「ご主人様──」
栗毛の護衛女が叫び声が耳に入ってくる。
だが、もう襲い──。
「これで、終わりだよ──」
孫空女はすでに黒衣の巫女を突き飛ばして、両手を背中に掴んでいる。
「いたたたっ──。なにするんだよ──」
巫女は必死にもがこうとしているが、いくら結界内とはいえ、接してしまえば孫空女の怪力の敵じゃない。
まるで、水の中を動いているような身体の重さだが、孫空女の「金剛身の術」がなんとか孫空女の自由を繋ぎ止めている。
それに、この巫女は、まるで幼児のように非力だ。
簡単に、両手首に背中で「法術封じの枷」を嵌めてやる。
「よしっ」
孫空女はほっとした。
そのときだった。
背中に殺気──。
「ちっ」
剣を背中に向かって払う。
さっきの女護衛──。
孫空女と女護衛の剣と剣がぶつかる。
澄んだ音がする。
また、女の剣──。
速い──。
孫空女の身体はまだ重いままだ。
避けられない。
女の剣先がわずかに肩を掠めた。
だが、孫空女の剣も、女の膝を浅く斬っている。
束の間、距離ができる。
「なんだい、お前──。この巫女の
直前まで、あの巫女に身体を自由にさせて、みっともなく悶えていた女と同じ人間とは思えない。
あれは、孫空女のような我流とは違って、ちゃんと正規に習った正統派の剣術だ。
「なにが、雌刷りよ──。この赤毛猿──」
女が打ち込んできた。
孫空女は、それを剣の腹で受ける。同時に女の腹を蹴り飛ばす。
だが、今度は横に避けられた。
体勢が崩れたところを剣で突かれる。
右──左──。
考えるよりも先に、本能が剣を避けていた。
虚空を斬った女の剣が孫空女の顔の横で風を起こす。
「くはっ」
身体を屈める。
足を払う。
「きゃああ」
女の体勢が崩れる。
「もらったああ──」
倒れた女の剣を踏みつけた。
そのまま、顔を反対の足で踏み抜く──。
「うわっ」
孫空女の足は地面を叩く踏んだ。
女が剣を離して、横に転がったのだ。
逃げられたか──。
だが、これ程の相手は、男であっても初めてだ。
孫空女の身体の底から、快感のようなものは込みあがった。
しかし、これで終わりだ。
巫女の結界のなかで、いまだに身体が異常に重いが、あの厄介な剣さえなくなって、力だけになれば、まだ孫空女が上だ──。だが、地の底に引きずられるようなこの重さは、いまにも足を奪いかねない。
しかし、違和感が走る──。
いまだ、結界の中……?
どういうこと……?
一瞬、孫空女は喉奥で息を呑んだ。
結界の中に、まだ自分の脚が縛られている──。金剛身をもってしても、底無し沼のような重さだ。
さっきの天教の巫女は、法術封じの枷で術を封じたはず……。
それなのに、どうして、いまだに結界が続いているんだ──?
「ご主人様、いい加減に助けて──」
孫空女から距離を開けている女が怒鳴る。
ご主人様って……?
