奉仕しないと帰れない部屋に囚われた男の業務記録 作:dolph
世間はGWと云う事は、本作が始まってから一年
お付き合い感謝です
生身の体になったエーリカはサイボーグ体であった時より大幅に弱体化したはずであった。しかし、何故か強くなった。このままエーリカの世界に戻しても何の問題もないと思われる。にも関わらず、エーリカのための装備品工作は続いていた。
生身になったばかりで体の操作に習熟していない。サイボーグ体であれば体のそこかしこに小型爆弾や銃弾を隠し持てたが生身では不可能。
などの要因によって、総合的な戦闘能力や対応力が減じたからだ。
男が工作に費やした時間が無駄になるのを嫌ったり、新しい分野での工作が楽しくなってきたから、だけではないはずである。
男はいつも以上に頑張らされる羽目になって、予定の時間を大幅に超過しつつ、エーリカの安全を確保するための装備品が完成した。
晴れて帰るべき世界に帰れるようになったと言うのに、エーリカの機嫌はすこぶる悪かった。
男が切り出すなり、ぶっすーと頬を膨らませた。
「イヤって言ってるでしょ?」
「そう仰られては困ります」
「困るのはあんたよ。私は困らないわ」
「お困りになるのはエーリカ様でございますよ」
「私は困らないって言ってるでしょ? イヤなものはイヤ。ぜーーーーったいにイヤ!」
「そんな子供みたいな事を仰らないでください」
「だったら子供でいいわ。この体は生まれたばかりなんだから今の私は0歳児よ」
「そんな無茶な……」
「無茶でも何でもないわ。帰らないって言ったら帰らないの!」
エーリカは幼児退行を起こしてしまったのだ。
安全確保策が完了したのでお帰りをと言っても絶対イヤの一点張り。装備品が完成してからかれこれ七度目である。
一度機嫌を損ねると、甘やかして我儘を聞いて愛の言葉を囁きながらセックスしてやらないと聞く耳を持たなくなる。
これというのも、眠らなければ強制帰還させられる事がなく、眠らずにいる方法をエーリカが知ってしまったからである。
エーリカが自身の世界に帰ったところで、待っているのは赤茶けた砂漠の戦場。
サイボーグであった時なら自分の強さを確かめられたり、好きなだけ敵を殺せたりと楽しい事がいっぱいあった。
しかし、屍人戦士として外部から命令を受けていたのなら話は別だ。戦意は外部から植え付けられた可能性がある。
元の性格が性格なので戦意は一先ず措くにせよ、敵の選別は間違いなくコントロールされていた。
最早あいつらの戦争に手を貸してやるつもりは全くない。何もかもひっくり返して滅茶苦茶にするならしてもいいが面倒くさい。
そんな事を考えずとも、帰らなければここでずっと贅沢出来る。
受け入れてくれる。甘やかしてくれる。帰りたくない。帰らないでいられる手段がある。だったら帰るわけがない。
「あんたは帰りたいかも知れないけど私は帰りたくないの。それとも私を追い出したいだけ? そんな事言ったら絶対許さないから!」
「違いますよ。私はエーリカ様との時間を得難く思っております」
割と本当である。
サイボーグであった時と違って、機甲術の手ほどきをちゃんとしてくれるようになった。歴史ある格闘術でエーリカ自身の蓄積も二百年以上あるため、ようやく麓に踏み入ったばかりだ。これからも指導を続けて欲しい。
セックスをする度に良くなってきたのも大きい。真の主は女たちに「そのままではいつか飽きられる」と語って厳しく指導した事もあったが、同じ女を抱き続けて飽きる男ではないし、と云うか飽きていたら生きていなかった環境が長かった。その上でエーリカの具合が良くなってくるのだ。
そこが問題であった。
「私が自身の世界に帰りたいのは否定しません。ですが、重ねて申し上げますがエーリカ様のためなのです。お気付きですか? エーリカ様と愛を交わす度に、エーリカ様は深く感じるようになってきた事を」
「あんたが私をこうしたんでしょ! スケベ!」
