無自覚無防備なTS聖女は今日も誰かを狂わせる(R18版) 作:月見ハク
静かな浴場で、小さいため息をつく。
湯の縁で寝入ってしまった義兄さまの顔は、いつものように穏やかだった。
目を逸らし、浴場の扉に向かって声を掛ける。
「マリエッタ、お義兄さまが寝てしまったから、運ぶのを手伝ってくれる?」
『……かしこまりました。フィーネ様』
ずっと脱衣所に控えていたマリエッタが、引き戸を開けて入ってきた。
女二人がかりでも、義兄さまの体を二階の寝室に運ぶのは難しい。
仕方なく、洗い場のマットに寝かせることにした。
「マリエッタ、お義兄さまの服と毛布をお願いできるかな? ここは温かいけど風邪を引いてしまうかもしれないから」
「承知しました。フィーネ様は、どうされますか?」
いつもの近い距離感ではなく、どこか気まずそうに聞いてくる。
「私は自分の部屋に戻って寝るよ」
「かしこまりました。おやすみなさいませ、フィーネ様」
「おやすみ、マリエッタ」
裸の上にマリエッタが用意してくれていた白いナイトガウンを羽織り、脱衣所を出た。
自室に戻り、ベッドへと向かう。
ぐちゃぐちゃに乱れていたはずのシーツは、綺麗に整えられていた。
きっと私がお風呂へ連れて行かれたあと、マリエッタが新しいシーツと取り換えてくれたのだろう。
「もう体、動かないや」
洗濯済みのシーツの香りが、眠気を誘う。
悲しみがあふれてくる前に、私の意識は眠りの底へ落ちていった。
ふと、見知った気配に目が覚める。
薄目を開けると、窓の外はわずかに白み始めていた。早朝だけに鳴く鳥の声が聞こえる。
ベッドの側に、エラが立っていた。
「エラ、よかった。無事だったんだね」
義兄さまに酷いことをされているわけじゃなくて、本当によかった。
起き上がって私の護衛騎士を見上げる。
彼女は涙こそ流していないが、今にも泣き出しそうに見えた。
「フィーネ様、遅れて申し訳ありませんでした」
「ううん、いいよ。マイさんも無事?」
「はい、無事です」
「そっか」
ほっと胸を撫で下ろしてから、もう一度エラを見つめる。
「今まで、なにしてたの?」
「私たちはウォルム様の命で王都に赴き、暗殺者に狙われているという王女殿下の護衛にあたっておりました」
王都で重要任務に就いているというのも、本当だったらしい。
「フィーネ様の側を離れたくはなかったのですが、この屋敷はウォルム様が命がけで守り、さらにフィーネ様は大聖女だから万が一にも危険はないと、そう言われて……渋々王都へと向かったのです」
エラはそう言うけど、彼女はもともと王女殿下の護衛騎士だ。内心では暗殺者に狙われていると聞いて、居ても立っても居られなかったはずだ。
それでも私が大聖女になっていなかったら、側を離れようとはしなかっただろうけど。
「ですが四日前にウォルム様から護衛任務延長の便りを受け、不審に思い……こうして戻ってきました」
「え……」
(たったそれだけの理由で、任務をすっぽかしてまで……?)
