ケルベロスとの長話を終えたが、やはりビエラが気になってしまった。不可解な世界線の変動によってビエラが二人のままなのとは別の問題も生じていた。私がケルベロスと共にギルドへ向かっていた途中のことだった。
「なんだこの縄は!?罠か…クソッ!」
首吊り状態の私をケルベロスは助けようと縄を噛むが歯が立たない。ただの縄でないことなど直ぐに分かった。ある箇所を境に認識ができない幻影のようなモヤがかかり視認できないのだ。
「まあオマエは死なないから思う存分苦しんでおくことだ。だが…」
周囲には首を吊った大勢の人間が見える。この縄で絞め殺す能力の持ち主は無差別に命を奪っていると思われる。その実力は神に匹敵する程だろう。
「こんな惨劇は姉さんが悲しむ…」
「姉さんって私のお母様のことかしら?」
「それはそうでしょ、ケルベロス様よ」
ケルベロスの前を遮る様に現れたのは二人のビエラだ。そしてケルベロスの三つの首全てに同じ縄が用意されていた。巨体のケルベロスが宙に浮いて吊られてしまったのだ。不意打ちに対応できなかったケルベロスだが幸い拘束程度に留まっているだけの首輪に過ぎない状態だ。
「あらあら…死の救済に抵抗するなんて」
「お母様の姉妹なだけありますね。直接ケルベロス様を救ってあげなきゃ!」
「じゃあ…そろそろ『あの人』の復活を応援しないとだし」
二人の背後にぶら下がる人物に見覚えがあった。長髪の老人と女将、記憶が名前を叫び理性がその名を否定する叫びをぶつけて断末魔のような声にさせた。「あり得ない」そう繰り返すだけだ。次第にケルベロスの力が抜けている。その姿はまるで首吊りではなく血抜きされた獣のようだ。二人のビエラが近づいてくる…!
「…リュ………ル…」
「「死の救済を」」
「クリュ……オ…」
脱力したケルベロスは何かを唱えていた。或いは助けを求めていた。二人のビエラは紫色に発色する禍々しい拳をケルベロスに撃ち込む…
「クリュ…サー…オール!!」
ケルベロスは最後の力を振り絞って叫んだ。それに応えて身体から閃光が放たれ黄金に輝いた。ケルベロスの身体が小さくなっていく…
「ちょ!ナニナニ!?」
「目が…!目がぁぁああああっ!?」
二人にその閃光と輝きは効いており大きく怯んでいるようだ。大きな番犬だったケルベロスの身体は人間のような姿へ変化して未だ黄金の輝きに包まれている。その輝きも形状を変えて黄金の鎧を纏う女騎士のように見えた。その手には黄金の剣、ケルベロスであった者の首にあった縄が解けてしまうのだった。
「縄が解けた!?死んだの?本当に死んだの?善人として」
「有り得ないって善人な訳ないじゃん!あの剣のせいだよ!」
「申し訳ありませんゼノム様。祖父の力を使うことを!お許し下さい!」
黄金の一閃が二人のビエラを襲う!
「ビエラ…いいえ!ウィザートス!!アザトゥース!!」
「ちょ…あり得ないんだけど!?本名バレちゃった」
「うそーん!何者なのこの叔母さん!?」
黄金の剣に拳で抵抗する二人。しかし二人は完全に押されているケルベロスの現在の姿の前では力の差があった。それに加えてビエラと思っていた二人は全く別の名を持つ者であることを言い当ててしまった。それはすなわち…
『ビエラは存在しない』ことを意味する
二対一の数では劣勢なはずのケルベロスの強さは凄まじいものであった。何度も縄で首吊りされるが直ぐに縄は解けて足止めにあまりなっていない。一瞬の隙を突いて打撃を受けるが無傷でありケルベロスの斬撃の間合いから離れるのが精一杯なのか重い一撃を叩き込むまでに至らない。
「ウチらも邪神になれたはずなのにねぇ…」
「なんでこの叔母さんバカ強いの?」
「相性が悪いだけかな?」
「ほんっと最悪よ!儀式も何故かメイさん死んでくれないから進まないじゃない。まさか叔母さん!何か仕掛けたっしょ?叔母さんも縄解けるしさ」
ケルベロスは無言で黄金の剣を構える。答えるつもりなど無いようだ。ケルベロスがメイを庇うのは同じくメイの人格とゼノム繋がりでの観測情報からメイを死なせてはならない、オルトロスが命までは狙おうとしなかったようにケルベロスは守る判断をした。そこに同じメイの人格が混ざっているのも少しあるかもだが全てはゼノムの敗北を許さない忠誠心からだろう…
「その内なる子よ。母の名を刻み現世に甦れ。汝は母となる…エキドナ」
