無自覚無防備なTS聖女は今日も誰かを狂わせる(R18版) 作:月見ハク
しばらくアノン君にハグをしていると、遠くからエラの叫ぶ声が聞こえた。
「フィーネ様! ご無事ですか!?」
街の出口のほうへ振り向くと、エラがふらつく足取りで駆け寄ってくる。必死の形相で、その手には私が部屋に置いていった鎖帷子を持っていた。
「フィーネ様、心配しましたっ……! 起きたらこの服だけが置いてあって、姿がどこにも見えないんですから」
「心配かけてごめんね。ちょっとこっちにおいで」
吸い寄せられるようにやってきたエラを抱きとめ、治癒魔法を掛ける。
深淵の魔獣による攻撃は、広範囲にいる人間の魔力と体力を吸い取り、心をむしばむ。治癒魔法を流し込めば、多少は楽になるのだ。相当の魔力量が必要だけど。
「あ、ありがとうございますフィーネ様。それで……一体これは何なのでしょう? 空気が尋常ではありません。強い魔獣の気配がうっすら漂っていますし」
「あーそれについてはきちんと説明するよ。それよりもエラ、あの、さっきから私の名前……」
さっきからアノン君の前で、「フィーネ様」を連呼しているんですが。
「あ、気にしないでいいですよ。僕とっくに気づいてるんで。やっぱり師匠がフィーネさんだったんですね」
「ええっ!」
いつバレたんだろう。やはりポックルのキャラはさすがに無理があったのかな。
エラが私の背後にいるアノン君を見て眉を上げた。
「ああ、アノン殿もいたのか。そういえばマイ殿が探していたぞ。行ってやらなくていいのか?」
おや?
エラのアノン君を見る視線が氷のように冷たい……気がする。ケンカでもしたのかな。
あ、アノン君も目を丸くして驚いてる。
そうだマイさんと言えば。
「エラ、アノン、街に人が残っていないか念のため見回りをお願い! もし逃げ遅れた人がいたら、今ごろ深淵の魔獣のせいで憔悴しきってるはず。私もすぐに向かうから」
「深淵の魔獣!? え、フィーネ様はどこへ?」
「マイさんが心配!」
言いながら街へと走り出す。
マイさんはアノン君の看病でほとんど寝ていない。さっき部屋で見た感じでは、だいぶ力を吸われていた。
それにエラの掛かった流行り病がうつっている可能性もある。あれは厄介だ。
「マイさん!」
宿へ戻ると、マイさんは顔面蒼白でぐったりとしていた。さっそく治癒魔法を掛けながら、魔力の流れを見る。
(……やっぱり)
悪い予想が当たっていた。
エラと同じように、媚薬と同じ働きが体内にできてしまっている。
急いで元のマイさんの体に戻す。
ふう、とりあえず処置完了。後は逃げ遅れた人がいなければ万事オーケーだ。
「あれ、フィーネちゃん? おはよう~……」
マイさんが朦朧とした様子でつぶやいた。
うん、いつもどおりの優しい笑顔だ。
私も笑みを返す。
「おはようございます、マイさん。今はゆっくり眠ってください」
アノン君のベッドにそのまま寝かせると、マイさんはすぐに静かな寝息を立て始めた。
私はエラとアノン君と手分けして、街中を見て回った。
案の定、逃げ遅れたのか家の中で倒れている人がいたので、片っ端から治癒魔法を掛けていく。
危なかった。もし深淵の魔獣が街に上陸していたら、この人たちは手遅れだったかもしれない。
「それにしても師匠の魔力は規格外ですね。あれだけの防護魔法を放っておきながら、治癒魔法を掛けて回れるだなんて」
なぜかアノン君がムスッとしている。
ありがたいことに、私がフィーネと分かった後でも「師匠」呼びは続けてくれるらしい。
広場で一息ついていると、エラが肩に手を置いた。
「フィーネ様、もうすぐ聖騎士たちがやってきます。深淵の魔獣についていろいろ聞いてくるでしょうが、治療で疲れているということで聴取は明日にしてもらうつもりです。今日はもう休まれたほうが……」
「それなんだけど、僕に預からせてもらえないですか?」
アノン君がいつになく神妙な面持ちで言った。
「預かる、とは? アノン殿」
いやだから、さっきからエラのアノン君に対する態度がこわい……お願いだから仲直りしてー……。
「だって考えてもてくださいよ。治癒魔法を自分に掛け続けて深淵の真ん前まで行くだけでもあり得ないのに、意味の分からない防護魔法を展開して消し去ったなんて誰も信じないよ。過去、深淵を倒した事例は確認されてないんですよ? もし師匠がそんな規格外の力を持つなんて知れたら、絶対面倒なことになる」
え、そうなの……?
