※この作品はR-18です。

奉仕しないと帰れない部屋に囚われた男の業務記録   作:dolph

25 / 58
13k字強


魔族みたいな男による魔族と人間の違いの説明

 ソリテール汁で汚れたテーブルは破棄された。拭かなくても応接間を無人にすれば綺麗になる。そんな不精が習慣付いてしまうと元の世界に帰ったら大変な事になると言いたいところだが、テーブルのメイクは男の仕事に含まれていない。やらずに済む事をわざわざする男ではなかった。

 ローテーブルを備えたソファーセットに移動し、まずは男が釈明した。

 

「先日は自衛のために対応致しました。ソリテール様に私への害意がないのであれば、私から何かをする事はございません。お気付きと存じますが、アウラに魔法を使わせ、この部屋での荒事を封じさせていただきました。これにつきましては、私の安全を確保するために受け入れてくださるようお願い申し上げます。仮定の話でございますが、ソリテール様がアウラの魔法を解除してからいらした場合、相応の対応を致しますことを予め申し上げておきます」

「……うん。わかったわ。あなたにはもう何もしない。アウラの魔法も解除しない。約束する」

 

 魔族が約束とか思う男を他所に、ソリテールは安堵した。

 腕の回復も美味しい食事も求めてなかった。そんなものがあるとは聞いていなかったし、思いもしなかった。目的は男から敵視されない事である。

 先日打ち込まれた毒は本当に痛かった。痛みから逃れるために、楽になろうと行動に移したくらいに。あんな痛みをもう一度経験したら、今度こそ死んでしまう。打ち込まれる以前に、あんな痛みが存在する事自体が恐ろしい。生きていれば再び経験する可能性があるのかも知れない。あり得る可能性を想像するだけで恐ろしい。可能性を完全に消すために訪問したのだ。

 故に僅かでも可能性が残るなら、自分の世界に戻ったと同時に死ぬつもりでいた。どうやら死なないでいられるらしかった。

 

「ソリテールには無理だと思ったからこの前は何もしなかったけど、こいつに何かあると私が大変だから止めなさい」

「アウラが? どうして?」

「ここにはこいつを気に入ってるのも来るのよ。はっきり言って魔王様よりずっと上。敵対した瞬間に死ぬわ」

 

 ターニャからは焼き尽くされ、ラムからは両手両足を引っこ抜かれ、レムからは口をむしられる。後者の双子から男には話さないよう言われているので口に出来ない。話したら間違いなく酷い目に遭う。

 思い出して顔を青くするアウラに、ソリテールは目を丸くした。魔王様よりずっと上とは信じがたいが、アウラの様子を見る限り嘘とは思えなかった。魔族は嘘吐きでも、意味のない嘘は吐かないのだ。

 

「出来なくなったから大丈夫よ。私よりアウラが何かする方が先じゃないかしら?」

「……しないわよ。したら……。うぅ……」

 

 ラムとレムの輝く角を思い出し、アウラは小さく呻いた。

 ソリテールが彼女らに会う事はないだろうが、この部屋に囚われているアウラはいつか必ず会う羽目になる。その時に男が不在だったら、きつく問い詰められ、宣言された事を実行されて、と考えてもう一度呻いた。

 

 食後のティータイムなのに、アウラは全く楽しめてない。

 アウラの事はどうでも良いと思う男なので気にしない。次の訪問を期待できるソリテールの方が遥かに重要だ。

 

「ソリテール様は何かご所望がございますか?」

 

 ソリテールは魔族なのでアウラと同じく魔法大好きと察せられ、書斎で様々な魔導書を、と考えていた。これを提案すればきっと足繫く通ってくれると期待している。

 

「ううん。あなたも座って」

 

 前回と同じく給仕係の男は今回も立ちっぱなしだった。基本的に利用者が来訪している時は立ったままである。許可が出るならその限りではない。持て成す側なのに何故か座っているアウラの隣に腰を下ろした。

 

「この前は話さなかったけど、私は人類の研究をしてるの。だからアウラより人間の事をわかってるつもりよ」

「それは良い趣味でございますね」

 

 研究と銘打つわけではないが、男の趣味も似たようなものである。尤も部屋に囚われた今となっては、研究する以前に学ぶことが多過ぎた。あらゆる情報を頭に叩き込んで整理するのが精いっぱいである。

 

