※この作品はR-18です。

奉仕しないと帰れない部屋に囚われた男の業務記録   作:dolph

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13k弱
時間が出来ると書いてしまう自分が憎い


性悪サイボーグ女

「全く興味ないわね。ここから出られるならどうでもいいわ」

 

 けんもほろろとはこの事か。エーリカはバラライカ以上に男のプレゼンに興味を示さなかった。

 異界の部屋はあらゆる娯楽施設を用意出来るが、サイボーグ向けはなかった。そもそもサイボーグの女性が何を楽しむのか男にはさっぱりわからない。似て非なる存在で自動人形と親しくはあるが、役に立つ経験とは思えない。可愛いクマさんのぬいぐるみを差し出したら一瞥もしないか、はたまたその場で八つ裂きにするか*1

 とりあえずバラライカ以上に物騒な女性であるのは確実である。もしもアウラがいたら速やかに魔力の塵へ還されたと思われた。

 

「今はまだエーリカ様がお望みのものをご用意出来ませんが、出来うる限りのご要望にお応え致したく存じます」

「何もないって言ってるでしょ?」

「お体をメンテナンスする設備をご用意出来ますが」

「要らない」

 

 取り付く島が全くない。何を望むのかの手掛かりもない。

 丁寧に淹れた珈琲を口にはしてくれたものの、舌に合わなかったようで一口したら突き返された。

 来訪者から貰ったものを捨てる訳にはいかない。故に男は珈琲を口へ運ぼうとして、コーヒーカップの縁に唇が触れようとしたところでカップの持ち手が切断された。

 コーヒーカップは中身をたっぷり湛えたまま自由落下を開始して、テーブルに落ちる前に男の左手が受け止めた。受け止めたのだけれど、エーリカに小突かれ中身がテーブルの上に撒けられた。

 

「飲むな」

「失礼致しました」

 

 椅子に座ったまま何をどうしたらカップの持ち手を切断出来るのか。エーリカの技は男の興味を引いてやまない。

 

 目にも止まらない速さで靴紐を振るったエーリカに、技を誇示したつもりはない。

 エーリカは右利きで、男がコーヒーカップの持ち手を摘んだのは右手だった。そういう事である。

 

「で? ここから出るにはそれにサインするだけでいいのね?」

「その通りでございます」

 

 残念な事に、エーリカは一見で終わるようだ。

 パラパラと利用者ノートを捲って最新ページに記帳すると立ち上がった。

 

「ここに来るつもりはもうないわ」

 

 生身であった二百年前なら夢中になって通ったろうが、今は全くの不要である。男の肩を癒やした赤い薬があの時にあれば、と少しだけ思う。

 今となっては、こんなところに来るくらいなら戦場にいた方がずっといい。

 

「残念です」

「来るだけでお前のためになるって言うのも気に入らない。どうすればここに来れなくなるの?」

「お持ちの鍵をお返し頂くだけで十分です」

「誰かにあげたりは?」

 

 エーリカにそのつもりは全くない。ついでに聞いただけである。

 

「譲渡は不可能です。鍵の所有者が譲渡の意志を持つ以前に、鍵の効果を他者へ明らかにしようとした時点で鍵は消失するようです」

「捨てたら?」

「手違いや注意不足で紛失する事はありません。所有者が手放す意志を持つと鍵は消えるらしいのです。その後に誰が鍵の所有者となるのか、私には全くわかりません。選ばれる基準も不明です」

「それじゃ壊したら?」

「……特に何もございません。手放したと同じでございましょう」

「ふーん」

 

 エーリカはにんまりと邪悪に嗤った。

 呼吸音に心音まで聞き取れるエーリカである。男の表情は変わらなかったが、心臓がドッキーンと高鳴ったのを捉えたのだ。

 

「だったら壊していくわ」

「ほあっ!?!?」

 

 エーリカは弄んでいた小さな鍵を放り上げて手刀を一閃。キンと澄んだ音を立てて、真っ二つにされた金属片が落ちてきた。

 男は膝から崩れ落ちた。

 

