※この作品はR-18です。

無自覚無防備なTS聖女は今日も誰かを狂わせる(R18版)   作:月見ハク

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第56話 大聖女フィーネの凱旋

「そんな……」

 

 お披露目式典のあと、私はまたも教会神殿にカンヅメとなった。

 

 アリシア様曰く、式典に参加していた貴族や各国の使者たちが、新たな大聖女に会わせろと迫ってきたらしい。それも、ものすごい剣幕で。

 

「一目会うまでは帰らないって聖都に居座る人もいるのよ。ほんと困っちゃうわね」

 

 アリシア様がため息をつく。

 私もため息が出そうになるが、喉のあたりで止める。どうやら私が式典で祝福の大盤振る舞いをしたのが原因らしい。

 

「あんな祝福を浴びちゃねぇ、感激して熱狂的なファンになっちゃう人が出るのも分かるわ」

「すみません……」

「いい、フィーネちゃん? 貴族なんかは特に聖女に憧れというか……歪んだ執着心を持っている人が多いの」

「そう、なんですか」

「そうよ。だからね、いくらああいう場だからって、聖女の力をバーゲンセールみたいに与えまくっちゃだめ」

「……はい、ごめんなさい」

 

 ごめんなさい。

 

 しょんぼり肩を落としていると、アリシア様にふわりと抱き締められた。

 

「わかればいいの。そもそもフィーネちゃんは何も悪くないんだし、危機感を持ってくれさえすれば私はそれで」

 

 ぎゅうっと締め付けられるようなハグに身を委ねていると、アリシア様の呼吸が荒くなってきた。興奮したような鼻息を頭の上に感じる。

 

「あの、アリシア様?」

「……はっ! あ、危ないところだったわっ!」

「え?」

 

 アリシア様が慌てて私から離れる。

 

「もう少しで私、フィーネちゃんのこと……」

 

 アリシア様の両手が、にぎにぎと動いている。

 なぜだか寒気がして、私もアリシア様から数歩離れた。

 

 

 そんなこんなで、退屈な軟禁生活が再開した。

 

 貴族や使者たちは教皇様がなんとか押し止めてくれたようで、彼らが諦めて聖都を去ったのは一カ月が経ったころだった。

 

 もちろんその間もエラやマイさんは頻繁に遊びに来てくれたし、教皇様やアリシア様も何かと気にかけてくれた。

 

 式典でいろいろやらかしてしまった自覚がある私としても、ほとぼりが冷めるまで姿を隠しておけるいい機会だったし。

 

 

 そうして私が計二カ月にわたるカンヅメ生活を送っている間、世界の情勢はめまぐるしく変化していた。

 

「帝国の内乱は、目論見どおり穏健派が勝利しましたよ。主にアノン君のおかげでね」

「アノン君が?」

 

 教皇様の言葉に、目を見開く。

 

「ええ、暴走したアノン君が過激派を次から次に倒していったんですよ。これは正直予想外の展開でした」

「そうなん、ですか」

 

 あの小屋で、辛そうに去っていくアノン君を思い出す。

 

 正直、アノン君のことをどう思えばいいのか分からない。

 

 酷いことをされて悲しくて、恐くて、でも寂しい気持ちもあって……きっとこの感情に落としどころをつけるなんてできないんだろう。

 

「好色王――ああ皇帝ですね、彼は姿を消しました。生きていれば私の力で視えるのですが、体の構造を変えたのか……正直生死は不明です。ただしほぼ無力化したと言っていいでしょう。おかげで転生者たちも解放されました」

 

 教皇様がほっと胸をなでおろす。

 

 よかった。

 アリシア様のように捕らえられていた人たちもみんな、助かったんだ。

 

「あの、教皇様。王国は……どうなったんでしょうか?」

 

 大聖女の試練で私に襲い掛かってきた新王陛下の姿を、一瞬だけ思い出す。

 

「ああ、あれは辛かったですね」

「はい……とても」

「王国では新王の妹君、オリヴィア姫が近々女王に即位するらしいですよ」

 

 教皇様によると、第一王子だけでなく第二王子――新王陛下も、大司教様を通じて帝国と繋がっていたらしい。

 

 それをオリヴィア王女が告発し、王位を譲らせたのだとか。

 