「でもあなたみたいな人間は一人も見たことがなかった。魔族が人間の振りをしてるって言われた方が納得するくらい」

 

 アウラはしきりに頷く。言われた男は眉根を寄せた。

 どいつもこいつもどうして人を指して人ではないと言い張るのか。全くもって遺憾である。

 

「私が考える人間像が崩れちゃった。だからあなたに人間の事を教えて欲しいの。夢物語と思ってたけれど、あなたみたいな人間がいるなら本当に魔族と人類の共存が出来るかも知れない」

「出来るわけないでしょ。どこのバカよ、そんな事考えるの」

「マハトよ」

 

 男も知ってる名前である。アウラから聞いたし、アウラの世界の書物で名前を見た事もある。ソリテールと違って広く知られているらしい魔族である。

 万物を黄金に変える凄まじい魔法を操るようだが、やはり魔族は頭が魔族だった。

 

「現状では不可能と申す以外にありません。人類と共存するには、魔族は弱過ぎます」

「頭が弱いとでも言うつもり?」

「それもあるが、純粋に力が足りない」

 

 ソリテールもアウラも小首を傾げる。

 頭が弱いと言われた事はあったが、力が弱いと言われた事はない。ここには魔族を遥かに凌駕する者が訪れる。それを指して力が足りないと言われたらその通り。しかし、あれらは例外と思いたい。

 

「10万と言いたいところではありますが、せめて1万」

 

 魔族二人は再度小首を傾げる。男が何を言ってるか全くわからない。

 こんな事が頻繁にあるから理解を投げ捨てられるのだと本人は全く気付かない。

 

「年間で人類に討たれる魔族が1万に1人以下なら共存出来る可能性があります。ですが、そんな事はないでしょう?」

「ないわね」

 

 アウラが即答した。ソリテールも頷く。

 社会性がない魔族に、総数や総死亡数などは全くの不明である。しかし1万に1人どころか、千に1人以上は確実に討たれている。或いは百に1、十に1以上かも知れない。

 魔族は人類より様々な面で強靭ではあっても、人類にも強者はいる。それに幼い魔族は脆弱だ。その時期に討たれる事も稀ではない。

 

「仮に魔族がそこまで強かったとして、どうやって人類と共存するのかしら?」

「そこは先駆者たる人間に倣うのですよ。人間は牛や豚と共存しているでしょう? 同じことが出来れば良いのですがどちらから見ても難しい。人間は気性が大人しい動物を選んで家畜化しました。人類の気性が大人しいかどうかはソリテール様も知るところでしょう。そして先に申し上げました通り、魔族が人類を御するには力が足りません」

 

 豚は復讐なんてしませんからと付け加えた。

 ターニャがいれば『人間を牛や豚と並べるから魔族だと思われるのだよ』と、忠告してやった事だろう。男に親しい者がいたら、やっぱりカルマ極悪と納得したに違いない。

 残念ながらこの場にいるのは、魔族二人とその二人から人間に擬態した魔族と言われる男だけである。ここに人間社会の常識は存在しなかった。

 

「マハトが考えてる共存は違う形と思うのだけれど、そういう考えもあるのね」

「どのような形をお考えだったのですか?」

「マハトは人類を知るために人間に仕えていたことがあったわ。だからきっと友好的な共存を考えてると思うの」

「友好的……。ですが、魔族は人を殺すでしょう?」

「殺すわね」

「当たり前でしょ」

「これも先日申し上げた事ですが、生きている者は命を長らえさせるために行動します。隣に自分を殺そうとする者がいれば当然のように予防するでしょう」

「……予防って何?」

 

 その人間と一緒にいる羽目になったアウラは、興味半分恐怖半分である。

 

「やられる前にやる。先に殺すって事だ。今の魔族と人間の関係そのままだな」

「私はそんな事しないし出来ないんだから予防なんてしないわよね!?」

「お前は今更そんな事を聞くのか……、しないよ。顔を合わせれば殺し殺されの関係になるのですから、顔を合わせなければいい。魔族が人類と友好的な共存を望むなら、けして会う事はなく精々が文通に留めるべきでしょうね」

「それでも顔を合わせて共存したいと思ったら? どうすれば出来ると思う?」

 

 ソリテールは、魔族と人類の共存は夢物語だと結論している。目の前の男は殺せないが、元の世界に戻れば別だ。今までの習いを変えられないし変える必要もない。自分の存在をもって、魔族と人類は共存できないと断言できる。

