孫空女は、三十人ほどの盗賊を背後に従えたまま、夜の街道に目を凝らす。
手下の男たちには、ずっと遠くの街道筋の山道の木立の切れ間の空き地に焚火がひとつ見えるだけだと思うが。夜目の利く自分には、暗闇の先で揺れる焚火の光だけでなく、そこに存在するものも、まるで昼のように映る。
「……火だな。ばかが。こんな物騒な山道で野宿か」
孫空女が前の頭領を叩き潰して盗賊団を乗っ取ったとき、真っ先に忠誠を誓った男だ。一応は腕っ節もあるし、山賊にしては頭もいいので副頭領格にしている。
だが、口先だけだとも知っている。
酒が入れば、孫空女の身体を狙って言い寄ってくる。
二度半殺しにした。
それでも砦をまとめるには必要な男だ。
好色で執着深いが、他は使える。
その眼看喜の軽口につられるように、ほかの手下たちも、久しぶりの獲物に笑い声をあげかける。
「黙んな」
だが、孫空女が舌打ちで制すると、一斉に黙り込んだ。
一方で、自分の視線は焚火の奥を睨み続けている。
「女ふたりだね……。ひとりは黒装束……あれは高位の法師さ。もうひとりは護衛だと思う」
孫空女は短く言った。
「ほう……それで、若いですか、それとも、年寄りで?」
眼看喜が小さく笑った。
「……若いね、あたしとそんなに変わらないんじゃないかい」
ほう、と眼看喜とともに、手下の男たちが一声に声をあげる。
孤児だった孫空女は、自分の正確な年齢など知らないが、二十代の前半であることは確かだ。その孫空女と同じくらいと口にしたら、途端に、部下たちが色めきだす。
また、舌打ちしたくなったが、まあいいかと思った。
前回、大きな収穫があったとき、麓の町から十人ほど娼婦を呼んでやって発散させてやったが、あれからかなり経つ。女頭領の孫空女を除けば、男所帯の盗賊団なので、そういう色のことも気をつけてやらないとならないことはわかっている。
毀れない程度であれば、捕らえた女たちに、男衆の相手をしてもらうのもありかもしれない。
「でも、あれは法術使いだと思うよ。少なくともひとりはね」
さすがにこの距離では、彼女たちのなかの霊力を感知することは不可能だ。だが、黒衣の女は間違いなく天教の巫女だ。しかも、かなりの高位法師だろう。天教の法師といえば、法術を使う者が多い。高位になればなるほど、強い法術を扱う。
孫空女は唇を噛んだ。
実のところ、孫空女自身も法術は使う。もっとも、「金剛身」という身体強化の術限定ではあるが。無学の孫空女が自ら身につけた能力であり、この金剛身の術のおかげで、死なないできたと思って過言ではない。そうでなければ、とっくの昔に、犯された挙げ句になぶり殺しになっていたが、奴隷狩りで奴隷にされていたことだろう。
しかも、孫空女の金剛身の加護は、大抵の妖術は弾き返す。
相手が法術使いでも、孫空女が引けをとるとは思ってない。
しかし、相手が高位道士ということであれば、話は別だ。
例えば、結界術──。
高位の法師ともなれば、道士を中心にして周囲一帯を術の支配下に置くことができるのだ。広く地面に術紋を展開して、その上に乗った者の自由を奪い、あるいは、瞬殺することもできたりする。
あれは厄介だ。
金剛身で強化のできる自分だけなら、霊力を叩き割ってでも抜け出せるかもしれないが、三十人の手下すべては守れない。
ここは、引き……かな……。
孫空女は迷った。
腰の帯に吊るした封じの枷に指が触れる。
以前に捕らえた法師が持っていた、術師の力を封じる道具であり、これをあの女に嵌められれば、法術は封印できる。だが、嵌める状況に辿りつけるかだ。