 王女殿下は聖教会とも関係がよく、今後は王国教会にはびこっていた聖女見習いへの酷い扱いや、司教たちの不正を摘発して、どんどん教会を改善していくらしい。

 

「これは噂なのですが、オリヴィア姫は熱狂的な聖女ファンらしいですよ」

「へ?」

「フィーネさんが大聖女として王国に帰還したあと、エルドア領で平穏に暮らすことを二つ返事で了承してくれたのだとか」

「それは……すごくありがたいです」

 

 きっと、王女殿下の右腕になった義兄(にい)さまの働きかけも大きかったのだろう。

 

「それで新王、ああ元新王ですね、彼は監視付きで軟禁。逆に、その兄の第一王子は釈放されて、外交特使として帝国に派遣されるみたいですよ」

「帝国に……」

 

 二年前のオレンダイ領によるエルドア領侵攻。それに端を発する王都騒乱で、帝国と共謀してクーデター未遂を起こしたという第一王子。

 

 だがオリヴィア王女は、第一王子は派閥の貴族たちに乗せられただけと主張し、解放させたらしい。

 

 教皇様によると、第一王子は意外にも民の人望が厚かったため、その人気を王女は利用したのだとか。

 すごい、出来る女の人なんだろうな。

 

(第一王子殿下か……)

 

 二年前、エルドア領にやってきた彼の赤い髪と、ハツラツとした顔を思い出す。

 孤児院の訪問に同行してくれたりと、民思いのいい人だったように思う。

 

(またエルドアに、来てくれるといいな)

 

 遠い故郷の情景に思いを馳せていると、教皇様が立ち上がった。

 

「さてと、小難しい政治の話はこれくらいにしましょう。皆さん待ちくたびれているでしょうからね」

 

 目隠しをした教皇様の視線の先には、エラとマイさんがいた。

 

「はい、教皇様。いろいろとお世話になりました。本当に……本当にありがとうございます」

「いいえフィーネさん、それはこちらのセリフです。あなたに辛い思いをさせてしまったのは心苦しいですが、結果的に多くの転生者を救うことができました」

 

 頭を下げる教皇様に、私も慌てて深いお辞儀を返す。

 

 そのやり取りを見計らったように、エラがゆっくり近づいてくる。

 

「フィーネ様、そろそろ参りましょうか」

 

 私はもう一度教皇様に頭を下げると、エラに笑いかけた。

 

「うん、帰ろう。エルドアへ」

 

 そう。

 私は今日、故郷に帰還する。

 

 

 

 

 教会神殿の中庭で、聖教会の馬車に乗り込む。

 

 御者は、聖教騎士の鎧に身を包んだエラだ。

 

 私の目の前には、聖教会のローブに身を包んだマイさんが、相変わらず綺麗な笑顔を浮かべて座っている。

 エラもマイさんも、大聖女専属の付き人として、正式に聖教会に任命されたのだ。

 

「マイさん、エルドアでも、よろしくお願いいたします」

「うふふ、これからもよろしくねー、フィーネちゃん!」

 

 マイさん、すごく嬉しそうだ。

 私も、また一緒に過ごすことができて本当に嬉しい。

 

 馬車が動き出し、神殿の外に出たあたりで、聖教騎士の騎兵さんたちが周りを囲む。

 

 なんでも、聖公国を出るまではずっと私たちを付いてきてくれるのだとか。

 

 大聖女の護衛というよりは、一目見ようと集まってくる民衆の交通整理が主な任務らしい。

 

 確かに凄まじい大聖女パワーを得た今、私こそが最も私を護れる存在だったりする。

 

 ――護衛がいるほうが、むしろリスクが高くなっちゃうかもね。

 

 アリシア様も、そう冗談っぽく言っていた。

 

 

 大通り沿いを、馬車が進む。

 途中で脇道へ曲がると、懐かしい風景が見えてきた。

 

 三カ月間アルバイトとして働いた、女将さんの食堂だ。

 

 

 店に入ると、中は活気づいていた。

 ランチとディナーの合間の時間に来たはずなのに、店内は満席だ。

 

「えっ……」

「おいあれ、まさか」

「大聖女様、か……?」

 