エラも「確かに」と深くうなずいている。
結局、深淵の魔獣は街を襲ったものの、奇跡的に死者は出ないままどこかへ去っていった――というシナリオで、アノン君が聖騎士団に説明することになった。唯一の目撃者として。
一応、アノン君から治癒魔法と防護魔法を組み合わせた倒し方を提案してくれるらしいけど、「多分まともに取り合ってもらえないでしょうね」と苦笑していた。
治癒と防護を使える人材を揃えるだけで一苦労なのに、ましてや両方使える人間なんて大陸中探してもいない、ということらしい。
……知らなかった。
私がこんな力に恵まれたのは、やっぱり転生者だからなのだろうか。
だとしたらありがたい。
願わくば、もっと私のような力を使える人が増えてくれればと思う。
夜には、マイさんも目を覚ました。
「すごい……フィーネちゃん、深淵を倒しちゃったんだ」
「ええ、フィーネ様を一人で行かせてしまったのは痛恨の極みですが、でも……今回はフィーネ様のお力がなければ、どのみち私たちは全滅していました」
エラが悔しげに、でもちょっと興奮気味に語る。
「ううん、アノンが駆けつけてくれたから、心が折れずに最後まで踏ん張れたんです」
正直、私一人だったらあのまま深淵の魔獣に食われていたかもしれない。
「ふーん。でもアノン君は来ただけでしょー? 倒したのはフィーネちゃんに変わりないじゃない。やっぱりすご可愛いよフィーネちゃんはっ」
「わわ……っ」
いきなりマイさんが抱きついてきた。
二人してベッドにぼふっと倒れる。信じられないくらい柔らかくて大きなおっぱいに、顔が埋まる。
うぅ……起き抜けなのにテンションが高い。
それにしても、マイさんもアノン君に対して急に素っ気なくなったような気がする。やっぱり何かあったのかな。
仲間内でギクシャクするのは、やっぱり悲しい。
ジャッキーさんやアーセムさんみたいに、突然別れを告げられるのはもう嫌だ。
明日、アノン君に話を聞いてみよう。
◇
「アノン、少し話がアル」
「……なんですか?」
明け方、疲れた様子で戻ってきたアノン君を街の出口まで連れ出した。
鎖帷子を着込み、ローブのフードを目深に被り、口元は布で覆っている。ポックルモードだ。
エラからは、もう聖都が近いから無理に変装をしなくていいとお許しが出たし、そもそもアノン君にはフィーネであることがバレているのだからポックルになる必要はないのだけど。
私は何を隠そうコミュ症である。
最近エラとマイさんと何かあった? なんてセンシティブな問題を
アノン君は訝しみながらも、素直について来てくれた。
街を出て、歩くことしばし。
いつの間にか近くの丘の上まで来ていた。
うん、アノン君と話すならやっぱ丘がいいよね。よし、言うぞ。
「単刀直入にきク。エラとマイさんと何があっタッ?」
声が上ずってしまった。
でもちゃんと聞けた自分を褒めてやりたい。
するとアノン君は「はぁー」とあからさまに大きなため息をついた。
「あの二人が何か言ってたんですか? 師匠が……解いたんですよね?」
「いヤ、二人からは何も聞いていなイ。…………解くトワ?」
解いたってなんだろう?
問題解決したかってこと?
いやいや、そもそも二人には事情すら聞けていないよ。
弟子であり同年代の男の子であるアノン君に聞くのですら、この有り様なのだし。
「……僕のしたことを断罪するために、こんなところに連れて来たんですよね?」
え、断罪!?
そんな大げさな……いや、それとも何か大それたことを……?
なんだろう、聞くのが急に怖くなってきた。
「ワ、我はその……二人の様子がおかしくて、ケンカでもしたのかと思って、それでっ……」
「あーなるほどね……はいはい、事情はなんとなく分かりました。そういうことなら問題はないです。僕は別に、彼女たちを傷付けるようなことはしていませんよ。本来の関係性に戻っただけです」
ん? 大丈夫なの?
二人に何かしたわけでないなら、問題ない……のか?
