奉仕しないと帰れない部屋に囚われた男の業務記録 作:dolph
今日は涼しくてとっても嬉しいです。
フリーレンが目覚めると窓の外は真っ暗だった。部屋の中は机の上で小さな明かりが灯っている。隣のベッドでフェルンが寝ているのが見えた。今夜はあの男と寝室を別にするようだ。
そんな事を思えば、昨夜見てしまった光景が脳裏を過る。頭を振って追い出した。
よく眠れたようで気分は悪くない。バキバキにされた痛みも抜けて、気怠さすら心地よかった。あの男の目論見通りになっているのは少し悔しく思ったが、伸びを一つしたら忘れてしまった。
起き出してベッドから下りれば、机の上に布巾を被せた菓子皿を見付けた。
布巾を捲ると、ドライフルーツを混ぜた焼き菓子があった。夕食を食べてなかったのでお腹が空いている。一つ摘まんでポリポリすれば割と美味しい。しかし、飲み物なしで食べ続けるのは少々辛い。もう一つ口に咥えてから、フェルンを起こさないようにそっと部屋を出た。
図らずもしばらく過ごしている家なので、どこに何があるか大体わかっている。それでもぶつかったり転んだりしないよう、一応魔法で小さな光を作った。
そこでようやく着替えさせられていることに気が付いた。旅用の防寒服から部屋着兼寝間着のキャミソールになっている。服はフェルンが魔法で綺麗にしてくれているので、いつだって清潔だ。
しかし中身は別である。
体中をバキバキされて全身汗だくにされてしまった。フェルンが面倒を見てくれたのなら汗も拭いてくれただろうが、汗とは一度拭いても湧いてくるものである。腕を鼻に寄せてくんくんと鼻を鳴らせばちょっぴり汗の臭いがする。
ずっと野宿なら全く気にしなかったろうが、お風呂に入れる毎日を送っていれば気にならなくもない。何よりもフェルンがうるさい。
お風呂の用意がしてあったら入る事にして、その前にお腹を宥めなければならない。焼き菓子は甘くてお腹に溜まりそうだが、それ二つで一食は無理がある。
物音一つない静かな廊下を一人で歩き、食堂に辿り着いた。フリーレンがいつも座る席には空の深皿が一枚。それだけだったら悲しくなったろうが、テーブルの中央に大きな鍋と、でかいプレートに乗ったパイがたっぷり。小さく切り分けてあるのがフリーレンの分。
「蓋をするとか布巾を被せるとか。何かあるだろ」
ぶちぶち呟きながら鍋の中身を皿に注ぐ。具材らしきものは何もない金色のスープだった。パイは案の定、お肉たっぷりである。焼き菓子を二つ食べたので、切り分けられたものの半分も食べられなかった。
フェルンが作ってくれた事はない料理なので、これもあの男が料理したと思われる。冷めてるのにどちらも美味しいのが何だか悔しい。
お腹が膨れたのではふうと一息ついて食休み。椅子に座ったままぼけっと窓の外を眺め、お腹がこなれるのを感じてから風呂に向かった。
元はソリテールが一人で住んでいた家だろうに、風呂は広くて浴槽も大きい。幸いなことにお湯は払っていなかったが冷めていた。この時期に冷めた風呂は殺人的である。少々効率が悪いが炎の魔法を撃ち込んで沸かし直し、許せるくらいのぬる湯にしてからざぶんと入った。
熱くないのでじっくり浸かる。どうせ明日には捨てる湯なので、浴槽の中でお肌を磨く。髪は面倒なので明日に回す。髪が湯に濡れないよう頭の上にまとめるのは面倒だった。いつもフェルンがしてくれていた。
ふと、一人になるのは久し振りな事に気が付いた。特にこの家に来てからは、フェルンかソリテールのどちらかが必ず傍にいる。ずっと独りでいたのに、一人を久し振りと思うのはどういうことなのか。
人間のフェルンは兎も角、ソリテールは独りじゃない意味を知るためにあの男を旦那様にしたのが始まりだったとか。それならずっと独りでいた自分は何なのだろう。
しかし、エルフは長寿だ。人間は皆先立ってしまう。同族は数が少ない。一人なら自由に出来ると思うからずっと独りでいた。一人を苦に思うならば何百年も一人きりではいられない。
答えは出さずに風呂から上がった。
ぬる湯でも長湯だったので体はポカポカである。
お腹も膨れたし、目はパッチリ冴えていた。真夜中だというのに。
頑張っても眠れそうにないし、頑張る必要もない。
折角時間があるのだから一人で魔導書を読み解こうと考えた。一先ず部屋に戻って荷物を取ってこようとしたのだが、
「……あれ? フェルンいない?」
眠っていたはずのフェルンがいない。加えて机の上にあった小さな明かりもない。自分たちの荷物もない。二つあったはずのベッドが一つになっている。
考えるまでもなかった。部屋を間違えたのだ。昨夜ここで一晩過ごしたせいで。
と云う事は、隣の部屋は。
昨夜見てしまった光景が勝手に蘇る。身嗜みだとか決まり事とか生活習慣とかに割とうるさいフェルンが、それら全てを捨てて叫んでいた。
ケダモノになる魔法を掛けられたのか、それともフェルンの中にケダモノがいたのか。千年以上生きているのだから人間の男女がどのように子作りするかくらい知ってはいたが、あのフェルンがあんなになってしまうのは衝撃が過ぎた。
朝になったらいつも通りのフェルンで、昨夜の事は夢だったのかと思ってしまう。しかし、確かに見たはずだ。ソリテールが色々感想を言っていたのも覚えている。