「恥じ入るばかりでございます。エーリカ様の魅力に抗えないのですよ。そこが問題なのです。長く眠っていない事もあって、加減が難しくなってきたようなのです。そしてエーリカ様の快感も深まるばかり。行きつくところがおわかりになりますか?」
「……なによ?」
魅力がどうのと言われて嬉しかったのを知られないよう、そっぽを向いた。
それはそれとして、セックスはとても良くて満足してるが、加減をしていたと言うのは気に喰わない。手であれだけ扱いて抜いて*1やったのに、あっちは手抜きである。
と同時に、あれ以上があるのかと期待と恐怖が湧き出てくる。あれ以上があるのだとしたら、自分が自分でなくなってしまうかも知れない。それが行きつくところなのだろうか。
男の答えはもっと現実的で切実なものだった。
「このままでは行為の後にエーリカ様が失神してしまう時が遠からず訪れてしまいます」
「…………は?」
「エーリカ様の意識が途絶えたら強制帰還させられると以前から申し上げております。行為後のエーリカ様がそのまま戻されてしまうのです。どのような状況になるかおわかりになりませんか?」
「………………」
セックスでは何度もイッている。特に深いのは中に出された時。その状態で戻ってしまうと、全裸で、行為の残滓が生々しく、秘部から精液を垂れ流している姿になってしまう。意識を失った状態で。
速やかに意識が回復するなら良いが、そうでなかったら誰かに見られる。まして帰ったところにあるのは小さな宇宙船の狭い居室。蓋然性は相当に高い。
「私はエーリカ様のそのようなお姿を誰にも見せたくないのです。エーリカ様が私を気に掛けてくださるのなら、どうかお願いいたします」
「そんな言い方ずるいじゃん!」
「本心でございますよ」
ターニャから独占欲がどうのと言われたのを覚えている。利用者には、他の利用者を意識させてはいけないのだ。
エーリカはそこに加えて、独占されたいと思っているらしいと察した。よくわからない理屈であるが、エーリカを観察する限りそうなのである。
過日、女に他の男と寝ろとか言うと命に関わるとして、発情狼から非常に厳しい折檻を受けながら体に叩き込まれた。あの日、何度体に風穴が空いた事か。
エーリカに提案したのはその何歩も手前。自由意志を尊重してご自由にどうぞだったのだが真っ二つにされた。
主客転倒の気がしないでもないが、エーリカにはこちらがエーリカを独占したいと思わせなければならないらしい。
果たしてこれはエーリカだけの性質なのか、それとも女性全般に見られる傾向なのか。
他者の自由を縛るつもりは毛頭ないし、あちらにいる直属の部下たちだってこちらに迷惑を掛けなければ何をしても構わない。
エーリカは性格的に自由を愛していると思ったのだが、どうして束縛されたいのか謎であった。
「エーリカ様にはこれからもここにいらして頂きたく存じております。それにこのような格言がございます。曰く、『好きなカレーも三日で飽きる』と」
「飽きないけど」
偉大なる空の支配者が遺した言葉であるが、エーリカは一蹴した。
長く味覚の解像度が低いボディを使っていたので、何でも美味しく食べれるのだ。それにここのカレーが美味しいのは本当である。カレーと一言で言っても何百種類もある。
「……私が愛読する小説の主人公はこう言っていました。『楽しみは貪るものではない』と」
「楽しい方が良いに決まってるでしょ」
無敵のサムライマスターより強いかも知れないエーリカはまたも一蹴。説得失敗である。
男は苦く笑って、背を向けるエーリカを抱きしめた。エーリカは避けなかった。
「では今一度お楽しみいただきますよ?」
「楽しいのはそっちもでしょ?」
「その通りでございますね」
今のエーリカは、ダボっとしたジャージからお洒落でセクシーなドレープドレスになっている。男が肩紐をずらせば、豊かな乳房が零れ出た。
エーリカは振り向き見上げて、降ってくる口付けに身を任せた。
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「………………帰るわ」
渋々と、本当に渋々と、エーリカは帰還の意を口にした。本当は本当に帰りたくないのだが、さっきのセックスがかなり危うかったのだ。
