沙那という女将校が出ていくと、黒風斎は県令に視線を向けた。
「あの沙那という女将校から眼を離すな。絶対に、勝手に宝玄仙に接触させることがないようにしろ」
あの沙那という女将校だが、言葉の端々や、黒風斎に応じる言葉から、どうやらかなり宝玄仙に同情的な感情を抱いているのだということはわかった。
女ながらしっかりと芯のようなものは感じたが、それがゆえに、無条件に権力や権威に従うということもない感じもした。
おそらく、自分の持っている正義感というものを大切にする性質の者だろう。
軍人としては失格だが、世間にはああいう者もいるということは黒風斎も知っている。
「わかりました。すぐに」
県令が部下に指示を与える。
すぐにその部下が退出していく。
黒風斎の指示が実行されるのを確認し、黒風斎は県令をそばに呼んだ。
「おそらく、沙那は私の指示には従うまい。腕輪のことを宝玄仙に喋ってしまうだろう。逃がす可能性が高い」
「ま、まさか──。沙那は忠誠心の高い女将校で、命令に逆らうなど……」
「命令に逆らったように見せないだけだ。あれは、上から与えられた命令を無条件に実行したりしない。己の頭で咀嚼し、それを自分の信じるかたちに直して行動にうつす。もしも、任務が自分の持つ正義感に反するようなことがあれば、命令違反にならんかたちで、それを曲げて行う。そういう軍人だ」
黒風斎はきっぱりと言った。
「そんな……」
県令が困惑している。
まあ、あの沙那には余程に信頼もあるのだろう。なにしろ、大切な末娘の専属護衛にするくらいだ。
だが、黒風斎としては失敗するわけにはいかないのだ。
黒風斎の実力では、あの宝玄仙を無力化して捕縛するなど不可能だ。だが、懐にある法術封じの紋様のある腕輪さえ嵌めてしまえば、いくら八仙とはいえ、宝玄仙の法術は封じられて、ただの無力な女に成り下がる。
監視役だったはずの玄奘を殺したことを考えると、宝玄仙にかかっている呪術が解けている可能性も考えたが、沙那によれば、まだ、しっかりと淫紋は残っているようだ。だったら、この腕輪を嵌めさせるだけで、確実に法術を封印できる。
問題は、腕輪をどうやって嵌めるかだけだ……。
だが、結界を刻んだ離れに入れるのは、あの沙那だけだ。
だから、なんとしても、沙那には宝玄仙にその腕輪を嵌めさせなければならない。
下女すらも入れぬとなれば、無理矢理にでも沙那に従わせるしかない。
しかも、ここに黒風斎が追いかけてきているということに気がついていないうちに、捕縛を実行するのだ。
「隷属してしまうか……」
黒風斎は呟いた。
絶対に裏切らない保証といえば、隷属を上回るものはない。
命令に逆らえない奴隷としてしまうのが「隷属術」だ。大きく、ふたつの手段があり、身体に隷属に紋様を刻むか、あるいは、隷属術のかかった首輪を嵌めて奴隷にするかだ。共通するのは、最初に心身を隷属で縛るには、対象の者が心からの屈服をして、隷属を誓うことが必要だということだ。
口で隷属を誓うだけではだめなのである。
心からの屈服だ。
だから、最初に隷属をさせるときには、大なり小なり、拷問を伴うというのが常識である。
「なにか言われましたか、黒風斎様?」
県令が声を掛けた。
黒風斎は手でそれを制する。
そして、何気なく辺りを見回し、部屋の中に宝石の飾りがある銀の燭台を見つけた。
大きなものではないが、片手で持てるくらいのものであり、なによりも高価そうだ。
「立派な燭台だな」
黒風斎は言った。
「お目にとまりましたか? よろしければ、黒風斎様にご献上をさせてください」
県令が顔に笑みを浮かべ、媚びるような物言いをする。
どうやら、
だが、そんなことではない。
同じ屋根の下とまではいかないが、この屋敷の敷地内に宝玄仙がいるのだ。
そして、玄奘を殺して逃亡を図ろうとしている。
このまま野放しにするわけにはいかない。
皇都にいるあのお方の絶対のご命令なのだ──。
「……明日の朝までに、これから伝える仕事を終わらせろ。どんなに時間がかかっても昼までだ。必ずだ」
「仕事……でございますか?」
県令が眉をひそめた。
*
「くっ……うう……」
沙那はあてがわれている屋敷内の私室の寝台に横になりながら、ぎりぎりと歯を喰いしばった。
まだ、宵の口にしか過ぎないが、沙那が早々と就寝のために横になったのは、宝玄仙との昼間の逢瀬による疲労のことだけではない。
股間に施された忌々しい宝玄仙の悪戯のせいだ。
黒風斎という皇都からやってきた得体の知れない男からの指令のことは気になったから、沙那はあえて、今夜のうちに宝玄仙と接触するのは避けなければならないかもしれないとは思った。
