無自覚無防備なTS聖女は今日も誰かを狂わせる(R18版) 作:月見ハク
エルドアに帰還して、二週間が経った。
私はのんびりと、故郷での平穏の日々を謳歌していた。
大聖女パワーのせいで挙動不審だった屋敷の侍女たちも、今ではなんとか普通に接してくれるようになった。
「いいかい、ここに立っているのは大聖女ではなくフィーネだ。草木が好きで少しお転婆で、誰よりも人見知りな私たちの可愛い妹なんだ。それを忘れてはいけないよ」
「はい、ウォルム様っ」
「ウォルム様、だからこそ心が締め付けられるような愛おしさがこみ上げてくるのです」
「マリエッタ、気持ちはよく分かるが耐えなさい」
「はい……くっ、フィーネ様」
「……」
夕食後に行われる、私を前にした謎の特訓は毎晩夜遅くまで及んだ。
その分、王都からは毎日山のような書類が送られてきていて、朝から晩までその処理に追われている。
義兄さまと顔を合わせるのは、朝食のときくらいだ。
「義兄さまは、私の大聖女パワ……力に当てられても平気なのですか?」
口直しの紅茶に口をつけながら、ふと素朴な疑問を口にしてみた。
「ああ、フィーネに対する感情はずっと一定だからね。君が大聖女になったからといって変わるものではないんだよ」
「そうなんですか……ふふ、嬉しいです」
つい、笑みがこぼれてしまう。
義兄さまだけは今も、私を二年前と同じように一人の妹として扱ってくれる。
大聖女になってからはエラやマイさんですら、どこかよそよそしいので、義兄さまの変わらぬ態度がとても嬉しい。
やっぱり、家族っていい。
「……っ、君は僕のたった一人の
「はいっ」
私は聖公国であったことを、義兄さまにたくさん話した。
もちろん、一部を除いて。
司教貴族やアノン君に私が酷い目に遭わされたことを、義兄さまは知っているかも――そんなふうにビクビクしていたけど、義兄さまはいつもと同じ笑顔で耳を傾けてくれた。
その様子を見て、ほっとする。
きっと教皇様がかん口令を敷いて、誰にも知られないようにしてくれたのだろう。
「――さて、僕はそろそろ仕事の時間だ」
「あ、ごめんなさい。つい夢中になって話してしまいました」
「いいよ。フィーネの声を聞くのは僕にとって至福の時間だからね」
ふんわりとした笑顔に、胸の奥がほっこりと温かくなる。
お茶目なセリフで場を和ませようという心遣いが嬉しい。
本当に、私のお兄ちゃんなんだな。
「今日は久々に、孤児院に行ってみようと思います」
「いいけど、くれぐれも用心するんだよ」
「はい、許可してくれてありがとうございます」
「勝手に抜けだされても困るからね」
義兄さまは大聖女となった今も、孤児院や診療所の訪問を許してくれている。
ただその際は、厚いローブを着てフードを目深に被り、鼻まで布で覆うというポックルモードになることが条件だったけど。
それでも、これまでどおりの生活を送らせてあげようという義兄さまの優しい配慮に、私は心の底から感謝した。
オレンダイ領の近くにある孤児院で、私は馬車を降りた。
侵攻のときに焼かれてしまった建物はすっかり立て直されて、前よりも立派になっている。義兄さまが結構な予算を投じてくれたらしい。
「お姉ちゃーん!」
「うわっと」
さっそく孤児院の子どもたちが飛びついてきた。
私はそれを、次々にぽすっ、ぽすっと受け止めていく。
最後に年長の男の子が、無邪気な笑顔で飛び込んできた。
「フィーネお姉ちゃん!」
「ほいっ」
「あっ、あれ!?」
体幹をずらしつつ、飛び込んできた力をそのまま利用する形で受け流し、横にストンと着地させる。
さすがにこの子を受け止めたら、尻もちをついてしまう。
聖公国での旅路や、エラやアノン君との特訓を通じて、私はずいぶんとたくましくなった。子どものタックルを受け流すなど造作もない。
(成長したな、私)
一人で感慨に浸っていると、孤児院の院長さんがやってきた。いつものように私の耳元でそっとささやく。
「すみません。診ていただきたい子が何人かおります」
「すぐ行きます」
案内された部屋では、何人もの子どもたちが熱にうなされていた。
「流行り病のようなのですが……聖女見習いの治癒魔法も効かず、悩んでいたのです」
「わかりました。診てみますね」
子どもの一人に意識を集中させる。
研ぎ澄まされた大聖女の力が、すぐに原因を特定した。
――脳に寄生虫。原因は、孤児院近くの泉の水。
「病の正体を突き止めました。すぐに治します」
目をつむり、私を中心に治癒魔法を展開する。
ドーム状に広がったそれが、子どもたちの寄生虫を浄化していく。
脳の浸食された箇所も復元しつつ、魔力を流し込んで体力も回復させる。
――処置完了。
目を開けると、土気色だった子どもたちの顔色はよくなり、すやすやと静かに寝息を立てていた。
「これでもう大丈夫です。原因は泉にいる寄生虫だと思います」
「キ、キセイチュウとは?」