王都からエルドアまでは、早馬を二十四時間飛ばし続けても四日は掛かる。
きっとエラは、禁術を使ったんだ。
自分の命を削り短時間だけ身体能力を爆発的に増幅させる――私が禁じた術を。
それを自分や馬にも掛けたのだろう。
私は泣き出しそうになるのをぐっと
「エラがいなくなって、王女殿下は大丈夫なの?」
「それが、どれだけ調査をしても暗殺者の気配がなかったのです。今思えば、ウォルム様がフィーネ様から私たちを遠ざけるために、仕組んだものだったのかもしれません」
そう、かもしれない。
けど、だからって大事な任務を途中で投げ出したりなんてしたら……。
「私は領主の命に背き、さらに王女殿下の護衛という大任を放棄しました。処刑は免れないでしょう」
本当にエラは、ばかだ。
そんなにまでして駆け付けてくれたのに、私は。
「ごめんね、エラ。私、義兄さまに、無理やり……」
「さきほど、マリエッタからすべて聞きました」
「そっか……」
エラの頬はもう、静かな涙で濡れていた。
思えば、彼女の泣き顔を見たのは初めてかもしれない。
「フィーネ様、あなたには貴族として領主を支え、共にこの地を治めるという道があります。でも」
一呼吸を置いて、エラが私を見つめる。
「この運命から、逃れたいですか?」
やっぱり、エラには全部お見通しみたいだ。
「エラ、ついてきてくれる?」
「愚問ですよ、フィーネ様」
ふんわりと微笑んだエラが、小瓶を渡してきた。
「これは?」
「強力な避妊薬です。こういうこともあるかと思い、王都を探し回って調達しました」
正直、自分で探そうと思っていた。
「ありがとう」
「いえ、ただ……少しお体に障ります」
「うん、いいよ」
私は瓶のフタを開け、こくりと一飲みした。
エラが目を見開く。私が体に悪いものを取り込むのに、なんのためらいもないことを驚いているのだろう。
薬が喉を通って、胃に流れていく。
「ん……ッ」
体が無意識に浄化しようとするのを、抑える。
ここで分解したら薬効まで消えてしまう。
「フィーネ様、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ちょっと苦かっただけ」
差し出されたコップを受け取り、水をコクコクと飲み干す。
「エラ、馬はあるかな?」
「はい、屋敷の外に付けています」
「もしかして、マイさんも?」
「はい、外で待っています」
そっか、マイさんも……来てくれるんだ。
じんわりと温かくなった胸を押さえていると、寝室の扉の外に気配を感じた。
――コンコン。
扉が上品にノックされる。
「入っていいよ、マリエッタ」
「失礼します」
マリエッタが、静かに入ってくる。
「お出かけ用の服をお持ちしました」
「え……うん、ありがとう」
持ってきてくれたのは、下着の上下が数枚と、ベージュのボタンシャツに茶色い革製の乗馬ズボンだった。
貴族のお出かけというにはあまりに質素で、身軽で、まるで逃避行を見越したような衣服だ。
「これ、マリエッタが用意してくれたの?」
「はい、私がご用意しました」
「マリエッタは、いいの? 私が――」
――ここを去っても。
そう告げようとして、マリエッタの指が私の唇に触れた。それ以上は言わなくていいという合図だ。
「フィーネ様、私はフィーネ様が恋をして、ウォルム様と一緒になる姿をずっと見たいと思っておりました。それが私の敬愛するウォルム様と、私の愛するフィーネ様の幸福なのだと信じて」
マリエッタがにっこりと微笑む。その笑顔はどこか懐かしい感じがした。
「ですが先ほど廊下で、私に手を伸ばすフィーネ様の姿を見て……思い出したのです。ずっと昔、弟のように可愛がっていた少年のことを。非力な私では、あの子を死の運命から救ってあげられなかった」
まるで古傷を噛み締めるように、マリエッタが胸に手を当てる。
「フィーネ様には、自由に未来を選び取ってほしいのです。ですからこれは、私の償いのようなものです」
彼女は胸元から小さいガラス玉を取り出すと、床に叩きつけた。
パリンと割れた瞬間、窓の外が光る。
「マリエッタ、今のは……結界?」
「さすがフィーネ様。これはウォルム様が仕入れた古代の魔道具。聖女だけを閉じ込める結界が、屋敷を覆うように張られていたのです。一度発動すれば大聖女でも突破するのは困難だと、ウォルム様が話していたのを盗み聞きました」
してやったりといった感じで微笑む彼女に、胸が熱くなる。
「マリエッタ……ありがとう。でも、お義兄さまがこのことを知ったら」
「ふふ、またお仕置きをされてしまいますね。でも大丈夫ですよ。私を傷つけるものではないですし、私もウォルム様のツボは心得ていますから」