 私に気付いたお客さんたちが、一斉に息をのむ。

 突然の大聖女の来訪に、どの目も驚き見開いている。

 

 その中に、一つだけ温かい眼差しを見つけた。

 

「女将さん! ただいまっ」

「おかえり! よく帰ってきたねぇ、ポックルちゃん」

 

 私は厨房にいる女将さんに、一目散に駆け寄る。

 

 もちろん、女将さんには私が大聖女になったことをすでに伝えてもらっている。

 

 今日お店を訪問することも、エラとマイさんから伝達済みだ。

 

 大聖女になっても、前と変わらない態度で迎えてくれた女将さんの優しさに、少し泣きそうになる。

 

「女将さん、お店すっごく繁盛してますね」

「ああ、あんたのおかげだよポックルちゃん。この店で大聖女が働いていたってのが知られちゃってね、聖地巡礼だとかいって、聖女見習いやら聖教騎士やらが大挙して押し寄せているのさ」

「そうなんですか。人手に穴をあけてしまってすみません。忙しいですよね……?」

「いんや、おかげさまで手伝い希望者も後を絶たないのさ」

 

 女将さんが顎で指す先には、厨房で忙しなく働く女の子たちの姿があった。どの子も、すごく美人さんだ。

 

 その中に見覚えのある顔を見つける。

 

「エニーケさん!?」

「ああ……大聖女様、覚えていてくれたのですね!」

 

 ケイジオさんに攫われたとき、帝国軍の牢屋で一緒になった聖女見習いさんだ。無事元気そうでよかった。

 

 それはそうと。

 

「あの、エニーケさん……どうして厨房に?」

「もちろん聖女の修練ですよ。市井の人々に健やかな食事を提供し、元気になってもらう。それが大聖女に至る道なのだと、フィーネ様から教わりましたから」

「え……」

 

 食堂でのバイトが大聖女になる秘訣かと聞かれれば悩んでしまうけど、お店の人手不足が解消されているので、ここは何も言うまい。

 

 聞けば、厨房にいる女の子たちは、みんな聖女見習いさんなのだという。

 

「特に大聖女様が考案された肉巻きが大人気で、食べると精力活力が付いて、おまけに運気も上がるって評判なんですよ!」

「そ、そうですカ……」

 

 効果が盛られ過ぎのような気がするけど、健康に気を遣った料理はもっと広まって欲しいので、これも何も言うまい。

 

 そうだ、特製メニューと言えば。

 

「女将さん! これ、新しく考えたメニューなんですが、どうでしょうか?」

「お、ちょいと見せてみな」

 

 女将さんはふむふむと頷きながら、私の考案したレシピに目を通していく。

 

(いつもこの瞬間、ドキドキする……)

 

「うん、どれもいいじゃない! 料理人としての腕上がったねぇ、ポックルちゃん」

「あ、やったっ、ありがとうございます!」

 

 まさかの全メニュー採用だ。

 嬉しい。

 

 ドヤ顔でエラとマイさんのほうを見ると、店内のお客さん全員が、固唾を飲んでこちらを凝視していることに気づく。

 

 まがりなりにも大聖女がいきなり現れたのだ。驚かないはずがない。

 ここは大聖女として挨拶しておくべきかな。

 

「あ、あのっ、お騒がせしてしまって申し訳ありません。えっと……みなさんどうぞ、おくつろぎください」

 

 少しの静寂。

 

「……い、今、俺らに言葉をくださったのか」

「あ、ありがたや……」

「もしかしてポックル特製って……ええ!?」

「なんだお前知らずに食ってたんかよ」

「大聖女様が、こんな近くに」

「すっげえいい匂い……」

「やはり声まで美しい」

 

 う、逆に戸惑わせてしまっただろうか。

 おそるべし大聖女パワー。

 

「このポックル特製鶏の丸焼きなんて絶品だぜ」

「ああ、俺はポックル特製豆煮が好物だな」

 

 ん? 丸焼きに、豆煮?