 エーリカが性悪であるのは察しがついていた。人が嫌がる事を進んでするタイプである。男の周囲にはそんなのが幾らでもいる。すぐにわかった。

 正直に話したら絶対にろくでもない事をする確信があったので嘘をついたわけだが、エーリカは予想の上を行った。或いは嘘を見破られたか。

 どちらであれ、鍵は真っ二つ。破損時のペナルティがやってくる。

 順調に利用者が訪れるなら、囚われている時間とあるべき場所にいる時間はほぼ同じになる。それが千対一に偏るのだ。

 記憶の宮殿に籠もればいつでも真の主に拝謁出来るし、身に付けるべき知識が無限にあるとは言え、帰るべき場所に帰りたいに決まってる。

 

 ともあれ、鍵を壊したエーリカはもう利用者ではない。

 エーリカを八つ裂きにしたらペナルティが無くなると言うなら知恵を駆使して何としても実行する所存であるが、発生したペナルティを無くす方法はない。

 となれば、エーリカにはさっさとお帰り願うだけである。最早居てもらっても邪魔なだけ。

 帰るための記帳を済ませたのだから早く帰れと言おうとしたところで気付いた。

 真っ二つになった金属片は、鍵と形状が違う。平たい銀色の棒に見えた。先ほどエーリカが首を飛ばしたティースプーンの柄であった。

 

「あははははっ! ほあっだって。ほあっ! あはははははっ!」

「…………」

 

 エーリカは腹を抱えて蹲り、バンバンと床を叩いて笑い転げた。

 笑いの沸点が余程低いらしい。きっと楽しい事とは無縁の殺伐とした毎日を送っているのだ。男はエーリカの境遇を憐れんだ。

 魔族とは違って善良な己は慈悲と憐れみの心を持っているのである。魔族とは違うのだ。

 

「あー、面白かった」

 

 浮かんだ涙を拭いながらエーリカは立ち上がった。男へ拳を差し出し、手を開けば小さな鍵が乗っている。手刀で切断すると見せかけて、ティースプーンの柄とすり替えたのだ。至近距離であろうと、生身の人間の目を欺くのはエーリカには簡単な事だった。

 

「ちゃんとあるわ。でも驚かせちゃったから、お詫びに私を殴ってもいいよ?」

 

 エーリカは良い笑顔で左の頬を突き出した。抵抗せずに殴られるつもりらしく、両手は後ろで組んだ。

 

「それでは遠慮なく」

「へえ? ホントに殴るんだ?」

「エーリカ様が良いと仰せでしたから」

 

 美少女の顔面を笑って殴れて踏みにじれる男である。許可を得たのだから遠慮する道理はなく、ぎゅっと握った拳を引いた。

 

 無論の事、エーリカに殴られるつもりはない。

 男が殴るのを躊躇うようなら根性なしと罵って今度こそ鍵を壊すつもりでいた。

 男が本当に殴って来たら、ちょっと楽しい。両手を封じようと回避するのは容易だ。同じ距離から飛んでくるライフル弾を歯で受け止める事すら出来る。しかし、ただ避けただけでは面白くない。

 伸びきった男の拳を肩と顎で挟んだらその勢いのまま放り投げ、ぎゃふんと言ってる男の前で鍵を壊してやる。

 もう一度「ほあっ!?」とやらせて、笑いながら帰るつもりでいた。

 

「そんな事しなくても避けないわよ?」

「私の習慣と思ってくださって結構です」

 

 右手で拳を作った男は、左手をかざした。手の平を開きエーリカの目の真ん前に置く。目隠しである。

 例え目隠しされようとも、エーリカには空気の振動で男の動きが手に取るようにわかる。エーリカがその気になれば、目隠しして椅子に座って両手両足を縛られていようと男に完勝出来る。

 

 かざされた手のひらの向こうから、男の拳が僅かな弧を描いて飛んできた。

 下げられた左手と入れ替わりで拳が現れる。この距離でも、ライフル弾なら少し厳しいが拳銃弾なら余裕である。容易く避けられる、はずであった。

 

「キャッ! あぅっ!」

 

 拳は途中で軌道を変え手のひらを開き、エーリカの頬を平手で張った。パァンと乾いた音が響いた。

 その程度で打たれるようなら、エーリカはとっくに生きてない。問題は左手の行方だった。左手は、軌道を変えた右手より早く目的地に到達した。真っすぐ下りた左手は、エーリカの胸部に触れた。

 エーリカは、お胸をむにっとされて頭が真っ白になってしまったのだ。

 その隙に右の平手が飛んできた。

 

「お言葉通りに打たせて頂きました」

 

 人の胸を揉んだ男は涼しい顔。

 守るように両手で自分の体を抱いたエーリカは、顔を真っ赤にして、危険な目で男を睨み付けた。

 zang! ゲヴォアッ!