ちゃんと起きてるはずなのに、意識が何度も飛んでしまった。お薬で体は万全に戻っても精神はその限りではないらしく、記憶を辿れば断絶が何か所も。全く覚えていないのも良くないが、漠然とした記憶の断片が残っているのも良くなかった。
自分から咥えておねだりをして上に乗ってポルノグラフィで観た卑猥な言葉を何度も叫んだ、ような気がする。
意識を失った瞬間に戻されてあんな状態でいたら一体どうなってしまうのだろう。想像もしたくない。
「お帰りになるのでしたらこちらをお持ちください。エーリカ様のために作ったものです」
「……向こうに戻ってサイボーグになってあんたにはもうセックスさせてやらないんだから!」
「どうかそれだけはご再考を。エーリカ様の体を作ったあの場所はもう使用出来ないのですから」
エーリカへの立ち入り禁止要請が男に出ていた。破ったら、エーリカが入った瞬間にバラバラになってしまう。
「これからも引き続きいらしてください。いつまでもお待ちしておりますから」
「ばかぁ…………」
エーリカはぐすぐすして、涙すら零して白いドアを開けた。
最後に振り向き見上げて、たっぷり唾液を交換してからドアの向こうに姿を消した。
「ふぅ…………」
見送った男は大きく息を吐き、近くの椅子に腰を下ろした。
今までのエーリカは滞在時間が短かった。その不足分を今回で全て取り戻された気分である。
赤い回復薬で肉体的な疲労に眠気は解消出来ても、精神は別。気苦労は多かったが、エーリカの再訪に繋がるので良かったことにした。
168時間を短く振り返って、椅子の上で深い眠りについた。
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「私、サイボーグに戻るの止めたわ……」
再訪したエーリカは目が死んでいた。
装いは黒いボディスーツに軍用ジャケットを羽織って、体のラインを隠しつつもお洒落である。
「なによこれ。こんなのインチキでしょ……」
「想定通りの効果を発揮したようで幸いです」
エーリカがぼやきながらテーブルに置いたのは、鉄枠に四面のガラスをはめ込んだ古風なカンテラだった。普通のカンテラと違うのは、光源の代わりに二つの眼球が内部に浮いている事。片眼は男をじっと見て、もう一方はぎょろぎょろとあちこちを見回す。
先だって男が作ったエーリカのための装備品である。
何でも防げる防具やボタン一つで全ての敵がなくなる兵器が出来れば良かったが、実現不可能である。
最優先に必要とする機能は戦闘を避ける事。
エーリカの世界ではサイボーグが非常に多く、あらゆる兵器が電子制御されている。男はそこに目をつけた。
件のアンドロイドと交渉して書いて貰ったプログラムは、その電子制御に干渉するもの。つまりはハッキングツールである。
効果を目の当たりにしたエーリカは、サイボーグになるとは体の操縦権を明け渡すようにしか思えなかった。
カンテラに浮かぶ二つの眼球はエーリカのボディから取り出したもの。
目標を確認しつつ、必要とあらば電磁波を発振してプログラムを対象に書き込んでしまう。
エーリカの喉から取り出した声帯も組み込んであり、状況によっては超音波を発して対象に干渉する。使い方によってはアンダーソン局在*2を引き起こして生体部分を一発で焼き尽くす事も出来る。
催眠光線発生及び生体焼却装置とも言えた。
まずとりあえず、エーリカはインチキカンテラを使って自分が乗る宇宙船にいる者を、一人を除いて皆殺しにした。
どいつもこいつも自分が屍人戦士にされてる事を知って利用してきた奴らだ。慈悲はない。知らなかった者もいたかも知れないが些細な事である。
残した一人は、自分が屍人戦士にされていたのをとっくに知ってた上で「屍人戦士になる前となった後で何か変わったか?」と巫山戯た事をほざいた。単にぶち殺しただけでは気が晴れない。
ボディを壊して頭部だけ残し、新しい体の操作を完熟するためのリフティングに使った。ボールに使うには弾みが良くなかったので、宇宙船ごとゾイレに突っ込ませて派手な花火にしてやった。