 そんな料理を考案した覚えはない。

 

 疑問に思い女将さんを見つめると、パチッとウィンクを返された。

 

「あははっ、ポックルちゃん特製って言っときゃぁ、何でも喜んで食べるんだよコイツら」

「ええっ……!?」

 

 女将さんのたくましい商魂を見た気がする。

 

 ふと、いつのまにか私の隣にいたエラがささやく。

 

「フィーネ様、そろそろ出ましょう。騒ぎになる前に」

 

 そうだった。

 突然の大聖女によるゲリラ訪問が、騒ぎにならないはずがない。

 

 今回の訪問にあたっては、混乱が起きる前に撤収するようにと言われている。

 名残惜しいけど、もう、さよならだ。

 

「女将さん、私そろそろ行かないと」

「そうかい。また来れそうかい?」

「いえ……」

 

 大聖女は影響力が大きすぎる。

 おそらくエルドア領からは滅多に出られなくなると、教皇様は言っていた。

 

「そうかい、寂しくなるねぇ……。ポックルちゃん、最後に抱きしめてもいいかい?」

 

 その言葉が終わる前に、私は女将さんの胸に飛び込んだ。

 

 柔らかい温もりに包まれる。すごく落ち着く、お母さんみたいな匂いだ。

 

 顔を埋めると、女将さんの鼓動が伝わってくる。一心不乱にドラムを叩いているみたいに、早い。

 

 心配になって見上げると、女将さんは血走った目で荒く呼吸をしていた。

 

「はぁぁっ、はぁぁぁっ、ポックルちゃんっ、ちょっ、これはたいへんだわぁ……!」

「フィーネ様、お時間です」

 

 エラに両肩をつかまれ、女将さんから引っぺがされた。 

 

「ご、ごめんなさい女将さん、急ぐみたいなのでこれで失礼しますっ。今まで本当にお世話になりました!」

「え、ええ、ポックルちゃんも……達者でね……っ」

 

 女将さんが胸を押さえて苦しそうだ。

 心配になり、思わずエラを見上げる。

 

「女将さんは大丈夫です。これはよくあることですので」

 

 確かに女将さんの魔力の流れを見ても、内蔵や神経に異常は見当たらない。

 

「急ぎましょう」

 

 エラにフードを被らされ、押されるように店から出され、馬車に放り込まれる。

 

 店の外はちょっとした騒ぎになっており、騎士さんたちが必死に規制線を張っていた。

 

 馬がわななき、馬車が急発進する。

 

 街並みとの別れを惜しむ暇もなく、私たちはあっという間に聖都を出た。

 

 

 

 

「マイさん、私たちが旅したときって、こんな道なかったですよね?」

 

 ふと、行きは整備されていなかったはずの道が、しっかり舗装されているのに気づく。

 

「あーそっか。フィーネちゃん知らないんだっけ。大聖女が凱旋するのと、今後は王国とも深い付き合いになるからって、教皇様が急いで整備させたみたいだよー」

 

 なるほど。やっぱり大聖女のパワーは半端ないな。

 

 なんて他人事のように感心していた私だったが、その後も大聖女の影響力を思い知ることになる。

 

 ――なるべく、これまで立ち寄った町々に顔を出すようにしてください。

 

 教皇様にはそう言われていた。大聖女が堂々とエルドアへ帰還することを、大陸中に知らしめる必要があるのだという。

 

 ということで、まずはあの温泉街に立ち寄ったのだけど。

 

「女神の憩い場?」

 

 私たちが一泊した宿には、神々しい看板が掲げられていた。

 アノン君に連れられて来たときは、もっと普通の名前だった気がするんだけど……。

 

「これは大聖女御一行様、聖都からよくお越しくださいました! さあ当宿自慢の『大聖女の湯』をぜひ見ていってくださいっ!」

「大聖女の、湯……?」

 

 中に入れば、私が骨を休めたあの露天風呂にもたいそうな看板が掛けられていた。

 

『ここは大聖女フィーネ様が旅の道中に訪れ、何度も浸かり疲れを癒した聖なる湯です』

 

 その説明書きに、私は目深に被ったフードの中で顔を赤くしていた。

 これは……なんだかすごく恥ずかしい。

 

「今や国中からお客様が押し寄せてきていましてね! 大聖女様の美貌にあやかろうと貴族の女性には特に大人気でして」

「店主、ここには男性客も入るのか?」

 

 興奮気味に話す店主さんに、エラが凍てつくような視線を浴びせる。

 