ソリテールが口を滑らせる前に、あの男に口止めさせた。フェルンは何も知らない。しかしソリテールは、あの男に何をしていたか話してしまった。自分も一緒に見てしまったのを知られている。
あの男は片眉を軽く上げただけで何も言わなかったが。
この部屋にいるとろくでもない事を考えてしまう。
出ようと思ってドアに向かったところで、そのドアが小さく叩かれた。返事をしてないのに、音もなく開かれる。
「夜分失礼いたします。ご気分は如何でしょうか?」
元凶がやってきた。
■
フリーレンが眠っていた時間、男はソリテールに請われるまま幾つかの初めてを経験していたが、その全てにフェルンがついてきた。
男がフェルンを邪険にするわけがないし、ソリテールは集団の意味を知るためにフェルンに結婚を勧めたくらいなのだから邪魔に思うどころか歓迎した。
うーうー唸るのはフェルンだけである。それとて男に頭を撫でられて抱き締められてキスをされたら赤い顔で鎮静化する。「兄様は狡いです」と度々口にするが、言われた方は何が狡いのか全くわからなかった。
代わりにソリテールは好奇心を強く刺激された。何が狡いのかフェルンに尋ねると、フェルンは顔を真っ赤にして「私は兄様と結婚しました!」とか「兄様が大好きです!」とか「兄様と一緒にいたいのです!」などと答えたのだが、ソリテールはその全てを肯定してフェルンは何も言えなくなった。最後に「ソリテール様も狡いです……」と呟き、ソリテールの疑問は深まった。重ねての質問にフェルンは答えてくれなかった。
フェルンの何かを刺激したらしい浜辺の散策はそこそこにして、お菓子作りや夕食の準備は昨日と同じで男とフェルンの共同作業になった。
二人きりである。フェルンは早速男に甘えて拗ねつつも夫婦らしいスキンシップを取ろうとして、色々な事をされてしまった。「服の汚れをきれいさっぱり落とす魔法」が大活躍だった。厨房だったので換気は十分。少し寒くなったが体は熱かった。
お菓子作りでは一度だけ。
夕食の準備では二回も。
フェルンは立ったり座ったりしてする事を覚えた。
お菓子作りにて、男がフェルンの目を盗んで対リーニエ用のあれこれを作ったのは余談である。
フェルンは昨日と同じように兄様と一緒に寝たい気持ちが大きかったが、日中いっぱいしてしまったので夜はソリテールに譲った。正確には、フェルンも一緒にと云うソリテールの提案を断った。
ソリテールに譲る気持ちが全くなかったでもないが、続けてし過ぎているのではと思うのと、心と体が幸せになって満ち足りているゆえの余裕があったのと、単純に眠かったからである。昼に愛されたのはとても良かったにせよ、深いだけ消耗も激しかった。
フリーレンが眠る隣でお休みのキスをされたのは嬉しくも恥ずかしく、頭を撫でられている内に眠りに就いた。
男は昨夜のフェルンへしたようにソリテールを愛し愛され。ソリテールが微睡んできたので、男は断ってから部屋を出た。隣室にフリーレンが来たのに気付いたからだ。
男の真の主の主しか知らない事であるが、この男は情報収集に特化した特性を持っていたりする。生憎当の本人はその事実を知らないし知らされる予定もないので全く活用出来ていないが、注意を向ければ隣室の様子くらいは把握出来た。そんな特性がなくとも、無人のはずの隣室から物音がすれば気になるというもの。
フリーレンは昼過ぎからずっと寝ていた。こんな時間に起きてしまっては、もう一度眠るのは難しいと思われる。朝方にした話の続きやほぐした体の調子も気になった。
▼
フリーレンは、嫌な奴に会ったと顔を顰めた。部屋を出ようとしたのだが、
「残念ながらソリテール様はお休みになりました」
「なんでソリテール? ソリテールに用はないよ」
おかしな言葉で呼び止められた。こんな時間にソリテールに用があるわけがない。
なのに男は首を傾げる。不思議そうな顔をしてこう言った。
「フリーレン様は私とソリテール様がセックスしているところをご覧になろうとしたのではなかったのですか?」
「バッ――」
鎮静化に成功した頭が一瞬で沸騰した。「バカ言うな!」と否定しようとしたが、二音目を発声する前に口を塞がれた。
「隣の部屋でソリテール様がお休みになっています。手を離しますが、大きな声は控えてください」
「ん゛~~~~っ!」
真っ赤な顔で睨み付けた。言うに事欠いてと思うものの口を塞がれている。唸り声を抑えると、手は離れていった。
「いてっ」
「ふん」
手が離れたと同時に男の脛を蹴り付ける。この男に痛い目を合わせるのは中々難しいのだが、フリーレンはそれと知らず偉業を成し遂げた。
「覗きに来たわけじゃない。部屋を間違えただけ。昨日はソリテールの口車に乗せられただけ。見ようと思ったわけじゃない。フェルンが心配だったから。絶対に間違えるな」
「承知しました」
男は両手を上げた。フリーレンがそう言うならそう言う事なのだ。
「部屋を間違えただけ。ここに用はない」
とても大事な事なので繰り返した。決して覗きたかったわけではない。そんな汚名を着せられたら堪らない。旅を共にしてきたフェルンやシュタルクからは、時々羞恥心や外聞がと思われるフリーレンであるが、魔族とは違うのだ。きちんと恥じらう心を持っている。
