11 皇都からの使者
「くっ……」
沙那は思わず口から出てしまいそうな嘆息を我慢して、県令府の軍営の廊下を歩いている。
県令からの呼び出しを受けたのだ。
宝玄の動向については、数日置きに報告を入れているが、十日が過ぎても目新しい報告事項もなく、県令の
県令の絶大な興味が宝玄が一度見せた金錦の反物にあることは明らかであり、報告のたびに反物のことは訊ねてくる。ただ、宝玄がほぼ閉じこもっている離れの客室でやっているのは、宝玄の性の相手という淫らな行為ばかりなので、いまのところ、これといって伝えることもない。
あの反物のことを口に出しても、宝玄は、沙那が宝玄の性奴隷になって旅についてくることを誓えば、すぐに県令にやるとうそぶくだけだ。
そんなことを報告すれば、本当に県令に彼女の奴隷になることを強要されそうなので、とりあえず、反物についてはなにも言わないとだけ報告している。
だんだんと県令の機嫌も悪くなるし、宝玄が一度、沙那を奴隷として引き渡せばという軽口を口にしているだけに、このまま成果のない報告が続くと、本当に奴隷にされて身柄を引き渡しかねないような気がする。
宝玄も、本当にたちの悪いことを口にしたものだ……。
それはともかく、沙那は、自分自身がいつもの颯爽とした歩きではなく、どことなく不自然な挙動になっていることを自覚している。
股間に装着されている淫具のせいだ。
法術のこもった淫具であり、二本の張形がしっかりと股間と肛門に喰い込まされて、しかも指一本入らないほどに股間に密着させられている。
法術がこもっているので、絶対に外すことはできないそうであり、なによりもしっかりと喰い込んでいるので、これを無理矢理に外すのは切断が必要な感じであり、沙那にも不可能だとわかる。
これを徹底的な寸止め責めを繰り返された挙げ句に、溜まりに溜まった性欲を発散されることなく、暴発するような焦燥感のまま、この張形付きの革帯で股間を封印されてしまったということだ。
当初こそ、張形を前後の穴に喰い込まされたまま満足に動くことなどできなかったが、なんとか慣れた。だが、甘い昂ぶりは沙那から決して離れていかない。
張形に塗られていたらしい媚薬が、沙那をどんどんと追い詰めてくる。
熱い……。
そして、むず痒い……。
油断すれば、ついつい腰を砕かせてしまいようになるが、それでもこうやって人前を歩けるのは、軍人として身体ともに鍛えられている沙那の自制心のなせる技にほかならない。
しかし、それももう限界だ。
じっとしていてもだめだし、動けばもっと追い詰められる。
その淫具と媚薬の効果により、熱い疼きのようなものを淫具から股間全体にずっと拡がり伝えてくるのだ。
ましてや、動いたりすれば、腰が砕けそうな快感が走ったりする。
なんとか、自分の気を制御することで平静を保とうとしているが、それもぎりぎりの感じだ。
つまりは、これは女の情欲を限りなく増幅する呪術品なのだ。しかも、忌々しい機能はもうひとつあり、沙那自身が刺激しても、刺激が革帯の内側に伝わらない法術が掛かっているのだ。だから、どんなに淫欲で狂っても、自慰ができないらしい。
まったく、宝玄め……。
宝玄が笑いながら口にしたのは、これを外して欲しければ、性奴隷の誓いを受け入れろということだった。
どこまで本気で、どこまでふざけているのかは不明だが、女である宝玄が性愛の相手として沙那を望んでいるのは間違いないことだとは思う。
だから、沙那が県令から間者の役目を与えられているのは見抜いているのは間違いないが、それでも沙那を与えられている屋敷内の離れの客室に執拗に招き入れる。
そして、沙那を相手に淫らな「調教」を繰り返すのだ。
いずれにしても、毎日、毎晩のことなのだが、日々激化していく感のある宝玄の悪ふざけにはうんざりする。
ただ、宝玄が結界を敷いている離れの建物に自由に入れるのは沙那だけなので、県令に命じられた諜報役をこなすためには、宝玄の部屋に入り、大人しく性愛の相手をする以外にはなく、これも任務だと思って我慢している……。
だが、さすがにこれはない。
いまも、廊下を一歩進むごとに、すきんずきんと軽い甘美な疼きが肉体に響き渡る。
なんというものを装着させるのだろう。
沙那はここにはいない宝玄を恨めしく思った。
「失礼します、沙那です。県令閣下」
いつもの報告時の部屋に入る。
ところが、いつもは県令が座っている机に、見知らぬ黒服の男が座っていた。驚いたことに、県令もほかの者も、遠慮するように立ったままだった。
誰だろう?
県令の態度を考えると、かなり立場が上の人間だということは予想がつく。ただ、身体全体を薄い黒の外套で覆っていて、頭も外套についている頭巾で隠している。
だから、顔も表情もよくわからない。
「私は、
皇都──?