「助けてって、それでも護衛かい、沙那──」
背中──。
しかも、すぐ後ろだ。
「ちっ」
舌打ちとともに、腕を振り回して、後ろに立った気配ごと吹っ飛ばそうとした。
その瞬間だった──。
「あがああああっ──」
孫空女は絶叫して、その場に崩れ墜ちていた。
電撃が全身を貫いたのだ。
倒れた孫空女の身体は、地面に倒れても静止することなく、凄まじい激しさで上下左右に痙攣を始める。
孫空女の発した悲鳴と絶叫は、この五行山のどこまでも響き渡っただろう。
それでも、電撃は終わらない。
眉間に皺を寄せ、眼をこれでもかと大きく剥き出しにして、孫空女は頭を打ち振った。
経験したことのない電撃の激烈さに、気がつくと生温かいものが股間を濡らしていた。
「小便まで漏らしたかい。あの結界の中であれほどに動けて、沙那を圧倒するとは凄いよ。でも、これで、とどめだよ──」
「あがあああああっ」
孫空女の口から悲鳴と叫喚が、あらゆる感情と一緒に迸った。
頭が真っ白になるような強力な電撃が、仰向けに脱力した身体を貫く。
今度も長い──。
永遠かと錯覚するほどの長い時間──実際には束の間かもしれない。
だが、失禁したばかりの股間から、二度目の小便を垂れ流しながら、孫空女は涙と鼻水と涎を撒き散らし、声を枯らして吠え続けた。
そして、電撃が終わった。
さすがにもう動けない。
わかる。少しでも抵抗すれば、その瞬間に、あの地獄の電撃がまた全身を貫く──。
恐怖が腹の奥に巣食い、全身を縛った。
孫空女を上から見下ろす影。
あの黒髪の巫女と、栗毛の女護衛──。
よく見れば、ふたりとも揃いも揃って美人だ。
女巫女は、艶のある長い黒髪を揺らして妖艶な色気を放つ。
女護衛は女性らしさを残しながらも鍛え抜かれた、刃物のように引き締まった綺麗な身体をしている。
「……でも、どうして、枷が……?」
孫空女は、女巫女が手に、孫空女が嵌めたはずの法術封じの枷をぶら下げているのを見た。
外したのではない。粉砕して、千切ったのだ。
ぶら下がっているのは、真ん中の鎖の部分と両端に残った破片のくずだけ。
あの巫女に、そんな怪力はない。いや、枷を引き千切るなど、金剛の術を帯びさせた孫空女にもできない。
「んん、この粗末な法術封じかい? この八仙たる宝玄仙の術を封じるなら、こんな出来損ないじゃ話にならないさ。少なくとも、わたしと同じ程度の術師が刻んだものを準備しな」
黒髪の巫女──宝玄仙がけらけらと笑った。
八仙──?
八仙といえば、帝都でも最高位の法師にだけ許される尊称だ。人智を超える法術を極めた法師たち。術だけでなく神学にも通じ、霊力の操りは人の域を超えるとされている。
──そんな化け物が、目の前に。
孫空女は呆然とした。
「……さて、どうするんですか、この赤毛猿を?」
女護衛──沙那、とかいう女が、苛立たしげに孫空女を見下ろした。
蹴られた腹が痛むのか、手で腹を押さえている。服も土で汚れている。だが、すでに剣は戻していて、抜き身のまま、用心深く孫空女に剣先を向けていた。
「さて、どうするかねえ。よく見れば、いい身体しているし、美人じゃないかい。こんなところで山賊させるよりも、飼い慣らして、供にして護衛をさせるというのもいいんじゃないかい? このわたしの結界の中で、お前を圧倒したんだ。いい護衛になるさ」
「供ですか……。まあ、悪くないとは思いますけど……。でも、飼い慣らせるんですか?」
「そりゃあ、やり方はいくらもあるさ。こういう気の強そうな女を調教して、大人しい雌畜にしてしまうというのは、得意でね」
「好きにしてください。でも、寝首を掻かれても、知りませんよ」
女護衛と巫女……沙那と宝玄仙が孫空女の身体の上で喋っている。
頭のおかしなことを語っているとは思ったが、いまは、それはいい。
孫空女は僅かに首を動かし、闇に潜んでいるはずの部下を探す。
見えるのは、まだ結界に貼り付けられたままの男たち。とりもちにくっついた虫みたいに、地面でじたばたしているだけ。
しかし、まだ──。まだだ──。
ただし、孫空女自身も、身体が地面に密着して動けない……。
あの電撃で金剛身の術も封じられたみたいだ……。
だが、声はまだ出せる。
「
孫空女は絶叫した。
眼看喜以下五名残している。
万が一のときには、火薬を込めた爆裂矢を打ち込んで、地面を吹き飛ばすように命じていた。
宝玄仙が孫空女たちを封じているのは「結界術」に間違いないだろうが、あれは、地面に刻まれている紋様を破壊すれば、術が途切れるのだ。
「ちっ、まだ新手が残っていたの──?」