 

 エーリカが放つ本気の蹴りは、ジャケットごと男の胴体を真っ二つにした。

 それでも殺すつもりはないようで、下半身側のジャケットのポケットを漁り、男が肩を癒した赤い薬を見付ける。上半身側に掛けてやれば、分かたれた下半身が消えて上半身の元に戻った。

 一つに戻った男は難しい顔で立ち上がり、ジャケットの短くなった裾を摘まんだ。

 

「酷い事を為さる。殴って良いと仰ったのはエーリカ様ですよ?」

「胸を触っていいなんて言ってない!」

 

 赤い薬の効果やら、真っ二つになったばかりなのに涼しい態度でいる男やら、気になる事は他にもある。けども、最優先されるのは乙女の体である。サイボーグ体であろうと、許せるものと許せないものがあるのだ。

 

「あのまま殴りかかっても避けられると確信しておりました。隙を作らせていただいたまででございます」

「だからって……!」

 

 zang! ゲヴォアッ!

 エーリカはもう一度男を真っ二つにした。今度は回復してやらない。下半身を蹴り飛ばして壁の染みにしてやってから頭を踏みつけた。

 

「もう来ないつもりだったけど気が変わったわ。お前を虐めるためにまた来てあげる」

「ありがとうございます」

「……」

 

 真っ二つになって足蹴にされてるのにこの言いよう。痛がる素振りが全くない。よくよく見てみれば、下半身側は中身が零れて血が流れているが、上半身からの出血は異様に少ない。

 生身であるのは間違いなくても、何か異様なものを飼っているのかも知れない。はたまた自分が知らない魔法の効果か。先の赤い薬はまさに魔法の薬だった。

 

 どうすれば殺さずにこの男を痛めつけられるのか。

 エーリカの頭の中はそれだけになった。

 

 

 

 帰還したエーリカは、赤い回復薬を掛けてくれなかった。

 こんな事もあろうかと、男はジャケットの内ポケットにも赤い回復薬を入れている。服用すれば真っ二つになっても元通り。

 しかしジャケットの裾が切れてしまった。下に着ているベストとワイシャツも同様である。これは異界の部屋で得た衣服ではなく、男が自身の世界で特別に仕立ててもらった一式なのだ。

 他の服同様に脱いで放置すれば元通りに修復されると期待して、短くなった服を脱いだ。

 すべきことは色々あるが、まずは風呂である。頭から微細なガラス片を被ったばかりなのだ。

 

 

 

 

 

 

 新たな利用者が現れた場合、一番にするのは歴史の確認である。どのような世界から来訪したのか把握しなければならない。

 

 エーリカの出身世界はバラライカの世界の未来、らしい。推測が混じるのは歴史の断絶があるからだ。海夢が生きる時代に到達する前に小惑星が地球に落ちて、人類は絶滅の危機に瀕した。

 小惑星との衝突で粉塵が大気中に巻き上げられ、長い冬の時代がやってきた。それでも人類は僅かながら生き残り、未来を宇宙に託した。もう一度小惑星が落ちて来たら今度こそ人類は絶滅すると予測出来たからだ。

 石器時代に戻ったかの如きであったが、有志達は来る未来のために技術と知識を死守し、見事宇宙開拓の時代に入った。

 しかし、知識を死守した代わりに人類が長い時間を掛けて得た知恵を忘れたらしい。戦争を避ける知恵である。

 

 太陽系の惑星を人類が生存できる環境に改造し、幾つかの国家が生まれた。

 太陽系第二惑星の金星には金星共和国*2が、太陽系第五惑星木星には木星系連邦*3が。これが犬猿の仲であるらしい。

 そして大国が直接ぶつからないように利害調整しているのが太陽系条約調停議会(LADDER)である。

 

 ではエーリカの所属はどこか。

 地球ではない。地球はラダーが管理しており、地球に生まれた者は宇宙を知らない。地球生まれが宇宙に出るには、ラダーからの非常に厳しいテストをクリアする事が必要だ。クリアしたのは150年で僅かに三人。