「重ねて承知いたしました。ですが、折角お会い出来たので少々お付き合いいただけませんでしょうか? フリーレン様は起きたばかりでしょうから、しばらく寝付けないのではと思われます」
「そうだけど、お前に用はないよ」
「朝方の話の続きです」
「……なんだよ?」
「魔法を広めてはいけない理由についてでございますよ」
フリーレンは柄にもなく舌を打ちたくなった。嫌な話の中でも特に嫌な話だった。人類のためと思って魔法を広めれば広めるほど、それが人間同士の殺し合いを加速させる。否定出来る材料がないのも気に喰わない。
長くなりそうだったのでフリーレンはベッドに座り、男は断ってから二人分の距離を空けて隣に座った。
男は体ごとフリーレンへ向いたが、フリーレンは横目を向けるだけ。
「短期的に見れば、有用な魔法を広めれば人類の力になるのは確かです。人間であれば確実にそちらを取りましょう」
「で、そうなったらお前の言う通りになるって言うわけ?」
「それもあるのですが、別の面もあります。魔族についてです」
「魔族?」
予想しなかった話になった。人類が新たな力を得れば魔族は数を減らして、その末に人間同士の争いが待っている。朝にされた話はそうだった。
「ソリテール様は魔王から『魔族は魔物が進化した種』であると聞かされたそうです。フランメは魔族を『言葉を話す魔物』と定義しました。ここから人類側も魔族は魔物が進化した種であると認識していると推測出来ます」
「……なんでお前がフランメの言葉を知ってる?」
フランメは千年前に生きた魔法使い。魔族に襲われたフリーレンを救い、フリーレンの師匠となった伝説的な人物である。遠いところからやってきたこの男がフランメを知っているわけがなかった。
「異界の部屋ではあらゆる書物を閲覧できると申し上げました。大魔法使いフランメの手記は諳んじるほどに読んでおりますよ」
「あっそう」
「……さようでございます」
今のフリーレンの返事と全く同じものを、男はアウラから何度も聞かされてきた。
もしかしてこの地の魔族はエルフを模倣してあの姿なのではと思いはしたが口にはしない。したらフリーレンを怒らせるだろうと予測出来た。
「ではフリーレン様も同じ認識であるとしてお話します。進化するのは変化する環境に適応するためです。環境が変化しなければ変わる必要はなく、仮に変化しても変わらない環境に適応出来なくなります。変化した結果が生存に有利となるからこそ変化が定着し、進化となるわけです」
「それが?」
ますますアウラみたいな返事である。男の中で、魔族とはエルフの近縁種との考えが強くなっていく。
フリーレンからの好感度が低いとは考えもしない。気にしてないとも言う。
「魔王は、魔物が魔族に進化する過程を目の当たりにした可能性があります。フランメは魔族の形態を魔物の一種と見做し、魔族は魔物が進化した種と推測しました。推測に推測を重ねる形になりますが、魔物或いは魔族が進化する早さは他の生物より遥かに早い可能性があるのですよ。そこで人類に強力な魔法が普及したと仮定します。当面は人類側が魔族を圧倒するでしょうが、それが魔族の進化を促す可能性を否定出来ません」
「……じゃあどうしろって言うんだよ」
フリーレンは吐き捨てるように言った。
男が言った通り、推測に推測を重ねたものだ。しかし、否定する材料もない。そんな事は考えた事もなかった。
「ですから、お伝えする魔法を広めないようにお願い致します。この判断はエルフであるフリーレン様にしか出来ない事です」
「なんで?」
「人間はエルフや魔族ほど長く生きません。よって、次の世代より今の方が大切です。長期的視点を持ち得ないのです。ですが、フリーレン様はエルフ。先の先まで見据える事が出来るでしょう」
「…………まあね」
そんな事は考えた事もなかった。が、フリーレンはエルフである。魔族とは違うのだ。持ち上げられたら少しくらい嬉しくなってしまうのは仕方ない。
「そもそもこれらは地上に生きるものではなく、この地にあると伝わる女神が為す領域の話です。仮にフリーレン様が為そうとお思いでしたら、魔物や魔族がどのように発生するのか、どのような機序で進化するかを解き明かしてからでも遅くはないでしょう」
「そんなのしたくないんだけど?」
フェルンからは返上を強いられたが、怠惰のエルフを名乗りたいフリーレンである。そんな面倒は絶対に嫌だった。
「でしたらますますこれまで通りに。人々のためと思うフリーレン様のお心を尊く思いますが、進んで重責を担う必要はありません。フリーレン様は今のままで良いのです」
「……まあ、一応わかったよ」
男は内心でガッツポーズ。フリーレンの説得成功である。本音を言えばソリテールたちの安全を確保出来ればどうでも良いのだ。なんであれフリーレンが納得してくれたのだから勝ちである。
よって、ここからはソリテールのためではなく、フリーレンの話である。
「朝の続きは以上となります。続いてフリーレン様の体調についてお伺いしたいのですが」
「死ぬかと思った。次やったら反撃する。覚えてろ」
じろりと睨まれ、男は再度両手を上げた。フリーレンほどの魔法使いに反撃されたら儚く散るだけである。
「後に引かないよう加減したつもりでした。痛みなどはございますか?」
「ないけど。でももうするな」
「次は違う方法で致しますよ」
「だからするなって言ってるだろ?」
