肛門愛撫まで求めた地元の名士夫人
昭和30年代のことです。
テレビが発明され、それが街頭に設置されて、プロレスの放送がある時などは力道山の雄姿を見たさに、人垣が幾重にもテレビの前にできていたものでした。
やがて、テレビは東京オリンピックを機に一般家庭に普及しました。それを機に、時代は大きく変わっていったように思われます。
とにかくテレビの発明は実に画期的なできごとで、それまでにあった文化の有様を大きく変えることとなったのだ。
それまでは唯一の娯楽ともいえた映画が衰退の一途をたどっていくことになったし、私自身にしてもそれまでの生活の糧を失うことになってしまったのだから・・・・・・。
実を言うと私は、かって、熊本を活動の本拠地とし旅芝居の役者をしていたものです。
肥後阿蘇衛門一座というのが、私のいた一座で、私は女形としてなかなかの人気があった。
肥後扇雀いう名で、師匠の阿蘇衛門の相手役として、町娘から瞼の母の母親役までを演じていた。
これから話をする、その色恋沙汰がちょっとした事件となったのは、ちょうどテレビが普及し、旅芝居の一座が、一つ消え二つ消えしていく前のことだったから、いわば最後の花の散りぎわに咲いたアダ花だったといえようか。
肥後阿蘇衛門一座は2年ぶりに福岡市の北東部で公演することになり、8月初旬に同地へ赴いたのである。
海(わだつみ)神社横の空き地に仮設の芝居小屋を建てての2週間ほどの公演だった。
人気は上々で、近郊からも大勢の老若男女が初日から訪れてくれ、客席は満席状態で演じる我々のほうにも自然と熱気がこもったものです。
出し物が終わる度に、つぶてのようにチリ紙にくるまれたおひねりが投げられてくる。
もちろん、座長の相手役の人気女形たる私のふところにも相当額の余禄が入ったわけで、舞台をはねると、福岡の繁華街を歩きまわり、身近な酒屋に入っては、相手かまわず勝手な気炎を上げる毎日だった。
舞台に立っていると、薄暗い客席の客の顔などはあまり目に入らないものだが、かぶりつきとなれば別で、笑ったり泣いたりする反応はしっかり見て取れる。
そのかぶりつきの中央の席がいつも開演間近まで空いていて、開演寸前になると、ゆったりと現れる女性客がいた。
年のころなら40歳前後といったところだろうか、紗(うすぎぬ)の着物を粋に着こなしたいい女で、なんとその女は座長ではなく、私の一挙一動に熱い視線をビンビン送ってくるのがわかるのだ。
そして、出し物が終わる度に、おひねりを投げてよこすのではなくて、ご祝儀袋を差し出し、私を手招きし、わざわざ手渡すと、ぎゅっと私の手を握ってくるのだ。
20歳そこそこだった私は、人気稼業の余禄というか、通いつめて観に来てくれる女性ファンを口説いては、逆さくらげ(ラブホ)に連れ込んではいただいていたから、女には不自由していなかったが、その年増女の色香には、かなりまいってしまった。
香を抱いたようないい香りがし、握ってくる手も柔らかいし、うなじの綺麗さといったら吸いつきたくなるほどだった。
初日、2日目、3日目と、手を握り合っているうちに、熱い思いを込めた目と目で話すようになり、手を握っている時間も次第に長くなってきた。
「扇雀・・・・・・あれはイカン、手だしするなよ・・・・・・」
そんな私と女の挙動に危惧を抱いた座長が忠告してきたのが5日目の舞台をはねた後のことだった。
「座長、あたしも年増女にうつつを抜かすほどふやけちゃいませんよ。でも何でです」
座長はあまりに真剣な顔つきで釘を刺してきたことを訝(いぶか)り訊いてみると、
「あの女は小百合さんといって、この土地の名士の後妻でな、旦那には土地のヤクザも頭が上がらないんだ。万が一にも、お前と小百合さんがややこしいことになったら、お前は指の1本や2本をつめさせられるし、一座もこの土地で公演できなくなる。この土地ばかりじゃない。あちこちに回状を回されて、一座が立ち行かなくなるかも知れん」
座長はそう言い、くれぐれも間違いをしでかさないようにと念押しした。
しかし、人間というのは不思議なもので、止められると妙に悪戯心が疼きだし、私は女の出方を待つ気になっていた。
―うまくやれば、バレっこないさ・・・・・・―
みたいなタカをくくったところもあった。
まさに、若さのなせることでした。
そして、公演も中日を過ぎたとき、いつものようにかぶりつきに陣取った彼女から祝儀袋を受け取った。
なかには、千円札が十枚も入っていて、それと一緒に地図を描いたつけ文が入っていた。
―志賀島の玄海荘旅館までハイヤーでお越しくださいませ、大事なお話がございますので かしこ 小百合より―
と、走り書きの手紙に書いてあった。
―行くべきか、行かざるべきか―
