。まだらのように入れ替わり立ち替わり訪れる記憶は、今のレイサのぐちゃぐちゃな心そのものの様に思えた。その濁流に翻弄され、見失いそうになる自分をカズサは必死で繋ぎ止めた。
まだ自分は手を伸ばすべき彼女の奥底に届いていないのだからと。
全てを注ぎ込まれたレイサに比べれば、この程度の記憶の断片で音を上げるわけにはいかないと。
そして、最後の扉を開いた。
◯
「ご、ご主人様……どう、か……どうかそれだけは……」
「……」
それは最後の記憶だった。
多分、ただの宇沢レイサとしての最後の。
「どうかお願い、しまっぐ!」
いや、この時には宇沢レイサという存在は跡形もなく壊され切っていた。従順に媚びて、被虐に酔い、命じられたことになんでも従う肉人形。体中を開発されきって、卑猥な言葉を、奉仕する悦びを教え込まされて。とっくに元の形もわからないくらいにおかしくされていた。
どこかで虚ろに笑うレイサの声が聞こえた気がした。こんなものですよ"宇沢レイサ"なんて。こんなもの、たった二週間で全部壊れてしまう程度なんですよ、と。ひどく投げやりで自虐に満ちた笑い声。それでも。
主人に縋りつきながらキャスパリーグを見逃して欲しいと希う彼女は宇沢レイサだった。殴られて、蹴られて喘ぐ体に作り変えられて。それでも。
「かの♡じょ♡は……もう、も……あん♡」
頭の中はバラバラで。全身がツギハギまみれで。それでも。
最後に残った星の欠片を集めて願っていた。どうか、どうかと。たった一つだけを願っていた。
その果てに──星屑が生まれた。
◯
雨の降る公園に裸のレイサがぼうっと浮かび上がった。最後の扉を開いた直後の事だ。見せられた光景を受け止めきれずに固まったカズサの正面だった。
それは、カズサにとってもひどく懐かしい風景だった。
「なんで、あなたに見れられちゃうんですか」
体中には好き勝手にピアスやタトゥーが入れられ、未成熟な体を淫らに彩っている。かつて自慢げにそれらを見せびらかされたことを思い出す。楽しげに笑う壊れたレイサを。
今は、そんな体を抱き隠すようにしてレイサは泣いていた。
「なんで、あなたなんですか?あなたにだけは……知られたくなかったのに」
その泣き顔に狼狽えて、言葉に迷った。ひどいことをしたと理解する。最後の、あの記憶だ。どれだけ楽しそうに自身の調教の過程を語ろうときっと口にすることはなかっただろう記憶。宇沢レイサが砕け散る瞬間。
自分に何か言葉をかける資格があるのだろうかと躊躇った。
けれど、同時にそれを押し流すような衝動があった。彼女が、レイサが最後に望んだことを知って、彼女が星屑になってでも失いたくないと願った思いを知って。自責も、罪悪感も、悔恨も全て飲み込む衝動。カズサはほんの少しだけそれを堪えて、けれど結局は身を任せた。
泣いているレイサを抱きしめる。
「──────レイサ」
それは、様々な感情の入り混じった声だった。
ただ、何よりも愛おしさの籠もったものだった。
カズサはレイサに対する自分の感情を妄執に似たものだと考えていた。好意もある。憎悪もある。怒りや悲しみ、哀れみも。それら全てをひっくるめて、遠い未来に追い続けたレイサへの拭うことのできない執着だと思っていた。今のレイサを大切に思うことも、その日常を守りたいと願うことも、その延長線上にあるのだと。
「レイサ……レイサ、レイサ」
けれど、ただ今は彼女が愛おしかった。
壊れきるあの時、レイサがカズサに向けた感情は決して今のカズサと同じものではなかっただろう。純粋ではあった。儚くて強い、純粋な願いだった。けれど愛情かと問われれば違っていた。
「レイサ……」
それでよかった。
