朝。目が覚めた私は、ぐっと背を伸ばす。
1つ、2つと、パジャマのボタンを全て外していくと、上着の袖が腕から流れ落ちていった。
肌は白く、それらしい筋肉も見られない。
貧相かと言われればそうでもないし、女の子らしい体の曲線はちゃんとある。
ただ華奢なだけ。外で遊ぶより、部屋の隅で本を読んでいるうちに、そういった成長とはすっかり無縁になっていた。
ベットから立ち上がり、タンスを開いてブラジャーを取り出す。
如何にもといった可愛らしい物は特にはない。気にしたのは付け心地と値段だけ。
勝負下着なんて揃えたって使い道なんてないし、あんまり派手なのを用意して、ブラウスの上から透けたり、着替えの時に誰かに見られても困るって気持ちの方が強かった。
少し前かがみになって、ブラのカップを胸の膨らみに合わせた後、ホックを止めて軽く固定し、胸を寄せて膨らみをカップの中に収めていった。
特に代わり映えのしないつもの朝だ。
パジャマのズボンも脱いで、白いブラウスに袖を通していく。
2つ、3つと、ボタンを留めた後、きゅっと、赤いリボンを胸元で結ぶ。
広げたスカートに足を通し、最後に ニーソックスを膝下まで伸ばして完成だ。
簡単に着替えを済ませた後。今度は洗面所に入って顔を洗う。
冷たい水の感覚が気持ちいい。
寝起きでぼやけていた頭がハッキリして、ようやくと一日が始まった様な気分になった。
鏡に映る自分の顔もいつもと同じ。
少し自信がなさそうで、そのせいかちょっとだけ幼く見えた。
コンプレックスってほどでもないけど、やっぱり大人の女性、そんな理想像に憧れる気持ちは当然にある。
肩まで伸びた黒髪を、櫛で梳いて寝癖を直す。
流した髪を三つ編みに纏め、結び目の終わりを赤いリボンで飾ると、ちょっとだけ可愛くなった自分の姿が鏡に映っていた。
お化粧だとか、高いお洋服だとか、クラスの女の子たちが話すような おしゃれには疎い私でも、そこに興味がないわけじゃない。
三つ編みだって、この赤いリボンだって、私にとっては精一杯のおしゃれだ。
まして、初めて髪型を変えてみた時に、可愛いねって、似合ってるって、言われた時からずっとそう。
きっと彼はそんなつもりではなかったはずだ。
今だって、それを覚えていてくれてるかどうかも分からない。
メガネを掛けて、鏡に映る自分の姿をもう一度眺める。
黒目がちな瞳。幼さの残る顔立ちを頼りなく見つめる自分の姿。
可愛いのかな?
自信はない。
言われて嬉しい自分はいても、それをアピールしていく勇気はなかった。
「まふゆー、朝ご飯できてるよー」
「はーい。今行くー」
北見まふゆ。
何処にでも居る普通の女の子。
ちょっとだけ内気で、外で遊ぶよりも本を読んでいるのが好きな女の子。
異性に可愛いって言われただけで、軽い恋心を抱いてしまうような、ごくごく普通の女の子。
まあ、少しだけ。
本の読みすぎのせいか、そういった憧れは人一倍には強いかも知れないけれど。
そういう所も含めて、私は何処にでも居る普通の女の子だった。
ー
がたん、ごとん、がたん、ごとん…。
家を出た私は、いつもの様に満員電車に揺られていた。
揺れて、揺られて、最初は慣れなかった電車の揺れも、今となっては、自分も電車の部品になった気分で受け流せてしまうのが不思議だった。
がたん、ごとん、がたん、ごとん…。
電車に揺られて、私も揺れる。
スマホを開いて、読み込んでいた小説の続きに目を通す。
特に周りを気にする必要もない。皆そうなのだから、自分だってそうするだけ。
これだけ人がいるのに不思議な空間だと思う。
がたん、ごとん、と、電車が揺れて、何処かで誰かの体がぶつかっても、誰一人 気にも留めないどころか、ぶつかったことにさえ気づかないかのような素振りだ。
がたん、ごとん、がたん、ごとん…。
満員電車の中、ほとんどの人はスマホに目を落とし、運良く座れた人たちの中には、眠ったふりをして自分の席にしがみつく。
がたん、ごとん、がたん、ごとん…。
今だってほら。電車が揺れる度、自分の体に誰かの体がぶつかってくる。
けれど、私を含め、それを気に留める人はいなかった。
もちろん最初はイヤだった。
知らない人たちの中。
自分よりも大きい男の人達が大半の電車の中に、足を踏み入れることですら勇気がいる。でも、それもすぐに慣れた。ううん、慣れるというよりはマヒしていった。
毎朝、通学の度に身構えていたら気が持たない。
「ごめんなさい」「すみません」謝った所で返ってくるのは生返事くらいで、むしろ、いちいち謝る自分の事を、おかしな目で見てくる人が大半だ。
そういうものなんだと思うしかない。
暗黙の了解だ。ルールというのともまた違うけど、面倒を避けたい人たちが自然と同じ事を考えた結果なんだろう。
がたん、ごとん、がたん、ごとん…。
電車に揺られて、私も揺れる。
誰かにぶつかっても気にされないし、私も気にしない。
誰も彼もスマホに目を落とし、一部の座れた勝ち組は狸寝入りだ。
そう、例えばミステリー小説だったら…とか。
そんな風に考えた事もあった。
これだけの人がいるのに、誰も誰かを見てはいない。
他人に無関心になったが故の都会の空白。そんなトリックでもあれば、少しだけ皮肉が効いていて良いんじゃないかって。
でも、現実はそうならない。
連日とはいかないでも。忘れた頃に誰々が、何処何処で、逮捕されているんだ。
誰も彼も見ていないようで、やっぱり何処かで見られてる。
それもそうか…。
見て見ぬ振り。それを知らんぷりしてれば、次に自分が同じ目に会うかも知れないんだもん。外敵を排除したい人の心理。人間はそういうのに敏感だって、何かの本にも書いてあった。
がたん、ごとん、がたん、ごとん…。
電車に揺られて、私も揺れる。
だからじゃないけど、心の何処かで油断していた部分もあったのかも知れない。
悪いことは出来ない。常にどこかで、誰かに見られてるって意識が頭の片隅にあれば、そうそう滅多なことなんてあるわけがない。
でもそれは、普通の人達に限っての話だ。
その理屈が通るなら、犯罪者が生まれる訳が無いし。
運の悪い被害者だって、何処にもいないはずなんだから。