あ、そうだった。
この世界には――少なくともエルドアでは、寄生虫なんて知っている人はいないのだ。
「病を運ぶ小さな虫です」
「む、虫!?」
「安心してください。後で水源を回って浄化していきますので。明日には飲んでも平気ですよ」
「あ、あ……ありがとうございます! フィーネ様、本当に大聖女になられたのですね。さきほどの治癒魔法など腰を抜かすかと思いました」
感激する院長さんに、気恥ずかしい笑みを返しつつ。
「マリエッタ、今から領内にいる聖女見習いさんを、集められるだけ集めてほしい」
「かしこまりました」
私はさっそく孤児院の裏手にある泉を浄化すると、集まった聖女見習いさんを引き連れて、目ぼしい水源を回った。
寄生虫を浄化しつつ、その方法を聖女見習いさんに伝授していく。
通常の治癒魔法とは少し違うので、本来は聖女見習いが一朝一夕で身につけられるものではない。
だが、そこは大聖女。
彼女たちに触れ、少し魔力を浸透させるだけで伝授することができた。
やはり、大聖女の力はすさまじい。
私は改めてこの力を与えてくれた教皇様に感謝すると、聖女見習いや同行した役人さんたちに領内の水場の調査をお願いした。
「ふぅ、今日はたくさん回ったね~」
「帰ったら湯浴みをなさるといいですよ。今日は聖教国から取り寄せたハーブを湯に混ぜてみましょう」
馬車の窓を開けて、風を取り込む。
向かいにはマリエッタが座り、美しい栗色の髪を揺らしていた。
「エラとマイさんは、今ごろ王都かな」
「ええ、そうですね」
エルドアに戻ってすぐ、エラとマイさんは義兄さまの命で王都へ向かった。なんでも重要な任務らしい。
最初は彼女たちも、私から離れるのを拒否したが、「今やフィーネに害を及ぼせる者などこの大陸に存在しないよ」という義兄さまの言葉で渋々了承したようだった。
エルドアに戻ってくるのは一カ月後だ。
少し寂しいけど、ぜいたくは言っていられない。
今、こうして故郷の空気を吸えているだけでも、幸福なことなのだから。
(それにしてもローブ、暑いな……)
季節は春真っ盛り。
薄手のシャツに、下はブラジャーしか付けていないとはいえ、厚手のローブとフードとマスクと手袋のコンボは、とても暑苦しい。
馬車の中ではフードやマスクを外せるとはいえ、外ではずっとこの格好というのは辛い。水場を巡って歩き回ったせいで、もう汗だくだ。
ローブの前紐を解いて、シャツのボタンを上から二つほど外す。パタパタと服の中へ風を入れて火照った体を冷やしていく。
「くぅっ……」
前方からマリエッタのうめき声が聞こえた。
「マリエッタ、どうし――」
声を掛けようとしたそのとき、私の――大聖女の注意が窓の外へ向く。
――寄生虫の気配。
そこは屋敷の裏手にある広大な森だった。
子どもの頃によく、泥だらけになって遊んだ場所。そういえば、この森にも泉があった。
「ごめんマリエッタ、ここで止めて」
「どうなさいました?」
「浄化しないといけない水場があった」
マリエッタが御者に伝え、馬車が止まる。
「ちょっと行ってくるから、マリエッタは少し待ってて!」
私はフードもマスクもすることなく、森へ駆け込んだ。
昔、幼馴染たちとよく走った獣道。
その先に、湧き水のあふれる泉があった。
あの頃と変わらない光景。
私は泉に近づくと、一瞬で浄化した。
「ふぅ」
これでここの水も安全だ。
一息つき、馬車へ戻ろうとしたとき。
ガサリと茂みが揺れた。
「フィーネ?」
「トマっ……!」
そこには、懐かしい幼馴染の男の子が、驚いた顔で立っていた。
思わずトマに駆け寄る。
オレンダイ軍が攻めてきたときに怪我を治療して以来だ。ということはトマに会うのも二年ぶりということになる。
(うわ、背高くなってる)
今はもう十七歳くらいだろうか。
精悍な顔つきはもう立派な青年という感じで、肩や腕もがっしりしていた。きっと毎日体を鍛えているのだろう。
「トマ久しぶり、会いたかったよ!」
「俺も……フィーネに会いたかった」
「そうなんだ、嬉しい」
「あ、ああ……」
ん? トマがゆっくり後ずさりしている。
あ、まさか。
「……ごめん、汗におう? 今日いろいろあって、いっぱい汗かいたから……」
言ってたらどんどん恥ずかしくなって、また汗が噴き出してきた。
シャツの襟元をつかんで、パタパタと風を中に送り込む。
「うっぐぅっ……い、いやむしろっ、フィーネはすごくいい匂い、だ」
「ふぇっ……!? そ、そうですカ……」
な、な……トマはなにを……っ。
うう、恥ずかしい。
「あの……さ、フィーネ、少し話さない?」
「……うん、いいよ」
なんだか、とっても気まずい。
つい下を向き、地面の草を数えてしまう。
コミュ症をこじらせている私が、久々の旧友との再会に平然としていられるわけがなかった。
トマに促されて、泉近くの岩に並んで腰掛ける。
「……」
えっと、なにを話せばいいんだっけ……?