 ラダーを知るエーリカが地球の出身である可能性はない。ラダーの所属である可能性も低い。エーリカの言葉は、ラダーと対立している事を窺わせた。

 金星か木星の所属である可能性も低い。

 金星では遺伝子工学が盛んであり、遺伝子組み換えによって人間は卵に手足を付けた肉塊のような者ばかりだ。男の知識で言えば、亜人に近い姿も多い。

 木星は国民に宇宙空間対応のサイボーグ化が義務付けられている。エーリカはサイボーグであるが、連邦の最新モードは非人間型なのだ。参考写真に乗ってる木星人はカメラがついた箱にしか見えない。

 

 とすると、残りは火星。

 火星は人類が初めて開拓した惑星である。そして、開拓時からエーリカの時代に至るまで、ずっと戦争している。知識と技術があっても、知恵がないとこうなるの典型である。

 

 火星には幾つもの組織がある。

 まず始めに、エーリカが口にした天蓋協会。

 火星の地表で人間は生きられない。そのため、地表を覆って大気を循環させる必要がある。それが天蓋である。天蓋を維持管理しているのが天蓋協会。他国より優れた技術を有しているが、天蓋協会の役割は天蓋の維持管理とわきまえて政治には口を出さないらしい。大いなる力には大いなる責任が宿る、と云う使い古された言葉すら忘れ去られているようだ。

 火星における他の組織は、火星共和国軍、火星解放戦線がある。それぞれ金星共和国、木星系連邦の資金援助を受けている。二つの大国は火星で代理戦争をしているのだ。

 他に火星王国議会派。これはラダー主導で作られた立憲君主制の統一政権、を目指して作ったが失敗した。存続はしている。

 どれもこれも火星を舞台に戦争で遊んでるようにしか思えない。

 おそらく、エーリカの所属はいずれでもない。派閥やら軍閥やらは幾らでもあるだろうから、それらのいずれかなのだろう。

 

 特筆すべきは、ナノテクノロジーによる不老長寿化技術(メトセライズ)*4だ。この技術が流出したため、金星と木星で厭戦気分が高まりラダー創設の切っ掛けとなった。

 誰も彼も死なないため、子供の存在が違法となっている。軍を動員して子供を駆除する始末。エーリカの実年齢もさっぱりわからない。

 

 男は遠い世界の政治に関わるつもりは全くない。必要なのはもっと実用的な知識である。

 さしあたって、サイボーグであるエーリカの体をメンテナンスする設備がいる。それを活用するための知識を身に付けなければならない。いわゆるサイバネ医療である。

 それにはエーリカの体がどのようなものなのか早急に調べなければならない。打った頬と揉んだ乳房は、肉の柔らかさはなかったが鋼の硬さもなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 男が睡眠時間を赤い回復薬で解消して寝ずに身に付けたサイバネティック技術であるが、エーリカは全く使ってくれなかった。

 訪問してくれるのは目的がなんであれ大歓迎である。疑問なのは、訪問する度に何かしらの芸をさせる事。

 エーリカは虐めるために来ると言っていた。芸がそこへどうつながるのか、男にはさっぱりわからない。

 

 気紛れに訪れるエーリカの主目的は、男を虐める事である。

 しかし、痛みを与えてどうにかするのは始めから放棄した。真っ二つになっても平気な顔でいるのだから、その線でどうにか出来るとは思えない。ならば屈辱を与えて辱めるのだ。

 男がどのような事に恥辱を感じるのか探るために色々させているのである。なのだけれど、器用な男だった。生身であるのはエーリカの知覚で何度も確かめた。しかし生身であるだけで、本当はアンドロイドなのかも知れないと疑わしく思えてきた。

 カードの手品を見せられた。秒速云キロの銃弾を見切れるエーリカの目でも、三回に二回はトリックを見破れない。理解不能な魔法を使われたらお手上げだが、エーリカが見る限り純粋な技術であるようだ。男がカードを撒いてトランプタワーを作った時などは、人の形をしたロボットに見えた。

 無音の応接間が気に入らないと言えば、ギターを持ってきた。これが中々かなり上手い。時間を忘れて聞き入ってしまった事もある。

 やろうと思えば、テーブルやら椅子やら飾り皿をスピーカー代わり*5にして音楽を流せるらしい。その音楽を背景に躍らせても様になってる。暇に飽かせて様々なダンスを覚えたらしい。

