事情聴取に、彼へのお礼。学校や、家への連絡は、私が落ち着いてからにして欲しいと、戸惑う私の様子を察してか、最初から最後まで彼に頼りきりだった。
ようやく駅員さん達に開放された頃には、遅刻も遅刻。
随分と時計は進み、もう2時限目でも始まってるんじゃないかって頃だ。
改札をくぐり、二人で踏み出した駅前は、なんとも新鮮な空気だった。
平日の午前中。朝のラッシュ時間もとうに過ぎた駅前なんか初めて見た。
人は多いが、溢れるほどじゃない。ぽつぽつと、開店準備を終えた店に のぼりが立つのを見かけると、まるで、街の目覚めを見ている気分になる。
「さて…。どうする?」
「どうって…」
学校さぼっちまったなー。みたいな顔をされても困る。
私だって、今更学校に行く気なんてなくなっていたけれど、まさか彼を私の彷徨に付き合わせるわけにもいかない。
「ありがとう、清水くん。私はもう大丈夫だから、清水くんは学校に行って?」
「今からかー?」
その不満は、私に共犯の伴をさせる気だと顔に書いてあった。
ここで お別れを言って、改札に戻っても良い。「家まで送る」とは言われても、強引に止める事まではしないだろう。
少しだけ、迷ってしまった。
蓋をしていたはずの恋心が開きかけている。
ただの同情だって、分かってはいるのに、気を使われていることが堪らなく嬉しい。
「なぁ、北見? 甘いの好きか?」
「え、あ、うん。一応、は…?」
「じゃあ、行こうぜ。ちょうどあの店開いたとこだ。たまに見るけど、いつも混んでるんだよな。今がチャンスだぜ?」
「え、でも…。私は別に…お腹すいてるわけじゃ」断る理由を探している間にも、私の手を引いた彼は、ずんずんと先に進んでいってしまう。「そうだな。助けてやったお礼だとおもってさ? 付き合えよ?」途中、振り返った彼に笑顔で言われてしまうと、渋々でも彼に付き合うしかなくなってしまっていた。
「でも…良かったの? 彼女さんとか、悪いよ、やっぱり…」
「彼女? 俺の? いないいない」
テラス席に案内された私達の前には、大きなサンドイッチだとか、たくさんのお菓子が運ばれてきていた。レジに並んだ彼が、あんまりにも適当に注文するものだから、私が選べたのは精々紅茶の種類くらいなもんだ。
一体何のパーティーだって思う。
食べ物で溢れたテーブルの上は、見てて楽しくはあったけど、それ以上に見てるだけで満腹にもなってしまいそうだ。
そんなに頼まれても食べ切れないんだけどな。
それは、彼にも分かってたんだろう。私が齧ったその後から、彼はひょいひょいと、慣れた様子で口の中に収めていってしまう。
間接キスとか、気にならないのかな?
気にならないんだろうな。
そうはならないように切り分けてはいるけれど、たとえ直接口につけてたとしても、彼が気にするようにはとても見えなかった。
「へぇ…意外。好きな人とかいるの?」
「おっと? それを聞くってことは、北見の好きな人も教えてくれるってことだよな?」
「へ? わたし?」
頬が赤くなるのを隠せなかった。
一瞬彼のことを見つめて、だけど、君が好きです、だなんて言える訳がない。
「そういう顔するってことは、いるんだな?」
「ズルいよ、そういうのは。デリカシー…」
「あはは。それもズルいじゃねーか。聞いてきたのは北見なのに、デリカシーなんて言われたら、男は何もいえなくなるぞ」
「じゃあ、はいっ。このお話はお終いっ。私も清水くんも、好きな人はいないし、恋人もいないってことで良いよね?」
「りょーかい」
それから少し、とりとめもないことを話していた。
これからどうしよかって、もう少し遊んでいこうかって誘われても、私にはどうすることも出来ない。
「カラオケとか?」
「置物になら、なったことあるけど」
「ゲーセンは? プライズ系のゲームとかやらないか?」
「ダメだよ、清水くん。ガチャにお金使うのは」
「映画とか? なんか好きなのやってたりするか?」