オレンダイ軍侵攻のときよりもたくましくなって、まるで別人みたいで、緊張してしまう。
さっきから、トマがちらちらと見てくるのを感じる。そういう視線には敏感なのだ。
こういうとき、なにから話せば……。
「あの、さ……トマは、今なにしてるの?」
「えっ、お、俺は、その……」
一回りくらいの身長差があるので、トマの顔を見上げる格好になる。
トマの顔は、真っ赤に染まっていた。
視線が交差しそうになってパッと逸らされた黒い瞳が、宙をさまよっている。
トマは、この世界には珍しく黒髪に黒目だ。
私が仲良くなれたのは、彼がなんとなく日本人に似ていたからなのかもしれない。
そんなことを思っていたら、次第に心臓が落ち着いてきた。
(そっか、トマも緊張してるんだな)
トマにとっても、二年ぶりの幼馴染との再会だ。私と同じように緊張してあたふたしているに違いない。
それがわかった途端、緊張の糸が切れた。
思わず、フフと笑ってしまう。
「どうして笑うんだよ」
「いや、トマ、ずいぶん格好よくなったなーって思ってさ」
「……っ、か、からかうなよ」
「ふふふ」
ああ、変わらないなトマは。
子どもの頃も、よくそうやって口を尖らせていたっけ。
「そういうフィーネだって」
「ん?」
「すんごく、可愛くなった……」
「……それは、ありがと」
そっか。お互い変わっちゃったんだな。
子どもの頃は、体格も一緒くらいで。
私とトマは男友達か、兄貴と弟分みたいな感じだったのに。
今は身長もこんなに差が開いて。
私は、いくら鍛えても小柄な細腕のままで。
やっぱり、女の子で。
それは変えようのない、事実で。
「あのさ、フィーネ。俺、治癒魔法の練習してるんだ」
「え、トマが治癒魔法を!?」
あまりの事実にビックリして、さっきまでの鬱々とした思考が吹き飛んでしまった。
「二年前、フィーネに治してもらって、俺も誰かを治せる人間になりたいと思ってさ。一生懸命特訓したんだ。そしたら少し、できるようになった」
そう言って、トマが私の頭に手をかざす。
ぽうっと、暖かい光。
まぎれもない治癒の魔力だ。
「あの時フィーネに励ましてもらって、命の重みを痛感して、そしたら体の中の門みたいなのが開いたような感覚がしてさ……」
トマの言葉の一つ一つが、胸を打つ。
この世界で治癒魔法は、とても珍しい魔法だ。
一説には、命の危険や大地の恵みと隣り合わせの貧しい農民、それも女性にだけ、治癒の魔力が発現すると言われている。
私のように裕福な貴族でありながら治癒魔法を使えて、それも大聖女になってしまうなんて、本当に奇跡のようなものなのだ。
ましてや男の人で治癒魔法を使えるようになった事例なんて、ほとんど聞いたことがない。それなのに――。
(こんなことが、あるんだ)
昔から、私だけじゃなくて、みんなが治癒魔法を使えるようになればいいのにと願っていた。
そうすれば、みんながもっと健康で、長生きできるのにって。
「この前なんか俺、近所のじいさんの牛の怪我、治したんだぜ。まあ軽いすり傷程度だけどさ」
みんなが癒やし合えるようになれば、もっと仲良くできるのにって、思ってた。
そうすればいつかは、無駄に命を落とすような戦争も、なくなるから――。
「俺さ、ずっとフィーネにお礼を言いたかったんだ。だから今日会えて……ってフィーネ、なんで泣いてるの!?」
「え? あ、ごめん……なんか、うれしくて」
気付いたら、目から涙が止まらなくなっていた。
私のやってきたことは、祈りは、きっと無駄じゃなかったんだ。
私が泣いてしまったからだろう。トマが気まずそうに頭をかいている。
そんな仕草も、子どもの頃のままだ。
じっと見つめていると、トマが意を決したように私のほうを向いた。
真剣な眼差しが、私を射抜く。
「あのさフィーネ。俺、実は毎日、この泉に来てたんだ」
