奉仕しないと帰れない部屋に囚われた男の業務記録 作:dolph
大きなお屋敷の自室で一息ついていた男は、突然全てが灰色に沈んだことで天を仰いだ。異界の部屋に向かわねばならない時が来てしまったのだ。
異界の部屋に飛ばされる現象は利用者たちが鍵を使用する条件と同じで、閉じた空間に一人きりでいると発生する。ならば開けた空間にいるか自分以外の誰かと共にいれば良いと思われるのだが、一度も出来ていない。
ペンを持っていたら気付かない内にペン回しをしてしまっているように、完全に無意識で一人きりになってしまう。異界の部屋の、おそらくは利用者ノートから影響を受けていると察せはするもののどうにも出来ない。
またあそこで長く過ごすのか、あの世界の技術を再現するには何が必要か、アウラは訓練内容を忘れてはいないか、自分がここにいる間にあそこではどれだけ時間が経ったのか、自分が不在の間に何方かがいらしただろうか。
男は色々な事を思いつつ、部屋の真ん中に現れた白いドアを見て頬杖をつく。
突如ドアが開いて吸い込まれる事はない。自分からドアを開いてあちらに行かない限りこのままだ。
しかし、全ての時間が止まっている。自室から出られない。物も動かせない。声を出しても誰にも届かない。出来るのは白いドアを開けてあちらに向かう事だけだ。
ここでぼんやりしていてもお腹が減るだけである。男はふぅと息を吐いてからドアを開いた。
白いドアを通過できる時だけはドアの向こうが見える。今や自室より見慣れてしまった応接間だ。何故かアウラが床の上に座っていた。
社会性がない故に文化も文明もそれなりな魔族であっても椅子に座る事は知っているはず。はて何だろうと思いつドアを潜れば空気が違う。
温度や湿度に臭気の異常はない。それなのに、微細な氷の棘が全身に染み込むかのようで心胆を寒からしめる。心身が弱ければ衰弱死してしまうかも知れない。
アウラがこんな事を出来るとは聞いていない。出来るようだったらとっくに次代の魔王になっていただろう。アウラでなければそれ以外。男には心当たりがあった。
座り込むアウラを後回しにして利用者ノートを捲れば、海夢の次にサインがあった。過去三度の訪問と同様に名前と日時だけのサイン。この方がいらしたのならアウラがああなるのも当然だと男は納得する。
かく言うこの男も、初めて彼の方にお会いした時は膝が砕けて倒れるところだった。悪魔と魔獣たちの煮え滾る殺意を浴びた経験がなければそうなっていただろう。
男はそれから時計を見て、異界の部屋を去ってからの時間経過を確認する。10分と経っていないが、時計が動き続けていた保証はない。
アウラに確認しようと近付いたところで、呆けていた魔族がようやく起動した。
「あんなの来るなんて聞いてない! 今度来たら絶対奥から出ないから! あんたはなんで行っちゃったの!? 私はずっと一人だったんだからあ!!」
わあっとまくし立て泣きだした。
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件の利用者が訪問したらアウラは速やかに自室に戻ってお帰りになるまで引き籠る、と云う約束を固く交わした。いつぞやと違って内容に穴がない事を何度も確認してからの約束だ。絶対に二度と遭わないと云う固い意志を感じさせる。
「どんな世界にいたらああなるわけ?」
「気になるならあの方の世界の歴史書を読むといい」
「いや。絶対見ない」
知りたいと言った直後に拒否をする。これが魔族か、あるいは女だからか、もしくはアウラの性格なのか判然としない。
「頻繁にいらっしゃる方じゃない。俺たちとは時間の感覚が違うんだ。次の訪問は大分先だろう」
「私は魔族よ。人間のあなたとは時間の捉え方が違う。それにひと眠りしたら来るって言ってたわ」
「そのひと眠りが長いんだよ。あの方の同族では、一度眠るとお前の生きた年月より長い事もあるらしい」
「そんなに寝るの!? それって……いえ、聞かないわ。絶対聞かないから」
アウラは本当に聞きたくないらしい。とりあえず、当面来ることはないと知って安心したようだ。
しかし、異界の部屋と他世界では時間の流れが違う。現に男が自身の世界で過ごした一週間はここだとほんの数分だった。男はこの部屋に囚われているため特別な例だとしても、アウラが一利用者であった時の一週間がここでは一日だった事もある。あちらで何年も過ごしてもここでは翌日、と云う可能性は否めない。
と云う事を、男はアウラに告げなかった。あえて精神衛生を悪くさせる事はない。
「どのみち、数日は何方もいらっしゃらないだろう」