 しかし、興味が出てきた。可能か不可能かは別として、この男へ疑問を投げれば明快な答えが返ってくる。自分が知らなかったこと、思いもしなかったことを教えてくれるかも知れない。

 

「魔族がどうかは知りませんが、人間は人間同士の約束を守ります。何故守ると思いますか?」

「約束は守るものだからじゃないかしら?」

「破るためにあるんじゃないの?」

 

 人間の行動に精通しているソリテールが異常なのであって、大抵の魔族はアウラと同じである。魔族と約束したところで守るわけがない。

 

「守る理由と言っただろうが……。答えは簡単です。約束を守らなければ罰があるからです。両者に罰を与えられる大きな存在を考えてください。魔族と人類でも同じです。共存のために交わした約束を破ったら罰する存在があればいい。人間はこの存在に法を置きますが、魔族に法は通じないでしょう。魔族も人類も遥かに凌駕する強力な個体が存在し、その存在が共存を強制すればいい。それを探すのか、作るのかはまた別の問題ですね」

「それでも魔族が人類を殺し続けたら?」

「その存在が魔族を処分し続けるだけです。それで魔族が学べば良いですが、学ばなければ滅ぶでしょう」

「どうやって作ればいい?」

「それは何とも。個を育てるか機関を作るか、いずれにせよ圧倒的な力が必要となります。共存を望む者たちが知恵を絞るべきですね。ソリテール様のお話から察すると、黄金郷は友好的な共存を望んでも実現するために何が必要かわかっていないようです。過程を省いて結果だけ欲してるように感じます」

 

 マハトがとある地方を自身の魔法で黄金に沈めた、と男はアウラの世界の本で読んでいる。共存の手段を検討した上で黄金に沈めたとは思えない。あるいは魔族独特の行動原理か。

 目標を高くするのは結構だが、手段は有限である事実をわかっていないのかも知れない。

 

「マハトの二つ名も知ってるんだ。マハトは悪意や罪悪感を知りたいって言ってたわ。どうして私たち魔族に悪意や罪悪感がないのかも。そんなものを持ってたら魔族は人類を欺けない。私はそう答えたのだけれど、あなたは違う答えを持ってるのかな?」

「それは人間に向けて、人間はどうして背びれや尾びれがないのか聞くのと同じです」

「あるわけないじゃない。魚じゃないんだから」

「人間は陸で生きて、魚は水の中で生きてるんだもの。でも水の中に戻ってひれを手に入れた生き物もいる。収斂進化ね」

「よくご存知でいらっしゃる。仰る通りです」

「そして魔族が人類と似た姿を持っているのも進化の証」

「草」

 

 男は鼻で笑った。ソリテールは利用者であっても魔族。気を遣わなくて済むのだが、気を緩め過ぎたらしい。

 

「「草?」」

「失礼いたしました。最近読んだ本に頻出する言葉でしたので、つい口に上せてしまいました。魔族に悪意や罪悪感がない理由ですね。それは――」

「草って何?」

「私も知りたいな。どうして突然草が出てきたの?」

 

 アウラに聞かれただけなら黙ってろの一言で終わらせる。利用者であるソリテール相手ではそうはいかない。

 男は聊か以上にきまりが悪かった。海夢の機嫌を取ろうとサブカルチャーの履修に精を出し過ぎたのだ。

 

「『草』とは『笑う』ことを意味します。『笑い』は表音文字で『warai』と記します。一文字目をとって『w』で笑うことを表現しました。笑いを強調する時は『www』のように文字を重ねます。これが『草が生えている』ように見え、さらに略して『草』が笑う事を意味するようになったのです」

 

 『w』から草を連想できても、草から『w』を思いつくことはまずない。まるで素因数分解のようだと男は感じた。五桁の素数を掛け合わせた結果から元の素数二つを出せと言われると少し難しいのだ。

 

「言葉とは使われる度に効力が減ります。陳腐化と言っても良いですね。同じ表現に飽きられるわけです。おそらくは相当な多人数に使われた結果、そのように変遷していったのでしょう……!?」

 

 その時、男の脳裏を古い言葉が過った。

 

『口にしないからこそ価値がある言葉だ。その言葉は心の中で唱えるべき言葉である』

 