レイサを抱きしめながらカズサは思った。自分は今果たして自分の感情だけでこうしているのだろうか。見せられた記憶に流されて、レイサの想いに影響されて、こうして眼の前のレイサを抱きしめているのではないだろうか。
「レイサ……!」
それでもよかった。
カズサは乱暴に彼女の心に分け入ってこうしてレイサを泣かせている。それは暴力だった。決して肯定されるべき行いではない。それでも、その中でレイサから与えられたものがあった。それがカズサの心を満たして、彼女を突き動かした。自分の心だけではないのだ。レイサとカズサの心が自分の中にあるのだと感じた。
そしてだからこそ、彼女が最も苦しい時にそばにいられなかった事が悔しかった。
そんな自分が憎らしかった。
「レイサ、ごめ──」
言いかけたカズサの唇に触れるものがあった。それは先程まで泣いていたレイサの指先だった。それ以上は口にしてはいけないというように優しく唇を押さえ、わずかに赤くなった目を細めて、仕方ないなと言うようにレイサは笑って首を横に振った。
「その言葉は、この先の私自身に言ってあげてください」
眼の前のレイサはカズサの唇から指を離すと、その額に口づけした。
「あなたには知られたくなかった。それなのに、今あなたに知られてホッとしている。
そう囁いて彼女は姿を消した。
同時に、公園に薄汚れた鉄の扉が現れていた。それは星屑となったレイサが最初に見た扉だった。なんの変哲もない、けれど宇沢レイサにとっての終わりと始まり。目にするだけで強い圧迫感を感じる。心を直接押さえつけられるような、そんな圧力。
けれど、カズサはためらわなかった。
扉に手をかけ、開く。
レイサを助けるために。
──助けるって、どの宇沢レイサを?
穴に飛び込んだ時と同じ様に問いかけが聞こえた気がした。微かに嘲る様な声色は星屑の欠片が滲んだものだろう。
カズサには予感があった。
今度は答えを考えるまでもなかった。
◯
肉の渦がうごめいている。淫らに濡れ縛られたレイサを中心に欲望という血肉が渦巻いていた。それはレイサの主であった。信者であった。配下であった。そして、この渦巻く血肉の中でレイサは唯一の王であり、唯一の奴隷だった。
大きく突き出た腹が蠢く、産道を掻き分け新たな破滅が生まれ落ちる。
「あ゛っ♡あ゛っ♡ぁ゛っ♡ぁ゛っ♡あ゛っ……♡♡ぅお゛っ♡ごっ♡♡♡」
体を引き裂かれるような痛みと快楽が腰から全身へと走り続ける。太い触手を咥えさせられたレイサの口から唾液とも粘液ともつかない液体と共にくぐもった嬌声が漏れる。顔に張り付いた血肉の隙間からは裏返りかけた眼が覗いていた。
犯し抜いた触手によって散々に広げられていたいたはずの
ヌチ、グチャ、グシャリと。水音を立ててレイサの肚から現れたのはレイサを責め立てる周囲と同じような血肉のなにかだった。
「ぁ゛~~……♡♡はぁ、はぁ、♡んっ♡はぁ♡はぁっ♡♡はぁ♡」
ツゥっとレイサの股から細く長い粘性の液体が滴る。
紅潮した頬。快楽そのものにすら思える喘ぎ声。反り返った足指。固く尖る乳首と陰核。呼吸でもするように痙攣する淫口。立ち上る雌の臭い。出産と呼ぶにはあまりに艶かしい光景だった。
レイサの足元でうぞうぞとうごめいたそれは、不格好な手のようなものを伸ばしレイサの足に腰に絡みつく。短い指を臍孔にかけその奥を嬲るようにほじくり回す。
「────────────っ♡♡♡」
いつしかそれは肉の渦の一部となってレイサを責めたてていた。
快楽に溺れながらレイサはぼんやりと自分を取り巻く世界を眺める。ここは地獄だった。そしてこの地獄を生み続けているのはレイサだった。レイサがそれを願ったのだろうか。それとも周囲を取り囲む血肉たちが願ったのだろうか。レイサにはもうわからなかった。
わかっているのは自分はここで犯され続けなければならないということだけだった。