この法術封じの枷を装着させる前に、結界を張られて捕らわれれば不利になる。
やはり、退くべきか……。
一瞬、その考えが過ぎった。
「お頭様。まさか、この程度で退くんじゃありますまいな」
眼看喜の慇懃無礼な声が耳を刺す。
孫空女は、わずかに眼を細めた。
苛立ちが指先を痺れさせる。
振り返る。
「ふべえっ」
孫空女は黙って眼看喜の頬を軽く叩いた。
「命令に注文を付けんじゃないよ」
「す、すみません、姉御」
叩かれた頬を押さえ、眼看喜が薄く笑う。
そのときだった──。
視線を焚火の奥に戻した瞬間、孫空女の目に信じがたい光景が映った。
焚火の陰、女同士が布の下で密着している。
護衛女の下袴に手を入れ、黒装束の法師が指を這わせているのだ。護衛女は腕を後ろに縛られている気配がある。縄までは見えないが、必死にもがいていて、両腕を背中側から動かせない気配だ。
遠目でも、腰の動きでわかった。
女同士の性愛──。
黒い装束の法師は、自分の護衛の下袴の中に手を入れて、烈しく手を上下に動かしている。そして、女護衛が全身を突っ張らせた。
孫空女は口の端を歪めた。
護衛を玩具にしている隙だらけの法師。
これなら、襲える──。
「眼看喜、五人残すよ。もし結界を張られたら、火薬弾を装着した矢で地面を撃つんだ。術は地面の紋様を刻む。刻んだ地面を吹き飛ばせば無効だ。あたしの合図か、それとも、おかしいと判断すれば、撃っておくれ」
孫空女は言った。
直接の攻撃なら、孫空女の剣と、金剛身の護りが跳ね返す。結界術のような全体法術なら、眼看喜に待機をさせて、地面の術紋を破壊する。
そして、遮二無二、焚火の火影まで突進し、黒装束を捕まえる。あるいは、護衛女を盾にして引きずり出す。
これで、いける。
孫空女は確信した。
「へえ……だけど、残留には旨味がねえ……。若い女ふたり、剥いで裸にする場にいないのは、つまらねえですよ、姉御」
かっとなった。
もう一度、孫空女の平手が眼看喜を打つ。
今度は、少しだけだが、腕に金剛術を込めてやった。
「ひぶうっ」
身体を弾き飛ばされた眼看喜が地面をごろごろと転がる。
「口答えすんじゃないよ。命令に従いな。お前と四人は、あたしたちの姿が確認できる位置まで進むんだ。絶対に見つかるんじゃないよ」
眼看喜に怒鳴った。
赤毛が夜風に流れた。
そして、全員を集める。
襲撃のための配置と合図を伝達して、展開させていく。
盗賊たちが焚火を中心にじわじわと散っていき、ゆっくりと闇に潜んでいった。
そのとき、居残りを指示した眼看喜が、孫空女を恨むような視線を向けていた気がした。それが、ちらりと胸の奥を冷たい予感がかすめたが、いまはかき消す。
いつものように気にすることをやめ、孫空女もまた、闇の中に溶けるように身を躍らせた。
「こ……こんなこと……してる場合じゃ……ない……んですっ……。ああ、痒いいい──」
沙那は掠れた声で吐き出した。
焚火の火の粉が赤々と空に舞うたびに、股間に塗り込められた掻痒剤の疼きが脈打って強まる。
五行山の中腹、峠道の脇の樹のあいだだ──。
結局のところ、宝玄仙の悪戯で道草を喰い、陽の出ているあいだに五行山を通り抜けるのは不可能になってしまった。
夜を徹して進むのはむしろ危険であると判断し、仕方なく、沙那はこの中腹で野宿することを宝玄仙に進言した。
山賊は危険であるが、襲撃の可能性を考えれば、夜の山道を無理に進むよりは、待ち構えの状態の方がいい。なによりも、宝玄仙には結界術がある。それを準備してもらえれば、待ち構えることができるからだ。