 何という事であろうか。その言葉を賜ってから幾つもの歳月を過ごしたというのに、今になってようやく気付くことが出来た。あの御方が仰せだったのはまさにこの事。やはりあの御方は真理に通じておられると尊敬が深くなった。この気付きは是非にもドイツ語の師と共有しなければならない。あの後、しばらく気を落とされていたのだ。次に帰還したら一番に面会することを心に留めた。

 その時、偉大なお骨が寒気を覚える事はなかった。この部屋は異界であって外界の時間は全て止まっているのである。

 

「草が笑うねえ? 面白くも何ともないわ」

「面白くなくていいんだ。忘れろ。それよりも収斂進化とはソリテール様のお考えですか?」

 

 うっかり出てきた言葉を穿られたくないと感じる程度の羞恥心は、男も持っていた。けども話題を強引に戻すのは照れ隠しだけでなく、確認である。もしもソリテールが自身の考えで収斂進化などと宣うたのであれば、頭がアウラレベルの可能性が出てくる。以降の対応に関わる重大な質問だ。

 

「魔王様に教えてもらった言葉よ」

「魔族の姿が進化の証とは?」

「それは私の考え。魔族が人を欺き捕食するために獲得した姿」

「……さようでございますか」

 

 男は頭痛が痛くなった。ソリテールは魔族でもアウラより頭の使い方を知っていると思ったのだが、やはり魔族であった。

 

「でも魔王様から色々教えてもらったから、それがヒントになってるのかも知れない。随分前の事だから私の考えか、それとも魔王様から教えてもらった事を私の考えだと思い込んでるのか、どっちかわからなくなっちゃった」

「さようでございますか」

 

 男は安堵の息を吐いた。ソリテールではなく魔王の考えと云う事にした。しかしそうすると、勇者ヒンメル一行に討伐された魔王が存命してる可能性が出てくる。だとしても男からは触れ得ない遠い世界の事である。魔王の生死はどうでもよい。ソリテールの頭の方が比較にならないほど重要だ。

 

「魔族であるソリテール様が随分前と仰るなら数百年は過去の事でございましょうか? おそらく記憶が混同してしまったのでしょう。ソリテール様がそのようなお考えに辿り着くとは想像しがたいものがございますから」

「どうしてそう思うのかしら?」

「草って言ったわよね。ソリテールの言葉が笑えたって事? 何がそんなに面白かったの?」

「……ソリテール様は理知的なお方だと信じております。魔族が進化によって人類と似た姿を得たとはとても非合理な考えでございました。ソリテール様の見識が私の想像よりも遥かに深いのであればその限りではないのですが」

 

 歯切れの悪い言葉であった。

 ソリテールが魔族でなければ全力で有耶無耶にすべき話である。それ以前に、相手が魔族でなければこうも気が緩むことはなかったはずである。己はそこまで間抜けではないと信じたかった。

 

「始めに思った事を聞かせて。魔族の進化が私の考えだったらどうなの?」

 

 有耶無耶にすべきであるが、ソリテールが求めるなら仕方ない。魔族なのだから気分を害することはないはずである。

 

「それでは……、先の意見がソリテール様の意見だと仮定すると。幼子が覚えたばかりの言葉を見せびらかしている様にしか思えません。しかも使い方を間違っています。コックローチを捕まえてビートルと言い張るようなものです。それは『自分は馬鹿だ』と主張するも同義です。愚かさを知らしめて魔族の評価を下げ油断を誘う戦略であればわかりますが、そうではないのではありませんか?」

「……」

「ぷぷっ」

 

 ソリテールから微笑が消え、アウラは含み笑いをもらした。

 自己完結し、自己を確立している魔族に他者からの評価は意味を為さない。故に全ての罵倒を聞き流せる。

 しかし、確立しているはずの自己を間違っていると断定され、それが魔族の愚かさを知らしめる戦略とまで言われては聞き流せない。魔族にだって自尊心や羞恥心はあるのだ。ソリテールはそこまで愚かな存在に成り下がるつもりはない。

 

「どうしてそう思うのかな?」

 

 硬質な声を聞き、男は「あれ?」と思った。どうやら気分を害したらしい。魔族は魔法の事以外でも感情的になるのかと驚いた。このまま帰られると貴重な利用者を失ってしまう。しかし、ご機嫌取りをしようにも魔族である。他の利用者と同じ方法は通じない。何とかしろとアウラに目配せするが、表情を落としたソリテールを見て笑うきりでこちらの思いが全く届いていない。

 使えないとアウラへの評価を下げつつ、正直なところを答えるのが一番と判断した。

 