 あれもこれも気に入らないと言って男を困らせてやってもいいが、エーリカがしたいのは男を辱める事なのだ。客観的に見て一流の技術に文句を言っても、屈辱は与えられないだろう。

 

 そうしてエーリカは試行錯誤を重ね、とうとう答えに辿り着いた。

 

「あははははははははっっ!! なにそれなんでそうなるの!? ぷぷっ…………あははははははっ!」

「………………くっ!」

 

 爆笑であった。

 男は顔を赤らめ、歯を食いしばる。固く握った拳はプルプルと震えていた。

 

「音痴にしたって限度はあるでしょ! ぷぷっ……、あんた下手過ぎ! あははははっ!!」

「くっ!!」

 

 エーリカは、男に歌わせたのだ。

 声はよく、リズム感があり、ギターがあれだけ上手いのに、歌わせると音階が出鱈目だ。

 音痴である自覚がある男なので何とか思いとどまらせようと言葉を尽くしたのだが、火に油であった。エーリカは男を辱めるためだけに来訪しているのだ。

 

「何でそんなに下手なわけ? どっかおかしいんじゃない?」

 

 まさかエーリカに慈悲の心があるわけがない。男の異常を気遣ったわけがなく、揶揄いたいだけである。

 目的を達成したのだから今度こそ鍵を壊して二度と来ないつもりでいた。

 なのに、男の言葉で意表を突かれた。

 

「長く唇がありませんでした。その間は発音が不明瞭でしたので、歌を覚える事が出来なかったのです。残念なことに回復した今になっても改善は出来ないようです」

「削がれたの?」

「いえ、焼け溶けました。左目が塞がっていたと申しましたのを覚えていらっしゃるでしょうか? 煮えた油を浴びまして、顔の半分以上が焼け爛れてしまいました」

「自分でやった?」

「まさか。掛けられたのですよ」

「誰に?」

「それが……実の妹に」

「へぇ…………」

 

 こんなところに囚われていようとも、綺麗で身形が良い男だ。さぞや恵まれた生活で何不自由なく生きてきたのだと思っていたが、そうでもないらしかった。

 

「その妹はどうしたの? 殺した?」

「とても残念なことにあれは私の上司の上司の覚えが良く。叶うならば名前も聞きたくないのですが、そうも行かないのが現状でございます」

 

 男の顔が苦み走っている。本当に嫌であるらしい。

 自分の顔を焼いた妹と一緒にいなければならないのなら、そうなるのも当然だろう。

 

「それじゃ顔を焼かれる前はどうしてたの? 妹と暮らしてた?」

「それこそまさかです。路上で暮らしておりましたよ」

「親は?」

「実の両親に会った事はありません。養父母は私を奴隷商に売りたがっていたようなので適切に処置しました」

「ふーん……」

 

 自分とどっちがマシか考えた。

 エーリカは生身であった幼い少女の時分に、左目をフォークで抉られた。実の母の手で。父は殴ってばかり。男の言葉を借りれば、他者の手を借りて適切に処置した。

 それからしばらくの間は庇護者がなく、孤児院で出会った幼馴染と長くさすらいの生活を送った。もう二百年は前の事。その幼馴染が生きていると知ったのはつい先日。

 だからだろうか、少しだけ感傷的になった。男の境遇に共感した。しかし、憐れみはしない。

 酷い境遇にあっても自分は生き抜いてきた。どうやら男も同じのようだ。

 アンドロイド疑惑があるおかしな男だが、過去がある生きた人間なのは確からしい。

 

「あんたの過去なんてどうでもいいわ。下手な歌にも飽きたからギター弾きなさいよ。あと、あの甘いのも」

「直ちに」

 

 エーリカ曰く、戦闘用ボディなので味覚の解像度が高くないとのこと。そのため、美味しいけれど凄まじく甘い甘々飲料を好んで飲んだ。

 いくら高カロリーでもサイボーグ体の維持に必要なエネルギーが確保できるとは思えないので、体の燃料は飲食するものとは違うところで補給しているのかも知れない。

 