宝玄も皇都から出発して、遙かな西に向かう西方行脚の旅だと言っていたが、そんなに遠くから、こんな皇国の西の辺境に貴人が訪れるというのは珍しいことだ。
それにしても、なんとなく嫌悪感を抱かせる雰囲気を感じた。だが、同時に身構えるたくなるような威圧も受ける。
何者だろう……。
「玄奘の相手をしている女だそうだな」
「はい、そうです」
とりあえず、頷く。
また、“玄奘”と名乗っている彼女の本当の名が“宝玄”というのは、まだ報告にはあげてない。ほかにも報告していないことはあり、例えば、宝玄の身体に淫紋が刻まれているというようなことも県令には言っていない。
報告にあげなかったのは、別段の理由というものがあるわけでなく、なんとなくだ。
あの性には奔放だが、どことなく憎めない無邪気さも兼ね備えている彼女に、忌々しい呪術が掛けられているというよう事実を積極的に拡げたくないなと思っただけである。
それに、女の身体に淫紋の呪術というのが、沙那にはかなりの嫌悪感を覚えたのだ。しかも、宝玄の言葉の端々には、淫紋をはじめとしてたくさんの呪術を掛けられて、ずっと苦しめられていたという過去を感じさせるものがあった。
だから、ちょっと宝玄に同情を覚えたということもある。
まあ、だからといって、沙那の身体を毎回毎回玩具のように扱って嗜虐調教を繰り返すことには閉口であるが……。
「あの女が玄奘ではなく、本当は宝玄という名前であることは、お前に喋ったか?」
「いいえ……。そうなのですか?」
どきりとしたが、沙那は表には出さずに惚けた。
県令からは宝玄に関することは、どんな些細なことであっても、報告するように厳命されていた。
だが、宝玄は離れの建物に結界を刻んで、外からの訪問者を遮断しているし、面と向かうのは沙那くらいなので、余計なことは言わなくていいだろうと勝手に報告を最小限にしていた。
彼女が女であることは報告し、玄奘が偽名であることは仄めかしたが、県令に伝えたのはそこまでだ。
報告を怠っていたことがあるとばれるのはまずい。
沙那は、背中にちょっと冷たいものを感じた。
「あの女は宝玄だ。八仙のひとりなので、宝玄仙というのが正式の名だ。そして、玄奘というのは、宝玄仙の旅に随行していた法師の名だ。ほかにも五十人ほどの大所帯で八仙である宝玄仙の旅についていっていた」
「八仙様──?」
裏返ったような声をあげたのは県令だ。
八仙というのは、自然界の霊力を使って不可思議な現象を起こす法術使いの中でも、人智を越えた森羅万象さえ操る術を駆使すると言われる法術使いの最高位の尊称だ。
宝玄仙──。
なるほど、彼女は八仙の尊称を持つほどの法術の実力者だったのだ。
だが、合点がいくものがある。
県令が欲しがっている金錦の反物を始め、多くのものを位相空間に管理したり、最初に会ったときのように、あの魔獣郡を一瞬にして退治したり、負傷した者を簡単に癒やしたりするような凄まじい法術を思い出すと、宝玄が八仙のひとりだというのも納得だ。
だが、どうして、八仙ほどの立場の彼女がたったひとりで旅をしているのだろう。
この黒風斎という男は、もともと玄奘という法師のほか五十人ほどが随行をしていたと口にしたが……。
「玄奘という男が、ここから十日ほど東に戻った
黒風斎は県令の言葉には反応せず、じっと沙那に視線を向けたままだ。
それはともかく、沙那は驚いてしまった。
「宝玄仙殿は死んで、玄奘殿は生きていると?」
「証言ではな。ところが、生きていると証言があった玄奘は首だけで発見された。死んだという宝玄の死体の痕跡はなにもない。そもそも、八仙たる宝玄がたかが虎に喰い殺されるというのもありえん。まあ、法術が使えなかったら話は別だがな……。ともかく、一方で、ここには玄奘と名乗る人物がこの県令府に滞在を続けていて、いまでもここの離れの建物にいるという。しかも、女だ。おそらく、そいつが宝玄仙なのだろう」
黒風斎は感情がこもらない独特の口調だ。
「宝玄仙様が殺人を犯したとでもおっしゃるのですか?」
沙那は言った。
「ほかに考えようがあるのか?」
黒風斎から小馬鹿にするような笑いが漏れた。
宝玄が殺人を……。
もしかして、黒風斎はそれを追って、ここまでやってきた?
しかし、たった十日で?
だが、いずれにしても、あの宝玄に、なにかの事情があるのは確かなのだろう。
その玄奘殺しというのも、宝玄に刻まれている淫紋や呪術に関係があるのかもしれない。いや、目の前の黒風斎となのる得体の知れない人物もまた、高位法術使いであるのは確かだろう。
法術を使えない沙那だが、それはなんとなくわかる。
もしかして、彼が宝玄に、あの可哀想な淫紋を?