「では……。魔族は魔物を祖にしていると読みました。魔物が進化して魔族に至ったと推測されるようです。ソリテール様も進化と口に為さいましたから、同じ意見をお持ちなのでしょう。ですが、そもそも魔物や魔族は進化出来るのですか?」

「……え?」

 

 それはソリテールの根幹には届かずとも、深いところを揺るがす言葉だった。

 

「進化とは現世代が獲得した性質が次世代へ受け継がれ、以前とは違った種に変化することを指します。ですが、魔族や魔物は繁殖しません。現世代と次世代は完全に断絶しています。どうやって現世代の性質を次世代に受け継がせるのですか?」

 

 男は人差し指を立てた。

 

「百歩譲って魔物や魔族も進化しうると仮定しましょう。ソリテール様は人類を欺くために魔族は人と似た姿を獲得したと仰いましたが、欺くなら他の姿でも良いでしょう。人類が愛玩する動物に似せても良いし、或いは食料とする動物や植物に似せた方が良いかも知れません」

 

 男は中指も立てた。

 

「さらに譲って人の似姿が欺くに有効だとしても、頭部の角を見れば一目で人とは違う異種だとわかります。魔力量によって角の大きさが違うのかとも思いましたが、ソリテール様とアウラを見るとそうではありませんね」

 

 男は薬指も立てた。

 

「重ねて譲って頭部の角も欺瞞に有効に働くと仮定しましょう。それでも疑問は消えません」

「きゃっ!? いきなり触らないで」

 

 男は隣に座るアウラの腹を撫でた。驚きの声は可愛らしかったが、男が示したいのはそこではない。

 

「アウラにはへそがあります。ソリテール様もおありでしょうか?」

「……うん。あるよ」

 

 今日のアウラはメイド服が行方不明であるため、以前着ていた夜のお店スタイルである。黒いタイトなドレスは何故か腹部に菱形の穴が開いており、へそを覗かせている。

 

「へそは人が胎児であった時に母体と繋がっていた名残です。魔族は母の腹から生まれるわけでもないのにどうしてこんなものがあるのか? それだけでなく、授乳の必要がないのに乳首があり、生殖しないのに生殖器があります。どちらも人間と全く同じ形状をしていますね」

「…………君はアウラの乳首や生殖器を知ってるの?」

「そんな事はどうでもいいでしょ? さっさと話を続けなさいよ」

 

 逸れかけた話をアウラがねじ伏せた。ソリテールとしても、そちらより元の話の続きが気になる。

 

「断言いたします。収斂進化によって両者がここまで似通うことはありません。ソリテール様は水棲に戻った陸の生き物を口にされましたが、外形のみならず内部の構造まで同一の種を発見できましたか?」

「出来なかったかな。見た目は似ていても骨にしたら全然違ったわ。それならどうして魔族と人類はこんなに似てるのかしら?」

「似てるではなく、ほぼ同一です。進化で得た姿ではありません。これは模倣です。人の姿と全く同じ姿を、魔族が真似たのですよ」

 

 男は小指も立てた。これで四本。

 

 アウラは全く興味がない話だ。バラライカに「私は私を知っている」と吐いただけあって、進化だろうが模倣だろうがどうでもよい。乳首だとか生殖器だとか言われた方が問題だ。ローテーブルで足元が隠れているのを良い事に、膝から先を動かして男の足を軽く突いた。

 しかし、足元は隠れても膝は対面のソリテールから見えている。ソリテールからはアウラが何かしているのは丸わかりである。アウラには幸いなことに、ソリテールは男の言葉を消化しようと余裕がなかった。

 

 魔族や魔物は子を残さないので進化しようにも出来ないのはその通り。魔族が人の擬態というには角が余計で、進化で獲得した姿とするには似過ぎている。模倣と言われたらそうとしか思えない。

 

「魔族も魔物も死ねば魔力の塵となるため生きた痕跡が全く残りません。進化云々以前に調査すら不可能です」

 

 そして親指も立て五指を開く形となり、拳に戻す。 

 

「ですが、ソリテール様ではなく魔王様の考えとしたら全く別の見方が出来ます」

「……どうして?」

「魔王様の没年ははっきりしていますが生年は不明です。魔族は記録を残さないこともあり、手掛かりすらありません。私は三千年生きたと仮定しました」

 