花火もとい大事故の調査に来た火星王国議会派の兵隊をとりあえず皆殺しにして宇宙船を借り、オリンポス宇宙港で乗り捨てイェール*3に向かう船に乗ったところである。
男の助言に従って地球を目指してるわけだが、木星行きも少しだけそそられた。
エーリカの第二の故郷である機甲術の谷はとうに滅んだ。だから機甲術が伝説的な武術になっていたりする。滅んだと云うか滅ぼされたわけだが。
インチキカンテラを存分に活用して木星の連中を木っ端微塵に、は心惹かれるが、諸々の事情で止めにした。
インチキカンテラには使用期限がある。進んだ技術で書かれたプログラムであろうと、使い続ければ対策を取られるだろう。それを避けるための使用期限である。使用期限内に木星吶喊は大変だ。
個人的に復讐するならまだしも、散った仲間たちのためにとは思わない。第一、木星を沈めたら喜ぶのは金星の連中だけ。
そして一番重要なのが、とても面倒臭いからだ。
そんな事よりも自分が幸せになる方が遥かに大事である。
「で、あんたの言う通りに地球目指してるけど、本当に大丈夫なんでしょうね?」
エーリカの世界で人類が宇宙に進出したのは、再度の悲劇を避けるためである。地球には小惑星衝突の可能性があり得るのだ。
宇宙にいる者たちからすれば常識であるが、男は一笑に付した。
「全く問題ありません。以前小惑星が落ちた時と現在では、観測技術に格段の差があります。落下したら地球環境を激変させる程の小惑星は全て観測済みでしょう。千年先の軌道まで予測してると思いますよ。仮に衝突コースにあっても、軌道を逸らすくらい雑作もない事でしょう」
「……まあ、ね」
そんな小惑星があったら空手家*5を送って破壊させればいいのではないだろうか。それくらいの交渉はLADDERがするだろう。
「エーリカ様の旅路が順調で何よりでございます。今日はごゆるりとお寛ぎください」
「もちろんそうするわ。でも……、あと……、前に言ってたやつ……」
「二十四時間経過する前であれば、ここでお眠りになっても気を失っても問題ございません」
「…………スケベ!」
「エーリカ様はご自分の魅力をお忘れですよ?」
甘い抱擁から始まって段々と激しくなり、エーリカは気を失った。
目覚めは快適で行為の残滓は綺麗にされていたが、何だか腹に溜まっている気がする。何度も飲まされたのを朧気に覚えていた。
その後はまったりイチャイチャと。当然のように赤い回復薬を何度も使って時間を延長してから帰っていった。
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エーリカは順調にイェールに到着し、普段は厳重にロックされている宇宙エレベーターをインチキハッキングツールで解除してザレムへ降りた。
何の問題もなく当初の予定通りに進んでいるのに、異界の部屋を訪れたエーリカの表情は冴えなかった。
「ザレムに陽子がいたんだけど……」
「陽子と仰いますと、確かエーリカ様の幼馴染の方でしたね」
「そう。火星で会ったわ。あれから真っすぐ地球に向かっても私より早いはずないのに。それに生身になってたわ。どういうこと?」
「どちらかが複製なのではないでしょうか? 生体脳の情報を脳チップに移植する技術があるのですから、複製は不可能ではないと存じますよ」
「ええ……? じゃあ、どっちがオリジナルなわけ? あの子は一体何やってるのかしら……」
悩みの種を押し付けたくて、エーリカの悪知恵が顔を出した。
「もしもあんたが二人いたらどうする?」
「私が、でございますか? 全くの同一存在が私以外にもう一人いる事を想定せよと?」
「そういうこと。そうなったらどうする?」
「そうですね…………」
最大の懸念は真の主の関心が分散する事である。
真の主の考えを制限しようとは不敬極まるので、もう一人の自分を排除するのが妥当だろう。その場合、ありとあらゆる姦計を企てて回避不能の罠に陥れるだろうが、向こうも全く同じことを考えて同じように実行すると思われる。すると、大混乱間違いなしである。