できれば、助けてあげたいかな……。
ちょっとだけ、沙那は思った。
「とりあえず、県兵をあの離れにやって、宝玄仙殿に訊問をしましょう」
県令が黒風斎にささやくように言った。
すると、黒風斎が馬鹿にしたような嘲笑の声をあげる。
「馬鹿を言え。八仙の名を持つ法術使いだぞ。ここの地方兵が何百人束になったところで、返り討ちだ。玄奘は五十人の兵を使って、宝玄仙を監視していたのだ。それを逃げおおせたのだぞ」
黒風斎の物言いに、沙那は気になるものがあった。
「いま、監視といっしゃいましたか?」
最初に使った言葉は、双叉嶺に同行していた者たちは宝玄に“随行”していたという表現だった。ところが、さっき咄嗟に黒風斎の口から出たのは、“監視”という言葉だった。
やっぱり、宝玄は、この黒風斎という男をはじめとする者たちに、監視と値するような目に遭っていたのだと悟った。
もっとも、その背景まではわからないが……。
「知らんな。ところで、まずは確認したいのは、離れにこもって玄奘と名乗っている女のことだ。容姿は県令への報告にもあったようが、お前の口からもう一度説明せよ」
黒風斎が卓に一冊の冊子を置いた。
それは、沙那が県令にあげた報告を綴ったものであり、つまりは報告書の束だ。宝玄は初日を除いて、ずっと離れの客室に入ったままだし、初日のときも頭覆いをしていたので、はっきりと顔を見ているのは沙那くらいだ。
その沙那の報告が書いてある。
「容姿ですね……。髪は黒髪で腰まで長く、身体は妖艶を感じさせる美しさで……」
とりあえず、沙那は報告してあることを繰り返す。
説明が終わったとき、黒風斎は不満そうに鼻を鳴らした。
「それだけか?」
「それだけとは……?」
「身体に刺青のような紋様はなかったか。お前は、あの淫女の性の相手もしたのであろう?」
淫紋のことを質問されているだとわかった。
だが、それは報告にはあえてあげてなかった。
しまったなと後悔した。
「刺青……? 下腹部のところに、それらしいものがあったかもしれません。あまり気にしてませんでしたが、そういえばあったような……」
沙那は賢明に思い出すような素振りをしながら言った。
「どんな印だったか、ここで描いてみよ」
沙那の前に小さな卓と、紙を筆が運ばれてきた。
仕方なく、思い出しながら宝玄の下腹部にあった淫紋を筆で図示する。
書き終わったものをひったくるように、同席の県令の部下が黒風斎の前に持っていく、
「宝玄に間違いないようだな」
「わかるのですか……?」
沙那はかまをかけた。
あんな場所にあった印だ。それで区別がつくなら、黒風斎もまた宝玄を淫紋で苦しめていた一味のひとりの可能性が高い。
まあ、沙那としては、宝玄を守ってやらなければならないものは欠片も存在しないのだが、とはいっても、十日も性愛の相手をしてきた情のようなものはある。
女将校として命令には従わなければならないとは思っているが、あまりにも理不尽なようなら、動ける範囲で多少は庇いたい。
「宝玄のところに近づけるのは、お前だけだそうだな、沙那」
黒風斎は沙那の問いには応じず。さらに質問をしてきた。
「そう……ですね」
離れに自由には入れるのは、いまの所沙那だけだ。
宝玄はそれを許さないし、掃除をする下女すらも室内には入れない。
「明日、あれの相手をするとき、これを隠し持っていけ。そして、なにも言わずに手首に嵌めろ。それだけでいい」
黒風斎が表面に白い紋様のある黒地の腕輪をひとつ卓の上に出した。
距離があるので、よく見えないが、その紋様は宝玄の下腹部にある淫紋の形状に似ている気がした。
沙那は訝しんだ。
「これはどういうものですか? とりあえず、お受け取りしますが……」
沙那は黒風斎に近づき、それを受領しようと思った。
ただの腕輪でないことだけは確かだろう。まず、間違いなく法術具だ。
もしかしたら、宝玄に刻まれている呪術と連動して、宝玄の法術を封印してしまうものではないかと推量した。
まあ、とりあえず、頷いておいて、宝玄に確認してもらうという方法もある。
「待て」
だが、すぐに黒風はその腕輪を懐にしまってしまった。
また、沙那が近づくのも制された。
「明日の朝にもう一度来い。そのときに渡す。言っておくが、事前に気づかせるな。あれは、並みの法術使いではない、だが、淫乱なのが欠点でな。しかも、女のくせに女好きだ。だから、お前が性の相手をするときには隙ができる。それを狙え。今夜はもういい」
黒風が手で沙那を追い払う仕草をした。
沙那は退出した。