あの腕輪が宝玄仙を罠に嵌めるためのなにかの法術具であることは明白だ。
おそらく、宝玄仙に唯一接触できる沙那に、それを預けて宝玄仙に嵌めさせ、宝玄仙の法術を封じてしまうおうということなのだろう。
おそらく、間違いない。
だが、あのとき、黒風斎は渡そうとした腕輪を引きあげ、明日の朝にもう一度受け取りにくるように沙那に告げたのだ。
だから、沙那は自分が疑われていることを悟った。
試されている……。
沙那は確信した。
宝玄仙との女同士の逢瀬にほだされ、沙那が宝玄仙を助けようとしないかと勘ぐられたのだろう。
そのため、黒風斎はあえて、沙那を帰させ、明日の朝にやってくるように促したに違いない。
多分、沙那には見張りがついている。
だから、沙那は自重した。
しかし、結局は耐えられなかった。
自室に戻った沙那は、結局股間を苛む疼きに耐えられず、宝玄仙のところに向かおうとした。だが、結果として果たせなかった。県令の屋敷の守備兵がやってきて、沙那をやんわりと制したのだ。
どうやら、県令により、明日の朝まで部屋から出さないように指示されたらしい。
強引に押し通すことまではできず、沙那は大人しく部屋に戻うしかなかった。
しかし、それは悶々とする苦悩の始まりだった。
仕方なく、身体を水で洗った沙那に強い試練が襲いかかったのだ。張形を嵌められて革帯で封印されている股間は、まるで小尿でも洩らしたかのようにどろどろに愛液で濡れてしまっていた。
あまりに惨状に上から水で拭いたところ、ただでさえ、むず痒かった革帯の内側が狂うような痒みに変化したのである。
びっくりするとともに、愕然とした。
これもまた、宝玄仙の淫靡な悪戯に違いなかった。
外からの刺激は遮断されるとは告げながら、おそらく、革帯の外側が水に濡れると、内側の張形の表面に強烈な掻痒感が発生するように法術を仕込んでいたのだろ思う。
あまりの痒さに、沙那は苦悶するしかなかった。
「うう、宝玄仙様め……」
沙那は無駄だと知りつつ、寝台の上で股間に手をやり激しく革帯を揺する。
だが、なにも感じない。
一切の刺激が加わらないのだ。
それでいて、痒みはどんどんと拡大して、沙那を狂わせる。
こんなの我慢できるわけがない。
それこそが、宝玄仙の狙いなのだろう。
この痒みに耐えられずに、沙那が宝玄仙のところに戻ってくるのを待っている。
そして、今度こそ、性奴隷の誓いを強要するつもりなのだろ思う。
おそらく、沙那は応じてしまうような気がする。
この痒みから逃れるためには、もはや、どんなことでもする……。
まだ、夜は長いが、もはや、沙那はそれくらいに追い詰められていた。
そのときだった。
いきなり、私室の入口が荒々しく開かれた。
外から十数名の兵が現れて、寝台に横になっていた沙那に剣を突きつけたのだ。
咄嗟に、枕元の自分の剣を手に取ろうとしたが、それよりも先に剣は奪われてしまった。
いつもなら、そんな遅れをとる沙那ではないが、いまの沙那は普通ではなかった。
股間を苛む掻痒感の苦悶が沙那を瞬時に反応させることを妨げたのである。
気がついたときには、丈の短い就寝用の寝着のまま、兵たちに身体を両側から押さえられてしまった。
両手を背中に回されて両手首に金属の枷が嵌められる。
さらに、強引に立たされて、足首にも鎖のついた足枷が足首に嵌められる。
「ありました──。燭台です」
部屋の奥で別の兵が大声をあげた。
燭台?
訝しんだが、奥側から現れた兵が持っていたのは、金細工の燭台だった。
沙那はびっくりした。
もちろん、身に覚えはない。
だが、あれは確か、県令の執務室にあったものだと思う。
それが、沙那の部屋の奥にあった?
わけがわからない。
だが、だからこそ、沙那は自分が罠に嵌められたのだろうということを悟った。
歯噛みした。
行動を明日まで待つべきではなかったのだ。
あの黒風斎は、沙那が黒風斎の命令に背くことを確信し、早々に手を打ってきたのだろう。
「燭台など盗んで、どうするつもりだったのだ、沙那? あの玄奘とかいう男との恋の逃避行の旅費にでもするつもりだったか? まあ、残念なことだ」
扉から悠然と入ってきたのは、沙那の同僚の張須賀だ。
この捕り物の指揮官は張須賀なのだと思った。
「待て、張須賀──。わたしがそんなことをするわけがないでしょう。これを外してよ」
沙那は訴えた。
「心配するな。すぐに取り調べを開始してやる。連行しろ──」
張須賀が声をあげた。
すると、沙那は拘束されたまま部屋の外に連れ出された。
張形の嵌まった革帯の上にまとったほとんど下着姿の格好のままで……。