或いは能力と環境が同じでもその時々の初期条件は違うので、それを利用して抹殺するとも思えるのだが、やはり向こうも全く同じ結論に辿り着くだろう。
自分だからこそ自分がしそうな事が予測でき、結果として何が生じるのかまでは予測出来ない。とりあえず大混乱するのだけは確実だ。
「静観すると思われます。私の邪魔さえしなければ何であろうと構いません。向こうも同じように考えるでしょう」
「つまんない答えね」
「悪戯に混乱を引き起こすのは本意ではありません」
と、本人は思っているが、もしもこの男が二人になったら、真の主は夢にまで見た両穴責めをされて大満足する事間違いなしである。真の主以外でも、男が増える事によってQOLが高くなる者が多い。面白くないのは当人だけだ。尤も、あり得ない想定である。
起こり得ない話に興味を持てない男なので、速やかに話を切り上げた。
「様々な事情がおありなのでしょう。敵対状態ではない幼馴染の方と再会出来たのですから良かったではないですか」
「そうなんだけど……。そんな事よりザレムにいた陽子よ。あの陽子に男がいたの!」
陽子が二人になっていたのは驚きだったが、それだけだ。エーリカとしては、「えー?」の一言で終わらせられる。
終わってくれないのは、ずっと妹分だと思っていた陽子に男がいたからだ。
厳ついワイルド系でエーリカの好みではないが、陽子を追って地上からザレムに乗り込んできたのは中々の情熱である。羨ましくない事もないような気がしなくもないのが気に喰わない。
「人間の性別は男と女があります。男がいても不思議ではないのでは?」
「そうじゃなくて恋人よ、恋人! あの陽子に恋人なんておかしいでしょ!」
「えぇ……」
エーリカは幼馴染の幸せを喜べない女だった。
「私には陽子よりもっといい男がいるって見せ付けたいの。あんたもこっちに来なさいよ!」
「無茶を仰らないでください。私はここから出られませんよ」
きっと、そんな事を言ったのが悪かった。
▼
その日、前触れなく応接間の白いドアが開いた。
利用者が訪れるなら基本的に鐘が鳴る。鳴らない時もないではないが、非常に稀だ。
どうやら稀なケースではなかったらしい。
白いドアから現れたのは、男が良く見知った姿だった。
「生きてたのか。全く来ないから死んだと思ってたよ」
「生きてるわよ。勝手に殺さないで」
軽口に軽口で返すのは、夜のお店装束に身を包む魔族の女。アウラだった。
久々に見るアウラは、以前見続けていたのと全く変わらない仏頂面である。きっと楽しい事が何もないから表情が死んでいるのだ。
アウラへの憐れみは多々あれど、聞くべきことが幾つもあった。
「ここではアウラがいない時間が長かったよ。アウラは向こうでどれくらい過ごしたんだ?」
「さあ? ニ三カ月はあったかしら?」
「ニ三カ月…………」
ニ三カ月じゃなくて正確に言えと言いたかった。しかし、大きな衝撃に打ちのめされて何も言えなかった。
己が帰還する時は一週間しか居られない。けれどアウラはニ・三カ月。余りにも不公平過ぎる。
アウラは自身の世界に長く戻っていなかったからその分の時間が溜まっていたのか。それともアウラは己と違う経緯で部屋に囚われたため、向こうに居られる時間が違うのか。
何であれ不公平である。ずるい。羨ましい。
もしもアウラがいなくなったら帰っていられる時間が増えると云うのなら断腸の思いで実行する所存であるが、したところでペナルティがついたら目も当てられない。冒険は禁物である。
そして冒険と言えば、もしもアウラが戻るようであれば冒険させたい案件があった。
「まあ…………いい。向こうでソリテール様にお会い出来たか? アウラが向こうに行ってる間に一度もお出でにならなかった。何かあったのか?」
しかし冒険よりも目先の事である。
ソリテールは非常に優良な訪問者であった。ここではあちらの時間がどれほど流れているかわからないが、本人の談では鍵が利用可能になったらすぐに訪問してくれていたらしい。けども、アウラが向こうにいたニ・三カ月で一度も来訪しなかった。時間の流れがおかしい以外の要因がある。