「ああいやぁ……男の場合はその、特別料金をいただいておりまして。かなり高額にしたのですが、それでも来年まで予約でびっしりと」

「今すぐ女性限定にしてください」

「は、はいっ」

 

 店主さんが顔中から汗を噴き出している。

 

 エラ、とげとげしい魔力があふれてる……。

 

「店主、あの籠に入っているのはなんだ?」

「あ、その……温泉たまごです。あれも男女問わずとても人気でして」

「ほう、女神のたまごと書いてあるのは気のせいですか?」

「す、すぐに販売中止します!」

「この『大聖女の湯』という名称も変えてください」

「そ、それだけは……!」

 

 主人さんに泣かれてしまったので、私はエラの袖を引っ張って渋々了承した。

 

 なんでも、魔獣騒ぎで客足は遠のき町全体が消滅寸前だったのが、今では『大聖女が立ち寄った温泉街』ということで大盛況なのだという。

 

 街の復興につながっているとなれば、認めざるを得ない。

 恥ずかしいからやめて、なんてとても言えない。

 

 これが有名税というやつなのだろう。

 

 半ば諦めの境地に達していると、気づけば大聖女クッキーやタオルなどなど、数々の大聖女グッズについても認めさせられていた。

 

 

「フィーネちゃん、お疲れだったねー」

「マイさん……さすがにくたびれました。大聖女ってたいへんなんですね」

 

 馬車の中で、マイさんに愚痴ってみる。

 

「んー……アリシア様のときは、こんなお祭り騒ぎにはならなかったらしいよ。さすがに大聖女様だからね、畏(おそ)れ多いって」

「え、じゃあどうして私のときは……?」

「んん~、不思議だよねー。多分だけど、フィーネちゃんが親しみやすいからじゃないかな。ほら、お披露目式典のときも聖都の人たち大興奮だったでしょ。普通はもっと厳粛な式になるはずなんだよ」

「そ、そうなんですか」

 

 どうやら、ずいぶんと身近に感じてもらっているらしい。

 

 でも、私としてはそのほうが気も楽だ。

 

 もともと前世ではただの一般市民だったし。

 変に崇め奉られるよりも、お店の客寄せパンダくらいに思ってもらうほうがずっといい。

 

 

 そんなこんなで、立ち寄った町々で大聖女にちなんだお店や品物を目にすることになる。

 もはや聖公国全体が大聖女バブルだ。

 

 このころになると、私はこの雰囲気を快く思うようになっていた。

 

 どの町でも、人々に笑顔があふれていたから。

 

 明日にも帝国との戦争に突入するかも、と心のどこかで不安を感じていた人々にしてみれば、戦乱の脅威は消え、新たな大聖女の到来とともに平和が訪れたのだ。

 浮足立ってはしゃいでしまうのも、よくわかる。

 

 さまざまな風景を目に焼き付けながら、ついにそのときが来た。

 

「フィーネ様、そろそろ国境です」

 

 御者台から、エラに声を掛けられた。

 遠くのほうには、以前王国を脱出したときに立ち寄った国境沿いの村があった。

 

(あの村で、マイさんやジャッキーさん、アーセムさんに出会ったんだよね)

 

 懐かしいパーティーメンバーの顔を懐かしんでいると、馬車が停まった。

 

 馬車の隣を併走していた聖教騎士さんが、近づいてくる。

 

「大聖女フィーネ様、私たちはここまでです。これから先、あなた様に女神の祝福が――」

「あ、ご挨拶したいです!」

「え」

 

 私は馬車を飛び出した。

 

 

 国境沿いの、どこまでも広がる草原の真ん中で。

 

 私の目の前には、背筋を伸ばして整列する聖教騎士さんたちがいた。

 

 最初はひざまずいて頭を垂れていたので、必死の説得の結果、こうして立ってもらうことに成功した。

 

「えと、ここまで私たちを護衛してくださり、本当にありがとうございます。みなさんのおかげで無事、故郷のエルドアに帰ることができそうです」

「……」

 

 ぴくりとも動かない聖教騎士さんたちに、精いっぱいの感謝を伝える。

 

 午後の日差しに、白銀の鎧が輝いている。

 