 エーリカは未だに体を男に触らせていなかった。メンテナンスをさせるどころかボディの種類すら教えていない。教えるつもりもない。

 それはそれとして、男への復讐が成った。

 最後に痛めつけてやろうと鍵を壊すつもりでいたが、男の境遇に共感してしまったのは不味かった。復讐が成ったのも合わさって、嫌がらせする気持ちが失せてしまった。生身であった幼い頃、幼馴染と離れていた間に悪の英才教育を受けたはずなのに。

 嫌がらせする気持ちがなくなれば、居心地が悪くない場所ではあった。

 

 安全なのは確実だ。

 安全過ぎて退屈だが、退屈凌ぎ出来る男がいる。

 甘いドリンクは割と美味しくて、知らない音楽は耳に心地よい。

 先入観なく見れば、男の姿は目に楽しい。胸を触られた事は忘れられないが、いつまでも根に持つのは子供っぽい。そのような事を考える年齢になる前にサイボーグ置換手術を受けたせいか、そちらへの耐性が低いのかもと考えた。

 サイボーグ体であるので、大きさは自由に出来る。エーリカは邪魔にならず流体力学的に空気抵抗を考え適切な大きさに留めている、つもりだ。ふと、生身であった頃に会った女で、サイボーグであるのにやたらと大きくしてた奴がいたのを思い出した*6。裏切りの大切さを二番目に教えてくれた女だ。

 

 

 

 男の主観では、エーリカの来訪は数日置きである。但し利用者ノートに刻まれる日付を見ると、かなり不定期の訪問であるようだ。時に一年近く間が空く。

 相変わらず彼方と此方では時間の流れが謎である。エーリカの一年がこちらの数日なら、ターニャの長期出張も数日で終えて欲しいものである。

 彼方でどれほどの時間が経っているものか、アウラも戻らない。これだけ長期間戻らないのだから、最早いないものと思った方が良いだろう。訪問を重ねてくれている海夢にどう伝えたものか。アウラがどうなっても良いのだが、海夢はアウラの不在を泣いていた。訪問する度にアウラの事を尋ねてくる。決定的な言葉を告げてもう来ないと言われたらとても困る。アウラの死は確認不能な推測であるので、これまで通り言葉を濁しておく事にした。

 そんな事よりソリテールである。アウラが何かしでかしたから来ないのだろうか。折角お嫁さんになったと言うのに。

 

 

 

 

 

 

 ドカッと椅子に座ったエーリカは、とりあえずテーブルを蹴っ飛ばした。

 原形を保ったまま水平飛行するテーブルは、男のジャケットを掠めてからドアに激突し、木っ端微塵になった。テーブルは消滅しても、ぶつかられたドアは傷一つつかない。

 エーリカは険しい顔でこう言った。

 

「不公平よね」

「何がでございましょうか?」

 

 その日のエーリカは訪れた時から不機嫌だった。胸を触られた時よりはマシだが剣呑な顔である。来て早々でこれなのだから、男が何かをしたわけではない。

 

 エーリカはとても嫌な事を聞かされたのだ。関わりがありそうな者に確かめると肯定された。ここまではあくまで伝聞である。エーリカ自身が確かめたわけではない。

 しかし、そこに立つ男を殺さなかった事実が、それは真であると物語った。

 ここは外部と完全に断絶されている。あらゆる情報が届かない。電磁波だって重力波だってやって来ない。ここにいれば、エーリカには何の命令も届かないのだ。

 あれもこれ自分の自由意志だと思っていたのに、それら全てが外部からの命令で誘導されていたとすれば。

 目に付くモノ全てをぶち壊したくなった。そう思うのは外部からの刷り込みに過ぎないのだろうか。

 いいや、自分は幼馴染に殺されたとする二百年前から、サイボーグになる前の生身だった頃から、誰かを困らせるのが大好きだったはずである。

 それを確かめ、自分を取り戻すのだ。

 

「私がここに来るだけであんたの得になってるのよね? なのに私には何にもない。これってどう考えてもおかしいじゃない」

「そう仰られましても」

 

 緊急時の避難場所になり、疲れた時の休憩場所にもなり、それなりの気晴らしも出来る。しかし、エーリカの主観では何もないも同然である。ここから何かを持ち出せるわけでなし、帰ったところで戦場だ。なのに男は帰りたい場所に帰れると云う。わざわざ来てやってる自分には何もないのに、どうして男だけが得をするのか。

 これが不公平でなければ、王も奴隷も平等だ。

 