まさに、ハムレットの心境だったが、小百合さんの白魚のような指と、きゃしゃなうなじを思い起こすと、欲情がみなぎってきて、もう、気持ちを抑えることはできなかった。
舞台がはねると、私はそそくさと着流しの姿で出かけ、タクシーに乗って指定の旅館に行った。
旅館の女将に相手の名前を告げると、わけ知り顔に女将はうなずいて、離れの小部屋に通してくれた。
「扇雀さま・・・・・・来てくれたのね、うれしい・・・・・・」
私の顔を見るなり、小百合さんはポッと頬を赤らめて言った。
「奥さま・・・・・・大事なお話って何でしょうか」
私はつとめて冷静に訊いてやった。
「いいの・・・・・・ゆっくり後で・・・・・・それより、舞台でお疲れでしょ、おひとつどうぞ・・・・・・」
小百合さんは、銚子を白魚のような指でつまむと、私を誘った。
膳には銚子と盃だけが置いてあり、どうやら小百合さんは私を待つ間に独りで飲んでいたらしかった。
私は誘われるまま小百合さんの前に膳を挟んで座った。
「ううん、いや、そばに来て、せっかく2人きりになれたんですもの・・・・・・」
小百合さんは甘えた口調でいった。
私は小百合さんの横に正座し、両手をキチンと膝の上に置いてかしこまっていた。
「扇雀さま・・・・・・そんなに固くならないで、もっと小百合の方に寄って・・・・・・」
小百合さんは私の手に柔らかい手を重ねてくるとギュッと握って自分の方に引き寄せる素振りをしめした。
小百合さんの肉体から甘い香りの匂いが香り立ち、私の官能の芯をくすぐり、女の扱いには慣れていた私も、否応なく小百合さんのペースに巻き込まれ、股間が熱くなった。
―今、スグに抱きたい―
欲望が激しく沸いてきたが、座長の忠告もあり私は必死に堪えていた。
そんな私が年上の彼女には可愛らしく映ったのだろう。
小百合さんは薄っすらと笑みをうかべて、
「扇雀さまって・・・・・・うふ、案外、初心なのね」
そう言うと、私の手を引き寄せて着物の襟の合わせ目から入れさせ、胸を触らせようとしてきた。
「奥さま・・・・・・いけまさん。旅回りの役者風情をおからかいになっては・・・・・・手をお放しになっておくんなさい」
私はチラリと触れた絹のような滑らかな肌の感触に痺れつつも、手を引き小百合さんの手を振り払った。
「ひどいわ・・・・・・扇雀さま・・・・・・妾(めかけ)の気持ち分かってらっしゃるくせに・・・・・・女の妾に恥をかかせるおつもり・・・・・・妾・・・・・・死んでしまいます」
小百合さんは崩れるように私にしなだれかかってくると、私の胸に頬を押し当て、わざとらしく鳴き声を出した。
「小百合さん、恥をかかせるなんて、そんな気持ちは毛頭ありません・・・・・・。あっしだって、小百合さんとなら地獄に落ちるのもいとわない気持ちです・・・・・・」
私は激情に駆られて言った。
「うれしいわ・・・・・・。だったら小百合の想いを叶えてくださいな・・・・・・妾は扇雀さまの・・・・・・ここが欲しい・・・・・・」
小百合さんは喘ぐように言うと、私の着物の裾をはだけ、股間のあたりを手で撫でさすってきた。
「奥さま・・・・・・扇雀はそんなことされると、交わらなくては気がすまなくなってしまいます・・・・・・もし、奥さまに妙な噂が立ったりしたら・・・・・・困ります・・・・・・一座が立ち行かなくなってしまいます」
私は口で言いながら、すでに欲望は抑えられず、小百合さんのなすままに股間をまさぐらせながら、心地よく小百合さんのうなじに鼻を押し当て、香しい匂いを胸いっぱいに吸い込んでいた。
「ああ・・・・・・扇雀さま・・・・・・困ったりなさらないで、妾に一座をつぶすような真似、絶対主人にさせませんもの・・・・・・だからね、一度だけでいいの。扇雀さまのこれで、妾を存分にしてくださいな」
小百合さんはいつしか越中ふんどしを片ほうに寄せ、私の股間のものをむき出しにし、せつなげに頬ずりしながら言った。
日ごろは半分ほど皮がかぶっている私の肉棒は、小百合さんの指で弄ばれて、皮がむくれて、隆々とそそり勃っているのがわかった。
日ごろの見かけは小ぶりだが、勃起すると2倍ほどにもでっかくなる伸縮率の大きさが、股間にある肉棒の特徴だった。
「ああ・・・・・・、すごいわ。・・・・・・扇雀さまのこれって、・・・・・・大きい・・・・・・、女形の殿方って信じられないほどよ・・・・・・」
小百合さんは喘ぐような声で私の肉棒を褒めそやした。
そして、小百合さんのやや肉厚な唇が私の肉棒を咥えこむにいたって、私も我慢の限界を超えてしまい、
「奥さま、・・・・・・どうなってもいい。・・・・・・奥さまと一緒に地獄に落ちましょう」
私はうめくように叫んだ。すると小百合さんは、
「うふ、地獄だなんて・・・・・・。妾を極楽に連れてって・・・・・・。うんと、うんと気持ちいい極楽に・・・・・・」
そう言って、激しく女体をくねらせた。
つづく