空になった肚に新たな願いを仕込もうと無数の血肉が殺到する。
「ごっぶぉおっ♡♡」
穴を押し広げるために足を左右に開かされ、それでも足りずレイサのヘソ下が歪に膨らみ波打つ。人体がまるで粘土のように内側から形を変えられ、真っ当な姿を保てなくなる。空になったはずのレイサの腹は再び大きく膨れ上がっていく。それは外からねじ込まれた無数の血肉たちによるものだった。
「ぎいぃい゛っっ♡」
子宮に流れ込む経路は一箇所ではなかった。へそに指をかけていた血肉はいつの間にか太く半透明の管となってレイサの腹に張り付いていた。そして、臍孔を抉りその奥にある臓器に新たな路を通す。半透明の管の中を幾本もの細い触手が這い進みレイサの内側を穢する。
彼らはレイサの腹に新たな性器を作り出そうとしていた。
内への凌辱に呼応するようにレイサの体を這うそれらも動きを激しくする。体をこすり、叩き、つねる。体中の全神経を性感帯にして二度三度と死んでもおかしくない快楽をレイサに与え続ける。
淫らな水音がレイサの体中から鳴る。穴という穴、そして本来は穴など無いはずの場所にすら。レイサを取り囲む世界は最早人という役割を放棄し、ただ犯されれるものとなったレイサに熱のこもった視線を注ぐ。それはひどく下卑たもので、同時に決して絶やさぬ真摯なものでもあった。正邪表裏が溶けて一つとなり形を失っていた。
それが星屑だった。
星屑の果てで、ここより先はなかった。
永久の願い、永久の陵辱、永久の妊娠と出産と死が満ちていた。
そこに。
黒猫が爪を立てた。
◯
カズサは殺意のこもった視線で眼前の血肉を切り裂いた。
巨大で鋭い爪が前足から伸び行く道を阻もうとする全てを切り裂いた。黒い毛に覆われた四肢が地面を蠢く血肉を踏みつぶした。
カズサは巨大な猫となっていた。いつ自分がそのような姿になったかはわからない。そもそもどうして猫になっているのかも。けれどそんな事は些細な事だった。カズサが見る先にレイサがいた。酷く無惨な姿で陵辱の限りを尽くされていた。周囲を取り巻く全てがレイサはそういうものなのだと欲望を伸ばしていた。
カズサは憤った。
「ふっざけるな!!」
その叫びは音としては低く鋭い猫の鳴声になっていた。レイサが穢されていることに怒りを感じた。レイサが孕まされることに憎悪を覚えた。レイサが子とも呼べない何かを産むことが苦しかった。
だが、何よりも許せない事は──カズサがこの世界全てを切り裂く理由は────
「レイサは──、お前たちのものじゃない!!!」
蠢く血肉は言葉もなく主張する。あの最後の星は自分たちのものだと。砕けて零れた星屑。それでも尚、大地の向こう空の縁に輝く願い星。
カズサにはそれが我慢ならなかった。
それは暴力的で身勝手な、レイサを縛るあの血肉たちと変わらぬ欲求なのかもしれなかった。たとえそうであろうとカズサは止まるつもりはなかった。
爪を、四肢を、牙を尾を、体の全てを使って行く手を阻む全てをなぎ払っていった。
突き立てる度に血肉は憐れな悲鳴を上げた。振り払う尾に撒かれ抵抗もできずに飛沫と砕けた。それらは、ただレイサという器を犯し続けることで存在できていたのだ。カズサに対して抵抗する力など持たなかった。
「……黒い、獣…………最後の、テク…………キャスパリーグ」
快楽に溶けたレイサは間近になってようやくその存在に気づいたように、粘液で汚れた口を動かした。濁った目がそれでも自分へと向かってくる黒猫の姿を映した。結んだ像に対して意思も思考も伴わず、なのに口はその名を紡いだ。
「杏山──────カズサ?」
名前を呼ばれた瞬間、黒猫の姿は女性の姿へと変わる。だが、突き進む勢いは獣の時と少しも遜色ない。手にした
「──レイサ!」
こんな姿を見られることが悲しくて、名前を呼ばれたことが幸せで。