全身をバキバキされるのは泣いちゃうくらいに痛かったのだ。それをこの男とソリテールは、笑みさえ浮かべてやっていた。まるで魔族である。片方は本物の魔族であるが。
「お言葉ですが、シュタルク君が言ってましたよ。フリーレン様が走っているところを一度も見た事がないと」
「うっ!」
「フェルンから聞きました。長く杖を使っていらっしゃったとか。杖をずっと保持していたようですので上半身に問題らしい問題はありませんでした。旅は主に徒歩だそうですから健脚でいらっしゃいますね。ですが、可動域が狭い。そのせいで開脚が大変だったのですよ」
「うるさいなぁ……。それより杖! ソリテールに壊された。ずっと使ってた杖なのに。どうしてくれるんだよ?」
「私には魔力が知覚出来ませんので魔法使いの杖と仰られても……。しかし杖、ですか……。ふむ……」
「何か当てがあるの?」
「全くないわけではございませんが、確かな事は申せません」
「期待してないよ」
魔法で作って魔法で直したりするのがこの世界の杖である。
魔法どころか魔力を知覚出来ず、そこのフリーレンから魔力を全く感じないと言われた男である。真の主の主から魔法の才能皆無と太鼓判を押されてもいる。魔法は本当に全くわからない。
しかし、魔法の理論ならわかる。理論によって作られる魔法の道具を知っていた。
ターニャが魔法の補助に用いる演算宝珠は不可知の魔法ではなく、目に見える物理的な構造を持っている。高度な機械式計算機によって術式の演算を代替するのだ。その応用で、杖型の演算宝珠を作る事は可能である。
どこまで汎用性を持たせられるかはわからないが、やってやれない事はないと思われた。少なくとも、一般攻撃魔法の速射くらいなら可能である。但し、一分あたり1,200発のゾルトラークを撃ったら流石のフリーレンでもあっという間に魔力が枯渇してしまうだろうが。
「検討しておきます。フリーレン様にも遠くの部屋にいらして頂きますから、いずれお渡し出来る日が来るでしょう」
「だから期待してないよ。魔法は楽しみだけど」
「いらしてくださるのをお待ちしておりますよ」
「百年後になるかも知れないけどね」
ずっとしてやられてきた意趣返しのつもりだった。しかし、返ってきたのは意外な言葉。
「百年後も変わらずお待ちしておりますよ。フリーレン様が前屈に大変な思いをしたのは太ももや股関節の柔軟性が足りていないからです。今度は無理に押しも引きもいたしませんから」
「あっ、こらっ!」
男はベッドから下りてフリーレンの前に跪くと、立てた膝の上にフリーレンの片足を乗せた。
触っていいとは言ってないが、それを言ったら今日の午前中はもっと酷くバキバキされた。それに比べたら少々揉まれるくらい大した事ではない。大した事になりそうだったら魔法で吹き飛ばせばよい。
それよりも、聞き捨てならない事を聞かされた。
「百年後も待ってるってどういう事? 百年も経ったら人間は死ぬ。それとも本当に魔族?」
「違います。正真正銘の人間です。とある功績をもって不老を授かりました。死にはしますが寿命による死はありません。授かったのはそう昔ではないので実年齢と肉体年齢に大きな乖離があるわけではないのですが……」
「不老を授かる? そんな事が…………。どうやって、を聞いても無駄か。昔じゃないからなに?」
「あの部屋でどれほど過ごしたかはわかりませんね。あの部屋では時間の流れが外界と異なります。あそこでの一年がこちらでは一日と云う事もあります。鍵を使用する立場であるフリーレン様たちは、一週間毎に訪問可能となる事だけを念頭に置いてくだされば結構です」
フリーレンには浅めに座ってもらい、脚を伸ばさせる。
ふくらはぎは問題ない。フリーレンがピーピー言ってたのは、前屈で太ももを強引に伸ばされたからだ。前屈で負荷がかかるのは太ももの裏側である。膝の上に乗せるのを足首から膝裏に進ませて、細い太ももをさすり始めた。よく伸ばした甲斐あって固くはないようだ。
「誰も来ない時はお前一人?」
「最近になってアウラが加わりましたが、それまではフリーレン様が仰る通りでございますよ」
「ソリテールが言ってた。お前に聞けば何でも答えてくれるって」
「何でもは過分でございますね。ただ、あの部屋ではあらゆる書物を閲覧出来ると申し上げました。私が調べものを得手としているのもあり――」
「独りってなに?」
「はい?」
ついさっき浮かんだばかりの疑問だ。思い付きを口にしただけで、執着があるわけではない。それでも聞けば答えを得られるなら聞いてみたくもなる。
「人数を数える時の最小単位でしょう。言葉の上では0.5人とも言えますが、そんなものはありませんからね」
「そうじゃなくて孤独の独り」
「……孤独の意味でしょうか?」
「そう」
ソリテールみたいな事を聞いてくると思ったが、聞かれたからには答えなければならない。
普段使っている言語と違うのが少々問題である。幸いなことに、ここでの十年前にフェルンが来訪していた頃に修得済みである。フェルンは三年間も通ってくれたので、学習期間は十分にあった。
「字義から言えば孤児の独身です。幼くして親がなく、老いて子がなく連れ合いもない。天涯孤独は天の下に身寄りがない事を指すとすれば、孤独をそのように捉える事は可能です」