 迂遠な話だ。魔王が生きた歳月と魔族の収斂進化がどう関わるのか全くわからない。しかし、無駄な話ではないと思われる。ソリテールは真摯に耳を傾ける。

 なお、アウラは全く興味がない。男の足を突くのが楽しくなってきた。

 

「様々な生き物を観察し、時には化石を発掘して、生き物の形態は種が違えども環境に適した形に収斂すると仮説を立てたのでしょう。ソリテール様にその事をお話になったのなら、十分な検証の後と考えられます」

「待って。収斂進化は仮説なの?」

「始めは全て仮説ですよ。観察によって得た情報を整理し、上手く説明出来る説を捻り出すわけです。そうして立てた仮説が正しいか否かを入念に検証するわけですね」

「私は観察はしっかりしてきたけど仮説まで進んだ事はなかったかな……」

「指導者を持ち得なかったでしょうから仕方ない面もあるかと」

「それでも片手落ちね」

「さっきまで両手落ちだったけどね」

「あら? 上手いこと言うのね」

 

 ジョークは会話の潤滑油である。しかし、魔族のジョークはとてもブラックだった。

 なお、男もちょっと面白いと感じた。むしろ男の周囲はそんなのばかりである。

 

「魔王様はそのようにして、生き物の形は収斂するとの説を得ました。これを魔物から魔族に適用するのは無理があります。先ほど申し上げたように、どちらも死体を残さないからです。そこに生きてるものを見るしかない。魔王様は実際に見てきたのかも知れません」

 

 アウラは話を聞いてない。男の足を蹴るのに一生懸命だ。男が咎めるようにじろりと睨めば、止めるどころか熱が入った。男は後で泣かす事を決めた。

 話を聞いてるソリテールは男の言葉に理解が及ぶと、唖然として口を開き、少し遅れて両手で隠した。アウラと違って上品な仕草である。

 

「魔王様は魔物が魔族に進化する過程をその目で見ていた。そういう事かしら?」

「そう申しております。その場合、魔王様が生きた歳月は千や万では足りません。最低でもその十倍はある事でしょう」

 

 魔法の研鑽を日常とする魔族が十万年生きた。仮にそれが真実であれば、アウラやソリテールが知る魔王とは全く違う姿が現れる。

 

「私は魔物や魔族には進化する機能がないと申しました。しかし、魔王様は進化を口にされたとか。魔王様は魔物や魔族が発生する機序をご存知だったのかも知れません」

「……魔族がどうやって生まれるかは私も知らないな。魔王様にもっと教えてもらえばよかった」

「魔王様は魔族でしたか?」

「何言ってんの?」

 

 今更何を言っているのかと、アウラが冷めた目で男を見た。男はいい加減にしろと鋭く睨み返し、ソリテールに向き直る。アウラの意見は聞いてない。

 

「魔族だったよ。私は魔王様の配下だったわけじゃないけど何度もお会いしてきたから。アウラは直属の七崩賢だったから私より見てきたはず。魔王様は魔族の王様なんだから魔族でないわけがない。あなたは何に気が付いたの?」

「魔物が魔族へ進化する過程を見ていた魔族。矛盾です。ですが、ソリテール様がそう仰るのでしたら魔族だったのでしょう。但し、ソリテール様たちとは別種の魔族と考えられます」

「私達とは違う魔族?」

「人類とて人間にエルフやドワーフと様々な種があるでしょう? 魔族にあっても不思議はありません」

「……うん。その通りだね。魔族の姿は定まってないから考えた事なかったけど、魔族にも複数の種族があっても不思議じゃない」

「ついでに申し上げますと、魔王様は存命の可能性があります」

「「え?」」

 

 アウラがようやっと蹴るのを止めた。魔王直下の大魔族、七崩賢の一として聞き捨てならない。

 

「十万年生きた魔族。これだけでも尋常ではない力を誇るでしょう。加えて収斂進化に辿り着いた豊かな想像力。調査と観察だけでは絶対辿り着けない空隙を思索によって埋めたのです。あらゆる状況を想定したはずです。当然、勇者一行が乗り込んでくる事も、自身が敗北する事も。ならば当然のように対策を打ちますよ。私は魔王様が勇者一行に敗れたのは、それこそ魔族お得意の欺瞞ではないかと推測しています」

 

 魔王が滅びの美学を掲げる可能性は始めから除外している。魔族が生に執着するのはアウラを見ていればよくわかる。

 

