奉仕しないと帰れない部屋に囚われた男の業務記録 作:dolph
魔族の頭脳は優れている。一人で生まれ一人で生きるが故に他者の存在を必要とせず、他者への想像力が乏しい或いは皆無なだけである。
誰かに迷惑を掛けてもお構いなし。迷惑を掛けてるとも思わない。とても自己中心的な種族である。だからこそ、「立場を交換して考えて」と述べたソリテールの異質が際立つ。
聡明な頭脳は、魔法の使用や研鑽に全力で費やされる。魔族は魔力量を最重要視することから、後者の比重が大きい。今までのアウラはそうだった。
アウラは少しもやっとした。正体を掴めず言語化出来ないからもやっとしている。それが不快であった。
あの男の言葉を借りれば、不快なのは生存に不利だから。では何が不快なのか。もやっとしているのが不快なのか、もやっとさせられたのが不快なのか。
同じように見えて全く違う。前者なら原因は自分にあり、後者なら他者にある。後者なら言うまでもなく、仮に前者だとしても切っ掛けは他者になる。原因は外部に求められそうだった。
ソリテールかあの男か、どちらが気に入らないのか。切っ掛けとなった言葉が夫婦云々なのは間違いない。それがどうして不快をもたらすのか理解出来ない。そんなものがどうしたら生存の不利に繋がるのか。
「凄いわ……。応接間もとっても素敵で食事もとっても美味しかった。でもこんなところがあるなんて……。ねえ、どこをどう使えばいいの? 好きなように使っていいのかしら?」
答えが出る前に思索から引き戻された。薄く微笑むソリテールがこちらを向いて首を傾げている。あんな風に表情を変えた事は一度もない。
「好きにしていいわ。向こうはあんたが散らかしたけど元に戻ってたでしょ? ここも同じ。何をどう使っても元通りになる」
「説明しなさいってあの人に言われたでしょう?」
「……わかったわよ。シャンプーとか向こうになかったからわからないでしょうし」
二人は風呂に来ていた。案内はアウラ。アウラでも最低限の説明が可能なのと、ソリテールが求めたからだ。
風呂なのだから二人とも衣服を全て脱いでいる。裸身のソリテールは胸の膨らみがなだらかで尻の肉付きも薄い。それなのに腰は括れて妙に女らしい。
アウラはソリテールの後ろ姿から目を逸らした。手を伸ばすのは、壁一面にところ狭しと並ぶ色とりどりのボトルである。
「これで髪を洗って、洗った後はこれで髪を梳いてから流しなさい。体はこっち。色々な種類があるけど、どれがどうなのかは知らないわ。試したいなら好きにしなさい」
「……これが全部髪や体を洗うものなの?」
ソリテールの脛の位置から目線の上まで。ソリテールの背が低くても、壁に据えられた棚は六段ある。幅はソリテールが歩いて三十歩以上。その空間全てを様々なボトルが埋める。数えるのも馬鹿らしい。
「あいつに頼めば好きな香りのを作ってくれるわ。初めてならここので十分でしょ」
「十分と言うか……。どれをどう使えばいいの?」
アウラとソリテールの世界に香料を混ぜた石鹸はあっても、液状にしたものはない。代わりに体を綺麗にする魔法や洗濯の魔法がある。ターニャがとても羨ましがった。利便性もそうだが、そんな魔法を開発出来る余裕が平和の象徴に思えてならなかった。
「さっき説明したばかりでしょ? 髪用ので体を洗っても大丈夫よ」
「ちゃんと教えて欲しいな。彼には綺麗になったところを見せたいもの」
「……」
アウラはまたももやっとした。
「だったらあいつと入れば良かったのよ。これ全部覚えてるらしいから適当に選んでくれるわ」
「アウラと話したかったの」
「ああそう。なら私と同じものを使いなさい」
「そうさせてもらうわね」
利用者たちと違って部屋に囚われているアウラは、これといったお気に入りがない。毎日使うのだから気分に合わせて使うものを変える。手に取ったのは始めてこの風呂を入った時に使われたものだった。
浴場はとても広く、浴槽は数が多ければ形も違うし中身も異なり、洗い場だって広い。座って洗える場所、上からシャワーが降ってくる場所、バスタブに入浴剤を入れて体を丸ごと洗うことも出来る。
二人は並んで椅子に座り、長い髪を洗い始めた。アウラは何度も使っているシャンプーだが、ソリテールはシャンプー自体が初めてだ。泡立ちに驚き、良い香りに頬を緩める。
水が流れる音を背景にわしゃわしゃと髪を洗い、前触れなくソリテールが口を開いた。
「彼を殺すにはどうすればいいと思う?」
「は?」
アウラは思わず隣を向いた。ソリテールが目を閉じて長い髪を泡立てている。顔に浮かべた微笑は変わらない。魔族が魔族の心中を測れるわけがない。ソリテールの顔を見ても、本気か戯れか全くわからなかった。