ケルベロスは自分の左腕を切り落とした。切り口から無数の蛇が産み出される。
「そして父となる…ゲーリュオーン」
背中の甲冑が割れ翼や腕が生えてくる。次々と変異するケルベロスへの攻め方が分からなくなるウィザートスとアザトゥース。だがケルベロスは更なる変異を始めた。
「この血に眠る最果ての末に原初の神を呼び起こす…」
「マズイよ!これ阻止しないと」
「でもどうやって?私達も詠唱やっとく?」
「カオス…」
ケルベロスの目の前に空間の切れ目のようなものが生まれ広がる。世界が黒く染まったように見えたが恐らく別の空間に移ったのだろう。認識することを疎かにすると無重力状態となり下がどちらかなのか定まらない。そのおかげかメイの縄は解けて落下の認識、誤認だが脱出の余力となり何も無い場所に落ちた。
「「我が主…究極の思想の先に至らんとする真なる想起において今一度…救済の力を…」」
対抗するべく二人の詠唱も完了していた。共鳴するかのようにメイは激しい頭痛に襲われ、頭の中で何かが暴れて弾き出そうと必死になるのだ。
「メイ自我を保て。神で有ると認識しろ。邪神でもなんでもいい、否定されることを否定し続けろ。己は呪いそのものだとイメージするといい…煩悩迷。その人だろう」
「簡単に言ってくれるね…」
ウィザートスとアザトゥースは上手く力が出せないでいたのか焦っていた。ケルベロスよりもメイの様子を伺っているばかりだ。
「ほう…やはり邪神とはいえ主が復活しないと本来の力は出せないようだな」
「クソッ…!『あの人』に抵抗できるなんて何者なんだよ」
「そりゃ其方が最も恐れる存在に忠誠を誓う冥府の番犬に過ぎないが煩悩が少し混ざって本来到達しない領域まで解放できるようになってな」
「じゃあ似た者同士ってことね…」
「そんなことより罰を受けてもらおうか…身内をここまで死に追いやったヤツは初めてだ。そこでコイツの出番だな」
ウィザートスとアザトゥースが黒く染まり見えなくなってしまった。何かに呑み込まれたように二人の気配が完全に消えてしまった。
「エレボス…死の概念すら力の糧にする邪神には打ってつけだ。終わりなき暗黒で無限に苦しむといい」
「消えた…!勝っちゃったの?」
「戦いには勝ったが犠牲になった者があまりにも多いな…ゼノム様の側近の妻は滅多に動いたりしない…この世界そのものが造りもの。檻のような世界なんだ…その中の命に価値など無い」
「忠誠を誓う部下を見殺しにするようなヤツなの?」
「死ぬことに意味はないんだ。肉体の損傷や精神の損傷で魂が離れただけ、欠けたパズルピースを一個はめるような些細な作業でしかないんだ。上位者にとって蘇生などその程度なんだ」
「死を恐れなくて済む心行きだけど…」
「死ぬ程愛した結果、妻を世界丸ごと白濁液で染め白い涙を流す。この檻がゼノム様の便所や下水道にならなくて私は安心だよ」
「独房に変わり無いのねココ…」
「何を今更、メイはゼノム様に追放された身だぞ?何故性奴隷や肉便器にしないのか不思議でならない」
「その発想に至るアンタの思考が不思議でならないけど…?」
「そうか?同じメイではあるのだが冥府の番犬としての性格と馴染めてなかったのかもな」
「だってゼノムなら戦いにも勝った勝負にも勝った…でも謎の敗北感が少し残るって言いそうよ」
「それは実際に言ってたのではないか…」
「え?」
ケルベロスの指摘から記憶が叩き込まれる感覚に陥る。あの感覚が再び来た…今回も断片的な僅かなヴィジョンの数々、上木悟らしき人物だろうか?誰かと話しているようなシーンだ。
「おい、自我を保てと言っただろう…頭痛がしないくらいで終わったと思うな。常に煩悩迷は『あの人』と混ざっている存在なんだ」
「四六時中そんな意識してたらおかしくなるって」
「私に流れ込むくらいには煩悩迷など無数に替えのある塊だ。ゼノム様は常に煩悩迷を他の並行世界の煩悩迷と合体させている。こうしている今も自我は抵抗しているんだぞ」
「普通そんなの精神崩壊が先では…」
「それで崩壊しないで自我を保てる特異点が煩悩迷なんだ」
「その特異点が無数にある並行世界どうなってんのよ!」
「並行世界はやろうと思えば似たものを無数に拡散。枝分かれさせたものを収束し更なる特異点に仕上げていくことも可能だと…」