「……鍛錬の、ため?」
「ううん、違う。ここに来れば、いつかフィーネに会えるんじゃないかと思って」
(ああ、これ……知ってる)
学院試験のときの、アノン君と同じ目だ。
「それは、お礼を言うため?」
「違う。ずっとフィーネに、伝えたいことがあって」
なんとなく、トマが何を言いたいのかが分かってしまう。
これがマリエッタのよく言う女の勘ってやつ、なのかな。
それとも前世が男の子だったから、気づいちゃったのかな。
もう、どっちなのか分からないや。
「なに?」
「俺、ガキの頃から、ずっとフィーネが好きだった。今も、いや今はもっと好きだ」
まっすぐな、好意を伝える目。
男の人が勇気を振り絞って、思いを伝える顔。
その声が、唇が震えていて。
……すごいな、トマは。
相手は貴族の令嬢で、しかも大聖女なんていうとんでもない肩書きまで付いていて。
面と向かって告白するのはきっと、とても勇気がいったはずだ。
できることなら、トマの気持ちに応えてあげたい。
だけど、私はまだ――。
「ありがとう、トマ。とっても嬉しい。でも、ごめん……」
トマは一瞬泣きそうな顔をして、すぐに微笑んだ。
その顔が、なんとなく前世の自分と重なった気がした。
「……いや、いいんだ。わかってるさ。俺とフィーネじゃあ到底釣り合わないってことくらいは」
「ううん違う、違くてね」
確かに身分の差は大きい。
でも、もっと根本的なところで、私はまだ、フィーネとして誰かを選べない。
「大丈夫だよフィーネ! 俺、振られてもフィーネを好きって気持ちに変わりはないから」
「……」
「あ、いや変な意味じゃなくて、これからも友だちとして好きって意味で、困ったときは遠慮なく頼ってくれたら嬉しいっていうか」
「……」
友だち、として。
トマはいつも、私が一番欲しい言葉をくれる。
告白を断ったとき、この関係も壊れてしまうんじゃないかって内心すごく怖かった。
トマも、アノン君みたいに変になっちゃったらどうしようって。
でもトマは、大好きなトマのままなんだ。
「お、俺にとってフィーネは、貴族様だろうが大聖女様になろうが、ここで一緒に遊んだ……泥んこフィーネのままだからっ!」
「……」
「あ、あの、フィーネ? ああどうしよ俺、さっきから意味わかんないことばっかり言ってるよな。くそ、フィーネを困らせたいわけじゃないのにっ……」
トマ、すごく焦ってる。
なんか、可愛い、な。
なぜだかトマの横顔に、吸い寄せられる。
唇の先がほっぺたに触れる寸前、トマがこっちを向いた。
「え?」
目の前にトマの驚いた顔。
あ、どうしよう、このままだと――。
「――っ」
お互いの唇が、少しだけ触れた。
ゆっくり、顔の位置を戻す。
「フィ、フィーネ、こここ、これは……?」
耳まで真っ赤になったトマが、唇を押さえてわなわなと震えている。
(あれ……今私、自分からキ――)
ボッという音が出そうなほど、顔が熱くなった。
(わ、私、なにやって……)
「あ、ち、ちが……くて、これは、その、ととと……友だちの証、といいますか」
「ああっ、あー、うんっ、ともだち、友だちの証、ね。うん、わかってる、わかってるから!」
私、頭が変になっちゃったのかな。
告白を断った相手に、言ったそばからキ……ス、するなんて。意味がわからない。
なんか、可愛いなって、体が……勝手に。
あれ、どうしよう。
どうしよう。
「えと、ごめんっ、マリエッタが待ってるから」
「あ、フィーネ――」
私は、脱兎のごとく駆け出した。
獣道をかき分け、ひたすらに走る。
森を出ると、馬車の前でマリエッタが待っていた。
「お、お待たせ……!」
「おかえりなさいフィーネ様。ずいぶんと、お楽しみだったようですね?」
私は息を整えるのに必死で、マリエッタの言葉を聞き取ることができなかった。