孫空女は、ゆっくりと意識を戻した。
焦点の合わない視界に、揺れる木立の輪郭が滲んだ。
頭の奥が重い。
目の前に広がったのは、小さな樹々の間を抜ける薄暗い森だった。
耳を澄ますと、近くで山水がさらさらと流れている。
葉の隙間から差し込む光で、すでに日は昇っているのがわかる。朝だ──。
しばらく、何がどうなっているのか理解できなかった。
けれど、背中に触れる土と、脚の付け根に残る生温い感覚が、脳裏に昨夜の光景を引き戻していった。
手下を引き連れて襲撃をしようとした旅の巫女と女護衛の二人連れ──。だが、返り討ちに遭い、宝玄仙というその天教の巫女により、手下たちとともに、孫空女は宝玄仙の結界術に囚われて無力化され、さらに、手下たちをけしかけられて、輪姦され……。
「……そうか……」
孫空女は歯を噛んだ。
下腹部の奥にまだ、昨日の熱が疼いている。
そのことが、夕べのことが夢でもなんでもなかったことを孫空女に教える。
また、ここは、あの輪姦された街道筋の場所から、それほど離れていない森の中だともわかる。この五行山は、孫空女に庭のようなものだ。知らない場所などない。
ぐっと肩を起こしかけて──そのとき、自分の身体が一枚の薄い毛布の上に横たえられていることに気がついた。
息を呑んだ。全裸だった。
さらに、両手が背中側に回され、なにか硬いものが手首を締めている。
金属の輪のようだった。手錠か、それに近いなにかだ。
孫空女は荒い息を吐いた。
とにかく立ちあがろうと腰を浮かせた瞬間──。
「あぐっ──」
首が、ぐいと後方に引っ張られた。
その勢いで仰向けに倒れ込む。
視界の端に、太い樹の幹が見えた。
首に嵌まった冷たい鉄の感触。
鎖が幹に巻きつけられているのがわかった。
首輪だ──。
孫空女の首に首輪が嵌められ、樹木の幹に結ばれているのだ。
「なんだい、これ──?」
孫空女は唇を震わせた。
そのとき、小さな足音が草を踏んだ。
栗毛の髪を一つに括った女が、盆を両手に提げて近づいてくる。
確か──沙那とかいう、宝玄仙の護衛女だ。腰に細剣を提げ、反対側の腰に紐でなにかを吊って下袴の内側に入れている。
「ああ、気がついたのね、あんた」
沙那は平然と笑ってみせた。
両手に小さな平皿を二つ持っている。
孫空女の目の前にしゃがみ、皿を毛布の上に置いた。
「夕べは災難だったわね。でも、まあ……わたしたちを襲おうとしたんだから、あれくらいですめば、いい方じゃない?」
薄く笑いながら、沙那は首輪と鎖をちらりと見やった。
「ほら、朝食よ」
さらりと言って、沙那は孫空女の前にしゃがんで皿を前に置く。
平皿の中には、ひとつは冷めた干し肉と硬そうな麦餅、もうひとつは、湯気の出ている熱い汁だ。
孫空女は唇を噛んだまま、ゆっくりと沙那を睨んだ。
「……背中の手枷を外してよ……」
「ご主人様の許可なくできないわ。悪いわね」
「……このまま、喰えってことかい? 犬のように」
唇の奥に冷たい息が滲んだ。
両手は背中に縛られたまま。顔を突っ込めと言われているようなものだった。
「犬くらいなによ……。わたしなんか、もっと色々とさせられてるわ。あの淫乱巫女にね」
沙那が淡く笑った。
だが、その笑みに自嘲の色がかすかに混じる。
「色々って、なんだよ」
孫空女は思わず訊ねた。
すると、沙那は盆を脇に引き、孫空女の顔を覗き込んできた。
「色々は、色々よ……。とにかく、こうなったら、もう観念しなさい。ご主人様は、あんたが気に入ったみたいだから」
孫空女は、ぎりと歯を噛んだ。
首輪の鎖がわずかに鳴る。
「ご主人様って、あの変態女のこと?」
「そうね。そして、ご主人様は、絶対にあんたを逃がしはしないわ。悪いことは言わないから、さっさと忠誠を誓って、供になってちょうだい」
「冗談じゃないよ……。あんな目に遭って、忠誠なんて誓えるわけないだろう」
吐き捨てるように言った声に、沙那は鼻で笑った。