「あーはいはいゼノム様は無茶苦茶ですねー」
「無茶苦茶なのはメイの方だろう…こうして私が先祖の力を呼び起こすなんぞ有り得ないんだからな」
「やろうと思った時点でアンタがおかしいんじゃないの?私の人格が悪いみたいな言い方しないでくれる?」
「これに関してはメイ。お前のせいだ…だが助かった」
「あ…そう」
急にお礼を言われて少し複雑な気分となった。私は何もできないまま首に縄を掛けられ見ているだけだった。なんだか馬鹿にされてるような気分になるくらい今の自分が惨めに感じた。
「ではそろそろこの空間から戻るとしよう。この空間は本当に何も無い原初の神カオスを元に存在できる相対的空間なんだ」
「相対的とか久しぶりに聞いたな〜」
「メイの人格から出てきた単語だ。これは実に便利な観測予想ができる」
「へーそうなんだ…どっちを褒めるべきか困っちゃうな」
「今の私は完全に混ざった。冥府の番犬なんて枠組みからは既に外れてしまってな…この檻の中ではあるが一応神に匹敵する」
「神って支配者を指すしあながち間違いではないか…で?ケルベロスって今後も呼べばいいかな?」
「名前に興味はないが…メイの人格から得た単語に奇妙なものがあったのだ。響きは気に入っているが意味が何なのかさっぱりでな」
「そうか…私が『前世の記憶』を叩き込まれた感覚と似たように煩悩迷の記憶が叩き込まれたのか。でも断片的にしか得られないから意味がさっぱりと」
「その単語がラ…………」
「くっ…!?」
ケルベロスの発する声がキリキリと金属音のようなノイズでかき消され全く聴き取れない。激しい頭痛と共にケルベロスが言う単語とやらを拒絶するように耳鳴りだけが残る。
(知らない…)
『あの人』が否定する声だ。
(私は邪神なんかじゃない何者でもない)
こんなに感情の揺らぐ言動は珍しい、よっぽど忌み嫌っているのだろうか?
(嗚呼…また私から遠ざかる…いつ届くの…)
こんなに鮮明に声が続くのは初めてなんじゃないか?それに何故その名をケルベロスが?いや…煩悩迷の人格から出てくる?それなら私も知ってるはず…でもやっぱり否定する『あの人』がいる以上、この煩悩迷は私自身は辿り着けないとでも言うのか?いつかその名を手にした時が私の勝利な気がするけどそれはまるで…
(煩悩迷としての存在を否定してないか…?)
「おーい!大丈夫か?」
『あの人』の声と耳鳴りは消えケルベロスの声が聞こえるようになった。何度もこちらを呼んでいたらしい…
「その様子じゃどうやら妨害されたようだな。やはり奇妙な名だったか止めるとしよう」
「そうらしい…物凄い拒否反応を示して、いつ届くのーって嘆いていたよ」
「真なる想起だったか…ウィザートスとアザトゥースが主を呼びかける際に唄うがどういう意味なんだろうな〜」
「考えるまでもないでしょう。私達には関係がない」
「だと良いんだがな…想起は理解できる、真なる想起となればそれは独特な意味合いに変わるからな。ゼノム様が止めるようなことだぞ?あのゼノム様でだ」
周囲の景色が黒から鮮やかな夕焼けへ変わる。空間から戻ったようだ。
「忠誠心は感心するけど…あの男がそんな深く考えてるようには思えないけどね?身体の主導権を奪われて再会した事はあるけど何だか遊び半分にも見えたっていうか…」
「余裕があるのは当然だ。しかし聞けば聞くほど信じられないな…」
「何が?」
「ゼノム様とメイの中にいる『あの人』とやらは元々友人だったそうだぞ…ゼノム様に匹敵する力を得られるはずなんだ。でもそうしてこなかった何故だ?」
「友人?そんな記憶来てないけど…」
「来るはずがない…一度世界線ごと消滅したらしい。それが『あの人に有利を取られるものとも知らずにゼノム様は真っ向から戦ってしまった過去がある。いや世界線があったと言うべきか…」
「それで今みたいな戦い方なんだ。もはや嫌がらせだけど…」
規模が壮大過ぎるが今その当事者になっている現実からは逃れられない。悔しいがゼノムに協力するべきなのだろう…『あの人』が仕向けた邪神ウィザートスとアザトゥースは残虐極まりない。死の救済と称しているだけでただの殺戮マシーンだ。そんな邪神に真っ向勝負できるケルベロスが今は頼もしい、ゼノム関連は『あの人』にも関係していて間接的に情報を得られる。
そんな勝利の余韻など
(あれ?)