「隣に知らない人がいるの、きになっちゃって…」
「服屋でも覗いてみるか?」
「服? 別に今は足りてるし」
「えーとじゃあ…。図書館とか、本屋とか?」
「そういうのはネットで済んじゃうから」
「あ、もしかして、意外とネトゲにはまってるタイプか? 俺も少しは」
「ううん。少しやったけど、ワチャワチャしてる内に怪獣に食べられちゃうから」
「私は良いよ。清水くんが行きたいなら、カラオケでも、映画でも、付き合うだけなら出来るから」
「俺だけ楽しくてもなぁ。ん…よし、じゃあ散歩でもするかっ」
そう言って、運ばれてきたお菓子の殆どを平らげた彼は、最後に残っていたコーヒーをガブッと飲み干すと、勢いよく立ち上がった。
「散歩?」
「歩くのも嫌いか?」
「そうじゃないけど…」
「じゃあ、行こうぜ。こんな時間に町中歩くなんて滅多にないしな。意外と楽しいかも知れないぜ?」
何食わぬ顔で伝票を取り上げ、私が口を挟む前に、ピッと決済を知らせる電子音が聞こえてくる。
「あの、お金…私も半分は、いくら?」
「いいって。頼んだのも、食べたのも、ほとんど俺じゃないか」
「そうだけど…。うん、ありがとう」
でもって、言いかけた言葉を飲み込んだ。
意外と強引なんだな。
助けてくれたお礼の筈なのに、奢ってまで貰っちゃって。
ただ、気を使われただけかも知れないけれど、その気遣いは普通に嬉しい。
沈んだ気分のまま家に帰って、一人で落ち込んでいるよりは、よっぽど気が楽になった思う。
もう少しだけ、付き合ってもいいか。
このまま「それじゃあ」と帰ってしまうのは、あまりにも不義理だ。
それに、彼女がいないっていうのが本当ならさ。
あとちょっとだけ。今日一日くらい、デート気分に浸っていても誰にも文句は言われないだろう。
「行こうぜ」って、差し出された彼の手に、遠慮がちに手を伸ばす。
戸惑う私の手が力強く握り返された。踏み出した足に、ずんっと、体が引き寄せられてしまう。
頼もしいなって、思ってしまった。
ちょっと強引だったけど。そういう所も格好いいなって恋心がくすぐられる。
あんな事があった後だもん。今だって、男性のことは苦手だけれど。
彼になら。好きな人の手の温もりだけは、信じてもいいなって思えた。
ー
それが金曜日。だったのも良かったんだろう。
土曜、日曜と、家で過ごした私のメンタルは、完璧とはいかないでも、学校に行けるくらいには持ち直していた。
電車に乗るには まだ抵抗が合ったけど。学校まで送って欲しいなんて、お母さんに言ったら要らない心配を掛けてしまう。
「おはよう北見」
「え、あ。清水くん…おはよう」
改札をくぐり、ホームに上がると、彼に声を掛けられた。
「やっぱ、気づいてなかったか? 俺達、いっつも同じ電車だったんだぜ?」
どうして? って、私の顔にでも書いてたんだろう。
呼びかけられ、足を止めた私に彼は笑顔で答えたくれた。
「そう、だったんだ。ごめん、私…スマホばっかり見てたから」
「なんか、面白い小説でもあるのか?」
「私がメガネかけてるから?」
「おっと、悪い。あはははっ、文学少女のイメージが強くてな」
「文学少女って…今時いるかな? まぁ、合ってるんだけどさ。私だって漫画も普通に読むし。動画だってみてたりもするよ?」
すごいなって思う。
大丈夫か? だとか。 元気そうで良かった。なんて、一言も聞いてこないんだ。
私だったら絶対聞いちゃってた。自分が聞かれても「うん…」て、曖昧に誤魔化して「大丈夫だよ」て言うしかないのにさ。
大丈夫な訳が無い。元気な筈がない。
今だって、結構無理してこの場に立っている。
実際に電車に乗れるかなんて、その場になってみないと分からないくらいだ。
そんな私の気も知らないで。
だけど、事情を知ったうえで、いつもどおりにしてくれるのは嬉しい。
気を遣われたって、労われたって、イヤなことを思い出して辛いだけ。
あんなの、交通事故にあったようなものだ。人生でそう何度も起こるわけがない。