「……」
孤独がいい意味で使われる事は少ないと、フリーレンは知っている。自分は長く一人だった。辛いと思った事はなく、魔法と共にある毎日は充実していた。しかし、それは良くないものであると言われたら気に障る。太ももをさする男を蹴ってやろうと思ったが、避けられた。右脚から左脚に移るようだ。
続けなくていいと言おうとしたが、男の言葉は続きがあった。
「とは言え、それは単純に捉えすぎていますね。自己と外部との関係を全て絶たれた状態を孤独と言うべきでしょう」
「外部って何?」
「様々な階層があります。人であれば家族や友人、組織であればあらゆる団体に国家まで、信仰する宗教や、或いは世界としてもいいかも知れません。接続する対象が何であるかによって、繋がりや絆、帰属意識だとか一体感とも呼べます。フリーレン様であれば魔法がお得意なのですから、魔法を通じて世界と一体化しようとしていると言って良いかと。魔法に触れている限り、フリーレン様が孤独を感じる事はなかったのではないでしょうか?」
左脚も太ももの裏をさすってから軽く揉む。そこで男は重大な事実に気が付いた。
太ももの裏をマッサージするなら、うつ伏せになってもらった方がずっと早くて楽である。
「なんでわかるの?」
「わかるわけではありませんよ。観察出来る現状を定義に乗せて推測しただけです。恐れ入りますが、ベッドの上にうつ伏せになっていただけますか? そうしていただくと両脚を同時にほぐせますので」
「いいけど、変に押したり引っ張ったりするなよ?」
「今夜はしませんよ」
「もうするなって言ってる」
「……かしこまりました」
朝方のストレッチを続ければとても柔軟な体になれて怪我もしにくくなるのだが、フリーレンは断固拒否の構えである。強行しても返り討ちにあうし、そこまでして実行する義理もなかった。うつ伏せになってくれただけでも喜ぶべきである。
施術を続けるべく男もベッドに上がり、フリーレンの細い脚を跨いで太ももに手を這わせた。
「魔法がなくとも、フリーレン様が孤独に陥る事はないかと。フェルンやシュタルク君がいますし、何よりもソリテール様はフリーレン様を離さないのではありませんか?」
「フェルンとシュタルクは人間だよ。それにシュタルクはその内アイゼンのところに帰る。ソリテールは……すぐには死なないけど魔族だ」
寿命がとても長いエルフにとって、人間たちとはいつかの死別が確定している。ソリテールなら長く生きるだろうし、既にフリーレンと同じくらいに生きているが、魔族である。今はアウラの魔法に縛られ手を出せないが、ずっとこのままでいるつもりはなかった。
「寿命はどうにも……ならないかも知れませんが、ソリテール様とは長く付き合っていただかないと私が困ります」
「お前が困っても私は困らないよ」
男は全く同じことを言って相手を怒らせたことがあった。立場が逆になった男は困らなければ怒りもしない。
「それは当然ですね。フリーレン様は私ではありませんから」
「……お前、変な奴だね」
「さようですか? 私の性質はさておき、言葉で説き伏せられるものではありません。言葉には行動を伴うべきでございますから。ソリテール様と付き合い続ける内にお考えが変わる事を願っておりますよ」
「ふん」
真の主の主の金言をお借りしたと云うのに鼻で笑われてしまった。これが他の面々だったら誅殺待ったなしだったろうが、気にする男ではない。
気になるのは孤独云々を言い出したフリーレンである。
フェルンは結婚してシュタルクは旅立ちを決意した。フリーレンは独り残されたように感じるのかも知れない。或いは孤独の特効薬を持ってないが故の羨望か。
「不躾な質問をお許しください。フリーレン様に恋人がいた事はおありでしたか?」
「ないよ。フェルンに聞かなかった? エルフは恋愛感情や性欲がとても薄い。だから衰退してる」
「そのような事を読んだ覚えがあります。フリーレン様もそうなのですね」
「そ」
男はフリーレンの太ももを揉みながら考える。
恋愛感情は性欲あってのものなので、性欲がなければ異性を求めるわけがない。
そして昨日話した通りに、フリーレンは見るからに肉体が成熟していない。実年齢は兎も角、性欲が湧いてくる肉体をしていないのだ。
しかし、である。
人間の例であるが、フリーレンより幼い体であっても性に目覚める事は稀ではない。棒遊びなどで股間に刺激を受け、それを繰り返す内に知らずとも快いものであると学んでしまう。
そう言った例に照らし合わせれば、成熟しきっていなくとも知る事は可能と思われた。
「んっ。……そこ、脚じゃないだろ?」
太ももを揉んでいた手が、キャミソールの内側に来ることは許していた。脚の付け根近くまで来ても尻に触れる前に戻っていく。昼前のストレッチはもっと密着する事もあった。ちょっとエッチに思えなくもないが、それを言ったら昨夜はと思い出してしまって枕に顔を埋める。
あっと思ったのは、脚を揉んでいた手が離れて尻に触れたからだ。と言っても、尻の丸みに触れてるようで触れない絶妙な位置。腰の窪みと尻の膨らみの中間地点。
「骨盤への指圧ですよ。何か気になる事がございますか?」
「別に……。エッチなことするつもりじゃないだろうな?」