マリエッタが私の頬を撫で、微笑む。ドキリとするほど綺麗な顔が、なんだかすごく色っぽい。私と同じブルーの瞳が熱を帯び、私と同じ蜂蜜色の髪が妖艶に揺れた。
「フィーネ様、そろそろ参りましょう」
エラが私の肩に手を置く。
するとマリエッタもハッとして専属侍女の顔になった。
「ああすみませんフィーネ様、今、お召し替えを手伝いますね」
「ううん、必要ないよ」
私はその場でナイトガウンの腰ひもを解くと、全裸になった。
「ぁっ……」
「フィ……」
エラとマリエッタが息をのむ。
私は構わずお出かけ用の服を着込むと、姿見で確認した。
うん、悪くない。
この格好なら貴族にも聖女にも見えない気がする。
「マリエッタ、どうかな。似合う?」
「……は、はい、とっても素敵です……」
ぽかんとするマリエッタを見ていると、なぜだろう……無性にいたずら心が湧いてきてしまう。不思議だ。
「じゃあ行こっか、エラ」
「え、ええ、フィーネ様」
部屋を出て行こうとすると、「あの」とマリエッタが手を伸ばしてくる。
「フィ、フィーネ様、今までごめ、んもっ――」
マリエッタが謝罪を口にしようとするのを、頬をつついて止める。
なおも何かを言いかけたので、今度は唇を指で閉じさせた。さっきの仕返しだ。
「私はもう大丈夫だから。どうかお義兄さまをよろしくね」
マリエッタは目から一筋の涙を流し、私の右手を大事そうに握った。
「はい、私の可愛いフィーネ様」
エラと一緒に、廊下に出る。
昨晩ここで義兄さまに抱かれた感覚がよみがえりそうになり、慌てて走り出す。
久々のズボンだ。貴族や聖女の服と違って動きやすい。やっぱり私はこういう格好のほうが体に合う。
「フィーネ様、大聖女のローブはよいのですか?」
「うん、多分もう必要ないから。きっと教皇様が回収してくださると思う」
心の中で、この様子を見ているはずの教皇様に頭を下げる。
(教皇様、面倒をお掛けしてすみません)
階段を降り、玄関ホールを横切る。
あの柱のところで、義兄さまの上で何度も揺すられた。
(うっ……)
じわりとアソコが痺れてくる。太もの付け根に刻まれた淫紋がジンジンと疼く。まるで番(つがい)から離れるのを拒んでいるみたいだ。
(ごめんなさい、義兄さま……私、義兄さまの思いには応えられない)
私は体が勝手に立ち止まりそうになるのを振り切るように、出口へと駆け抜けた。
外に出ると、朝焼けが目に飛び込んでくる。
もうすぐ夜明けだ。
屋敷の正門を出たところに、三頭の馬がつながれていた。
「フィーネちゃん!」
「マイさん」
その一頭に、心配そうな顔をしたマイさんが乗っていた。旅をしてきたときと同じ、白い聖女見習いのローブに身を包んでいる。
私は急いで彼女のもとへ駆け寄った。
「マイさん、いいんですか、私についてきて」
「いやいや、当たり前でしょ。フィーネちゃんを守るのがあたしの使命だから」
「あ、あの、ご……ありがとうございます」
ごめんなさいと言いかけて、慌てて感謝の言葉に変える。
きっとマイさんも覚悟を持って来てくれた。謝られても迷惑なだけだ。
「うふふ、いいのいいの。それに心配だった教会のほうも王女殿下と教皇様のおかげで綺麗になったし、大司教さま……あ、ゴーゼ大司教じゃなくて、前の大司教さまね。あの人も、行ってきなさいって言ってくれたから」
ほぅと甘いため息をつくマイさんに、思わず見惚れてしまう。なんだか、さっきのマリエッタの表情に似ていてすごくドキドキする。
「そ、そうなんですね」
とりあえず愛想笑いを浮かべると、どんどん顔が緩んでいく。
またマイさんと過ごせるのが嬉しくて、ついニヘラとだらしない笑顔を浮かべてしまう。
恥ずかしくなって顔を逸らす。余った二頭の馬のどちらに乗ろうか迷っていると、不意に馴染みのある気配を感じた。
「フィーネっ」
「トマ!?」
振り向くと、昨日森で会ったときと同じ服を着たトマが、こちらに歩いて来ていた。
「どうしたの、こんなところで?」
びっくりしながら駆け寄ると、トマの様子がおかしいことに気づく。妙に前かがみで、股をこすり合わせるように歩いている。
お腹の調子でも悪いのだろうか。
「フィーネ、大丈夫なの?」
「え、大丈夫って?」
私が言おうとした台詞を先に言われる。
「いや、えと俺、森で深夜まで考えごとしてて、帰りにこの屋敷の近くを通ったらさ、その……二階の窓から、フィーネの声、聞こえて」
「えっ……」
深夜、二階の、私の部屋の窓。
私が義兄さまにされているとき、ヘンな声、いっぱい漏れて。
(トマに、聞かれてた、の……?)