「魔王様が生きてる? だったらどうして出てこないの?」

「それこそ仮説だよ。魔王様が残した言葉から推測出来る能力と現状を結んだだけだ。出てこない理由は幾らでもある。可能性が一番高いのは本当に死んでいる事。生きているとしたら勇者一行の襲撃を奇貨として身を隠した。名と存在が知れ渡った事で不都合があったのかも知れない」

「仮説の次は検証だね。どうやって検証すればいいの?」

「魔王様の発見です。これが叶えば仮説は仮説でなくなります」

「どうすれば見つけられる?」

「王道となるのは生前の魔王様をよく調べる事ですね。ですが、魔族は記録を残しません。生き残りの記憶だけが頼りなのですが……」

 

 男はちらと隣を見た。

 

「非常に頼りないことはソリテール様もご存知の通りです」

「……そうね。ほとんどの魔族は魔王様の魔力に圧倒されて従っていただけだから」

「なによ。それが魔族でしょ」

 

 社会性がない魔族は魔力量で全てを決める。そこに思想やら理念やらが挟まる余地はない。魔王の思想に共感して協力した魔族がいたかどうかは難しい。魔王と同じく人類との共存を望む黄金郷のマハトとて、魔王の思想を受け継ぐことなく独自の行動を始めた。魔族はどこまでも個で完結している。

 

「とても面白い仮説だったな。それで悪意や罪悪感は何なのかしら? あなたならきっと教えてくれそう」

 

 遠回りをし過ぎて行方不明になった話を、ソリテールは元に戻した。魔王存命の可能性を聞かされた驚きはすでに消えている。

 魔王の話よりこれからの話の方が楽しみであるらしく、両膝に肘をついて頬杖とし、身を乗り出した。先日、男と二人きりで話し始めた時のように、可愛らしく微笑みかける。

 それで絆される男ではない。たれ目の時点で大幅な減点を避けられないのだ。華奢な体も色々と思い出させる。しかし、あれとは違うと理性で押さえた。なんとしてもリピーターを掴むのだ。

 

「原理的に魔族は持ち得ないものですから、それらをご自身で感得するのは不可能であるとご了承ください。どのようなものであるかはお答えできます」

「それでいいよ。魔族が持てない理由を知ったらマハトも少しは気が晴れると思うの」

「ソリテール様はお優しいのですね」

「……そう言われた後でとっても痛い思いをさせられちゃった」

「自衛以外では致しません。ご容赦ください」

「うん、わかってる。続けて」

「罪悪感から行きましょう。機会があって、触りをアウラに話した事があります」

「私?」

 

 アウラにはまたも興味がない話だ。

 ソリテールが知己なのと食後の成り行きで同席してしまったが、こんな話を聞かされるならさっさと部屋に戻って魔導書を開いていればと思い始めた。

 男を蹴るのも飽きた事だし、席を立とうと思った矢先に名指しされた。

 

「あんたから罪悪感の話なんて聞いた事ないわよ?」

「快不快の話だよ」

「ああ、それね。生存に有利なら快を、不利なら不快を感じるって事でしょ?」

 

 それが感情の起源であると聞かされた事があった。

 

「罪悪感を覚えるのは不快です。罪悪感は生存に不利なものであると、人の血肉に刻まれた歴史が教えるのです。端的に言えば、裏切り防止の安全装置ですね」

「罪悪感は生存に不利……。裏切り防止……。人類は裏切る事が生存に不利になるの?」

「裏切りの概念をご存知で良かった。その通りでございます」

 

 約束は破るものと認識しているアウラでは、裏切りの意味を知っているかどうかとても怪しい。

 ソリテールは人類を研究していると言うだけあってきちんと知っていた。アウラが下げる魔族の評価をソリテールが上げている。

 

「前提として、人類は絶対に一人で生きられません。絶対が付きます。例外はありません。人類は必ず集団を作ります」

 

 一人で生きてると嘯く人間がいたとしても、衣食の全てを自分で作り出したわけがない。必ずや他者と交換している。

 無人島で孤独に自給自足している人間がいたとしても、生まれた時から一人だったわけではない。知識か体力のいずれか或いは両方が一定の水準に達するまで集団の中で生きていたのは確実だ。生まれたての赤子を無人島に放置してもそのまま死ぬだけである。

 人は一人で生きていけるように作られていない。集団を作る事が大前提である。

 