真剣な、とても強い感情を秘めた紅い瞳でこちらを見る彼女の顔は美しくて。
──夢みたい。
カズサの腕の中、この血肉の世界に堕ちて初めてレイサは心からの笑みを浮かべた。
それが合図のように世界が歪む。レイサの生み続けた地獄は星と散って、二人は星空へと落ちていった。
◯
漆黒の宙に無数の星が妖しく輝いている。
その中をカズサとレイサの二人はフワフワと漂っていた。
「杏山……カズサ?」
どこか呆然とした表情でレイサはもう一度自分を抱き寄せている相手の名を呼んだ。
「うん」
呼びかけにカズサは短くそう答えた。
「なんで、ここに……」
「あんたを助けに──会いに来た」
カズサは少しだけ言葉を言い換えた。そこに込められた意味はレイサにはわからなかった。ただ、しばらく何かを言おうと考えて、逡巡してそれから皮肉げな歪な笑みを作ってみせた。
「あなたが助けにきたのは宇沢レイサでしょう?私は、星屑ですよ」
「ううん、あんたはレイサだよ」
「えぇ、確かに私も宇沢レイサですね。けれどあなたの求めた宇沢レイサなんてとっくに──」
「レイサだよ。私の大好きな、大切なレイサ」
有無を言わせず強く抱きしめられる。精神の世界のはずなのに触れあうカズサの体温にレイサは温められていた。
カズサの、あまりにも真っ直ぐな想像もしなかった言葉にレイサは言葉を失った。彼女が自分の事をそんな風に言うなんて想像もしなかったから。それは現在であろうと星屑の未来であろうと。
何よりも、与えられた言葉に幸せを感じそうになる自分にレイサは歯がみした。淡い恋心が、焦がれる想いの結晶が、カズサの言葉に強く反応する。だが、それは許されることではない。自分を抱くカズサの体を押し返す。ブチブチと、自分の体の奥の何かを引きちぎる様にして力を込める。
カズサはそれに逆らわず、わずかに体を離す。けれど、レイサの腰と肩をしっかりと掴み、それ以上体を離すつもりはないようだった。
「なんのつもり……ですか?私なんかを相手に」
「言いたいと思ったことを言っただけだよ。私は、あんたが好き」
今度こそ、レイサは何も言えなくなった。
だって、それは。ずっとずっと、もうずっと以前に失ってしまったはずの言葉。自分から叩き壊したはずの──それでも壊れずに残っていた最後の────。
「わ、たしは……ほし」
「星屑のあんたも、そうでないあんたも。たとえどんなことをしても、どんな姿になっても。何者であっても。あんたが、宇沢レイサが好き。愛してる」
「──────」
カズサの言葉はレイサ──星屑の最も深い部分を貫いた。
〇
星屑はとっくに宇沢レイサなどではない。
外見以外に面影もない。
それでも星屑は宇沢レイサで在り続けた。抱いた願望が潰えた後ですらその名を失うことはなかった。たった一つの寄る辺があったから。
そしてそれ故に、遠い別の未来から堕ちてきた星屑の記憶が今のレイサの中へと這入った時、他の誰よりも深くその記憶と精神はカチリと噛み合い一つとなっていた。どれだけレイサがその記憶に苦しみ星屑を否定しようとしても。
────杏山カズサへの想い。
星屑を"宇沢レイサ"としているのはただその一点だけだった。
それ以外には何も残らなかった。あるいは、その想いを守る為に他の全てを犠牲にしたという方が正しいかもしれない。
どれだけ歪み捻れても、思想が変わり人格すら作り替えられても。それでも。あのヘイローを焼かれた日にレイサが胸に抱いた想いだけは守り続けた。たとえ星屑がカズサを傷つけ死に至らしめるような行動に出ようと、その根底にある想いは変わらなかった。想いを表現するレイサの価値基準が変わり、過去のレイサがその行いに絶望するような思考回路で多くの人を殺めたとしても。