「ああ、その事だけど。鍵がなくなったそうよ。ぴーぴー騒いでたわ」
「は?」
アウラは事も無げに言ってくれたが大問題であった。
鍵がない。すなわち訪問してくれない。
割と面倒な思いをして信頼関係を築き定期的な訪問を勝ち得たと思っていた。そのソリテールが鍵を失くしたとはどういう事か。
異界の部屋に通じる鍵を偶然紛失する事は有り得ない。鍵はどこまでも所有者にくっついてくる。
失くすのであれば、所有者が意思をもって鍵の所有権を放棄した時だけ。或いは意図的に鍵の存在を他者に明かすか。
ソリテールにはしっかりと説明してある。アウラと違って非常に理性的なソリテールだから、口が滑ったり感情的になったりして鍵を紛失するとは思えない。
意図的な破棄とするには、失くした後で騒ぐと云うのがおかしい。
とすると、ソリテールの意思に寄らず鍵を紛失した事になる。
男は長く部屋に囚われているが、今まで一度もなかった状況だった。
「それは一体…………」
どのような状況で紛失したか詳細を聞き出そうとしたその時、豪奢な応接間が灰色に沈んだ。
部屋に囚われた者たちが自身の世界への帰還を許された合図である。
「後で聞こう。俺は戻る。アウラのように数か月は向こうに居るかも知れないな」
「……あっそ」
魔族の返事はいつだって素っ気ない。
返事があるまでに少しだけ間があったが、それがどのような意味を持つのか男にわかるわけがなかった。男は心を完全に切り替えて自身があるべき世界にあろうと白いドアを開け、固まった。
男の後姿を見ていたアウラは、一向に動こうとしない男に小首を傾げた。
「何よ。帰るんじゃないの? あら?」
アウラは男の肩越しにドアの向こうを見た。見えた。アウラがさっきまでいた場所に続いている。
「また私の番なわけ? ……帰ったばっかりなのに。仕方ないわね。ご飯食べてお風呂入ったら行ってくるわ。久し振りだからあんたが頭を洗ってよ」
応接間が灰色に沈んでも、新設された部屋や情報が更新されない場所なら使用出来る。
アウラは、動くけれど物言わぬ彫像のようになった男を引っ張って勝手知ったるパントリーでいつものステーキセットを二人分入手して食事を取り、適度に食休みをしてから風呂を使った。
頭を洗わせるのだから男も一緒だ。少しだけ期待したが何も言わずに洗われるだけで少々肩透かしに感じたのは否めない。
「それじゃ行ってくるわね」
「…………」
「挨拶くらいしなさいよ。いつもうるさいのはあんたでしょ?」
「…………」
何を言っても無言の男を軽く睨み、アウラはドアの向こうに足を踏み入れた。
数歩進んで戻ってきた。
「ドアが閉じないんだけどどういうこと? もしかしてあんたにも向こうが見えてる?」
「!?」
男がようやく反応した。
大きく見開いた目を、アウラとドアの向こうと何度も往復させる。
この段階になって、男は戸惑っているようだとアウラは気付いた。気付いてもする事は変わらない。
「あんたも来ないとドアが閉まらないんじゃないの? 閉まらないと時間が止まったままでどこにも行けないのよね。あんたも来なさい」
「おいバカ止めろ俺はぜったい行かないぞ絶対だ!」
「うるさいわね。いいから来なさい」
「やめろーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」
アウラは男の腕に腕を絡める。ぐいと引っ張った拍子に男の肘が乳房に触れるが、その程度は気にしない。さっき風呂で散々洗わせたばかりである。
男はアウラに引き摺られまいと抵抗したが、魔族の力はとっても強いのだ。常人より色々丈夫で強くなってきた男であるが、一応は大魔族であるアウラの力には全く抗えなかった。
抵抗空しく引き摺られ、男も白いドアを越えてしまった。
▼
二人がドアを潜るなり、灰色の景色は元の色を取り戻す。
背後のドアも消失した。
「…………ここどこぉ?」
足腰から力が萎えてその場に膝を突いた男は、呆然と口にした。
ドアの向こうは、全く知らない場所だった。