二人がいるのは書斎だ。応接間は空気が悪いので避難したのである。
どこもかしこも清浄と清潔と無臭の魔法が掛かっているらしい異界の部屋であるが、あの空気が元通りになるまで時間が掛かる。おそらく、空気の変容は物理的な影響ではないのだろう。過去三度の訪問も同じことになった。
「じゃああれは来ない方がいいんじゃない? 来るなって言ったら?」
「アウラは言えるか?」
「無理」
自分で提案しておきながら、自分では断固拒否する。さすが魔族は卑劣である。
「しかし、あの方がいらしてくださったおかげで、あの方の世界の書物を読めるようになった。非常に歴史の蓄積がある世界だ。例え千年囚われてもあの知識と引き換えなら安い」
「私は絶対イヤ。巻き込まないで」
「使えるものなら使えばいいだろうに」
「嫌よ。絶対にろくでもないものに決まってるわ」
アウラにしては珍しく慧眼である。魔族であるアウラをして、悍ましいと呼ぶ以外にないものが多いのは確かだ。ターニャなら有用性に目を見張るだろうが、実際の使用例を見れば大いに顔を顰めるだろう。
「兎も角そういうわけで、しばらく好きにしていてくれ。何方かがいらっしゃったらアウラにもわかるし、二人が応接間に揃わないとドアも開かないしな」
「そうする。寒いからお風呂入ってくるわ」
アウラはそう言って立ち上がる。
書斎から応接間へのドアを開けるのに時間が掛かり、開ける前に振り向いた。
「また髪を洗ってくれない? あれ、かなり良かったわ。それに訓練するなら一緒の方が早いでしょ?」
「後でな。それよりもお前は服を着る事を覚えろ」
「着てるわよ! あんたは本当に私を何だと思ってるのよ!」
「訓練するなら服を着てる時に、だ。海夢から教えてもらったんだろ?」
「全部忘れたわ。私には必要ないもの」
それを判断するのはお前じゃない、と男が言う前にアウラは書斎を出て行った。
男はアウラに期待するだけ無駄だと再確認し、突然与えられた数日の空白をいかに過ごすか考えた。
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アウラはゆっくり風呂を使ってから書斎に戻ってきた。訓練をすると言ったのを忘れていなかったらしい。
湯上りなので肌を薄っすらと上気させる。ピンクの髪はまとめずにそのままだ。乾ききっていないのではなく、男に編ませるつもりでいる。アウラは楽をする事を覚えてしまった。
「来たわよ。早速始めるの?」
「その前にこれを渡しておこう。後で読んでおけ」
「いやよ」
「読め」
「……わかったわ」
男に命令されると拒否できないアウラである。アウラは、と云うか魔族の習性なのだろうが、自分が直接益を受ける事でないとやりたがらない傾向があった。
男が渡した紙束は利用者たちの情報を簡易にまとめたものだ。量が多くても覚えられないだろうから、アウラが直接顔を合わせた六名だけ。最低でも名前だけ覚えてくれればいい。男はアウラに全く期待してない。
なお、それぞれに男が描いた似顔絵が付いてる。
渋い顔で紙束を受け取ったアウラはメイド服を着ている。当面は誰も来ないと思われるので好きにして良いのだが、それでも以前着ていた服よりメイド服を選んだあたり随分と気に入ったらしい。
以前のメイド服は黒の長袖ワンピースにロングエプロンを合わせた実用一辺倒の作業服。
今着ているメイド服は海夢に選ばせたものだ。スカートの丈は股下指三本。肩が出てれば谷間も当然出している。腹部を締めるコルセットベルトは漆黒で、白いベアトップとホワイトエプロンを際立たせる。ベアトップの代わりにキャミソールにすると、ラムとレムのメイド服に近くなる。
男がアウラの要望を蹴って実用重視のメイド服を着せたのは、ラムとレムからの苦情を予想出来たからだ。その二人から似合わないと言われたのなら変更させても問題ない。
利用者を迎える時はヘッドドレスと付け袖を追加する。自由時間の今は付けてない。
たった六枚だったので、アウラは軽く目を通して紙束を机に戻した。
「読んだわ。もう要らないわよね?」
「折角書いたんだから取っておけ。自分の部屋の机の引き出しに仕舞って、定期的に確認するように」
「……やな奴」
「やな奴で結構」
男もアウラも、関係を改善しようとは思わない。共通の利害と得体の知れない強制力に依って仕方なく一緒にいるだけである。男がアウラに施す訓練もその一環だ。
アウラの方はいまいちメリットを感じていないが不快ではないので受け続け、男の方は訓練が役立つ日が来ないならそれでいいが手応えを感じつつあるので続けている。