「それはフリーレン様の認識次第かと。フリーレン様がご覧になっていた通り、私はつい先ほどソリテール様と――」
「だから見てないって言ってるだろ!」
「……そうでございましたね」
「本当に見てないからな!?」
「仰る通りで」
「お前わかってないだろ!?」
「本当にわかりましたから声の調子を落としてください。隣の部屋に聞こえてしまいますから」
「……お前が悪い」
「……そのようです」
昨夜はフェルンとの初夜を覗いていたのだから今更だろうに、譲れない何かがあるらしかった。
「私が申し上げたいのは、私が自制をなくしてフリーレン様に襲い掛かる事はないと云う事です。フリーレン様が男の生理をご存知なら納得頂けるかと」
「……ふん」
これでもフリーレンは千年以上生きているらしい。なのに子供を相手にしているように思えてならなかった。フリーレンにとって全く未知の領域であるらしいので反発してしまうのかも知れなかった。
「例え話を致しましょう」
「なに?」
男に極近しい者たちなら何を言われるかと身構える言葉であるが、フリーレンはそこまで深い関係にない。更には貴重な見込み客であるため、男は失礼なことを言わないよう気を付けている。
話しつつもマッサージは続行中。骨盤への指圧を終えた指は細い腰に伸びた。フリーレンはちらりと男へ振り向いた。
「なんでそこに膝をついた?」
話の前に気になる事が出来た。
男はフリーレンの脚を跨いでいた。それが、フリーレンの脚と脚の間に膝をついた。太ももの内側に男の膝が僅かに触れる。さっきは直に触られていたが、気になるものは気になるのだ。
「真上よりも横からの方がフリーレン様のお顔を拝見出来ますから」
「見なくていいだろ」
「そうも行きませんよ。フリーレン様の反応次第でやり方を変えるのですから」
「ああそう。で?」
言葉だけなら魔族のようであるが、魔族と違って感情豊かだ。フリーレンこそ魔族のようだ、との評価を男は撤回した。魔族はエルフを模倣したのだろうとの推測は変わらなかったが。
「例え話ですね。お腹いっぱい食べた者はそれ以上食べられません。食欲を完全に満たしているのだから食欲を覚える事はありません」
「それはそうだろ」
指圧は腰から背筋へ上った。軽く圧されるだけで痛みはない。強いて言うならちょっとだけくすぐったい。
「ですが、味わう事は出来ます。小匙に掬ったソースやディップを舌に乗せれば、飲み込めずとも美味しいとは感じるはずです」
「だからなに?」
「もう少し続きます。では味覚がない者であったらどうか。何を食べても砂を食むのと変わりません。飢えれば何かを食べなければと思うでしょう。ですが、必要に駆られない限り飲食物を口にしないでしょう。食欲とは無縁でしょうね」
「そうかも、ね」
「お髪を失礼いたします」
「あえっ?」
背骨に沿って順々に上ってきた男の指が、フリーレンの長い髪に沈んだ。後頭部から指を滑り込ませ小さな頭を優しく包む。
「あっ……あっ……あふぅ……、あへぁ…………」
フリーレンがぞくりと来たのはほんの一瞬。強制的に体の力が抜けてされるがままになる。全身が溶けて波間に揺蕩っているような脱力感と心地よさ。温かい風呂にじっくり浸かっていてもこうはなれない。手足がピクピクと震えるだけで、他には何も出来なくなった。だらしなく開いた口から涎が零れるのは自覚がない。
男がしているのは頭皮マッサージである。適切に施せばリラックス効果を得られるのだ。アウラに特別訓練と洗髪を天秤に掛けさせればギリギリで後者に傾く。
あへあへしているフリーレンは、マッサージ中に男が膝を進めて体に触れたのに気付かない。気付いても動けないし、動けたとしても全身が蕩ける心地よさは手放し難い。
「マッサージにも色々あるのですよ。フリーレン様のお気に召したようで何よりです」
「わ……わるく、なかった……」
枕に顔を埋めてそう言った。涎を垂らしてしまったのに気付いたが、枕の染みを消す魔法は持っていなかった。顔を上げられなくなった。
「もう一度お髪を失礼します。フリーレン様の髪は長いので、背中を触れるのに少々不都合でしたから」
「……変に編むなよ?」
「二つに括るだけですよ」
男がポケットから取り出したのは白いリボン。真の主から下賜されたものではなく、綺麗なだけのリボンが二本である。フリーレンがいつも括っている位置より低いところで緩く結んだ。
「んっ……」
頭皮の次に男が触れたのは、フリーレンの細い首筋。腰から背中は指圧だったが、頭皮へしていたのと同じように五本の指を這わせて手のひら全体を押し当てる。
フリーレンはいつも髪を括って晒していても、そんなところを誰かに触らせたことがあったかどうか。そもそも人体の急所である。迂闊に触らせる方がおかしい。
「そのまま楽に為さってください」
「ん……。で、食欲がなに?」
「食欲と味覚の有無でしたね。飢えていても、味覚がなければ食欲を抱き難い。ですが、フリーレン様は違います」
「……お前が作ったの。肉ばっかり」
「貯蔵がたっぷりありましたので。何かご希望がおありですか?」
「別に……。わりと美味しかったよ」
「ありがとうございます。私は遠からずこの地を離れる事になるでしょうから、それまでにレシピをフェルンに伝えておきます」
「うん……。んぅ……、肩は凝ってないよ?」