「じゃあ、忠誠じゃなくてもいいわ。でも、一緒に旅をして、あのご主人様の護衛をするのよ」
沙那は首輪の鎖をつま弾くように指先で触れた。
「いやだ──」
孫空女ははっきりと言った。
すると、沙那がくすりと笑う。
「反撥の気持ちがわかるわ。わたしも最初はそうだったから。でも、最近は諦念……。諦めの気持ちよ……。言っておくけど、逆らうだけ無駄よ。あの人を喜ばせるだけだから」
「なんと言われようとも、お断りだ」
「あのねえ……。あの人は、あんたみたいな気の強い女を調教して、屈服させるのが大好きなの。逆らうたびに、遊ばれるわよ。そして、命令に従わされる。どうせ最後は、従わされるなら、嘘でも最初から従っておいた方が、まだましよ」
孫空女の喉奥に熱が込みあがった。
唇の端が僅かに歪んだ。
「ちょ、調教って……。とにかく、あたしには無理だよ。そもそも、嘘なんて苦手だしね」
「そういう問題じゃないでしょう。もう、宝玄仙様からは、逃げられないって言ってんのよ……。そもそも、わたしたちを襲おうとして、役人に突き出されたり、殺されたりしても、文句は言えないはずよ」
「だったら、殺すなら殺せばいいだろう──」
啖呵とともに、孫空女は首を起こした。
「諦めが悪いわねえ」
沙那が苦笑のような表情になる。
「これでも、五行山の盗賊を束ねる女頭領だ。夕べは三十人しか連れて来なかったけど、砦に戻れば百人はいるんだ。舐めんじゃないよ……」
「はあ……」
すると、沙那が大きく嘆息した。
そして、束の間、孫空女と視線が絡み合う。
次の瞬間、沙那の指がすっと伸びた。
孫空女の下腹をつんと突く。
「あふうっ……」
淫紋の奥が疼き、孫空女の喉奥から情けない声が洩れた。
小さく触れられただけなのに、子宮の奥が揺れたような感覚があったのだ。
びりっと背筋の奥に熱が走る。
「ほら」
また、沙那の指が肌を撫ぜる。
「くっ、くう……」
おかしな声が漏れた。
そして、気がついた。
視線を落とすと、下腹に花のような模様が刻まれているのが目に入ったのだ。
「わっ、なにこれ?」
孫空女は思わず声をあげた。さらに、夕べ──宝玄仙の笑い声を思い出す。
輪姦が始まる直前、背中から、身体の内側になにかを注ぎ込むように刻まれたあの法術。
「淫紋」──と言っていた。
それを刻まれた瞬間、孫空女の身体は狂ったように敏感になり、手下たちの粗末な愛撫だけで何度も絶頂を味わわされたのだった。
「……思い出した? 淫紋よ……。言っておくけど、わたしにも刻まれてるわよ」
そんな記憶が脳裏をかすめた途端、沙那の指がまたつっと花紋の縁をなぞる。避けようと思ってが、後手に手錠を嵌められているのでなにもできない。
「ひああっ……」
下腹部から脳天まで貫くような愉悦に、孫空女の喉奥から甲高い声が思わず漏れた。
情けない声に、孫空女自身が一瞬で顔を赤くする。
身体の奥から、さっきよりも熱がせりあがってくる。
「ほらね。そんな身体じゃあ、もう頭領なんてできないでしょう?」
沙那が哀れむように言った。
薄い笑みを浮かべたまま、視線は花紋に向いている。
「な、なにすんだよ──」
孫空女は沙那から距離をとるように、腰を後ずさりさせながら怒鳴る。
「ご主人様も言ったと思うけど、それを制御できるのはご主人様だけよ。ご主人様から離れれば離れるほど、疼きが大きくなって、普通の生活なんてできなくなるわ。観念しなさいよ」
「離れれば、疼きが大きくなる……? なんだよ、それ……」
孫空女は唖然とした声を洩らした。
鎖がかすかに鳴った。
「そもそも、ご主人様がけしかけたとはいえ、夕べのあれを見たでしょう。あんたを嬉々として輪姦した男たちが、もうあんたを頭領だなんて思うわけないわ。だから、一緒に来なさい」
沙那は面倒くさそうに肩をすくめた。
「ふん……冗談じゃないって……」
孫空女は吐き捨てた。
だが、心の奥で一瞬だけ過った。
確かに──あの男たちを手下として束ねることなど、もうできない……。あの姿を晒してしまった以上、奴らの誰も自分を“頭領”と呼びはしないだろう。