始めたのは男の提案と云う名目の命令にアウラが従わざるを得なかったわけだが、今や日常の一つになっていた。
「それじゃこっちに」
「……本当にあんたがしたくてしてるんじゃないわけ?」
「どう答えて欲しいんだ? 言葉は欺くための道具なのが魔族なんだろう? そうだと言ったら満足か?」
「したくもないのにするなって言ってるの」
「今日は随分とくどいな。俺がしたいからしてるんだ。まずはいつも通り始めよう」
「わかったわよ」
アウラは渋々とソファーに近付く。但し紙束を受け取った時とは違って態度を偽っている。
それを見抜ける男ではないし、アウラが望もうと望んでなかろうとする事は変わらないのだ。
アウラの服従させる魔法が逆転してしまったため、アウラは男の命令には絶対に服従する。自分で自分の首を刎ねろと言われたらその通りにしてしまう。ではどのような命令でも絶対に実行するかと言われたら否である。アウラに出来ない事は不可能だ。
例えば、円周率を千桁暗唱しろと言っても絶対に無理である。実行させるには、まず円周率を覚えさせなければならない。あるいは円周率を算出する近似式を使えるようにするべきか。ここでもしもアウラが円周率の意味すら知らなかったら、そこから教える必要がある。更に数学的素養がなかったら教えるべきことが雪だるま式に増えていく。
つまり、無理な事は無理である。それを無理ではなく可能にさせるための訓練だ。
始めたのは男の都合が全てだが、そこにはアウラへの思い遣りも多少はあった。
「ぐふっ」
「あら、ごめんなさい」
アウラはソファーに座る際、勢いをつけて男の胸に寄り掛かった。
荒事禁止の範囲内で男に痛い目を合わせるのが、アウラの楽しみの一つである。そのうち転ぶのに巻き込んでやろうと考えている。何もないところで転ぶのは不自然なので、その時は浴場で滑った振りをするつもりだ。
「折角着けたのに外すの? 後であんたが着け直してよね」
「硬いし邪魔なんだよ。わかってるのにどうしてわざわざ……。お前に言っても無駄か」
「良かったじゃない。一つ賢くなって」
「積み重ねの每日だよ」
皮肉の応酬を続けながら、男はアウラのコルセットベルトを外す。編み紐がお洒落だが着脱が少々面倒だ。
外したコルセットベルトは放って机の上に。
「それじゃ始めるか」
「好きにしなさい」
男はソファーに深く腰掛けている。脚を大きく開いた座り方だ。アウラが座ったのはその間。
小柄なアウラが目の前に座ると、男の顔の前に角が来る。気を付けないと顔に刺さりそうである。
「頭を俺に押し付けるな。真っすぐ座って前を見ろ」
「注文が多いわね。これくらいいいじゃない」
「角が刺さる。いっそ切り落としてもいいか?」
「絶対に止めなさい!」
「もっと深く座るか、前屈みになるか、どっちかにしてくれ」
「ふん」
アウラが選んだのは前者だった。背中をピッタリと男の体に押し付ける。
アウラがメイド服を簡易に着ているなら男も同じで、ジャケットもベストも脱ぎ、タイも外している。スラックスにシャツ一枚の姿だ。
「今日はいつもより時間がある。無駄に時間を掛けても意味はないが」
「早く始めなさいよ。なに? 焦らしてるつもり?」
「焦れるほど楽しみなのか?」
「違うわよ!」
言葉の応酬を続けつつ、男の腕がアウラの前に回った。
ようやっと訓練開始である。
この男、自分は性欲が少なく自制心がある、と自己評価している。ある面では正しく、ある面では大間違いだ。
平常時なら全裸の美女に誘惑されようと歯牙にもかけない。しかし、それなりに溜まっている時は話が別だ。そして様々な経験と獲得により、三日も出さないでいると夢精する。その末に土下座してお願いした事もあった。
異界の部屋では何日過ごそうと、寝て起きれば体調が最高の状態になる。何かが不足する事も過剰になる事もない。自分で処理する羽目にならずに済んでいる。
けれども、いつまでもそうであるとは限らない。いつの日か外界と同じ時間が流れるかも知れない。
至高の御方により老いと寿命を克服した、と思っている男なので同じ時間が流れようと老いさらばえる事はない。問題は精力の方だ。
もしもそうなった時はアウラを使おうと考えた。
ここで問題なのが魔族の生態である。
独りでに生まれて独りで生きる魔族は生殖活動を行わない。性の悦びも快感も乏しい、或いはないと考えられる。それではアウラを抱こうと人形遊びと変わらない。
そうはならないように、そしてアウラも楽しめるように、時間を取って訓練を続けていた。
具体的には性感帯の開発であった。
きりが良いとこまで書いたら5k字だったので投稿
なお次話は一文字も(以下略