(すごく、かっこいい……)

 

 実用性よりも聖教騎士としての神聖さを強調した鎧だからだろう。

 これまで見てきた騎士よりも、数倍煌めいて見えた。

 

(私も、いつか)

 

 着てみたいな。

 

 ぼんやり見惚れていると、聖教騎士さんの一人が胸を押さえて片膝をついた。

 それを合図にするかのように、次々にひざまずき始める。

 

「あ、あれ……?」

 

 なんだか様子がおかしい。

 

「だ、団長……我々には眩しすぎます」

「くっ……聖教騎士ともあろう者が」

「アリシア様でも、耐えられたというのに」

「直視できません、我々の鋼の理性がっ……」

 

 口々に、何かをつぶやいている。

 

(あ、まさ大聖女パワーのせいで……)

 

 尋常でない彼らの様子に動揺していると、騎士団長さんが前に進み出た。

 

「大聖女フィーネ様、我々一同、聖女を守護する聖教騎士団として、この誉れ高い凱旋に同行できたこと、心から誇りに思っております」

 

 顔色一つ変えない騎士団長さんにほっとする。

 

「あの、本当にここまで連れてきてもらって感謝しています。帰路につくみなさんに、これからも女神の祝福があらんことを」

 

 心からの感謝を込めて、祝福の雨を降らせる。

 

「お、ぅぅっ……」

 

 泣いて震えだす騎士団長さんに若干怯えつつ、私はエラに押されるようにして馬車へ戻った。

 

 

 

 

「変わってないなぁ」

 

 窓から見えるエルドアの風景が、涙でかすむ。

 

 見慣れた穀倉地帯。

 鼻をかすめる懐かしい麦の香り。

 

 やっと、故郷(ふるさと)に帰ってこられた。

 

 しばらくすると、畑の真ん中にぽつんと一軒家が見えてくる。

 

(そういえば、あの家のおじいちゃん腰が悪いって言ってたな。悪化していないといいけど)

 

 昔、こっそり診療所を手伝ったときのことを思い出す。

 

 遠くに見える風車小屋の夫婦は、確か二人目が生まれると聞いていた。男の子か女の子、どっちだったんだろう。帰ったらマリエッタに聞いてみないと。

 

 マリエッタ、元気かな。

 

 屋敷のみんなも、会うの久しぶりだ。

 

 それに、義兄(にい)さまも――。

 

(う、なんか急にドキドキしてきた)

 

 そういえば、なんだかんだで義兄さまとは二年近く顔を合わせていない。

 

 久々に家族に会うのって、こんなに緊張するんだな。 

 

 

 心臓をバクバクさせていると、すぐに屋敷に到着した。

 

 ゆっくり馬車を降りる。

 顔を上げると、懐かしい顔ぶれが私を出迎えてくれた。

 その中から、メイド服姿の美女が飛び出してくる。

 

「おかえりなさいませ、フィーネ様」

「マリエッタ! ただいま」

 

 以前と変わらない笑顔だ。

 嬉しくて、またも涙がこぼれてしまう。

 

 するとマリエッタが「うっ」と胸を押さえて立ち止まった。

 侍女たちの中にも、同じようにうめいている人がいる。

 

「マリエッタ、それにみんなも、大丈夫!?」

「はい……大丈夫、です……フィーネ様。皆で事前に精神鍛錬を行ったのですが、想像以上の威力で……」

 

 もしかして、大聖女パワーか。

 

 アリシア様は周囲が慣れてくれるまで待つしかないって言ってたけど、大丈夫かな。

 

「まったく、やっとフィーネが帰ってきたというのに騒々しいね」

 

 懐かしい、声。

 

「ウォルムお義兄様!」

「おかえり、フィーネ」

 

 二年前と変わらない、陽だまりのような笑顔。

 ゆっくり近づいてくる義兄さまに、心からの笑みがこぼれる。

 

「ふふ、泣いているのに、すいぶんご機嫌そうだね」

「久々に、お義兄様に会えて嬉しいのです」

 

 その瞬間、春の暖かい風が私たちを包んだ。

 義兄さまが金色の前髪をさらさらと揺らしながら、笑みを濃くする。

 

「僕も嬉しいよ。とてもね」

 

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