杏山カズサへの想いを守ろうとしなければ、たとえ肉奴隷に作り替えられていたとしても、レイサはあそこまで大きく歪むことはなかっただろう。ああまで滅びに向かって邁進し、やがて本当にキヴォトスの終焉に立ち会う事もなかっただろう。漠然と、レイサはそう感じていた。
それは決して砕けぬ想いで、決して解けない呪いだった。
レイサは星屑の記憶を得た時それを自覚した。
だから、星屑と関係なく自分が仄かに抱いていた恋心をおぞましいものだと恐れた。それは星屑へ至る道標に思えた。
カズサへの想いが宇沢レイサの絶対条件ではない。レイサを構成するものはさほど多くはないけれど、全てがカズサで満たされているわけではない。
だが、星屑は自身が宇沢レイサであることの証明をそこに置いた。そして、星屑の記憶を自覚した時、今のレイサにとってもそれこそが宇沢レイサの証明になってしまっていた。
少なくとも自身と同じカズサへの想いを抱く星屑を宇沢レイサでないと否定することができなくなっていた。その一点によって星屑とレイサの心は噛み合ってしまっていた。
肉体こそ未だ星屑に染まりきっていないが、精神を分つことは最早不可能だった。どれだけ否定しようと自分はもう星屑を切り離すことはできない。
繰り返し見せつけられた血まみれの星屑の記憶でレイサはそれを思い知らされた。
だから、いっそ星屑であろうとレイサは選択した。
初めから邪悪であると振る舞えばいい。自分は星屑なのだから。そうしてもうカズサの知るレイサはいなくなったのだと、殺すか無力化しなければキヴォトスに破滅をもたらす悪なのだとそう認識してもらえればいいと考えた。それは半ば諦めで、半ばは星屑としての本能だった。トリニティ自警団の宇沢レイサを止めようと思えば、体も頭も容易く星屑として動き始めた。それが悲しくて、けれど安らぎでもあった。
"自分"が友人も知人も、尊敬する大人までも手にかけたという事実を抱えて宇沢レイサでいられなかった。ピタリと嵌まったレイサの心は、けれど少しでも動けば星屑との摩擦に悲鳴を上げた。それは宇沢レイサの心の仮死という形で度々現れていた。星屑と呼ばれる度、沸き上がる星屑の記憶にレイサは耐えきれず意思の全てを星屑の価値観に明け渡していた。
ハレに手を伸ばした時も、アルに銃弾を撃ち込んだ時も。
だから、今更だった。
現在の宇沢レイサの部分が再び死ぬか、全て諦めて星屑に従うか。
レイサは星屑に従うことを選んだ。星屑の記憶はレイサにそれ以外の選択肢を選ばせなかった。レイサは悪意で人を傷つけることを良しとしない人間であった。だが、既に数え切れない悪意を振りまいた自分をどうすればいいのかはわからなかった。わからないままに苦しみ続けたレイサは抗う気力を残していなかった。
レイサは星屑として星屑のルールに沿って動き始めた。
そのはずだったのに。
最早、星屑も星屑のままではいられなくなっていた。
レイサの精神に星屑はピタリと嵌まった。それは逆も同じということだった。かつて星屑が失ったもの、失ったからこそ星屑となれた多くの宇沢レイサを星屑は再び得た。人助けをしようという正義感。幼少期から培ってきた価値観や倫理観。今の学園生活で大切に思うもの、大切なものにしてあげたいこと。自警団としての誇り。勇気。かつて星屑がそうなる過程で廃居の一室で丹念に壊された全て。
星屑の記憶で押し流されるもののはずだった。
そのはず、だったのに。
ミユとの会話の時点で既に綻びは見え始めていた。カズサが近くに来ていることに動揺し、イオリを壊そうとして罪悪感を覚え、イズナの奇跡に期待を抱いた。
全て本来の星屑であれば一顧だにしないものだった。
レイサはトリニティ自警団の宇沢レイサである事もできず、そのくせ星屑である事もできなくなっていた。その結果が腹に空いた大きな穴だった。