焚火については迷った。
山賊や盗賊にとっては、焚火は獲物が目印を作って、目立つように待っているも同然となるが、山で危険なのは盗賊だけではない。猛獣などを避けるためにも必至なのだ。
だが、この馬鹿巫女は、危機感がないのか、あっても自分の術だけで対応できると考えているのか、またしても、沙那の身体を使って、おかしな悪ふざけを始めたのだ。
「服従の首輪」という沙那に嵌めさせている操り具を使って、沙那の四肢を勝手に支配し、両脚は大きく開かされ、両手は背中で組むようにされてしまった。
この首輪を使って命じられた身体は、首輪の支配で宝玄仙の言葉に完全に制御されてしまって、まったく動かせない。
その状態にして、沙那の下袍を緩めて、股間にたっぷりと掻痒剤を塗りたくったのだ。何度受けても慣れることなどできない、地獄のような痒みと疼きを発生させる媚薬であり、沙那は狂いそうな痒みに、七転八倒するような状況に追い込まれていた。
だが、宝玄仙の「服従の首輪」の霊力により、四肢を乗っ取られていて、脚を閉じることも、手で掻くこともできない
できるのは、どうにもならない腰を揺らすことだけだ。
「んああ……はああ……あああ……っ……。ご、ご主人様……、い、いい加減に……こ、こんなことを……」
痒みをどうにかしたくて、だが、なにもできなくて、無様な声が漏れる。
「ほう、まだ言うんだねえ。沙那。──『こんなことしてる場合じゃない』? お前、そればっかりじゃないかい」
焚火の向こうで、宝玄仙が膝を抱えて笑っている。
闇に浮かぶ黒装束の法師は、焚火の赤で瞳を鈍く光らせながら、指先で顎を撫でている。
「だ、だから……ここは……山賊の……縄張りで……」
「危ない場所なんだろう? 盗賊が出るんだろう? こんなに繰り返されればもう覚えたよ。そりゃそうだろうさ、だから愉しいんじゃないか。どうだい、沙那、淫具で遊んでくれって、言いな。さもないと、いつまでも放置するよ」
宝玄仙がけらけらと笑う。
この馬鹿巫女が……。
沙那は、歯噛みする。
一方で、宝玄仙は笑いながら、沙那の身体を目で舐めるように見るだけだ。
「……だ、だから……ご主人様……っ……こんな……痒いままで……。いま襲われたら……」
「襲われたら、どうなるか、かい?」
宝玄仙の声がいきなり甘くなる。
けれど目は冷たく笑っている。
「いいじゃないか、沙那。見ず知らずの野盗に、股開いたまま、掻痒剤でぐずぐずにされてる姿を見せつけてやればいいだろう。お前がどんな顔するのか愉しみだよ」
沙那は奥歯を噛んだ。
脚は閉じられない。
擦り合わせることもできない。
ただただ、痛みにも似た痒みが粘膜の奥で熱を持って疼いている。
「あああ……も、もう、おやめ……おやめ……ください……。ご主人様……危ない……ここは……」
声が揺れる。
もう、抗議とも懇願ともつかない。
「危ないっていうから、ますますいいんじゃないか」
宝玄仙が声を立てて笑った。
すっと焚火に手をかざす。
「ほら、脚、もっと開いてごらん。ほら……。限界までね」
首輪の呪が沙那の筋肉を無慈悲に開かせる。
夜風が下袴の奥をくすぐって、火の粉がぱちんとはぜるたびに痒みが脈打つ。
「ん……あああ……あ……っ……」
腰だけが無様に揺れる。
「そんな声、誰かに聞かれたらどうするんだい? それとも、盗賊たちに『助けて』って泣き叫ぶかい? あはは、そうだねえ。盗賊様に代わりに掻いてもらいな」
宝玄仙の声には一分の怯えもない。