どこまで。
どこまで聞かれたんだろう。
すごく嫌だ。
恥ずかしい。
「あ……あの、トマ……お願い、忘れて」
耳まで顔が真っ赤になっているのが分かる。
トマの顔が見られなくて下を向いていると、目の前で「うっ!」とうめく声が聞こえた。
咄嗟に顔を上げると、トマが下腹部のあたりを押さえて今にも倒れそうになっている。
「トマ、大丈夫!?」
「ち、ちがう、俺じゃなくてフィーネは大丈夫なのかって」
「私はえと……もう、大丈夫だから」
「……そ、そうか。それならいいんだ」
尋常じゃないくらい息を荒げているけど、私のことをすごく心配してくれているのは伝わってきた。
「あのさフィーネ」
「なに?」
「もし逃げるんなら、俺と一緒に――」
小さくなっていく声に聞き耳を立てようとすると、ヒヒンと馬が鳴いた。
「フィーネ様、そろそろ行きましょう」
振り向くと、エラも馬に乗っている。ということは私が乗るのは余ったあの馬だ。
「ごめん、私行くね。トマにはもっとちゃんと話したかったんだけど」
とはいえ、もう面と向かって話すのは無理だ。あんな声を聞かれていたのかと思うと、恥ずかし過ぎて泣きそうになる。
「フィーネ、行くってどこに――」
「そうだトマ、ちょっとお腹触るね」
「へ?」
股間のあたりを押さえているトマの手の上に、手のひらを重ねる。
少し多めに治癒魔法を掛けて、手を離した。これでお腹がどれだけ悪くても全快したはずだ。
「……あれ、治ってない?」
トマは変わらずお腹の下を押さえたままだ。むしろさっきより前かがみの角度が深くなっている。
「フィーネ、これはその、腹が痛いとかじゃなくて」
「フィーネ様、これは男性にはよくあることです。これ以上触れないのが優しさかと」
「え、うん」
そう、なの?
あれ、なんか……これって。
ぼっ――。
ドサリ、と目の前でトマが座り込んだ。
私は弾かれたように二歩後退すると、ぎこちなく声を掛ける。
「じゃ、じゃあねトマ、どうか元気で」
「うぅ」
ふと、トマに昨夜言われたことを思い出す。
――俺、振られてもフィーネを好きって気持ちに変わりはないから。
――困ったときは遠慮なく頼ってくれたら嬉しいっていうか。
大事な幼馴染が掛けてくれた、大切な言葉。
もう、会えないかもしれないんだ。
「トマ、ごめんね。私、トマを頼れなくて」
「フィーネ……」
すごく、寂しいけど。
これ以上私に関わったら、トマまで巻き添えを食ってしまう。
だから。
「私も、トマが大好きだよ」
「うぐぅ」
大好きな友だちとして、精一杯の気持ちを伝えた。
馬に乗り込み、颯爽と走り出す。
馬術には自信がある。王都学院でも基礎は一通り習ったし、聖都にいた間もずっとエラに馬術を仕込んでもらっていた。
長距離の旅だってお手の物だ。
カッポカッポと馬が進むたび、股下からの振動がダイレクトに伝わってくる。刻まれた淫紋が、振動を快感に変えて――。
「んんっ……ぅっ、ぁッ……」
(これ、だめかも)
私は急いで馬を止めると、
助けを求めるように、もう一頭の馬に乗り込んでいたエラのところへ駆け寄る。
「フィーネ様っ、どうされました?」
「あの、ごめん。一緒に乗せてくれないかな」
「もちろん構いませんが、お体が優れませんか?」
「あのね、手綱に、集中できなくて……」
私の顔は、朝焼けの空より真っ赤だったと思う。
エラも、同じくらい真っ赤だった。
結局私は、いつもの指定席であるエラの太ももの間におさまった。
「では行きますね」