孫空女だって、もはや、あいつらを手下などとは考えられない。
それでも──屈したくはなかった。
宝玄仙にだけは、絶対にだ──。
「諦めなさい。ご主人様は、まだ寝てるけど、もうすぐ起きてくると思うから……、そうしたら、屈服する。供になるって言うのよ。それがあんたのためよ。逆らうと、なにをされるかわからないわよ」
「いやだ──。これは、女の意地なんだ──」
孫空女は首を起こし、喉奥から声を張った。
しかし、声は思った以上に震えていた。
沙那が小さく鼻を鳴らす。
その瞳は、孫空女を少しだけ哀れむように見ていた。
「意地ねえ……」
沙那は、大きく息を吐いてから、さらに孫空女の方へ身体を寄せた。
「同じことを何度も言うけど……淫紋があるだけじゃないのよ……」
沙那が手を伸ばして、孫空女の首輪を人差し指で軽く弾いた。
冷たい金属の感触が、首筋にひやりと伝わる。
「……あんたの首に嵌められているのは、『
孫空女は息を呑んだ。
喉の奥に鉄の冷たさがずっとまとわりついている。
「緊箍児?」
「そうよ……。逃げられはしないわ。逃げても、結局、あんたはご主人様のところに来ざるを得なくなる……だから……」
沙那の手が、まるで哀れむように孫空女の頬に伸びかけた。
その瞬間、孫空女は、すっと足の指が動かし、毛布の上に置かれた皿のうち、汁が入っていた方の縁を足の指で挟む。
そして、勢いよく足で沙那の顔に向かって皿の中身をぶちまけた。
ばしゃっ──。
「きゃあああ──」
ぬるま湯のように冷めかけていた汁だが、沙那の両眼に思い切り、皿の汁をぶちまけた。
「あたしを舐めんじゃないよ──」
孫空女は荒い息を吐きながら、伸ばした脚で沙那の首を挟んだ。
金剛身の術──。
あの結界の中で封じられていた力が、いまは蘇っている。思い切り挟んだ脚で沙那の首を絞める。
「あぐっ……」
沙那の呻き声が短く漏れた。
孫空女はそのまま脚に力を込め、沙那の首を絞め上げる。
ぐったりとしたのを見計らって、孫空女は背中側で沙那の腰紐を探った。
案の定、手錠の鍵が吊ってあった。思ったとおりだ。
「大人しくしな、沙那──。首の骨、へし折るよ──」
首を締めたまま低く言い放つと、沙那の身体がびくりと震えた。
孫空女は背中の手錠に鍵をあてがうと、鍵を使って手錠を外す。
金属音が草むらに落ちた。
両手が自由になったところで、脚を解いて沙那を離す。
「けほっ……けほっ……」
沙那が咳き込むのを見下ろしながら、孫空女はそばに置いてあった沙那の剣を奪い取った。
首輪に繋がっていた鎖を、勢いのままに剣で叩き切る。
鎖が乾いた音を立てて地面に落ちた。
一方で、沙那はまだ地面に膝をつき、咳を繰り返すだけだ。
孫空女は転がっていた毛布をつかむと、裸身に無造作に巻きつけた。
喉の奥から、小さく笑いが洩れた。
「あの変態に伝えときな、沙那──。次に会ったら殺すってね」
そう吐き捨てると、孫空女は毛布を翻し、森の奥へと跳んだ。
草と枝を踏み分け、まるで野獣のように──。脱兎のごとく。
「ま、待って、孫空女──。西側の麓の宿屋よ──。そこにいるわ──。数日以内に来れば、まだいる──。手遅れにならないうちに来なさい──。いいわねええ──」
沙那は苦しい息を耐えて絶叫した。
聞こえたのか、聞こえないのか、孫空女はすでに樹木の影に隠れてしまい、あっという間に気配がなくなってしまった。
咳が止まらなかった。
喉の奥が焼けるように痛む。
それでも、伝えるべきことは伝えた。
この五行山を越えた向こう側の麓の宿……。
どうしようもなくなったら、孫空女の方から来るだろう……。
それにしても、なんという女だ。
何度も呼吸を整えようとするたびに、さっき孫空女の脚で締め上げられた首が、じわりと軋んだ。
そんな沙那の頭上に、ひやりとした影が落ちた。
「行ったね……」
宝玄仙の声だ。
しゃがみ込んだ沙那は、わずかに目を上げた。