それが余計に沙那を追い詰める。
脚は開かされ、両手は背で組まされ、身体は宝玄仙の命令に抗えない。
「あああ……だ、だから、もしも……いま、襲われたら……」
「そのときには、痒みは一瞬にして消してやるから、心配しなくていいよ。わたしに刻まれているような悪質なもんじゃないけど、お前にも淫紋を刻んでやっただろう。それがあれば、お前の身体は、好きなように法術でいじりまわせる。大丈夫だよ」
宝玄仙が笑う。
なにが、大丈夫なんだ、と怒鳴りたい。
また、宝玄仙が口にした「淫紋」というのは、この夜が始まる前に下腹部に刻まれた花の形のような紋様のことだ。
よくわからないが、これを刻むと、宝玄仙の霊力が沙那の身体に入りやすくなり、多少の怪我も負傷も、一瞬にして法術で治療できるそうだ。ただ、その代わりに、沙那の身体の感覚や筋力も、宝玄仙の好きなように操れるということらしい。
首に嵌められている「服従の首輪」、陰核と乳首の「女淫輪」、そして、今夜からは「淫紋」だ。
だんだんと、宝玄仙の玩具に成り下がっていくのを自覚してしまう。
とにかく、こんなことをしている場合じゃない──。
場合によっては、焚火などすぐに消して隠れなければならないのだ。
なのに、自分は脚を開いたまま股間を火にさらし、痒みによじれている。
宝玄仙は遠くの暗がりを一度も振り返りもしない。
焚火を見つけて忍び寄る影など、この女にとっては虫のようなものだろう。
だが、なにかが、いやな予感のように背中を撫でている。
でも、いまの沙那は、あまりに痒みが強すぎて、考えが途切れる。
唇を噛む。
噛んでも、声がこぼれる。
「ん……あ……だめ……だめ……ああ……っ……」
焚火の赤が、股の奥の疼きを煽った。
「いい声だよ、沙那。もっと泣きな」
宝玄仙は笑ったままだった。
「わ、わかりました──。掻いて、掻いてください──」
ついに、沙那は言った。
こうなったら、さっさと宝玄仙のやりたいことを終わらせるしかない。ある程度の嗜虐心が満足できたら、多少は大人しくなるだろう。
「ほう、やっと言ったね」
宝玄仙が立ちあがり、焚火を向かい合う位置から、沙那が腰掛けさせられている石に沙那を横から抱くように密着して座った。
そして、すっかりと緩んでいる沙那の下袴の中に手を入れる。
下袴の下は、騎士時代にしていた薄い横紐の小さな下着だ。その上から指でゆっくりと撫でてきた。
「はうっ」
沙那は身体を弾かせた。
だが、布の表面をなぞるだけの怖ろしく空しい愛撫でしかない。
こんなのは、むしろ痒みの誘発するだけだ。
「だ、だめです──。もっと強く──」
沙那は開脚しきっている股間をはしたなく突きあげた。
「ははは、まだまだだ。お預けだよ、鬼娘」
宝玄仙が愉しそうに、手を下袴から抜いてしまった。
「ま、待って──。やめないで──。やめないでください──。掻いて……掻いてください──」
喉の奥から洩れた悲鳴のような声は、自分でも信じられないほど情けなかった。
しかも、こんな山の中で両脚を開かされ、股間を火に晒して、いまさらなにを守ろうというのか。
横の宝玄仙はが笑いを噛む。
「おやおや、鬼娘様が頼むなんて……ずいぶん素直じゃないか」
くつくつと喉の奥で笑う。
この女は……とは思ったが、腹が煮えるのを我慢する。
夜風が一度だけ吹き、火の粉を散らす。だが、焚火の熱よりも、宝玄仙の掌が腿を撫でる感触のほうが余程熱かった。
そして、宝玄仙の指先が、再び下袴の隙間からすっと滑り込む。
「はんっ」