だからこそ。
いつも通りにしてくれる彼の姿勢が嬉しい。
つられて私も、いつも通りにしていられる気がする。
耳障りな踏切の警報音。
駆け寄ってくる電車の足音。
滑舌の悪い駅員さんの案内がホームに響くと、程なくして電車が滑り込んでくる。
ぎゅっと、胸が締め付けられるようだった。
力の抜けた足が、一歩、後ろに下がってしまう。
やっぱりダメかな。
1時間か、2時間か。歩いていけばそのくらいでは着けるだろうか。
サボりに遅刻に。連続でそんな事を繰り返せば、お母さんの耳にも入ってしまうだろうか? 適当な言い訳も用意しておかないといけない。
「清水くん…ごめんなさい。私、やっぱり今日は…」
「行こうぜ?」
踵を返そうとした私の言葉が彼に遮られる。
「え、でも」言い訳をさせてくれる暇もない。力強く手を引かれれた私の体は、ぐっと、あの時みたいに彼の方へと引っ張られてしまっていた。
「…」
強引なんだ。
この間もそうだった。
でも、そういう所も好ましいと思ってしまう。
恋煩い? 色眼鏡かな? まったくないとも思わないけど。私には無い一面に惹かれる気持ちは強い。
いくら学校の成績が良かったって、優等生だ何だと先生たちに褒められたって、私に出来るのは答えのある問題だけだ。
なにかの証明を求められても、作者の気持ちを考えさせられても。結局それは、出題者の意図した答えが用意されているクイズでしかない。
普段の生活にしたって、一歩引いて、それなりに折り目正しく過ごしていれば、先生たちから文句を言われることもない。
もし、私が彼の立場だったらきっと、何も出来はしなかっただろう。
戸惑って、躊躇って、考えてるつもりで答えは出ない。
電車で痴漢に合ってる誰かに気づいたって、あんな風に前に出ていく勇気もなければ、こんな風に誰かの手を引いて歩くことも出来やしない。
「なんだっけ? こういうの壁ドンっていうんだっけか?」
「まぁ、うん…。そんな風に言ったりも…するね?」
彼に手を引かれ、電車に乗り込んだ私の眼の前には彼の顔があった。
押し合い圧し合いと。そんな人混みから私を守るように立った彼と、閉まった扉の間で挟まれて動けなくなってしまう。
「イヤじゃないか?」
「イヤとかは…でも、ううん。もうちょっとこっちに来てもいいよ? 苦しいでしょ?」
私の体に触れないようにするためだろうか。私と彼の間には、不自然なほどの隙間があった。
「そうか? じゃあ、遠慮なく…っと」
「ぅっ…」
彼が近づいてくるのと同時に、カーブに差し掛かった電車が揺れる。
揺れに合わせて、バランスを取ろうとした私の体も同時に彼の方へと踏み込んでしまい、折り悪く彼の体により掛かる形になってしまった。
やっぱり。背、高いんだな。
会話をする時は、いつも私が見上げる形だったけど。一歩か二歩か、少し離れていた分だけ その実感は薄かった。
けれど、こうやって、すぐ隣に彼がいる。抱きつく程の距離感で並んだ彼の顔は、首を動かさないと視線が合わせられないくらいの身長差があった。
胸がドキドキする。
不可抗力とはいえ、好きな男の子に抱きついてしまった事実をどう処理して良いかわからない。ごめんって言って、体を離せばすむことなのに、どうしてだか離れがたい。
「大丈夫か?」
「うん」
それ以上、彼は何も言わなかった。
抱きついたままの私から離れるでもなく、バランスを崩した私を支えようと、背中に触れた手はそのまんま。むしろ、もっと自分の方へと引き寄せようとする気配もある。
わざと、やってるのかな?
「あの…」て、声をかければ離れてくれるんだろうか?
ほらね? やっぱりだ…。
戸惑って、躊躇って、考えてるつもりで答えは出ない。
結局、私は降りる駅に着くまで彼に守られたままだった。
気さくに話しかけてくれる彼に、なんて言葉を返したかも覚えていない。
ただずっと、胸がドキドキしていた。学校についた後も、夢心地から覚めないままだった。