あれは、消極的な自殺だった。
それすらも失敗に終わった。
後はもう、自分の中の宇沢レイサの大部分をもう一度壊し尽くすくらいしか思い浮かばなかった。今の自分にそれができるか自信はなかった。そもそも、今の宇沢レイサが星屑であることを選んだ時点でそれまで以上にレイサの中の境界は曖昧になっていた。どれが未来の星屑で、どれが今のレイサなのか。
星屑は宇沢レイサだった。
〇
「私は、あなたに好かれるような人間じゃありませんよ?」
震える声は星屑として発したものだろうか。それともレイサとして発したものだろうか。レイサ自身にもわからない。
「私が好きなのはレイサだよ」
「沢山の人を殺しました。大勢の人を狂わせて、破滅させました」
「うん、知ってる。それでも好き。あぁ、けど、これからは私だけを見て欲しいかな。狂わせたいなら私を狂わせて。破滅させたいなら私を破滅させて。殺したいなら私を殺して」
「……思い込みは激しいし、声も、よくうるさいって言われます。変な奴だって言われることもありました。あなたにも沢山迷惑をかけました」
「よく知ってる。熱血バカは嫌いだったんだけど……けど、あんたのそういう所は好き。真っ直ぐで、一生懸命で。たった一つを意地でも守り通せるところが好き。いつからか好きになってた」
「私の体、中も外も他人が触れてないところなんてひとつもないんですよ?自ら進んで、喜んで差し出しました…………私は、淫売の阿婆擦れですよ?」
「そこまで言うこと……いや、言うくらいのことはしてきたか。けど、構わない。まぁ嫉妬はするかも知れないし、これからは私以外には触らせたくはないけれど。でも、私にとってそんな事はあんたを嫌う理由にならないんだ」
「けど…………でも……」
言葉が続かない。自分は何を言おうとしているのだろう。
彼女の言葉の一つ一つが涙をこらえきれないほどに嬉しいのに。好きと、言われる度に心が満たされるのに。
なのに、言い訳ばかりが口から零れる。
「レイサ」
名前を呼ばれる。ただ、それだけなのにどうしようもなく胸が温かくなる。そんな資格はないはずなのに。許されない存在なのに。
「お願い、一度だけでいい。あんたは私の事をどう思ってるのか……教えて?」
口が、上手く動かない。
「私はレイサの事が好き。レイサは──私の事は嫌い?」
喘ぐように、声も出せず口が震える。星屑か、レイサかどちらの言葉を伝えるべきだろうか。迷う意味など無かった。星屑はレイサで、レイサは星屑だった。今と未来の二人はただ一点、それだけでカチリと噛み合ったのだから。
「……好き…………好き、です」
言ってしまった。
一度言ってしまえばもう止められなかった。
「ずっとずっと、今も未来もあなたのことが好きでした。好きだって、伝えたかった。カズサ、あなたのことが誰よりも好きです。何よりも……欲しいです。あなたのものに、なりたい」
嗚咽混じりで、つっかえながらも言葉を紡ぐ。
本当は、ただそれだけが言えれば良かったのにとレイサは泣く。星屑はあまりにも遠い回り道だった。回り道などと言う言葉で許されない邪悪で悲惨な道だった。それを承知で歩いて、結局は望むものすら得られなかったと諦めていたはずなのに。
今、彼女は望み以上の全てを与えられていた。
こんなものを手にしてはいけないと星屑は怯えていた。けれどレイサはいいのだと背中を押した。あらゆる悪徳を笑って積み重ねた星屑がただ一つの幸福に怯える姿は酷く滑稽に思えた。多分、自分の事だからそう思うのだろう。
別の未来、遠い記憶。
本来なら知ることなどなかった。知りたくなんてなかった。今でも理不尽だと思う。
それでも。
手を伸ばしていいんですよ。
そう言い聞かせながらレイサはカズサの顔を見つめた。嬉しそうに笑う彼女の笑顔だけで胸が一杯になる。いつかベッドの中で想像して顔を赤らめた自分の事を思い出す。