「人間は集団の一員ですから、集団の利益を優先する事が望まれます。しかし、集団より個の利益を優先する事もあるでしょう。それが何度も続くと集団が崩壊してしまいます。集団の存在が必須ですから、そのような事が起こらないように予防しなければなりません。そのための仕掛けが罪悪感です。裏切ったら苦しむ呪いを生まれながらに掛けられているとしても良いでしょう。集団を必要としない魔族が罪悪感を持たないのは当然です」

「人に尾びれや背びれがないのは水の中で生きてるわけじゃないから。なくて当たり前。生まれながらの呪い、か。素敵! 凄くわかりやすいわ」

「ありがとうございます。悪意も集団が前提となります。何度も申し上げていますが、生きてる個体は命を長らえさせるように行動します。生存に有利なものを求め続けるわけですね。ここで重要なのが、集団の中での有利不利は相対的なものであることです。つまり、誰かが不利になれば自分が有利を得るのです」

「不利を誰かに押し付けるのね」

「その通りです。自分が有利を得るのではなく、他者に不利を押し付ける。この意思が悪意です。やはり集団が前提となるため、魔族は悪意を知ろうにも知れないのですよ」

 

 言葉を変えれば、人は優越感以外のなにものをも楽しめない、となる。

 一応は人であるこの男にも確実にその傾向がある。アウラのデリカシーのなさに比べたら自分の方がマシだ、と考えたのがそれだ。しかし、魔族と比較してる時点でどうしようもない事には気付いていない。

 

「私は人類の研究をして、人類の観察をずっと続けて来たわ。人類が集団を作るのも知ってる。だけど集団であることがそこまで影響してるなんて思わなかった」

 

 蒙を啓かれた思いであった。個で完結する魔族では持ち得ない着眼点。昨日と同じ今日を何百年も過ごしてきたソリテールの生に、新しい風が吹いてきた。

 知らなかったことを得た充実感。胸が高鳴り、止まっていた時間が動き出す。

 ソリテールはいよいよ前のめりになった。頬杖を突いていた手がテーブルに乗り、ソファーから腰が浮く。

 

「それじゃあ集団を知るにはどうすればいいの? 観察するならどこがいいかしら?」

「様々な形態があります。集団は社会と言い換えて良いでしょう。社会の原形は家族です。最小の社会が家族なのです。家族の形が国家の形すら決定するのですが、これはまた別の話になります」

 

 ところで、重ねて述べる事であるが、この場にいるのは魔族二人とその二人から人間に擬態した魔族と言われる男だけである。人間社会で当然と期待される社会常識やコモンセンスが存在しない。あらゆる世界から断絶した異界の部屋であるため、法やら掟やらがあるわけもない。

 利用者ノートの裏表紙に書かれたルールを除けば、当事者間の合意が全てとなる。

 

「家族の中では親子、或いは兄弟姉妹があります。そこで他者との関係を学ぶわけですが……。鶏が先か卵が先かになりますね。進化の観点からすれば卵が先になるわけですが、ここでは鶏を取りましょう」

 

 一緒に育った兄弟姉妹はなく、実の親を知らず、養父母と物理的に絶縁した男である。親子や兄弟姉妹を中心に据えるには抵抗があった。

 

「家族の根幹は夫婦でしょう。夫婦がなければ子が出来る事もない。子がない夫婦もあります。妻と夫の二人でも家族、すなわち最小の社会と成りえます」

 

 集団を観察するなら家族に的を絞ればよい。男はそう提案したつもりでいた。ソリテールに却下されても構わない。その時は別の案を考えるだけである。この部屋に囚われ、帰還するには利用者のサインが必須である以上、利用者の要求には最大限応えるつもりでいた。

 命の危険さえないなら何であれ構わない。出来れば飲尿は遠慮して欲しいと考えている。それとて強く望まれたら応える所存である。

 故に、ソリテールの求めに応えるのは必然だった。

 

「それなら……、私と夫婦になって? あなたと夫婦になれればもっと人類を知る事が出来ると思うの」

「……たまわりました。夫婦になりましょう」

 

 こうしてソリテールは人妻になった。

 アウラは少しもやっとした。




お気付きの方がいると思いますが、フェルンフラグが撒いてあります
しかしフェルンが出るとフリーレン出身が三人に
違うとこをテコ入れしてバランスを取るべきか、そんなの気にする必要はないか
どうしよ? って思ってます
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。