しかし、今度は布の上からでもなく、小さな下着の縁を掠めるだけ。
ほんの先端だけが、すでに痒みで熱くなった柔い肉のきわを、弧を描くように何度も撫でていく。
「んん……ああっ……ああっ、ああっ……」
痒い。だが、掻いているわけじゃない。
逆だ。
触れた途端に滲んだ疼きは、撫でられるたびにむしろ芯を持って増幅していく。
痒いところには一度も触れない。
「やだ……やだ……そこじゃ、ない……もっと……」
声が零れた瞬間、宝玄仙は指を止めた。
「ほら、言ってごらん。どこが欲しいんだい? 誰かに聞かれたらどうする?」
意地の悪い声音に、沙那は自由な頭を激しく振る。
宝玄仙の指は、下着の縁に触れたまま止まっている。全身の感覚が、股間の奥だけに集まってしまうようだ。
「ん……あ……や……やめて……これ以上……意地悪しないで……」
「じゃあ、もう少しだけ我慢するんだね」
宝玄仙の唇が耳のすぐ後ろに触れる。
生ぬるい吐息が、痒みを別の疼きに変える。
「ひあああっ」
耳を刺激され、ぞくぞくという感覚が全身を貫く。
沙那は身体を突きあげる。
「もっと、大きな声をあげたら……ご褒美をやるよ……。でも、どうする? 盗賊に聴かせるかい?」
「そ……それは……」
胸の奥に、さっと血が引く。
いま誰かに見られたら。
脚を開いたまま、痒みで震える情けない姿を誰かに──。
助かりたいのに、助かりたくない。
矛盾した想いが喉に詰まった。
いや、そもそも……盗賊が来る可能性が……。
「ん……っ……っ……」
夜気の奥に、枝を踏む小さな音がした。
沙那ははっとした。
宝玄仙もぴくりと顎を上げる。
「……ご、ご主人様」
沙那の心臓が、股間の疼きとは別の鼓動で鳴った。
火の粉がふっと揺れた。
闇の向こう、樹々の隙間に、なにかがいる。
──来る。
嫌な予感だけが、股の奥の痒みを押し流していく。
「誰だい? 覗きは高くつくよ」
宝玄仙が声を潜めて笑う。
沙那の両脚はまだ開かされたまま、背中の両腕は首輪の呪術で動かない。
凍りつくような風が、股間の熱を一瞬だけ攫っていった。
だが、確実に、人の気配がある。
数名ではない。
おそらく、十人以上……。いや、もっと……。
「ふっ、仕方ないね……。痒みは一度、癒やしてやるよ……。命令も解いてやる。手足を自由にしな。命令だ」
宝玄仙が小さく笑う。
「くはっ」
その瞬間、脚の拘束が解け、背中に組まされていた腕もじわじわと感覚が戻ってくる。
同時に、あれほど狂わせられていた痒みも、宝玄仙の術が引いた途端に嘘のように消えた。
だが、安堵する隙などなかった。
焚火の向こうの暗がり……。
樹々の影がざわりと動く。
ひとり、ふたり……。いや、そんな数じゃない。
油と泥の匂いが夜気に混じって流れ込んでくる。
手製の棍棒、刃こぼれした刀、錆びた槍、刈り込み用の鉈……。
みなばらばらの得物を握った痩せた男たちだ。
数えなくてもわかる。
二十人はいる。
それが散って、焚火を囲んでいた。
囲まれた──。
沙那は奥歯を噛んだ。
足にまだ力が入らない。
痒みが消えたはずの股の奥が、まだ疼いている。
「ほらほら、集まってきたねえ……。沙那。雑魚が二十人もお出ましだよ」
宝玄仙は余裕たっぷりに鼻を鳴らした。
「……ご主人様……結界を──」
「わかってるよ。心配するんじゃないよ……。だけど、まだ遠い……。もっと近寄らせるんだよ……」
宝玄仙が片手をひらりと持ち上げた。
焚火の火影がその指先でふっと揺れる。
「こっちまできな。まとめて、遊んでやろうじゃないかい」