カズサと見つめ合って、好意を伝えて、それから───
自然と目を閉じていた。わずかに離れていた体が、近づいて。ピタリと互いの唇が重なった。
真っ暗な宙、瞬く星の狭間でレイサとカズサはキスをした。
長く、静かに互いの熱を分け合った。
〇
重力のない夜空の中でレイサとカズサは肌を重ねていた。
口づけを交わすだけではカズサが耐えきれなかった。
散々に犯され穢されていたレイサをそのままにしたくなかったから。自分の手で全て上書きしたいのだと、その欲求に耐えられなかった。互いの体に舌を這わせ、足を絡め、陰核を擦り合わせた。レイサの体の全てを味わい、その奥深くまで指を伸ばした。
レイサもまた、求められることが幸せでならなかった。もっと深く繋がりを求めるカズサの欲望を奥へ奥へと受け入れていった。カズサの指を濡らし、首筋を食み、止められなくなった好意を奉仕という形で訴え続けた。
上下も左右も曖昧な宙で互いの重力を頼りに幾度も幾度も交わった。互いの体液に濡れ、すすり、それでも足りないと火照り続けるヘソ下を重ね合わせる。溶け合うように抱きしめ合う。
「……カズサ、まだここも残っていますよ?」
妖しい色気を含んだ笑みでレイサは自らの腹の中心部を指し示した。それは、あの血肉の渦の中で無理矢理に作り替えられたヘソ穴だった。一見すれば変わりないそれだが、マジマジと観察すればその奥がピンクに染まりテラテラと愛液で濡れている。
「それって……」
わずかに唾を飲み込みカズサが指を差し入れれば、ツプリとあり得ない深さまで指が沈み込んだ。本来なら差し込まれてはいけない深さを指が掘り進み、繋がってはいけないはずの女の臓器へと導かれる。
愛しい相手に甘えるようにキュウキュウと吸い付く第二の膣に背徳的な情欲をカズサは掻き立てられた。差し入れた指の直ぐ先で子宮が自分を求めているのだと感じ取る。
「んっ♡ぁ、はぁっ♡あっ♡」
湧き出る欲望に従ってかき混ぜるように指を動かせばクチュクチュと水音が鳴る。
それは、普通の人体の作りではなかった。性を貪るために改造されたグロテスクともいえる人工の性器だった。それ故に、その穴はただ性を貪欲に求め甘える。前後させればそれだけでカズサを誘う様にチュポッチュポッと水音を立て、それに併せてレイサの熱い吐息がカズサの肌を濡らす。穴の側面に指を立てればその奥に本来なら触れられないはずの筋肉や臓器の手触りを感じ取る。突く度に微かに怯えの混じったレイサの震えはカズサの征服欲を強く煽り、よりレイサの深くへとカズサを飲み込んでいく。
不思議な感触に囚われるようにしきりに指を動かし、ヘソの膣で二、三度レイサをイかせれば、その度にヘソと股の間から潮を吹く。ヘソ穴の愛液で腹が濡れたカズサは自分のヘソ穴にも彼女と同じようになってしまっているのではと錯覚する。それでも飽きずまだ快感を感じる位置をじっくり探すカズサにレイサは笑って問いかけた。
「この穴が気に入ったなら現実の肉体も改造してみましょうか。これと同じ状態にまでできるかわからないですけど、ミレニアムの技術者に聞いてみれば近いことはできるかも」
その言葉にカズサは苦笑し、現実に戻ってから考えようと言い聞かせてキスをした。カズサはレイサの言葉が本気だと知っている。彼女は望まれれば自らの体を作り替えることを躊躇わないだろう。指を切り落として、そのまま調理すらしたことがあるのだから。
カズサは目の前のレイサが今のレイサであり、また星屑としてのレイサでもあることを理解していた。あの血肉の渦の中でレイサを見たときから、いやその少し前にレイサの記憶の扉を全て覗いた時にはその予感を覚えていた。