「でしたらエーリカ様がお望みである事を仰ってくださいませんか? 以前も申し上げたと存じますが、エーリカ様がお望みの物をご用意できます」

「そんなの知らないわよ」

「えぇ……」

 

 エーリカの過去は波乱万丈だ。

 実の両親からは虐待を受け、自らが手引きして両者を処置し、その後に送られた孤児院では仲の良い幼馴染を得たが外部からの襲撃を受けて自分と幼馴染以外は死んでしまった。

 二人きりで長く流離い、頼りになる庇護者を得てサイボーグの体を得たのは良かった。そして始まる格闘訓練。一人前になったと思ったら大規模な作戦で幼馴染に殺されたらしい。そこは記憶が曖昧だ。

 それからの二百年はずっと戦争。望みは敵の死だけだった。

 お望みのものと言われても、自分が何を望んでいるのか、何を楽しめるのかもわからない。

 

「私が何を楽しめるのかあんたが考えなさいよ」

「ではエーリカ様の事をお聞かせ願えますか? そこからわかる事があるかも知れません」

「あんたに私の事を話すのはイヤ」

「えぇ……」

 

 男が知るエーリカは、格闘技術が凄まじいサイボーグの性悪女。爪先から頭の天辺まで機械の体であり、整った顔も後付けのもの。活発な印象を与える可愛らしい顔立ちはエーリカの趣味なのだろうか。

 甘々飲料や音楽は楽しんでいたと思ったのだが、それらは駄目であるらしい。

 サイボーグとは言え、優れた顔形にプロポーションをしているのだから着飾るのは嫌いではないと思ったのだけどクローゼットルームには見向きもしない。

 格闘訓練を施して欲しいと言ったらボコボコにされて終わった。

 体のメンテナンスはさせてくれない。折角なので分解して調べてみたいと思う下心を嗅ぎ取られているのかも知れない。

 記憶を辿れば、エーリカが一番喜んでいたのは歌を披露した時である。

 男は葛藤を理性で抑え込み、口を開いた。

 

「私が歌いましょうか?」

「あんたの下手くそな歌なんて聞きたくない」

「…………さようでございますか」

 

 身を切る思いで提案したのに一刀両断である。

 エーリカは気怠そうに息を吐いて、床に落ちたノートを拾い上げた。

 

「大体さ、ここに来る他の連中は色々楽しんでるんでしょ? なのに私には何もないってあんたはおかしく思わないの?」

「ぐわーっ!」

 

 ポンポンとノートを拳で叩いてから放り上げ、全力で蹴り上げた。

 レールガンを超える速度の蹴りは、戦闘時なら衝撃が大気中へ散らないように技を使う。しかし、技も何もなく、力任せの蹴り上げは周囲への影響甚大であった。

 音速の壁を一桁越えてるので衝撃はほとんど大爆発であり、空気が圧縮されてプラズマ化し数千度の光となる。

 床にも壁にも天井にも真っすぐに破壊の跡が刻まれ、衝撃で吹き飛ばされた男は中空で三回転して壁に着地した。修復されたジャケットのおかげで生きてるが、額が切れて頭部のあちこちからだらだらと血を流した。息も絶え絶えに赤い回復薬を取り出し、頭から被った。

 

 一秒の十分の一に満たない時間で応接間を廃墟同然にした蹴りであったが、直撃したノートは全くの無傷である。幾つも並ぶドアも同じ。傷がつくどころか、どういうわけか埃すら被っていない。

 エーリカは忌々し気に舌を打った。

 

「何もないなら壊してくわ」

「お待ちください!」

 

 エーリカが壊すと言うなら異界の部屋に通じる鍵以外にない。

 

 エーリカは性悪で非常に手間が掛かって性悪で面倒で暴力的で性悪で秘密主義で性悪なサイボーグ女であるが、貴重な利用者である。

 これまで問題らしい問題もなく短くも長い付き合いを続けてきたと云うのに、ここになって鍵を壊されたら堪らない。

 男は反射的に叫んでいた。

 

「わかりました何とかします!」

「何とかって?」

 

 ノートを足蹴にして、今度は鍵をぽんぽんと放り上げる。あんな蹴りを受けるまでもなく、エーリカが壊そうと思ってちょっと捻ればぽきりと逝ってしまう。

 男は血の代わりに冷や汗を流した。血の方がよほど良かった。

 