宝玄仙が立ちあがって叫ぶ。
囲んでいた盗賊たちが、一斉に吠えた。
足音が泥を蹴り、錆びた刃が火を弾く。
「来ます──」
沙那は膝に力を込めようとするが、震えて踏ん張りがきかない。
「沙那。これが八仙流の結界術だよ──」
宝玄仙が低く笑った。
その手がすっと下がる。
焚火を中心に、白い線のような霊力が霧のように地面を走った。
曲線と幾何の紋様が刻まれ、男たちの足元をすべて覆う。
「わあっ」
「なんだ──」
「うわああっ」
大勢の盗賊たちが武器を構えて駆け寄ってきたままの格好で、一斉に地面に吸い寄せられるように倒れる。
沙那の眼にも、宝玄仙を中心に、法術紋が地面に走り拡がっているのがわかった。男たちは、その紋様に向かって見えない力で押し潰されるように張り付いている。
「ははは、なんだい、こんなものなのかい? さて、どうやって殺してやろうかねえ。このまま地面に身体を押し潰して死ぬかい? それとも、地面から尖った土の柱を生やして串刺しにしてやるかい」
沙那は唖然とした。
二十人近くいる盗賊の全員が地面に向かって倒れて呻いている。先頭は刀を振りかぶったまま。鉈を構えた別の男も、槍を持った男も、首を変な角度で固めたまま声も出せない。
「ご、ご主人様……全部……」
「これが結界術だよ。こんな田舎の盗賊程度、宝玄仙さまの敵じゃないのはわかったかい」
宝玄仙が振り返り、肩越しに嗜虐に満ちた笑みを向けてくる。
「さあて、どうするかねえ、沙那。こいつら全部、ふたりで愉しむかい。ひとり十人だ。どっちがさっきに全員の精を抜くが競争でもしてみるかい」
「冗談じゃありません。なに言ってんですか──」
沙那は声を震わせた。
だが、宝玄仙は焚火の赤に歪んだ笑みを落とす。
ひとりずつ精を出させて、十人?
冗談なのはわかっているが、この狂い巫女の怖いのは、もしかしたら、本気かもしれないことだ。
「ふふん……。そんなに嫌がっていると、命令してやりたくなるねえ。ここで山賊相手の輪姦ごっこするのもいいんじゃないかい。旅の思い出作りさ」
「そんな、思い出、いりません──」
沙那は声をあげた。
その時だった。
夜気の奥。
枝が割れるような微かな音。
沙那の心臓がどくりと鳴る。
まだだ──。
視線を向けた先──焚火の奥の樹上。
わずかに月光が抜け、赤い影がちらりと揺れた。
「ご主人様、上──」
思わず沙那は声をあげた。
沙那は咄嗟に宝玄仙の背中を叩き、焚火の横へ押し倒す。
このときには、すでに剣を抜いている──。
その瞬間、空気を裂く風音が耳を切った。
頭上から一直線に銀の刃が落ちる。
月光に映えた赤毛が、夜気に揺れた。
「──くっ」
凄まじい剛剣
赤毛の女の刃が、焚火の赤を裂いて落ちる。
咄嗟に、頭上で剣を受けたが、そのまま剣を叩き割られるかと思うような凄まじい斬撃だ。
辛うじて、頭の上ぎりぎりで、赤毛女の剣を止める。
「じゃますんじゃないよ、淫乱女──」
次の瞬間、沙那の身体は後ろに吹っ飛んでいた。
樹上から降ってきた赤毛女が、地面に着下したのと同時に、沙那の腹を蹴り飛ばしたのだとわかったのは、樹木に背中を叩きつけられた沙那が、一瞬、絶息したときだ。
「うわっ、なんで、お前、動けるんだい──」
宝玄仙が沙那に突き飛ばされて、地面に尻もちを着いたまま、唖然としている。
「根性だよ──」
赤毛女が宝玄仙に飛び掛かった。
「ご主人様──」
沙那は絶叫した。
そのときには、赤毛の女に押し倒された宝玄仙が、無理矢理に両手首に手枷を嵌められてしまっていた。