白いドアの発生条件として、閉鎖空間である事が第一に挙げられる。
連れてこられたのは屋内であった。
広い場所である。大きな建物の階上部分らしいのだが、吹き抜けになっているため開放感がある。天井から大きな骨格標本が吊るされている。二体の標本はどちらも水棲生物で、広い空間を泳いでいるように感じられた。
「ソリテールの塒よ」
「そんな事きいてねぇ…………」
「聞いたのはあんたじゃない!」
疑問に答えてやったらこの言いよう。アウラは頬を膨らませたが、男が聞きたいのはそこではないのだ。どうして自分がこの場にいるかである。
ここはアウラとソリテールの世界であって、自分が帰るべき場所ではない。なのに自分はここにいる。行けないはずの場所に来てしまっている。
想定した事はあれど、過去の経験からけして起こり得ないだろうと判断して脳みそから削除した状況であった。
「他の連中は外にいるわ。あんたも来なさい」
「……どこに行くんだ?」
「外よ」
アウラは一向に動こうとしない男を引っ張って、階段を使わずに吹き抜けを飛び降りた。飛行魔法が使える魔族にとって、階段は飾りである。
飛べない男であるが、この程度の高さは問題ない。怪我をすることなく着地して、アウラに腕を引っ張られて建物の外に出た。外に出るなり潮風に吹かれた。
外から見ても大きい建物は、すぐ向こうが海岸となっていた。
少し離れたところでは浜辺が続き、赤毛の青年と小柄な少女がでかい斧を打ち合わせている。どちらも男の知らない人物だ。
男が知る者もいた。長く見ていなかった彼女は、白い少女と何かしらの言葉を交わしている。男の姿に気付くと、常の微笑を心からの笑みに変えて文字通りに飛んできた。
「旦那様! 会いに来てくれたの!?」
「あ……」
しかし、飛翔して間もなく、どこからか飛んできた光の槍に撃ち落された。
直撃はせずに手刀で打ち払っていたから怪我はなさそうだが、代わりに海へ落っこちてしまった。
ソリテールの代わりに飛んできたのはまた別の女性である。男の目の前に立った女性は、魔族のように表情を落として口を開いた。
「ソリテール様がこちらの方に危害を加えると思われましたので妨害させて頂きました」
「ありがとうございます。ですが、その心配は不要です。ソリテール様は魔族でありますが、私とは良好な関係を築いておりますから」
「む…………」
男の言葉が気に入らなかったらしく、女性は頬を膨らませた。
美しい女性である。
艶のある髪は長く、腰まで届く。髪色が紫なのは面喰うが、エメラルドグリーンのソリテールほどではない。
特筆すべきは胸である。白いワンピースの胸部をこれでもかと盛り上げた上で、乳房の下で切り替えているものだから大きさが強調されて仕方ない。目が行かないわけがない。明らかに見せつけるためのデザインである。
「むしろ攻撃されては困ってしまいます。以降の攻撃は控えてくださると……」
「…………」
女性の機嫌が真っすぐに下がっていくのを、男は気が付かない。
もっとわかりやすく表現するか、口で言われないとわからない男なのだ。そのせいで血反吐を吐いた事は数知れず。何故と問うても、わかれと言われるばかりでさっぱりわからないまま今日を迎えている。
そんな男が気付いたのは、女性の機嫌ではなかった。
顔立ちと髪色に、アウラとソリテールの世界である事を繋げて、思い至る事があった。
訪問しなくなったことから命を落としたと思っていたが、そうではなかったのだとしたら。
久しく口に上せなかった名前を口にした。
「フェルン?」
「はい、フェルンです。お久し振りでございます。兄様はおかわりなく」
無表情が和らぎ、穏やかな微笑を作った。
ソリテールが鍵を失くしたのは、フェルンが余計なことをしたと思われた。
どうしてこうなったかは次回
フェルンもとの声を聞き(と云うか海夢が出なかったら彼女だった)、ソリテールは別ルートで訪問する布石を打ってましたがオラクルが降りました
布石を違う形で利用するかどうかは未定
恐るべき連休が近付いている
連休後半は寝込む可能性が高い