エラが手綱を振り、馬が走り出す。
う……やっぱり振動がツラい。
でもこれなら、せめて魔法の発動には集中できる。
「エラごめん、大通り沿いを行ってほしい」
「承知しました」
まだ静かな領都の、高くない建物のあいだを通り過ぎる。夜明けの光が差し込む大通りを、三頭の馬が駆けていく。
あっという間に城門を出ると、まだオレンダイ軍との戦闘の痕跡が残る平原へと出た。
ここは、地図で見るとちょうどエルドア領の真ん中らへんだ。
「エラ、私が馬から落っこちないように支えててくれるかな」
「魔法を発動するのですか?」
「うん、ちょっと集中がいるから」
エラの片腕が私の腰に回される。
さて、最後の大仕事だ。
――防護魔法。
私は薄めに薄めた魔力を展開すると、対象を人間に設定してから一気に広げた。
半円球の淡いドームが、私を中心に周囲の何もかもを包んでいく。
エルドア領全体を防護魔法で覆ったのを確認してから、範囲内にいる人全員の魔力を
(ああ、やっぱりだ)
人々の二割くらいが、寄生虫に侵されていた。
昨日あれだけ領内を回ったけど、浄化しきれない水源はまだまだあったらしい。
「エラ、マイさん、ちょっと眩しくなります」
二人に声を掛けてから、めいっぱいの魔力をかき集める。
練って、凝縮して、練って。
最後に、空に向かって右手を掲げた。
「フィーネ様、これは――」
後ろでエラが声を震わせた瞬間、私の手のひらから虹色の光が放たれた。
光はすぐに極大の柱になって、天を貫く。
一瞬、視界が光に染まる。
やがて空一面が虹色に染まり、キラキラ光る粒子となって降り始める。
(くっ……)
魔力が体の奥からごっそり抜けていく感覚。
でも、まだだ。まだ足りない。
(私の、ありったけを)
平原を馬が駆ける。
地平線の向こうから太陽が顔を出しても、私はなおも天に向かって手のひらを掲げ続けていた。
虹色の空はじわじわと拡がり、もうエルドア全土を覆っている。
人々の中に巣食っていた寄生虫が消えていくのを感じる。風邪や病気も癒えていくのを感じる。
そして人々の中に、治癒の力に目覚める者が生まれていくのを感じる。
これで教会に頼らなくても、みんなが互いに癒し合えるようになるだろう。
(願わくば、領のみんなが健康に暮らしていけますように)
祈りながら、さらに魔力を放出する。大聖女の力が枯れるまで。
義兄さまの言うとおり、大聖女は爆弾だ。
ならこの国から、消してしまえばいい。
「――フィー……さま、フィーネ様っ!」
エラの心配そうな声で、まぶたを開ける。
どうやら彼女の胸に寄っかかったまま気を失っていたらしい。
「あ、ごめん、……寝ちゃってたみたい」
エラに支えられて、ゆっくり体を起こす。
いつしか私たちは、小高い丘の上に来ていた。
「うわー、綺麗だねエラ」
「……そうですね」
高台から見渡す限りに、虹色の粒子が降り注いでいる。それを私はどこか他人事のような心地で眺めた。
振り返ってエラを見上げると、光景に目を奪われている。
私は一人、馬から降りた。
「うん、足腰に異常はなし」
私の中から、大聖女の力が跡形もなく消失したのを感じる。
せっかく私を思って大聖女にしてくれた教皇様やアリシア様も、今ごろ呆れているだろう。
でも、これでいい。
争いの火種が一つ、この国から消えた。
「フィーネちゃん、その髪……!」
後ろからやってきたマイさんが、驚いた顔をしている。
「フィーネ様、髪が!」
エラも目を見開いて私を凝視していた。
(……髪?)
