幕間 水上という人間
何故か、単純に苦いものを飲むということが理解できないからである。正直紅茶の方がどう足掻いても美味いと感じている。水出し珈琲というのも飲んでみたが酸味が変に出ており、これはこれで苦手だった。
だが彼は朝食前に好んで珈琲を飲む。
中細挽きの豆を選び、ペーパーフィルターを丁寧にドリッパーへ収める。お湯が沸騰したのを確認したら一度細口のポットへ移し、温度が落ち着くのをしばらく待つ。その間に豆を挽き終えた粉へと視線を落とし、表面を軽く揺すって均す。
やがて湯を中心へ数滴落とした。粉は静かに膨らみ、小さな丘のように盛り上がる。三十秒ほど蒸らし、それから細い糸を描くように湯を注ぎ続けた。
とくとくと泥のように濃い珈琲がサーバーへ溜まる。同時に芳醇な匂いがキッチンに広がる。
その匂いを不快に思いながらも水上はある程度溜まった珈琲をマグカップに注ぎ、一口飲む。
「不味い…」
口腔内に広がる苦味、好きな人はこれを良しとするらしいが全く持って理解できない。
そう、理解できないのである。
水上九重は理解できないものが好きなのである。好きでという陳腐な言葉では表せない。愛しており、惚れており、憧れており、忘れられずに、執着している。
理解できないという事は幸福であり同時に不幸なのである。
とある人には空気を吸うごとの如く簡単な事がとある人にとっては崖から飛び降りるより難しい。これは別に勉学だけの話ではない。生きとし生きる物全てが他者より劣り、優っているのである。
どんな生命体でも生きてはいけないものなど無く、どんな悪人でも生きる価値があり、どんな善人でも死ぬ意味があり、どんな知者であろうと理解できないものがあり、どんな愚者であろうと理解できるものがある。
この世とはそういうものである。
それこそがこの世の真理、齢15にしてたどり着いた真相。
それはある種の博愛精神であり、残酷さの表れだった。
故に、潰したいのである。彼は理解できないものをできるだけ理解したいのである。無論自分ごときに理解できない事が存在していることも十分に、本当に十分に理解している。
だが理解できないこととは何だ?どこまでは行ってよくてどこからは行かない方がいいのか?
いつかは知らなくてはいけない、ならば早い方がいい。
ちびちびと飲んでいたブラックコーヒーを一息で飲み干す。
彼は理解できない対象、今の自分の範囲に収まっているかのギリギリ、それを相手に挑む。
黒江結衣は楽しかった。彼女が負けた時、すなわち
写真は腐るほど撮った。何度見ても息子がいきり勃つ。
心の壊れた彼女をダッチワイフのように飼うのもいいだろうか。今のように早乙女と甲田という格下も格下のような男に抱き潰させるか、ダンジョンの贄として焚べるか、悩みどころだ。
朝食がてらパンを焼く、おかずはボイルしたソーセージにしようか、目玉焼きにしようか、いやいやハムエッグというのも捨てがたい。
まあどうにでもなるか、二重の意味で。
彼女の物語は私の物語の一部へとなったのだから。
「次狙うのは2年生…いやいや生徒会メンバーに挑んでしまうのも手ですね…前哨戦として普通科の倶楽部を潰してしまうというのもいい。より取り見取りですねー」
ご機嫌そうにくるくる舞う。
プルル、プルルとスマホが振動する。
電話?
画面を見ると早乙女の文字。
噂をしたら何とやらだ。
「どうしましたか?」
フライパンにハムを落としながらも用件を問う。彼の相手なぞながらでいい。
「いえ…その…それが…少し」
どもりながらも何かを答えようとしている。
おそらく何かしらの失敗、素直に言い出せない事があった。全く私が悪いですね、素直に言い出せない環境を作った私に非がある。
「大丈夫です、落ち着いて」
「深呼吸です、ヒッヒッフー」
「いえこれはラマーズ法でしたね失敬失敬」
爆笑必死の超絶お茶目トークで場を温めましょうか。
「いえ…その…黒江結衣が…なんといいましょうかね?」
…スルーですかそうですかいい度胸ですね。
それはそうと黒江結衣が…?自死でもしたんでしょうかね?
「空閑風堂に奪われました」
ふむふむ
ん?
what?
why?
「彼が?ですか?…にわかには信じがたい…」
コンロの火を止めることすら忘れ、歩き回りながら考える。
「いえ、貴方が言うなら本当のことなのでしょう」
「はい、昨日学生決闘を挑まれ、それを承諾、負け…ました」
眉間を揉みほぐす。
「ええ…はい、わかりましたとも、了解です…ええ、わかりました。また一時間後にかけ直してください。それまでに今後の動きを考えます」
電話を切り、頭を抱える。
「空閑風堂…また懐かしい名前が…」
朝食のことなど頭の中からすっぽり消え、脳内の思考に没頭する。
「彼は私の物語上では死んだものだとばかり‥こういうところで関わってくるのが私の範囲外の人間なんでしょうかね?」
幼少期にボコボコにされた思い出で身が震える。何度思い出してもその恐怖は消えない、消える事はない。
「いえ…いえ…本当に範囲外なんでしょうかね?」
立ち止まる。
「私は成長しました。客観的にも、自覚的にも圧倒的に」
「彼らを貶す気は一ミリたりともございませんが彼らはたとえ小学生の空閑くんであろうと敗北しそうですね」
「ええ…ええ…納めてみましょう」
「圧倒的に、完膚なきまでに」
「晒して、捌いて、殺して、犯して、濾過してしまいましょう」
当日、特級科の寮では軽いボヤ騒ぎがあったそうだがこれは完全なる余談である。
Q.なんでスマホ使えるんですか?
A.特級科特権
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