「肩もみではなく、リラックスしていただくためでございますよ」
フリーレンの寝間着はキャミソールだ。衣服を肩紐で吊るす作り。細い肩は剥き出しだ。そこを男の手が掴み、背中へと滑らせていく。
「味覚がなければ食欲を抱き難いと申し上げました。フリーレン様にそのような事はなく、皮膚感覚は繊細でいらっしゃる」
「そんなの……食欲と関係ないだろ?」
「似て非なるものでございますよ」
「んっ……ふぅ……。そう……。だから、なに?」
「食べられなくても味わう事は可能と云う話です」
「なにを……あじわう?」
「フリーレン様が今感じているものを」
「……マッサージ?」
「さようです」
背中にひたりと当てられた手は大きくて温かい。魔法も掛けて防寒が完璧な家だから薄着で歩き回れるけれど、外は冬なのだ。男の温かさが心地よく、体が緩んでくる。
脚の間に入って付け根にまで進んだ男の膝が、絶妙に圧してくるのはわからない。但し体は薄々気付いていた。
「エルフの方に触れるのは初めてではありませんが、私が知るエルフとフリーレン様は違うかも知れませんね」
「お前の世界にもエルフがいるの?」
「おりますよ。親しくさせていただいている方もおります」
「……お前は独りじゃないんだ」
「フリーレン様もお独りではないでしょう? 現に私がおりますし」
「ふん。すぐにどっかに行くって言ったのはお前だろ?」
「そうなっても定期的にお会いできますよ」
「…………あっ?」
「何か?」
「……肩紐。ずれてる」
両手は重ねて顔の下に敷いていた。けども男が肩を揉み始める前に引っ張り出されて、軽く回されていた。それからは体に沿わせて伸ばしている。腕が下がっているので、キャミソールの肩紐は簡単にずらされてしまう。
「私からは見えませんし、フリーレン様がお気に為さるのでしたら灯りを消してくださっても構いませんよ? いっそ目隠しでもいたしましょうか?」
「そこまではいいけど……。あっ!? エッチなことしないって言っただろ!?」
肩紐は肩から外され、キャミソールが僅かにずり下された。体の下になっているとは言え、胸の膨らみが出てしまっている。
「それは先ほど申し上げた通りですよ。フリーレン様の認識次第です。私はフリーレン様に無理強いするつもりも力も、ついでに立場もありませんから」
「そうだろうけど……。でも……」
「味わうだけと申し上げましたよ?」
「味わうって…………、何を?」
フリーレンは顔を上げずに、横目で男を見上げるだけだった。体を動かしたら胸が見えてしまう。あちこちマッサージさせていても、そこまではと思っている。なにしろ昨日会ったばかりの男だ。なのにどうして肌身を許しているのかと言ったら、成り行きとしか言いようがなかった。
「食欲と似て非なるものです」
「それって?」
「フリーレン様がとても薄いと仰ったものでございますよ」
「それって…………!?」
フリーレンがとても薄いと言ったのは、恋愛感情と性欲。食欲と並べられそうなのは後者。
何を言われてされているかに気が付いて、カッと頭が熱くなったのは怒りか羞恥か。自覚すると同時に、体がいつもと違う事にも気が付いた。
ずっと男に圧されている奥が、いつもと違う。温かくなって疼いているようで、反射的に脚を閉じようとしたが男の膝が邪魔で閉じられない。よくわからない焦燥感が湧いてきた。
「マッサージの延長のようなものです。もしもフリーレン様が何か感じるようであれば健全に成長なさってる証でしょう」
「…………でも。結婚してるわけじゃないのに……」
男は少々面喰らった。
フリーレンにとっての男女関係は、古風と云うか子供らしいと云うか。この地の書物を乱読してきた男は、婚前交渉が禁止されてるわけではないと知っている。
「そう仰られると困りますね。私の実親は正式に結婚したわけではありませんでしたので」
「う……。わるかったよ……」
今度は困らせたままにすることなく謝罪を口にした。生まれは本人の行いでどうにかなるものではないのだから。
「フリーレン様が心配なさることは何もございませんよ。もしも痛むようであれば遠慮なく仰ってください」
「う………………」
逃げ道を塞がれたのか、それとも諦めたのか。或いは、得体の知れない疼きが何かを欲しがっているのか。
股の間から男の膝が離れ、キャミソールがずり下されても、フリーレンは枕に顔を埋めたままでいた。
■
日付が変わる前。夕食の後片付けの時である。
フェルンが少々ぽやぽやしてしまったので、男はリーニエを捕まえて手伝わせた。洗浄は誰かの魔法を頼りにしている。後片付けは各人が使用した食器を下げるだけ。あっという間に終わった。
リーニエは逃げるように厨房を後にするつもりだったが、逃がしてもらえなかった。初対面時に完封された記憶が鮮やかであり、魔族らしい無表情の奥では何をされるものかと身構えていた。
そんな事が起こっているとは知らないシュタルクは、食べるばかりの仲間と違って自分は何か手伝おうかと厨房へ向かい、聞いてしまった。
『いいか? フェルンには絶対に秘密だ。そのくらい出来るだろう? 出来たらもっと楽しませてやれる』
『わかった。絶対に秘密にする。アウラ様とソリテール様にも話さない』
『よしよし、リーニエはいい子だな』
『うん。だからもっとちょうだい♡』
(…………!?)