「どうした?」
完全勝利でない以上続くはずもなく
(何か忘れてないか?)
「ぐっ…!?かはぁ…ッ!!」
ケルベロスの腹部を背後から誰かが貫いていた。私は完全にこの者の存在を忘れていた。あの時ビエラを贄に私を通して二人の邪神を産み出した神の存在を…
「神の恵みをエレボスで隠すなんて…これだから新参者は嫌いなのよ」
「きっ…貴様ッ!?」
黄金の剣で薙ぎ払うが手ごたえ無し。ケルベロスの腹部からは大量の血が流れるが生きている流石原初の神を得ただけはある。
「誰が新参者だ!ならば貴様は老害も程々にすることだな!」
「へー神の名を得た冥府の番犬か…始まりね…それで格上だと思うのなら随分思い上がってるけど」
「私の血は次の神を創造する…たとえこの身が朽ちようとな」
「大きな葉っぱが小さくバラバラになるだけだな、つまらん…それよりも」
視線はメイに向けられていた。あれ程強力な力を得たケルベロスですら興味など無いようだ。
「邪神ちゃん出してあげたのに到達できなかったの?やっぱりその分厚い殻が邪魔してるらしいね…可哀想に…次は龍を剥がしてあげましょうか?」
「メイに近づくな!」
ケルベロスが歩み寄る神に剣を振る。容易く避けら顔を蹴られていた。腹部から血飛沫が舞い姿を変えて無数の魔物となり足に絡み付く、しかし時間稼ぎにもならないほど消し飛ばされていた。
「我の神名に気づいたのは褒めてやろう。だがこの世界で擬似的神の座に着いた程度では本物の創造神に勝てるはずがないだろ」
「何が創造神だ…悪神の癖に…」
「弱い犬ほどよく吠えると言ったものだな…所詮お前の能力なんぞ真似事なんだよ」
「クソッ…!……ラ………ユ!」
耳鳴りがまたも私を襲った。『あの人』に関する名前だけでなく目の前の神にすら拒否反応が出ている。今回もケルベロス側の煩悩迷はハッキリ名を言い当てるがコチラは心当たりも無ければ聞くことすらできない。それにしても何故あちら側は本当の名を言い当てる事ができるのか?原初の神カオスの力を得る特典だろうか…私もそういうの欲しい、など考えてる場合じゃなさそうだ。
「助けられてばかりじゃ!この先も助けられてばかりじゃ!」
「メイ!来るんじゃない!」
「それは無理ってもんよ!もしかしたら私そいつに勝てる説アルコアトル!が!?」
メイは勢いよく躓いてヘッドスライディングした。彼女の頭部にはケルベロスを狙っていたはずの神の蹴りが入り轟音が鳴り響く。
「おっと!不意打ちとは流石だよ神様、でもこっからは真っ向勝負だ」
(飛び込んできたのはメイなんだよなぁ…)
「今の攻撃を無傷だと…分厚い殻め!」
「その呼び方やめてくんない!?」
(これが収束し続ける特異点の力か…硬すぎる!たぶん硬いだけだが!)
神の蹴りに対して拳を構えるメイ。またもや躓いて頭部の重心が蹴りに収束する。
「ちょ…!?さっきから何なんだよ!そういう能力もしかして!?相手に災いを起こすみたいなそういうやつ!?」
「我の能力はそんな下らないものではない、もっと足元に注意したらどうだ?」
と言われた側からメイは再度躓き神の下半身に顔を突っ込んでいた。そんなメイの頭を神は撫でる。
「ほう…また欲しいか?だが残念だ…今回は贄が無い、そこの犬でも捧げるなら考えてやるが?」
「ちょ!違うから!?そういうつもりじゃないから!」
冷や汗を出しながらメイは距離を取った。正直あの経験はトラウマになっている…