「エーリカ様がお察しの通り、ここにある施設は生身の方を対象としたものが多くあります。ですので、エーリカ様も生身の体を得ればお楽しみいただけるかと存じます」

「エクスビアはサイボーグになった時に焼いたわ。なに? クローンでも作って脳移植するつもり? そんな事ほざいたら鍵の前にあんたを殺すわ」

 

 エーリカの世界において、サイボーグになる者は二通りある。

 一つが事故などで体を欠損し、サイボーグ化する。もう一つが健康な体を持っていても、本人の希望によりサイボーグ化する。エーリカは後者だ。

 後者の場合、脳を取り出した抜け殻(エクスビア)を保存し、本人が希望すれば元の生身の体に戻れた時代もあった。

 今はもうない。全て滅んでしまった。

 

「クローンを作るのは同じですが、その後が違います」

 

 いつかこんな日が来るのではと思い、どうすれば果たせるかずっと考え続けていた男である。

 しかし、異界の部屋の設備で出来る事ではない。クローンを作ろうにも作る設備が用意出来ない。仮に出来たとしても、体を触れる事すらさせないエーリカの遺伝子情報を読み取れない。どちらも達成してエーリカのクローンを作ったにせよ、脳移植は高難度手術だ。とても頑張って為したにせよ、エーリカ自身が拒否しているのでどうにもならない。

 エーリカのために用意出来たのはサイバネ医療の設備までである。体の調整も手足の交換も出来るようになったと思うのだが、一度もさせてくれない。

 

「作ったクローンを生体ユニットとして、エーリカ様が外部から操作すれば良いのです。脳内の状態を一致させて生体ユニットが得た情報をエーリカ様が受け取れるようにすれば、エーリカ様は今の体のまま生身の体を得たも同然となると思われます」

「はあ?」

 

 魔法があるへんてこな場所である。

 エーリカには理解出来ない意味不明を言ってくると思ったら、理解出来なそうで出来てしまうのが理解出来ない。

 

「そんな事が出来るの? でもどうやって? 私の生体は脳だけよ。脳を取り出すのは絶対イヤ」

「いえ、情報の読み取りは非接触でも可能です。生体ユニットの培養もエーリカ様の想像より早く完了すると思われます」

「そんな事が出来るのにどうして今まで言わなかったの? どうして私に隠してた?」

「隠していたわけではございません。ここで出来る事ではないからです」

「出来ない事をどうして言うのよ」

 

 エーリカの顔は険しいが、お前を殺して鍵を壊す、と言った時に比べたら種類が違う。

 対する男は全面降伏である。出来るならば使いたい手段ではなかった。

 

「この部屋が用意出来る設備を使用するわけではございません」

 

 ふぅと大きく息を吐く。

 やむを得ない、仕方ない、と言い訳の言葉を量産する。明るみになるのは確実なので、その日に備えて大量に言い訳を考えておかなければならない。

 

「エーリカ様もご存知のように、ここには様々な世界から様々な方がいらっしゃいます。使用するのは、いらっしゃった方の私物なのです」

 

 知られたら間違いなく不快に思われるだろう。叱られるか怒られるか八つ裂きにされるか、生きていれば掠り傷なので死ぬことはないと思いたい。

 己を気に入ってくださっているので、多分死ぬことはないはずである。だからこそ使用許可を出してくださっているのだ。

 

 どれほど怒らせるかわかったものではないが、鍵を壊されるのに比べたら怒らせる方がマシだった。

*1
正解はナイフの隠し場所にする、である。

*2
アメリカ合衆国がモデルである。

*3
ソビエト連邦がモデルである。

*4
969歳まで生きた旧約聖書のメトセラに由来する名称

*5
振動スピーカー。普通に市販されてます。

*6
ヤコレワ・ヤンツェンのこと。銃夢シリーズでは久々のお色気担当キャラ。




そっちじゃないこっちに行けとオラクルがありました
どっちかは次回か次々回

たまにあります
報告する気になったのは、銃夢火星戦記にてエーリカと陽子(銃夢シリーズの主人公ガリィの幼名)が生き延びたのはオラクルがあったためなので

バラライカ、ソリテール、エーリカと続き、思い切り趣味が出てる事に気付く
今思えば海夢が出たのが不思議である
かなり偏ってきたのでどこかでバランスを取らねば
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