うーむ。こういう人間関係の機微に疎すぎて分からない。
アノン君、さっきまでとは打って変わって満面の笑みを浮かべてるし……とにかく大丈夫ってことなのかな。
「そんなことより師匠、今回僕、頑張りましたよね? 何かご褒美をくれませんか?」
あ、そうだった。アノン君には今回本当に助けられた。
にも関わらず私、アノン君には「よくやった」みたいな態度で偉そうに褒めただけで、きちんとお礼を言っていないや。
「ご、ごめんっ、ちゃんとお礼を言ってなかったね。今回は本当に――」
「いやそういうのいいんで、ご褒美をください」
「えと、ご褒美?」
「手始めに、膝枕とか」
「ひ、膝枕!?」
「だめですか?」
膝枕……ヒザマクラってあの、アレだよね。
膝枕なんて前世でも今世でもやってもらったことないよ……もちろんやったことなんてあるはずもない。
親が子どもにする以外だと、普通は女の人が親しい男の人にやってあげるものだよね。あ、今は私も女の人か。いやでもアノン君は親しいというのと、ちょっと違うような……。
あれ、でも師匠と弟子なら親しいと言えなくもないのか? なんかわからなくなってきた。
「ダメ、とは言い切れないのかも……」
「ははっ、やった!」
うわーアノン君、満面の笑みだ。
仕方ない。ここは師匠として膝くらい貸してあげよう。
私は木陰に正座をすると、膝をポンと叩いた。こういうときは勢いが大事だ。あれこれ考えても答えは出ない。
「はい、どうぞ」
するとアノン君が頭を乗っけてきた。
うっ、アノン君の手が太ももをつかんでるから、かなりくすぐったい……。
「師匠っていつも長ズボンですよね、蒸れませんか?」
「いや、これはこれで快適だよ?」
「そうですか」
そのままアノン君は眼を閉じると、気持ちよさそうに寝息を立て始めた。
二日連続で魔獣に立ち向かって、さらに徹夜で聖騎士団の聴取に応じたんだから、そりゃ疲れるよね。
そよ風が吹き、アノン君の銀髪がさらさらと揺れる。
まあ少しくらい、わがままを聞いてあげてもいいか――。
「んひゃあ!」
太ももにゾワっとした感覚がしたと思ったら、アノン君が顔をしかめて手に力を込めてきていた。
うなされてる? 戦いの悪夢でも見ているのだろうか――。
「ひゃいんッ!」
思わず変な声が出てしまった。さっきよりもアノン君の手が太ももに食い込んで――。
「んっ……あ、アノンっ、起きて」
これはちょっと、キツいかも。
起こすかどかすかしようと思ってアノン君の頭を押さえると、「ううっ」と苦しそうな声を上げた。
これ、どうしたらいいんだろう……。
その後も、何度かアノン君の手がもぞもぞ動き、そのたびにビクッと震えながら耐えること数十分。
ようやくアノン君が目覚めた。
「あ~よく寝た! 師匠の膝枕、すっごく快適でした。ありがとうございます!」
アノン君がすっくと立ち上がり、気持ちよさそうに伸びをする。
「い、いえ、どういたしまして」
一方の私は、かなり消耗していた。
まあでもアノン君が回復したようで何より……。
「ところで師匠、さっきから喋り方が素に戻ってますよね」
あ、そういえば。
まあいいか、弟子に対してあの話し方も他人行儀すぎるしね。
「そう、だね……ごめんね今まで」
「そう思うんなら、そのマスクとフードも外してもらえませんか?」
「あ、うん、もちろん」
口元を覆うマスクを取り、フードを外す。
「ふぅ」
解放感で、ほっとため息をつく。
土や木々の匂いが風とともに香ってきて気持ちがいい。
「……ッ やっぱり、師匠の髪は綺麗な蜂蜜色だ。さ、戻りましょうか」
手を差し伸べられたので、遠慮なくその手を取る。
立ち上がろうとすると、膝に衝撃が走った。
長時間正座をキープしていたせいで、足が痺れていたのだ。
膝がガクっとなりよろける。するとアノン君がぐいと引っ張って支えてくれようとした。
しかし、勢いが止まらず、私はアノン君の胸元にボスっと頭突きをお見舞いしてしまう。
「うー、ごめん。今、膝を治すから――んむッ」
え?
顔を上げたらアノン君の鼻が目の前にあって……あれ?
アノン君の唇が、私の唇に重なって、動いてる。
「んんッ……ん、ちょっ、アノ……んむっ、んぅッ……」
声を上げようとしたらアノン君の舌が滑り込んだきた。
離そうとしても、すごい力で押さえこまれて体が動かない。
ちょっとこれは、やり過ぎだ。
私は、防護魔法を展開した。
すると、アノン君は弾かれたように飛び退く。
エコンドや新王陛下、それに聖域で襲ってきた司教貴族たち……あの人たちと同じ嫌悪感がジワリと広がりそうになる。
「はぁっ、はぁっ……アノン、なんでっ…」
「すみません! 好きですっ! 僕、女性として師匠が好きなんですっ!」
「……へ?」
今、なんて?
「師匠が好き過ぎて、唇を奪ってしまいました! ごめんなさい! もうしませんから嫌いにならないでくださいっ!」
アノン君は見事な土下座をしていた。
この世界にも土下座ってあるんだな、なんてことを考えていると、いつの間にか嫌悪感が薄らいでいた。
「えと、えっと」
女性として好き……まあ、そういう気持ちは分からなくはない。
きっと師匠への尊敬の心が、そういう好きに変わることもあるのだろう。一応、私は今女の子の体なわけだし。アノン君がそういう感情を抱いたとしても、客観的に咎められるようなことではないし。
だからといって、コミュ症の自分にどうしろと……?
前世ではもちろん恋愛経験なんてない。入院と闘病に時間を費やしていたからそういう方面にはめっぽう疎い。
というか前世で恋愛経験があったとしても今、女の子の私には何の役にも立たない。今世でも幼馴染の男の子たちからそういう目を向けられることはなかったし、エラやマリエッタとも恋バナなんてほとんどしたことがない。経験も知識もゼロだ。
え、どうすればいいのこれ?
難易度が高すぎて頭がパンクしそう。
「…………まあ、帰ろうカ」
とりあえず、私は問題を放置することにした。