黒髪の巫女は、森の木洩れ日の下で、楽しそうに口元を歪めていた。
「ご、ご主人様……」
「だから忠告したろう。ああいう手合は、理屈で説得するのは無理なんだよ。感情で動く動物だからさ。心から屈するまで、繰り返し叩きのめすしかない」
宝玄仙がけらけらと喉の奥で笑う。
「冗談じゃないですよ……」
沙那はその場にしゃがみ込んだ。
「心配しなくても、また戻るよ。淫紋も、緊箍児もあるんだ。居場所はわかる。この女八仙の手のひらから逃げられるものかい。それに、緊箍児をしている限り、あれがどこにいても追いかけられる」
「はあ……」
「まあ、二、三日は放っておくさ。そのときには、淫紋や緊箍児からは逃げられないと、あれも悟るしかなくなっているに決まっている」
宝玄仙が笑う
沙那は荒い呼吸を吐きながら、宝玄仙を睨み上げた。
「……わ、わざと逃がせって言うから、その通りにしましたけど……。本当に殺されるところでしたよ。首の骨を折られるところだったんですから」
喉奥がまだ詰まる。
沙那はかすれた声で、怒りを飲み込めずに吐き出した。
さっきの一幕は、全部宝玄仙に指示されていたことだ。
あの孫空女を言葉で説得し、従わなければ、隙を示して自分から逃げさせろ──と。
だからこそ、手錠の鍵をこれ見よがしに腰にぶら下げていた。
だが、あそこまで本気で首を折られかけるとは思わなかった。
「心配ないさ……」
宝玄仙は、無造作に沙那の顎に指をかけて上を向かせた。
「……首の骨を折られたくらいじゃあ、あっという間に、この宝玄仙の法術で治療してやるさ。そのために、お前の身体にも淫紋を刻んだんだからね。法術が通りやすいようにさ」
指先が下唇を撫でる。
沙那は反射的に顔を振り払った。
「それはついででしょう……。わたしたちの身体を、好きなように弄ぶために刻んだんじゃないですか」
低く吐き出した声に宝玄仙が肩をすくめる。
「そうかもね」
平然と笑う宝玄仙の瞳に、沙那は小さく息を詰めた。
「とにかく……あの赤毛猿が観念して、麓の宿屋に来るまで、そこに滞在することにしようか」
宝玄仙がそう言ったとき、その目はどこまでも楽しそうに細められていた。
恐怖と、口惜しさと、後悔と──。
ぐちゃぐちゃに混ざった感情が、腹の底で腐った泥のように重かった。
あの夜──。
孫空女に命じられていた。
もしも天教の巫女が結界を張り、万が一、孫空女たちが捕らえられたら、眼看喜たちは、爆裂矢を結界の紋様めがけて撃ち込んで、術を崩す手はずだった。
けれど、眼前で見せられたあの恐ろしい法術。
あれが人の術だろうかと、背筋が凍りついた。
五人の部下とともに、恐れおののいて、気づけば足は地を離れていた。
逃げたのだ。
死にたくはない──そう思った。
ところが……。
逃げた先で、さらに茂みの陰から見守った眼下で、信じられない光景が起こった。
あの黒髪の美女巫女が、孫空女を結界術で拘束したまま、一度捕らえたはずの部下たちを解放し……。
あろうことか、孫空女をあの場で輪姦させたのである。
しかも、巫女自身までがその輪の中に加わっていた。
唇を噛んだ。
だったら、逃げるべきじゃなかった。
あの夜、孫空女と一緒に捕らわれていれば──。
眼看喜も、その輪の中にいたはずなのだ。
だが、いまさら戻れるわけもない。
逃げた裏切り者が、のこのこと再び縄にかかるなどあり得ない。
それに、あの巫女の恐ろしさを思い出すだけで、首筋がじっとりと汗ばんだ。
だから、結局のところ、眼看喜には遠くから、あの淫靡な輪を見守るしかできなかった。
自分たちだけがあぶれたことが、口惜しくて仕方がなかった。
そのとき、背後の茂みで、小さな声がかすれた。
「……眼看喜さま、どうします?」
振り返ると、同じく逃げた五人の手下たちが、木立の陰で肩を寄せ合っていた。
顔色は土のように青白い。
眼看喜自身も同じだろう。
「砦に……戻りますか?」
別の若い手下が、湿った声で囁いた。
逃げ帰れば、百人の手下が待つ五行山の砦だ。