沙那が舌打ちした。
その沙那が、剣を抜いたまま、宝玄仙の前へすっと出る。
まだ勝負は終わらない──。孫空女の腹の奥に、わずかに残った熱が疼いた。
ところが……。
──いくら待っても、眼看喜が爆裂矢を放つ気配はなかった。
むしろ、闇の中でわずかに枝葉を踏み荒らす気配がして──孫空女には、あいつが慌ててその場から逃げ出したとわかった。
気配は遠ざかる。
そして、そのまま……消えた。
「あ、あいつら……」
孫空女は呆気にとられた。
「……んっ、なんだい、いまの? なにか、起こりそうだったけど。なにもないじゃないか」
宝玄仙が鼻で笑う。
「そうみたいですね……。さすがに、この闇の中で姿までは見えないですけど、あの辺りから数人の人間が離れていく気配がしました。多分、逃げたんじゃないかと」
沙那の声が冷たかった。
「なんだい、見捨てられたのかい、赤毛猿」
宝玄仙が腹を抱えて笑った。
孫空女の喉奥が熱くなる。
裏切られたのか──。
あの、眼看喜に。
「……さっきから、赤毛猿、赤毛猿って……言うんじゃないよ──」
声が震えた。
だが、孫空女は唇を噛んで、腹の底から息を吐ききった。
もう、逃げ場はない。
「……好きにしな。この五行山で女頭領として、百人近い男衆を従えてきた孫空女だよ。役人に突き出すなり、ここで殺すなり、好きにしていいよ──」
牙を剥くように言い切った。
「へえ、観念したってことかい? だったら、この宝玄仙に今後、従うってことでいいんだねえ。許してやるよ。この沙那と一緒に、わたしの東方行脚の護衛をしな。供としてさ」
宝玄仙がわざとらしく頬に指をあてて、にやにやと笑う。
「ふざけるな──。誰が従うと言った。そんなわけがあるものかい。ちょっとでも隙があれば、お前が八仙だろうがなんだろうが、その綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてから逃げてやる──。それが嫌なら、ここで殺すことだよ──」
孫空女は怒鳴った。
背中を火で焼かれるような羞恥と怒りが混じっていた。
「……やめなさいよ、孫空女……。この人にそんな脅しは利かないわよ。むしろ、喜ばすだけよ……」
沙那は、なぜか哀れむような口調だ。
唇の端がわずかに歪んでいた。
「面白いねえ。だったら、賭けをするかい?」
すると、宝玄仙が声を潜めて笑った。
孫空女は、その目の奥の獣のような光に、ぞっと背筋を冷やした。
「賭け?」
孫空女は怪訝に思った。
「なんですか、ご主人様、賭けって? 供にするなら、これだけ、強ければ悪くないと思いますよ。頭は弱そうだから、ご主人様のいつもの飴と鞭で素直になるんじゃないですか?」
沙那だ。
かっとなる。
「頭悪いってなんだよ──。この淫乱女──。この宝玄仙に股を擦られて、気持ちよさそうにしてたの見てたよ。抵抗もせずにね」
孫空女は怒鳴った。
沙那の顔が真っ赤になる。
「ち、違うわよ──。抵抗を封じられてたのよ──。あんたも、同じ目に遭えばわかるわよ」
沙那が怒鳴り返す。
「まあ、待ちな、沙那。賭けだと言っただろう。とりあえず、こいつに淫紋を刻んでから、逃がしてやろうと思うんだ。ある仕掛けをしてね。でも、その結果、こいつは結局は、わたしのところにやってくる。そういう賭けさ」
宝玄仙が笑う。
そして、なにか術のようなものが孫空女の身体を走ったと思った。
次の瞬間、身体が、いきなり反転して手足が勝手に動いて、四つん這いの格好で固定されてしまった。
「うわっ、なんだえ──」
しかも、また身体が動かない。
結界のなかで身体が操られている……。
孫空女は、改めてぞっとなった。
「なに、する気ですか?」
沙那が冷めたような口調で声をかける。
「そうだよ。なにさせる気だよ──」
孫空女も喚いた。
「うるさいよ、お前。どうにでもしろって、言うわりには、文句が多いんだよ。とにかく、お前はもうわたしの手のひらの中だ。逃げられるものなら逃げてみな。でも、その前に準備があるしね」
宝玄仙だ。
でも、なにをする気なんだ。
孫空女はいやな予感がした。
そのとき、宝玄仙がすっと背を伸ばして、離れたところで地面に押し付けられている手下たちに視線を向ける。
「よーし、おおーい。お前ら、いまから数名ずつ術を解くからねえ──。だから、この女頭領を順番に犯しなあ。いいねええ」
すると、その宝玄仙が突然に叫んだ。
「はああっ」
孫空女は絶叫した。
「わ、わたしは参加しませんよ──」
一方で、沙那は悲鳴をあげて、どこかに行ってしまった。