そしてそのどちらにも好意を伝える事を決めていた。こんな無重力の空間で肌を重ねることになるとは思っていなかったけれど。
それからも幾度も互いを貪りあった後、一回り小さなレイサの体を抱きしめながらカズサは自分の胸に顔を埋めるレイサに静かに尋ねた。
「レイサはこれからどうしたい?」
カズサは自分がここに来るまでの経緯をかいつまんでレイサに説明した。ハレが未来の記憶を治療する装置を作っているという事。そのために最も長い未来の記憶を持つ星屑の記憶を求めているという事。キヴォトスの各地でも記憶に関わる問題が起きており、カズサはハレの作る装置ならそれを解決できるのではないかと考えていること。
「けど、レイサは──」
言葉を続けようとしたカズサの唇に自分のそれを重ねてレイサは話を中断させた。そしてそのまま片手をカズサの後ろ、うなじの辺りに伸ばした。
その瞳に星屑の輝きが瞬く。
「充分見せてあげましたよね。ここから先は本当に二人だけの時間です」
そこにある見えない糸を握りつぶした。
〇
「──ここから先は本当に二人だけの時間です」
本来なら音声は流れない様にしてあるはずのPCからレイサの声が流れる。ハレはその声に全身が強張り頭が真っ白になる。意識が戻ったのは数分後、必死に自分に呼びかけるマキの声によってだった。
「ハレ先輩!!」
「あぁ、ごめん、ね。ちょっと……想定外、だったから」
「ううん、あたしがもっと注意してれば……」
項垂れるマキの腕を軽く叩いて元気づけ状況を確認する。
「カズサについてた"枝"は?」
「完全に壊されたみたい。それでダイブ装置の方は止まってないのは意味わからないけど……」
「なるほど、ね。けど必要な、記憶は、回収……できたよね」
「うん。ていうか想定よりもずっと大量に……まさかあいつわかってて見逃してたの?」
「どう、だろう。微妙なところだと、思うけど……濡れ場まで、見せつ、けたのは最初は、気づかなかった、からじゃないか、と思うな」
「……」
難しい顔をするマキにハレは気にするなと首を振った。
「彼女、なら……承知で、こちらに見せ、つけた、可能性も……あるけど、ね」
ハレは構わないと判断した。カズサを介してモニタをしていた限り星屑は今の宇沢レイサと混ざり合いかつて程の残忍さも凶悪さも発揮できなくなっているようだった。何よりカズサが彼女の楔となった。カズサがいる限り、今の宇沢レイサはカズサに都合が悪くなるような行動は起こさないだろう。
あるいは、それをハレたちに判断させるために自分たちの覗き見を見逃していた可能性も考えられる。
なんにせよ、今のハレたちはレイサの動向を気にする前にすべきことがあった。
「完成まで、あと少し、だ。マキもう少しだけ、力を、貸してね」
「何言ってるのさ。貸すなんてことしない。前にも言ったでしょ、私はハレ先輩の手足になるって。自分の手足を動かすのに貸し借りなんて考えないよね」
「フフ、そうだったね」
〇
外部の監視の目を排除したレイサは、己の精神世界でもういくつかだけカズサと言葉を交わした。レイサがどうなりたいか、カズサはどうしたいか、それからカズサの秘密とレイサの秘密を少しずつ。
話すべき事を話した後、もう一度口づけを交わしてから次は現実でキスすることを約束した。
「レイサ、いつかキヴォトスを旅しよう。未来で私たちが行った場所を回るんだ」
「二人で旅行ですね……。楽しみです。カズサは今でもバイクは乗れるんですか?」
「乗れるだろうけど……免許がないや」
「じゃあ、まずはそこからですね」
そんな他愛のない会話と共に。
だが、空が白み始める頃、レイサが目を覚ました時そこにカズサの姿はなかった。
ミレニアムの誰もカズサがどこへ消えたのかを知らなかった。
まるで神隠しにでもあったかのようにカズサは姿を消していた。