「何を驚いてるの? 私は暴れないように命令されたけど、考える事までは禁じられてないわ。アウラに話すのもね」
泡立った頭をシャワーで流す。エメラルドグリーンの髪はとても長く、シャワーを掛けるだけでは時間が掛かる。ソリテールはコームで髪を梳きながら泡を流した。
アウラは髪を洗われた時、男が何種類ものコームやブラシを使っていたのを思い出す。
「アウラが魔法を解除してくれるだけでいいわ。顔を合わせた瞬間に私の魔法を使ってあげたらあの人はとっても驚いてくれると思うの」
「……するわけないでしょ」
アウラはしばし唖然として、ソリテールに遅れて髪を流し始めた。
「あんたはまだ二回目だから知らないでしょうけど、あいつは便利なのよ。殺すのは勿体ないわ」
「隣に人間がいるのに殺さないの?」
「便利だって言ったでしょ?」
「殺せないの間違いじゃなくて?」
洗い場の正面は全面が鏡張りになっている。鏡越しに二人の目が合った。
「あの人からアウラの魔力を感じない。残留魔力も全くない。アウラが魔法を掛けたって言ったのは嘘ね。代わりにアウラから……何かが混じった魔力を感じるわ。魔力なのかしら? アウラは魔法を掛けたつもりで、逆に掛けられちゃったのね。そのくらい見ればわかるわ」
「……ふん」
アウラの嘘は始めから見破られていた。今までソリテールが触れなかったのは、あの男なら優しさと世辞を言っていた。実際はどうでも良いからだ。
「そうよ。あいつの命令に逆らえないし、ソリテールに掛けた魔法も解除できない。絶対にするなって言われたわ。それに出来てもしないわよ。ここには魔王様より上なのが来るって言ったでしょ? あれを怒らせるなら死んだ方がマシよ」
「それは本当なの? 彼を守るために嘘を吐いたんだって思ってたわ」
「なんで私があいつを守るのよ。それより私にも聞かせなさい。あいつと夫婦って何? 夫婦って番の事でしょ?」
「番は止めて。動物じゃないのよ? 夫婦って言って欲しいな」
「はいはい。で? あんたは観察が趣味なんでしょ? どこかの夫婦を観察してれば良いじゃない」
「半分は本当よ」
人類を観察し続けてきたソリテールだ。男も女も老いも若きも見てきた。但し、観察は大抵の場合処置を伴う。観察対象は個が主だった。人類が集団を作る事を知っていても、重きは置いていなかった。
「あの人と夫婦になって自分も集団の一人になれば集団の必要性がわかるかも知れない。アウラは魔王様直属だったしグラナトを攻めていた時も配下がいたんでしょう? 集団の意味を感じなかった?」
「別に。私一人でも十分だったけど、いたから使っただけよ。もう半分は何?」
洗い終わった髪は頭の上でまとめる。アウラは長く湾曲した角に巻き付ける。ソリテールの角は短いので巻き付けるには足らず、タオルを巻いて固定した。
髪の次は体である。ウォッシュボウルに湯を溜めて大きなスポンジを浸し、その上から白いボディソープをピュッピュと飛ばす。スポンジを揉んで十分泡立てたら体を擦る。
ソリテールも見よう見まねで泡立てた。やはり泡立ちに驚き、手のひらにあぶくを乗せた。
「あの人が怖いから」
泡をふうと吹き飛ばす。泡はウォッシュボウルは越えたが正面の鏡までは届かず、湯が流れる床に落ちて溶けて消えた。
「あの人にされたのは本当に痛かったの。アウラの言葉を借りれば死んだ方がマシなくらい。でも夫婦になれば愛し合うのよ? そんな事は絶対しないと思うの」
「夫婦にならなくてもしないでしょ。ここに来るのは何人か見てるけど、痛い目見たのはあんたくらいよ。下手な事しなければ良かったんじゃない?」
「だって殺したくなっちゃうんだもの。アウラもなったんでしょ? だから魔法を掛けて、反対に掛けられちゃった」
「……あいつは魔力が全くないわ。魔法の才能がないって何度も言われてるみたいだし。私の魔法が逆流するわけなかったのよ」
「ほら、やっぱり。それじゃあ私もアウラもあの人に負けちゃったのね」
「ソリテールと一緒にしないで。私は負けたわけじゃないわ」
「争いになる前に負けちゃったのね」
「……遊んでないで早く洗いなさいよ」
「あの人はゆっくりでいいって言ってくれたわ」
「あっそ。ゆっくりし過ぎて時間切れになっても私は注意したから」
「時間切れ? どういうこと?」
「あんたは何を聞いてたのよ……」
アウラは左腕を洗ってから右腕を洗う。腕が終わったら脚。普通に座ったまま洗うこともあるが、足の裏を鏡に押し付けて脚をピンと伸ばし、太ももからつま先まで洗うこともある。
ソリテールが慌てて洗い始めるのを鼻で笑い、アウラは体を磨き続ける。体を洗うのに合わせて心の澱も流れたのか、もやっとした何かはなくなっていた。もやっとした事も忘れてしまった。