だが──。
眼看喜は舌打ちした。
あの孫空女を、あんな形で失ったまま戻るのか……。
いや、孫空女が万が一砦に戻ってくれば、間違いなく、眼看喜たちは殺されるだろう。それで、自分たちの立場はどうなる。
それで、自分たちの立場はどうなる。
舌の裏がじわりと苦くなる。
後悔だけが、腹の奥をぐずぐずに煮え立たせた。
「……ふふ、ねえ、力を貸してやりましょうか?」
突如、木立の奥から声がした。
男か女かもわからない湿った囁き声だった。
「誰だ──?」
眼看喜ははっとして周囲を睨みつけた。
手下たちも小さく息を呑み、剣を構える者さえいた。
だが、声のした方角には黒々とした樹々が立ち並ぶばかりで、人影はない。
「どこだ──? どこにいる──?」
誰かが低くうめいた。
冷たい風が木の葉を揺らすだけで、姿は見えない。
何かが潜んでいるのか、それとも幻聴か。
ざわりと背中に冷たい汗が滲んだ。
「落ち着きなさい。だから、あんたに力を貸そうと言っているのよ」
また声が、木立の奥から囁くように届いた。
眼看喜の手の中で、剣の柄が汗で滑った。
「あの赤毛女……あんた、あれに執着してるんでしょう」
ざわり、と枝葉が揺れた。
「あれは、宝玄仙のところから逃げたわよ。捕まえて監禁しなさい。あんたの……あんたたちの性奴隷にするのよ」
声が甘く湿り、眼看喜の耳を撫でた。
「どこだ──?」
再び、眼看喜は叫んだ。
振り向くたびに、手下たちも一緒になって森の奥を探す。
だが、声の方向には誰の影もない。
そのときだった。
全く違う方角の、樹木の根元の闇から、黒いフードの男がぬうっと現れた。
「……」
その姿を見て、眼看喜は剣先をわずかに下げた。
「あたしは、
男のはずの低い声が、女のように艶やかに響く。
「まずは、あの赤毛……あれを捕まえて監禁しなさい。大丈夫、抵抗できないようにして牢に放り込めばいいのよ。その力を貸してあげるわ」
御影と名乗ったフードの人物は、ゆっくりと顔の覆いを取った。
月明かりに白い顎と艶めいた唇が覗く。
「……はあ、御影だと……?」
眼看喜は喉奥を鳴らし、そいつを睨んだ。
しかし、御影と名乗った者は、不気味に潤んだ瞳でまっすぐ眼看喜を見返した。
そして、御影と名乗ったそいつの目が、夜の闇の奥でじっと光った。
なにかが肌の表面を撫でた気がした。
まるで、冷たい霧が身体を覆うような──。
眼看喜は剣を握り直そうとしたが、指先から力が抜けた。
足元がじわりと沈んでいく。
「……な、んだ……これ……」
喉の奥が渇く。
視界の端が暗く滲んでいく。
御影の艶やかな声だけが、耳の奥で鳴っていた。
「いいのよ……すぐに終わるわ……。あんたは、あたしの仕事のために、ちょっとだけ夢を見ればいいの……」
眼看喜の膝が、がくりと崩れた。
どこかで見たことのある夢の続きを見ているようだった。頭の奥が、ひどく熱いのに、冷たい汗だけが背中を伝う。
呼吸が、吸っても吸っても肺に届かない。
代わりに、胸の奥から込み上げてくる笑い声を必死に抑えたが、唇の端から漏れ出した笑いは、もう止まらなかった。
「ねっ、力を貸すわよ。一緒にあいつらを捕まえましょう。まずは、あの女頭領……。次に、変態巫女よ。大丈夫。あんたにはできる……。力を貸すわ。邪魔者を捉えましょう」
言葉が、まるで生ぬるい水になって全身を満たしていく。
骨の奥まで、その言葉が沁み込んでいく。
眼看喜の口元が歪む。
涙が出るほど可笑しくなった。
力が湧いてくる気がした。いや、湧いているのだ。
「ははは、そうか。捕まえればいいのだ……孫空女を……あの巫女どもも……」
遠くで木立がざわめく。
視界の端が、じわりと滲む。
剣の柄を握る指が微かに震えているのに、ひどく心地よかった。
なにもかもが思い通りになるような気がした。
胸の奥の笑いが、まだ消えない。
その笑い声を、誰よりも先に自分自身が聞きながら、眼看喜はゆっくりと、朝靄の中に歩き出した。