不穏な会話が交わされていた。
リーニエは魔族であっても見た目だけは可愛い女の子。あの男はソリテールと結婚してるというのだから、リーニエにもと考えられなくはない。フェルンと結婚したばかりと云うのに。
そのフェルンに絶対秘密というのがとてもきな臭い。
シュタルクにとってのフェルンはそういう対象ではなくなったが、大切な仲間である事に変わりはない。仲間を裏切るような真似は許せない。なによりも、フェルンが聞いてしまったらきっと傷つく。
瞬間的に頭に血が上って、厨房のドアを開け放った。
「おい! …………あれ? 何してんの?」
しかし、良からぬことは為されていなかった。
リーニエは餌を待つ雛のように男を見上げて口を開け、男はリーニエの口の上で何かを摘まんでいた。
「シュタルク君か。ドアを閉めてくれ」
「シュタルクにはやらない」
「一つくらいいいだろうに」
リーニエは無表情ながらも鋭い視線でシュタルクを射抜き、もう一人は至って呑気なものである。
「それは何持ってんの?」
「だからシュタルクにはやらない」
「材料はあるからまた作るよ。折角だ。シュタルク君も味見してみるといい」
男はもう一方の手で菓子皿を持っていた。盛ってあるのはドライフルーツのようだが、色艶が違うように見えた。
「ほら」
「うわっと」
男がドライフルーツらしきものを放り投げる。大きな弧を描いて飛んでくるそれを、シュタルクは手で受け止めるか数瞬迷った。
見た限りではドライフルーツ。リーニエが執着している。男が作ったものらしいから悪い物とは思えず、口を開いた。舌に乗るなり喚いてしまった。
「あまっ!? なんだこれ!? めっちゃくちゃ甘いんだけど!?」
「特製シロップを染み込ませたんだ。ただ甘いだけじゃなくて素材の風味も活きるようにしてあるはずなんだが。シュタルク君にも甘すぎるか。ちなみに俺は味見してない」
「甘いからフェルンは好きそうだけど……。別に秘密にするほどじゃ……」
リーニエにグルルと睨まれ言葉に詰まった。
材料が限られているからリーニエに独り占めさせようと秘密なのかも知れない。だとしても、フェルンと結婚したのだから秘密にするのはちょっと酷いんじゃと思ってしまう。
「甘いだけなら良かったんだけどね」
男がそう言って取り出したのは、蓋付きのコップである。
「シロップはこれの中身とジャムを合わせたものを酒精で溶いて煮詰めたものだ。問題はこっちにあって……」
首を傾げるシュタルクをよそに、リーニエは奪われてなるものかと菓子皿の中身をパクパクしている。余程気に入ったらしく、無表情が綻ぶのはちょっと可愛い。でも魔族である。事ある毎にこちらの首を狙ってきて、物凄く不公平であると思わない日はない。
「これを一本飲むだけで丸一日食事をしなくても済む。例えばフリーレン様だと三日は持つだろうね」
「…………えっ」
「そんな飲み物を使ったシロップだ。この菓子皿に盛ったやつだけで一本使ってる。そんなものを食べたらどうなるか。わかるだろ?」
「えっ……と」
「以前、食事を取れなくなった女性にこれを一日一本飲ませた事があった。始めは骨と皮だけだったんだがあっという間に肉が付いてね。泣きながら支給を止めてくれと言われた頃は…………」
「ああ…………、そうです、ね……」
そうとしか言えなかった。
「折角だ。シュタルク君が来たなら教えたいことがある。何か書く物を持ってないか?」
「取って来ればあるけど……」
昨日会ったばかりの男である。傍若無人のエルフや彼と知己であるフェルンと違って、シュタルクは距離を測りかねていた。どうにも捉えどころがない男なのだ。
「じゃあ持って来てくれ。こっちはこれと違って秘密にしなくていい事だ」
シュタルクは首を捻りつつ書く物を取ってきた。
「これから俺が言う通りにメモしてくれ」
そう言って書かされたのは三十を超えるスパイスやハーブの名前。名前に続けて言われた数字は比率であるらしい。
「シュタルク君は旅に出るんだろ? 今挙げたハーブを集める事をお勧めするよ」
「旅の目的が決まってるわけじゃないけど、これって何なんだ? 知らないのも結構ある。知ってるのは南の方のなんかな?」
「どれも粉末になるまで磨り潰して、その比率で混ぜ合わせるんだ。もしもシュタルク君にその気があれば巨万の富を作れると思う」
「へ?」
「でもシュタルク君の性格には合わないかな。誰かに教えてもいいけど独占はさせないように。教える場合は殺されても悔いはないくらいに信頼してる相手にしてくれ」
「ころされっ!? えっ!? これって本当に何なんだよ!?」
「シュタルク。行って来い」
「えぇ………………」
美味しいものがとても好きらしいリーニエが、無慈悲に命令した。
「この世界の食文化を変えるほどの影響がある。この世界の未来をどう変えるかはシュタルク君次第だ」
「えぇ………………」
突如として、シュタルクの肩に世界の未来が伸し掛かった。
孤独とは誰が観測しても孤独に思える対象が孤独の意味を知らない事、と語った作品があるがつまり何なんだよと未だに思う。孤独を肥満に変えても通じてしまう。
今や大御所であっても当時は若かったと思われる。
フリーレン編は何故こうもお話回が続くのか。価値観のすり合わせなのだろうか。
フリーレン回が終わったらその次くらいで帰還するはず。
フリーレンがどこまでどうなるかは知りません。