肩まで伸びた後ろ髪を、前に持ってきてみる。
透き通るような、銀色だった。
どうやら魔力を絞り出しすぎて、元々のぶんもごっそり抜けてしまったらしい。
試しに両手を出して防護魔法を展開してみる。
目の前に虹色の膜が現れ、すぐに消えた。
大聖女になる前よりも弱々しく、回数も日に一、二回が限度だろうか。魔力切れではなく、魔力の総量そのものが減ってしまった感じだ。
「ちょっと、やり過ぎちゃったかな」
「フィーネ様、お体はなんともありませんか!?」
馬を降りたエラが、ペタペタと触ってくる。
相変わらず心配性だな。でもいきなり銀髪少女になってしまったのだから無理もない。
「うん、体は平気」
安堵のため息を漏らすエラを尻目に、私はゆっくり昇ってくる朝陽のほうを見つめた。
確か、ここから東に向かうと聖公国、北に向かうと帝国だ。
「エラ、禁術ってどうやって解くか知ってる?」
「禁術、ですか? 失われた古代の術なら、帝国に研究機関があると聞いたことはあります」
そこへ行けば、淫紋を消せるかもしれない。せめて手がかりくらいはつかめるかもしれない。
私はもう貴族でも聖女でもなくなった。
ただの泥んこフィーネだ。
「フィーネちゃん、行き先は決まった?」
マイさんに後ろから包まれる。ふんわりと落ち着く匂いが、安心をくれる。
「では、あの、帝国に行きたいです」
後ろにいるマイさんに微笑みかけると、さらに強く抱き締められた。
「うんうん、フィーネちゃんの行きたいところ、どこへでも付いていくからねー」
「あ、ちょっ、マイさん」
ぎゅうと体を圧迫されて、全身がビリビリする。淫紋が反応して感覚を増幅させていく。マイさんの吐息が耳を撫でて、細い腕が胸にふんわり当たって。
「あッ、ぁんっ……」
勝手にヘンな声が出てしまう。
ひぇぁ、とマイさんが聞いたことのない声を上げて私からパッと離れた。
「フィ、フィーネちゃんどうしたの!? 今の可愛い声……じゃなくて、ごめん変なとこ触っちゃった? え、あれれ、なんかドキドキしてきたよ~っ!」
うう、ごめんなさい。
勝手に火照る体を鎮めながら、マイさんとエラに向き直る。
「あの、二人に話があって……実は義兄さまにね――」
私は恥ずかしさで泣きそうになりながら、呪いのことを打ち明けた。
◇
その日、エルドア全土を覆った虹色の光は、遠く離れた聖都からも観測できたという。
光の恩恵はエルドアだけでなく近隣の領にまで及び、病人やけが人はたちどころに回復し、中には治癒魔法に目覚める者も現れた。
人々はそれを、大聖女の奇跡と呼ぶことになる。
「――じゃあ、フィーネちゃんには不用意に抱きつかないようにするね……」
「私も、危急の際以外はフィーネ様になるべく触れないようにします」
「ごめんね二人とも……よろしく、お願いします」
どんどん声量が尻すぼみになっていくフィーネの顔は、ゆでだこのように真っ赤だった。
対するエラとマイの顔も、頬を紅潮させている。
呪いの証拠にと、フィーネに太ももの付け根を見せられたときから二人の心拍数は急上昇していた。それはもちろん、彼女の意思に反して淫紋を刻んだウォルムへの怒りもあるが、それ以上に。
「なんかフィーネちゃん、ますます色っぽくなったよね」
「……そうですね」
ズボンを下げて、悩ましげに目を伏せるフィーネの表情が頭から離れない。
当の彼女は、恥ずかしさをごまかすように帝国領を一心に見つめている。
ふわりと南風が吹き、美しい銀髪がなびいて朝陽に艶めく。
「じゃ、じゃあ行こうか!」
気まずそうなフィーネが、馬の手綱を引いて歩き出す。
透き通るようなブルーの瞳には、故郷を去る悲しさと不安、そして新天地への旅にときめく少年の輝きを宿していた。
見る者すべてが見惚れてしまう絶世の美貌。
接する者すべてを魅了する優しい心根。
淫紋によって何十倍も敏感になった体。
義兄との情事によって増してしまった色香。
奇跡を起こしたことによって減衰した魔力。
図らずも、強欲な者にとっては格好の獲物となってしまったフィーネは今。
この大陸でもっとも欲望の渦巻く帝国へと、足を踏み入れるのだった。
ここまでお読みいただき有り難うございます。ひとまずの一区切りです。
美麗な挿絵と、IFエピソード「酒場店主の毒牙 ◆◆」を加えた電子書籍2巻が好評発売中です!
【FANZA】
https://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_402355/
【DLsite】
https://www.dlsite.com/maniax/work/=/product_id/RJ01212134.html
【ファンティア】
https://fantia.jp/posts/2805815
またファンティアでは、義兄がフィーネに出会った直後に淫紋を刻んで調教するお話や、敵司令官に捕まってエラが救出に失敗したIFストーリーを公開していますので、興味があれば読んでみていただけると嬉しいです。
↓
https://fantia.jp/fanclubs/364376
需要がありましたら、本編の続きや閑話も掲載していきたいと思います。