「……なにかしら?」
アウラが手を止めたりソリテールが急いだり、純粋な偶然で二人の体を洗う部位が一致した。
アウラはお腹をスポンジで撫でた後、乳房の下をスポンジで擦る。汗を掻きやすいところだからちゃんと洗えと言われたのを思い出す。言われた時は、どうしてこの男を殺せないのか不思議でならなかった。
その次に下乳から上に向けてスポンジを滑らせれば、柔らかな乳房が形を変え、スポンジが離れるとぷるんと揺れる。
ソリテールも同じところを擦っている。一応、膨らみはある。横から見れば直線ではなく、僅かに湾曲している。スポンジが通ると僅かに凹むように見えるので柔らかいらしい。
魔族には社会性がないためアウラと同じく羞恥心が息をしてないソリテールであるが、無言で見つめられれば気になるらしい。鏡越しならまだしも、横を向いて直に見ているのだから尚更だ。
アウラは無表情でこう言った。
「ソリテールの胸は揉むほどないわね」
死ぬから口にしないようにと厳重注意された言葉である。しかしソリテールは魔族。揉むほどない彼女たちのように殺意を滾らせはしなかった。けれども演技か本心か、ぷくっと頬を膨らませた。
「私の方がアウラよりお姉さんなのにどうしてなのかしら? 私もいつかアウラみたいに……あら?」
ソリテールは難しい顔をして自分の胸を撫でる。唇も尖らせて、鏡越しではなく直にアウラの体を見て気付いた。鏡越しではわからない。横から見て初めてわかる。
「アウラの乳首は立ってるの?」
白い泡の中から、乳房の先端だけが顔を覗かせていた。いつものアウラを知ってるわけではないから憶測が混じる。けれども千年も見てきた自分の体と比べれば、立っているのではないかと思われた。
「……洗って触ればこうなるでしょ?」
「私はならないわよ?」
「私はなるのよ、早く洗いなさい」
魔族にだって羞恥心がなくもない。但し、ソリテールに見られた事よりも自分の変化を恥ずかしく感じる。例えソリテールがいなくとも頬を赤らめていた。幸いなことに温かい浴場で熱いシャワーを浴びて体が温まっている。ソリテールに気付かれる事はなかった。
他者を気にしない魔族でも、ソリテールが隣にいれば触れない。体の前面を洗えば、背中は柄のついたブラシで擦る。
最後の部分はちゃんと注意してやった。
「股もちゃんと洗いなさいよ? 洗ってなかったらもう一度入らされるわ」
「これから初夜なのよ? もちろんわかってるわ」
「……初夜?」
「アウラは知らないのね。結婚した男女が初めて床を一緒にする事をそう言うの」
「ふぅん……」
「服も変えたいわ。着替えはあるのかしら?」
「無限にあるわよ。案内はしないから」
「そこはして欲しいな」
「行けばわかるわよ」
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女たちが風呂を使ってる間に男は手早く食事を取る。誰かに付き合うのでなければ10秒チャージだ。余った時間は読書に費やす。
書斎の扉は開けたままにしておいて、浴場への扉が開くのを合図にジャケットを羽織る。
良い匂いをさせる二人の内一人は自室へ直行。もう一人はクローゼットルームに案内する。
目当ての服を思い浮かべれば辿り着くと説明し、目を丸くさせた。たれ目の印象が薄れ、ちょっとだけ好感度が高くなる。
時間を指定せずに待ち合わせをして、今度は男が風呂を使う。
頭と体を雑に洗ったら老廃物や汚れを分解する最強のローション風呂にざぶんと頭まで潜って洗浄完了。これについては、丁寧に体を洗う習慣がついたらむしろ困る。自身の世界では一人で風呂を使うことがない。一人で入ったら怒られる。邪悪なスライムが一日分の汗を味わうのが楽しみと宣うのだ。
体から滴るローションは別の風呂に頭まで潜って流し、最後にシャワーで軽く流す。
所要時間は女たちの半分の半分にも満たない。女たちが髪を洗う時間だけで全てが完了する。
そうして風呂から出たら体を乾かし、ナイトガウンを羽織って指定場所で待機である。
利用者を待つのだから寝っ転がってるわけにはいかない。この部屋にも備えているソファーセットの一画を占領し、次の事を考えた。考えても不明な点が多いのですぐに思考を破棄。更に次の事を考える。
退屈を知らない男であり、思考に潜れば時間を忘れる。
場所の指定はあっても時間の指定はなかった。別れてから時計の長針が一周しようとした頃、男が待機する部屋のドアが開かれた。
「待たせちゃったかな?」
ソリテールはベッドルームのドアを後ろ手に閉めた。
無名の大魔族改め、魔族のお嫁さんが現れた。
次回でソリテール回が一段落付きそうです